無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年12月16日(日) 週遅れ日記・記憶はどこまで手繰れるかっ!?/DVD『バトルロワイヤル』ほか

 そろそろ爆走しなきゃなあ、と思いつつ、雑用と体力不足で日記書くヒマがないぞ。これ書いての今やクリスマスだぜ。記憶を掘り起こしつつ書くのにもそろそろ限界が来ているのである。
 つーことで、ぱぱっと行こう。


 DVD発売も目前の『パワーパフガールズ』第50回「ちっちゃくなあれ/NANO OF THE NORTH」 。
 敵はミクロサイズのロボット「ナノボット」なのだけれど、誰がなんのために作ったのか、なんて説明が全くない。
 多分原タイトルの「NANO OF THE NORTH」ってのに何かパロディと言うか、意味があるんだろうと思うけれど、「北のナントカ」ってタイトルの映画とかで思い浮かぶのは『北の家族』(NHK)くらいだ。
 高橋洋子、可愛かったなあ。って、PPGの話じゃないね。

 なんとか朝起きして『PPG』は見られたものの、そのあとまた睡魔に襲われて寝る。睡眠自体も二、三時間寝たらまた目覚めてしまって、熟睡できない。
 なんかまたカラダのバランス狂ってきてる感じだ。

 『コメットさん☆』第38回 『キモチの災難』。
 メテオさん主演編と言っていい、今週と来週の前後編。
 イマシュンとの愛の行方は? って感じの話だが、昔の魔女っ子ものなんかと比べて格段にドラマが進歩したよなあ、と思えるのは、こういうライバル少女がただの憎まれ役だった70年代と違って、生身を感じさせる演出が随所に見られるところだ。
 あの、みなさん私をただの二次元少女フェチと思わないように(-_-;)。否定もせんが(せんのか)。
 コメットさんのココロはケースケの方にあるのだから、イマシュンとメテオさんがくっつこうが関係はないはずなのに、つい怒鳴ってしまうと言うのも、脚本、演出ともに芸が細かい。
 少女マンガやアニメを馬鹿にしちゃいかんよ。ミヤザキもアンノも少女マンガ題材にすると、なかなかの佳作を作ってんだから。
 次週はメテオさん失恋か? みたいな感じになりそうなんで、いよいよラストスパートに入るのだろう。
 ……それはいいんだけどよ、『コメットさん☆』のDVD、なかなか出ねえなあと思ってたらよ、なんとバラ売りしないでBOXのみの販売だとよ。
 だからオレだって際限なく金があるんじゃねーんだようおうおう!


 で、前田亜季つながりで(おいおい)、中古で買ったDVD『バトルロワイヤル』を見る。
 『ビデオのお姉さん』完全版なんて特典映像がついてたりするが、私がみやむーに燃えていたのは既に6年も前なので(^o^)、既に私にとってはなつかしビトである。アニメの声優としても最近あまり聞かないしなあ(そう言えば緒方恵美も結局どうなっちゃったんだ)。タイトル忘れたが例の自衛隊映画といい、どうしても「ね〜ちゃん、アニメで食えんで汚れ仕事もやっとるんかいのう」てな印象になっちゃうんだよなあ。所属はまだJACなんだろうか。
 もう一つの特典映像、北野武と前田亜季との会話を収録した「幻のエンディング」というやつ、確かにドラマとしてはいいシーンなんだけれども、映画の流れからいって、「エンディングとしては余計」だ。
 キタノがどうして典子だけを助けようと動いていた理由がそこにはっきりと描かれているのだけれど、これをラストに持ってきちゃうと、物語が秋也と典子の物語から、キタノと典子の物語にスライドしちゃうのである。しかし、そういう「カット」の判断が出来たんなら、あの余計な字幕の数々もカットしといてくれたら、もっと完成度が上がったと思うんだがな。
 監督ってのは、たとえ映画の出来がイマイチになろうと、どこかに自分の趣味的なワガママを通したくなるものらしい。


 映画の時間を調べてみると、てっきり夜はやらないと思っていた『ゴジラ』、日曜日だけ7時台に1回やるようである。
 ……平日は3回しかやんないんだよな。なのに日曜日だけ6回やるってことは、ハナから「平日、大人の客は来ない」と踏んだな、東宝。
 まあ、適切な判断だろうけど。
 でも、昨日見損ねていたので、早いうちに見ておきたいと、しげを誘いに練習会場まで行ってみる。

 着いてみるとちょうど練習が終わったところ。
 よしひと嬢、「からだは大丈夫なんですか?」と聞いてくれる。
 あ、一応この日記読んでくれてるんだなあ、一週間遅れでアップしてるのに、と嬉しくなる。
 映画の件は、しげ、一言のモトに「あ、鴉っちを送んなきゃなんないから、ムリ」と一蹴してくれる。
 でもせっかく私が来たからと言うことで、其ノ他くん、鴉丸嬢、私としげの四人で、カラオケになだれこむ。
 しかし既に新作の『009』だってカラオケで歌えるようになってるってのに未だに『コメットさん☆』は入らないなあ。……童謡だと思われてるのか?
 なんかストレス溜まることでもあったのか、鴉丸嬢、今日は特に熱唱。でも「グローブは難しい」と言って、『009』は早々にパス。調子が悪いのかな、とちょっと心配になるが、少食の鴉丸さんにしては結構食事を注文していたから、まあ大丈夫なんであろう。
 私も、初めて歌った『フリクリ』がまあまあ歌えたんで気分がよくなる。こうやって地道に少しずつ、レパートリーを増やしているのである。ほんの1、2年ほど前まではカラオケに行った回数なんて、右手で足りるほどだったのに、こうもハマるようになっちゃったのはなぜなんだろう。どっちかと言うと昔はヨッパライに絡まれるのが嫌いで、「宴会」自体が嫌いだったのになあ。「酔客はうまくかわせばいいや」と鷹揚になっちゃったせいなのかもしれない。
 こうなると、意地っ張りで偏屈だった昔がちょっと懐かしくもあるのである。まだちょっとシッポ引きずってるけど(^_^;)。
 其ノ他くんにリクエストされて、『グレートマジンガー』『ゲッターロボ』を熱唱。やっぱ、主題歌としては『Z』より『グレート』の方が燃えるよなあ。鴉丸さんは私を見てちょっと怖がっていたが(^_^;)。
 其の他くんには「堪能させていただきました」と言われてしまったし、これでは次回までに『マジンカイザー』も覚えねばならないではないか(^^)。
 ともかく、しげが車で、酒を飲まないから、実に安心してのびのび歌えるのだ。

 三時間目一杯歌って、其ノ他くん、鴉丸嬢をウチまで送る。
 車中、鴉丸さんから「『バンパイアハンターD』のDVD買う?」と聞かれたが、「映画で見てるし」と答える。
 鴉丸嬢に、「てっきり買うと思ってたのにい」と残念そうな顔をされるが、スマン、私には『コメットさんBOX』&『名探偵ポアロBOX」という大物が控えているので、そんな駄作(でもないけどまあまあ程度の出来)に関わってるヒマはないのだ。
 「東京のこうたろうくんが、『其ノ他くんの書き込みがなくなったのは、オレがヘンな書き込みばかりしてたせいかなあ』と言ってたよ」と伝えたら、其ノ他くん、半端でなく焦る。
 「誤解だって伝えといてくださいよ〜」ということなんで、ここに伝えときます(^o^)。


 帰宅して、ビデオに録画しておいた『サイボーグ009』を見る。
 今回は第10話「オーロラ作戦」。
 旧シリーズでもアニメ化されたことのある原作は数少ないが、これはその一つ。タイトルは『南極の対決』。でも、見てたのなんてもうウン十年前だから原作に忠実だったかどうかなんて覚えちゃいない。
 でも今回の新作は、ストーリー的にはほぼ原作に忠実。ただ、敵の司令官がオカマ言葉なのはちょっと違うんじゃないか。
 機械を狂わせる「マッド・マシーン(この名前、『鉄腕アトム』にもあったな)M‐1号」が「兵器を狂わせる」という設定に微妙に変更。「機械」を「兵器」に変えなきゃならない根拠がよく分らないなあ。サイボーグたちの「武器」としての特徴を強調したいんだろうか。それとも今は、携帯の電磁波でコンピュータの誤操作が起こるなんて実例があるから、「機械を狂わせる」ってこともタブーに引っかかるのだろうか。
 「ドルフィン教授」を「フィンドル教授」に、「イルーカ」さんを「シンシア」に変えたのは、まあ納得しないでもない。いかにもマンガマンガしすぎてるものなあ。じゃあ「張々胡はどうなる」という指摘は置いておく(^_^;)。
 作画はキャラの顔が崩れない程度には安定。でもアングルや動きにそれほどの工夫がなく、やはり今一歩。
 第一話がすごくよいんじゃなかったら、テレビアニメとしてひどいというほどでもないんだけど、ヘンに期待させられちゃった分、なんかレベルが低いと感じちゃうんだよねえ。その辺がちょっと損かも。


 『アニメージュ』『ニュータイプ』1月号。
 新作情報で「はや?」と思ったのは、『ルパン三世 生きていた魔術師』。
 ……OVAで4月3日発売だとお?
 タイトル通り、あの旧シリーズ第2話、大和屋竺脚本によるシリーズ最高傑作、『魔術師と言われた男』の「白乾児(パイカル)」が生きていたという、とんでもない作品だ。こりゃ、傑作になるか駄作になるかって感じの、ギャンブルのような続編だなあ。
 もちろん、見ないことには批評も出来ないから、これ以上は特に言うこともないのだが、スチールだけを見るとちゃんと「蒼ジャケ」のルパンである。けれど、パイカルの声はオリジナルの江角英明さんじゃなくて、野沢那智。……ちょっとテンション高くなりゃしないか。だいたい、江角さん、今でも『こち亀』で署長役なんかやってるのに、どうして起用せんのか。……多分いろいろオトナの事情があるのだろうな。
 ほかにも気になるアニメ情報をいくつか。
 『最終兵器彼女』のアニメ化。テレビか劇場かはまだ判らず。
 でも、やっぱりやめときゃいいのにって感じだよなあ。輪郭線を曖昧にしてる高橋キャラがアニメに向くとも思えんが。
 ストーリーはアレはアレですから、見る前に文句つけてはいけません(^^)。
 『おジャ魔女どれみドッカーン!』……さすがにこれで打ち止めちゃうかな。もう小学6年生だし。また一人増えるみたいだけど、こうなるとはなちゃんももう喋れるようにならないと不自然だよなあ。
 それ以前に、みんな体型が変化してないのに「6年生」ってのも無理ありすぎだがね。この幼児体型のまま、『セラムン』みたいに「高校生編」まで行っちゃえばそれはそれですごいアニメになりそうだけれど(^^)。
 ほかにも触れたいことがないではないが、もう体力が続かんのでこのへんで。

 ああ、当日の日記が書けるようになるのはいつの日か……。

2000年12月16日(土) あの感触が忘れられないの


2001年12月15日(土) 映画行き損ない/竹本泉『ぴこぴこのきらきら』(竹本泉)

 日記の更新がマジでヤバイことになってきたので、このへんで本気でスピードアッブします。短いけどすみません。m(__)m

 仕事は残業、しげと待ちあわせて映画に行く予定だったが、昼の部には間に合わず、夜行くことにする。
 それまでの場つなぎに、誕生日が近くなると送られてくるロイヤルホストの20%割引券を使って、天神のシズラーで食事。サラダバーは食べ放題だけれど、胃が小さくなっているので、思ったほどには食べられない。
 以前は大きかったカレー・バターライス・固焼きソバのコーナーが小さくなっている。どういうわけか、たっぷりあったミートソーススパゲティがいきなりウェイトレスさんに下げられたが、なにかマズイことでもあったのだろうか。そういうのを見ちゃうと食がなかなか進まない。……って、しっかり2皿は食べましたが。
 その辺の貧乏症がなかなか治らないのである。

 始まる1時間前に行ったのに、天神東宝、『ゴジラ』は座席が完売で見られない。ちょうど子ども連れのお母さんが「立見でも見られませんか?」と聞いているところに出くわしたが、今はどこの映画館も立ち見を行ってないことを知らないのだ。
 私も、福岡の映画館がこの十年でどんどん完全入替制に切り代わっていく様子を目の当たりにしてきた。それは確かに観客がゆったりした雰囲気の中で映画を見られるおかげでいいのだけれど、あの、ぎゅうぎゅうに詰められるだけ詰めて、立ちっぱなしで2時間、汗だくで目まいがしつつも映画を食い入るように見ていた子供のころも、やはりなんだか懐かしいのである。
 このお母さんもそんな経験した世代なんだろうなあ、ギリギリ「東映まんが祭り」か「東宝チャンピオン祭り」世代かな、と思いながら、泣きそうな子どもには気の毒だが、『ゴジラ』がヒットしてくれてるのは嬉しいなあと思う。

 そのまま真っ直ぐ帰るのもシャクなので、しげを誘って、先日行き損なってたジュンク堂の地下、GIGA天神(すげえ名前だ)に寄ってみる。
 フロアは広くて、新品以外にも中古のCD、DVDもあり、品揃えはそう悪くない。
 『海のトリトンBOX』が、新作コーナーと中古コーナーの両方で売ってるのには笑えたが。たいていのDVDは2割から3割引、5割近く引かれているのもあるし、初回特典つきのまま売られているものもあるので、新作を買う前にこちらに立ち寄って物色した方が安上がりな感じだ。
 しげも、この店は気に入ったようで、早速ゲームコーナーで新作(らしい)エロゲーをゲット。最近はしげも気を使ってか、声が漏れないようにヘッドホンでエロゲーやるようになったので、ヘンな声でいきなり夜中に起こされる心配はなくなったんだけど。そこまでしてエロゲーやりたがる情熱ってなんなんだか(^_^;)。


 20年ほど前に起きた「イエスの箱舟」事件の「千石イエス」こと、千石剛賢氏が死去。78歳。
 あの騒動のあと、なぜか福岡で教会をおっ立てて信者たちと共同生活を送ってたので、ときどき地元放送の番組に出て、そのごくフツーな生活ぶりを見せてくれていた。
 報道には「謎の生活」みたいなことが書かれていたけれど、多分、本人たちは別に秘密にしてたわけでもなんでもないんだと思う。
 事件当時はまさに「プレオウム」的な騒がれ方をしていて、私もてっきりこりゃ現代のハーレムみたいなもんかと勘違いしてたけど、現実には信者たちの家族の方に問題があるケースが多かったようである。千石氏と信者たちとの間に性の乱れのようなものはなかったようだ。事件当時、千石氏も病気になって、医者に担ぎこまれてたりしてたし。
 どちらかというと、この事件は、カルト宗教の問題よりも、家庭崩壊の脈絡で語られるべきではなかったかと思われる。メディアがもう少しマトモな取材をしていれば、残された家族の信者への暴力行為、謂われない偏見も浮きぼりになっていたはずだからだ。まさしく脱会不能なオウム事件とは性質が違っているのである。
 今回、マスコミが改めて取材に行ったところ、留守番とみられる女性が「何も分かりません。もうやめて下さい」と困惑した様子で訴えたということだが、そういう心境にもなるだろう。私は葬式なんて儀式は好きじゃないが、他人の儀式を土足で踏みにじっていいとまで考えちゃいない。「取材」する前に、御線香の一本でも(クリスチャンだとお祈りだけか?)って感覚がマスコミからは完全に消えてるのだよな。
 だいたい、ウラを取らずに突撃することが「取材」になるんだと勘違いしてること自体、マスコミにいるやつらが低劣なアホンダラばかりだってことを証明している。我々庶民は、よほどのニュースでない限り、ニュースに即時性は求めていない。誰か有名人が死んだのなら、最低、その葬儀の日取りさえわかっていればいいのだ。他人の生活踏みにじってまで得られた情報を聞いて喜んでるほどヒマじゃないってば。

 中洲にある集会所を兼ねた千石氏のスナック、「シオンの娘」は多分今後も営業していくのだろう。いっぺん野次馬根性で覗いてみたいと思いながら、しげ連れて行けるような雰囲気のところでもなかろうし、折伏されるのもちょっとヤなんで(^^)、行ったことはない。
 誰か行ったことある人がいたら、どんな雰囲気のところか聞いてみたいところだが、多分ヘンなとこは全くないと思うな。


 マンガ、竹本泉『ぴこぴこのきらきら』(宙<おおぞら>出版・600円)。
 前に雑誌の特集かなんかで読んでた短編が多いけど、一応、竹本さんの「少女まんが」の新作。
 竹本さんにエロマンガ描いてほしいと思ってるのは和田慎二だけじゃないと思うが、完全にそっちに行っちゃうと、少女マンガの注文が来なくなるんで、竹本さんも「ちょっとセクシー」どまりがギリギリなとこなんだろう。
 でもなんつーかですね、『ぱたぱたガール』なんかでコスプレした女の子どうしが頬染めてよりそってるカットなんか見ると、ああ、せめてレズものでもいいから見たいとか思っちゃったりするくらい、ほのかなエロさがあるんですよ、竹本さんの絵には(^^*)。

2000年12月15日(金) 今日の日記も「スゴイ」?/映画『夜にも奇妙な物語 映画の特別編』


2001年12月14日(金) 多分それは美しさではない/映画『ピストルオペラ』

 一日ゆっくり休んだので、体調はまあまあ。
 ……だったんだけど、仕事に行くとまたすぐ逆戻りだ。
 ともかくシフトが変わったせいで、仕事量が以前の1.5倍、午後になったころには冗談じゃなく眩暈でクラクラしてくるのよ。
 はふーはふーって、息つきながら仕事してるもんだから周囲の眼がヘンなもの見てるようでそれもキツイ。
 もちろん忙しくなってるのは私だけじゃないんで、鬱憤が溜まってる同僚もやたら多いんだけど、文句言っても聞き入れる余地がないからね、ウチの職場。
 このシフト、あともう1ヶ月ほど続くんだけど、既に何人もの同僚が倒れかけている。さあ、これでウチの職場に未来はあるのか(^_^;)。


 しげが「今夜は仕事がないよん」と言うので、予定を早めて映画を見に行くことにする。
 私の仕事が終わるのが、定時で5時15分、映画の開始時刻が6時半。
 映画館までの距離はそう遠くないので、スムーズに行けば40分ほどで着く予定であった。
 なのに着かない。
 高速が作られてもあまり渋滞の緩和に貢献してない気がするなあ。
 職場からウチの近所までで既に30分くらいかかっている。
 しげは運転しながら「間に合わんよ間に合わんよ。映画の前に食事する時間もないよ」とうるさい。
 「食事はマクドナルドでテイクアウトすればいいじゃん。映画自体に間に合わなかったら、どこかで食事して帰ったっていいし」
 予定がうまくいかなければそこで他の対応を考えるって発想に欠けてるんだよなあ。


 心配していたほど車の流れが悪くもなくなったので、なんとか6時10分ほど過ぎて博多駅に到着。マクドナルドと紀伊國屋に寄ったあと、シネ・リーブル博多駅で、映画『ピストルオペラ』を鑑賞。
 清順美学清順美学と、なんで鈴木清順の映画にだけ「美学」を付けるのかなあ、他の映画作家に美学はないのか(まあ、ないのもあるけど)、と、実はこの言い方には内心ちょっと反発している。
 だって、これ、決して誉め言葉じゃないもんね。「芸術」とか「アート」とかいう言葉同様、まともにモノが見えない、いやそもそも見ようともしていないアホンダラが、自分の理解できないモノを「なんやワケわからん」と言いたいんだけれども、でも世間的には評価されてるもんだから、貶すわけにはいかないなあ、貶したらこっちがバカだと思われるもんなあ、ということで、とりあえず持ち上げとけ、という意識で使ってる言葉に過ぎないからだ。
 もっとはっきり言っちゃえば差別語なんだよ、こんなの。
 もしも鈴木清順自身が「ボクの美学はね」なんて言い方したとしたら、こりゃ本物じゃないってことになっちゃうでしょ? だから鈴木清順の映画を評するのに「美学」なんて言葉を使ったものは一切信用しちゃいけません。
 でも、清順さんのスタッフでも、堂々と「美学」なんて言ってるバカもいるしなあ。ヤレヤレ。

 実際、鈴木清順の映画を、単に色彩だの構図だの編集だの、表面的な映像美だけで捉えようとすれば、それはある種、浅薄な、毒々しい一人よがりな映像、と切って捨てることだって可能なのである。『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』の三部作の映像にしたところで、映画としての構成を無視して、一画面だけのデザインを取ってみれば、そうオリジナリティのあるものとは言えない。ちょっと前衛気取りの映像作家なら、『ツィゴイネル』の砂場の蟹の映像くらい、オレでも作れらあ、と豪語するやつはいると思われる。
 解りやすく言えば、「わけがわからない」映画を作るのは、実は誰にだってできる、ということなのだ。清順映画は、「誰でも思いつく模倣可能な映像」の集大成だったりするのである。
 だから巷には「ミニ清順」が氾濫していたりする。
 押井守の『紅い眼鏡』だって、堤幸彦の『ケイゾク』だって、鈴木清順のマネをしていないと言えるかどうか(クエンティン・タランティーノは堂々とマネしてるそうだが『レザボア・ドッグス』は見てないのでよく解らん)。
 ……ちょっと、ここらで注を入れとかないと誤解されそうだから言っとくけどね。私ゃ清順映画を否定しようとしてるんじゃないのよ。映像だけを切り取って評価したらいけない、と言ってるだけなんだからね。

 面白いのは、今回の『ピストルオペラ』において、鈴木清順自身が、自分の映画が、映像としては決してオリジナルなものではないのだ、ということを、堂々と提示していることである。
 オープニングのタイトルバック、このCG映像がデザインから字体に至るまで、実に清順清順している見事な作りなのだが、実はこれは、『ガメラ』シリーズの樋口真嗣の手になるものなのだ。つまりここで鈴木清順は自身の映像の「模倣」を他の監督に作らせ、それを自作のタイトルバックに使うというややこしいことをやってるということになる。
 模倣が本物の中に取りこまれる。
 これがどういうことかお解りだろうか。
 自作の『殺しの烙印』の続編として作られたこの『ピストルオペラ』、この映画の最大の特徴は、これが「鈴木清順による鈴木清順のパロディ」だという点にあるということなのだ。

 ストーリー的には、確かに本作は『烙印』の後日譚という形を取っている。
 宍戸錠が前作で演じた殺し屋、花田五郎は、落魄して偽片足の平幹二朗となって現れているんだから。
 けど、よりによって、こんなに似てない俳優に演じさせる続編ってあるものかと、前作を見ていたものは誰だって思うんじゃなかろうか。人を食ってるどころじゃない、足の長さが全く違うでないの。パタリロの等身が縮んだのと同じくらい、これは全くの別キャラになっちゃってる。
 ……私も鈴木清順の作品をたくさん見てるわけじゃないんだけれども、いつも思っていたのは「このストーリーでどうしてこんな映像を作るか」ということだった。アクション映画でありながらアクション映画のセオリーを外し、情念の世界を描く話を硬質なオブジェで埋め尽くすようなパラドキシカルな映画を作りまくってきている。
 本作も「アクション映画」と言いながら、映像自体はほとんど動いていない。キャラクターを追いかけて画面が動く、なんてシーンが、極端に少ないのだ。
 まるで予算のないアニメで、「止め絵」を重ね合わせて作った作品を見せられているような印象すらある。俳優が走りまくる『太陽にほえろ』的世界とは全く違うのだ。
 なのに面白い。
 面白く見せるためのセオリーを外しているのに、ひたすら面白いのだ。
 主演の江角マキコは殺し屋のクセに動きにくい和服をまとって登場するし、ほかの殺し屋も金髪に黒マントだの、車椅子にジャージの男だの、不死身の怪しい外人だの、山口小夜子だの(^o^)、目立つやつらばかりだ。
 謎の少女は江戸東京たてもの館に住んでやがるし(^^*)。
 大和屋竺に歌わせてた『殺しのブルース』を樹木希林に歌わせたりする感覚はなんなんだろう(^_^;)。このヘンなシーン見るだけでも、入場料金払っただけの価値はあるぞ。
 こんなのを「美学」とかエラソウな言葉で評しちゃいけない。
 これは緻密に計算された「デタラメ」である。
 ヘンではあってもバカではない。
 ヘンとヘンを集めてもっとヘンにした映画だ。
 つまり、「どうしたらストーリーに忠実でなく映画化できるか」と考えていったらできあがったのがこの映画なのだ。でもそのデタラメさが心地よい。いい加減さがさわやかだ。

 ストーリーに忠実な映画と言うのは、実は観客の見方を固定化するものである。観客がカタルシスを感じているのは、安楽椅子に沈みこんでいる心地よさなのであって、自由な風を受けて空を飛翔する爽快感ではない。
 ストーリーと映像が乖離することで生まれる爽快感、自作をも変容させて映像化する、その方法論・スタイル。それこそが「清順美学」ってやつの本質なんじゃないだろうか。
 清順作品がヒットしなかった理由はその辺にあるんだろう。日本人は何だかんだ言って、自由な想像力の中で遊ぶ楽しさよりも、予定調和の物語の中に入りこんでヌクヌクする安心感の方を選んじゃうのである。
 でも、それって映画じゃないじゃん、って私は思うんだけどなあ。

 帰りに期待の映画、『アメリ』の前売券を買う。なんだかんだで、この冬見たい映画の前売り、もう4、5本買ってることになる。でもまだまだ全然見たりないんだよなあ。
 しかもたいていの映画が2週間サイクルで変わりやがるし、休日出勤なんぞしてたら、映画に行く時間が取れんがな。

2000年12月14日(木) 差別語なんて知らないよ/『銭豚』(ジョージ秋山)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)