ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年04月30日(月) 中国語版平安の祈り ご厚意により、中国語版のビッグブックと12&12が手に入りました。
AAはアメリカで始まり、AAの本も英語で書かれています。AAの国際会議での公用語は英語とスペイン語です。
AAの本は、まずヨーロッパ諸国語に翻訳されました。そこではあまり苦労はなかったようです。しかし、「横のものを縦にする」国々では大変であったと聞きます。縦にするとは縦書きのことで、中国語・韓国語・日本語のことです。
現在の日本AAの書籍には、英単語をそのままカタカナで使っている言葉がかなりあります。なかには一般になじみのない言葉をカタカナのまま使っているケースもあります。また、日本語を当てたものでも、どうもしっくりこない選択もあります。例を挙げれば spiritual → 霊的 とか。
じゃあ、何かもっとよい対案を出せと言われても、なかなか出ないものです。
そこで他の「縦にする」国々ではどういう言葉を選んでいるのか・・という興味を持ちました。ハングルは読めないが、漢字ならちょっとは読めるのです。大陸で使われている簡字体のものと、台湾香港で使われる繁字体のもの、この二つを求めました。
これについては、今後いろいろ取り上げていくつもりですが、まずは「平安の祈り」を紹介しましょう。簡字体中国語の漢字は、日本語のシフトJISコードにないものが多いので、繁字体のものだけです。
神さま、私にお与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを
私の意志ではなく、あなたの意志がかなえられますように。
上蒼、
請賜我安寧的心境接受我不能改變的事實、
請賜我勇氣改變能改變的、
並賜知慧識別的其中的差異。
按照祢的旨意而不是我的意志去做。
Got grant me
the serenity to accept the things I cannot change,
courge to change the things I can,
and wisdom to know the difference.
Thy will, not mine, be done.
2007年04月28日(土) 病気とは(異常と正常の間)その4 最終週ということで伝統のミーティングでした。伝統一。
unity を一体性と訳していますが、単一性という言葉の方が好きです。AAは世界中どこへ行ってもステップと伝統とコンセプトが同じであること。Higher Power(=神)とスポンサーと仲間という組み合わせも変わらないこと。
極東の文化の中に住む僕らが、白人のプロテスタントが考えた「神」を受け入れる必要はないけれど、「日本には日本のAAがあっていい」という考え方は、伝統の最初の一歩からはみ出しちゃっている気がします。
さて、精神科医は何を頼りに診断をしているかという話。
ある病気(たとえばうつ病)の患者と複数、継続的に関わっていると、その人たちが同じような苦しみを訴えたり、同じような行動を取ることに気づきます。そうした特徴をまとめて「病像」という言葉を使ったりします。
精神科医は、病気それぞれに対して経験から得た「病像」を持っていて、目の前の患者が、そのどの病像にうまく当てはまるかによって診断を下していると言われます。その病像は、言葉によって表現しづらいもののようです。もし仮に明確な言葉で表現できるのなら、診断をコンピューターによるエキスパートシステムで代替することも出来るのかも知れません。しかし今のところ、経験ある精神科医に勝るものはなさそうです。
考えてみれば、外科や内科その他の医者でも、担当分野の病気に対して病像を持ち、それに照らして診断していることに代わりはないのでしょう。ただ、数値化・画像化しやすい診療科と、問診に頼るしかない診療科の違いにすぎないんだと思います。
精神科の診断名ってのは変わりうるものです。最初は単極性のうつ病としたものが、躁状態が現れて双極性の躁鬱病に変更とか。統合失調症の症状が出てきて不定形精神病に変更とか。また、診断名がすべてではなく、カルテにはうつ病とか依存症と書くしかなくても、医者は人格障害に対して治療をしているのかもしれません。医学書に書いてあることよりは、毎日患者とつきあっている医者の見識のが頼りになります。
なにも医者でなくても、たとえば依存症の自助グループで、何人もの依存症者の経過や行動をみていれば、言葉では簡単に説明できなくても、頭の中にぼんやりと「アルコール依存症とはこういう病気」という病像ができてくるものじゃないでしょうか。それを言葉で表現しようとすれば、本が書けそうなくらい長くなるわけですが。
人間は一人一人違って、文字通り千差万別なのだから、依存症という言葉でひとくくりにしないでくれ、と言われることもあります。確かに正常と異常の間に線は引けないものです。だからといって、医者の診断が信用できないわけじゃありません。
病気じゃなければ病気じゃないとハッキリ言ってもらえますから、病気じゃないと思うのなら安心して精神科医にかかれば良いと思います。そうすれば本人も周囲も安心でしょう。なのに行きたがらないのは、自分で「ヤバイ」と思ってるから躊躇うのじゃないかと思います。
(この項おしまい)
2007年04月27日(金) 病気とは(異常と正常の間)その3 町沢静夫という精神科医が、こんな話を書いています。
ある時診察室を老夫婦が訪れます。奥さんの方が体の病気になってしまい、それがショックで食事が取れなくなり、寝込んでしまいました。看護をする旦那さんも大変で、眠れなくなりました。それで二人そろって精神科医にかかったわけです。
奥さんの方はうつ病と診断されます。医者が旦那さんに「あなたも眠れなくて大変ですね」と声をかけると、ご老人は「私には特別な力があるから大丈夫です」と答えます。
医者は不思議に思って「それはどういうことですか?」と尋ねると、返事はなんと「地下から私にしか聞こえない電波がやってくるんです。その電波の命令に従っていけば楽なものです」と答えます。
旦那さんは妄想型の統合失調症だったのです。
しかも、30年前の発症からそれまで治療しないままだったのです。その間も職業人として働き、3人の子供を成人まで育てていました。妄想を伴った現実と折り合って生きてこれたわけです。統合失調症の医学モデルにはぴったり当てはまるものの、医者は治療の必要がないと判断します。
なぜなら、立派に社会生活が送ってこれたのだし、本人が苦しんでいないからです。
精神科領域の病気では、本人や周囲が困っているか、いないか。それが大事になります。最初に挙げた緑内障のような病気には、数値化したり、図解できる指標がありました。でも、精神科ではそうした指標はあまりありません。
MMPI(ミネソタ多面的人格目録検査)という検査があります。550問の質問に「当てはまる・当てはまらない・どちらともいえない」で答えるやつです。入院経験のある人は、パソコン相手にこの検査をやったことがあるかもしれません。途中で「自分は神だと思う」という質問が何度も出てくる、あれです。
この検査は、人間の精神のいろんな領域を数値化してくれますが、あまり流行っているようにも思えません。僕は自分の結果を見せてもらいましたが、それで何が判断できるのかはさっぱり分かりませんでした。
じゃあ、精神科医は「誰かが苦しんでいるか」だけを尺度に、診察室で患者を相手にしているのか・・・もちろんそんなことはないそうです。医者は何を頼りに診断し、治療をしているのでしょうか。
(さらに続く)
2007年04月26日(木) 病気とは(異常と正常の間)その2 緑内障とは、視野の欠損が増えていって、やがて失明する病気です。
視野が欠けていることを本人の自覚していなくても、視野検査をすればどの部分が見えないかは分かります。それで客観的な診断が下せます。過去のデータと比べれば、病気が進行しているかどうかも分かります。
眼圧の高さも判断の手がかりになります。たとえ視野の欠損がなく、眼圧が高いだけでも、頭痛に悩まされますし、将来緑内障になる危険がありますから、治療が必要です(眼圧が低いまま進行する緑内障もあります)。
また、眼底の凹みも、眼科医がペンライトでのぞき込めば見えるそうです。
客観的な判断基準がいくつもあるのです。
緑内障という医学モデルがはっきりしていて、そのモデルに当てはまれば病気です。その人の社会的立場によって、病気の診断が左右されることはなく、一国の首相であろうが、無職の青年だろうが、緑内障になれば緑内障です。
しかし精神科の病気は、そうはいきません。医学モデルに当てはまるかどうかだけで診断するわけにはいきません。DSM-IVやIDC-10には、診断の手引きがあって「過去○ヶ月以内に下記○個の症状のうち○個があること」といった基準はあります。けれど、それだけに頼って診断する精神科医はいないでしょう。
もちろん、症状も大事ですが、その人の置かれた環境にも大きく左右されます。
たとえば大酒飲みが内臓を痛めて内科に入院するとします。たびたび入院を繰り返しても、ちっとも酒を控えることも止めることも出来ないとします。離脱症状もなく、飲む場所や時間がコントロールできていて、つまり精神的な症状があまりなかったとしても、やっぱりこの人には「酒を止める」治療が必要な依存症者です。
逆に、田舎の方へ行くと、昼間から酒を飲みながら野良仕事をしている御老人はいっぱいいます。同じ人がサラリーマンをしていたら、すぐに入院させられちゃうような状態であっても、田舎ののんびりした時間の中では、特に問題もなく暮らしていけたりするのです。こういう人を全員治療しなくては、と意気込む医者もいないでしょう。
「社会の中で(病院の外で)トラブルなく暮らしていけるかどうか」
これが、判断材料に加わります。
社会生活といっても、たいてい自分の家で過ごす時間が一番長く、次に長いのが仕事の時間でしょう。ですから、家族(次いで職場の人)が「困っているかどうか」「悩んでいるかどうか」という基準です。
(まだ明日に続きます)
2007年04月25日(水) 病気とは(異常と正常の間)その1 緑内障の治療をずっと続けています。
眼球には水が詰まっていて、その水を供給する機構と、排出する機構があります。この排出機構の方に何かの不具合があって、働きが弱くなってしまうと、目玉の中に水が過剰に溜まります。すると中の圧力が高くなり、眼底の視神経が圧迫されて死にます。
視神経が死んだ部分は、当然見えなくなるのですが、なかなかこれに気づきません。ひとつには、あまり使わない視野の端の方から壊れてくるのが理由です。いきなり視野の中央が欠けると生存に関わるので、中央部分は強くなるように進化したと言われています。
もう一つの理由は、人間の脳は視野の一部が欠けていても気づかないようです。目には盲点という見えない場所があることは学校で勉強しました。そのとき教科書に描かれた図を眺めて、初めて見えない場所があることに気づいた人も多いのではないでしょうか? 盲点は生まれたときからあったにも関わらずです。
だから、盲点よりもっと大きい視野が欠けていても、気づかないものです。
眼圧が高いときに、自分で目玉を(まぶたの上から)触ってみると、かちんこちんに堅いのが分かります。いや、そんなことをしなくても、頭痛がするので分かりますが。
頭痛の原因として、緑内障というのは多いらしいです。40歳を過ぎれば、10人に一人は緑内障なんだとか。眼底が圧迫されて凹んでいくときは、普段にも増して頭痛が激しさを増すのだそうです。周期的に激しい頭痛に悩まされるならば、眼圧を計ってもらったほうがいいかもしれません。
僕の場合には、20代に一人暮らしのアパートで飲んだくれている間に、激しい頭痛と目のかすみを経験していますから、たぶんその時に悪化したのでしょう。病気が発見されたのは、酒を止めてしばらくしてからです。眼鏡屋でめがねを作ってみたのですが、どうもよく見えない・・・眼科医でしっかり視力測定をしてもらおうと思ったら、眼圧検査で引っかかってしまいました。
放っておけばいずれ失明ですから、その点は良かったですけど。
片目をつぶり、視線を固定して、目の前でライターの火を上下左右に動かしてみると、ところどころ炎がぼやけて見える場所があります。
緑内障の話は、単なる前ふりだったのに、前ふりだけで終わってしまいました。続きは明日。
2007年04月24日(火) 花束 最近花屋で花束を買う機会が何度かありました。
AAの仲間のバースディでグループを代表して買ったり、あるいは個人的に買ったり、入院のお見舞いに切り花を持って行ったり・・・。
おかげで花屋も何軒か行きました。
花屋を探すのは、インターネットタウンページ を使っています。地図が出てくるのと、店舗によっては営業時間の案内も掲載されているので便利です。
花屋といっても様々です。女性が一人でやっている町中の小さな(ファンシーな)お店がありました。床に花の切りくずが散乱し、親方と息子と思われる二人が野太い声で迎えてくれるところもありました。夕方6時半には閉まっているやる気のない店もあれば、8時半までやっている店もありました。
花は毎日入荷しているわけではないので、入荷日に行けば希望通りの花が手に入り、翌日が入荷日という夕方に行けばちょっとおまけをしてもらえる・・かもしれません。同じ生ものであっても、スーパーの生鮮食料品とは違って、売れ残っても再加工して売るわけにも行かないし、お勤め品として半額で売るわけにもいかない、厳しい商売なのでしょう。買う方にしても、前の日に買っておくワケにもいきませんね。
予約をしないで買いに行くと、店頭で結構待たされます。
花束購入者としては初心者なので、どういう注文の仕方が良いのかはわかりませんが、最低限必要な情報は「値段・目的・受け取り日時」でしょうか。目的ってのは、相手が男か女か、お祝いかお見舞いか、というような区別です。
あとは花の種類とか色とか聞かれますが、僕は「バラとユリの区別はつくけど、ガーベラってどんな花なのか分からない」人なので、お任せしますと言って逃れています。
プレゼントというのは、相手の好みがあるので選ぶのが難しいものです。特にものが溢れるこの時代にはそうです。わずかな時間で朽ち果てる花束は、贅沢な贈り物というより、この時代に無難な贈り物なのかもしれません。
店もプロなので、千円でも(それなりに)ちゃんと見栄えのする花束を作ってくれます。だから、気軽に花束を買ってみてほしいと思います。ただ、見比べられると値段の差は明らかになってしまうので、時には見栄を張らなくてはならないときもあるかもしれません。ドライフラワーにするときは、もらった晩に吊すときれいに仕上がります。
いや別に、僕のAAバースディのときに花束をくれと言っているワケじゃありません。ケーキ予約しなくちゃ。
2007年04月23日(月) 雑記の検索キーワードから さまざまな人が、様々な検索キーワードでGoogleやYahoo!から、この雑記にたどり着きます。
「受診状況等証明書が添付できない理由書」
・・・障害年金の申請ですね。
「コンドームのはめかた」
・・・ひたすら練習しなさい。
「郵便局通帳お金引き下ろし方」
・・・今では当然のように「お金」を出し入れしているATMだが、最初はとまどうばかりだった。最初は誰かに教えてもらいたいよね。
「レーザーディスクをDVDに焼く」
・・・アナログでキャプチャして、MPEG2にエンコードして、DVDオーサリングソフトで編集してから、DVD-Rにやきやきする。DVD買った方が早い。
「SEXのやりかた」
・・・下ネタが多いな。今では当然のように出し入れしている。でも最初は誰かに教えてもらいたいよね。
「Yahooオークション 解約のやりかた」
・・・解約しない限り、毎月自動的に約300円請求されるんですね。あそこはいつもそういう商売なので気をつけないといけません。携帯電話のY!ボタンとか。
「精神科 アテンダンス」
・・・なぜかタイで性転換する話ばかり検索にひっかかります。
「パキシル 遅漏」
・・・これも下ネタ。副作用ですね。
「女性同士の嫉妬」
・・・なぜこういうキーワードでこの雑記が引っかかるのか?
「マスターベーション やりかた」
・・・やっぱり人間の興味は下半身か。これは教えてもらうものなのか? 正しいやり方ってなんだ?
雑記でコンドームのはめかたについて書けば、すごいヒット数になるかもしれないですね。長期連載になったりして。
2007年04月22日(日) 自分を責めずにステップをする 「どうして、自分を責めるんですか? 他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか」
〜アルバート・アインシュタイン
ステップ4は、自分を非難する材料を集める作業ではありません。(もちろん、他の人を非難する材料を探す場所でもありませんけど)。
ステップ10も同じです。
他の人を非難する材料を集めて、「この世の中って、やっぱり生きづらいよね」と言うための作業でもなければ、自分を非難する材料を集めて「俺ってやっぱりダメなヤツ」と落ち込むための作業でもありません。
確かにこの作業では、忘れたふりをして覆い隠しておいたイタイ事実が、いろいろ出てきてしまうのは確かです。でもその痛みに耐える修行をしているわけじゃありません。
AAのプログラムが自虐的だとか、自罰的だって思う人は、自分の欠点が見えてしまうと、自分を責めずにはいられない人なのでしょう。そりゃ誰だって人から責められればメゲるし、責められなくても自分が失敗したと分かっていれば落ち込むものです。しかし、あまり自分を責める癖が強いのも考え物です。他の人に原因を求めて責任転嫁してみたりしますが、それも自分を責めてしまう辛さから逃れるためでしょう。
人を責めるということは、その人にもっと多くを求め期待しているということです。自分を責めるのは、自分に多くを期待しているからで、返して言えば、今のままの自分ではダメだという自己否定が強いわけです。理想の自分が肥大していて、等身大でないのです。
だから、自分の本当の大きさ(自分にどれだけ期待していいか)を過去の実績から査定し、それにプラス1割ぐらいしたのを努力目標として設定する作業をします。背伸びをし続ければ疲れるけれど、達成可能な目標をクリアし続けていけば、自己肯定感も育ってくるんじゃないかと。
いちいち自分を責めながらステップをやっていたら、続かないでしょう。
自分を責めても自分は変わりません。それで変われるんだったら、とっくの昔に変われるぐらい、自分を責め続けてきたんじゃないですか?
誰も責めずにステップをするのです。
2007年04月21日(土) トレージャー+er この春から、AAグループの会計係をやっています。
ミーティングが終わったら、献金箱の中身を封筒に入れて持ち帰ります。
時々千円札が混じっていることがありますが、たいていは全部小銭です。出納帳はつけなければならないので、小銭を数えねばならないのですが、この作業はたいそう面倒です。なので、機械に数えてもらうことにしています。
最近は小さい郵便局のATMでも、小銭を扱えるようになっています。以前は、銀行も郵便局も、ATMやCDは札しか扱えなくて、金のないときなんかは「口座に800円残ってんのに下ろせないなんて〜」と恨みがましく思ったこともありました。だからって、通帳とはんこで800円下ろしにいく勇気はなかったんですけど。
話を元に戻します。小銭がじゃらじゃら言っている封筒をいくつか持って行って、ATMに自分の通帳をつっこんで「預け入れ」のボタンを押します。あとは硬貨投入口におぜぜを全部放り込んで、機械が数えてくれるのを待ちます。口座に入ったら、さらに振り込み用紙を使って、オフィスに送金します。
残額は下ろして帰ってもいいし、月末にまとめて現金化することもあります。
あとは、通帳を見ながら出納帳に転記して、おしまいです。
グループの出費は、会場費が毎月3千円。JSOとセントラルオフィスと地区に千円ずつ献金しますから、ぜんぶ合わせて6千円がグループの固定出費です。これの3ヶ月分18,000円が「慎重に設定された予備費」ってことになっていたような気がしますが、たいていどんな決めごとも、やがては忘れ去られて、新しく決め直すことが繰り返されているので、自信がありません。
グループの金を預かって、その金で酒を飲んじゃう人もたまにいます。でも、その金は返さなくてもいいと思います。だって、金がないからその金を使ったんだし、その人に任せたグループの責任だってあるんですから。だいたい律儀に返してくる人に限って、AAには戻ってこないですね(今のところ)。ステップ9の時に返せばいいでしょ。
会計係は英語で treasurer 宝物を示すトレージャーに er をつけます。
春のラウンドアップには行きません。2週間後に同じ場所へ。
2007年04月20日(金) パソコン変更 パソコンの中身を、この前買った部品に入れ替えました。
そうした作業をするときには、掃除機を用意して、筐体の中にたまった綿ぼこりを掃除することにしています。ファンで空気を循環させて冷やしているので、どうしても誇りを吸い込んで中にためてしまいます。
今回もずいぶん長いことほったらかしだったので、さぞかしほこりが大量にたまっているだろうと予想したのですが、結構きれいでした。前回からCPU周りを水冷に切り替えたので、ほかの空冷の部分が空気(とほこり)を吸い込まなくても、十分冷やせていたんじゃないかと想像します。
ソフトの入れ直しなどをしていたら、明け方になってしまいました。
さて、
「アル中の自己憐憫にはつきあいきれない」
という言葉を初めて聞いたときには、僕もちょっと腹を立ててしまいましたね。好きで嘆いているわけでもないのに、なんと無理解なことかと思ったものです。
でも今は、自己憐憫というのは、自分で選んでそうしていると分かってしまいました。だから、
「こんなはずじゃなかったのに、自分は哀れな運命の犠牲者だ」
という趣旨の話を聞いていると、好きなだけ自己憐憫に浸ればいいじゃないかと、突き放した気持ちになってしまったりもします。
だいたいそうした自己憐憫は、思わず口から出てしまった愚痴とは違って、聞いていても同情を誘う部分は少ないものだと思います。
「ひいらぎは最近辛いっていう話をしなくなったね」と言われました。ミーティングでそういう話をするのを意識的に避けていた訳じゃありませんが、言われてみればそうかも知れません。
2007年04月18日(水) 養命酒その他 養命酒ですか?
もちろん、飲んだことありますよ。
子供の頃は、ばあちゃんのミニカップに分けてもらって飲みました。
酒が切れたアル中をやっていた頃は、ボトルからコップに注いで飲んでました。実家にお歳暮お中元でもらったのが何本かあったものですから。甘ったるくて、たくさん
飲むと気持ち悪くて吐きそうになりますが、結構なアルコール濃度ですからね。
ホワイトリカーを飲むのは普通でしょう?
最近は、2.7リッターの焼酎を安く売っていたりするんで、あえてホワイトリカーを選ぶ理由はないのかもしれません。梅酒とかの果実酒を作るベースになる酒です。梅酒は焼酎で造っても良いんでしょうが、実家ではホワイトリカーでした。
そのまま飲むことは考えてないのでしょう、味のしない、アルコールの刺激臭がぷ〜んとくる液体ですよ。それを、コップに注いで、水かお湯で割って飲みました。
酢を飲んだこともありました。あまり酔いませんでした。
みりんを飲んだこともありました。こちらはそこそこのアルコール分が含まれてますから、酔えます。さすがに気持ち悪くなって毎回吐いていまうんですけど。
僕はやったことがないのですが、ヘヤトニック飲んだ人もいます。これなら病棟の仲間で持ち込んでもばれないし(本当か?)。柳屋 がうまいそうです。今のは昔と違うのですかねぇ。
ナースステーションとかには、傷口や注射あとを消毒する脱脂綿がアルコールに漬けてあるでしょう。あれを飲んでみたという人の話も聞きました。吐いたそうです。
2007年04月17日(火) 麻薬や覚せい剤(その2) <覚醒剤部門>
覚醒剤
向精神薬の一種。脳の機能を積極的に亢進させ、眠気をなくし、疲労感を軽減するほか、気分を爽快にして思考能力を促進させるなどの効果があるが、常用すれば習慣性となり、精神的依存から覚醒剤中毒に陥る。第二次世界大戦後「ヒロポン」が乱用されて社会問題となり、覚せい剤取締法によって禁止された。アンフェタミン、メタンフェタミン、およびその原料となるエフェドリンが規制されている。
アンフェタミン(amphetamine)
覚醒剤として指定されている。通称スピード。常用すると依存が形成されやすい。注意欠陥・多動性障害(ADHD)の治療薬。
メタンフェタミン(methamphetamine)
戦後の一時期にヒロポン(商標)として一般に販売されたが、その後覚醒剤に指定された。ナルコプレシーの治療薬。
エフェドリン(ephedrine)
塩酸エフェドリンは、交感神経興奮剤で気管支拡張剤の効果がある。1885年長井長義によってマオウ(麻黄)から分離された。気管支炎、風邪などに使われる普通薬。覚醒剤の原料になるために規制されている。過去ダイエット薬に含まれていたことがある。
<幻覚剤部門>
LSD
もっとも強力な幻覚剤(精神異常発現物質)。1938年にスイス人化学者アルバート・ホフマンによって最初に合成された。リセルグ酸ジエチルアミド。透明な結晶あるいは液体。内服により知覚異常や幻覚、抑うつ、統合失調症に類似の症状を呈する。アメリカでは医療用に販売された時期もあった。麻薬に指定。
メスカリン
幻覚剤。アメリカ原住民がサボテンから抽出し儀式に用いていたもの。化学合成も可能。視覚的幻覚を起こす。現在は麻薬に指定。
マジックマッシュルーム(magic mushroom)
幻覚性があるキノコ。視覚的幻覚を起こす。日本にも自生するが、栽培することは禁じられいる。ワライタケなど。
MDMA
合成麻薬。幻覚剤。海外では心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療に用いられる。麻薬に指定。依存性の検証は十分なされていないが、エクスタシーやバツの名前で密売される錠剤は、意図的に他の薬物(麻薬など)が混ぜられているものがほとんどであり、治療薬と同列に論じることはできない。
<その他>
酩酊や鎮静効果のある薬を俗にダウナー(downer)と呼び、アルコールもこの範疇に入る。逆に覚醒作用のある薬をアッパー(upper)と呼び、カフェインを含む。
鎮痛剤、催眠剤、抗不安剤、鎮静剤などの処方薬でも乱用・依存は起きており、ネットの普及を背景に違法な流通も増えている。処方薬乱用の多くはダウナー系薬物だが、メチルフェニデート(商品名リタリン)などはアッパー系である。
2007年04月16日(月) 麻薬や覚せい剤(その1) <麻薬部門>
麻薬
麻薬取締法で指定された薬物および植物。麻薬は従来 narcotic drug とよばれ、単に narcotic といえば麻酔薬のことであったが、現在では国際的に麻薬をさすようになっている。アヘンアルカロイド(アヘン・モルヒネ・コデインなど)と、コカアルカロイド(コカインなど)、合成麻薬(MDMAなど)がある。
アヘン(阿片・opium)
モルヒネなどを含む代表的な麻薬の一種。ケシ科のケシの果実の液から作る。乾燥粉末にし精製したものを吸煙する。習慣性がありやがて量を用いなければ効かなくなる。医療用にも用いるが、あへん法によって一般への売買、使用が禁止されている。
モルヒネ(morphine)
アヘンアルカロイド。1805年ドイツの薬剤師ゼルチュルナーによってアヘンから単離された。白色の結晶または粉末。鎮痛薬として医薬用に使われる。麻薬に指定。繰り返して用いることにより耐性を生ずるとともに、身体性依存および禁断現象が現れる。負傷兵の治療にも用いられ、南北戦争での使用がその後のアメリカに多くのモルヒネ中毒者を生み出し、規制政策の基礎となった。癌性疼痛の鎮痛に用いる際には、依存は形成されないとされる。
コデイン(codeine)
アヘンアルカロイド。1832年フランスの薬剤師ロビケによってアヘンから分離された。通常リン酸コデインとして医薬品に用いられる。麻薬性鎮咳剤の代表的薬物。鎮痛効果はモルヒネより弱いが鎮咳作用は強い。家庭用にも用いる。
ヘロイン(heroin)
ジアセチルモルヒネの通称。麻薬。塩酸塩は白色粉末。体内で分解されてモルヒネになる。作用はモルヒネの2〜5倍強く、持続時間は半分。国際的に製造、販売、所持、使用が厳禁され、医療用に使用することも禁止されている。
コカイン(ocaine)
南米原産のコカノキの葉に含まれるアルカロイド。塩酸コカインをモルヒネに配合して癌性疼痛の鎮痛に用いる。無色の結晶または白色粉末、無臭。毒性が強く習慣性となりやすいため、麻薬に指定。
大麻(hemp)
アサの別名タイマのこと。中東や北アフリカではハシシュ(hashish)、東南アジアなどではチャラス(charas)・バン(bhang)・ガンジャ(ganja)、アメリカではマリファナ(marijuana)と呼ばれる。作用は服用者によって個人差があるが、陶酔状態になる。アメリカでは、マリファナの喫煙は実質的に解禁状態となっているが、日本では大麻取締法によって禁止されている。
シンナー(thinner)
塗料を薄めるために使われる有機溶剤。トルエンなど。シンナー蒸気を吸引すると酩酊感がある。依存性があり、毒物及び劇物取締法によって規制されているため、蒸気の吸引は違法。通称アンパン。
(明日は後半)
2007年04月14日(土) 立ち話の中身(定年後の発病と断酒) 山梨愛宕山でのAAイベントへ。
ちょっと聞き取りにくい仲間の話を聞きながら、別の耳の悪いメンバーが話してくれた言葉を思い出しました。
「全部を聞き取ろうと思ったり、全部が聞こえて当然だと思うと心がかき乱される。聞こえなくて当然だ。聞こえるところだけ聞こえればいいと思えば楽になる」
大きな部屋の中で、みんなと一緒に座って話を聞いている時間もあるのですが、部屋の外で立ち話ばかりしている時間もあります。どんな話をしているかと言えば、たとえばこんな話です。
仕事を定年退職して、家でごろごろしていたら酒にハマってしまい、しばらくドタバタしたあとで医者にかかって「アルコール依存症です」と診断される人は結構います。病院メッセージなんかで、そうした人の話を伺うと、それまで仕事熱心にやってきたのに、毎日ぶらぶらしていたのがいけなかった、というほぼ共通のシナリオを聞かされます。でも、酒は定年前から飲んでいる人ばかりです。仕事が歯止めになって、依存症の症状が表面化するのを防いできたという感じでしょうか。
それまでの人生は「ちゃんとやってきた」という自負心が強く感じられます。
で、その後ちゃんと酒がやめられたという事例を直接知らないのです。AAにも年寄りは一杯いますが、その多くは酒をやめ続けた結果年寄りになった人です。もちろん、年寄りになってから酒をやめる人もいますが、それは仕事現役時代から酒でトラブル頻発だった人が多いのです。
まあ僕は長野の田舎にいるので、ひょっとすると都会には「定年退職→依存症発病→断酒」という経過を辿った人も多いのかも知れません。断酒会はどうでしょうか。
そういう人の話を聞いてみたいと思い、知り合いのメンバーに「そういう人を知らないか」と尋ねて回っているのですが、いままでは空振りばかりです。
ホームグループのミーティングを経由して帰宅。エクスパックでお目覚めキットが届いていました。感謝。
2007年04月13日(金) 巨人の肩に乗れ 「もし私に他の人々よりも遠くが見えたのだとしたら、それは私が巨人たちの肩に乗っていたからでしょう」
万有引力を発見したアイザック・ニュートンが語ったとされる言葉です。
先人の残した業績があったからこそ、人並み以上のことができたという率直な告白です。
「車輪の再発明」という言葉があります。人類が車輪を発明することで、ものを輸送する労力は大幅に減りました。これが偉大な発明であることは、現在でも自動車、電車、あるいは飛行機の離発着にまで車輪は使われていることからうかがい知れます。私たちは生まれた時から車輪のある社会に暮らしているので、車輪の存在をあたりまえに感じています。
ここにある天才がいたとして、彼がものの輸送を楽にする手段を発明しようと努力したとします。四角い形やら△の形やら、いろいろ試した挙げ句、なるほど円板を円周方向に転がすと摩擦が少なく、衝撃も少なくて具合が良いことを発見し、それを応用した輸送手段を作成して「リヤカー」と名づけたとします。
それは天才らしい偉大な発明家も知れませんが、車輪を再度発明したことを讃える人はいないでしょう。
なんでAAのミーティングで小難しい本を読むのか。それは巨人の肩に乗るため(先人の業績を受け取るため)です。AAの最初の数年間に、わずか100人のメンバーの手によって「スピリチュアルな原理」は完成を見ました。彼らが特別な存在だったのか、真剣さが特別だったのか、奇跡が起きたのか、単なる偶然か、それは分かりません。ともかくそれが本となって残り、また延々と伝えられて今のAAの姿があるわけです。
その原理の根本は、決してAAの専売特許ではなく、普遍のものです。
そして成長するAAグループや、回復途上の個人が、努力を重ねて霊的原理を「再発見」したとしても、それは「車輪の再発明」と同じで、その喜びは自己満足です。
行動として表面に出てくるステップは、100人いれば100通りあるでしょうが、根本の原理はひとつです。自分にあったやり方を発見することが大切で、原理を再発明しようとすれば途中で嫌になるのが普通でしょう。
2007年04月12日(木) インテリは回復しない 僕がAAにつながった頃に、「インテリは回復しない」と言われました。
現在の日本でインテリという言葉が何を示すのかは曖昧ですが、少なくと原意の intelligentsiya とはかけ離れていると思います。物知りとか知識人ぐらいの意味でしょうか。今では高校卒業者の半数近くが進学して、高等教育を受けるわけですから、石を投げれば知識人に当たるぐらいなのかも知れません。
ここでは「いろいろ知識があって、理屈で考えるのが得意」ぐらいにしておきましょう。
インテリはなぜアルコール依存症から回復しないのか?
当時言われたことは「自分の頭で考えるからだ」というものでした。今の僕は「インテリは自分の理解できる理屈で理解しようとするからだ」と考えています。逆に言えば、自分に理解できないものを拒絶するのが理由でしょう。
アルコール依存症者の脳は、飲酒以外のことへの興味関心が薄くなってきます。それは脳の状態の変化から来るものです。飲むことで抑うつが強くなって、同じ思考パターンをぐるぐるくり返すようになります。結果として、いろんな要素を公平に考えることや、自分の考えが間違っていないか点検することができなくなるので、自力で自分の考えを変える能力がなくなります。
そこでちょっと人より知識が豊富だとか、理屈に長けているぐらいじゃ、焼け石に水です。それぐらい、アルコールの長期的な影響とか、子供の頃から身につけた認知の歪みとかは大きいわけです。
ちょっと言葉は強烈ですが「狂っている」わけです。ところがインテリは、自分の論理的思考は正常だという幻想を持ってしまいがちです。それが回復しない理由でしょう。
さまざまな要素を公平に勘案して結論を出すことができないわけですから、そんな状態で自分の結論にこだわってみても前へ進めません。納得できない理屈や方法論であっても、目の前に提示された方法に身を任せていく。自分の結論が最善でないのだったら、自分で考えて結論を出すことは時間の無駄です。
僕自身は、自分をインテリだとは思っても見なかったのですが、AAの仲間たちは「邪魔になる知的プライドの持ち主」と見抜いたのでしょう。僕は、もう少し病気が進んで、自分の中の障害物が消えるまで、回復が始まらなかったわけであります。
理屈で理解しようとすれば、そこで立ち往生です。いずれ自分にも理解できる時が来る、と自分に言い聞かせて進しかありません。
2007年04月10日(火) 今日は早く寝るんです ノートパソコンを選定してくれと頼まれました。
ノートパソコンてのは、店頭で買うと、何であんなに高いんでしょう? あいや、利益率の高い(価格も高い)ものを選んで並べているのかも知れません。というわけで、直販を選ぶことにします。
条件はDVD再生と、ワードとエクセルが使えること。メーカーはデルやHPという大手ではなく、NECや富士通と言った国内のコンピューターメーカーがお好みのようです。
まずNECのLaVie。
ミドルクラスの LaVie G タイプLアドバンスドというのを選んで、適当にカスタマイズしてみます。メモリはVistaを使うので1GB、無線LANカード、外付けのフロッピー、Office Personal 2007で14万3千円。
次に富士通。
同じようにワイド液晶の BIBLO NF を選び、同じくメモリを1GBと無線LANカードとオフィスを付けます。15万3千円。割引クーポンを使えばもう少し安くなるかも。
14万円前後ということでしょうか。
あんまり見て回っていると、自分も欲しくなる危険があるので、これぐらいにしておきましょう。
ACCEPTANCE WAS THE ANSWER を収録しました。
2007年04月09日(月) どうでもいい話 記録が残っていないのですが、この前パソコンの主要部品を買い換えて、Windows XPをインストールし直したのが、確か3年前だったと思います。その一年後にマザーボードが壊れて、それだけ交換しています。
さすがにそれも、いろいろ調子が悪くなってきています。
USB関係がどうもダメで、USBメモリのドライブが消えたり現れたり、印刷中にプリンターとの接続が切れてエラーメッセージが表示されたり、スキャナーを使うために再起動が必要だったり・・・。画面のリフレッシュレートが変わらないし、リジュームが再起動になってしまうし、謎の突然再起動も頻繁です。忍耐力養成装置になっています。
お金がないので買い換えを控えているうちに、二世代も古くなってしまって、いざ買い換えようとすると、使い回しの聞く部品が少なく、高く付いてしまいました。CPU(Core 2 Duo E6300)とメモリ2GB、Intelマザー、400GBのハードディスク。総取っ替えに近いです。
そしてお金を払った直後に「ゴールデンウィーク直前にCPUが値下がり」という観測記事を読んでしまいました。どうせ届いても、交換作業に入れるのはゴールデンウィークになってからでしょうから、焦って失敗してしまいました(でも、メモリの値段は上がるかも)。
話は変わりますが、タバコのTVコマーシャルがプライムタイムから消えてずいぶん経ちます。それ以前にも「吸っているところは描写しない」という自主規制が行われていました。
ところが、ビールのコマーシャルは相変わらずその時間にやっていますし、うまそうに「ぷはー」とやっている場面だって出ます。おかげで、僕の下の娘なんか、外食に行くたびにメニューを見てビールを飲みたいとせがみます(小学生なのに!)。
どうして、飲んでいるところを描写しなければならないのか。飲んで見せなくたってビールの広告は成り立つでしょうに。自主規制する気がないのでしょう。うまそうに飲んで見せないと、広告が成り立たないとするなら、それは単なる表現の貧困です。
まあ、水着のねーちゃんが浜辺でジョッキを掲げているポスター作る業界ですからねぇ。
「かっぱっぱー、のんじゃったー」とか「トリスを飲んで」とか「つっつつびっつ、つびつばー♪」とか。そういう強烈な印象を残す酒の広告は近年ないですね。
2007年04月08日(日) 前駆症状 やっちまいました。
昨夜のAAミーティングで「明日の病院メッセージに行く?」とか人に聞いておきながら、自分のことをすっかり忘れていました。挙げ句に昼過ぎまで寝てしまい、起きてから予定表を見たら「○○○病院」と書いてあるのを見て真っ青になりました。
今から行っても間に合わないどころか、もう始まっているので、他のメンバーに連絡を取って確かめるというわけにもいきません。自分の不安をいち早く解消するためだけ、メッセージ中の仲間の携帯は鳴らしたくはありません。
結局、仲間の一人が昨日の話どおり行っていてくれていたので、僕の失敗は表には出てこなかったのですが、昨晩「一人の病院メッセージはちと辛い」なんて話をしておきながら、結果仲間にそうしてもらったのですから、さすがにメゲました。一人じゃないって良いなぁと、いろいろと感謝であります。
音声の編集をしていたのですが、夕方にWAVファイルの書き出し手順を間違えて、午後の作業を丸々ダメにしてしまいました。昨日のいくつかのミスと言い、今日のミスと言い、明らかに注意力不足、集中力不足です。
これはうつの症状のひとつですね、たぶん。ミスが増えているのは「ぼけてきた」わけではなく、注意力が散漫になって、必要な情報を見落とすので、判断が間違ってしまうのです。気持ちが沈むとか、何をやるのも面倒とか、そういう分かりやすい症状はまだ出てきていないのですが、いずれそうなる下り坂に入ったようです。
さすがに素面でうつ病をやっていると、予兆を捕まえられる(ときもある)ようになりました。
ここで、気を引き締めて、ザルのように粗くなった集中力の網目を詰め、緊張して物事に当たってミスを取り戻す・・なーんてことを考えると、下り坂どころか奈落の底に落ちていくことになります。注意力・集中力が落ちていて、能率も悪ければ、ミスも多いのが「今の自分の真正の能力」なのですから、背伸びをしないで身の丈に合わせたプランを組むしかありません。
緊張してがんばってみたところで、後でエネルギーが切れれば、周りから「がんばられるのがかえって迷惑」と言われるのがオチです。
そうは言っても納期は延びないのが困りもんですが。なんとかなりますよ、きっと。
2007年04月07日(土) 復活祭前夜 ステップ9の話ですが、できれば直接会って、借りていた金も全額揃えて返したい・・というこだわり(囚われ)があって、先へ先へと延びてしまっていました。なにしろアル中ですから、先延ばしにする口実には事欠きません。
だいたい酒をやめるのだって、明日から、来週から、来年になったらやめようと自分に言い聞かせながら飲み続けてきたのです。今飲んでいる酒を捨てて、今日離脱症状と向き合おうとは思いませんでした。
会えなければ手紙を書けば良いと、BBにも12&12にも書いてあるし、全額一度にってのは「ええかっこしい」にすぎないですね。
ミーティングに行く前に銀行に寄ってお金をおろし、ついでに最近パソコンの調子が悪いのでやむなく買った交換部品代を振り込んだら、またまた残高がトホホな状態になってしまいました。
本当は書留にしなくちゃいけないんでしょうが、仰々しくなるのを恐れて、普通の封筒に現金を入れて差し出してしまいました。いくらにしようか迷いましたが、最初に思い浮かんだ額にしました。いったんワープロで手紙を書いたのですが、少しでも努力をと思って手書きでしたためました。恋文でさえワープロで打って嫌われる僕のことですから、手書きで便せん四枚も書くのは、何十年ぶりです。
ともかく僕に今できることはこれだけで、相手がそれを受け取ってくれるか、受け取ってどんな気持ちになるか、今から心配するのはAAのプログラムの内ではないでしょう。
雨の土曜の市内は思いのほか混んでいて、仲間のバースディ・ミーティングに遅刻してしまいました。花束を買っていく約束だったのですが、あちこち寄ってみても開いている花屋はありません。まだ7時半なのに・・・。
教会の駐車場は、むちゃくちゃ混んでました。復活祭の前夜なんで信者の方がたくさん集まっていたようです。ヨソからスリッパを借りてきていたようですが、それでも足りなくなって、靴下のままで過ごしました。いつもはAAの部屋だけが明るい教会も、今夜はにぎやかです。
女性に「教会にミニスカートで来るなよ」と強い口調で言ってしまって、あとで直情径行を反省しました。まあ、男性から色目で見られるのも、自分は我慢しているのにって女性からひがまれるのも、決してプラスにはならんすよ。それに、信者の人にとっては神聖な場所なんだから・・ぶつぶつ、ちっとも反省ないですね。
なぜ今夜は右肩が痛いのか、ふと考えたらペンで手紙を書いたせいでした。明日は筋肉痛か。
2007年04月06日(金) 過程の楽しみ、結果の期待 動物実験の話です。
サルの静脈にチューブを刺し、サルがボタンを押すとコカインが注入されるようにしておきます。コカインの自己投与ににって気持ちよくなることを学習したサルは、人間の依存症と同じ状態になります。やがてサルは、1回のコカインを得るために、何千回もボタンを押す必要があっても、辛抱強くボタンを押し続けるようになります。
この話を聞くと、酒を手に入れるためなら何でもしてしまう、アル中さんの姿が浮かびます。
頃合いを見て、注入されるものをコカインから、ただの生理食塩水に変えます。サルは気持ちよくはなりません。でも、それでもサルはボタンを押すのだそうです。
断酒する代わりに、ノンアルコールのビールを飲むのはどうか?
という質問を受けることがあります。依存症になって断酒は仕方ないが、酒を飲むスタイルは失いたくないという心でしょうか。僕も試してみましたけど、だめでいたね。いずれ、ノンアルコールでないビールに変わるだけでしょう。
サルは注入されるのがコカインか、生理食塩水かは選べません。でも、人間はアルコールなしのビールと、アルコールありのビールを選べます。そこが違うでしょう。
一生懸命ボタンを押したのに、気持ちよくならない。一生懸命断酒生活をして、酒屋でノンアルコールビールを選んで買ってきたのに、気持ちよくならない。だとしたら、その結果を修正しようとするのが人間じゃないでしょうか。
酒なしでも、宴会に出るのが楽しいという人がいます。
それをずっと続けていける人がいますが、みんながそうなれるか疑わしいところです。
実はサルは何千回も無目的にボタンを押しているのではなく、10分の1押すと赤いLEDがひとつずつ点灯していく仕組みにしているんだそうです。LEDがだんだん点灯していって、やがて10個全部点灯すると・・・という過程も、サルの楽しみ(とらわれ?)になります。
酒なしの宴会を楽しむのは、過程を楽しむことです。過程を楽しむことができているならいいのでしょうが、それも点灯するLEDが増えていくのを楽しんでいるサルと同じだという可能性もあります。宴会を楽しんでいるのではなく、酔っぱらうまでの過程を楽しんでいるのかも知れません。
もしそうなら、楽しめていたはずの宴会が「どこか物足りなく」思えた時に、結果を自分で修正したくなっても不思議じゃありません。
飲まずに話をすることを、本当に楽しめるようになってから宴会に行っても、遅くないと思いますよ。
2007年04月05日(木) プロの書き手、アマの書き手 しばらく前でしたが、地方新聞の社説や、大手新聞の地方欄コラムで、他紙の記事の盗用が相次いで見つかったニュースがありました。
これらの書き手はプロですから、アマチュアの僕が分かったような事を言うのは僭越ですが、毎日欠かさず文章を書かねばならないプレッシャーは理解できます。
この雑記なんかは、毎日書いているようなふりをしながら、実は1/3は休んでいます。今日は疲れたから書くのがめんどくさいとか、忙しいとか、ネタが思いつかないとか、いろいろな理由で休んでしまっても、金を返せと言われるわけでも、上司から怒られるわけでもありません。
ただ、更新が遅ければ催促のメールが来たり、二日も休めば「嫌な予感がした」人から電話をもらったりします。そして何より、更新のないブログや日記から、人々は去っていきます。アクセスカウンターが回らなくなるのは、ちと淋しいです。だから、一応「今日も書かなくちゃ」というプレッシャーは僕にもあります。
ただ、ネタはどこかで聞いてきた話や、本で読んだ話を繰り回しているだけなので、あまり自分の頭では考えていません。仕入れたネタをすぐに書くと、いろいろと弊害も多いので、しばらく間をおいています。その間に、どんなネタも「ひいらぎ的思考」に染まってしまうのであります。
プロの人は、(情報ソースはあるにせよ)それなりに自分で考えたことを、定期的に提供しなければならないので、それは大変でしょう。だから、ついつい魔が差してもおかしくはありません。
新聞と言う単語で思い出したのですが、フランスの通信社AFPは、ニュース記事や写真をブログに引用可能にする サービス を始めました。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20095811,00.htm
ソフトバンクグループ、ブログでの正規引用を認めたニュースサイトを開設
ニュース記事についてブログエントリを書いても、元記事が消えてしまうと、後から読んで意味がわからなくなってしまいがちです。そのために、ニュース記事をクリッピングしたりするわけですが、直接ブログ中に引用できるなら楽で良いかもしれません。
2007年04月03日(火) 部分の否定と全体の否定 AAでのサービス活動で得た経験として、ひとつ大切なものを挙げるとするならば、「僕の意見が否定されたとしても、僕自身が否定されたわけではない」という、至極当たり前の感覚です。
AAでは議論はしないと言いますが、議論しないのは霊的(スピリチュアル)な事柄に関してのことです。確かに霊的なことは議論してみても始まりません。一人一人、霊的体験は違っているのが当たり前で、どれが正しいとは言えない(言わない)のですから、議論は無用です。
でも、現実的な決めごとをする必要はありますから、議論は必要です。グループ(集団)として我々はこれからどっちへ向かうべきか、という話もしなければいけません。で、そういう議論をすると、どうも議論が熱く燃え上がりがちです。僕自身がそうですが、まあサービス活動に参加するAAメンバーはたいてい「自分の意見に必要以上に執着しがち」なんです。
やはりその背後には、自分の意見を否定されること=自分自身を否定されること、という思いこみがあるのではないでしょうか。たかだかAAの委員会の方針決定ぐらいの話で、自分の意見が通らなかったからって、自分の存在が否定されるわけがないのですが、心の奥底にはそう感じる部分があるようです。
逆に、相手の意見を否定することが、相手を否定することにつながるのじゃないか、それは相手を傷つけるのじゃないか、という恐れもあります。挙げ句に、自分を傷つけるか、相手を傷つけるか、二者択一みたいな思考パターンに陥ってしまい、ある一線を踏み越えたら、議論に「勝つか負けるか」しか考えなくなったりします。
別の防衛方法もあって、自分の考えに賛同できない人たちに対して「くだらねー、バカばっかり」と評価を下して自分を守ったりします。あるいは、あいまいに濁すことで自分を守ったりします。
「部分(意見)の否定は、全体(その人)を否定するわけではない」という原則を身につけていないと、仕事でちょっと怒られたり、やなことがあっただけで、まるで自分の能力全体にダメ出しをされたかのように、落ち込んでみたり、傷ついて見たりします。そして陰気に恨んで見せたりします。
結局それもセルフ・エスティームの問題であるのですが、言うだけ・聞くだけの普段のミーティングでは経験できないこともあるということで。
2007年04月02日(月) 幸運を誇るのはみっともない 精神病院退院後の断酒継続率は「2割」という定説があります。
この2割という数字はおそらく10年前のある調査からでてきたものでしょうが、実感と良く合っている気がします。退院半年後に、断酒継続率は5割を切り、1年過ぎてもまだそのグラフは下降を続け、2〜3年過ぎたあたりで2割弱で安定し、あとは漸減を続けます。
アメリカでは「3割」と言われていて、逆に言えば残りの7割のアル中さんは「飲みながら死んでいく」わけであります。
何が言いたいかというと、アルコール依存症とは飲んで死んでいく病気であります。現在の日本では、酒の消費量が増えて依存症者が増えていていることがひとつあり。また一方では、医療や行政の取り組みもあって、まだ軽症のうちから治療が始まるケースが増えています。
結果として、死ぬ寸前の重傷者の相対的に減って、依存症が死に至る病気だという姿が見えにくくなっている気がします。けれど、軽症化や死ぬ人の割合の低下は、時代のもたらした一時的な現象に過ぎず、やがて本来のバランス(?)に戻るだろうと、僕は思っています。
何となく嫌なのは、飲んでしまうアル中や、その挙げ句死んでしまう人を、「おなじ依存症でもダメな人たち」と見なす傾向があることです。軽症のうちは酒がやめやすく、重症になるとやめるのは簡単でなくなります。また「ひょんなことから酒が止まる」ことがあるように、断酒には運とかタイミングって要素もあります。
断酒は「優秀の証」ではなく「幸運の証」です。ネットの掲示板などで、自分の幸運を誇り、不運な人に冷たく当たっている人を見かけたりすると、ちょっとげんなりしますね。まあ、無駄にプライドが高いのは、アル中の証ですから仕方ないんですけど。
アメリカのAAメンバーで、20代でAAにつながって離れ、40代でも同じことをくり返し、60代になってしっかりAAにつながって酒が止まった人の話を読んだことがあります。「今の私は幸せだけど、20代の頃にAAを受け入れられていたら、その後の40年も幸せでいられたかと思うと残念ね」とありました。
特別な努力なく10年以上酒が止まった人にも複数お会いしたことがあります。10年も酒がやめられれば、一回の再飲酒はそれほど深刻じゃないと思われるかも知れません。しかし、また鍵のかかる病院の中に戻った人には、過去10年やめられた事実なんて、何の慰めにもならないようです。
AAの第5章には「最初から思い切って徹底してやるように、私たちは心からお願いしたい」とあります。軽症だから真剣にならなくて良いことにはなりません。もっとも、本人が思っているよりは病気が進行していて重症なのが、この病気の常識なんでしょうけど。
2007年04月01日(日) 第二の人生(おしまい) さて、セコンド・ライフ運営元のリンデン・ラブは、いったいどうやって利益を生み出しているのでしょうか。
まずは、仮想空間内の「土地」を切り売りすることです。ユーザーはアメリカ・ドルを仮想空間の通貨リンデン・ドルに両替をしてもらい、それで土地を購入します。そこで自分の家を建てても良いし、店を開いても良いわけです。
ところがリンデン・ラブは基本的に土地以外のものを提供してくれません。他は3Dのデザインツールを使って自分で作るのです。家でも、家具でも、服でも・・。デザインのセンスが求められますね。家みたいな静的なものでなく、車や自動販売機、変化する服など何か「反応するもの」を作りたければ、それをスクリプト言語で記述することになります。これをアップロードするのは有料です。
アイデアがあって、センスが良くて、ちょっとプログラミングに親しんでいる・・そんな人なら、セコンド・ライフで楽しく過ごせるでしょう。
じゃあ、そのちょっとした才能の持ち合わせがないか、あるいは物作りをしているヒマのない人はどうすればいいのか・・・。他の人が作ったものを、お金を出して買うのです。支払う通貨はリンデン・ドルですが、それは現実のドルを両替して得るものです。つまり、ここで運営元は「両替屋」として稼いでいるのです。
ものを販売する人の元には、リンデン・ドルが集まります。これを現実のドルに換金することもできます。そうやってお金持ちになった人が実際にいて、それをどうやって課税するか議会で議論が始まっています。
家の中に引きこもっていても、仮想世界でモノを作って大金持ちになれれば、面白いかも知れませんね。アバター用に萌えキャラのボディ・パーツとか服を作れば、売れるかも知れません。なんだか、仮想と言いながら、「お金」という思いっきり現実的なもの基底にあるわけです。
セコンド・ライフは、サーバー側のソフトも、パソコン側のソフトも、常に「開発中」でどんどんバージョンアップします。正月に遊んだ後、しばらくほったらかしにしてしまい、新しいソフトでログインを試みたところ「あなたのキャラクターを、新しいデーターベースに移すのに失敗しました」とエラーメッセージが表示されました。
それでげんなりしてしまい、ソフトを削除してしまったので、その後仮想空間にはでかけていません。
ところで、セコンド・ライフで何が一番流行していると思いますか?
答えはセックスとギャンブルなんだそうです。気の利いた(?)クリエーターの作った性器やグッズを購入して、アバター同士でセックスをしてみたり、あるいは仮想のカジノで遊ぶのだとか。欲の世界です。
僕がセコンド・ライフに感じた最大の不満は、チャットが文字だけであることです。せっかくだからボイスで会話できれば面白いと思うのです。隣の人の声は大きく、遠くの人の声は小さく表現して、拡声器みたいな道具も用意して・・・。
サーバーの負荷を考えると難しいのかも知れませんが、Skypeが実用になっているんですから、技術的に無理ではないでしょう。
もしそうなったら、「自分の好きな名前を使う」どころじゃなく、「自分の好きな外見」を選んで、向うの世界でテーブルを囲んでミーティングでもしますか?
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