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2009年11月19日(木) 南の鳥
「小学校の頃ね、ちーちゃんってゆう女の子がいたんだ」
また始まったなぁと思いながら、僕は彼女の手元をみている。彼女はレモンティーに砂糖を一杯、山盛りにして入れる。その山盛りの仕方もまた秀逸だ。シュガーポットの底までスプーンを突っ込んで、ぐりぐりとかき混ぜて、ゆっくりと持ち上げる。そして手をふるふるさせながら、ポットに近づけたティーカップの上でスプーンをゆっくりと傾ける。そんなに大変な思いをするなら、普通に二杯でも三杯でも入れた方がいいのに、と思うが、彼女にとってはそういうわけにはいかないらしい。さらさらさらと音を立てて、グラニュー糖の粒がひとつひとつきらきら光って落ちていくのを確認するようにじっと観察する。だから、彼女がシュガーポットを手元に引き寄せてから、砂糖を入れ終えて、そのポットを定位置に戻すまで、たっぷり一分はかかるのだ。もちろん、その間、彼女は無言だ。僕は、果たして小学校の頃のちーちゃんという女の子の話がちゃんと発展するのかと考えながら、やっぱり無言でコーヒーを口に運ぶ。彼女にとって、紅茶に砂糖を入れるという行為は一種神聖なものらしく、その間に僕が口を挟もうものなら、スプーンに盛った砂糖を僕の頭に振りかけることもしかねない。でも、その真剣さのために、しばしばその前に考えていたことや、話していたことや、やりかけていたことを忘れることがある。
「ちーちゃんはね、眼がこうぎょろっと大きくてね、鼻が高くてね、はっきりとした顔立ちで、南の鳥みたいな顔だったの」
彼女はどうやら《砂糖前》の話を覚えていたらしい。ティースプーンをくるくる回しながら、ちーちゃんの容貌を語った。
「あたしは一目見たときになんだか怖くてね、この子には近づかないようにしようとか思ったの。・・・・・・でも、最終的にはすごく仲良しになったけど」
「なにが怖かったの?てか、大人の社会でやったら、それ、大問題だよ?」
「うん、子供って怖いね。あの、あれ?南の鳥、怖くない?」
「南の鳥。フラミンゴとか?」
「そうゆうサバンナ系じゃなくて、密林系の。赤い鸚鵡とか、嘴がこうすっごくでっかくって、カーブしてる黒い鳥とか、青い鸚鵡とか、黄色い鸚鵡とか」
「あぁ、わかる。怖い」
ほとんど鸚鵡しか出てこなかったこととか、サバンナ系なんて日本語初めて聞いたとか、あれに人を例えるなんて、相当ちょっといじめだぞとか、そういうことは全部とりあえず置いておいて、同意してみた。
「ちっちゃいとき、図鑑を見るのがすごく好きだったんだけれど、鳥類図鑑の南の鳥のページと、魚図鑑の深海魚のページと、昆虫図鑑の百足のページは絶対に開けなかった。あれ?昆虫図鑑なのに、百足載ってたな。昆虫じゃないのに。変だなぁ。今初めて気づいた。あなたの昆虫図鑑にも載ってた?」
「余の辞書に・・・・・・みたいな言い方されてもね。うーん、あんまり覚えてないなぁ。図鑑、見たかな?」
「男の子は虫好きなんじゃないの?」
「カブトムシ辞典とか、トンボ辞典みたいのは図書館で調べた気がする」
「あぁ、男の子はよりマニアックなわけだ」
「うん、まぁ、そう」
男の子は、と全体的に捉えられると、世の中の男の子は困るかもしれないぞ、と思う。でも、たぶん百足は昆虫図鑑に載っていたかもしれない。もしかしたら、彼女の見たのは昆虫図鑑じゃなくて、虫図鑑だったのかもと思う。それよりも。
「で、そのちーちゃんにどっかで会ったの?」
「ううん。卒業してから会ってない」
「そ?じゃあいきなり思い出したの?」
それも彼女の場合、不思議ではない。
「うん。ちーちゃんのことはいきなり思い出したの。でも、南の鳥のことは、いきなりじゃないの」
「ペットショップにでも行ったの?あ、動物園に行きたいとか、そういうこと?」
「ああ、動物園には行きたい。でも南の鳥は見ないよ。泣くから」
泣くなよ。
「このスカート」
彼女は椅子を少しずらしてお嬢様みたいにスカートの裾をつまみ上げてみせた。サイケデリックなマーブル模様の
スカートだった。
「南の鳥みたいでかわいいねって言われたの」
「・・・・・・かわいいと思うよ。南の鳥っぽくて」
それから二人はなぜか無言でコーヒーと紅茶をそれぞれ啜った。怒ったかな?と僕はちょっとだけ不安になって彼女を盗み見たけれど、ただ黙々と、たぶん相当甘いレモンティーを飲んでいるだけだった。
「南鳥島って、どこらへん?そんなのあったよね?」
2009年11月07日(土) はるまち【二次創作】
「おしの、先生がいらっしゃいましたよ」
でっぷりと太った女主人がその声に見合った大声で奥に声をかけると、それに負けず劣らずな快活な声が帰ってきた。
「ああい。今いきますよ。おじいちゃん、お茶と冷たいお水、どっちがいいかい?」
「水にしてくれい」
秋山小兵衛は小柄な身体いっぱいでその大声たちに応戦した。
長く連れ添った愛妻、おはるに先立たれてから、小兵衛は急速に老いた。もともと四十も歳下の妻であった。
「先生の死水はあたしがとりますから、安心してくだせえよう」
死ぬ数日前までそんな調子で、持ち前の明るさでもって立ち働いていた、小兵衛にとっては孫娘ほどの歳の離れた妻であったが、夏風邪をひいたらしいと寝付いた後、ふっつりと死んでしまった。小兵衛にとっても、当のおはるにとっても、予想だにしなかった最期であった。秋山小兵衛、九十の晩夏であった。
その後の小兵衛の落胆は、息子の大治郎、嫁の三冬らの想像を軽く越えたものであった。ものも食べず、ろくに眠らず、おはるの後を追う気ではないかとも思えるような様子であった。それもなんとか、秋を過ぎ、冬を過ぎようとするころから、やっと、以前の小兵衛らしさが戻ってきたようで、三冬の作った飯を食べ、息、大治郎に似て朴訥な青年に育った、孫の小太郎をどぎまぎさせるような冗談を言うくらいになった。
そんなだから、冬の晴れ間の暖かな陽気に大治郎の操る小船で、浅草まで大川を下り、なじみの小料理屋、元長へと脚を伸ばす気にもなったものだ。
「おはるではないか!」
前方に見える娘姿に小兵衛が目を見開いて叫んだときには、さすがの大治郎もびっくりした。
「父上、そんなはずは・・・・・・」
言いさして、大治郎も絶句した。遠く見える後姿は、確かに若い頃のおはるに酷似していた。それが元長ののれんを慣れたようにくぐったのを見て、ふたりはもっと驚くことになった。おはるも小兵衛に従って、よく駒形堂裏のこの店に通ったものだ。
「父上、わたしが見て参ります」
船を下りるのも脚がもつれそうになる小兵衛に大治郎は言おうとして、それから思い直して、父の手を取り船から下ろすと、共に足を速めた。
「おや、まあ、大先生!若先生も!すっかりご無沙汰してしまいまして・・・・・・」
戦々恐々となっているふたりを迎えたのは、元長の女将、おもとであった。昔はほっそりとした、いかにも料理屋の座敷女中といった様相だったのが、子供を産んでから、すっかり肥えた。今では女将としての貫禄がついたようだった。
「こちらこそ、ご無沙汰をして申し訳ない。ところで、今し方、若い娘御がこちらに入ったかと思ったが・・・・・・」
挨拶をした大治郎が店内を見回すと、おもとはあぁと合点したように頷いた。
「おしののことですか?えぇ新しい女中を入れたのですよ。でも若い娘ではありませんよ。もう二十歳を半ばを過ぎているはずです」
それから奥へ声を張り上げた。
「おしの、おしの。大事なお得意様だよ。二階の準備は整っているだろうね?」
「あい。女将さん」
のれんをかき分けるように顔を出した女は、確かに先ほどの娘であった。着ている縞柄の袷に見覚えがあったが、正面から見てみると、おもとが言うとおり大年増で、それに、おはるとはまったく似ていない姿形をしていた。小兵衛と大治郎は顔を見合わせた。
二階にあがると、合点のいかない顔のおもとに、照れたように小兵衛がいきさつを説明した。
「おやまぁそうでしたか。わたしなんかは全く感じておりませんでしたけれど、確かに遠くから見たらご新造様のお若い頃に似るかもしれませんね。ただ、おしのはああいう大女でしょう。ご新造様は小柄なお方でいらっしゃいましたから」
おもとは言ったが、それからおしのに膳を運ばせ、酌をさせてくれた。おしのは確かに大女だったが、快活ないい娘であった。
それからというもの、小兵衛はそれこそ昔のように、足繁く元長ののれんをくぐるようになった。
小兵衛はすっかり健康になった。昔のように一人で竿をとり、大川を下る。元々健脚だったのだから不思議がることでもないが、実にいい手さばきで船頭をこなす。元長にくると、おしのの酌で酒を飲む。近くで見るとおはるとは全くの別人ではあったが、快活なおしのと語らっていると、昔に戻るようで心地いい。
「おまえさん、以前はどこにいたんだね」
「地獄だよ、おじいちゃん」
小兵衛はおしのに自分をおもとのように先生と呼ばせなかった。もう自分はただの老いぼれだとおもとにも言っていたし、先生などと呼ばれては、なんだかおはると話しているような、妙な気分になってしまうのであった。おもとは無礼に気を揉んだが、当のおしのは特に気にした風もなく、小兵衛をおじいちゃんと呼んでただの隠居の相手をしてくれる。
「地獄か。そいつは剣呑だ」
「春町だなんて言う人はいるけどさ、中の人間にとっちゃあ地獄さ」
おしのは飾らなかった。遊女あがりで、いい旦那がついて請け出されたが、旦那に死なれ、もう一度苦界に身を沈めようかというときに、世話をする人があって、この元長の女中に入ることができたということを、ざっくばらんに話した。
「あたしは運がいいんだ。あたしと一緒に地獄にいた友達は、どうなったかわかりゃしない。ご改革の波で岡場所もずいぶん潰れたと言うし。申し訳ない気持ちにもなるけれど、仏様に手を合わせることくらいしかできないもんね」
秋山父子と関わりの深かった田沼老中が失脚した後、権力を握った松平老中は市井の生活をきりきりと締め上げた。おしのの言ったご改革とは、寛政の改革のことである。
「そうさ。あんたは運がいい。そうやってありがたいと思う気持ちがあんたをもう一度地獄に落とさずに済んだのだろうさ」
はるまち、か。と小兵衛はひとりごちた。
「おじいちゃんの亡くなったご新造様ははるという名前だったんだって?」
聞き咎めたようにおしのが言った。
「そうさ。おはると言うのだ。もういないが、わしはおはるを待っているようなものだったなと思ったのさ。はるまちということばでそれを思いついたのだよ」
「あたしにとってはいいことばではないけれど、そうだね、おじいちゃんにとってはそういうことばになるんだね。不思議なもんさ」
「おまえさんはなかなか穿ったことを言うのう」
小兵衛は苦笑した。
「ごめんくださいませ」
廊下からおもとの声がかかり、ふっと甘い匂いが部屋に入り込んできた。
「おお、今年も咲いたか」
おもとの手にした花器に盛られた梅の花を見て、小兵衛は目を細めた。
「えぇ。ようよう暖かくなりますでしょうよ」
春は待たずとも来るものか。部屋の一角に飾られた花を見て、小兵衛の気持ちは穏やかであった。あと何度、これを見られることであろう。ふっと目頭が熱くなって、小兵衛は窓の外を見やった。江戸の町は、これから活気を増していくそわそわした気配に満ち満ちていた。
2009年11月05日(木) 折り紙
「この世界がなにでできてるか、知っている?」
彼女が折り紙を折りながら言った。100円ショップで売っている折り紙は、大きいのも小さいのも、きれいな和紙の千代紙も、なんだってあると言うのに、一番オーソドックスな、赤や黄色の幼稚園で使うような折り紙セットを彼女は選んだ。
「えーと、子犬のしっぽと蝸牛・・・・・・それは男の子か」
僕はマザーグースをそらんじる。金色の折り紙を取ろうとして彼女にぴしゃりと手を叩かれそうになる。勿論、その動きは予想できたから、ぎりぎりのところで回避する。彼女はいたずらな園児を叱る幼稚園の先生の表情で僕を睨みつける。
「お砂糖とスパイスは女の子。そうじゃなくて、この世界は」
「今日はずいぶんと難しいことを聞くね。なにがあったのさ?」
彼女は赤い折り紙を器用に折って、鶴を作り上げた。ひとはこうやって色とりどりの紙でいろんなものを象るけれど、本当にこんな色の鶴がいたら大変だと思う。真っ赤な鶴。フラミンゴだってびっくりして逃げ出すだろう。
「この世界は、きれいなものときたないものとでできていると思うの。だけど、そう思わない人も世の中にはいて、きたないものだけでできているという人がいるの。あなたはどう思うのかしらって」
ふーむと僕は唸ってみる。どうやら彼女は変なテレビ番組かなにかを見て、困ってしまったらしい。
「僕も、きれいなものときたないものとでできていると思うよ」
僕はそう言って、彼女の手が届く前に、金色の折り紙を手に取った。
「なんでそれが欲しいの?」
「きれいだから」
「ほら、ね、きれいなものがある」
目に見える答えを提示して、折り紙を彼女に手渡してあげた。彼女はにっこりと笑ってそれを受け取った。
「女の子がいるってことだけで、きれいよね」
「そうだよ」
「不公平だと思わない?」
「なにが?」
彼女は金色の折り紙を、指紋をつけないようにティッシュできれいにふきとりながらしわを伸ばすと、入っていた袋の中にきれいに入れ直した。
「女の子はお砂糖とスパイスと甘いものだらけでできているのに、男の子は蝸牛と子犬のしっぽでできているんだもの。蝸牛って、ぬめぬめしてるし、子犬はかわいいけれど、しっぽだけって、なんか、魔女の釜で煮られてるみたい」
あぁあ、女の子でよかったわ。と、すっかりご機嫌になって真っ赤な鶴の羽を広げた。
「この鶴には脚がないな」
そしてまた、彼女は困ってしまう。神様どうか、僕の純粋な彼女に、あまり難しい題目を与えられませんように。
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