back next new index mobile
me note diary

2004年04月26日(月) オリーブを食べる女(致死量)

「……変わった、おつまみですね。」
 やっと、そう言った。
「そ、か?食ったことねーの?」
 イナカモンですかー?と、間延びした返事に、いや、食いますけどね、と困り切ってしまった。
 彼女はこちらのことなど気にする様子もなく、数本目の缶ビールを開けて一口飲むと、その瓶の蓋をぐいと開けて、中身をひょいと指でつまんで口に放り込んだ。


 瓶詰のオリーブ。スーパーでニーキュッパくらいで売っているヤツだ。
 もう、二本目のようだった。
「…普通、トッピングじゃないですか?ピザとか、サラダとか。」
 彼女がピクリとも反応してくれないので、こっちは気まずくなってしまう。こういう場合は、黙っているのが得策と知りながら、あぁ、とひとつ思い浮かんでしまった考えを口にしてしまった。
「あぁ、あれ、美容ですか。オリーブって、いいらしいですよね。ビタミンCでしたっけ?」
「あーそー、それよ。」
 思いっきり、面倒臭いから適当に返事した、というのがよくわかる返しを頂いて、心底、後悔した。


 二分ほど、無言だった。
「あ、あの。」
「食わない?」
「え?」
 口を開いたのはただ、静けさに耐えられなくなったからだったが、彼女の発した言葉は、ここに来て初めて自発的に彼女が発した言葉だった。
「……塩分、取り過ぎですよ?」
「……」
「……いただきます。」
 瓶は細長くて、既に中身は半分くらいになっていたから(全部彼女がひとりで食べたのだ)、取り出すのにえらく苦労した。傾けると汁が零れ落ちそうになるので、やっかいである。
 くすんだ黄緑色の実は種を取って、中に赤い何かが詰めてある。そう言えばこれはなんだろうと思いながら、それを聞かなかったのは、さっきの失敗が尾を引いていたからだった。
 独特のにおいがした。囓ってみた。においとしょっぱい味が口から鼻に広がって、慌てて飲み込んだ。一気にいけばよかったと後悔し、囓った残りは気合いで流し込んだ。
 やはり、このままつまんで食べるような代物ではないと感じた。




 上に書いたことは、十五の頃の記憶。彼女はぼくが、生まれて初めて会った、「オトナ」だった。
 それから十年。
 彼女のことなど、忘れていた。
 白い華奢な指が、シロップ漬けのチェリーを摘みあげ、口に持っていった。
 それを眺めるぼくが、十年前のことなど思い出しもしなかったのは、ただ、目の前の少女に、夢中、ひたすら、夢中だったからだろう。


 いつか君も、彼女のように、忘れてしまうの、か、な。


2004年04月21日(水) 夏の夜(二次:御宿かわせみ)

「若先生、おかえりなさいまし」
 嘉助が声をかけ、すぐにお吉がすすぎの水を運んでくる。
「すまん、遅くなった」
 東吾が嘉助をちらりと見る。いつもだったらすぐに出迎えてくれるはずのるいが、出てこない。
「御新造様は千春嬢様を寝かしつけてらっしゃいますので……」
「千春はまだ寝てなかったのか」
 ずいぶん遅いじゃないか、東吾が廊下を歩きながら言うと、台所に戻りかけたお吉が困った顔をする。


「おかえりなさいまし」
 夫婦の寝室である離れに入ると、るいがいそいそと出迎えて、大小を受け取る。
 ふいと奥を見ると、夏のことで、千春が肌がけを腹にかけて、すやすやと眠っている。
「やっと眠ったのですよ。お父様がお帰りになるまで起きていると頑張ってたんですけれど……」
 るいにすこしばかりうらめしそうな目で見上げられ、東吾はどぎまぎしながら、遅れた理由を話そうとして、ふと、千春の着物に目がいった。
「どうした、着物を着たままじゃないか」
「それなんですけれど……」
「今日は千春嬢様が初めて帯をお一人で締められたんでございますよ」
 お膳を運んできたお吉が早速東吾に言いつけた。
「それで若先生に見ていただきたくて遅くまで起きてらっしゃいましたのに」
 いったいどこで油を売っていたんだとばかりに、るいと女同士の目配せをする。
「そうか、それはかわいそうなことをしたな」
 東吾は素直に神妙になり、愛娘の寝顔を眺めた。
 もちろん、御時世で講武所がごたごたし、教授方の東吾にも、そのとばっちりが回ってくるのだということは、るいにはもちろん、お吉にもわかっているので、それ以上はふたりとも何も言わない。
 しばらくしてお吉が出て行き、夫婦水入らずとなる。千春が寝返りを打ち、不器用に結んだ帯が肌がけからのぞいている。
「お父様がお帰りになるまで絶対に着替えないと強情を言って」
 と、るいは口では困ったようだが、むしろほほえましく思っているようだった。
 そういえば本所の麻生家の花世も、こんなことがあったと東吾は考えていた。


 東吾が兄の用事で麻生家に行くと、ばたばたと花世が走ってきて、
「とうたま」
 と、抱きついてきた。
 そこに母親の七重がすぐにやってきて、おてんばをたしなめ、帯を結びなおしましょうと言う。東吾が見ると、なるほど、花世の帯は酷くびっこに結ばれている。
「花坊、どうしたその帯は」
 と東吾が言う前に、花世が自慢げに、
「とうたま、花は今日ひとりで帯を結んだのです」
 と、得意げに胸を張った。そう聞くと、びっこなどと言えず、
「ほう、すごいじゃないか、花坊もおおきくなったな」
 花世は更に誇らしげな表情になり、七重が笑いながら、困った顔をした。


「何を考えてらっしゃるのですか」
 るいに言われて、東吾ははっとした。
「なに、月日が経つのは早いもんだと思ってね」
 るいがお酌をしてくれて、杯をあけた。
「このまえおぎゃあと生まれたと思ったら、もう自分のことは自分でできるようになっている。このまんまじゃ、次に正月を迎えるころには、嫁にいっちまうんじゃないかと思ったんだ」
 まあ、とるいは笑ったが、そのときの東吾はまた、別なことを考えていた。


 本当に月日が経つのは早いと思う。ついこの前まで、正月を数えるのは、ある意味憂鬱であった。
 自分は次男坊の冷や飯食いで、まだるいと祝言をあげられない。本所の七重がまだ婿を迎えないのは、自分を好いているせいだ。正月が来る度、るいも七重も歳をとる。ふたりとも、明らかに嫁き遅れの歳であった。
 それがこの数年のうちに、がらりと変わったのである。
 七重は東吾の友人の天野宗太郎を婿に取り、二人の子に恵まれた。東吾はお上からきちんと給金をもらえる立場になり、るいと祝言を挙げ、千春が生まれた。
 この正月も、よい正月だった、と東吾は感慨深く感じたのだった。


「千春がお嫁にいったら、私はもうおばあさんですわ」
 るいが可笑しそうに言った。その中に、少し寂しげな表情が浮かんでいる。
「なぁに、るいは十七八のころから変わらないんだ。ずいぶんと色っぽい婆さんになるだろうさ」
 東吾は笑って言って、るいの肩を抱き寄せた。
 夏の夜は、ゆっくりと更けていく。




――――――



ふと思いついて、やってしまいました!「御宿かわせみ」です。
たまには平和に暮らさせてあげたいじゃない!って思ったりして。
たまにはこういうのも、ね。


<<   >>


感想等いただけると、励みになります。よろしければ、お願いします。
管理人:サキ
CLICK!→ 
[My追加]




Copyright SADOMASOCHISM all right reserved.