鍋をたたく...鍋男

 

 

鍋男ってカジカジじゃないでしょ? - 2002年02月16日(土)

 カジカジの取材があった。
 土曜、日曜は演奏の仕事が入ったりするので、普段仕事は入れない。ので、今日は取材用に生徒さんに一人来てもらった。ダミーだ。
 はりきってクアドロなんかを出してしまったので、いつもより狭い。3月から始めるギターレッスンの講師M氏が遊びに来ていたりして、すでに3人。カジカジの取材スタッフは3人、編集者、ライター、カメラマン。総勢6名でCurepeは満タンだ。これがテレビだと、ディレクター、出演者、カメラマン、照明さん、音声さん、機材も多く、大きくなる。雑誌の取材で良かった。

 教室内風景をバックに先生(私だわ)と生徒の2ショットを一枚。レッスン風景を一枚。
写真を撮っている間に、ライターさんの質問に答えていく。ギターのM氏がちゃちゃを入れる。このおっさんがまた、キワドイ笑いで...いや、それはいい。とにかく、このM氏のおかげで、笑いの絶えないなごやかな調子で、つつがなく取材は進行する。

 カメラマンは楽器のショット、雰囲気の伝わる小物やらなんやら、その辺りを楽しそうに撮っている。
編集の人に聞いてみる。
鍋「カジカジの取材で、こういうおケイコ物って珍しくないですか」
編「春ですから、新しい事を始めようって事で。」
6ページの特集を組む内の、私の所は1/4ページ。2-3cm角の写真が2-3枚ってな感じだという。

M氏がコーヒーを入れてくれた。みなさんで一服、ちょっと落ちついたところでライターさんからの質問。
ラ「鍋男さんの演奏活動は?」
鍋「ソロでもやりますし、人のバンドに乱入したり。もちろん自分のバンドもありますし、ギターの彼(M氏に目をやって)と2人でやるとかね」

ラ「お二人はながいんですか?」



この時になぜライターさんはM氏に向かって聞いたのか、




M「. . . .いっしょに住みはじめてですか」






ちょー、まって!!





あー、びっくりした。この人ほっといたら、何言うかわからへんわ。


終始こんな感じで、ほんとになごやかな雰囲気の中、楽しい取材でした。


M氏ホモネタはやめよーね。本気にするおばかさんがいるんだから。
取材陣がみんなわかってくれる人で良かったよ。

Kansai Street Style magazine 'Cazi Cazi'
4月号は3.12.発売
ちょぴっと載ってます。

ギターレッスンについてはこちら



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アサヒファミリー - 2002年02月14日(木)

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お知らせ:ちょっとまとめてUpしたので、一度indexの方も見て下さいね。
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 アサヒファミリーさんから連絡があり、先日受けた教室の取材が載る版の、発行日を聞いた。

 アサヒファミリーの関西版の取材を受けたのは、先週の話。生徒さんのレッスンのある時に、記者さんに来ていただいて、取材を受けた。次々に生徒さんが来る合間の取材だったので、あまり時間が取れず、ちゃんと意図が伝わっているか心配だった。

 私の教室で楽しくレッスンを受けている生徒さんの事を、うまく書いていただいている。記者さん、ありがとう。
 阪神、北摂の地域の方、ほとんど全ての方のお宅に配達されるアサヒファミリー。この日記を読まずとも、記事を見て下さる人も多いと思う。
 3月にかけて何かと忙しくなりそうだ。

アサヒファミリー2月22日号に掲載。
早い地域では、2月20日ごろから配布が始まるとのことです。
お見のがしなく。


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取材心得 - 2002年02月13日(水)

 取材をする人の心得みたいだな。取材を受ける側の心得です。

 通常、新聞社などの原稿は、発行前に外部の人間の目に触れることはない。
 テレビ、ラジオならまだ自分が話したことなので、極端に情報がネジ曲がることがない。それでも、プロデューサーの意図通りの言葉をピックアップして、編集されれば、「変なことを言う私」をブラウン管で見てしまう可能性は、ないとは言えない。幸い今までひどい目に会ったことはなかったです。これは「さいわい」なのだろうと思う。

 活字はさらに怖い。記者の言葉で書くからだ。それは私の言葉ではなくなっていることもある。どちらにしろ、メディアというものは、嘘をつかないという事を前提に、見聞きされているものだから、出す情報に少しでも歪みがないように気を使っている。

 スティールパンを演奏し始めの頃から、幾度となく新聞の取材を受けた。最初のうちの記者さんの「あたり」が良かったのだろう。みなさん、とてもいい記事を書いて下さった。


 そんなことにもある程度慣れたころ、ある大手新聞社の依頼でお話をさせてもらったときの事だった。
 「セミプロといわれる方たちと一緒にやって、自分の考えてる音が、その時のメンバーではどうしても出ない。たまたま高校の先輩や同級生とセッションしたときに、いとも簡単にその音が出てしまった。今まで、ぜんぜん気にしてなかったところに、人材がいた。それからはいい音を出すために、彼等とやることにしています。」という話をした。
 記事になっているのをみたら、「同級生や先輩と組んでる仲良しバンド」という表現になっていた。前半のわたしの苦悩はまったく書かれていない。もうすでに演奏で稼いでいたので、こういう書き方をされるとほんとうに困ってしまう。アマチュアスピリットにあふれた演奏を売りにしている、悪く言えば、下手でも仲良しでやってるから、応援してね、ギャラはなくても演奏できればどこでも行きます、というバンドにとられかねない。
 それ以来、それこそ肩書きで信用せず、大手だろうが、なんだろうが、できるだけ、一度目を通すことにさせてもらっている。無理なときは取材自体をお断りする。それが仕事だといういい勉強になった。


 楽器に関して言えば、もっとシビアになってしまう。
 例えば「シングルテナーパンは、28音の音域を持つ」という文章があったとしよう。僕のスティールパンは28音だが、実際には29音のものも多い。30音あるものもある。そこで、記事に書いてもらうときには、字数制限もあるので、「約2オクターブ」「2オクターブあまり」という表現にしてもらう。
 重箱の隅をつつくような話だけれど、まだまだ目にする機会の少ない楽器なので、活字にするときは慎重にしたい。そこを記者さんにどれだけ解ってもらうかが、一番大事だ。 

 私の文章は、「だいたい」とか「ほとんど」とか、どうも曖昧さを残して、歯切れが悪いと、自分でも感じている。これは、自分自身のこと以外は明確に表現することを避けているからだ。ある意味「逃げ」ているのだけれど、きっちりとした取材をするためには、時間が必要。書くのが本職でないので、ある程度は許していただきたい。
 それでも、日記なり私のWebSiteの方でおかしな記述、表現がありましたら、遠慮なく、私、鍋男までご連絡をいただけるとありがたく思います。


 もとい。
 「月刊 廃棄物」という業界紙の取材を受けた時は大変だった。リサイクルと環境保護に力を入れている彼等の中では、「ゴミ」「再生」という言葉は非常に大きなキーワードだ。注目するあまりに、美しくとらえすぎるきらいがあった。
 タイトルがすごい。「カリブで生まれたゴミ楽器」だったかな。40ポイントはあろうかというでかい字で、「ゴミ楽器」だ。これはまいった。
 「ゴミである使用済みのドラム缶から、こんなに美しい音色の楽器が再生されている。まるで魔法のようだ」というような事をいいたかったのだと思う。
 しかし、記事を読まず、タイトルだけを見ると、「役に立たない楽器」と解釈できる事、っていうか、普通そう読むだろって事に気付かない。「ゴミ」という言葉のイメージが業界内で美化されているのだろうか。
 ちなみにこの時の記者の方はボランティアの方で、職業記者の方と同じようには考えていません。あくまで例として。
 最初から校正をさせてもらう条件で取材を受けたのだけれど、Faxのやりとりを10回あまりしなければ、いけないという、誠に手間のかかることになってしまった。で、私もボランティアだしね。

 もひとつ、ちなみに、特殊な例をのぞいて、テレビでも新聞でも、ほとんどの取材では、ギャラは発生しません。出演依頼と取材の依頼は、まったく別物ととして扱われます。



 もともと、どんな記事でも、記者の主観も多少入っていると思って読むんだけど、こういう経験があると、どうも深読みをしてしまう。それもそれで厄介だ。何事もやりすぎはいけませんね。


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FM Kyoto「Groove Strut」 イカルス - 2002年02月11日(月)



朝から京都へαステーションの収録。

先日、一緒にセッションさせてもらったバンドのベーシストが、イカルスというバンドをやっている。イカルスがやっているラジオ番組に「出演して」との話で、ゲストとしてお話しをしに行って来ました。
α-stationは京都FMの事。大阪でもちょっと入りにくめ、なんだけど、京都の営業の時は、車の中でいつもこのチャンネルに合わせています。選曲がlovelyでDJが元気。FMはこうでなきゃ。


イカルスのバンドのメンバー、みなさんいい人で、打ち合わせから非常になごやかに進行。久々のメディアで、少々緊張気味の鍋男も、「おまかせしてしまえ」という大船の乗客気分になってからは、終始リラックス。

収録は、ライブの時に録音していたSteel Powerの音から始まって、スティールパンについてのトーク。
で、鍋男のオリジナル曲をソロで演奏して、収録終了。

「お疲れさーん」てなわけで、お茶飲みながら、ちょっとよた話。今度は私が話を聞かせてもらう。ストリートでのドラマーさんの楽器の話とか、高校の運動会でドラム缶で応援合戦をした話とか、そっちの話のほうが、わたし的にはおもしろかったです。

打ち合わせから最後まで、約3時間くらいかな。いっぱい喋ってきました。実際の収録時間は15分。




お昼過ぎにビルを出たら、雪がはらはら。小さめの軽い雪だ。今日は寒い。空気は乾いていて、ぴりっとした寒さ。どうも上品な感じがする。
こういう雪が見れると、京都に来た実感が湧いて良い。

雪の中をドライブするのは大好きだ。前から飛んできた雪が、フロントガラスをすり抜けるようにして、横に、そして後ろに流れていく。その中を突き進んでいく感じが気持ちいい。

お昼を食べて、名神で帰ってくる途中、ぼた雪になり、西宮に着いた時にはべちゃっとした空気になっていた。ま、わたしの街はこんな感じかな。京都よりあたたかい所に住んでいるんだから、楽でいいよ、と思いながらも、あのめりはりの激しさに少し憧れたりもする。



FM Kyoto 89.4 MHz
毎週水曜 深夜2時から
「Groove Strut」/ DJ : イカルス
私の出演分は、2月20日の放送です。

もし京都のαステーションが入る地域の方は聴いてみてみて。

icurus HP

Kyoto FM αステーション HP



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いい顔 - 2002年02月09日(土)

 オリンピックが始まったらしい。スポーツはあんまし興味がなくて、あーソルトレイクってアメリカの都市だったんだ、てな程度の認識しかない私です。すいません。
 誰かが言ってたのは「鍋男がスポーツしないのは、勝敗がつくのが嫌いなんじゃないのか」正解かもね。勝った負けたに一喜一憂するのはめんどくさい。
 体動かすのは嫌いじゃないのよ。冬はスキーするし、夏はプールでだらだら泳ぐの大好きです。でも人より速く泳げても、嬉しくない。負けた人が悔しい思いするのがどーもね。基本的にそんなだから、あんまり人に勝つことはありませんが。

深夜テレビはつけっぱなしの鍋男なので、こういうイベントがあるとにぎやかでいい。

女子モーグルの予選をやっている。点数が出て悔しい顔も、嬉しい顔もかっこいい。がんばってる人はかっこいいね。

「努力をしない奴は馬鹿だ」と言ったのは、夏目漱石先生。昨日の今日で、きつい言葉ですが。努力をする前からあきらめてしまっている人は、もったいない、ぐらいでもいいんだろうけど、先生はあえてきつい言葉を選んだのだろう。
 浦沢直樹氏の「マスターキートン」では、人は「勉強するために生まれてきた」という。勉強、努力、同じ言葉だ。
 死ぬまでいろんな事を考え、なにがしかを努力し、できるだけ満足を得ようして、生きていく。毎日努力するのは、やっぱり大変だし、もちろんどっかで怠けてたりする。
 がんばっている人を見るのは、勇気がでる。

 ついこの間までマイナーだったスポーツでがんばってた人が、でかいステージでふんばってるのを見ると、良かったねぇと思う。がんばれよ、と思う。モーグル女子って、確か、日本も強いよね。いい線行くんだろうな。100%の実力を発揮して、悔いのないものになりますように。

 裏番組で立松和平氏が仏の教えについて話している。(鍋男はカチャカチャマンだ。常にリモコンを持ってチャンネルを変えながら見てしまう。)この人もしゃにむにがんばってきた人だ。違う種類だけど、いい顔してる。また勇気をもらう。

 今日はたくさんの勇気をいただきました。


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悪口いわないで - 2002年02月07日(木)

 たまに音楽をやっている人で、平気で人の悪口や陰口をいう人がいる。それに対して頭から反発しているあるミュージシャンがいた。「あ、この人は正解だ」と本能的に思えた。

それは「悪口」というほどひどいものでもなく、第三者に対するグチ話というか、ちょっとした笑い話。「そいつがもう、めちゃめちゃ頭悪くて」とか「なんでそこまで俺が言われなあかんのよ」という程度の話だった。話している人は、いいミュージシャンだったし、話がおもしろかった。さらに私もそういった類の話はよくするので、私は笑っていたんだけど、その人は「もうそれ以上ひどい口きかんといて(言わないで)」という態度でうんざりしていた。

言葉に対してナーバスになるのは、ある程度必要なことだと思う。


言霊という言葉がある。口に出した言葉は魂を持つという事。まともに考えると、もちろんおかしな話だけれど、こう考えると解りやすいかも知れない。例えば....

あなたの友人が最近落ち込んでいて、会うたびに愚痴る。励まし、笑わし、元気づけて別れても、次に会ったら、また同じ事の繰り返し。そのうち、共通の友人の陰口や批判まで出てきた。あなたはあまり気分が良くないだろう。あんまり続くとその友人とのつきあい方を考える。

たとえ心でどう思っていようと、多少態度で示そうと、言葉に出すと出さないでは大きな違いがある。友人Aが、友人Bの陰口をたたいていた、という事は、口に出したとたん事実になる。それはAの中でだけの事実だったものから、あなたという現実の第三者をとおした途端、社会性を持ってしまう。

あなたがもともと、AとBの仲が悪いことを知っていても、Bも友人である限り、あからさまに「嫌い」という言葉を聞くと傷つくだろう。
そして、あなたが傷ついていることに気がついていないAに対して、少なからず反感を持つ。こういった小さい亀裂から、友人関係が壊れる事だってある。



私ができるだけ人の悪口、陰口、批判をしないようにこころがけているのは、言った自分自身が落ち込むからだ。「You gotta mail」という映画の中で、メグ・ライアンがこんなふうなことを言っていた。

今までここぞというときに
相手をやりこめる言葉が出てこなくて、
寝る前になって
ああ言ってやれば良かった、
こう言ってやれば良かったって思って、くやしくて。
こないだある人とケンカした時は違った。
「言ってやった」ってあとで思い出してもすっきりするくらい。
気持ちいいだろうなって今まで憧れていたのに、
なんてひどいことを言ったんだろうって、一人で落ち込んで。
最悪の気分。


言い得て妙だ。
自分で言っても、横で聞いていても、ののしりの言葉は気分が悪い。
人をおとしめる様な悪い言葉ばっかり使っていると、自分をどんどんおとしめているような気分になる。それで笑いを取るくらいなら、自分でぼけて笑ってもらった方がよっぽど気が楽だ。「鍋男はアホやなぁ」ってのは私にとっては一番気楽な言葉だ。それを見てて「鍋男はほんとにアホなんだ」と思う人も実際いるんだけど、そんな頭の回らない人は相手にしないことにしている。

あ、しもた。プチ落ち込み。


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