無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2001年12月19日(水) 厳密な計算/『透明な季節』(梶龍雄)/『コータローまかりとおる!L』2巻(蛭田達也)ほか

 会議で帰りが遅れて、時間は午後7時。
 てっきりしげを駐車場で待たせているものと、慌てて外に駆け出したが、車は影も形もない。
 携帯で呼び出してみたら、しげはしっかり家で寝ていた。
 しげ本人は「そんなに寝てないよう」といつも言い張っているが、現実にこうやって寝過ごして迎えに来れないことが、ここんとこ慣習化している。
 夜道を自転車で通う私の身が心配で車の運転覚えたんじゃなかったのか。
 なかったんだな。ああ、愛が風化していくってこういうことなのね……って、しげの愛が濃かったことなんて一度もなかった気がするが(-_-;)。

 しかし、よくもこれだけ毎日毎日寝ていられるものである。
 具体的に見てみると、しげが仕事から帰ってくるのが、午前3時過ぎ、それから1、2時間ほどして寝るので、就寝は午前5時頃。
 当然、私が出勤する7時には熟睡していて起きない。たまに寝ないで起き続けていることがあるが、週に一日か二日、下手をしたら全くない週もあるのだ。
 じゃあ、帰りは迎えに来てくれるかと言うと、これも週に二、三日くらいのもの。4時に起きてる時もあれば、私が帰宅しても、仕事に出かける直前、午後9時くらいまで寝ている時もある。
 これを具体的に計算してみると、朝晩とも寝つづけて、最大14時間くらい寝ている日が週に一日か二日ある。
 続いて、朝送って夜迎えに来ない、あるいは逆に、朝寝ていて夜迎えに来る日が二、三日。これは10時間ほどの睡眠になる。
 そして頑張って朝も夜も迎えに来てくれる時は週に一日あるかないかだけれど、6、7時間ほどの睡眠の計算になる。けれど、帰宅したあと1時間ほど仮眠を取ることも多いから、やっぱり8時間くらいは寝ているのだ。
 つまり、どう少なく見積もっても、しげは一日平均9時間から10時間は寝ているのである。これを「寝過ぎ」と言わずしてなんと言おう。
 これでも「自分は寝てない」と言い張るのなら、ちゃんと睡眠時間を日記に付けておけよな。「暗号」ばかりじゃなくて。もう日記の内容、なにが書いてあるんだか全然判読できんぞ(ーー;)。
 結局、タクシー代を使っちゃうことになるので、おカネは出て行くばかりだ。
 愛はないないおカネは減る減る。
 ああ、風がココロを吹き過ぎる。
 (T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルル……。 

 それでも「ボナペティ」に寄って、しげの晩のおかずを買ってやる自分が健気である。
 ここは毎日少しずつメニューを買えてくれているのが嬉しいなあ。できればつぶれずに長く営業してほしいものだ。
 しげの好物のカツトジは今日はなかったので、豚の角煮・スパゲティ・茄子の肉詰め・肉じゃがと、できるだけしげがヨダレを垂らしそうなモノを選ぶ。

 買い物をしているとどうしても『ヒカルの碁』の時間には間に合わない。
 しげにもう一度携帯から連絡を入れる。
 「あ、7時27分から『ヒカ碁』録画してくれる?」
 「ええ〜? そんなんワカラン」
 「テープは新しいの使っていいから。ケーブルで10チャンネルに仕掛けて」
 「……失敗しても怒らん?」
 「怒らん怒らん」
 しげは寝起きだし、脳ミソ足りんなしげのことだから、ちゃんと記憶しているかどうか気になったが、これはもう、わが妻を信頼するしかない。

 で、信頼ってやつは必ず裏切られるのだ(-_-;)。
 帰宅してみると、しげ、テレビを点けていない。
 悪い予感がして、「ちゃんと7時27分から録った?」と聞いたら、「え? 半からじゃないの?!」
 ……今まで、いつも早めに始まってたのも忘れて、こちらの言ったことも聞き漏らして、録れてるかどうかの確認もしなくて、結局本編の初め数10秒が切れた状態で録画していたのだ。
 ああ、なんてお約束なやつ。
 「怒らない」と約束したし、こんなことはしょっちゅうなので、今更怒る気にもならないが、こう連続して失敗を繰り返せるというのもちょっとあるこっちゃないぞ。
 でもまあ、これで「『ヒカルの碁』のDVDを買うぞ」と言っても、しげは断れまい。転んでもタダでは起きんぞ。くくくくく……(T-T)。


 アニメ『ヒカルの碁』第十一局「最も卑劣な行為」。
 ダケさん、本格的に三谷を攻めるの巻。
 作画も安定していて、まあ、悪い出来ではない。
 よく見ると、ヒカルの学生服の影の付け方が最初のころよりも原作に近くなっている。さて、こういうところも原作ファンがクレームつけて変えさせたのかな。でも、中学生編になって間がないから、自然とスタッフの中に「原作に忠実に」という思いが広がっていったのかもしれない。
 大胆な演出を望むか、原作への忠実さを望むかは一概には言えない問題なんで、せいぜい「慣れない表現のし方で、作画が乱れなきゃいいがな」くらいしか言えないなあ。
 梅沢由香里さんの「GOGO囲碁」のコーナー、ごく初歩的な石取り問題らしいのだが、既に全然解らない。お袋にもっと囲碁も将棋も習っとくんだったなあ。母親が死んだ時に一番心残りだったのは、実はそのことだと言ったら、バチアタリなやつと思われるかもしれないが、事実だからしかたがない(^_^;)。


 マンガ、蛭田達也『コータローまかりとおる!L』2巻(講談社・410円)。
 敵のアメリカ忍者、名前がみんな実在、ないしはマンガの忍者の名前をもじってるんだなあ。
 トビー・ケイトーは「飛び加藤(加藤段蔵)」だな。小島剛夕の『半蔵の門』では、家康に自分を売りこんで、自在に涙を流す技を見せていたが、史実の加藤は武田信玄配下になろうとして失敗、殺されたらしい。忍者ファンには人気の高いキャラを敵ボス(中ボス?)に持ってくるあたり、蛭田さん、なかなかわかってらっしゃる。
 オーザ・ルイってのは「大猿」のことたろうな。言わずと知れた白土三平の『サスケ』の父ちゃんだ。えらくあっさりやられちゃったが、「分身」はいないのだろうか(←『サスケ』読んでないとわかんないネタ)。
 ちょっとわかんないのがくノ一のシーノ・タッカー。
 もしかして、これ、マンガ家の「椎名高志」のモジリか? ちょうどこないだまで「忍者マンガ(『MISTERジパング』)」描いてたし。


 梶龍雄『透明な季節』(江戸川乱歩賞全集11/講談社文庫・1250円)。
 最近、ミステリというか推理小説は、50歳……せめて40を過ぎた人間が書かないとまともなものは書けないんじゃないかという気がしている。
 紋切り型の「人間が描けていない」という評価はしたくないから表現を変えるけれど、どの小説を読んでも「行動が不自然で説得力に欠ける」人物がやたら多いのだ。
 トリックに拘るあまり、そんな結末があるかい、と本を投げ出したくなることが多々ある。
 しかし、じゃあ、老練な作家によって書かれたミステリが面白いかというと、今度はミステリとしての発想が陳腐で、読後感は「それで何が面白いの?」とこれまた作者に問いかけたくなる。
 江戸川乱歩賞を取った作品であってもそれは同じで、本作はどうやら後者に属するもののようだ。
 なにしろ「人間が描けている」ために、出てくる人物に聡明なヤツが一人もいない(^_^;)。しかも「戦時下に起こった事件」ということで、警察もあまり捜査に積極的ではない。
 だからこの事件が「迷宮入り」になったのは(なっちゃうのだよ!)、「時代」のせいなんであって、つまりはこの事件の真犯人は「戦争そのもの」とも言えるのだ。
 ある意味、そのこと自体、非常に特異なトリックと言えるかもしれないが、いささか卑怯ではある。だって、事件そのものは単純というか謎らしい謎もなく、多分、「現代であれば」迷宮入りになるような事件ではないのだもの。

 戦時下の旧制中学校で、軍国主義の権化のような配属将校・諸田、通称「ポケゴリ」が射殺される。
 主人公の少年、芦川高志(作者自身をモデルにしていると思しい)は、犯行時刻、現場近くで、「スパイ」の疑いのある教師・北上、通称「アオセビ」を目撃するが、彼が自分の憧れの女性、薫(ポケゴリの妻)の隠れた恋人であることを知ると、複雑な心情にとらわれはするものの、その事実を証言せずに沈黙を守る。
 ポケゴリの死は戦時下においては「不祥事」と見なされ、やがて捜査も打ち切りとなる。しかし、未だに事件に疑問を抱く刑事・時川が高志の身辺に近づいてくる。アオセビも謎の行動を取り始め、高志の疑惑も次第に深まっていく……。

 設定は多分に魅力的だ。
 戦争が次第に悲惨の度合いを増してきて、学生たちの日常もどんどんときな臭くなっていく描写、しかしその中にあって、年上の未亡人、薫に寄せる少年・高志の思いが行き場を失い、少しずつ壊れていく様は読んでいてやはり切ない。
 だからこそ、事件の真相が「犯人の遺書」だけで語られる結末はあまりに安易だし、拍子抜けだ。もう一つくらいどんでん返しを見せてくれないと、ミステリを読みなれた読者は納得してくれないのではないか……と思っていたら、佐野洋以下、受賞の選評もみんな「推理小説的骨格の弱さ」を指摘している。
 要するに、他の作品が「カス」なんで受賞したってことなんだね。
 で、他にはどんな作品が予選を通過したのかとリストを見てみたら……。
 斎藤澪『この子の七つのお祝いに』
 岡嶋二人『くたばれ巨像』
 井沢元彦『大沢家の崩壊』
 各氏の名が(^_^;)。
 斎藤さんの横溝正史賞作品、乱歩賞落選作だったんだなあ。この人もこの一作で消えたし、岡嶋さんは二人に分裂するし、井沢さんは言霊使いになるし(^^)、やっぱり受賞する人と落選繰り返す人とじゃ、資質に差があるのかもね。

2000年12月19日(火) 多分、ココロが病んでいるのです/『名探偵コナン』30巻(青山剛昌)


2001年12月18日(火) バラゴンには女の人が入ってるんだよ/映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』ほか

 今日こそは『ゴジラ』を見ようと、1時間早退。
 なんか休んでばかりと文句言われそうだが、有給を消化しなければならないので、チビチビ休んでいるんである。
 職場まで車でしげに迎えに来てもらって、一路天神を目指すが、腹をすかしたしげ、「マクドナルドに寄る」と言い出す。
 「テイクアウトするってこと?」
 「ドライブスルーに行くの!」
 「……持ち出すって意味では同じだろう、でもそれじゃあ……」
 疑問を訴える間もなく、しげはするするとマクドナルドに入っていく。
 セットメニューやら何やらを買って、再び道に戻って、ようやく「疑問」を口にする私。
 「……で、運転しながらどうやって食べるの?」
 「……ああっ!」
 それでも天神に着くまで、何度かの渋滞の合間に頑張ってしげはハンバーガーを平らげたのであった。
 器用なやっちゃ。

 しげ、それでも食い足りないとかで、天神東宝一階の寿司屋で100円寿司。
 今日は先にチケットを買っておいたので、劇場前に慌てて並ぶ必要はないのだ。
 この「博多新鮮組」という店、以前はネタが高かったのが、不況の折からか全皿100円になっている。それはそれでありがたいのだが、おかげでせっかく溜めておいたスタンプカードが無効になってしまった。たまにしかスシを食わないと、こういうことになるのである。
 ……たまにしか食えね〜って。


 開場10分前に行ってみると、そこそこ客が並んで入るが、混雑しているほどでもない。やっぱり混んでたのは初日だけかなあ、とちょっとサビシクなる。
 全く期待はしていなかったが、入場プレゼントのゴジハム人形、私にもしげにもくれる。……余ったのか? もしかして。
 グッズがいろいろ出ているが、これはイイ! というほどのものはナシ。
 いつもはメダルをほしがるしげも「ゴジラやハム太郎はいい」とほしがらない。
 せめてなんか記念に、とキーホルダーを一つだけ買う。
 これまではたれぱんだのキーホルダーだったのだが、明日からはゴジラ対キングギドラだ。


 『劇場版とっとこハム太郎〜ハムハムランド大冒険〜』
 途中でウトウトしちまったから、マトモな批評はできないけれど、子供向けアニメということを考えても、ずいぶん薄味な展開だと思う。
 飼い主のロコちゃんが人間の友達と遊んでるのを見ていて、ヤキモチを焼くハム太郎。……そんなペットってのもヤな存在だぞ。マジメに見てれば、まずここでキャラクターへの感情移入が阻害されてしまう。
 人間と言葉を交わすことのできない動物の悲しみってのを、もう少し演出で強調できれば面白くなったかなとは思うが、それには基本的にあのかわいいだけのキャラデザインを変えなきゃねえ。目を細めようが泣かそうが、感情が伝わらないキャラデザインなんて、無意味だ。
 テレビシリーズの方はあまりじっくり見たことないんだが、アレかね、『ぼのぼの』みたいに、いろいろムツカシイこと考えるんだけれど、所詮はハムスターなんて、下等動物なんで、どんな感情も三歩で忘れるっていうナンセンスギャグって感じの話なのかね。それならそれで面白いけど、長編劇場版には向かないよなあ。 
 樋口真嗣が担当したという「ミニハムず」のCGシーン、よく動いているしアングルの取り方も面白いのだが、ワザとCGバレバレの映像作ってるのにはなにか意味があるのか? 人形がぐるぐる回ってるだけにしか見えないし、見ていて気色悪くなってくる。ゴジラよりよっぽどこっちのほうが子供に見せるにゃ問題があると思うが(^^)。


 で、いよいよ『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』である。
 無理やりしげを連れてきたこともあって、願うような気持ちでちったあ面白い出来であってほしいと思ったが、見終わっての感想は、「ああ、これは少なくともしげが面白がる映画じゃないなあ」ということだった。
 ヒトコトで言えば、映画として面白くない。平成シリーズにも顕著だった、煩雑な設定や要素が多すぎて、物語がやたら滞る愚をまたぞろ犯してしまっているのだ。
 更に言えば、怪獣たちが戦っている理由をいろいろコジツケているがそこに説得力ってものがカケラもない。
 いったい、金子監督は、どういう映画を作りたかったんだろうか。

 パンフレットには、「怖いゴジラ」「戦争の亡霊としてのゴジラ」「悪役ゴジラ」……つまりは「第一作の原点としてのゴジラ」を描こうとしたとある。
 でもその三つのうち、どれか一つでも達成出来たものがあるだろうか。
 まず、ゴジラは平成シリーズ並みに、相変わらず怖くない。
 そりゃ、幼い子供はゴジラが鳴いただけで怖がるかもしれないが、いくらゴジラが人を踏み潰そうと篠原ともえを殺そうと(^^)、「ゴジラは怖い」「ゴジラ憎し」という感情は生まれてこないのだ。
 それはひとえに、2番目の「戦争の亡霊としてのゴジラ」の設定を作り間違えたところに原因がある。
 天本英世扮する伊佐山老人の言によれば、ゴジラがなぜ現代日本に現れたか。それは、我々日本人があの戦争の記憶を忘れてしまったからだという。……おいおい、それってゴジラが実は小林よしのりってことかよ(^_^;)。
 腐りきった日本に鉄槌を下すためってんなら、ゴジラはいいことしてるんじゃないのさ。
 実際、篠原を殺すゴジラと、暴走族を殺すモスラとに差異はないのだ。結局、悪いヤツら、ふざけたヤツらが殺されているだけなのであって、殺される人間たちに観客は同情しない。
 どうしてあそこでシノハラ使うかなあ。あれが野村佑香だったら、私はきっとゴジラに際限のない憎しみを感じたであろうに(^^)。
 ……いや、今のは冗談だが、演出が結局甘いのである。だって、「人が死ぬ」ったって、死体の描写が全くないんだし。

 第一作のゴジラがなぜ怖く、憎らしかったか。報道の使命に燃えたアナウンサーたちを殺したからだ。戦争で生き残った母子を踏み殺したからだ。
 だからゴジラへの「ちくしょう」という叫びが切実に響いた。
 確かに、ヘリコプターがバラゴンアタックで落とされ死ぬシーンがあり、ヒロインが「あの人たち、死んだ……」というセリフもあるが、第一作とは重みが明らかに違う。それこそ、「戦争の記憶を忘れた」人間たちがいくら死んでいったって、ゴジラへの憎しみはわかない。
 更に言えば、ゴジラが「戦争の亡霊」なら、日本を襲うより、アメリカに行くのがスジではないのか。それともゴジラもまた自虐史観の持ち主か(ーー;)。
 結局、ゴジラはただ無意味に暴れているだけだし、ヤマト三聖獣も、いったい何をゴジラから守っているのか解らない。人間を守ろうとしているのではあるまい。ならば「自然」を守っているのか?
 だったらこの三聖獣こそ、真っ先に日本人を、人類を、滅ぼすべきだったろう。ゴジラ出現よりももっと早い段階で。

 結局、今回のゴジラ、怖くも戦争の象徴にも悪役にもなってないのだ。監督の意図通りの映画になってないという時点で、これはもう「失敗作」と断じていいのではないか。 

 なのに、なんかネットでもこれを絶賛してる人、多いんだよなあ。
 これだけ設定やストーリーに破綻がありまくりなのに「破綻がない」なんて言ってる人まである。これはもう、ずっとゴジラ映画に不満があったんで、ちょっといい点があったらそれがすごくよく見えちゃうという、「だめんずに引っかかる女」みたいに怪獣ファンがなっちゃってる結果ではないのか。
 下手にこんなもん誉めてたら、もっといいもんが出てきた時に、「アイツ、あんなもん誉めてたんだぜ」とか言われちゃうぞ。

 そろそろ東宝には本気で特撮映画を作ってほしいんである。
 ゴジラに結局頼ってしまうという体質自体を変えてもらわなけりゃ、寅さんに頼ってた松竹の二の舞だ。
 そのためには、ホントはこんな言い方はしたくないのだが、「オトナの鑑賞に堪える」映画を作ってほしいんである。もちろん、ただ威張ってるだけの「自称オトナ」でなく、「映画を見る」ことに長けたオトナが楽しめる映画を、ということだ。
 これはもう、ウラミを込めて言わせてもらうが、日本人の自称オトナは、本当に腹が立つくらい映画を見ない。アニメや特撮は初めからガキの見るものということでバカにする。そのクセ、そいつに教養があるかというと、『脳内革命』を読んで真に受けてたりする程度の脳しか持っちゃいないのである。
 ……ホントは、そういうバカは相手にしないで映画が作れたら一番いいんだろうが、そうもいかない。第一、日本の特撮・アニメ界の場合に問題なのは、その作り手自体が「自称オトナ」ばかりだってことだ。少なくとも平成、新世紀ゴジラシリーズを見る限り、そう断定されても仕方ないと思う。
 「この程度の内容で充分」
 そういう「侮り」が制作者たちにあるのだ。
 それが見えるうちは、今回のような注と半端なゴジラを誉めることは、特撮映画製作の道を断ち、怪獣映画のジャンルを衰退させることにしかならないのである。

 誤解のないように言っておくが、今回のゴジラ、私は相当に「気に入って」いる。トシ食ったせいで涙もろくなったせいもあるんだろうが、『ゴジラVSキングギドラ』以降、私は『ゴジラVSスペースゴジラ』を除いて全てのゴジラ映画を見て泣いているのだ。
 もちろんそれは、小高恵美の「あなたがいるから」みたいな腐れたシーンなどではなく、全て特撮シーン、「このカットが撮れるようになったか!」という感動の涙なんである。
 『ゴジラ2000』でも、冒頭の10分には泣いた。
 『×メガギラス』でもビルの壁に張りついたメガギラスの群れに泣いた。
 今回はバラゴンの勇姿である。森林を押し進み、ゴジラと対峙するあの健気な姿、誰が泣かずにいらりょうかってなもんである。
 でも、そんな喜びは、オタクにしかわかんないのだ。
 オタクにしか判らん映画作ってどうする。
 オタク以外の人々にも楽しめる作品を作らないと、「評価」ってのはしてもらえないのだ。
 レベルを下げるわけにはいかない。
 特に、『ゴジラ』の場合、観客の中には既に百人百様の理想のゴジラ像が存在している。もはや何を作ったって、万人を納得させられる作品なんて作れっこないのだ。
 だから、この新世紀シリーズのように、毎回設定をリセットして作りなおす試み自体は、「多種多様なゴジラ」を見せる手立てとしては有効だったかとは思うのである。少なくとも、「今度のゴジラはひとあじ違うぞ!」ということだけはアピールできたんだから。
 何度リセットしてもいいから、「いいもの」を作ってほしい。それだけが願いだ。

 しげが面白かったのは、ゴジラ、バラゴン、モスラ、キングギドラの皮膚をタイトルバックにしたオープニングだけだったとか。
 後の1時間は苦痛だったか。……またこれでDVD買う時、しげの目が釣り上がるじゃんかよう。
 
 劇場を出て来た人たちの反応もどうもイマイチ、といった雰囲気。
 親子連れとオタクな人たちが半々といった感じだが、見た後、たいてい「面白かった〜」とか反応があるんだが、みんな黙々と帰っている。「口にしたくない」って感じがアリアリだ。
 日によって反応は違うんだろうけど、一つのムーブメントを作るほどの作品ではなかった、というところが正直なところだろう。
 帰りに次回『クレヨンしんちゃん』の前売券を購入。
 オマケに手裏剣(吸盤つき)が付いてくる。パソコンの画面に向かって投げるとホントにピタッとくっつくスグレモノである。ゴジハム人形よりよっぽど気が利いてるな、こういうの。


 帰宅すると、こうたろうくんからメールが届いているが、画像が重くて開かない。多分また何かジオラマを作って送ってくれたんだろうが、さて、どうやったら開けるようになるものか。しげに何とかしてもらうしかないが、こうなにもかもしげに頼りっぱなしじゃイカンなあと思いつつ、まだ『HTML入門』は数ページ読んでいないのである。
 ……画像の開き方くらい覚えないと(ーー;)。

 『ゴジラ』について、オタアミ会議室に書きこみ。
 多少、さっき書いた感想とダブる部分もありますが、出来るだけ冷静に振舞おうとしつつ、そうなりきれてないところがお茶目なので、以下に再録します。nifモノじゃなくて読めない人のためでもありんすえ。



 総合的にはおもしろかったからいいや、ということで誉めてる方が多いようですが、私はもう、ゴジラってのはトンデモ映画として楽しむしかないかなって気がしました。
 「ツッコミどころ」程度じゃありません、そもそも「ゴジラは残留思念」「ヤマト聖獣」などなどの基本設定自体が破綻しまくってるのに、通常の意味での「傑作」って言葉はあたんないんじゃないでしょうか。
(中略)
 テロ映画に指定されようが、そういう設定なら、初めから、アメリカを攻めるがスジでしょう。
 そこがまずもって根本的な設定ミスだと思うわけです。ゴジラが日本で暴れる説得力を持たせようとして、見事に外してます。
 いや、映画の「流れ」としても、その設定ミスが足枷になってて、前半のテンポがタルくてもたつきまくってるんですよねえ。人物の行動原理がハッキリしてないものだから、「こいつなんでこんな行動とるわけ?」ってのがネックになってて、観客が映画にノりきれない。
 新山千春演ずる由里が無意味に怪獣に近づきたがるのもアホですが、まあ、これは「江戸川由利子の末裔」ということで許しましょう(ホントは許しちゃいかんと思いますが)。
 けれど、天本英世演ずる伊佐山(だいたいこいつがホントに伊佐山だったかどうか、わかりゃしない)が「ゴジラは残留思念」と言うのを聞いて、由里たちがなんの根拠もなくみんな信じちゃうなんて、あまりにもヘンじゃありませんか? 普通、少しは疑うでしょう。もしかして、こいつらみんな、この時点で天本英世のマインドコントロールによって洗脳されちゃったのか(笑)。それともあいつら全員モルダーなんでしょうか?
 ……あ、そう言えばこいつらみんな、[オカルトBSのスタッフ」だって設定だった(笑)。
 でも、主役が全員「ムー」者だなんて、観客に「登場人物に感情移入するな」って言ってるようなものではありませんか。
 まあ、あの映画の中ではゴジラやヤマト聖獣をバカにするやつらはみんな死ぬ運命にあるみたいですから、主役をのーてんきな信者さんにしなきゃならなかったのも仕方ないのかもしれません。でも、私は申し訳ないんですが、宗教映画にはノれません。

 「英霊」の問題に話を戻しますと、天本さんのセリフを聞きながら、なんだか、『はだしのゲン』で、広島に原爆落とされた直後にお母さんが天皇批判したのを思い出しましたねー。まあ、日本軍部の不甲斐なさはあったにしても、落とされた方の落ち度ばかりを責めて、肝心の大量殺戮兵器を落とした方の人道上の罪を責めないんなら、そりゃ結果的に原爆投下を認めたのと同じですって。
 それともなんですかね、ゴジラの霊の中には太平洋で死んだアメリカ兵の霊も混じってるってことですから、死んでからも日本兵はアメリカ兵にこびへつらって、日本を攻めることにしたんですかね。そんな情けないゴジラ、ゴジラじゃないやい!
 「日本人が堕落したからだ」って天本さん怒鳴ってましたけどねー、それはその、英霊たちの思いじゃなくて、天本さんご自身の怨念なのでは(^_^;)。で、天本さんがそう言ってるってことは、要するにヤマト聖獣の思いだって、実はゴジラと変わらなくて、今の日本に対して憤ってるってことですからねー(だからバラゴンもモスラも日本人を平気で殺してる)。
 つまり何が設定上、一番破綻してるかって、あの怪獣たちが闘わなきゃならない理由がないってことなわけです。

 ……なんだかいつぞやのゴジラVS沢口靖子もガクッと来ましたが、今度のは要するにゴジラVS天本英世。そう思って見ると確かに笑えて楽しいんですが。
(中略)
 ゴジラ映画に相応しいベストとは言えないんじゃないですかね。
 特撮は確かに誉めるべきところもあるけれど、ギドラがキングギドラになったって、口で言うだけじゃねえ。あれは絶対、ヤマタノオロチに変化させなきゃ怪獣ものとは言えません。
 もう「ゴジラ細胞」だの「残留思念」だの、妙な理屈はどうでもいいです。映画の流れがもたつくだけだから。
 平成ゴジラにやたら目立ってたしょぼいメロドラマの影がやっと薄くなったと思ったら、今度は軍人の護国意識だの、親子の交流だのと、怪獣に襲われてるってのに、何を自己陶酔してばかりいるキャラがウロチョロしてるんでしょうか。
 これを誉めるなら、『オール怪獣大進撃』もキチンと評価すべきだと思います。
 だって、怪獣がユメマボロシって点では同じじゃないですか。

2000年12月18日(月) もしかしたらあなたも覗かれてるかも/『だから声優やめられない!』(山寺宏一)


2001年12月17日(月) はったらっくおっじさん/『BEST13 of ゴルゴ13』(さいとう・たかを)

 週遅れどころか、ついに十日遅れ日記になってますが、さて、私の記憶力はどこまで辿れるのだろーか。
 ともかく、そろそろ爆走だ!

 同僚が足を怪我してビッコを引いている。
 「どうしたんですか?」
 「いや、起きたら急にこうなってて……」
 「病院には行かれないんですか?」
 「いやそんなヒマないですよ」
 内心「休めよ」と思いながら、口では、はあ、そうですか、と言うしかなかったが、なんだか、このへんの感覚が世間の人々と私のズレであるのだなあ、としばらく黙考。
 私のようにしょっちゅう病気で仕事休んでる人間は、世間的には「ダメ人間」の烙印を押されてるんだろう。けれど、そういう烙印を押しちゃうヒトは、自分が病気になったときには自分自身も「ダメ人間」の烙印を押されてしまうってことを、どの程度自覚してるんだろうかと思うんである。
 多分、ウスウスは感づいているのだ。
 だから、「病気になったって休んでられない」と思い、無理をし続ける。
 そういう考え方って、自分を追いつめちゃうことにしかならんと思うんだけどなあ。けど、無理をさせる会社の方がおかしいんだ、なんて考えたりしたら、即座にクビになりかねんから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないね、今のご時世じゃ(´o`;)。

 しかし、それで一番迷惑を被っているのは、病気を抱えつつ、なんとか頑張って仕事しているヒトたちなんだけどね。
 ともかくちょっと休んだら白い目で見られるのはなんとかならんものか。
 「今日はなんか、仕事行きたくない気分だしい〜、なんか課長の顔見てるとムカツいてくるからあ〜、休んじゃお〜っと」てなこと言って仕事サボリまくるヤツと同レベルに見られてるんだもんなあ。
 しかし、いくら抗弁しようと、ちゃんと診断書まで出していようと、結局は「使えないヤツ」ということで十把ひとからげに見なすのが、世間というものなのである。
 それで身を粉にして働けったってねえ。
 どう言われたって、やっぱり自分のカラダの方を優先するよ。こちらの身を考えてくれない職場のために尽くしてやらなきゃならない義理はないって。

 コドモのころ、「世の中をよくする」ってことは、「人間が働かなくてもよい社会をつくっていく」ことだと思っていた(←もちろん、これは「水木しげる」史観である)。高度経済成長だって、オトナたちは、「これだけ働きゃ、あとで楽できるだろう」という考え方のもとにやってるんだと思っていた。
 多分、その見方はそう間違ってはいないと思うんだが、それがだんだん積み重なって行くうちに、「働いてない自分は自分でない」という感覚がみんなの身に染みついてしまったんじゃないか。
 日本人のアイデンティティが「働く自分」「職業人としての自分」だけに集約されちゃってるんである。だから病気になったり、定年退職したりして、それを喪失してしまうと、自分が自分でなくなってしまったように感じて、呆けてしまう。ひどい場合は自殺する。
 それはもう、世間が人間を「肩書き」でしか判断しなくなっている、というか、それがないといられない「不安症候群」に罹ってるからにほかならない。
 今の失業率が一向によくならないのも、「景気が悪い」以上に、結局はリストラされた人たちが、自分の「肩書き」的なものに拘ってるからだろうという気がして仕方がない。
 40歳を過ぎたら就職口がない。
 なら、どうして屋台を引かないか。
 リストラされても多少は退職金が出るだろう。百万あれば、屋台は用意できる。月十万稼ぐのだって難しかろうが、人一人暮らして行くのならそれで充分だ。妻や子供にも働かせれば、生活はもっと楽になる。高校くらいまでなら、奨学金で子供を学校にやることだって可能だ。
 結局、自分に「何かができる」なんてゴーマンな気持ちがあるから、仕事が見つからないのだ。私だって、もし無職になったら、今みたいなオタク生活は捨てるよ。今、ウチにある本とビデオ見返すだけで余生を充分楽しく暮らしていけるし。
 充分ゼイタクかな。
 ……ああ、でも今の私がクビになったら「病人」ってことでどこも雇っちゃくれないんだろうなあ。実際、10年先まで働けてる自信はないし、細々とでもやれる仕事を考えてくしかないかなあ。


 なんか、こういうことをぼんやりと考えてるのも、体調が一向に回復しないせいである。結局、カラダがだるくて立ってられなくなったので、2時間ほど早めに帰宅。

 しげがパソコンを使っているので、「使い終わったら教えてね」と言って、布団に潜りこむ。
 するとしげが「使うんなら使いーよ」と言う。
 「いや、お前が使ってるから使っていいよ」
 「アンタが使いたいんだったら使えばいいって言ってるじゃん!」
 「オマエが先に使ってるんだから俺は後でいいよ!」
 「いい、もう使わん!」
 「オレも使わん!」
 気がついたら口げんかになってたが、これって「譲り合いのケンカ」コントそのまんまだ。
 「漫才みたいな夫婦」とはよく言われるが、単に知能のレベルが低いだけなんだよなあ。
 

 ふてくされたんで、横になってプレステ2でゲーム。
 と言っても、新しいゲームはほとんど知らないので、『いただきストリート』なんて、もう3、4年前のゲームをやっている。
 しげが『桃鉄』の新作を買ってきているので、仲がよいときゃ二人でやるんだが、今日は一人サビシク、コントローラーをいじくる。
 でも、気がついたらハマってて、もうしげのことなんか忘れてるのだ。
 ずいぶん薄情な感じだが、なあに、しげだって、メシ食って一晩寝たら、今日のことなんてケロリと忘れてるから、お互様なのである。
 ああ、やっぱり我々夫婦って同レベル……(-_-;)。


 マンガ、さいとう・たかを『READERS’CHOICE BEST13 of ゴルゴ13』(小学館・1800円)。
 1969年以来30年以上、休載することなく続いている『ゴルゴ13』の読者選出ベスト13。
 ベストの中身を見てすぐ気がつくのは、ゴルゴの正体を探ったエピソードが高順位に来ている、ということだ。
 11位『ミステリーの女王』
 6位『毛沢東の遺言』
 3位『芹沢家殺人事件』
 1位『日本人・東研作』
 と、十三本中、3分の1を占める。
 確か十年以前に人気エピソードを募った時も、1位は同じく『東研作』だったと思うから、初期からの『ゴルゴ』ファンは、根強く今もファンであり続けているのだ。
 しかも、このベスト13には、ほんの数年前の作品も収録されている。新しいファンもちゃんと取り込みながら連載が続いているのだ。しかも、そのレベルが落ちていない。これは驚異的と言っていい。
 いしかわじゅんが『漫画の時間』の中で、『ゴルゴ13』の擬音の描き文字が変化していないことを挙げて、「作家の努力不足」と断じていたことがあったが、それは見当ハズレな批判というものだろう。確かに「今どき銃声に『ズキューン』はないだろう」という意見も判らなくはないが、30年間続いている連載で、「音」だけ変化させられるものでもない。絵柄が自然に変わっていくのは仕方がないにしても、ゴルゴのキャラクターを含めて、「変えないでほしい」部分は多々あるのである。
 正直にここで告白しちゃうけれど、私は世界情勢を『ゴルゴ』を呼んで間に合わせていた時期が確かにあった。MI6の長官はずっとヒュームって言うんだと思ってたものなあ(笑)。
 政治を扱った物語には、どうしても作者の思想性が出る。『沈黙の艦隊』をどうしても称賛する気になれなかったのは、エンタテインメントから一歩も二歩も踏み出していて、それがどうも「反則」だと私には思えていたからだ。
 ゴルゴ13には思想性がない。
 彼はあくまで非情のスナイパーである。
 ビジネス上のルールには厳しいが、依頼主の思想性には頓着しない。時によっては右も左も関係なく依頼を受ける。世界情勢がいかように変化しようと、そういったゴルゴのキャラクターだけは変わらなかった(どんどん寡黙になっていったが)。
 そこが実に小気味よかったのだ。
 70巻くらいまでは全作読破してたんだけど、気がついたら120巻を越えている。未読作品も多いのだが、今回読みなおして、既読作品の中にも、つかこうへいご推薦の『海へ向かうエバ』のように、短編漫画として珠玉と言っていいくらい絶妙な構成の作品があったことに気付かされた。
 インターネットカフェに行って、1巻からまた読み返してみるかなあ。

2000年12月17日(日) 今世紀最後のゴジラ/映画『ゴジラ×メガギラスG 消滅作戦』ほか



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)