無責任賛歌
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| 2001年12月25日(火) |
怪獣道なんてないよ/『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫)ほか |
朝というか、未明の頃、目を覚ましたら、しげがまだ帰宅していない。 さて、さすがにどうしたのだと思って携帯に連絡を入れてみると、なんとまだリンガーハットにいる。 「勤務時間は終わったんじゃないのか?」 「ああ、なんか居残って話しこんじゃって……。もうすぐ帰るよ」 夕べは職場で一晩明かしたらしい。 こういうときに私は「あっそ」で済ましてしまうので、しげから「妻の身は心配じゃないのか」とか愛情を疑われてしまうんだけれども、だったらちゃんと連絡を入れて「遅くなるよ」と言えばいいのである。 オトナなんだから、いちいち心配してもらえるなんて甘えちゃいかんがね。
連休のあとの仕事くらい、やる気の出ないものはない。 つーか、なんだか集中力が続かない。 一通り年末の仕事は片付けちゃって、取りたてて慌てなきゃならない仕事がないせいかもしれない。 けど、なんとなく意識は茫洋、何か喋ってるんだけれど、その自分で喋ってるセリフを片端から忘れていってる。単に寝惚けてる状態なのかもしれないけれど、ちょっと自分でもヤバイ状態だなと言うことがわかる。 風邪にしちゃ熱はないしなあ、どうしてかなあ、と思ってたら、土曜日、医者に行かなきゃならんのを忘れていたことに気付いた(おいおい)。 な〜んだ、薬が切れてたせいか。 ……じゃないよな。ってことはこのなんともだるーい状態のままでこの年の瀬をすごさにゃならんということか。 映画に行ってたりしてる場合じゃなかったよなあ……って仮に医者行きがあったことを思い出してたとしても映画にも行ってたろうけど。 年末は病院も休みなので、次の通院は年明け。薬が少しは残っちゃいるので、それまでちびちび飲みながらなんとか持たせて行くしかないか。
『キネマ旬報』1月上旬号を何気なく開くと、金子修介監督が、『“怪獣映画”監督の仕事』と題したエッセイを寄せている。 円谷英二のムック本で、唐沢俊一さんが「金子監督は『ガメラ1』のときに、ガメラを回転させて飛ばせることに最後まで納得できなかったらしい」と伝聞をもとに批評したことについて、「監督が最後まで納得しないで映画を撮るなんてことはあり得ない」と反論している。 この「回転ジェット」についてのやりとりは、多分、お二方の単純な誤解と行き違いだと思うし、金子監督が「企画段階で回転ジェットはリアルじゃないと思っていただけ」という主張するなら、それはそれで問題は終わりなのだが、気になったのは、そのエッセイのラストの部分。 「僕が怪獣映画ジャンルを否定? この人(注・唐沢俊一さんのこと)の説く怪獣映画『道』という閉鎖空間から外れているからなんだろう。怪獣映画への道は険しいもんだね」 ……皮肉か揶揄のつもりなのか知らないが、「大人気ない書き方だなあ」というのが第一印象だった。更に言えば、「怪獣映画監督」と自分を認識しているんなら、こんな下卑たモノイイはしてほしくなかったなあ、というのが正直な感想。 もはや万人が納得する『ゴジラ』なんてものはありえない、ということは解りきっているのだ。だから今回の私から見れば「何それ?」的なゴジラだって、「世間の評判もまあまあらしいし、ずいぶんみんな心が広いなあ、それもありなのかなあ」と、映画の存在自体を否定しようとまでは思っちゃいなかった。 それを、こんな「私の考える怪獣『道』の方が正統」(もともと「道」なんて言葉を唐沢さんは使ってない。これこそ金子監督の「曲解」だろう。言い替えれば、金子監督にはハッキリと自分の考える「道」がある、と主張したいのだと受け取れる)みたいな書き方をされると、これまで『ガメラ』シリーズを支持し、『ゴジラ』にも称賛を寄せて来ていた怪獣ファンたちの思いをかえって裏切ることにはなりはしないだろうか。
だからやっぱり私は、今回の『ゴジラ』については、もうちょっと厳しい目で見る必要があるんじゃないかと思うんである。ちょっとばかし今までの『ゴジラ』より出来がいいからといって、妙にチヤホヤ持ち上げたりせず、「でもお前、そこんとこは考え方おかしいよ」っていうことは、ファンだからこそ、ちゃんと言っとかなきゃいけないことだと思うんだけど。 ……なんだか、「どうしてみんなここまで『ゴジラ』を誉めるのか、という心理分析をするのも面白いかもなあ。
勢いでオタアミ会議室にも同様の意見を書きこんで、そのあと、昨日の『世界まる見えスペシャル』で紹介されたという、22歳の金髪コスプレ娘「フランチェスカ」さんのサイトを覗く。 みなさん、「やっぱ外人女のコスプレは違うわ」と垂涎の御様子だったが、所詮はモデルとは比較にならないシロウト娘、たしかに美人ではあるし、チチはでかいが、いかんせん、ウエストのクビレがない。 更によく未ると、顔もちょっと二重顎、今後は太っていくことが明らかに予測できる。 ううむ、この程度で萌えてしまうというのは、やはり今のオタクたち、ゴジラの件もそうだけれど、審美眼のハードル、えらく低い基準に見積もって、自分を慰めてないだろうか。 スタージョンの法則にもある通り、「SFの90%はクズ」は全ての対象に汎用できるのである。 だから、「『ゴジラ』の90%はクズ」だし、女性コスプレイヤーの90%は…… あわわわわ(^_^;)。
神坂一『スレイヤーズすぺしゃる18 跡継騒動 森林レンジャー』(富士見ファンタジア文庫・504円)。 もうスペシャルの方が本編みたいになっちゃってる『スレイヤーズ』シリーズだけれど、今回の劇場版ではついにナーガとアメリアが出会いか? みたいな雰囲気作っといて肩透かし、原作の方もナーガの出番がめっきり減っている。 どーせ「おーほほほ!」と笑ってノされるしかないキャラなんだから、いい加減でアメリアと姉妹再会を果たさせて、盛り上げてほしいもんだが。 ファンにはもうバレバレなんだし、18巻も引くネタじゃねーだろう。
今巻の目玉は、ゼルガディスの活躍を描いた外伝、『ゼルガディス隴月草紙』ということになってるけど、ゼル自体はあまりギャグキャラにはできないから、必然的に回りをエキセントリックにするしかない。結果的に、ちょっとバランスの悪い作品になった印象。……ゼルが人間に戻るエピソードもいい加減で書いてやれよ。第3部のネタはないとか言ってないでさ。
岡田斗司夫『30独身女、どうよ!?』(現代書林・1470円)。 岡田斗司夫『恋愛の取説(トリセツ)』(現代書林・1260円)。 ピンク色のタイトルロゴに、黄色いウサギのイラストという、40既婚男が手に取るにはちょっと躊躇するような表紙なんだけれど、「恥」という言葉はとうの昔に捨てているので気にせず買う。 そして表紙をめくればアアラフシギ、まるで文学全集のようなニセの表紙が現れて……。 よく見りゃオビに「友だち(30独身女)に見られても大丈夫! カバーを取るとニセ表紙が!」だって。 ううむ、やっぱり「30過ぎても独身」ってのは女性の中では相当トラウマなのかもなあ。
前作『フロン』は各方面でいろいろ話題になったようである。 もちろん批判も多々あった。 ネット上の書評を見てみると、代表的な意見は、「結婚が女性の幸せに繋がらないってのはわかるけれど、私は岡田さんの言うようなn対nの関係なんて作れない」とか、「私は結婚してるけど、別に不幸じゃないから関係ない」とか、「自分は岡田さんのパターンには当てはまらない」って言ってるものが多かった。 こういうのは「私はカネ持ちだから貧乏人の苦労は分らない」と言ってるのと同じで、批判としてはちょっとピント外れなんだけれど、こういう意見が出て来るってこと自体、「30独身女問題」が結構深刻なんだなあと感じさせてくれる傍証になる。 「やっぱ、30過ぎて女が独身でいるなんて、ちょっと問題あるよね」と思ってる連中が世間にゃゴマンといるってことなんだよなあ。しげがこの本を読んでひとこと、「家事とか子育てに縛られるとか、そういう結婚しなきゃいいんじゃん」と言いやがったが、おりゃあ別に「家事しなくていいよ」なんて言った覚えはね〜ぞ。オマエが勝手に自分の生活ラクにしてるだけだろうが。しかも、そのことに全く良心の呵責感じてないし(-_-;)。 しげが言ってるのは「オトコの寄生虫になる結婚すればいいじゃん」と言ってるんであって、「結婚に意義を見出そう」というマトモな感覚があれば、そんな人間としてのプライド捨てたような結婚はできない。問題なのは、その「結婚の意義」ってのが十年一日「良妻賢母」以外のものが提示されてないってとこにあるのだ。 この本が対象としているのは、実のところ結婚している、していないに関わらず、そういった「女の幸せは結婚」という精神的呪縛にとらわれている女性たちになのであって、最初から結婚の呪縛にとらわれてないしげなんかは対象外なんである。
夢を捨てきれない女の人たちのために、長々と岡田さんは一冊丸ごと使って説明しているけれど、要は「結婚」以外に女性が生きていく方法があればいいのだ。結論は「独身でいいじゃん」ってことになるんだが、さて、こう思いきれる女性がどれだけいるだろうか。 だってねえ、やっぱ女ってズルイのよ。 オトコとつるむことが「チヤホヤしてもらえる」「タダでメシ食わしてもらえる」ことだと思ってるから。 岡田さんは今回もまたオブラートに包むように包むように「恋愛を特別な日だけ食べるケーキなんて思っちゃダメ」なんて優しい言い方してるし、「30独身女はオトナ」とおだてちゃいるけど、ウラを返せば、「30過ぎて独身でいることに開き直れない女はバカでガキ」ってことでもあるんだからな。
これからの時代、岡田さんの言うように、旧弊なモラルが徐々に解体されていくかどうか、それこそ「n対n恋愛」を実践する女性たちが社会の中枢に陣取るようにならないと、そうそう実現するものでもなかろうが、モラリストが往々にして差別的になることを考えると、そうなってほしいなあとは思う。 ただオトコである私がそれ言うと、すぐに「つまりアンタも浮気したいからだろう」ってバカが言い出すのがヤなんだよなあ。岡田さんも『フロン』で「男に都合のいい論理」とトンチンカンな批判されてたし。 あのね、たとえ世間が「n対n恋愛」を実践しようが、私ゃ別にその流れに乗るように、複数の女性と付き合おうとは思ってないのよ。それは、モラルがどうとかいうんじゃなくて、私としげとの関係が初めから1対1で成り立ってるからなんであって、それを解体しなければならない事情が現時点で発生していない以上、周囲がどうあれ、ウチは関係ないの。でもそれは「n対n」を否定しているわけでもないのね。 つまり、力説するほどもなく当たり前のことなんだけれど、恋愛も結婚も「人それぞれ」ってことなんで、「ウチは岡田さんの例に当てはまらないから、岡田さんの言ってることは間違い」ってことにはならんのよ。例外で概論を図ってはならないってのは論理学の基本なんだが、そんなこともわからんバカ批評が多すぎるんだよなあ。
明らかに、現代の日本において、「30独身女」問題はあるのであって、その問題自体から目を逸らした批判は、批判としての意味を持ち得ない。岡田さんの主張に対して反論するんなら、「結婚」以外の選択肢で、岡田さんの「n対n」案を上回るものを考えた上で、明確に提示しないと反論として成り立たないんだけどね。 でも、どんな具体案を出したところで、結論は「独身でいいじゃん」に落ち付くと思うけどなあ。
ウチの劇団にも誰とは言わんが30独身女になっちゃいそうな御仁はおられる。決して「結婚できない」タイプじゃなくて、結婚したら結婚したで「ステキな主婦」にだってなれそうなんだが、なぜか真っ直ぐな人生を歩んでおられる(^_^;)。で、彼女にどんな言葉が贈れるかっていうと、やっぱり「そのまま行ってよし!」なんである。
直接本の内容と関係はないが、気がついたことが一つ。 私は決して女性にモテるタイプではないが、昔っからなんか知らんが、女の子に「相談」を受けることは多かった。たいていは「恋愛相談」なんだけれど、なんで寄りによってオレ? と疑問に思っていたのだ(正直な話、私の恋愛経験はそう多くない)。 でも、岡田さんの「女の子の相談はオカマになって聞く」ってのを読んで、ハた、と気付いた。 いや、別に私がオカマだってんじゃなくて(^_^;)。 要するに私ゃ「男」ってのを前面に押し出さないで女性の話を聞いてるんだなあってことに気がついたってことなんですよ。「男」だと、どうしても女に対して「下心」が生まれちゃうもんね。そうすると、女から見た「余裕がある」「面白い」「オトナの」男ではなくなってしまう。だから相談一つ求められない。でも私の場合、周囲の女性からは「男」として見られてないんだけれども、そのことに全然痛痒を感じてないのね。別にいいじゃん、と思っている。だから、逆に女性から相談を持ちかけられてるのだ。 ……「有久幸次郎」って名乗ってるのに、以前「女の人ですか?」なんてメールで聞かれたワケもやっとわかった。 岡田さんが書いてるように、女性の話を「男」として聞いても、それは相談に乗ることにはならないんだよね。だって、「男」ってのは基本的に「女」の言い分を認めないものなんだから。 男はたいてい、女性の井戸端会議的な「いい男いないよね〜」とか「所詮、オトコって若い子に行くのよね〜」みたいなセリフを聞くと、プライドを傷つけられたように感じて、「いい女だっていないじゃね〜か」とか、ムキになったりする。 けど、それじゃあ、いつまでたっても女の子の相談には乗れやしない。 文章では私もこうして「女なんてなあ」みたいなこと書いてるけど、直接話を聞く時には、「そうだよな、男って結局いつまで経ってもガキなんだよ」とか「ホントはオトナの女性のほうが魅力的なのにねえ」とか、あたかも女性の言い分に迎合するようなことを言っちゃったりしてるのだ。 ……そりゃ、下手に女の子に反発して、延々グチを聞かされるよりは、そっちのほうが彼女は気分がよくなるわけだし、これがいわゆる舌先三寸ってやつなんだけれど、どうしてこういうワザを私が身に付けたかってえと、私が女だらけの中で育ったからなんだよなあ。まあ、女性との付き合い方に、多少は馴らされてるってことなんだろう、多分。
だからこないだも、ある女の子から、「彼氏が私の行動にいちいち文句つけてうるさいんです〜、どうしたらいいと思いますぅ?」なんて聞かれたときに、「彼氏は自分の方がオトナだって思ってるけど、ホントはそうじゃないんだよ。君の方がオトナにならなきゃいけない」みたいなことを言っちゃってたのだ。 ああ、岡田さんと全く同じ手口だ(^_^;)。 結局、「男としてのプライドを捨てて、相手を口説こうと思わなければ、女の子にはモテる」と言うことなのだよなあ。 まあ、思春期の性欲を持て余してる男にはなかなかムズカシイことだろうけれども。30も近いってのに、持て余しまくってるウチの劇団の某くんにも、この本、読んでもらいたいもんだな。
2000年12月25日(月) 男はみんなえっちだってば/『羊のうた』5巻(冬目景)
| 2001年12月24日(月) |
イブの焼肉/DVD『三毛猫ホームズの推理』/『シベリア超特急』ほか |
休日でも真っ先に早起きするのは私だ。 しげもよしひと嬢も、昨日の『009』マラソンで疲れたのか起きて来ない。 一人で購入したばかりのDVD『三毛猫ホームズの推理 ディレクターズ・カット』をかけていると、少しずつゾンビが蘇えるようにしげもよしひとさんも起きてくる。
『三毛猫ホームズの推理』は、もちろん赤川次郎のシリーズものの中でも第一等の人気を博しているものの第一作で、途中からこのシリーズを読み始めた人には、片山義太郎兄妹に、こんなハードな過去があったとは信じられないくらいであるかもしれない。 ミステリ界に留まらず、小説、映画を含めたエンタテインメントの世界は80年代以降、どんどん軽く、薄くなっていった。赤川次郎はそういったライト・ノベル作家の旗手のような言われ方をされることが多いが、大ブームを呼んだ『セーラー服と機関銃』にしたところで、決して、軽い内容ではない。 女子高生が殺人事件に巻き込まれたり、女子高生が麻薬密売に巻き込まれたり、女子高生が遺産相続争いにまき込まれたり、女子高生が実は吸血鬼だったり、女子高生がヤクザの親分になったり、多少、突拍子もない設定ではあっても、そこにはオトナになることの「痛み」が描かれていた。でなきゃここまでヒットはしませんって。 ところが、赤川原作の映画化作品は数あれど、作者本人が納得したものはほとんどないのが実状だった。 相米慎二、根岸吉太郎、井筒和幸、崔洋一、澤井信一郎、金子修介といった、錚々たる監督たちは、よく言えば個性的、悪く言えば一人よがりな連中で、「赤川作品の魅力は何か」と言うことに全く興味も関心もなかったのである。赤川次郎が認めた監督が、岡本喜八と大林宣彦という「職人監督」であったことには注目していい。 大林に関しては異論もあろうが、「アイドル映画」を撮ることに全く躊躇していない点で、他のええかっこしい監督とは一線を画している。だからこそ『ふたり』を見て、赤川次郎は『あした』も、そして秘蔵っ子とも言える『三毛猫ホームズ』の映画化を許可したのだ。 主演の陣内孝則、正直な話、彼については、ハデでワザとらしい「濃い」演技しか出来ないと世間は思いこまされているんじゃないだろうか。いや、私も、この『三毛猫』を見るまではそう思ってたのだ。 だって、片山義太郎って、血を見ると貧血起こす「お嬢さん」って仇名がついてるくらいの小心者って設定なんだよ? 陣内にそんなん出来るなんて思わないじゃん。 ところが、初登場シーンからして、彼がまあ、実に繊細なのだよ。 「お嬢さん!」と声かけられて、「……はい?」と振り返る表情の情けないこと! う、うまい! これぞ片山義太郎! 石立鉄男、どっか行け! 役者として評価されていない人間に息を吹きこむ演出の冴えを見せられる監督が、今、どれだけいるというのか。まあ、さすがにここまでたくさん映画作られると、ちょっと閉口気味ではあるのだけれど、大林映画、まだまだ捨てたものじゃないですよ。 栗原警視役の役者さんが実にイイ感じだしてんだけど、よく見る顔なのに誰だかわからないんだよなあ。誰か教えてくれ。
密室トリックについて、よしひとさんが鋭いツッコミを入れるが、丁度二十年前、大学の推理研で先輩と論争したことがあったのを思い出した。 私は「肯定派」だったんだけどなあ。やっぱりビジュアルで見せるとムリっぽく見られちゃうかなあ。チェスタートン式の「現実には起こりえないけれども虚構の上ではリアリティがある」トリックとしては許容範囲だと思うんだけれども。
しげたち、芝居の小道具の猫耳などを作っているので、側で『マジンカイザー』『キカイダー01』『ナジカ電撃作戦』などをかける。 ところがつい、調子にノってとんでもないものをかけちゃったのがウンの尽き(^_^;)。
DVD『豪華愛蔵仕様 シベリア超特急 特別編集版』。 製作・監督・原作・脚本、マイク水野。 そう言えばアメリカじゃそう名乗ってたんだよなあ、水野晴郎。 もしかして、ハーフかクォーター? 単にそう名乗りたかっただけ? ほぼ99.999%、後者って気はするが。 なんで「特別版」かっていうと、反戦色の強いダブルマーダーバージョンと、ラブロマンス中心のハンガリーバージョンとどんでん返しが二つあるアップテンポのアメリカンバージョンの三つを全部収録してるからだと。 水野晴郎のコメントに「みなさまのおかげで大評判の」とか「どうか三つとも見比べてください」とか書いてるが、そんなに自信があるのか(^_^;)。 全部はとても見切れないので、アメリカンバージョンをかける。
それにしてもウワサには聞いてたが、聞きしに勝る出来だなあ。 出来がいいとか悪いとかじゃなくて、壮大な勘違いで出来ているとしかいいようのない作品。もしかしたら、どうせ何作ったって貶されるんだから、最初っから「怪作」にしちまえ、という開き直りで作ったんじゃないかって穿った見方すらしたくなってくる。 一応、パッケージに、「この映画の結末は決してお友達に話さないで下さい」と書いてあるので、伏せとくけどね、伏せる価値ないぞ、このどんでん返しは。 じゃあ、そのどんでん返し以前がミステリとして出来がいいかというとさにあらず。
あのね、ぼくね、ばかだから、よくわかんないんだけど、れっしゃのなかでひとごろしがあります。 どんどんひとがしぬけれど、これはこうかんさつじんだということがはじめからばれてました。 で、どんどんひとがしんでいって、のこったようぎしゃはふたりだけなんですが、それじゃあ、このふたりがはんにんってことなのかなあ、とおもったら、そのとおりでした。 これがみすてりってことなんですか?
だいたいなあ、密室列車で交換殺人やる意味がどこにあるんだよう。 遠距離で、時間もずらしてなきゃ、意味ないだろうがよう。 『オリエント急行殺人事件』と『見知らぬ乗客』を合体させたらミステリになると思ってんのか。 『オリエント』が名作たりえたのは、犯人が限定されやすい状況にもかかわらず、あえて列車内の殺人を選んだところに犯人の動機が隠されてたんであって、ボンクラにそうそう作れる設定じゃないのだ。何を血迷った水野晴郎。 しかもなんだよ、あの真犯人の挙げ方は。 脚本以外にもセットのしょぼさとか役者の未熟さとか、いくらでも欠点は挙げられようが、とても書ききれるものではないし、何より、水野御大の棒読み大根演技の前には全てがかすむのだ。
結局、よしひと嬢に、「ミズノ、何か勘違いしてるよ〜」と頭を抱えさせてしまった。今度来られたときには、黒澤の『野良犬』でも見せて、口直ししてもらおう。
夕方、よしひと嬢が帰られるのと入れ代わるように、ぴんでんさんからが連絡があり、パソコンを設置してもらう。 これでしげと私と、交代せずにパソコンが扱えるようになったのだ。ありがたやありがたや。 ウチに来るなり、ぴんでんさん、本棚を眺めて「オタクの部屋ですねえ」と仰るが、あまりレアものはないのでお恥ずかしい限りである。 で、いきなり『シベ超』やら『八俣大蛇の逆襲』を手に取られるのは、人間としていかがなものか(^o^)。 「玄関先にまで本が!」と笑われてしまったが、ベランダにも洋画ビデオがはみ出ていたことまでは言い忘れたのであった。
その場で誘われて、天神まで出かけて行って、エロの冒険者さんを交えて飲み会。 着替える間もなく、普段着の作務衣のままだったのでさすがに寒い。ジャンパーだけを羽織って、下はサンダルで、という格好なので、天神をうろついてる時はさぞや浮いてるように見えるかもしれないが、天神にはヘンな人も多いので実はさほど違和感はないのだ。 仕事で付いて行けないしげから、「エロさん、お見合い相手のMさんとどうなったのか教えて!」とウルウル目で頼まれていたが、そんな人のプライバシーについて突っ込んだことなんて聞けないので、ちょっとだけ訊く。 どうやらアレがアレしてああなったらしいのだが、ホントはアレをああしてああすればよかったんじゃないかとか、もしかしてアレをああしてああなってるのかも知れないけどそのへん隠してんじゃないかとかいろいろ想像するが、まあ、エロさん自身が日記に書いてること以上のことは書けないので、あとは勝手に想像するように。
店の名前は失念したが、七輪の炭火で肉を焼く店で、肉の質も悪くなく美味い。 気がついたら、やっぱり「今度のゴジラはね〜」なんて話になる。正直な話、オタアミ会議室にだって、余りこき下ろした書き方はしたくなかったんだが、あんまり絶賛が多いと、バランスとるのに逆の意見ももっと書かなきゃならないなあ、という気がしていたので、結果的に、エロさんの意見を否定するようなかたちになってしまい、まずはそのことについて謝る。 エロさん、「有久さんの意見はいいんですよ、○○○○○○○○が『○○○○○○』と比較して○○○○○なんて言いやがるのが許せなくて」と、激烈なことを仰る。 まずはやはり、どんな映画でも「語られる」ことにこそ意味がある。 語られもしない映画は「存在しない」のと同じだ。
「有久さん、今日は語りますねー、いつもはやっぱりセーブがかかってんですか?」と聞かれるが、言われてみて初めてそうだろうなあ、と思う。 いつもはしげが隣にいるので、二つの意味でセーブがかかってしまうのだ。一つはしげをほったらかして自分ばかり楽しく喋ってたらあとでヤキモチ焼かれるなあ、という自己保全と、しげが飲みすぎてぶっ倒れないようにという監視の意味とである。 だって、宴会の時のしげって際限ないし。 しげが加わってから、AIQの会合でワリカン代が1割くらい増してんじゃないかと心配なのである。
エロさんから、今日はフランスのオタク、セバスチャンがテレビに出る日ですよ、と教えられたが、うっかり失念して、ビデオを仕掛け忘れていた。 オタクに対して偏見の念を抱かせるようなものじゃなきゃいいがなあ。
ぴんでんさんにウチまで車で送って頂いたが、車中のふとした会話で、ぴんでんさんがまだ『ガンドレス』を御覧になってないことを知る。 知ってる人は知ってるが、士郎正宗キャラデザインという振れ込みで劇場公開された本作、封切日に作画が間に合わず、線画に色塗っただけの状態のカットがてんこもりだったのだ。 一応、後で完全版が作られたのだが、DVDはその劇場版と完全版を両方収録しているというもの。……笑ってもらおうということか? スタッフも随分途中で逃げたらしく、パンフレットにはスタッフ表のところにシールが貼ってある。 「ウチにDVDありますが、御覧になりますか?」ということで、またまた、とっ散らかった部屋にぴんでんさんをご案内(^o^)。
結婚当初は、部屋に人が来るたびに、「なんだこの汚い部屋は(と言っても今よりはずっとキレイだったが)」と思われるのが恥ずかしくて、しげに「どうして片付けないんだ!」と怒鳴りまくっていたが、今やもう、私は枯淡の境地に入りつつあるのである。 ああ、しげはこの先一生、私がどんなに怒っても悲しんでも苦しくても辛くても、それでも家事はしないやつなんだなあ、と悟ってしまったからだ。 誰か時給千円でウチの部屋、片付けてくれる人いないか。
せっかく来て頂いたのだから、と、押入れの奥から、秘蔵のソノシートなんかを取りだし、お見せする。親に相当数捨てられているので、秘匿して残っているものはごく少ないのだけれど、今見るとこりゃレアだな、と思えるものも結構ある。 アニメ化以前のプロモ版『タイガーマスク』主題歌は、さすがのぴんでんさんもご存じなかったようだ。 「猛虎のマスクに光る目は〜、悪役ど〜もを一握り〜、リング狭しと荒れ狂う〜、岩石落としだ飛行機投げだ〜、タイガーマスクに〜、敵はな〜い〜、僕らの夢だ、チャンピオーン、僕らの夢だ〜、チャンピオーン♪」(記憶だけで書いてるので、細部に多分間違いあり。「一握り」ってことはないよなあ。「ひと睨み」か?) という歌なんだが、知ってるやつはそうそういまい。いかにもバチモンな歌詞だが、作詞はちゃんと梶原一騎なんである。つまりは梶原一騎自体がバチモンだったなによりの証拠という価値があるわけなのね(^o^)。 ともかく当時のソノシートには必ずドラマが付いており、私が持ってるのでも、『鉄腕アトム』『宇宙少年ソラン』『ビッグX』『ゲゲゲの鬼太郎』『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』ほか、テレビの再編集もの、新録ものが数十枚はある。 ぴんでんさん、「こういうのこそ、MDに落として保存しておかないと!」と仰るが、さて、今でも聞けるものがどれだけあるだろう。 けど、ふと思いついたのは、当然こういうドラマには絵が付いてないのである。マッドテープよろしく、適当な絵をこちらででっち上げて、もとアニメとは似ても似つかぬ絵で紙芝居風に仕立てたら、結構笑えるものができるんじゃなかろうか。音がちょっと割れてる方がかえってレトロな感じが出るだろうし。 AIQのみなさんの秘蔵のものを集めて傑作選作ったら、結構面白いものができるんじゃなかろうか。そのときは『日本語版モスラのテーマ』も出しますよん。
『ガンドレス』には、ぴんでんさん、充分堪能していただけたようである。 このように、劇場公開に制作が間に合わなかった例というのは、あと高畑勲の『火垂るの墓』ってのがあったが、あれは線画であったにもかかわらず、絵として見られた稀有の例であった(高畑作品は好みじゃないが、その作画レベルはやはり評価せねばなるまい)。 『ガンドレス』はその完成版ですら演出が凡庸以下である。『ダーティペア』の新シリーズOVAを演出した時は、矢田部勝義監督、結構いい出来のもの作ってたのに、どうしちゃったのかなあ。 しかし、こんなどーしょーもないアニメまでわざわざ購入してるもんだから、ぴんでんさんには「幅広過ぎですよ」、なんて言われちゃうのだ。 ……でも、クズをクズとして評価していく、あるいはクズの中にほんのかすかな宝石を発掘する、そういう姿勢こそが、我々の文化の意味を、人類の行く末を望見する基本的な態度と言えるのではないか。 とか言い訳してるのはなんだかんだで自分のオタクとしての薄さを誤魔化してるだけなんだよね、どうもすみません。
しかし、クリスマス・イブが男3人の飲み会とは侘しいなあ。 おおっと、これは禁句だったかも。
2000年12月24日(日) 昼寝したので今日の休日は短かった/『ルパン三世』7集(山上正月)
| 2001年12月23日(日) |
幸せを配る人/映画『アメリ』/『あひるの王子さま』2巻(森永あい)ほか |
今年最後の『コメットさん☆』第39回は、「サンタビトになりたい」の巻。 打ちきり(多分全46話)が決まったってのに、作画陣が手を抜かずに作ってるのが嬉しいなあ。 しかし、これだけ「近年稀に見る良質のアニメ」と言われつつも、結局『どれみ』に勝てなかったってのは(直接の裏番組じゃないけど) 、所詮「オトナが子供に見せたがる」アニメであって、子供はさほど魅力を感じなかったってことなのかなあ。
ゲームギャザの別冊で『OTOMEX』というアニメ雑誌(女の子向けというキャッチフレーズではあるけれども、中身は実質、美少女アニメ専門)が発刊されたが、その第1号、既に『コメットさん☆』を「名作」として特集している。 なんと12ページを割いて、名場面集、スタッフインタビュー、関連グッズ紹介などなど、既発のアニメ誌がおざなり程度にしか紹介して来なかった『コメットさん☆』の魅力を細部に渡って披露。メテオさんの小特集まであるんだから、これは嬉しい(あ、ちなみにウチのしげは、目を半開きにして悪巧みの微笑を浮かべているときのメテオさんに、顔がソックリです)。 しかも、前田亜季のインタビューだけで見開き使ってるし。 でもやっぱり人気がイマイチなのかなあと思えるのは、未だにムックが1冊も出てないってことなんだよねえ。この特集でも、「ムックが出来るかもしれないのでお便り下さい」なんて欄外に書いてあったりするんで、相当内部事情は苦しいのかも。 ……人気が出てればなあ、スペシャル版で九重祐三子・大場久美子・前田亜季三人揃い踏みの実写版コメットさん復活編が見られるんじゃないかと期待してたんだが。
「メテオさん恋の行方」編もクライマックス。 てっきり、イマシュンの心はコメットさんが本命で、メテオさんは哀しい思いをするんじゃないかと思ってたけど、そうはならなかったのでホッとする。 ムークから、イマシュンに作ってもらった曲が、実はコメットさんのためのものだった、ということを聞かされたメテオさん、いったんは彼とのイブの食事会を、コメットさんにゆずろうとする。けれど、どうしても彼に会いたい思いが募って、遊覧船のレストランに姿を見せる。 悲しみをたたえた瞳のメテオさんに、イマシュンが言うのだ。 「コメットさんは憧れの人。今度は君のために曲を作らないと」 ……ああ、ガキのクセして女殺しなヤツ! オレだってそんなセリフ言ったことないぞ!(言ってたら気色悪いが) でもなあ、私がしげに似たようなこと言おうとしても、何を作ってやればいいと言うのか。歌は作れないし(作ったとしても自己陶酔的なものしか作れねーし)、「君のためにエロマンガを描いて贈るよ」じゃバカだし。 ああ、考えてみたら、恋愛の引き出しが極端に少ない男なんだよなあ、オレって。
今日はゆっくり日記の更新が出来るかなあと思っていたら、昼過ぎ、いきなり練習に出ていたしげから電話があって、「今日、よしひと姐さまがお泊まりするから部屋片付けといてね」だと。 何でも舞台用の小道具の作成が間に合いそうにないので、急遽泊まりこみで作ることにしたのだとか。 ったって、ほとんど床面積の見えないこの部屋をどう片付けろと言うのか。 ブツクサ言ってても仕方ないので、チビチビと片付けているとあっという間に夕方。
『サイボーグ009』第11話「幻影の聖夜」。 部分的に原作の「赤い靴編」のイメージを取ってはいるものの、基本的にはオリジナル。 初期の原作には各サイボーグキャラクターの人間性を掘り下げた話は少ないから、放浪編にかこつけて、後期の短編からそれらしいエピソードを取り出してきて、先に紹介しようってんだろう。新らしい視聴者にサイボーグキャラに親しんでほしいという措置かな。 でもまあ、フランソワーズにライバルがいるってのと、「いつまでも踊っていたいという幻想の中にいる」(原作ではフランソワーズではなくライバルの方)というエッセンス的なものしか原作からは取り出してない。 フランソワーズの兄のジャンも、原作で登場しているのは「誕生編」と「時空感漂流民編」の2編のみだが、今回のキャラデザインは「誕生編」をベースにしている。
フランスの港に立ち寄ったドルフィン号から降り、つかの間のクリスマス・イブを楽しむフランソワーズ。 生き別れた兄・ジャンや、バレエ団からブラックゴーストに誘拐された過去を思い出しているうちに、フランソワーズは、何者かの気配を感じ取る。そして彼女は、かつてのバレエのライバル、ナタリーに出逢う。 数十年が過ぎているというのに変わらぬ姿の彼女に。 この「変わらない姿」って設定も、石森の短編『昨日はもうこない、だが明日もまた……』からのインスパイアだろう。 原作のあちらこちらから設定を抜いてきてツギハギして、結局、『009』とは別の物が出来あがったという印象だ。 しかも、第2話ほどひどくはないけれど、やっぱり作画が間に合ってないし。 幻影のナタリーに向かって、レイガンを撃つフランソワーズ。 でもレイガンから光は出てないし、ナタリーもそれを避けるんだけれど、体を横に動かすだけで、光の軌跡はない。言葉にするとちょっと伝わりにくいと思うけど、相当マヌケな映像だぞ、これ。 ……DVD発売のときには第2話ともどもちゃんとリメイクするんだろうなあ。してもらわないと困るよなあ。 ちなみに『009』DVD情報は以下の通り。
DVDサイボーグ009『バトルアライブ1〜誕生〜』LIMIT(仮) (完全初回生産限定板)AVBA-14296 定価7000円(税抜) 2002年3月27日発売予定 特典として「サイボーグ009島村ジョー」アクションフィギュア(ADI限定カラー)を封入。
……まさか、30分1話で7000円取る気か……? フィギュアなんぞ要らんから、適正価格で売ってくれ……って、多分、DVD制作も間に合わないから、時間稼ぎなんだろうなあ。
7時過ぎにしげとよしひと嬢、迎えに来る。 せっかくだから、みんなで映画を見に行こう、ということになったのだ。 ところが、何を見に行くかがなかなか決まらない。 「『スパイキッズ』か『シュレック』にしようかと思ってたんだけど……」としげ。 「で、どっち?」とよしひとさんに聞いても「うーん、どっちでも」。 で、どっちにするのかが、決まらないんだな、これが。 ハッと思い出して、「そういえば『アメリ』見たがってなかった?」とよしひと嬢に聞く。時間を調べるとなんとか間に合いそうだ。 キャナルシティに行く予定を、急遽博多駅に代えるが、さっきまでしげたち、博多駅で買い物をしてたそうなんである。 なんだ、だったら迎えに来てもらうんじゃなくて、私の方が出かけて行けばよかった。
シネリーブル博多駅は、拡大上映で1・2、2館とも『アメリ』を上映中。 そんなに期待されてたのか『アメリ』。 ジャンピエール・ジュネ監督作品を『エイリアン4』でしか知らない人はちょっと不幸かも。ああいうハリウッド・メジャーに飲みこまれちゃうと、どんな個性派監督だって、その持ち味を減殺されてしまう。できれば『デリカテッセン』あたりを見て評価してほしいものだ。 アメリカ製のコメディと違って、フランスのコメディは同じようなストーリーであっても、キャラクターの描き方が相当違う。ひとことで言えば、アメリカ製のには作り物めいたワザトラシサがあるんだけれど、フランス映画には、どんなにヘンなキャラを描いてもどこかに「生活感」が感じられるのだ。 出だしの小気味よさといったら、ここ十年私が見てきた映画の中でも出色の出来だ。 冷たいお父さん。 好きなことは工具箱をひっくり返して、中の道具を全部きれいに磨き上げ、また元に戻すこと。 神経質なお母さん。 好きなことはバッグをひっくり返して、中に入ってるものを全部確かめて、また元に戻すこと。 そんな二人の間に生まれたのが、空想好きなアメリ。 好きなことは、不思議な動物とお話しすること。 金魚の“クジラちゃん”と仲良くすること(たまに自殺未遂するけど)。 両手の指先にラズベリーを差しこんで、はじからパクパク食べること。 クレーム・ブリュレのカリカリの焼き目をスプーンで壊すこと。 サンマルタン運河で水切りすること。 そして、周囲の人々を観察し、想像をたくましくすること。 つまりはアメリはフランスの“不思議ちゃん”なのである。 こういうコミュニケーション不全の不思議ちゃんのリアリティを創作するってのはなかなか難しいものだけれど、フランス映画はそういう「ちょっとヘンな人」を描くことにかけては世界一なんじゃないかってくらいに上手い。 それはもしかしたらフランス人はヘンなやつばかりってことなのかもしれないな(^^)。
だから、アメリの周囲の人たちもみんなヘンな人たちばかり。 モンマルトルのカフェ“ドゥ・ムーラン”のマダムは元サーカスの曲馬乗り。 煙草売り場のジョルジェットは鬱病気味。 骨をポキポキ鳴らすのが好きなウェイトレスのジーナ。 ジーナにふられて嫉妬でストーカーになった常連客のジョゼフ。 夫が浮気相手と南米に逃走して事故死しているアパートの女管理人。 アーティチョークを宝石のように扱う食料品店のノロマなリュシアン。 一生をルノワールの贋作製作に捧げる“ガラス男”デュファイエル老人。 もう、こいつらが次から次へと紹介されるたびに、ワクワクしてくるんだよなあ。
「群像劇」というジャンルがある。 ゴーリキーの『どん底』あたりが代表的なヤツだけれど、特定の主役を作らず、特定のドラマも作らず、ただある特定の場所、ある特定の時間の中での人間模様を描く。 ただたくさんの人間が出てくるってだけじゃないのね。それぞれの人物にそれぞれ別々のドラマがあるのが特徴。だから『渡る世間は鬼ばかり』みたいな、キャラクターが全てが橋田壽賀子の傀儡でしかないような駄作は「群像劇」じゃないのだ。 一本筋を通すキャラがいたっていいんだけれども、ともかく出てくるキャラは全員が主役。そうでなきゃならない。黒澤明の映画は(特に山本周五郎原作のは)、『赤ひげ』も『どですかでん』も見事な群像劇だったねえ。 で、『アメリ』なんだけれども、ふとした偶然で、アパートの秘密の場所に隠されていた40年前の玩具の小箱を発見したアメリは、それを元の持ち主にこっそり届けてやる(このコッソリってところが、いかにも対人恐怖症なアメリらしいところ)。 持ち主が「奇跡が起こった!」と大喜びしたことで、アメリがすっかり勘違いしちゃうんだね。自分の人生の使命は、不幸な人々に奇跡の幸せをこっそりもたらしてあげることだと。 もちろん、それは一般的な感覚で行けば、「おせっかい」でしかないんだけれども、そのことにアメリは気付かない。そしてそのことが、かえってアメリの心を傷つけちゃうことにもなるんだけれど……。
何がいいって、このアメリを演じるオドレイ・トトゥ、この新人さん(モデル出身だそうな)が実に不思議ちゃんの雰囲気出してんのよ。 ショートボブの髪に長身の猫背。 美人……かもしんないけど、基準からはちょっと外れた感じの彼女が、首を突きだして、ニコッと笑う(しかし、全編通してこの子が喋るシーンがムチャクチャ少ない。このへんもリアルだよなあ)。笑うだけで、次の瞬間、「何かが起こるかもしれない」という予感を感じさせるんだよなあ。
さて、「人を幸せにしよう」というアメリにも気になる男の子が出来た。 遊園地のお化け屋敷とセックスショップで働くニノ(実は幼馴染)。 しかも彼には、スピード写真のブースのまわりに落ちている破り捨てられた写真を集める趣味がある。 こんなヘンテコな設定、よく思いつくなあ。 つまりは、ニノって、フランスのヘンなオタクなんである。 ……セバスチャンか(^_^;)。って、ホント、セバスに雰囲気似てんだよ、細くて地に足がついてない感じで、演じてる俳優さんもそのまんま。 向こうのオタクって、やっぱり日本の「メガネデブ」みたいに、オタクになりやすいパターンってのがあるのかなあ。 さて、彼に告白できないアメリは、偶然手に入れたニノのコレクションブックを使って、彼との奇妙な鬼ごっこを始めるんだが……。
その顛末はぜひ劇場で(あるいはビデオで)御覧頂きたい。 特にオタクな人々には「オタクにだって、オタクな恋人が出来る(ことだってある)んだ!」というささやかな希望を持たせる映画になってます(^^)。 あ、なんだ。しげのことか。
よしひと嬢も、『アメリ』はお気に入りのご様子。 滅多にパンフを買わないよしひと嬢が帰りにしっかり買っていた。 しげはというと、疲れていたのか珍しくも上映中はほとんど爆睡。 どっちかっつーと、予告編で流れていた三池崇史監督のミュージカル・コメディ『カタクリ家の幸福』(あの『クワイエット・ファミリー』のリメイクね)の方に興味が移っていたのだった。
帰宅して、よしひと嬢に、先日プレゼントに貰った『耳に残るは君の歌声』のブランデーを差し上げる。 私は酒が飲めないので、こんなふうにたまにお酒が手に入ったりしても、たいていは死蔵しちゃうことになるか、お客さんに振る舞うことになる。 しげも、宴会だと際限なく飲みまくるが、ウチでは一適も飲まない。 おかげで、いったい何年前のか分らないワインとかもウチにはあるんだが、ホントにああいうの、腐ったりしないのかなあ。酒には詳しくないんでわかんないんだけども。
よしひと嬢、『サイボーグ009』をしばらく御覧になってなかったというので、7話あたりから連続で見る。 原作ファンの立場からすればちょっとどうかな、と文句つけたくなる出来の作品も多いんだけれども、意外と『深海の悪魔』『オーロラ作戦』なんかもウケたりしている。 もう、若本規夫さんが「ザァァァァンブロウゾ!」なんて思いっきり溜めて演じてるのなんか、笑われちゃったものなあ。 まあ、笑うのも仕方ないけど。
マンガ、森永あい『あひるの王子さま』2巻(角川書店・420円)。 まー、なんちゅーか、救いよーがない展開になってるねー。 ギャグなのに。 チビでブサイクでオタクだった麗一くん、魔法で美少年になりはしたものの、憧れのゆみこちゃんに告白できないまま、顔の不自由なリカコ先輩には言い寄られるわ、お祓いされてゆみこちゃんには近づけなくなるわ、挙句の果てに、実は血の繋がりがないと判った蘭ねーちゃんに犯される始末。 ……ギャグのはずなのになー(^_^;)。 これで蘭ねーちゃん(どーでもいーが『コナン』と紛らわしいな)が妊娠でもしたらどうするんだろう。 よくある少女マンガのパターンなら、素直にブサイクに戻った麗一とゆみこちゃんがカップルになるってハッピーエンドがセオリーなんだけれども、どうもそう簡単にはいかないような感じなんだよなあ。 さて、この先どんな悲惨な状況が麗一くんを待ち受けていることか。 ……「なし崩しに、リカコ先輩とも関係持っちゃって、そのことがゆみこちゃんにバレる」に千点(^o^)。
マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』3巻(講談社・440円)。 えーっと、作中に登場する暗号文書、「暗号技術も発達してない戦時中の超単純な暗号」とかタワゴト言ってるけど、いくらなんでも「いろは」を置換しただけの小学生にも解けるようなものは採用してません。 この天樹とかいう原作者は、戦時中の知識がないのか、それとも読者のレベルを低く見積もってるのかどっちかわからんけど、こんな「有り得ない」暗号なんか持ち出された日には、「この暗号そのものが偽文書である」なんて穿った見方しちゃうじゃないか。 この一歩間違えば詐欺に近いトリックに先鞭をつけたのは、あの高木彬光だったりするんだけれども、森博嗣や藤岡真も実は似たようなことをやっている。しかもずっと下手な形で。彼らのミステリをマトモなミステリとしては評価できないのは、この「現実的には有り得ない」ことを「小説の上では有り得ること」としてキチンと展開してないせいだったりするんだよね。いっそのことSFミステリにしてしまえばスッキリするのにどうにも中途半端なんである。 で、『Q』に話を戻すと、「神隠し」のトリックもどうも大坪砂男の『天狗』のパクリっぽいんだよなあ。どっちのトリックも4巻で真相が明らかになるんだけれど、私の予想がいい意味で裏切られることを望みたい。 まあ、ムリだろうけど(^^)。
マンガ、高円寺博原作・永井豪とダイナミックプロ漫画『まぼろしパンティ』(笠倉出版社・1890円)。 すみません、こんなもんまで買ってます(^_^;)。 『けっこう仮面』の続編で、月刊少年ジャンプに連載されてたのは1981年のこと。ギャグ漫画家としての永井豪はもうこのころは半死半生の状態で、「枢斬暗屯子男」なんて、当時だってトホホなギャグでしかない。 ドカベン、がきデカ、パタリロ、ブラック・ジャック、リンかけ、翔んだカップル、ダッシュ勝平などのパロディも、これで笑ってくれってのはちょっと読者に難行を強いるようなもの、と言いたいくらい芸がなくてつまらない。 にもかかわらず、当時ついつい読んでしまっていたのは、ひとえに私が若かったからなんである。 ……いいじゃんかよう、恥ずかしい過去の一つや二つ、だれにだってあるってばよう。 しかし、イマドキの若い人には、このもとネタになってる『まぼろし探偵』ってマンガ自体、わからないんだろうねえ。つーか、作者の桑田次郎の名前すら知らないんだろうなあ。 隔世の感あり。
2000年12月23日(土) 天皇誕生日スペシャル/『本格推理マガジン・絢爛たる殺人』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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