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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年05月31日(木) 釜飯の店 仕事で遅くなったときは、外で食事をして帰ることにしています。
ところが遅くなると、営業している飲食店の数が減ってきます。9時までの店、10時まで、11時まで、夜半まで、とだんだん店が閉まっていき、「いつも同じところはヤだ」とわがままを言っていると、夕食難民になってしまいます。仕方ないので、勇気を持って新規開拓に挑むときもあります。
昨夜も300円ぐらいのうどんを食わせる店に寄ろうと思ったのですが、問題はその前の版も別の店でうどんを食べたことです。二日連続でうどんはどうよ? と思っていると、「和めしや右折300m」という看板が目に入ったので、迷わず右のウィンカーを出していました。
その店は釜飯屋らしく、店の外には釜飯のディスプレイがありました。中へ入ると店員が席を案内してくれ、そして渡されたメニューは完全なる居酒屋メニューでした。外の掲示はランチタイム用で、夜はより収益率の高い酒家をやっているわけですね。僕は夕食を食べに来たのであって、酒を飲み来たわけじゃありません。
そこで席を立って出て行ってもいっこうに構わないとと思うのですが、もう頭の中は湯気を上げる釜飯でいっぱいです。居酒屋で飯を食って何が悪いというのだ。
何とかメニューの中から釜飯を見つけ出してオーダーすると、米から炊くので20分はかかると言われました。観念してソフトドリンクと焼き鳥5本を頼んで、時間をつぶすことになりました。
周囲を見渡すと、若い男女の二人連ればかりです。僕が通された席も二人席でした。向かい合わせじゃなくて、並んで座るベンチシートです。照明は薄暗く、隣の席とはすだれで区切られていて・・・。まあデートにはいいところでしょうな。
居酒屋も、飲酒運転対策としてソフトドリンクのメニューを充実させるところが多くなって、飲まない人にとってはありがたいことです。
かに釜飯はおいしかったのですが、すでに焼き鳥も食べていたので、1/3も食べたところでお腹いっぱいになってしまいました。鰹だしの汁をかけてお茶漬けにするとおいしいと言われたのでもう1/3食べ、迷ったあげくに残りの1/3も食べてしまいました。食い過ぎです。
おいしかったけれど、夕食に二千円はかかりすぎでした。
2007年05月30日(水) 予備の原稿 スポーツの審判は人間がやるものであり、人間がやるからこそ不完全であります。
僕はスポーツはしませんが、見るのは好きであり、見ているだけならルールがどんなに複雑でもかまいはしません。たとえばサッカーのオフサイドは、ハーフウェイラインより向こう側だけに適用されますが、ラグビーのオフサイドは場所を限定しません。しかも複数のオフサイドルールがあって、どれを適用するか刻々と変わっていきます。
たとえばオフサイドをして相手にキックを与えてしまったとします。相手がキックするときは、最低10m離れてないと後のプレーに参加できません(なので走って後退する)。間髪与えずにキックすればオフサイド・プレーヤーを沢山作ることができます。けれどキックする側は、蹴った地点より前にいた選手は全員オフサイド、蹴ったボールを敵がキャッチするとこちらもキャッチより前にいる選手は全員オフサイドとなります。はたしてプレーに参加できるのは誰と誰?
脳みそまで筋肉で出来ているんじゃないか(失礼)といういかつい男たちが、瞬時に冷静な判断をしてゲームを組み立てていくところがラグビーの魅力だと思っています。
でもプレーヤーは15×2=30人もいて、レフェリーは一人です。10mといったって線が引いてあるわけじゃなし、一方を見ていれば頭の後ろは見えません。密集していれば、反対側で何が起きていてもレフェリーには見えません(観客には見える)。それはどうするのか?
「見えないものは仕方ないじゃん」とでも言いましょうか。観客にいくら見えていても関係ないのです。レフェリーという限界あるものを信頼して、敬意を払っていくのがラグビーであり、間違いがあるのが当たり前なのであります。
アメリカンフットボール(NFL)には「チャレンジ」というビデオ判定を要求できるルールがあります。判定に不服があればコーチが赤いフラッグをフィールドに投げ入れ、主審がビデオをチェックして再判定をします。ただしチャレンジして判定が覆らなければ、3回あるタイムアウトの権利のうち1回を没収されます。時間との勝負であるアメフトで、時計を止める権利を失うことがどれほどの損失か。
チャレンジが吉と出るか凶と出るか、観客もどきどきしながら結果を待てるわけです。
イギリス人のジェントルマン性、アメリカ人の合理主義と申しましょうか。
日本のプロ野球でもビデオ判定を導入しようという動きがあります。でもチャレンジ失敗の時にどんなペナルティがよいのか(観客が楽しめるのか)となると、難しいですね。
2007年05月29日(火) だから僕も許して AAの仲間は許さなければならない、と言います。
鼻で笑われようが、頭をひっぱたかれようが、陰口をたたかれようが、デマを流されようが、金を返してくれなかろうが、秘密をバラされようが、ともかく許さねばならないと言います。
なぜ許さなければならないのか、AAの仲間だからです。
許さないのは憎んでいるということです。憎んでいる相手と一緒の空間にいてリラックスできる人はいないでしょう。むしろどっと疲れて、嫌な気分になります。同じミーティングに参加する仲間を恨んでしまえば、ミーティングに行くのが嫌になります。嫌になれば行かなくなるし、行かなくなれば飲んでしまうし、飲んでしまえば死んでしまうのです。憎しみはAAメンバーを殺すのです。嘘だと思うなら、試してみればよろしい。
憎んでいないと強がってみても、相手を強烈に意識している行動に嘘はつけません。相手に弱みを見せないよう、いつも緊張してないといけません。相手を避けようとすれば、自分の行動範囲が自然に狭くなり、この地上で安心できる場所がどんどん減って、最後は部屋にこもって酒でも飲むしかなくなります。
避けたところで、相手はこの世から消えてくれません。
だから許すしかありません。
何もAAに限りませんね。仕事で言えば、同じ職場の人でも、取引先の人でも、憎んでしまえば、その人と一緒にいるのが苦痛になり、仕事が嫌になります。家庭でも、家族の誰かを嫌ってしまえば、家にいるのが苦痛になります。自分で自分を生きづらくしているだけなのに、そういう人に限って「自分以外の誰か」を悪者にしたがります。
人に限らず、社会的なしきたりや制度も、憎しみの対象になり得ます。たとえば会社組織そのものとか、借りた金は返すという契約とか、田舎の濃密な人間関係とか、精神病院とか。そのことを思い出すたびに、心の平和はなくなってしまいます。その人に言わせれば「正当な怒り」なんでしょうけど。
ステップ4で作る表には、この憎んでいる(怒っている)相手や仕組みを書いていきます。相手が人間であれば「この人と二人きりになったら落ち着かない」という名前をリストアップしていけば、まず間違いありません。制度であれば逃れたいと思うもの。ともかくそれをやれば、いろんなことを憎んで、いろんな場所を居心地悪くしている張本人は、他ならぬ自分自身だということが、少しは分かるはずです。
じゃあそれをどうするかは、あとのステップの話です。
「最近どこそこの掲示板の居心地が悪い」という話も聞きますが、掲示板というのはニュートラルなものです。単にそこの誰かを憎むか嫌うかすることで、居心地悪く感じるように自分をし向けているだけなんです。
ほんとに相手が悪いと思うなら、そういう人に近寄らない方がいいのですが、わざわざ近寄るのは自傷行為か恋でしょうね。
2007年05月28日(月) 日々日記 朝起きると若干めまいがして、高速道路を運転するのには不安が残ったので、フレックス出勤の制度を利用して、午後から出社しました。
中国の方から何やらが舞ってくるとかで、ここのところ空気が悪かったのですが、今日は空も心を入れ替えたように良い天気で、山の残雪が鮮明に見えました。いままで気がつかなかったのですが、僕の住んでいるところからも中央アルプスが見えるようです。見えないと思いこんでいたのですが、今日はそちらの方向の緑の山の上に、白い頂が確かに少しのぞいていました。あれは、経ヶ岳あるいは駒ヶ岳の山頂に違いありません。南アルプスは北半分が見えます。
いつもと同じ速度で走っていたのですが、どんどん追い越されていきます。スピードを出したくなる気持ちはよく分かります。気持ちがいい。確かにこんな良い天気の日に、蛍光灯の下で仕事だなんて実にばかばかしい。
で、そのばかばかしいことを夜9時過ぎまでやっていました。遅く行きましたから、遅くならないと帰れません。別に一日の中で労働時間のつじつまを合わせる必要はないんですが、電話のかかってこない夜の方が仕事がはかどります。
途中で食事をして帰るとすでに11時近く。
そんな時間でも子供が起きていて、夜食を作れと言うので、焼きそばを作りました。
キャベツを洗って切手大に切り、ウィンナーも切り、中華鍋を温めて油を引いている間に蒸し麺を電子レンジで温め、麺を鍋に放り込んで水を少しかけ、炒めて水分が飛んだところでソースを加え、強火で少し再度炒めておしまい。
今日は見なかったけれど、だいたい毎晩子供の宿題を見ています。「キロは千だから0が三つだな。だから、小数点がみっつ、ぴょんぴょんぴょんと移動して、これでメートルになる」そんな具合です。
パソコンの前に座る頃には日付が変わっていて、メールの処理などをして、この雑記を書いている今は午前1時半です。まだ、明日の準備に多少かかります。正直、明日もお昼から出て行きたいのですが、あまりそれをやると「ちょっとちょっと」と呼び出しを食らうので、明日は決められた時間に行こうと思います。
こういう感じで関わる人間が少ない生活をしています。電話の向こうの顧客は、いつもせっぱ詰まっていますが、それが人間関係・・・なのかなぁ。明日から量産なのにまだ動かねーと言っているお客さんに、今日は諦めて帰りましょうよと言えるようになりたいものです。
というふうに、日記にしてみたところで、僕の生活はあまり面白くはないんですよ。
AAがなければ、会社と自宅の往復の生活でしょうね。仕事人間でない僕には、それではあまりにもつまらないだろうと思います。
2007年05月27日(日) 予備の原稿 松坂の投げる試合をTVで見ていたら、対戦するあるメジャーリーガーのことをアナウンサーが「彼は日本に来た時に、六本木で踊って、秋葉原で買い物をしたんだそうです」と紹介していました。高給取りの野球選手が、秋葉原でメイド・イン・ジャパンの家電製品を買い求めたのかどうかはわかりません。
メイド・イン・ジャパンは日本の工業製品の品質の高さを示す言葉です。昨今では市場が安い他国の製品に市場を席巻されているおかげで、「高いけれど日本製だから壊れないよ」という売り文句へと変化してしまった感じがします。性能やコンセプトの面では、すでに韓国メーカーに追いつかれ、追い越されている(部分もある、米国市場とか)んですが、信頼性についてはまだ若干のリードがあるように思います。
しかし50年前、いや70年前には、メイド・イン・ジャパンは「粗悪品」の代名詞でした。当時の日本は工業化が進んでいたものの、基本的には安い労働力を武器に、安かろう悪かろうの工業製品を輸出する国だったのです。また、取引相手としても、日本人は信頼できない油断のできない相手と評価されがちでした。金を払った後、日本からの積み荷を開けてみたら、中には石しか入っていなかった・・・なんて話もあって、まあこれは都市伝説の類ですが、日本のイメージの一端を現しているように思います。
そう言う状況を変えたのは、戦後登場した経営者たちであるとか、あるいはプロジェクトXみたいな燃える男たちであるとか、そういう方向には話を持っていきません。
世界大戦後に日本を占領したのは事実上アメリカでした。
彼らは財閥を解体し、労働運動を奨励しました。富の集中や貧富の差を解消しようと試みたのでした。その目的が「民主平等」ばかりであったかどうか、それは怪しいところです。
戦争の荒廃によってさらに貧しくなった日本人が、その安さを武器に粗悪品を乱造して輸出し、それがアメリカ市場に流入してアメリカの産業が打撃を受ける・・・そういうシナリオを避けたい動機もあったでしょう。結果、常に賃金上昇の圧力にさらされた日本企業には、安さではなく品質を武器にするしか道がなかっとも言えます。アメリカの思惑は当たり、戦後日本では中間所得層が形成され、それはアメリカから輸出された製品の購買層としても成長していきました。
日本の野球選手も質が良くなって、メジャーリーグに輸出できる時代になったわけですな。僕は天の邪鬼なのか、若貴時代よりも、外国人が増えたいまの大相撲の方が面白いと思います。
2007年05月26日(土) 心療内科が消える? ひさしぶりにのニュース検索をチューニングしました。
ほったらかしだったので、Googleニュース検索しか機能していませんでした。でもあんまり不都合を感じなかったのは、それだけGoogleニュースが強力ということでしょう。
作業後は再び、毎日・朝日・日刊ゲンダイ・Yahoo!ニュース・Livedoorニュースが探せるようになりました。さらに読売と産経を加えました。
引っかかる記事数が増えて、このページが妙に長くなってしまいました。ページ容量の大きさに皆さんが不便を感じるようでしたら、このページの下は新着記事だけにして、アルコール・薬物・摂食・ギャンブルは別ページにしようかとも思います。
ご感想をお寄せください。
さて本題。
厚生労働省が、医療機関が標榜できる診療科名を38から26に整理することを決めた、とニュースがありました。整理される科名の中には、神経科や心療内科もあります。これらは(おそらく)精神科に統一されるのでしょう。
そもそも心療内科というのは、たとえばストレスが原因の胃潰瘍とか高血圧のような「もっぱら身体に症状が出る」人を治療するためのものでした。神経症やうつ病の人も身体に症状が出るのですが、そういう人は心療内科ではなく精神科に行くことになります。
人はストレスを辛いと感じるものです。少なくとも感情として「嫌だな」と思うものです。その感情を押し殺していると、うつなどの精神の不調が起きてきます。それは人間として自然な反応と言えるでしょう。
でも中には、ストレスを感情で認識できず心の不調も起きない人もいて、じゃあそういう人は強い人なのかというと、今度は身体が不調になるように出来てるわけです。子供のぜんそくが、転校したとたんにすっかり治ってしまったのは、実は前の学校でいじめられていたことを親が気づいていなかった、なんて話もあります。ストレスを心で表現することが出来ず、身体で表現している人はたくさんいます。
高血圧や胃潰瘍という身体の不調を治療しても、精神的な問題を解決しなければ、効果が出ません。
だから、主に内科的な不調を治療しつつ、心の問題にも対処できる医者が配置されたのが心療内科ということでした。
精神科という名前が付くと敷居が高くてまたげない人でも、心療内科なら行く気になる場合も多いようです。自分がそれほど重症ではないと言い聞かせるために、都合の良い科名なんでしょうか。そうした患者さんに対して、心療内科側で「あなたはうつ病だから精神科へ行ってね」ときちんと断ることが出来ていれば良かったのでしょう。
しかし、精神科に行きたがらず「ここで診て欲しい」という患者を断るのは難しいようです。うつ病や神経症では、内科的な不調も出ますからなおさらです。そんなわけで、本来精神科で治療されるべき患者を専門外の内科医が診ることになり、精神科と心療内科の垣根はどこまでも低くなってしまいました。ドラマに、心の治療しかしていない心療内科医が出てくるに至っては・・・いやはや。
良質な心療内科もあるのでしょうが、多くは目指すところと現実がかけ離れているのですから、そこは合わせた方が良いと思います。診療科目の中にカッコで得意分野が書けるようになるので「内科(心身症)」というようにし、実態が精神科のところは精神科医を配置して精神科にすべきです。それが本来の心身医療のありようだと思います。
2007年05月25日(金) 10分で書く雑記(その2) 一応昨日の続きです。
昨日は第3章の話だったんで、今日は5章。
5章の冒頭に何が書いてあるかというと「本気でAAの原理に取り組みさえすれば、どんなアル中でも回復できる」とあるわけです。ところが、AAに来ても依存症から回復できない人は、現実にたくさんいるわけです。
じゃあ、そういう人は、どうして回復しないのか?
まず一つめの理由は「本気で取り組んでないから」です。酒の飲み方に問題がないと思っている人、自力で解決できると思っている人、とりあえず医者や自助グループに通ってるだけの人。そういう人はいずれまた飲むわけです。
たとえばAAの本ていうものは、難しい理屈が書いてあるわけじゃなく、具体的な手段が書かれたハウ・ツー本です。ゲームの攻略本みたいなもので、四の五の言わずに、その通りやれば生き方の問題は解決できるわけです。それを「この本は難しくてわからない。書かれたことの真意が理解できれば、私だってやってみるのに」みたいな言い訳をして、始めるのを先に延ばしているうちに、また飲んでしまう人もたくさんいます。
二番目の理由は「本気でやっているのに、どうも回復できない謎の人」です。5章では、こういう人を「自分に正直になる能力がない人」と呼んで、しかもそれは「生まれつき」だから、本人にも我々にもどうにも救いようがないと切り捨てています。
本当にこういうタイプの人がいれば、本当に可哀想な人だと思うのですが、僕は今まで二番目のタイプの人は見たことがありません。みんな一番目のタイプばかりです。
ここ書いたのはあくまで僕の解釈ですが、趣旨は外していないでしょう。
ただまあ、解決方法を持っているのはAAだけじゃありません。だから、AAのやり方が気に入らなければ、自分のやり方を試してみるなり、他をあたってみるなり、そのほうがいいかもしれません。
で、あなたがやる気になったとして、じゃあいよいよ本題の、ステップの話に入ろうか・・て感じで、文章が続いていくわけです。
というわけで、3章も、5章も、ガツンと厳しいことが書いてあるわけです。それを毎回読むことにも意味があるでしょうね。
2007年05月24日(木) 10分で書く雑記(その1) ずいぶん前の話。県内で依存症に詳しいと評判の医師が、大学病院のインターン相手にアルコール依存症の講義に招かれました。先生はテキストとして、AAのビッグ・ブック英語版の第3章冒頭をコピーして使ったそうです。なぜ英語版かというと、その文章が60年前から変わっておらず、60年経ってもその内容が「時代にそぐわなく」なったりはしないということであったと思います。科学はまだ治療法を確立できていないのです。
3章冒頭をざっくり要約すると「まともに飲めるようには二度と戻らんよ」ということであります。そのテキストを読んだ医者のたまごたちの感想は、「そんな事実を依存症の患者さんに突きつけたら、悲観して自殺しちゃいますよ」というものであったと聞きました。
僕が何年目かにビッグ・ブックを読んだときの感想は、この本に書かれている理屈は、僕の知るAAの理屈とずいぶん違っているというものでした。
たとえば当時のAAミーティングや、病院メッセージのには、あまり病気の真実を強調しない方が良いという考え方がありました。それは反感しか呼ばないと。確かに、失った飲酒のコントロールは二度と取り戻せないとか、飲み続ければ棺桶・閉鎖病棟・刑務所しか行き着くところはないと(たとえば病院で)言えば、冷ややかな無視や頑固な否認にぶち当たるのは確かです。だから、自分の経験をひたすら話すことに絞って、その経験の中から共感と気づきを得てもらうことで、徐々に相手が変わることを期待するしかないという論調がありました。
それは確かに一面の真理ではあります。しかし「俺はお前とは違う」という否認や、「ほらここが違う」違い探しにぶち当たることは避けられません。
そして経験共感主義に偏るあまり、たとえば「若い女性とじいさんの飲み方に共通する部分が少ない以上、女性が病院メッセージに参加するなんて、所詮本人のためにしかならない」という偏見を感じました。まじめにメッセージを運ぼうとする若い人や女性、合併症者に、偏ったサンプルというレッテルを貼ることになっていた気がします。
ところがビッグ・ブッグには、この病気の悲惨な側面を、余すところなく強調してかまわないと書いてあります。なぜなら私たちは、まじめに取り組みさえすれば、ほぼ全員が回復できる(12のステップという)道具を持っているわけだから、絶望させることは無責任でもなんでもない、あいまいにお茶を濁すより良いというわけです。
同時に、道具をきちんと手入れしておきさえすれば、ねーちゃんがじーさんに、親が子に回復を運ぶことも、当たり前にできることになります。
共有すべきは原理という考え方からすれば「経験の分かち合い」は、あくまで手段であって目的ではありません。
僕は「今のAAは手段が目的化してしまっている」と感じていました。手段の方が気持ちいいのはよくあることで、子供という目的よりも、それを作る手段の方が気持ちよかったりするわけです。
(たぶん、明日に続きます)
2007年05月23日(水) 会えないことの価値 今まで知らずに過ごしてきた 本当の温もりを教えてくれた人
言葉にできない想いに触れた瞬間 何もかもが変わったあの日
二人が出逢えた事 偶然なんかじゃない 求め合った奇跡
あなたは私の心を映す鏡 この世界で逢えてよかった
〜植村花菜 『キセキ』
ある人が亡くなりました。といっても親しい人ではありません。
お互いネット上で活動していたので、多少のやりとりはありましたが、交流があったと言えるほどじゃありません。そのうち機会があるかもと思っているうちに、この世を旅立たれました。どうして関与しなかったかと理由を考えてみれば、思い当たることは一つで、自分とよく似ている人だからです。
人間誰しも、鏡をのぞき込むのが怖いときがあるんじゃないでしょうか。
マット・スカダーの第何作だったか忘れましたが、主人公スカダーの知り合いのAAメンバーが死んで発見される場面が出てきます。そのあとでスカダーは「彼が死んだときに酒を飲んでいたのかどうか」にこだわって見せます。世間的に見れば、それは(死という大きな事件に比べれば)些末なことでしょうし、詮索すべきことではないのでしょう。でも、僕にはスカダーのこだわりがとてもよく分かるのです。
ネットに限らず、AAの中でも熱心に活動して存在を知られたメンバーが、知り合う機会のないまま人生を終えられてしまうことがあります。挨拶ぐらいはしたことがあったろうと思うと、以前はそれがとても残念に思えたものでした。
それは僕が、出会えたことがすばらしく、出会えないことが「残念なこと」という価値観に囚われていたからでしょう。僕が ゲシュタルトの祈り の理解に回り道をしたのも、同じ理由からです。
出会えないことが、出会えることと同じぐらい素晴らしいことだと気づくのには、かなり時間がかかりました。
一日、Windowsの修復作業ばかりしていたのですが、Office をインストールしてから Windows Update をすると、パソコンがハングしてしまう症状にずっと悩まされました。諦めてAAミーティングに行ってから帰宅すると、ちょうどそれの修正が自動配信されたところでした。歯車がかみ合わないときとは、そんなものかも。
2007年05月22日(火) 炭を焼く人 山あいの村に父の知り合いの老夫婦が住んでいる。旦那さんの職業は炭焼きだ。ただ、炭焼きが職業と言っていいのかどうか分からない。確かに山で焼いた炭を売って金銭的収入を得ているのだが、他に様々なことをしているからだ。
たとえば食べる米は何枚かの狭い田んぼから得たものだ。味噌も大豆から作る。たまごを取るためにニワトリも飼っている。炭の焼けない冬になれば、老人は散弾銃を持って山にはいるが、取ったイノシシは食べることなく業者に渡され、たまにキジ鍋を食べるぐらいだという。老夫婦が村の農協でする買い物は、塩や衣服ぐらいに限られる。
老人の焼く炭は評判が高い。と言ってもしばらく前までは、使っているのは県内の観光客相手の店ぐらいで、それほど有名ではなかったらしい。
老夫婦の息子三人は都会へ出て行って居を構え、この村へ戻る気もないらしい。もとより戻ったところで職もないだろう。だから、老人の炭焼きの技は、伝承されずに途絶えるかに思えた。だが、意外な後継者が現れた。
その青年は、以前IT関係のベンチャービジネスを手がけており、私もその社名を聞き及ぶほど成功していたが、ITバブルの崩壊によって敢えなく倒産してしまった。青年は妻子と別れ、借金取りに追われるように全国を無銭旅行で転々とするうちに、この村へ迷い込み、老夫婦の世話になったらしい。
青年の不思議なところは、そのまま居着いて炭を焼くようになったことだ。
修行の甲斐あって立派な炭焼きになった青年は、本物の炭はもっと価値があってしかるべきだと考えた。元はと言えば事業家であったのだ。師である老人は良い顔をしなかったが、青年は炭を焼く合間を縫って、師弟の焼く炭の販路を地道に拡大していった。ねばり強い営業の結果、京都の料亭や東京の焼き肉屋に使われるようになった。それが契機となり、彼らの炭は引っぱりだこになった。もとより炭の品質は良いのである。
この成功によって、再び妻子供と暮らせるのではないかと希望を持った青年だったが、そうすんなりは行かなかった。韓国や中国からの輸入炭が、より安い価格で青年の市場を奪っていったからだ。良い値で買ってくれる取引先は、細る一方だという。かといって、もとより薄利多売のために大量生産できるものでもない。青年の悩みはつきない。私が訪れた日も、青年は街の誰かに相談に行っていて不在だった。
自分で入れた茶をすすりながら、「あんらー(青年)もまだまだなぁ」と老人は私に言った。それを聞いて私は、まだまだなのは青年の炭焼きの技術かと思ってしまった。やはり代々受け継がれてきた炭焼きの技術は、数年で受け継がれ得るほど易しいものではなかったのか。そう尋ねると、
「違うせぇ、おらあの若い頃にゃ炭を買う奴なんていねぇ。皆自分で焼いたもんだ。炭を売るようになったは、ここ三十年ばかずら。炭は誰でも焼ける」
では青年には何が足りないのか。
「東京の人と同じに稼ぎたけりゃ、東京で人と同じに働けばいいずらい。ここで暮らしたけりゃぁ、ここの稼ぎに慣れなぁな。山で暮らして東京の稼ぎを欲しがりゃあ、てきなく(辛く)なるずら」
自給自足が原則の老夫婦の暮らしに、あまり現金は要らない。一番金を使うのが、子供や孫がやってくる正月の買い出しだそうだ。このときばかりは肉や魚を買うという。老夫婦は都会の息子たちから仕送りをしてもらうどころか、逆に所帯を持った息子たちに少ない年金から仕送りをしているのだ。「都会の暮らしはてーへんだから」と言って奥様が笑っていた。
遠い祖先から受け継がれてきた炭焼きの技術を目にすると、私はどうしても職人の技や、その精神性に思いをはせてしまう。だが、もとより炭は生活のために焼かれてきたものだし、この老人とて息子を都会の大学にやるために炭を焼いてきたのだ。そこで稼ぐ額も使う額も少ないと侮ってはいけない。青年の望みよりはるかに小さい額であるが、老人は炭焼きという事業を成功させ続け、なにより望むものを手に入れ続けてきたのだから。
「欲のあるもんが焼いた炭から、欲の匂いがしてな、料亭やらなにやら不味いものばかりさ」
誰に言うでもなく老人がつぶやいた。私は茶の礼を言い、奥様がくれると言った野菜を固辞して車に乗り込んだ。五月の空に、炭焼きのかすかな煙が上っていた。
・・・
今日の夕方、面倒なお客さんからの問い合わせの電話を上司がさばいていました。ちょうどそのころ、僕はまっさらなコンパクトフラッシュカードにOSをインストールする作業をしていました。MBRにブートコードが書かれていないのが問題で、悪いことにKNOPPIXもsyslinuxも歯が立ちません。
僕は早く作業を切り上げて、たまには峠の向こうのAA会場に行こうと思っていました。一方で、今日は技術担当者が僕しかおらず、僕が帰ってしまうと上司が孤立無援になることも心配していました。これが毎週出ている会場だったら、とっとと帰るんですけどね。そうするためには、それ以外の日が大事ですから。
ちょうどDOSのFDISKを使うとうまくいくことを確認し、上司を見捨てることを決意した僕は、すこし緊張感が薄れていました。
さあ、これが終われば Windows を起動して、タイムカードをついて逃げ出せる・・・と思ったのですが、なぜかパソコンの真っ暗な画面に
Missing Operating System
の文字が・・。あああ、間違ってハードディスクの Windows を削除してしまったようです。
パソコンが動かなければ何の気晴らしもない仕事場で、ひとりぼっちで Windows のインストールをしながら、気の向くままに想像(妄想とも言う)を巡らせた結果できたのが、今日の話です。だから炭焼きの青年も老夫婦も、僕の頭の中にかしかいんです。つまらないフィクションでごめんなさい。
2007年05月21日(月) 達しない欲求不満 たばこ、最初に吸ったときは、目の前が真っ暗になりました。
その次は煙いばかり。
やがて慣れてくると、吸うたびに軽い酩酊感を味わえるようになりました。
「多くの者は、その酩酊感が消えても吸い続ける」と、ラリー・ニーヴンの小説に書いてありましたが、僕もその通りになりました。
たばこでも、お酒でも、覚醒剤や麻薬でも、結構苦労して修行を積まないと「本物の依存症者」にはなれんのです。
あなたも、お酒でうまく酔えるようになるまでは、飲み方とか、時間とか、酒の種類とか、いろいろ試行錯誤や工夫をした時期があったんじゃないですか?
依存症にならず、酒をコントロールしながら楽しんでいる人でも、時には失敗して翌日の夕方までひどい二日酔いに苦しんだりします。うまく酔うのは難しいものです。
飲み続けていると、同じだけ酔うのに、よりたくさんの量が必要になります。酒が強くなったと形容されますが、その実はアルコールに対する感受性が弱くなっているだけです。この「耐性の強化」が進行するのも依存症の特徴です。望ましい酔い心地に達するまでには、よりたくさんの酒を飲まなければならなくなります。気持ちよくならなければ「飲み足りない」と感じるようになります。
しかし(脳を含めた)身体が受け付けられる酒の量には限度ってものがあり、いずれ大量飲酒による不快な症状が出てきます。たとえば、血中のアルコール濃度が上がりすぎれば、脳は覚醒していられなくなって意識を失います。つまり、酔いつぶれてしまうわけです。もうちょっと飲んでいたかったのに、気がついたら翌朝になっていて、ひどい二日酔いという経験はありませんか?
前の晩に気持ちよく酔えなかった欲求不満から、よし今夜こそは気持ちよく飲んでやろうと・・・そうやって毎晩大量に飲むわけです。晩まで待てなくなれば、連続飲酒の始まりです。
たくさん飲んでいても、実はアル中さんはちっとも気持ちよく酔えていません。薬物依存で言うところの「グッド・トリップ」は、アルコール依存でも病気の進行とともに極端に減ります。たまにしか出ない当たりを求めている点では、ギャンブル依存と似ているかも知れません。
たばこを何本吸っても酩酊感が得られなくなっても、人はなぜかたばこを吸い続けます。なぜかじゃなくて、同じ理屈ですね。
(タイトルが少々下品になったことをお詫びします)
2007年05月20日(日) 名が勝つは恥なり という言葉があったように思います。
ネットで調べてみると「實勝善也、名勝恥也」とあります。漢文ですね。「實」って何でしょうか。
それはともかく、実力より評判が高いことは恥ずかしいことなのだ、という意味だと思っています。自分の評判を高く保とうとするのがプライドならば、それは恥ずかしいことでありましょう。
だいたい評判てものは、自分ではコントロールの効かないものです。それをコントロールしようと思えば疲れてしまいます。評判を意図的に低くしようとするのも、正常な精神の働きではないんでしょう。AA風の用語で言えば「それは本当の謙虚とは違う」というわけです。
自分に価値がないと思っている人は、周囲からの評価が気になると言います。自己評価の低さを、高い評判をもらうことで消そうとするんでしょう。でもそれは、自分の内面を見つめることではなく、外から見た自分を見ているので、どんどん自分がなくなります。重い責任を果たすことで、能力のある人間だと周囲に認めさせようとすれば、すぐに疲れてしまいます。自分の必要ではなく、誰かの必要を満たすことでしか、満足を得られなくなってしまったら怖いでしょう。
評判を気にせずに、実力を育てることに集中できる人が「謙虚な人」なんでしょう。
2007年05月19日(土) 喪失 書こうか書くまいか迷ったのですが、いいや書いてしまえ。
手が冷たいからうつだとは限りませんが、うつ状態の人の手はたいてい冷たいんだそうです。握手をするとわかるという話です。
今日のAAミーティングの間、自分の手が冷たいなと感じていました。帰り道の車の中で、でも手が冷たいのは痩せたせいかもしれないと思い直しました。恐竜が巨大化したのは、体熱を保つためだそうです。サイズが2倍になれば、体重は三乗で8倍になりますが、表面積は二乗で4倍にしかなりません。体の内部で生まれる熱の量が体重に比例し、体から逃げる熱が表面積に比例するならば、体が大きい方が暖かく(暑く)なります。逆に痩せれば寒くなるとも言えます。しかし、痩せても指は縮まらないから、指の重さは二乗則か・・。
などと考えながら、夜12時までやっているディスカウントストアの駐車場に車を駐めました。今日はバースディミーティングをして頂いたので、いくつかプレゼントももらいました。でも、自分にご褒美をあげなくちゃね、というわけです。
車を駐めて気がつきました。「花の匂いがしない」。プレゼントの中には、グループの皆がお金を出し合って買ってくれた花束もあります。それを車に積んで数十分走ってきたのだから、当然花の匂いがするはずです。
でも、助手席にも後部座席にも荷室にも花束は載っていませんでした。
教会の駐車場で、自分の車に乗り込むとき、手に荷物がいっぱいだったので、花束を車の屋根の上に置いたのでした。そして、そのまま忘れて走り出してしまったわけです。僕はたまにこれをやります。屋根に乗せた荷物はいつまでも屋根にはいません。車と行動をともにしてくれるのは、せいぜい十数メートルです。せめて駐車場に落ちていてくれたら・・・。
高速道路を1x0Km/hで走って教会まで戻りました。前の道に花束が落ちているのはすぐに気がつきました。通る車がそれを避けて走るからです。でも、通りの多い道です。すでに何台の車が花束の上を通過したのか、それは悲しいほど平べったくなっていました。幼いある日、実家の裏で工事があり、前の狭い道をダンプカーが行き来していました。少年の僕はコンクリート舗装の上に、するめのように平べったくなった猫の干物を発見しました。花束を見てそれを思い出しました。道には花びらが散乱し、車が巻き上げられてさらに散らかりつつありました。花束の残骸を拾うのは胸が詰まる思いでした。
このように僕は、せっかくの人の好意を、つまらない不注意で無にしてしまうのです。つくづく、一人では生きていけない人間だと思います。
帰宅する頃には日付が変わり、ショートケーキを待っていた子供たちはもう布団の中でした。
これを書き終えたら、すこし手が温まってきました。ありがとう。ごめんなさい。
2007年05月18日(金) 検索エンジン余談 雑記のページには、ニュース検索の結果が表示されています(携帯電話の人には見えないの、ごめんなさい)。
これは、一日に何回か、検索エンジンや新聞社サイトの検索ページを使って「アルコール AND (依存 OR 中毒)」というような条件で検索した結果を表示しています。これはプログラムがやってくれるので、僕が夜中に起き出して更新しているわけじゃありません。
ただ、こちらもコンピュータープログラムですし、相手の検索エンジンだってコンピュータープログラムなので、いろいろと間抜けなことも起こります。たとえば「どこそこの経済は石油に依存している。脱却のためにトウモロコシからできるアルコールを使ったバイオ燃料うんぬん」という経済記事もひっかけてしまいます。薬物中毒といっても、薬物依存だけでなく、毒物の話だったりします。摂食障害の記事でも、拒食過食じゃなくて、固いものが飲み込めないお年寄りの話だったりします。
さて、これからは死体の話なので、そういう話に絶えられない人は読まないでください。
今日も、こんな話が引っかかっています。
死因究明なおざり 変死体解剖 わずか9%
病気以外で死んだ変死体(事故死、自殺、孤独死、原因不明など)は、検視という作業が行われ、犯罪性があれば司法解剖が、死因不明や不自然であれば行政解剖がされます。死体を解剖しちゃうなんて可哀想なのかも知れません。でも、死後の解剖は死んだ人の「最後の権利」です。
犯罪で殺されたのに事故死で片づけられちゃうとか、虐待されたお年寄りが外傷性ショックで死んだのに見落として死因が心不全になっちゃうとか。物言わぬ死体になりはてたからこそ、解剖して死因を探ってあげることが、その人の権利保護になります。
でも、日本の変死体の解剖率は数%にとどまっています。欧米では半分以上解剖されるのにです。
僕の好きな小説にパトリシア・コーンウェルの「検屍官ケイ・スカーペッタ」シリーズがあります。彼女はバージニア州の検屍官局長で、死体に関しては警察と同等以上の権限を持っています。そして検屍で得た情報を元に、冷酷な殺人犯を追いつめていったりするのが話の本筋です。サイドストーリィとして、キャリアウーマンである彼女の不適切な恋愛だとか、幼児期のトラウマだとか、彼女に思いを寄せる黒人警察官とか、FBIの捜査官とかあります。
書かれた時期が、FBI心理捜査官とか「羊たちの沈黙」の時期だったので、そういう犯人が多いこともあり、おもしろいんですが、人にはなかなか勧められないシリーズです。そして主人公ケイの、ひたすら解剖に明け暮れる日々も書かれています。
バージニア州都リッチモンドは人口わずか20万人なのに、ケイが訪れる教会にはいつもAAメンバーが集まっています。
先日テレビで、被虐待の子供の体から、虐待の痕跡を見つける方法を紹介していました。これが棒でたたかれた痕、これが首を絞められた痕と。それだけ医者でも見過ごしてしまうというわけです。日本では発覚しなかった殺人も、ずいぶんあると思いますね。
解剖されたくなかったら、酒飲んで孤独に死なないことです。
2007年05月17日(木) グリコ 今年もゴールデンウィーク明けに田植えが終わりました。
といっても実家であります。
僕は独身時代に「農家の娘と、看護婦と、女教師とは結婚しない」という方針でいました。まあ選ぶほど相手もいなかったので、そんな方針立てるだけで無駄でしたが、無事農家でない家にムコ入りして、週末の午前中むにゃむにゃ寝ていても「農作業だ」と叩き起こされることのない、平和な?生活を送っています。
それでも実家の農事には呼び出されてしまいます。
実家も父が死んだ後は、自分たちが作付けするのは自家消費用の田んぼ二枚だけで、残りは農協の代理耕作を頼んでいます。おかげでずいぶん楽になりました。
それでも秋の作業はまだきついです。コンバインで刈り取ってすぐ籾になってくれればいいんでしょうが、実家の稲刈りはバインダーで束ねて、人手ではぜかけして天日乾燥ですから。
農作業で体を動かし始めて最初の20分〜30分ぐらいは、かなりしんどいです。筋肉中のブドウ糖が消費され、供給が追いつかないので、エネルギー不足の筋肉が「休め、休め」と脳にシグナルを送ります。それでもがんばっていると、やがて肝臓からグリコーゲンの補給されるようになって、体が動くようになります。
これはチャリでサイクリングだと気取って走っているときも同様で、ともかく苦しいのにしばらく耐えていると、やがてふっと楽になって、向かい風が追い風に変わったかのような、どこまでも走って行けそうな(錯覚ですが)気分になります。もちろん、脱水症状や加熱や過負荷には気をつけないと行けませんけどね。
こういうことを毎日しているんですから、百姓の人は体が丈夫です。依存症になって、ふつうの人だったら入院しているような状態でも、平気で野良仕事をしていたりします。話がそれました。
ともかく、しんどいと思いながらも、たまに戸外で体を動かすのは気持ちがいいものです。ただ、田植えは例外で、ひたすら腰が痛くなるだけですけど。まあ、今年は雨が降らず、晴れすぎずに薄曇りで涼しくて良かった。
2007年05月16日(水) 必要とされること 人間の幸せの中には「必要とされること」が含まれていると思います。
公園の段ボールハウスにビニールシートをかけて寝ている人だとか、精神病院にずっと入院している人だとか、あるいは犯罪常習で刑務所にいる人だとか、そういう人は社会のエゴイスティックな都合によって、お互いにお互いを必要とするネットワークから締め出されているわけです。この場合の「社会」には、僕自身も、そしてこれを読んでいるあなたも含まれます。
家族の外(つまり世間)で成し遂げた功績は認めてもらいやすいものです。一方、家族の中の功績は、なかなか認めてもらえないものです。特に家事は減点法評価の対象になりやすく、ちゃんと行われているのが当たり前で、ちょっと不都合があるとぶーぶー文句を言われることになります。皿はまた汚すために洗うのです。洗濯するのもまた服を汚すため。掃除するのもまた部屋を汚すためです。きりがありません。
ただ、それは金を稼いでくる役割も同じで、使うために稼いでくるわけで、使う金が減るととたんにぶーぶー言われることになります。
いずれにせよ、誰かの必要を満たす作業は、完成することのない、終わらない作業です。
同じ考えは、職場やサークル(AAを含む)にも拡張できます。
時には、必要とされることに嫌気がさし、逃げ出したくなることもあります。それでも、今自分がいる場所が、世界中でもっとも自分が必要とされる場所であろうと思ってもいます。たいていそうなんじゃないでしょうか。
もちろん、僕のやっている役割は、他の人間でも代替可能です。でも、人間はボールペンの芯を替えるみたいに、簡単には交換できません。それが幸いして、今この場所にとどまれています。将来、必要とされることのポテンシャルが変われば、僕は他の場所に移ってしまうのかも知れません。
AAのスローガンに「私たちには、私たちを必要とする人が必要だ」というのがありますが、それは何もAAには限らないと思います。
2007年05月15日(火) 変化を嫌う おお! 楽天イーグルスが、球団創設以来初めての5連勝です。
前に勤めていた(倒産した)会社の同僚が、新しい会社に移ったと聞きました。彼は倒産の半年ほど前に会社を辞めていったので、倒産まで残っていて現在も机を並べて仕事している連中とは別の運命をたどることになりました。
ではあるものの、僕は彼の上司でしたし、彼の実力を評価していたので、なんとかその能力を生かした仕事について欲しいと願っていました。だから、彼が派遣先の地元の大きな会社から正社員雇用をオファーされたのに、むげに断った話を聞いたときには勝手なやつだと思いました。その後、転職したいという相談を受けたときには、一緒に東京の会社まで面接に行ったこともありました。
その会社が長野県に事業所を作ることになり、彼がそこのスタッフに採用されたと聞いたときには、これで前の会社のことも一段落したと、なんだかほっとしました。今は駅前のビルの一フロアにたった二人しかいない状態だそうです。
実は採用担当の人から「あなたも来ないか」と誘われたのですが、お断りしました。就職は結婚と似ていて、採用する側とされる側の両方の気分が一緒に盛り上がらないと、なかなかうまくいかないものです。
だいたい夜10時までみんな平気で仕事をしているくせに、「うちは製造業だから朝は8時15分始業の10分前には来てね」とか言われる会社では、僕はやっていく自信がありません。いくら給料が良くても、体が(心が)持ちません。
とは言っても、今の職場が格段によいかわけでもなく、今日も会社に11時間いて、帰り道の途中で食事して帰り、風呂から出たら12時をすぎていました。子供が算数の宿題を教えてもらおうと、そんな時間まで起きて待っていたりします。
それでも毎日自分の家に帰り、毎晩自分の布団で眠れるのは、すばらしいことです(まあ、いつまでもそういうわけにもいかないでしょうけど)。
僕は環境の変化を嫌う、あるいは環境の激変についていけない、よくありがちなアルコホーリクであります。
2007年05月14日(月) 神さまの親切 神さまは、アルコール依存症の回復にじゃまなものは取り除いてくれると思います。
AAのミーティング会場(あるいは断酒会場でもいいですけど)が遠いから、とても通えないという「言い訳」をする人がいます。都市部ではともかく、田舎ではよくある話です。でも同じ距離を、高校生は毎日自転車と電車と徒歩で学校に通ってたりします。通えないのじゃなくて、通いたくないのです。
JRの乗車券の他に、特急券を買ってAAミーティングに通っている人もいます。
物理的距離でどうやっても通えないパターンもありますが、いずれ住み慣れた家も、家族も失って、都市部の病院に収容されたり、生活保護でアパートで一人ぐらしになったりします。これで距離の問題は解決したわけで、神さまは本当に親切なのです。
子供の塾の送迎があるから、夕方のAAミーティングには通えないと言っているお母さんからは、いずれ神さまが回復にじゃまな子供を取り上げてしまいます。実母じゃなくても子供は育てられますから。
仕事があるから自助グループに通ってるヒマがない、と言っているサラリーマンからは、回復のじゃまになる仕事を取り上げてしまいます。家のローンがじゃまになっている人からは家ごと取り上げてしまうし、借金だけが残っても返せない借金は(当面)返す必要がなくなったりします。
こうやって神さまは、アルコール依存症の回復の障害物を、その人からどんどん取り除いてくれます。「どんどん」と言っても、結構ゆっくりペースですけど。
それでも回復を拒否すれば、最後に命を取り上げて、苦しみを終わらせてくれます。
ね、神さまって、本当に親切で、あなたのことを考えていてくれるでしょう?
2007年05月13日(日) 酒のつまみ 酒をやめても、酒のつまみみたいな食べ物は好きなままです。
たとえば柿ピー、ビーフジャーキー、さきイカ、するめ、などなど。特に最近お気に入りなのがコンビニのおつまみコーナーで、スモークチーズだとか、味付け貝とか、サラミとか、ついつい買って帰ってしまいます。ミックスナッツとか。
ホタテの貝柱は、量がちょっとしか入っていない割には300円とか400円もする高価な(?)買い物です。でもおいしいから買ってしまいます。夜食を作るときに、このホタテ貝柱を一個と、茶碗一杯のご飯を鍋に入れて煮立てると、簡単おじやのできあがりです。味が薄い場合には塩か醤油で補うと良いです。
貝柱をダシ代わりに使ってしまうのはもったいないですけどね。
缶詰の焼き鳥はあまり好きではないんですが、非常時にはおかず代わりにご飯を食べることもできます。
チーズも好きで、たまにスーパーで買ってくるのですが、一緒に飲んでいるのが甘ったるい炭酸飲料なので、どうもあいません。やっぱりワインと一緒じゃなきゃダメかなと思ってしまいます。
おやつの買い置きがなくなると、子供たちは「パパのつまみの買い置き」に手を出してしまいます。酒のつまみが好きな子供で困ったものです。何が困るかというと、パパが「さーて(コーラで)一杯やるか」と戸棚を開けると、つまみが食い尽くされていたりするからです。
2007年05月12日(土) 隅々まで管理希望 一時期、コンピューターゲームがつまらなくなった原因に、攻略本の存在が挙げられていました。ゲームの難しいところは、攻略本を読んでクリアしていけば、行き詰まりのストレスなくゲームを楽しめるというわけです。
攻略本のなかった時代、ゲームを作る上で「もっとも難しい作業」と言われたのは、ゲームの難易度を決める作業でした。簡単すぎれば買ってきて三日でクリアできてしまい、難しすぎれば人は途中で飽きてしまいます。どちらに偏っても「買って損した」と言われてしまいます。プレイヤーの技量にもばらつきがありますから、ゲームバランスを取るのは難しい作業です。
攻略本の登場によって、ゲームは難しすぎても良くなりました。困ったら本を見ればいいのですから。これで作り手もプレーヤーも楽になったものの、最後までたどり着けることを保証されたゲームからは緊張感が消えました。リスクを楽しむことがゲームの本質だと思うのですが、その余裕が人々から失われたのか、人々がゲームにまで保証を求めるようになったのか・・・。
まあ、いまでもおもしろいゲームはバランスが良いのは変わりありません。
ジェットコースターの事故で、人が亡くなったり怪我をしたりしました。そういう人は可哀想だし、運営会社の責任は厳しく問われなければならないと思います。
でも、ジェットコースターって、死ぬかも知れないから楽しいんじゃないんですか? どんな安全点検をしたって、機械は壊れるときは壊れます。機械を作るのも、操作するの人間で、時に人間は機械より信頼性が低いのです。コンピューターだって信用できないのは Windows を使っている人には身に染みているでしょう。
万全を期しても事故が起こるからスリリングであり、それもジェットコースターの楽しみの大切な要素だと思ってるんですが、ヒステリックな論調の報道を見ていると、リスクをリスクなく楽しみたい人が増えているのかな、と考えたりしました。
隅々まで配慮と管理が行き届いたスリルを、人々が求めているとしたら、レジャー施設もおいおいつまらなくなるだろうと思います。
2007年05月11日(金) パソコンネタ 突然 Internet Explorer が起動しなくなりました。
アイコンをクリックすると、ウィンドウは開くのですが、すぐにそれが閉じてしまい「セキュリティの警告」ウィンドウがでて、navcancl というファイルをダウンロードするかどうか尋ねてきます。
ウィルスやスパイウェアの検索をしてみたのですが、異常はありません。
原因不明は気持ち悪いのですが、ともかく動かないと困るので、「システムの復元」をしたら、IEが動くようになりました。
しばらく考えて、やっと原因が思いつきました。
昨日は第二水曜日。マイクロソフトから月例の Windows 修正プログラムが配布される日です。知らない間に Windows Update が動く日です。
念のため、手動で Windows Update をしてみたら、ちゃんと症状がぶり返しました。
中身を見てみると、IEの修正プログラム(KB931768)が含まれています。
KB931768 で検索すると、Temporary Internet Files を本来の場所から別の場所に移動しているとトラブルが発生するとあります。場所を元に戻して、無事問題解決。でも、二日間、暇な時間はそれにかかりっきりでした。
おかげで雑記に書くことが、そんなネタしかなくなってしまった次第です。
明日は田植え。
2007年05月08日(火) じじぃ的苦言 正常に酒を飲める方法があるとしたら、何を犠牲にしてでもその飲み方を手に入れたい、と思っていませんか? ただ、そんな方法はないと理性でわかっているので、怖くて手を出せないでいるだけなのでは? 酒をやめられて良かったと口では言いながら、本当は断酒が楽しくもなんともないのでは?
たしかに飲みたい衝動は遠ざかったかもしれません。でも、心の奥底には強烈な飲酒欲求がマグマのように溜まっているんじゃないですか? 「飲酒欲求はない」と自分に言い聞かせて、もう大丈夫だと自分を安心させたいだけじゃないですか?
アルコールはずる賢いのです。あなたの理性が弱まった瞬間を突いてきます。酒のことを忘れてガードが下がった頃に攻めてきます。欲求に理性に対抗していくなら、あなたはこの勝負を一生続けなければなりません。きっと気が緩んだところをやられちゃいますよ。そんなやり方じゃ勝ち目はありません。
依存症の人が酒を飲むのは「病気の症状」だとよく言います。逆に言えば、酒を飲まないのは対症療法でしかないんです。病気の根っこ(心の奥のマグマ)をほっといたらいけません。きちんとそれをケアしないとね。医者や自助グループはそのための存在ですから。
何も無理に医者や自助グループへ行けと言ってるんじゃありません。ただ、飲酒欲求がなくなったと自分を騙すのはやめましょう。正直になること、それが肝要です。
誰もあなたに無理矢理酒を飲ませてきた人はいません。柱に縛り付けて酒を流し込んだわけじゃありません。みんなあなたが自分の手で口へ運んで飲んできたのです。そしてその病気は治っちゃいないんです。問題から目を背けたって、問題は消えてなくなりはしません。
正常に飲めるのなら酒を飲みたいと思ってるなら、それは立派な飲酒欲求じゃないですか。
2007年05月07日(月) エッセンシャルオイル 以前、お香を焚いて「線香くさくていけねー」と嘆いていたら、エッセンシャル・オイルを使うと良いと教えて頂きました。さっそく近くのアパートへ行って、オイルと、白熱球を使ってオイルを蒸発させる道具を買ってきました。
ろうそくの熱で蒸発させる器具のほうが、風情があって良さそうですが、メンテナンスの手間や火事の危険を考慮した結果です。何せ我が家は散らかっているのですから。器具の上の凹んでいるところに、スプーン一杯の水を垂らし、オイルを2〜3滴加えて、あとは壁のコンセントに差し込むだけです。オイルは、ラベンダーベースのを選びました。
買ってきた晩に早速使ってみたんですが、娘たちが「ぎょえー臭い」と騒いだので、それっきりお蔵入りになっていました。
昨年睡眠薬の切り替えがあって、寝付きが悪く、眠りが浅く、早く目が覚めてしまうようになりました。ラベンダーの匂いには眠りの質を良くする効果があると聞いたので、再び試してみたところ、今度は娘たちも臭いとは言いませんでした(なぜだ)。
一度よく眠れるようになると、質の良い睡眠が続けて取れるのですが、精神的疲れが溜まってくると睡眠の質が悪くなって、体も心も疲れが溜まるようです。それから「疲れが溜まった」と感じた晩には、ラベンダーを焚く(?)習慣になりました。気温が高くなって蒸発量が多くなり、2〜3時間ぐらいで全蒸発してしまうようになっちゃいましたけど、ともかくぐっすり眠れています。
三月後半から心身共に下り坂で、連休明けでもあって今日はしんどい一日でした。調子の悪いときに限ってバースディMの司会を頼まれて、もごもご話をしました。好不調の波が小さくなっても、辛いときの「辛さ」は減った感じがしないものです。
またオイルを使うべき晩が来たようです。
プレゼント用にオイルとランプのセットを買ったのですが、渡す機会がなくて車の荷室に積みっぱなしです。これから夏場は高温になり、ひょっとすると高熱はオイルに良くないのかも。寝苦しい夏が来る前にと思っているんですが。
2007年05月06日(日) ググってみる。 人間のアルコール依存症は遺伝子と深く関係していることが知られています。俺はクソ親父みてーにゃ絶対ならねーと言いながら、気がつくと自分もクソ親父と同じことをしている・・・よく聞く話です。自分は酒をやめられたとしても、子供がいたり、これから作んなくちゃいけなかったりしますから、心配はやみません。
「予防は簡単です。飲まなきゃいいだけなんです」
とは有名な援助者の言葉です。
アルコール以外の依存症はどうでしょうか。朝日に覚醒剤とマウスを使った実験のことが載っていました。
覚せい剤依存に遺伝子 名城大など発見
話は変わって、「アルコール依存症」で Google 検索してみました。
先頭は Wikipedia 日本語版。この単語ではずいぶん長い間下位に低迷(?)していたウィキペディアでしたが、ついにトップに立ちました(^o^)。
2番目は二郎さんの「アルコール依存症からの回復のために」。
3番目は二年前に更新が止まったにもかかわらず上位を維持する「Good-byeアルコール依存症」。
4番目は「アルコール依存症と治療について」。これは下北沢のクリニックの先生でしょうか。
5番目がアスク(ASK)。
6番目が赤城高原ホスピタル。
7番目に「心の家路」がきています。おお! ただしホームページではなく、依存症のことをビッグ・ブックからの引用を交えて説明したコーナーですけどね。
8番目はDr林の「こころと脳の相談室」。
9番目は「Sober World」。
10番目は日経BPの「Dr.鷲崎の健康エビデンス」〜増え続けるアルコール依存症。
もちろん検索エンジンでの順位は、激しく入れ替わります。
2007年05月05日(土) 鏡の裏と表 心の家路や雑記のことを、家族は誰も知りません。
内緒にしているのは、内容の問題ではなく、「そんなもん書いているヒマがあったら、ほかのことをしろ」という叱咤が飛んでくるのが嫌だからです。
AAの仲間に雑記の存在をあまり知られていなかった頃は、「ひいらぎさん、日記読んでます」と言われたら、「あー、あれは同名の別の人が書いてるんですよ」とごまかしていたのですが、なかには「へー、長野にはひいらぎさんが二人いるんだ」と真に受ける人もいたので、今ではAA用の名刺の裏にURLを刷っています。
寺島令子というマンガ家の連載に『日常の量り売り』という題名のがありました。
さて、3週間近くオロナインを塗っても治らなかった右手甲の皮膚炎ですが、医者が出してくれたステロイド剤を塗っていたら数日でほぼ良くなりました。
話はさらに変わって、一冊本を読んだら、10回はそれをネタに雑記を書くのでありますが、今年読んだ広中直行という人の本にステロイド剤乱用の話が書いてありました。アナボリック(たんぱく同化)ステロイドは、スポーツ選手が筋力アップに使う薬で、もちろんドーピング検査対象薬です。
この薬は、もともとはエイズなどで体力が弱った人のための医薬品であったものが、乱用されているわけです。現在アメリカでは、このステロイド剤を使って「たくましい体」を手に入れようとする男性が増えているといいます。この薬は、アルコールや麻薬やカフェインのような依存を起こす薬じゃありません。ステロイド乱用は、薬物依存ではなくプロセス依存だと言えます。
薬は使わなくても、過剰なトレーニングを休めない、やめられない人も増えているといいます。
女性が「やせた体」を手に入れようとして摂食障害に至るのと、男性が「たくましい体」を手に入れようとステロイド乱用・トレーニング過剰に至るのは、鏡の裏と表の関係なんでしょう。
2007年05月04日(金) 短め テレビをつけたら、カナダの小学校のスクール・カウンセラーがしゃべっていました。
「彼らの心の傷に気づいてあげられなければ、助けになることは出来ません。そして一番大切なことは、彼らに自分を好きになってもらうことです。これは難しいことですが」
自分が嫌いな人、自分の人生が嫌いな人ばかりの集まりであるAAにいると、自分が嫌いなのがアタリマエに感じられてしまいます。自分の人生が好きならば、尊大に自慢してみる必要もないし、卑下して嘆いてみる必要もないわけです。霊的な目覚めとは、自分自身を、自分の人生を好きになることではないかと。
どうやったら好きになれるのか? 自力でやるのは難しいと思います。それが出来ているならAAにやってくることもなかったはずです。「いかなる人間的力も解決できない問題」というやつですな。
いつも長いので、今日はこのへんで。
2007年05月03日(木) 連休の過ごし方 当初の計画では、浅草に行く予定でした。
以前に東京タワーに行った際に、浅草にも回る予定だったのですが、予定がてんこ盛りすぎて消化できなかったのです。そのリトライとなるはずでしたが、妻の体調が優れないので、あっけなくキャンセルとなりました。
でも県内でどこかへ連れて行けと言われたので、小諸の懐古園に行くことにしました。浅草の retro な雰囲気と、懐古園という名前の連想です(安直すぎ?)。
ついでに軽井沢のアウトレットモールに行ってみることにしました。僕は軽井沢には二回しか行ったことがありません。一度はAAのオープンスピーカーズ、もう一度はAAメンバーの結婚式です。今回、アウトレットモールがどこにあるのかも知らなかったので、前の日のAAミーティングの後で仲間に聞いたところ、いろいろと教えてもらえました。AAばかりです。
連休の軽井沢に車で行くと大渋滞にはまる、という警告をいただいたので、小諸駅前の駐車場に車を駐めて電車で移動する計画を立てました。パーク&ライドってやつです。駅前駐車場は一日駐めても500円と、とってもリーズナブルでありました。どうして reasonable が安いという意味になるんでしょう?
駐車場に車を駐めたところで、携帯電話に着信しました。番号非通知でした。(非通知は着信拒否しているはずなのに)と怪訝に思いながら電話にでてみると・・・ガガガガというノイズの向こうに「ガサ、ゴソ」という音が聞こえます。
携帯電話にはメモリダイアル(電話帳)ってのがあります。あれに登録するには000〜499の番号を振らなくちゃなりません。自動で採番してくれるので気にしてない人もいりでしょうけど。このうち000〜009はちょっと特別です。
たいていの端末は、[0]ボタンを長押しすると000に登録した電話番号に発信し、[1]だと001の番号、[2]だと002に・・・という具合です。よくかける相手を一桁番号に登録すると便利です。
ストレート型の端末を、ロックしないでハンドバックの中に入れたりすると、中で何かに当たってボタンが長押しされ、知らない間に電話をかけてしまうことがあります。折りたたみ型でもヒンジを閉じずに入れれば同じ事が起こります。リダイアルボタンのケースもあります。
「ガサ、ゴソ」の電話は、相手が僕の番号を一桁番号に登録しているという、考えようによっては「ちょっと光栄」な事態かも知れません。でも非通知では相手が分からない・・・。聞き続ければ相手が分かったりするのでしょうが、通話料とか相手のプライバシーを考えると、そうもいきません。
改めて書くまでもありませんが「女の買い物は長い」ので、小諸に戻ってきたらもう夕方でした。懐古園の入り口まで行ってみましたが、もう閉まっていました。懐古園が本日のめーんえべんとのはずだったのに、これはどうしたことでしょう。
小諸駅前駐車場に戻ると、また非通知の電話がかかってきて、またも「ガサ、ゴソ」でした。前回より、前面のガガガというノイズが大きいような気がします。どうやら起きている現象は、ハンドバッグガサゴソ音とは違うようです。駅前駐車場特有の怪現象でしょうか。
以前は、ド○コのお店にこうした件を報告(苦情)すると、「それは悪い電波をつかんでしまったんですよ」と諭されたりしました。悪い電波って、どんな電波じゃー。他の人からも同様の体験を聞いたので、そうやって苦情をかわすマニュアルでもあったんでしょう。ともかく、今はauにも悪い電波があるってことかも。
湯多里館というお風呂に入って、食事して帰りました。ただでさえ長くなっている「行かなきゃならない場所のリスト」に、懐古園が追加されたことは確かです。
なんとか連休の家族サービスを生き延びております。
2007年05月02日(水) ステップは踏むな 皮膚科の医者にかかりました。3週間ほど前から右手の甲に湿疹のようなものができて治りません。診察の結果、真菌によるものではない(要するに水虫ではない)ものの、なんだかよく分からないという結果でした。
飲んでいる薬はあるか? と聞かれたのですが、「ない」と返事しておきました。あんな薬やこんな薬も飲んでいますが、湿疹が出るから飲むのをやめるってわけにもいきません。2週間後にも治ってなかったら、「実は」という話をすることにしましょう。とりあえずステロイド剤を塗ることになりました。
さて、AAの本の翻訳には「どうにもなじめない言葉」というのが結構あります。
その一つが「ステップを踏む」です。ビッグブックには、実はそうたくさん step という言葉が出てくるわけじゃありません。ふつうの動詞とか名詞としても使われているので、12 steps を示しているところはさらに少なくなります。
AAミーティングのはじめには、ビッグ・ブックの3章・5章の先頭をよく読みます。日本のAAではこの部分だけを抜粋した「ミーティング・ハンドブック」が多く使われているので、読む作業がなんだか儀式化している感じがします。それはともかく、5章の頭には steps we took という一説があり「私たちが踏んだステップ」と訳されています。これは旧訳から引き継がれています。おかげでスピーカーの話にも、ステップは踏んでいくものという表現が良くされます。
でも「踏む」という表現がどうかと思います。
ステップを踏むという表現は、もとは「ダンスをする」の修辞的な表現でした。step を足の運びと解釈しているわけです。12 steps のイメージをイラストに描いたものを何点か見たことがありますが、たいていは階段かはしごをイメージしており、足跡とかダンスのステップのイメージは見たことがありません。
12 steps は take もしくは work するものだと思います。どういう日本語をあてるかは難しいですが「取り組む」なんてのはどうでしょう。「私たちが取り組んできたステップ」であれば、12ステップには実作業が伴うことが想起しやすいのではないでしょうか。
ともあれ「ステップを踏む」という表現が「先ゆく仲間の足跡をたどる」というようなミスディレクションを与えているんじゃないか、ということを考えているのは僕だけじゃなさそうです。
英語なんかわからなくても、AAの本を読んでいれば変な日本語はいろいろ目につきます。印刷されちゃったものは変えられないと諦めずに、次の世代のために変だと思ったら変だという声を出していく責任があると思います。
2007年05月01日(火) てっか 皆様は、鉄火丼をどう食べるでしょうか?
鉄火丼というのは、どんぶりご飯の上に、マグロの刺身がのり、刻み海苔がふりかけてあるやつです。刺身はお醤油で食べるとおいしいものです。鉄火丼の刺身は、いちおう汁に漬けてあるようですが、僕の好みからすれば薄味で、醤油を足したくなります。豪快に上から醤油をかけて食べると楽ですが、ご飯が「お醤油ご飯」になってしまって、ちょっとしょっぱすぎます。醤油ご飯もおいしいのですが、食うに困っていた時代を思い出していけません。
小皿と醤油差しがついてくる場合もあります。刺身をいったん取り出し、小皿で醤油に浸した後にご飯と食べると、味のバランスが整います。でも、こういう食べ方なら、丼である必然性がありません。刺身を全部皿に取り出して、一つずつ醤油で食べている人を見たことがあります。だったら、刺身定食を食えばいいのに・・・。
まあ、ともかく、鉄火丼を食べる前には悩むのであります。
鉄火丼の由来は、江戸時代の賭場で賭け事をしながら食べられるように、酢飯の上に芝エビをのせた丼を作ったのが始まりとされています。鉄火とは、熱せられた鉄が赤く光る様子のことで、それで賭場のことを鉄火場と呼んだのです。
鉄火は「赤いもの、辛いもの」を指す言葉ともなり、唐辛子を使った食材や料理に鉄火の字をかぶせたりしました。
話は変わって、人間が好むような甘く大きな果物(果実)は、植物にとっては不自然な産物です。実を甘くて大きくすることは、植物にとってそれほどメリットはありません。だから、咲いた花から出来た実をすべて熟させると、小さくて渋い果実ができます。これが自然です。それでは商品にならないので、実を間引くことで、ひとつひとつに栄養を集中させて大きな果実を収穫します。
この実を間引く作業を「摘果」といい、野菜や果物を栽培する際には、ほぼ必ず行われます。摘果される実は、未熟果であることが多いのですが、農家は食べられるものは食べます。
小学生の頃、母が「てっかなす」という料理を作ってくれました。
もちろん、ナスは自宅で穫れたものでした。
子供心に「これは摘果したナスを使った料理だ」と思っていたのですが、今から思えば唐辛子を混ぜた赤みそ(鉄火みそ)を使った、ナスのピリ辛炒めだったわけであります。
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