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me note diary

2008年10月09日(木) 無責任の死神

【From:母
 遅かったね。前後左右上下に気をつけて帰ってきて下さい】


 最近物騒だから、帰る時間に連絡を入れろと言った母にメールを入れて、その返信を見て携帯を畳んだあと、駅前のまだ人通りの多い商店街を歩いていた。
 電車の中で読んでいた、尾崎豊の小説の一部がなぜか頭の中でリフレインしていた。


《あなた、あのあと誰かに恋をしたの?》
《そううまくいくと思うかい?》
《だって誰だってひとりじゃ生きられないわ》


 22時半。
 さすがに居酒屋の1、2軒を除いて店のシャッターは閉じている。いつも耳に突っ込んだままのイヤホンは、駅でトイレに入ったときに外してしまった。前後左右上下に気をつけながら歩いていたつもりが、不覚にも斜め後ろから声をかけられ、立ち止まってしまった。


「すみません」


 その声はそう言った。
 わたしはまたまた不覚にも、振り向いてしまった。このあたりはキャッチが多い。いつもだったら、完全無視で歩幅も変えないままでやり過ごすのに、なぜ今日に限って振り向いてしまったかと言えば、それは斜め後ろが盲点だったからだ。きっと。


「このあと時間ありますか?」


 振り返った視線の先にいた長身の男はそう言った。
 時間は22時半。
 そして水曜日。
 わたしはスーツこそ着ていないにしろ、おべんと袋を抱えて家路を急ぐ、どこからどう見ても27歳オフィスレディだ。で、相手はといえば、短髪、眼鏡、スーツのどこからどう見ても30代のサラリーマン風。特徴というものがまぁそうないことが特徴的、なんて10年前の小説家が書きそうな男性だった。実は特徴はあった。それは、なんだかもうこのまま自殺でもしそうな暗さを初対面のわたしに見せたということが大変特徴的だったということだ。


 わたしは首を横に5、6回も振った気がする。
 怖かったのだ。単純な得体の知れない恐怖。


 たとえばこれが、17時の出来事だったら、たとえばこれが、金曜日の出来事だったら、たとえばこれが、金髪を立てた細身の黒スーツのホスト風男だったら、たとえばわたしが、でっかい荷物を提げた10代の家出娘風だったら。そうしたらごくごくナチュラルにこの状況にいられただろうと思う。なんだろう。ピースが完全にちぐはぐなのだ。それは所謂、日常に潜む恐怖、なんて、また10年前の小説家が書きそうなものだ。


 声も出せず、首を5、6回も振ったわたしを見ると、男はなぜか会釈をすると、わたしを追い越して行ってしまった。
「そうですか」
 と言った気もする。でも、定かではない。
 後ろ姿は死神が憑いているように黒く見えた。気のせいだ。


《あなた、あのあと誰かに恋をしたの?》
《そううまくいくと思うかい?》
《だって誰だってひとりじゃ生きられないわ》


 なんてちぐはぐなんだ!


 わたしが勝手に平日の深夜に近い時間にナンパしてきた男の背景ドラマを作るのは自由。だけど面白くない。
 うまくいくように恋をすること。
 うまくいくように恋をしようとすること。
 ひとりじゃ生きられないから、恋をしようとすること。
 恋ができなかったら、じゃあ、死ぬしかないのかな。
 その死神が背中で笑うように。




 水曜の22時半。
 わたしと無関係な男がわたしのせいで死んだとして、わたしはそれに、興味も価値も、見いだせないと思うのだ。


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管理人:サキ
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