心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2013年07月23日(火) 日本アルコール関連問題学会岐阜大会の印象(その1)

日本アルコール関連問題学会の岐阜大会に出席してきました。2日間の会場にいたのに、分科会やシンポジウムにまったく参加しませんでした。学会と呼ばれる場所には何度も行っていますが、こんなことは初めてです。唯一出たのが、昼食を確保するために聞いた認知症のランチョンセミナーだけでした。「いったいお前は何をしに行ってるんだ?」と言われそうですが、自分が学ぶためではなくAAの広報活動で行ったわけです。

前回に続いて今回もポスター発表を行いました。これは2001年から2010年の4回のメンバーシップ・サーヴェイの結果を比較したものです。これによって、この9年間で女性メンバーの比率が増加を続けていること(20%→27%)。女性の増加は全国7地域すべてで起きていること。また、収入の手段とソブラエティの長さの関係を見ることで、酒を飲まない期間が長くなるにつれて生活保護の比率が減っていく(つまり経済的自立を成し遂げていく)様子が分かりました。興味をお持ちの方はJSOにお問い合わせいただければ資料が得られると思います。この他、資料の配付やAA書籍の販売など、JSOスタッフや地元のAAメンバーが活躍されていました。

分科会やシンポジウムを聞かなくても、会場の中で人と接しているだけで分かってくることはいくつかあります。今回の大会では大きなトピックが3つありました。ひとつは、アル法ネットが取り組んでいる「アルコール健康障害対策基本法」の制定について。もう一つは、レグテクト(アカンプロサートカルシウム)の登場です。

アカンプロサートについては、服用するだけで飲酒欲求を抑える効果があるということで、発売前には「抗酒剤(ノックビンやシアナマイド)が過去のものになる」とか、「AAや断酒会が不要になる」などと言う人もいましたが、実際発売されてみると現場へのインパクトはあまりない様子です。その理由のひとつは、久里浜での治験で有意な差が出たとしているものの、それは従来の手法に追加して使った結果だからです。エフェクトサイズもそれほど大きくはないので、抗酒剤と併用するのが良いという医師もいました。このクスリがAAや断酒会の存在意義を否定するわけではなさそうです。

3つのトピックの最後は「飲酒量低減という治療目標」です。むしろこちらのほうが、AAや断酒会に与えるインパクトは大きいでしょう。実は一緒に参加した妻の気分が悪くなってしまい、救護室で横になって休む脇に付き添っていました。救護室はメインホールの楽屋が使われており、小さなテレビでメインホールの様子が中継されていました。スライドの内容は分かりませんが、音声だけ聞こえていました。

飲酒量低減というのは、ひらたく言うと「節酒」です。日本のアルコール依存症治療では、治療の目標は言うまでもなく「完全断酒」です。AAも断酒会も断酒を目標として掲げています。個人的経験からしても、アルコホーリクが節酒することは無理です。

しかし、世界的にも、歴史的にも、アルコール依存症の治療目標は断酒とは限らず、節酒も節酒の選択肢のひとつになっています。日本でもここ2〜3年ぐらい、節酒を選択肢のひとつにしたらどうか、という定言がされるようになってきました(その発信源は久里浜だという気がしますが)。

WHOの疫学調査で、20カ国でアルコール依存・乱用で治療が必要な人と実際に治療を受けている人の比率(treatment gap)を見たところ、78%が未治療だったそうです。これは調査対象となった8種類の疾患の中で一番悪い数字です。

The treatment gap in mental health care
http://www.who.int/bulletin/volumes/82/11/en/858.pdf

つまりアルコール依存(乱用)の人のうち8割近くが治療を受けていないということです。日本でも厚生労働省の研究班の調査で、アルコール依存症者(IDC-10の診断基準を満たす人)は80万人と見積もられていますが、一方の患者調査によれば実際に治療を受けている人は5万人に過ぎません。

80万人のうち75万人は治療を受けていない、つまり日本にも大量の未治療者が存在しているということです。彼らはなぜ治療を受けないのか。それには様々な理由がありますが、主な理由は「アルコール依存症者は断酒を嫌がる」ということです。治療側が断酒という目標だけを提示すると、彼らは治療を中断してしまい、未治療の状態に戻ってしまいます。

ひとつには中間的な目標として節酒を掲げるということがあります。これによって治療を受け入れやすくなることが期待されます。シンポジストの一人は飲酒量の低減が肝機能を向上させることを示していました。現在治療を受けている5万人は、重篤な(つまり重症の)アルコール依存症者が多いがゆえに、断酒という治療を目標を選ばざるを得ません。しかし、もうすこし軽症の人であれば、節酒を中間目標にした上で、最終的に断酒へと導いたほうが良い結果が得られるかもしれません。

さらには、あまり診断基準を多く満たさない人であれば、節酒を最終目標に掲げることもあり得るということです。実際飲酒量を低減させることにより、安定した緩解にいたる人もいる、というエビデンスも揃いつつあるそうです。軽症なら節酒も可ということか。

「渇望現象によって飲酒量のコントロールが不能になるのがアルコホーリクだ」というAAの考え方からすれば、長期に渡って節酒が可能だなんて信じられないかもしれません。僕の考えでは、操作的な診断基準の下では違う病気の人が混じってきている可能性も十分あるはずです。ジェリネク博士はアルコホーリクをいくつかにタイプ分けしましたが、その中でγ型(AAが本物のアルコホーリクと呼ぶもの)が多くを占めているのでしょうが、それ以外のタイプもあり得るし、中には飲酒のコントロールを回復する人がいる可能性は否定できません。(つまりアルコホリズムとアルコール依存症は違うということ)。

今後、断酒という治療目標だけでなく、中間目標としてあるいは最終目標として節酒を掲げることが日本でも広がる可能性は十分にあります。実際にすでにそれは始まっています(いくつかの医療機関で飲酒量低減という目標の治療が始まっているという報告がありました)。

日本のAAでは「アルコール依存症には重症も軽症もない」と言われます(他の国のAAでも同じことを言うのか知りませんが)。これは軽症だから節酒が可能というわけではなく、断酒するしかないことを説明するための言葉ですが、医療が節酒を指導するようになれば前提が崩れてしまいます。

新しい仲間が、私たちの生き方に何の喜びも楽しみも見つけられなければ、彼らは私たちのように生きることを望むはずがない。(p.192)

AAメンバーが、単に「酒を飲まない」以上の魅力を発信できなければ、新しい人たちがAAに魅力を感じてくれることはないでしょう。AAは特に重症の人たちが酒をやめるためにやむなく参加するところ、として扱われるようになるかもしれません。

「飲んでいた頃のひどい自分を正直に語ることで酒が止まり続けるんだ」とか言っていても、そんなやり方には魅力を感じてもらえないでしょう。また、「仲間の中で荷物(嫌な感情)を吐き出すことでスッキリするためのミーティング」にも魅力を感じてもらえないでしょう。なぜなら、節酒を目標にすることができるのであれば、飲める選択肢を選ぶのがアルコホーリクだからです。

12ステップを通じて得た新しい生き方の魅力を発信することで、「古い生き方のまま酒を飲み続けるよりも、新しい生き方を選んだ方が良いかも」と新しい人に思わせることができないと、AAは徐々に衰退し、忘れ去られていくでしょう。これからのAAは量だけでなく、質も追求していかなければならないのだと思います。

大会のプログラムとは関係なく、会場内の雑談でアカンプロサートの次の薬「ナルメフェン」について耳に挟みました。製薬会社のルンドベックだそうです。ネットで検索してみると、確かにルンドベックが nalmefene(商品名Selincro、セリンクロ)という薬をヨーロッパで4月から launch したとあります。

Lundbeck introduces Selincro as the first and only medicine for the reduction of alcohol consumption in alcohol dependent patients
http://investor.lundbeck.com/releasedetail.cfm?ReleaseID=757998

アカンプロサートが断酒を前提とした薬であったのに対し、ナルメフェンは飲酒量低減(節酒)のための薬です。大量飲酒者が酒を飲む1〜2時間前に1錠飲むと飲酒量が抑制される、という使い方をするらしい(つまり頓服薬だね)。そう遠くない将来に日本でも治験が始まるでしょう。そして、有効性が確認されれば市場に投入されるはずです。それを待ち望んでいる人は少なくないはずです。

僕は占い師ではないので未来を予測はできませんが、2010年代は日本のアルコール医療が断酒から節酒へと舵を切る時代になるのかもしれません。そうなったらAAも影響を受けざるを得ないでしょう。時代の潮流は変えようがありませんが、その潮の流れの中でAAという船はどちらを目指すべきか。ミーティング偏重を脱し、12ステップを通じた新しい生き方の魅力を備えていくしかないと思います。恐竜と同じで、環境の変化に対応できないものは死滅するしかないのですから。

印象(その2)はまたいずれ。

(ナムルフェン→ナルメフェンと訂正しました)


2013年07月16日(火) 口からの回復、耳からの回復

Box 4-5-9 というアメリカのAAのGSOが出しているニューズレターの夏号が発行され、AAメンバー数の推計が掲載されています。

Box 4-5-9 - News and Notes from G.S.O.
http://www.alcoholics-anonymous.org/subpage.cfm?page=27

それによると、今年(2013年)1月1日時点でのアメリカのAAメンバー数は129万5千人あまりと推定されています。日本のAAはアメリカほど綿密な推計手段を持ちませんが、国内のAAメンバー数をざっくり5千人と見積もっています。

アメリカのAAメンバー数は日本の約260倍です。(ただし、人口も日本の約2.5倍なので、AAメンバーの密度としては日本の100倍ぐらいと考えてください)。

そんなアメリカに行かせてもらう機会がありました。AAミーティングにも3回出席できたので、その印象をこの雑記でお伝えしたいと思います。

最初の二つのミーティングは、いわゆるAAの「クラブハウス」で開かれていました。これはAAメンバーの有志がAAとは別に財団などを作って建物を借り(あるいは買い)、それをAA向けに会場として貸し出すものです。財団はAAとは別なので、AAグループは会場費を払って部屋を借ります。アメリカにはこうしたクラブハウスがたくさんあるようで、ネットで alano club という単語を検索するとたくさんヒットします。

僕が訪れたクラブは大きなもので、2階に300人ぐらい入る大きな部屋と、その他小さな部屋が幾つか。ジュースを飲みながら雑談するコーナーや、AAやアラノンのグッズを売るショップもありました。毎日、朝・昼・晩、それぞれ2回ずつAAもしくはアラノンのミーティングがあり、この他にAAの委員会もそこで行われています。

最初の晩のミーティングはスケジュール表には Open Speaker と表示されていましたが、中身はビッグブックのスタディミーティング(勉強会)で、講師役の二人のメンバーがホワイトボードに図を描きながらステップ1を説明していました。ミーティング終了後にそのホワイトボードを撮影した写真がこちらです。

http://www.ieji.org/dilemma/2013/07/aa-613.html

Physical Allergy(身体のアレルギー)とMental Obsession(精神の強迫観念)というステップ1を理解する上で重要な二つの概念が解説されています。これは Joe and Charlie に出てくる図と同じですが、ドーン・ファームの研修資料の中にも同じものがあったので、おそらくポピュラーなものになっているのでしょう。

このミーティングの参加者数は(正確に数えたわけじゃありませんが)250人ぐらいでした。この会場のある都市は人口20万人ぐらいで、AA地区のホームページを見てみると、この市内で約40のAAグループが活動し、毎晩10個ほどのミーティングが開かれています。僕は日本で人口20万人ぐらいの地方都市に住んでいますが、AAグループがひとつ、ミーティングは週に1回あるだけです(それでも恵まれている方でしょう)。彼我の差を感じざるを得ません。

日本でのAAミーティングは「言いっぱなし、聞きっぱなし」と呼ばれるスタイルが主流です。いや主流というか、これ以外のスタイルのAAミーティングなんてあり得ないと信じられています。アメリカでこれに相当するものは discussion ミーティングでしょう。アメリカのいろいろな地区のミーティング一覧を見ると、やはり discussion ミーティングが一番多いのですが、その他に study ミーティングもそれなりの数が存在しています。中には、discussion ミーティングをやっていないグループすらあります。

日本のAAメンバーも、ミーティングは「言いっぱなし、聞きっぱなし」しかあり得ない、という固定観念を打ち破るべきなのでしょう。各グループが、それぞれにアイデアを出し、新しいやり方を試していって欲しいと思います。

さて、翌晩に参加したミーティングも同じ会場でした。こちらは普通のディスカッションミーティングで、中身は12ステップの話でした。参加者数は70人ほど。司会者が話す人を指名していくやり方で、僕も「日本から来た」ということで指名されたので、とても拙い英語で2分ほど分かち合いました。

次の晩は、別の州の人口40万人ほどの都市に移動しました。こちらのセントラルオフィスのサイトで調べてみると、その町ではその晩に約25ヶ所でAAミーティングが開かれていることが判りました。その中でホテルから一番近い会場に行くことにしました。教会のホールに200人ほどが集まっていましたが、ミーティングが始まると半分ぐらいが外に出て行きました。どうやら喫煙者は屋外のテラスでミーティングをするようです。

こちらも普通のディスカッションミーティングでしたが、司会者が指名するのではなく、前の人が話を終えて沈黙が訪れると、誰かが名乗って話し始めるというスタイルでした。(日本だとNAでこういうスタイルが多く、AAの僕のホームグループもこのやり方です)。

日本に戻ってアメリカでAAミーティングに参加した経験を話すと、いろんな質問を受けます。みんなアメリカでのAAのやり方に関心があるのでしょう。その中に、

「ミーティングにそんなにたくさんの参加者がいたら、話す機会が与えられないでしょう」

という心配をされている人がいました。確かに、60分あるいは90分のミーティングで話ができる人はせいぜい10人か15人ほどです。僕が出たのは、アメリカにごまんとあるAAミーティングのうち3つにすぎません。日本みたいに人数の少ない会場もたくさんあるでしょう。けれど、アメリカのAAメンバー密度が日本の100倍である事を考えると、どれほどたくさんのミーティングがあっても、多くの会場に「話す機会を与えられない人」が存在するに違いありません。

話す機会が与えられないことへの心配は、裏返せば、「ミーティングで話すことが回復をもたらす」という考えに基づいています。確かに、ミーティングで話すことは回復の役に立ちます。だからこそ、日本のAAミーティングの司会者は、ミーティング参加者全員に話す機会が与えられるように腐心し、長い話をして時間を独占するメンバーに内心イライラを募らせています。

話すことは回復に大きな力を与えます。その力が大きいために、多くの人たちが、ミーティングで話すことがAAプログラムの中心だと思ってしまいます。ミーティングはAA活動の柱のひとつではあるものの、それだけでは個人に回復をもたらせるものではありません。AAにおける回復は、スポンサーとの一対一の関係の中で12ステップに取り組むことが中心です。

ビッグブックの「第三版に寄せて」には、

(AAの)核心はいたって簡単であり、個人を主体にしたものである。
its core it remains simple and personal.

という文があります。1976年にビッグブックの第3版を入稿する際に、わざわざこの文章を追加した理由は何なのか。それはAAプログラムが集団によるミーティングによるものだという考えに対して、むしろ個人的に12ステップに取り組むのがAAプログラムである、という主張をAA流に控えめに表現したものだ、という意見があります。僕も同じ考えです。

「ミーティングで話すことによって回復する」という考え方は日本のAAに深く根付いています。しかし、それにこだわると、100人以上のミーティング会場で話す機会が与えられない人は回復できないことになってしまいます。しかし、アメリカのAA会場で人数の多さを心配している人は見かけませんでした。以前に聞いた話では、あちらではAAに加わった後、1年、2年経ってもまだミーティングで話したことがない人がたくさんいるそうです。

ミーティングで話すことは回復に寄与するでしょう。しかし、AAにおける回復は、スポンサーとの一対一の関係の中で個人的に12ステップに取り組むことでもたらされます。話すことにこだわりすぎると、AAプログラムを歪めることになるのではないかと心配します。

先のBox 4-5-9を見ると、アメリカではAAメンバー数130万人に対して、グループ数が6万弱です。メンバーシップサーヴェイによればホームグループを持つ人の割合は86%だそうですので、それも勘案して概算すれば、1グループ当たりのメンバー数は約19人です。

日本ではホームグループを持っている人の割合は8割台と変わりません。しかし約5千人のメンバーに対してグループが580もあります。1グループ当たりのメンバー数は約7人になります。

日米で倍以上違うのはなぜか。その理由がはっきり確かめられたわけではありませんが、最近懸念事項として挙げられているのは「AAグループの分裂」です。ある程度グループが成長して人数が増えてくると、グループを出て別のグループを立ち上げる人が多いのです。それは必ずしも悪いことではありません。新しいグループの誕生によってミーティング会場が増えますから。

しかし常に数人のメンバーでグループを維持すると、一人ひとりにグループ運営の負担が重くのしかかります。負担を背負ってくれる人の少なさを嘆く声はよく耳にしますが、じゃあグループを大きくして一人当たりの負担を減らそうという考えはなかなか無いようです。自己犠牲による献身には限界があるのに。

僕がAAにつながった頃に比べてAAグループの数は倍近くになりました。じゃあメンバー数も倍になったかというと、(正確なデータはないものの)倍にはなっていないでしょう。つまり1グループ当たりの平均メンバー数は減少したということです。実はオフィスや委員会のサービスはグループに対してのものが多いので、コストはメンバー数の増加に応じて増えるのではなく、グループ数に増加に応じて増えます。ところが、オフィスや委員会への献金額は概ねメンバー数に比例すると考えられます。次第に台所事情が苦しくなるということです。グループのメンバー数が少ないままに、グループ数ばかりが増えていくのはAA全体にとって決して好ましいことではありません。

なぜグループを分割して少ない人数を維持しようとするのか。その動機は、「ミーティングで話すことによって回復する」という考え方に基づいているのではないかと思います。グループのメンバー数が多くなってくると、ミーティングで話すチャンスを失う人が増えてきます。そこで、グループを分割する考えが生まれるのでしょう。

しかし、そのやり方は日本のAAを非効率なままにしておくやり方ではないでしょうか。そろそろ僕らはさなぎが脱皮するように「ミーティングで話すことによって回復する」という考えから脱皮して、スポンサーシップによる個人の12ステップを重視する時期に来ているのではないでしょうか。それは、決してミーティングを捨てるという意味ではなく、ミーティングというひとつのエンジンによる片肺飛行の不安定な時期を終え、ミーティングとスポンサーシップという双発エンジンで上昇して大空へ羽ばたくべきでないか、ということです。

よくビギナーの人が「私はAAの皆さんのように上手にしゃべれないから、AAは私には合いません」と言います。AAミーティングは弁論大会でもないし、アナウンサーの養成講座でもありません。話すことはAAプログラムの核心とは違います。話すことよりむしろ「聞くこと」を重視すべきです。話さなくても良いから聞くだけでミーティングに通い続ければ、きっと回復へのチャンスがつかめるでしょう。

あるメンバーが言っていました。神様は私たちに口をひとつ、耳を二つ与えた。それは私たちがしゃべるよりも耳を傾けることを大切にしろということだと。


2013年07月10日(水) AAを自助グループと呼ばない

このサイト(http://www.ieji.org/)のタイトルは「心の家路」で、「〜アルコール依存症からの回復と自助グループの勧め〜」という副題がついています。これはこのサイトを始めた2002年当時の僕が、AAは自助グループだと考えていたことが反映されています。

現在の僕は「AAを自助グループと呼ぶべきではない」と考えています。なぜそういう考えに至ったのか、という説明が必要でしょう。

自助という言葉は、英語のセルフヘルプ(self help)の翻訳です。間にハイフンの入った self-help という言葉は19世紀に登場したそうです。これは法律の用語で、民法では「自力救済」、刑法では「自救行為」と訳されます。これは自分の力で権利の内容を実現することです。

例えば僕の財布から金が盗まれたとしましょう。犯人と金のありかが分かっていれば、僕は自分でその金を取り返すことができます。これを自力救済と呼びます。現代の法律では原則として自力救済は禁止されています。というのは、自力救済の実力行使を代行する民間組織(ヤ○ザとか)がはびこってしまうからです。現代では、法律で定められた手続きに従って国家権力(裁判所など)に代行してもらわねばなりません。

もちろん必要な範囲内で自力救済をすることは認められており、例えばお兄ちゃんが買った今週のヤングジャンプを弟が自分の部屋に持っていってしまった場合、いちいち裁判所を使わなくてもお兄ちゃんは自力でヤンジャンを取り戻してかまわないわけです。

ともあれ、self-helpとは自力で問題を解決することを指しました。一般用語となってもその趣旨は変わりません。例えば英語版の wikipedia を見ると self help をこう定義しています。

http://en.wikipedia.org/wiki/Self-help

Self-help, or self-improvement, is a self-guided improvement -- economically, intellectually, or emotionally -- often with a substantial psychological basis. Many different self-help groupings exist and each has its own focus, techniques, associated beliefs, proponents and in some cases, leaders.

セルフヘルプ(自己改善)とは、自律による経済・知力・感情の改善であり、その多くは心理学的な知見を伴っている。セルフヘルプは様々にグループ分けできるが、それぞれに独自の対象・技法・関連する信仰・主唱者・(時には)指導者を持つ。

オンラインのMerriam-Websterを引くと、

http://www.merriam-webster.com/dictionary/self%20help

Definition of SELF-HELP
the action or process of bettering oneself or overcoming one's problems without the aid of others; especially : the coping with one's personal or emotional problems without professional help

他者の助けを借りずに自己を改善あるいは自分の抱えている問題に克服すること。特に、職業家の手助けなしに、個人的・感情的な問題をうまく処理することを指す。

つまりセルフヘルプとは、他者の手助けを得ずに自律的に自力で問題に対処していくことを指しています。おそらく現代の日本語でそのニュアンスを最も的確に示している言葉は「自己啓発」ではないでしょうか。

セルフヘルプ=自己啓発

さて、セルフヘルプを日本語に訳すときには「自助」の言葉が当てられます。自助という言葉を調べていくと、必ず登場してくる言葉が、

「天は自ら助くる者を助く」

という中村正直(なかむらまさなお)の言葉です。19世紀の英国の作家サミュエル・スマイルズの"Self-Help"の翻訳である『西国立志編』(別題「自助論」)の序文に出てくる言葉です。『西国立志編』は福沢諭吉の『學問ノスヽメ』と並ぶ明治時代のベストセラーです。その内容は、欧米の様々な人物の成功談です。
日本語の辞書で「自助」を調べてみましょう(Yahoo!辞書)。

(大辞泉)他人の力によらず、自分の力だけで事を成し遂げること。
(大辞林)他の力に依存せず、独力で事をなすこと。

つまり「自助」とは人の力を頼らずに自力で成し遂げることであり、スマイルズの自助論はそれを美談として取り上げた本です。

セルフヘルプにしても自助にしても、その語義の中心に「人の手助けを受けないで」という意味があります。ところが、自助グループというのは人から手助けを受けるために参加する場所です。確かに、自助グループは行政主導ではないし、職業的専門家から指導を受けるわけでもありません。けれど、それは人を頼らず、人から手助けを受けないという意味ではなく、むしろその逆、積極的にお互いに助け合う場です。

セルフヘルプグループは「互助会」と訳した方が良かったのでしょう。英語でも mutual help/mutual aid group という名前が使われています。「相互援助グループ」「相互支援グループ」と訳されます。

自助という言葉は誤解を生みやすく、AAを指して自助グループという言葉を使うのは適切とは言えません。

もうひとつ誤解を挙げます。自助グループは共通した問題を抱えた人の集まりとして説明されることがよくあります。AAの序文にも「共通の問題」という言葉が出てきます。

しかしながら、ビッグブックの第二章の冒頭にはこうあります。

「同じ苦しみを味わったということは、私たちを結び合わせる強力な接着剤の一つではあるが、それだけでは、いまの私たちのようには決してなれなかっただろう。私たち一人一人にとっての偉大な事実は、私たちが共通の解決方法を見つけたということにある」

共通の問題を抱えている人が集まってもAAにはなりません。AAミーティングは、ある人は問題をこのように解決した、別の人は別の方法で解決した・・という分かち合いをする場所ではなく、全員が同じ解決方法を共有している集まりです。そして、その方法が12ステップなのです。

自助グループ(self-help group)とは何かがはっきり定義されているわけではありませんが、共通の問題を抱えた人の集まりである事は意識されていても、ひとつの解決方法を参加者全員が共有することを目指していることはあまり意識されていません。AAはそうですが、自助グループは必ずしもそうではない。

だから、やはりAAを示すのに自助グループという言葉は使わないほうが良いのです。

実のところAAは自らを自助グループだと定義したことはないし、AAはself-help groupだと表明したことはありません。アメリカのGSOや常任理事会の出した文書を総ざらえして調べたわけじゃありませんが、おそらく無いでしょう。

AAをself-help group(自助グループ)に分類したのはAA外の人たちのしたことです。その影響を受けてAAメンバーがAAのことを自助グループだと思い、AAは自助グループだという情報を発信したことはいくらでもあったことでしょう(このサイトのタイトルにもまだ含まれているし)。日本のJSOなり理事会の発した文書に自助グループという言葉が含まれていたことがありました。今は、自助グループという言葉は使うことを避けるようにしています(取り締まっているわけじゃありませんよ)。

(注:AAはセルフ・サポートという言葉は使っています。ただしこれは、伝統7にある経済的な自立を示す言葉です。AAはAAメンバーからの献金のみを受け取り、他から寄付や助成金を受け取りません。そのことを指してself-supportと言っています)。

大切なことは、AAはお互いに助け合う場所だということです。

先月アメリカに行く機会があり、三晩連続でAAミーティングにも出席しました。ミーティングの前後には、たくさんの人が僕に声をかけてくれました。「日本から来たのか。ステップはやっているのか。スポンサーはいるのか」と声をかけてくれました。「なんだったら俺がスポンサーをやってやろうか」という勢いです。数ヶ月前までホームレスをしていて今も正業があるか怪しい若い黒人がそう言うのです。明日には僕は日本に帰っちゃうのにね。それはともかく、AAへ来たことを歓迎する気持ちと、「俺はお前の手助けがしたいんだ」という闇雲で暑苦しいほどの熱意は感じました。その熱意こそが、アメリカのAAを140万人の大所帯にした原動力の一つに違いありません。

あなたもAAに加われば、他の人の手助けをすることが求められるでしょう。けれど、他の人を手助けするには、まず自分がこころよく他の誰かから手助けを受ける(つまり誰かにスポンサーになってもらう)ことが不可欠です。そして、してもらったことを、誰か他の人にしてあげれば良いのです(そのようにして共通の解決方法が手渡されていきます)。

AAは他からの助けを得ずに自分で自分を助ける場所ではありません。私たちはAAでお互いに助け合っているのです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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