心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年01月30日(火) 恨みについて

親を恨んでいるAAメンバーは多いです。

恨みは乾かさなくちゃいけない、とは言うものの、最近の僕は「無理に親を許すことはない」という意見です。

そういう僕も「許さなくちゃいけない」と言っていた時期がありました。
親を恨んでいるAAメンバーが多ければ、AAミーティングで親への恨みを話す人も多くなります。僕はそういう話を聞くと、なんだか落ち着かなかったものです。

ひとつには、自分もその頃親になっていて、しかも自分が親として十分なことが出来ていないという引け目を感じていたので、親への恨み言を聞かされると、なんだか自分が責められているみたいでいたたまれないのだと、分かりました。
親としてほやほやの新米であるにも関わらず、早く立派な親になろうと焦っていました。子供が親を親として育ててくれるってことが分からず、一気に「親として二十歳」になるのを自分に課していたのでした。
親として修行中という現状を認めることが必要でした。

もうひとつは、「自分は親を許せた」と自分を騙していたことでしょう。
僕が求めるだけの愛は与えてもらえなかったが、親は親なりに僕のことを愛していてくれた。という文脈を使って、無理に許していた。いや許せたことにしていたのでした。実際にはちっとも許せていなかったにもかかわらず、親への恨み言を言うのを自分に禁じていました。そしてそれは苦しかったのです。喜びのない許しでした。
だから、他の誰かが親への恨みを話しているのを聞くと、なぜこの人は僕と同じ我慢ができないのだろう、という苛立ちを感じるのでした。

さらには、僕はいったん人生を投げ出した不肖の息子で、引け目を感じており、親への恨みを許すことで、自分も許されたいという、取り引きを試みていたのでした。

そういった理由で、他の人にも「親は許さなくちゃいけない」と説教じみた話をしていたのです。でも本音は、「親への恨み言なんて聞きたくねえよ、もうその話はするな」でした。

親を許すことが、具体的にどういうことなのか分かりませんが、僕の考えでは「一緒にいて緊張しない」ってことだと思います。敵意を持った相手と一緒にいれば、緊張するし疲れます。この正月も実家に行きました。母が「二泊していきなさい」と言ったのですが、さすがに二晩目はこちらが耐えられなくなり、AAミーティングへと脱出してしまいました。ちっとも許せていないのであります。

恨みのリストを作って、恨みが強い順に並べると、親はトップか2番目に来るんじゃないでしょうか。そういうでかい目標をいきなり許そうというのは、登山の経験がないのにいきなりヒマラヤへ登るようなもので、遭難間違いなしです。まず低い山から練習でしょう。

そうした気づきがあって、最近は「親は許さなくて良い」と言っています。
AAプログラムに取り組んでいれば、そのうち自然に許せるようになるだろうから、それを信じていこうよと話しています。ふと振り返ってみれば、以前よりは許せる範囲が大きくなっている自分に気づくだろうと。

うつ病患者は、怒りを無理に押さえ込んでうつになります。同じように、許せないものを無理に許そうとすれば、ソブラエティの質は悪くなるでしょう。

父親から性的虐待を受けてきたメンバーの話を聞いたことがあります。ホームグループで1年間、繰り返し親への恨みを語ったそうです。そして父親くらいの年齢のおじさんメンバーたちは、黙ってそれを聞き続けてくれた。おそらくその受容が、その人の恨みを溶かし、やがては酒からの解放をもたらしたのだと、僕は思います。
そのグループのメンバーが、回復した人たちで良かったと思います。僕だったら、いつか耐えられなくなって、「AAの目的から外れる」とかイチャモンをつけて、全て台無しにしていたかもしれません。

親より仲間を許しなさいと言っています。親が許せなくて一緒に暮らせなくても、生きていけます。けれどAAの仲間が許せなければ、AAの中で自分の居場所がどんどん狭くなって、やがて自分で自分をAAから締め出すことになります。それで自分は生きていけるかどうか。
誰かが、親への恨みを話していても、それは自分も同じだと思って、許容することが僕に必要なのだということです。


2007年01月29日(月) 5年

「心の家路」をインターネット上で公開したのが、2002年の1月24日でしたから、すでに5年が経過したことになります。

この間のアクセス総数(日別ユニークビジター数の合計)は15万あまりでした。
最初の頃は、自分が一番訪れる回数が多いので、アクセスカウンターも自分が回しているという感じでした。なので、同じアクセス元を重複カウントしない、ユニークビジタータイプのカウンターを置いたのでした。

自分でもはっきりとした動機や目的があって「心の家路」を始めたわけじゃありません。
ただ、当時自分のAA活動に行き詰まりを感じていて、何でもいいからやってみたかったのが本音です。始めたのがきっかけで、オンラインでもオフラインでも、AAの中でも外でも、いろいろな人と知り合えました。
それがプラスに作用しているのは間違いなく、あの頃感じていた行き詰まり感は消えています。

思い出せば「たまらぎ紛争」というのもありました(第4次くらいまであった)。CR兄貴ともシビアな議論をした記憶があります。
オンラインでもオフラインでも人間関係が悩ましいことは変わりません。ただ、嫌になったからと投げ出してしまえば、恩恵を受けるチャンスも失ってしまうのでありましょう。思えば、AA以外の人からも、たくさんの考え方や本を教えていただきました。問題なのは、そうして与えられたものが、僕の中で回復の材料になるまで2〜3年の時間は必要だってことでしょうか。
失敗しないように上手にやることはできなくて、それでも続けていくということでしょうか。

最近では雑記を更新するので精一杯で、なかなかコンテンツの充実を図れません。90の道具はいつになったら完結するか見通しがたちませんし、スキャンしていない新聞記事はたまったままです。紹介しようと思った短文も、翻訳しないままほったらかしです。すっかりマイペースであります。

携帯電話で読めるようにするとか、RSSの配信とか、さまざまアイデアはありますが、なかなか手が付きません。コンピューターのプログラムを組む人には面倒くさがり屋が多く、面倒なことは嫌なので、一度だけ苦労してプログラムを書き、あとはコンピューターに任せて楽をしたいと考えるタイプです。ただ、その「一度の苦労」も面倒なのが困りものです。

どんなにがんばって更新しても、自分ひとりしか見に来なかったら続けられないでしょう。日々訪れてくださる人々に、感謝であります。


2007年01月28日(日) 自己責任

僕も最初の頃は、長野県には良い病院もないし、自助グループも少なくて・・・、と事あるごとに言っていました。どこかに理想の病院とか、理想のグループがあって、そこへ行けば救われるような気がしていました。
その理想が投影される先が、国立の著名な病院だったり、毎晩ミーティングに通える都会の環境だったりします。でもそれは単なる甘えでしたから、現実にそこへ行けてたら「思っていたのと違う」と文句を垂れたことでしょう。

だから、県外のAAメンバーからは「誰かに何とかしてもらおう」ではなく、「自分で状況を変えなさい」と何度も言われました。

自助グループに通うのに、片道2時間ぐらい当たり前だと言われました。それが遠いと言う人は、例え同じ町内に会場があったって通わない。福祉がタクシー代出してくれたって通わないのです。進学希望の高校生が、チャリと電車で2時間かけて学校に通っていても、アル中さんは自分の命のためにそこまでできないらしい。

誰かに柱に縛り付けられて、無理やり酒を流し込まれたわけじゃありません。全部自分の手で飲んできたのです。

「私は田舎だから回復できない」と言う人がいれば、「私は幼い子供から手が離せないから回復できない」という人もいます。「お金がないから」「仕事があるから」「体が悪いから」。すべて他の人を納得させる理由じゃなくて、自分に対する言い訳です。

世の中には、依存症に対する偏見を取り除いたり、治療の取り組みを進めるために、地道に活動している人たちもいます。依存症に偏見のある世の中を嘆いている人に、「じゃあ、そういう団体に五千円寄付してあげたら」と言っても、まずしないでしょう。
だって、世の中を変えたいなんて思ってなくて、単に嘆きたいだけなんだから。
回復の責任が自分にあると認めないで、世の中が(誰かが)自分を助けてくれないと困ると言っていたほうが楽ですから。

ミーティングに通って話をしていると、自分が言い訳をしゃべっていること気づくことがあります。ステップ5のときにも、自分の言い訳に気づくことがあります。
言い訳をゼロにすることは難しいですが、自分が「言い訳をして、目の前の現実からトンズラしたがる」傾向があることには、気づかざるを得ないわけです。

ともかく自助グループに通ってください。例え、うつで夕方まで寝ていても、38度熱があっても、不安発作で死ぬほど苦しくても(死なないから)、来なさい。何もしゃべらなくても、1時間半そこに座っていることから、回復が始まりますから。


2007年01月26日(金) 一般化

福祉事務所から封書が届いたので、開けてみたら「障害者手帳ができたので取りに来い」という通知でした。

銀行で金を下ろし、農協へ行って自動車共済の更新の手続きをしました。
僕の車は、家族以外の人が運転する可能性があります。滅多にないものの、AAメンバーと連れだってどこかのイベントに出かけた時は、疲れて運転を代わってもらうこともあります。
だから、家族限定を付けられません。年齢条項は35才未満不担保になってますが、これは家族以外が運転する場合は無関係です。
農協は一般の保険会社に比べると、2〜3割ぐらい安いでしょうか。ただ、最近は安い自動車保険を売る会社も出てきたので、一概には言えなくなりました。

福祉事務所の窓口に行き、担当者が出てくるまで、座って待っていました。すると、聞くともなく、職員たちの会話が聞こえてきました。

「断酒会ってずいぶんあるんですね」
「うん、○○市にも、××市にもあるよ」
「じゃ、アル中っていっぱいいるんですねぇ」
「いや、そうでもなくてね。同じ人が、今日は○○、明日は××って出ているんだよ」
「へえ、それで<今日も飲まないぞ〜>とかってやってるんですね」

担当者が来て、3級では使える制度があまり無い、と申し訳なさそうに説明を始めたので、その話はそれ以上聞けませんでした。

アル中業界(?)に近い福祉事務所とはいえ、自助グループの話が職員の雑談の中に出てくるとは、ずいぶん時代が変わったものだと感銘を受けました。

それから医者へ。3分診療でも、何も話すことがないこともあります。なので、先ほど聞いた話を医者にしました。

「それで、AAの話は出てきませんでしたか?」
「出ませんでしたね。断酒会という大きなくくりの中に入っているかもしれません」
「そうだね」

まあ、そうでないかもしれませんが。
アルコール依存症の自助グループの一般名詞は「断酒会」と見ていいでしょう。


2007年01月25日(木) サービスについて(その2)

「心の家路」は丁寧体(敬体)で書くことにしています。つまり「です・ます」調です。他では普通体(常体)=「だ・である」調で書くこともあるので、たまに混じっていることがあります。
丁寧体で書いていて困るのは、単に「だ・である」を「です・ます」に置き換えればいいとは限らないことです。普通体であれば「これは美味しい」と、形容詞で終わるのは不自然じゃありませんが、「これは美味しいです」と形容詞+ですにしてしまうと、なんだか据わりが悪いです。美味しいですね」とか書き換えたり、「美味しく食べられます」と動詞をひねり出したりする必要があります。
しかし、ついつい面倒なので、気がついてもそのままにしている場合も多いです(←ほらね)。なので「正しいです」とかいう表現が出てきても、それこそスルー力を発揮すべき時でありますぞ。

今日は、いつもホームグループのミーティングに来てくれる、山梨の仲間のバースディミーティングへ。はたしてその仲間が女性でなかったら、その距離を走破していっただろうか・・・と自分に問いかけたりして。

さて本題。具体的にそう言う事例を見た、という話ではないので念のため。

神さまを信じて、神さまに任せる、ということに慣れている人は少ないです。だから、AAに来て最初は「とりあえず、仲間を信じ、仲間に任せなさい」と言われることになります。

ところが、仲間に任せることは、意識的に努めないと、なかなか難しいものです。

例えばグループの役割で「会場係」というのがあります。毎回そのAA会場にやってきて、会場を開け、ミーティングの準備をする役割です。こうした役割は、メンバーが順番に担当します(輪番制)。
始めてその役割を任せられた人は、当然不慣れです。

ところで、会場係に、その日のミーティングの司会を指名する権限を与えているグループも多いと思います。指名せずに、自分で司会してもいいわけですけどね。
司会というのは慣れないと緊張するものであり、慣れても細かな失敗から逃れられない役割です。そう言う役割を、不慣れな人が、ぎこちないながらも一生懸命務めているところを見かける時もあります。
流ちょうではない司会を、ほかの皆は黙って受け入れているものです。

ところが、その「お任せ」も、いったん何か起きると吹き飛んでしまうことがあります。たとえば、誰かのバースディ・ミーティングです。
バースディだからと、遠くからわざわざやって来る人もいます。せっかく記念のミーティングだから、そういう人に司会をしてもらおうと考える人もいます。慣れた人がスムーズに進行させ、ついでに普段聞かない「良い話」でもしてもらえれば皆のためになる、と、まあアイデアは悪くないのです。

しかし、そういう話が勝手に決まってしまうのは、大変よろしくありません。
会場係の人に、「今日の司会は○○さんに頼んだから」と結論だけが伝えられたりします。当の会場係さんは、初めてのバースディ・ミーティングの司会に、前の日からちょっと緊張して、ああしよう・こうしようと考えてきたのかも知れません。
そこで「いや、今夜も私が司会をやります」と、あらがえる人がどれだけいますか?

責任を委ねたのだから、権限も委ねるのが当然です(概念10)。
ベストなのは、バースディだからと変えずに、いつもと同じように進行することだと思います。
それでも誰かにお願いしたいなら、「今日の司会は○○さんに、頼んでみたらどうかな? もちろん、そうするかどうかは、あなたの決めることだけど」というふうに、提案するほかないでしょう。それでも十分押しつけがましいと思いますが。

グループみんなのために、またバースディを迎えた人の思い出のためにも、スムーズな進行がふさわしい、という考え方には、もっともらしさがあります。でも、結局それは個人の回復を、グループの成長より優先させる間違いを犯しているだけです(伝統1)。

「責任をかぶせられているのに、決定権は持っていない」。それを思い知らされた人間は、やる気をなくします。それでサービスに喜びを見いだせと言っても無理でしょう。
慣れない人は失敗をするかも知れません。でもそれを責めずに、失敗を皆で分かち合う。そうすることで、任せられた人のサービス(12番目のステップ)への責任感が育っていくものだと思います。

あいつはやる気がないと責める前に、その人に責任と同じ量の権限を与えて、ちゃんと「お任せ」できていたかどうか、余計な口出しをしていなかったか、であります。
人を思い通りに操ろうとすれば、常に失敗します。


2007年01月24日(水) やっぱりアル中なんかと・・・

「例え飲まなくなっていたとしても、やっぱりアル中なんかと結婚するんじゃなかった」

結婚しているアルコホーリクであれば、少なくとも一回は配偶者にこう言われたことがあるんじゃないかと思います。僕は何度も言われています。数えられないぐらい。
一度も言われていない場合は、(そんなことを言ったらまた飲みそうだから)とぐっとこらえて心の中にしまってある、と思ったほうがいいでしょう。

絶対そんなことを言われたくないから、ノン・アルコホーリクの相手を探すのはやめて、AAの中で相手を探す、と言っていた人もいました。それが何の解決になるのかわかりません。同じアル中であれば、自分のことを理解してくれると思うのかもしれません。でも、アル中同士で結婚しても、相手が「やっぱりアル中なんかと結婚するんじゃなかった」と思うのはとめられないし、さらに自分も「やっぱりアル中なんかと結婚するんじゃなかった」と思ってしまう特典まで付いてきます。
だから、自分のプライドを傷つけないために、「理解してくれる人」を探すのは無意味なことだと思います。

病気丸出しで「俺の言うことを聞け」と怒っていても「ああやっぱり・・・」と思われます。AAのミーティングに真面目に通っていれば、今度は「普通の人はそんな必要もないのに」と責められる始末。
どうやら「やっぱりアル中なんかと」から逃れる手段はなさそうです。

まあ、「やっぱりアル中なんかと」と言ってくれるのは、ある意味信頼の証なのかもしれません。また、その言葉を心の中にしまっておいてくれるなら、それは優しさ(思いやり)でありましょう。

過敏に反応して「うるせえ、俺のことを馬鹿にするな」と夫婦喧嘩を始めるのも自由ですが、相手の気持ちを悪意に解釈したがるのもアル中の傾向ですから、そのセルフチェックも必要かと思います。


2007年01月22日(月) サービスについて(その1)

100円ショップに寄ろうとして、混雑を避けながら脇道に入るうちに、今夜のAAミーティング会場の前に出てしまいました。でも、今日は他のプログラムなので帰宅。

さて、AAの仲間とは何を説明するのに、こんな言葉があります。

「私たちは、私たちを必要とする人を、必要とする」

アルコール依存症からの回復という分野で、自分が必要とし、また自分を必要としてくれる人。それが仲間です。

AAプログラムに取り組むのに、仲間は欠かせません。
そりゃ、ステップ1〜12の中で、仲間の必要が出ているのはステップ5だけです。そのステップ5の相手も何もAAメンバーに限らず、聖職者だって良いのです。僕の住んでいる市内にも20ぐらいのキリスト教会があって、それぞれに聖職者の人がいます。告解(この読みは「こくかい」でいいんですか?)という儀礼を持っているなら、他の宗教でもいっこうに構わないでしょう。
でも、病院のケースワーカーとか、会社の上司にしてしまうのは、どうかと思いますが。ま、それは笑い話。

ともかく、ステップの文言には「仲間の必要性」はあまり出てこないのですが、一人で本を読んで、一人で取り組んでも、なかなか回復しないものです。

僕も例外ではないのですが、飲まないアル中さんは、基本的に「自分の力で酒をやめている」と感じています。どのAAメンバーもそうであります。そしてたまに仲間に感謝するだけです。
だから、たとえ誰かのソブラエティの助けができても、その人が「おかげで助かりました。ありがとう」とは、滅多なことでは言いいません。だから、仲間の手助けは感謝されることを目的にするのじゃありません。
(僕はAAスポンサーに、ありがとうと、ちゃんと言えたのは2回だけです)。

同じプログラムを一緒にやって、仲間が飲まないでいれば、自分も飲まないでいられる。それがAAのプログラムです。
仲間と一緒にやるのが嫌な人は、どうぞ自分一人でやってください、とAAは言います。神とかが出てくる取っつきにくいプログラムをやるのが嫌なら、どうぞヨソへ行って、別のことを試してみなさい、とも言います。

このプログラムを渡すことで、アル中さんを助けるのがAAで、それによって最も助かっているのは自分です。相手が受け取ってくれるかどうかは、重要ではありません。まだその段階でない人もいます。一生受け取りを拒否して終わる人もいます。他でうまく行っている人もいます。それで構わないのです。
大事なことは、中には受け取ってくれる人もいる、ってことです。

でも、一対一での伝達には限界があります。結局、この「伝える」作業を、集団でやる必要が出てきます。集団でやっても、それが12ステップであることに変わりはありません。そしてこの「仲間と一緒に伝える作業をする」のが「サービス活動」と呼ばれるものです。
「孤独を愛するアルコホーリク」という言葉の裏にあるのは、アル中は人と一緒にやるのが苦手だという真実です。人間を相手にするのが苦手なアル中が、集まって活動する。そこにはいろいろなことが起ります。

書ける時には、サービス活動について書いていきたいと思います。


2007年01月21日(日) 空論

AAのメンバーになるために必要なことはただひとつです。
「飲酒をやめたいという願い」desire to stop drinking
です。

ひとつ質問があります。イエスかノーで答えてください。
あなたは飲酒をやめたいですか?

その人がイエスと答え、その人が望んでいるなら、その人がAAメンバーであることを否定できる人は誰もいません。
アルコール依存症であるかどうかは、問われていません。医者からアルコール依存症という診断をもらうことが求められてもいません。自分がアルコホーリクだと認める必要もありません。
もし、そんなことが求められていたら、僕は(そして今AAにいる多くのメンバーも)、最初のミーティングから追い返されていたでしょう。

この人は「アル中ではない」としか思えなくても、だから出て行ってくれとは言えません。AAは「診断も予後予測もしない」わけですから、人がアル中かどうかAAが決めることはないのです。

明らかにアル中の家族であるとか、他の依存症であるとか、依存症を持たないACであったとしても、その人が「私は飲酒をやめたい」と言うのなら、クローズド・ミーティングからでも追い出されてはならないし、発言の機会を奪われる理由にもなりません。

伝統3には、あるいは長文の伝統3にも、AAメンバーの資格はアルコホーリクであること、とは書かれていません。

変な結論ですか? わざわざおかしな結論に導いたのです。

教条主義とは、書かれている字句を絶対視し、現実を見ずに機械的に適用しようとする態度です。
そうではなく、一字一句に囚われず、本質を見抜いていかなければならないのですが、それには自分の頭を使って考えねばなりません。教条主義は、考えなくてもいいので、楽なのであります。目の前で人が苦しんでいても、教条を持ち出せば、何もしない自分に罪悪感を感じなくてすみます。

クローズド・ミーティングに、他の依存症の人がいるのを問題にする人がいます。第一の目的とか、目的の単一性とかを理解していて、「原則はこうだ」と言っている人はいいのですが、単に自分の正義を実現するために、伝統の文章を持ち出してくる人は困ったものであります。
そういう無思考の態度は伝染しますからね。愛ではなく、冷淡な態度を広めているだけであります。
教条を振りかざす人に対しては、「こう考えれば逆の結論だって出るよ」とからかってやりたくなります。それが上の文章です。

原則(AAの伝統)と現実のギャップに悩み、自分の頭で考える。それで出た結論なら、僕と違った意見でも、尊重したいものです。


2007年01月19日(金) 新しくグループを始めるには

新しくAAグループを始めるために、必要なものは何か?
そりゃ、借りられるミーティング会場だとか、コーヒーカップだとかも必要ですが、そういう物質的なものは、いつだって何とか都合がつくものです。

「自分一人では始められないから、もう一人のAAメンバー」
という理屈も分かりますが、たぶん正解ではないと思います。

僕が思うに、必要なのは
「自分一人になっても、最後までやり抜く決意」
です。
自分一人でもやるのだと決めておけば、たまたまグループにつながった仲間が、グループの仕事を分担してくれなくても、不満に思わないでしょう。(そのことを悩まないとは言いません)。
確かに一人ではミーティングはできませんから、他の人は必要です。けれど、最後は私が責任を持つ、ケツは俺が拭いてやる、と考える人が、最低一人いないと、グループは継続していきません。

何人かのメンバーで責任を分担するとしても、どうしても偏りが起ります。偏りに不満を持つのは当然で、自己主張もなければなりませんが、負担の軽い仲間を恨んでしまったりするのは「自分一人でも」の覚悟がない証拠です。

一緒にやってくれる人が現れたらグループを始めたい、と言っているAAメンバーは多いです。でも、そう言っている間は、その人は永遠にグループを作りません。
偶然誰かが現れて、グループが成立したとしても、相方がグループを抜ける確率、AAをやめてしまう確率は、他のメンバーと変わりません。つまり、自分一人取り残される確率は高いのです。それまでに自分が成長できていなければ、グループを解散せざるを得なくなるでしょう。

グループが順調なら、成長して責任を負う人間が増えてきます。ところが「自分一人でも」の考えで、一人で責任を負い、自分が最終決定者だった時期を持つ人間は、そこで謙虚になることが難しいのです。何らかの形でグループを支配し、その成長を止めてしまいます。
特に、自分は上手にやってきたという自信を持っていると、他の人の失敗を黙って見ているのが難しいものです。そこでついつい口を出し、手を出し、その人のやる気と成長をくじいてしまいます。やがてグループが衰退して、ふたたび自分だけが責任を負ったりします。グループとの共依存関係と申しましょうか。

「そのときは、自分がグループを出て行くしかない」と、とある新潟の仲間が教えてくれました。支配癖をなくすことは難しいけれど、出て行くことは簡単だと。
そして、まだ気力があるなら、新しい場所で新しいグループを作ればいいのだと。元のグループへは、伝統4に従って、干渉せずに暖かく見守るのであります。

「そんなやり方では、新しい仲間がつながらない。命がかかっているのだから」
と人のやり方に口出しをしたくなった時には、そっと自分が去る時であります。


2007年01月16日(火) 著作権は誰のために?

著作権は何のためにあるのでしょうか。
何かものを書いた人の、権利や収入を守るため、だと僕は思ってきました。
それは勘違いで、実は「著作物を使った産業を振興するため」です。

著作物(小説、マンガ、歌、絵画、映画、コンピュータープログラム・・・)を作った人がいて、それを複製(印刷、コピー)する人がいて、あとは普通の商品と同じように流通ルートがあって、販売店があって、宣伝をする人がいて。
沢山の人が、それで収入を得て、ご飯を食べていくことができます。それが、著作権法の目的です。

小説を一本書くのは大変な手間でしょうが、印刷するのは(一冊あたりは)短時間ですみます。だから書く手間を省いて、売れ筋の小説の複製を作って売れるのならば、楽な商売になるでしょう。そういう輩が増えると、手間をかけて小説を書いても、収入に結びつかなくなってしまいそうです。
結果として、作家になる人は減り、作品の数も減り、出版点数も減って、産業全体がしぼんでしまいます。

それは良くないので、苦労して著作物を作った人にお金が入るように、著作権という権利を与えて守ってあげるわけです。でも、その権利は手段であって、目的ではありません。そのことを理解していないと、「翻訳権の10年留保」を理解するのが難しくなります。

さて、英語の本を日本語に翻訳して売るには、英文を書いた著者から「翻訳権」を譲り受けないといけません。それにはお金がかかります。それが著作者の権利というものです。

さて、外国の本を日本語に翻訳して売るには、まず翻訳家という職業の人が育つ必要があります。翻訳本を出す出版者だとか、外国の本を違和感なく受け入れる市場とかも必要です。
それらが育つまでは、外国の本を出版しても売れずに、赤字になるばかりでしょう。
そうなると、外国の作者が、日本語で本を売ることができません。それは、外国の著作者にとっては損失ですし、日本の出版産業にとっても損失です。

だから昔は、「外国で本が出版されてから、10年経っても日本語に翻訳出版されていなければ、翻訳権は消滅し、誰でも好きに翻訳して出版して構わない」ってことになっていました。これが翻訳権の10年留保です。
翻訳権がないから、著者の許可を取る必要も、お金を払う必要もなく、出版のハードルが低くなる→出る本が増える→翻訳出版産業が発展する→やがては外国の作者の利益にもなる、というわけです。

この規定は、1970年に「もう日本も文化的後進国ではないだろう」ということで、廃止されました。しかし、それ以前に消滅した権利が復活することはありません。

というわけで、1970年の末までに外国で出版され、その10年後までに日本で翻訳出版されていない本は、誰が翻訳出版しても自由であります。

AAのビッグブックの初版本(1935年)もそうですし、ヘイゼルデンの『リトル・レッド・ブック』(1957年)も、『スツールと酒ビン』(1970年)も、当てはまります。

それは、日本の誰かが、アメリカの原著作者と翻訳の独占契約を結んでいても関係ありません。法律で守られるべき翻訳権がもう存在しないのですから。

だから、例のコピー製本の赤い本も、緑の本も、違法な出版物というわけじゃないでしょう。もちろん、訳文の権利は日本国内で発生したものですから、ピーター神父の死後50年間は守られるわけですが、その許可はもらっているんでしょう(たぶん)。


2007年01月15日(月) ユートピア

努力が必ず報われる世界があれば、それこそまさにユートピア(理想世界)でしょう。
望みを叶えるためには、努力しさえすればいいわけですから。

でも、残念なことに、この世界では、努力は必ずしも報われるとは限りません。努力と結果は正比例しないのです。それは、子供の頃からの経験で、身に染みて分かっているはずですが、でも心のどこかで理想社会を求めているのです。

例えば、「俺がこんなに愛しているんだから、お前も同じぐらい俺を愛するべきだ」という主張もそうですね。俺がこんなに一生懸命愛して=努力しているんだから、それは(お前の愛で)報われて当然だろうというわけです。それを「夫婦なんだから」という理屈で補強してみたりします。
確かに愛してはいるのでしょう。でも、DV夫の心の中にだって、同じ種類の愛情はあるんですね、たぶん。

相手も、愛はあるでしょう。でも、相手も人間ですから、望まれるままに行動するのは無理です。相手には相手の愛し方ってのもあるし。

でも、そのことが「努力が必ず報われる理想」を求めちゃう人には、わからんのです。挙げ句に、お前は俺を愛していないとか、お前の愛は真実じゃないとか言い出したりして。

そう言う人はたいてい「俺はだめな人間だ。皆に迷惑をかけて申し訳ない」とも言い出します。それはある意味真実なのですが、本人はそうやって自分を卑下することで満足してしまうのか、あまり改善の努力はしないですね。

愛というと人間関係を限定しすぎですから、誠意と言い換えてもいいでしょう。
「あの人は立派な人間だと思っていた。私も誠意を持ってつきあってきた。けれど、幻滅した。あんな人だとは思わなかった」
そうは言っても、誠意ある人間でも、望まれるままに動くことはできませんから。

つまるところ、相手をコントロールしたい。世界に自分の力を及ぼしたい。膨らんだ自我というやつです。その手段として、誠意とか愛とか努力とかを使っているだけ。

理想は純愛物語の中だけにしておいて、現実の中で理想がちらりとかいま見られるだけで、良しとしようじゃないですか。


2007年01月14日(日) 受験の季節

昼に起きて病院メッセージへ。
ひとりの依存症者が、医療につながってから、断酒会やAAの自助グループにつながって、しっかりした断酒が始まるまで、何年かはかかってしまうものだと思います。まれには、素直な人もいますが、その素直さが根底からのものであれば、そもそも依存症にはなっていないような気が・・・。

それはともかく、だんだん病気が進行していく様を、断続的に見ていることしかできない時もあるものです。
人の苦しみ、人の死に、だんだん慣れてきてしまいます。過去であれば、そんな苦しみ、そんな死があると知っただけで、たぶん何日も動揺したのでしょう。今でも、感じるものはありますが、「それはそれとして」で片づけて、日常が続いてしまいます。
冷たいのかも知れませんが、こちらも無力な存在であります。

センター試験間近ということで、受験の頃を思い出しました。
共通一次試験の前の晩は、ワンカップを2本飲んだ覚えがあります。興奮して眠れないだろうと思って買っておいたのですが、眠れそうだったのに2本とも飲んでしまいました。

高校時代は、あまり酒を飲みませんでした。
そりゃ、皆で集まって飲むとか、友達の家に酒を持って遊びに行くとか、何回かやりましたけど、自宅の自分の部屋で飲む習慣はありませんでした。本棚の奥に、サントリーオールドの瓶がかくしてあり、受験勉強に飽きると、たまに飲んでいました。でも、3年生の時に2本だけです。おお、1年間でたった2本だなんて!

だから、ワンカップなんて買ったのは試験の前が初めてでした。よく眠れたと記憶しています。

二次試験の前夜は、とても緊張しました。なにせ、上京したのは大学の下見2回だけですから、新宿のホテルに泊まるだけで緊張しまくりでした。眠れないので缶ビールでも飲もうと、自動販売機まで買いに行ったのですが、受験の宿ということで、販売機が止まっていて買えませんでした。
翌朝は、食事ものどに入らない状態で、会場へ。
昼食のお弁当もホテルで用意してくれたのですが、それもろくに食べませんでした。
帰りのあずさの中でゆっくり缶ビールを飲み、長野に着く頃には頭痛が始まっていました。よく受かったものです。

受験の思い出を書こうとしたのですが、酒の話になってしまいました。


2007年01月12日(金) 現代型うつ病

真面目で仕事熱心、秩序を愛するがゆえに疲れ果て・・・。うつ病になる人の性格は、従来こんなふうに語られてきたものですし、それは今後も変わらないでしょう。

しかし、昨今では、これに当てはまらないタイプのうつ病も増えてきたのだとか。

たとえば働くことを例に取ります。
自分の能力以上の仕事を引き受け、過重な責任に疲れ果て、効率が落ちれば落ちるほどがんばり、やる気のでない自分を責めて、周囲に申し訳ないと繰り返す。概して対人関係は穏和で、いい人と呼ばれる。これが従来のタイプ。

そもそも目の前の仕事に熱心でなく、社会のルールをストレスに感じ、「やる気が出ない」が口癖で、他人を非難し、責任を回避し、あまり自責の念を持たない。これが最近増えてきた、いわゆる「現代型うつ病」。

従来型は、基本的に病識が薄い、つまり自分が病気だという認識があまりないのです。うつ病という病名に抵抗し、がんばれない自分が悪いのであって、病気ではないと言うのであります。薬の効きは比較的良好。
一方現代型は、うつ病であること、休まなければならないことに、あまり抵抗がないと言います。休職したいので、診断書を書いてくれと医者に迫ったりします。従来型と比べると、薬の効きが悪い。

現代型が増えた原因は、昔よりうつ病の概念が広がり、従来はうつ病と診断されて来なかったケースも、うつ病の病名が付けられるようになったからだと言います。

そもそも何かに熱心に取り組み、結果を誰かに認めてもらった経験が少ない人。自由にのびのびやってきた人。そういう人が就職して、いろいろと小うるさい規則に縛られ、結果を求められる会社組織に属した時、気分の変調を起こす。だから、現代型うつ病は若い人に多いのだそうです。

薬を飲んで静養すれば良くなり、復職すると周囲が心配するほどがんばり出す「従来型」。それは、過剰に役割を果たし、過剰に責任を負う、そういう病理なのかも知れません。

一方、「現代型」は役割や責任を回避する傾向があり、会社のほうが復職を望まない。そもそもの対人関係の能力を高め、責任を負うことへの嫌悪感を取り除いていくことが必要だとされます。責任を軽くし、休んでいれば良くなるとは言えないところです。
悩みが絶えないのは、会社や他人という「周囲」のせいでもなく、「うつ病」という病気のせいでもなく、生き方に問題があるのだと気付くことが必要なのだといいます。

なんか、いろいろ自分に当てはまるところもあって・・、でも現代型うつ病と名乗ったりすると、「ほう、まだ若いつもりでいるのか?」とか言われそうなので、やめておきます。


2007年01月09日(火) 三九郎

三連休の最終日は、三九郎 の日でした。どんど焼きとも呼びます。竹や木で三角錐を作り、燃える材料として藁を足し、そこへ正月飾りやしめ縄を入れて、火をつける行事です。

僕の子供の頃は、三角錐を作るところだけ大人にやってもらって、あとは部落の子供たち総出で三九郎を作るものでした。正月飾りや、稲藁をもらって集めるところから、それを三九郎に仕立てるところまでやれば、一日では終わりませんでした。

いまでは大人たちが当日の朝作り、子供たちは正月飾りを集めて回るだけです。燃やすときの火の管理も大人であり、柳の枝に餅を刺して焼くところだけ子供たちがやっています。それだけ、子供が少なくなったのであります。
町内の小学生は7人。きょうだいのところがあるので5家族です。そのうち男手が出せるのが3軒。なのに僕は午前中の作業を休んでしまいました。いや、申し訳ない。

夕方やると寒いからという理由で、午後3時の点火となりました。火の始末を終えても、夕方暗くなる前に帰れるので助かると皆が言っていました。
けんちん汁を用意したり、お酒を振る舞ったり、おつまみも揃えて・・・。うちの子が、子供会の会長をやる年には、我が家でもそうしたものを準備しなければならないのでしょう。

退屈な田舎暮らしに彩りを添える年中行事でしたが、冬の行事も、夏の祭りも、もはや子供たちだけでは成り立ちません。

年に数回しか顔を合わせなくても、子供のいる家同士、親の顔は覚えます。しかし、年寄りばかりが住んでいる家も増え、その年寄りも去って空き家になっている家も多くあります。商圏を失った地元のスーパーが廃業し、タクシーを使って買い物に行くのも珍しくなくなりました。

若い人たちは、郊外の、車が二台おけるアパートに住むのが普通になり、小学校の定員が溢れそうだという話があります。一方で中心部の小学校は統廃合の話もでています。
にょきにょきマンションが建つのですが、入居するのはリタイヤした老夫婦や、子育ても後半戦の人たちばかりで、子供は増えません。

「変わり続けてく街並みのように、元には戻れない若き日の二人」

というフレーズが、竹内まりあの曲にありました。
意図を持って書き始めた文章ではないので、締まりなくだらだらと終わるのであります。


2007年01月08日(月) 変わり映えのしない棚卸し

3連休は雪かきと三九郎(どんど焼き)で終わってしまいました。
やや筋肉痛であります。おまけに、会社に出社してから、さらに雪かき。

さて、棚卸しは何のためにするのか。
いや、AAのステップの棚卸しではなくて、商売の棚卸しです。

あまり商売ごとには関わらずに生きてきたこともあり、棚卸しとは何なのか知らずに生きてきました。ソフト屋は、人の要求を満たす点ではサービス業であり、またもの作りの点では製造業のようでもあります。しかし、資料やアイデアが必要ではあるものの、作っているものが著作物ですから、原材料の仕入れは不要です。なので、材料も製品も、在庫を抱えたりしません。

しかし、ものを売り買いする仕事であれば、在庫がどれだけあるかは重要です。店頭や倉庫に、商品がどれだけ残っているか。それを調べるのが棚卸しです。
そんなものは帳簿を見れば(あるいはデータベースを見れば)分かる・・のかもしれません。でも、保存しておいた商品が腐ったり壊れたりして、売り物にならないこともあります。店頭に置いておけば万引きされるかも知れないし、色があせて商品価値がなくなるかもしれません。それは、データベースの数字では分かりません。単なる記入ミスだってあり得ます。
だから現実を調べるわけです。

倉庫に商品がたくさんあるのは、売れていない証拠です。値引き販売してでも処分しなくちゃなりません。腐ったものは捨てないといけません。店頭の棚に商品がない(欠品)のは、売れる商品の仕入れができていない証拠です。これも対策が必要です。

そうやって、現実を把握し、リスクを予測し、問題に対策していかないと、商売はいずれ行き詰まる・・というのが、素人なりに考えた棚卸しの理屈です。

ステップ4や10の棚卸しは、この作業を、自分の感情・行動・性格・対人関係などなどに対して行うってことでしょう。売れる商品がいつも欠品するように、棚卸しでも同じ性格上の欠点が毎日続くことになります。
たとえば、僕の場合「先延ばし」という項目が、たいていいつも挙がっています。けれど、いつも同じだからって、棚卸しの意味がないわけでもないでしょう。

締め切りや納期を過ぎて、眠い目をこすりながら何かをしているときには、思わず「こんなはずではなかった」とつぶやきたくなります。環境や他の人のせいにしたくなります。ですが、いつも同じだからと棚卸しをしないで、現実から目を背けている時点で、窮地の日はすでに約束されているのであります。


2007年01月07日(日) 行かずじまい

始発のバスで出かけ、最終のバスで帰ってくるつもりでしたが・・・。朝5時半に、天候を見て、高速バスの予約をキャンセルし、掲示板に書いた「東京へ行くよ」の文章を削除しました。

ま、またの機会もあるでしょう。

雪をかいたり、パンクしたタイヤを修理に持っていったり、壊れたタンスを整理したり・・・。雑事に紛れて一日が終わってしまいました。

さて、確かにAAミーティングに通うには金がかかります。
献金箱にお金は、入れても入れなくてもいいのですが、交通費というやつは、どうしてもなくすことができません。車なら、ガソリン代、田舎なら高速料金。電車賃。
あと、自宅で料理すればかからない食事代も、ミーティングの行き帰りに外食すれば、そのぶん出費がかさみます。

健康体であれば、必要ないはずのコストであり、「もったいない」という気もします。でも、それを節約しようとすると、ロクなことになりません。それは、つまりミーティングに通う回数が減ることであり、減らないまでも普段と違うミーティングに行くことがなくなることを意味するからです。

ミーティングに通うコストは、入院保険の払込金、あるいは貯金のようなものだと思っています。そんなものは無くても、日々の暮らしはしていけますが、いつ何時ケガや病気に襲われるかわかりません。同じように、ソブラエティの危機も、いつやって来るかはわかりません。

「本来であれば」必要ないコストだと思えばこそ、無駄にも思います。そこには、本来の自分は健康体であるべき、という誤謬が含まれます。でもアルコール依存症にかかっているのが「本来の自分」であり、それ以外の自分はどこを探しても見つかりません。

AAミーティングに通うコストを負担しているのが「本来の自分のあるべき姿」ではないかと思う次第です。


2007年01月06日(土) ステップ一巡

9月にホームグループのビジネスミーティングで、土曜日のステップミーティングの会場係を引き受けました。
「会場係」と言っているわりには、僕が会場を開ける回数は少なく、誰かが先に来て開けているということも多くあります。30分前には到着して、会場を開けておくように、というスポンサーの教えは守れていません。

会場係がそのミーティングの司会をすると決まっているわけじゃありませんが、用事があって休んだ時を除けば、ずっと司会もやらせてもらっています。
12&12を輪読するのですが、輪番を引き継いだ時がステップ11で、それから12をやって、また1に戻り、今日また12が終わったところです。
ページ数が多いステップだと、30分ぐらいは輪読が続くことがあります。ちょっとダレるときもありますが、まあ良いスピーカーの話を聞いていると思えば30分ぐらい良いではないかと、個人的には思っています。
さすがに、ステップ12は長い(27ページある)ので、2回のミーティングに分けました。以前に、1回のミーティングで一度に読んだことがあったのですが、そのときは65分ぐらい輪読して、残りの25分で分かち合いとなりました。後にも先にもそれ1回だけです。

ステップ12を読むと、いつも気がつかされる一文があります。

「さらにすばらしいことは、(略)仲間の中で特に抜きん出た人間になる必要はないと気付いたことだ」

人の集まりの中で、常に自分が「一歩抜きん出て」、他者に優越することで、自分は価値のない人間だと言う不安を鎮め、安心を得ようとしてきた人間です。
AAに来てしまってまで、まだそこでも「一歩抜きん出て」、他のメンバーより回復し、より目立ち、より尊敬され、そうすることで優位に立ち、支配する(自分の意のままにする)ことで、安心しようとしていました。

だけれど、もうそういう古い生き方は、とりあえずAAの中では捨てましょう、ということです。優れたメンバーにならなくていい。どこにでもいるような、欠点の多い、普通のAAメンバーでいいよ。ということでありましょう。

自分より回復した人が、周りににごろごろいても、年数の若い人に追い抜かれても、そんなことは、ちっとも苦にするこたぁねぇよ。と、勝手に解釈しています。


2007年01月04日(木) 残念なお知らせ

大変残念なことですが、冬休みが終わってしまいます。

ゆっくり休めたという感じはないですが、いくつかのことは片づきました。
年賀状も出せたし、三が日特別ホームページもやったし、掲示板に「星が見える名言100」を組み込む計画も実行できました。母の発案で、正月に子供たちと(母と)一緒に温泉プールに行ったら、妙に空いていました。

12月30日にホームグループの土曜のミーティングに出た後、1月3日に同じ会場の水曜のミーティングに出ました。それは、いつものルーチンどおりで、年末年始だから間隔が空いたりしなかったのですが、仲間の「いつもどおりの間隔でも、この31日・元旦・二日の3日間は、普段と感覚が違う」という言葉が、僕の気持ちをよく代弁してくれました。

さて、ある人が「AAの神とかハイヤーパワーという言葉は、どうも好きになれなかった。むしろはっきり言うと嫌いだった。けれど、最近その言葉を聞いてもあまり気にならなくなった」という話をしていました。

「神」とか「大いなる力」という言葉を聞いて、一歩身を引かない日本人のほうが珍しいと思います。いくらAAで、神の概念はその人の自由で、何かを信じる義務はないとは言っても、あまり気楽にできないというのが本音でありましょう。
例え「神」がハードルになってしまって、ある種の人を遠ざける結果になっているとしても、AAがそれを変えることはないでしょう。嫌なら別の方法を試してください、とAAは言うのであります。
どんなふうにAAプログラムを解釈しようとも、それは個人の自由です。でも、AAの中にいれば、他のメンバーが自分の God について語るのに、耳をふさいでいるわけにも行きません。

「神」という言葉が、あまり気に障らなくなるのも、大きな霊的な進歩だと思いますね。AAの言葉で言えば「寛容」。違う言葉で言えば、異質な他者の受容。もっと分かりやすい言葉で言えば、「心が広くなった」。

心が広くなれば、コミュニケーションも増えて、対人関係が改善し、孤独感も癒されるでしょう。ステップ、ステップと大声で繰り返さなくても、ミーティングにひたすら出続けていれば、変わっていくところもたくさんあるのでしょう。
逆に、ミーティングから離れていれば、知らず知らずのうちに心が蝕まれて孤独になる、ってこともあるんでしょう。


2007年01月03日(水) 薬物乱用について

あくまでも、僕個人の考え方だとしておきます。

たとえば、風邪をひいたとします。

わざわざ医者にかかるのは面倒なので、家においてある売薬の風邪薬を飲むことにします。風邪のウィルスをやっつける薬はないものの、薬で風邪の症状は抑えられます。対症療法ですね。

薬を飲んで寝ていたら体調が良くなってきたので、風邪が治ったと自分で判断し、その薬を飲むのをやめます。本当に治っていればいいのですが、薬で症状が抑えられていただけなら、風邪がぶり返すのは当然で、また寝込むことになります。

そこで、再度薬を飲み、そしてまた治りかけで無理をして・・・と同じことを繰り返す人がいたとします。

愚かしい行動であり、もし医者にかかりながら、そんなことをしたら、頭ごなしに怒られるでしょう。

何が言いたいかというと、「薬を処方より少なく飲むのも、薬物乱用だ」と言いたいのです。とくに精神科の薬ね。

調子が良くなったからとか、薬無しで眠れるようになりたいから、という理由は「いかにももっともらしい」のですが、医者には相談していないことがしばしばです。
そんなに薬をやめたいのなら、医者にそう言えば良いのです。
相談しないのは、「自分の考え優先」で行きたいからです。専門家にNOと言われて、自分の選択が後ろめたくなるなら、はじめから医者には相談しない方が心が楽だってわけです。

そのくせ、「イライラしたので、寝る薬2日分まとめて飲んで、早く寝ちゃいました」とか、「せっかく薬が要らないくらい調子が良かったのに、また最近ダメなんです」とか言われてもなぁ。

薬物乱用という言葉から、薬を規定より多く飲んでいるイメージばかり思い浮かべますが、より少なくしているヤツも、同じぐらい危ないんだと思います。
何しろ、僕自身がそういう経験があるわけです。そして、それがいかに危険なのかは、自分の狂った頭では理解できなくて、仲間が示してくれた結果で知ることになったのです。

アルコールについては、AAミーティングで正直に話さねばならない・・・同じように、処方薬については、どんな些細なトラブルでも、精神科医の前で正直に話さねばならない。そう思うのであります。
とは言っても、本人は「これはトラブルじゃない」と思っているからなぁ。

今年もごたくを並べていきたい、と思う日々雑記であります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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