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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年12月31日(日) 年末(その4) 明け方まで年賀状を書いていたおかげで、午後に起きました。
キッチンの掃除の続き。山積みになっている食器類を片づけ、流し回りのカビを処理。電子レンジとオーブントースターの掃除。最後に掃除機をかけて、拭き掃除。トイレの掃除をして、今年の大掃除はお終いです。
冷蔵庫の中とか、パソコン部屋とか、手の着かなかったところも多いのですが、もうやりません。無力は、諦念や妥協と似ているのかも知れません。
今年の思い出。
・「マイ・ハイヤー・パワーが進化すること」ネットを通じた仲間から。
永遠に不変の絶対的存在というイメージしか持っていませんで市が、考えてみれば Higher Power はひとりひとりの心の奥底にあるもの。自分がステップを通じて成長して行ければ、心の中のマイ・ハイヤー・パワーも成長するするのでしょう。
・「直感(hunch)とか虫の知らせ(inspiration)とか」安曇野ビッグブックの集いにて。
人は誰でも人生の分岐点に立つことがあります。そして、正しい方を選べるとは限りません。毎日が分岐点の連続だとも言えます。僕は、そうした分かれ道で、いつも間違った道を選んできたという後悔に苛まされてきました。
人である限り、今後も正しい方を選べるようにはならないという絶望もありました。
けれど、ステップ11を深めていけば、正しい方をえらぶインスピレーションが与えられると言います。
僕の祈りや黙想は、まだつたないものですが、いずれはそうなれると信じてみようかと思います。
・ステップミーティングの会場係。
毎週決まった曜日にAAミーティングに行く習慣が、崩壊しつつあったのですが、9月より(とりあえず半年)土曜のミーティングを担当させてもらってます。
おかげで真面目にミーティングに出るようになりました。
今年も、ネットを通じて、あるいはダイレクトにAAの仲間から、多くの恵みをいただきました。ひとりではどうがんばってもAAミーティングにならないし、ネット上のサイトも訪問してくれる人がいるからこそ存在していられます。
ひとりでは生きていけない。人によって作られた心の傷は、人によって癒される。そう感じる年末であります。
年末ジャンボはずれました。
2006年12月30日(土) 年末(その3) すぐに年賀状の印刷をするはずだったのですが・・・。Second Life のサーバーに接続して、アバターを作っている間に、2時間すぎてしまいました。
キッチンの大掃除の続きです。ともかく、要らないものを捨てる、捨てる、捨てる。賞味期限が1999年の醤油とか。茶色くなった乾燥わかめとか。
例によって話は、全然違う方に飛ぶのですが、僕は食事の前にお茶を飲まないと気が済みません。長年タバコを吸ったせいか、薬のせいか、しかとは分からないのですが、食事を前にしても、唾液が十分に出てこないのです。
だから、いきなりご飯やおかずを口に放り込むことはできません。
何か水分を摂らないといけません。
ま、無難なところではお茶です。仕事中の食事にはペットボトル飲料ですけど。
だから、まず食事の前に、お茶を入れるように・・・。
それから、「ご飯ができた」と呼ぶ時には、食卓に食事を並べたからにして欲しいのであります。食事が出てくるのを待っているのは、何となく嫌です。こっちは論理的な理由は何もありませんけど。
だから、まずご飯を並べてから、呼ぶように・・・。
かように、僕は気むずかしい夫であります。この手順が自然に行われるようになるには、数年を要しました。人はこれを「妻を教育する」と呼びます。ま、あんまりいい感じの言葉じゃありません。
逆に、妻がドンキホーテで買い物をしていても、ダンナはその間黙々とひとりで掃除しているわけです。これも教育の成果なのでしょう。
女房と畳は新しいほうがいいと言いますが、もし仮に新しい女房がもらえたとしても、食事の前にお茶が自然にはいるようになるには、はてしなく面倒くさい日々が必要なのでしょう。
そういうわけで、ひとりで黙々と掃除をしているわけであります。いろいろ気に入らないことがあっても、果てしなく現状維持が続いていくのが夫婦なのかもしれません。
そして今年最後のAAミーティングに行き、ラーメンを食べて帰って、シャワーを浴び、しばし子供たちと遊び、やっとこ年賀状を書き上げた頃には、朝になりつつあるのでした。
まだ一日残っていますけど、何とか今年も飲まずに終わりそうです。これもすべて、一緒に歩んでくれる人々のおかげであります。
2006年12月29日(金) 年末(その2) 雪かきはしませんでした。朝寝坊ですからね。大雪が降ればそんなことも言っていられませんが、かかなくても陽が出れば昼には解ける程度の量でした。
義父の車(妻が冬に使う)のタイヤをスタッドレスに交換。
車が動かないように、ギアをローに入れておいたのですが、義父がいきなり車に乗って、エンジンをスタートさせ、クラッチをつないだので、スパナがささったホイルが、ぐるんぐるん回りました。
妻はそのまま車のバッテリーを買いに行ってしまったので、しかたなく一人でキッチンの掃除をしました。その車がAT車なら、僕が行ったのですが、なにせMT車なので。
運転免許はMT車で取得しているのですが、MT車に乗ったのは教習所時代だけです。だから、法的には乗れても、技術的には乗れません。今や乗用車販売の9割以上がAT車なんだそうで、MT車をラインナップしていない車種も増えました。
世の中、僕と同じ人は多いのではないでしょうか。
結局キッチンの掃除は半分明日に持ち越しです。
年賀状のデザインがやっと終わりました。一般の人用とAAメンバー用では別の版を用意します。子供が「自分の写真が載ったのは友達には出せない」というので、お子様バージョンを追加。さらに今年はジジババ用が追加です。
年に一回住所録を整理するのも今です。
ご本人から年賀欠礼のハガキが届いたものは、今年は賀状を出さないでおくだけですが、ご家族から届いた場合は、もうずっと送らないということであります。
またひとり、またひとりと、飲まない知り合いが亡くなっていくのは残念です。しかし、「飲まないで死ぬまで生きる」という目標を達成できたわけですから、「成し遂げましたね。おめでとう」と笑顔で言ってあげたいです。
ソブラエティ(飲まないで生きる)ということは、すなわち飲まないで死ぬということでありましょう。とはいっても、One day at a time(一日ずつ)しか、その日に近づいていかないのですが。
2006年12月28日(木) 年末(その1) 迫る年末に追われながら暮らしております。
今週はホームグループしか出席の予定がありません。昨日水曜日に出た後は、30日土曜のステップミーティングでお終いです。
妻が大掃除をしない(というかいつも掃除はしない)ので、一人で大掃除をしております。今日は居間でした。明日はキッチン。
居間の掃除を終えると、もう日も暮れていましたが、床屋へ行きました。
それから、パソコンのメモリの買い出しに・・・。
2001年に型落ちで買ったIBMのノートパソコンですが、ついに壊れてしまいました。XPが起動しない、再インストールも途中で止まる、という症状です。
しかたないので、オークションで同型機の中古を買いました。1万2千円。
それが届き、無事XPがインストールできたので、喜んだのもつかの間。
新しい(?)側のパソコンはメモリが少なかったので、壊れたほうのノートPCから、増設メモリを引っこ抜いて、新しいのに差したところ・・・。XPが起動しなくなりました。
症状が伝染しました。
ということは、壊れたのは増設メモリモジュールで、本体は無事だったのか。
6年前のノートPCが、また一台増殖してしまいました。
そこで、リサイクルショップで、投げ売りになっていたメモリを買ってきました。ところが、容量256MBのはずなのに、半分の128MBしか認識しません。これが、相性問題ってやつですか。
またもやオークションで、こんどはメモリを落札しました。なんか、ずぶずぶと泥沼に入っていく予感です。
気を取り直して、年賀状をデザインしております。
今ごろやっているようでは、今年は元旦には届きそうにないです。
外は雪。地面も白くなってきました。
2006年12月25日(月) 回りから見ていると丸わかり 僕にとって月曜はAAミーティングの日ではないのですが、妻が「今夜はミーティングだよね」と言ったので、その勘違いはそのままにして、月曜日の会場に行ってしまいました。
昨日の教会のクリスマスで余ったケーキをいただきました。ラムレーズンのラムのにおいが、ちょっとお酒っぽかったですが。
さて、専門家の開くワークショップなどにはお金を払って行くんだけれど、地元の自助グループには通わない「困ったちゃん」の存在という話をうかがいました。
仕事の都合とか、いろいろ事情があってそうしているのなら、分かるんですけど。そりゃ、無料(同然)のアマチュアから得られるものと、プロから得られるものは違うでしょう。
でも、そこにプライドの問題が絡んでくればやっかいです。
AAの中でも同じことをやっている人はいます。週末のAAイベントには行くけど、日頃のミーティングには出ない・・っていう話ではなくて。
ソブラエティの長い人、スピーカーミーティングで良い話をしている人、注目を浴びている人、わかりやすく言えば「いかにも回復していそうな人」。そういう人と交わって、なんとか自分にアドバイスをもらい、それを実行することで回復していこうとしている人がいます。
悩み事を相談するにも、自分のホームグループではなく、離れていても「回復していそうな人」を選んでみたりするわけです。
本人は、その行動を合理化しているから、気づいていないのでしょうけど。プライドの問題です。
有り体に言えば、目の前に配置された人をバカにして、信用していないわけです。
悩み事だって、日常を知らない人にいきなり相談されても、適切なアドバイスは難しいでしょう。ところが、ホームグループのメンバーは、その人の状態が良くなったり悪くなったり経過をよく見ているから、よっぽど良く分かったりするわけです。なのに、最良の資源を避けてしまいます。
信用してないって態度は周囲には丸わかりですから、とりわけ年数が延びた人がそれをやれば、グループもしぼむでしょう。
最初の頃は、先ゆく仲間が神様のように見えたりするものです。しかし、やがてその夢も覚めます(さめないと困るし)。良い人に見えた人が、実は欠点の多い平凡なAAメンバーであることが分かってきます。すると、どこかに「本物のAAメンバー」がいるんじゃないかと、探してみたりしますが、当然みつかるはずがありません。
そうなると、「もはやAAに学ぶものは何もない」という結論になって、AAから離れて・・・。
「近くにスポンサーになってくれそうな人が見つからない」という相談を受けることがあります。あいつは信用できない、こいつも信頼できないという態度でいれば、悩みが増えるだけのような気がするのですけど。
2006年12月24日(日) クリスマス 昨日は妻と子供でクリスマスケーキを作っていたようです。
といっても、焼いたりするのではなく、焼き上がったベースを買ってきて、輪切りにし、缶詰の果物を挟んで、全体にホイップクリームを塗りたくっただけですが。
トースターでピザを焼いたりして、楽しげではありましたが、僕はAAミーティングに行かねばなりません。離れて過ごすのは少し淋しいことですが、家族というものは、物理的にツゲザーでなくても、精神的にツゲザーでいられれば十分だと思っています。
平日朝、僕が仕事に出かける時には、妻は寝ています。残業やAAを終えて帰ってくると、もう彼女は寝ています。だから、平日は夫婦で話をしません。僕が夜更かしをしていて、妻がトイレに起きてきた時に、5分ほど立ち話をするのが最長ぐらいでしょうか。
今日は子供と約束したとおりに、ニンテンドーDSを買いに行きました。色は黒がいいというので、何件か回りましたが、ほとんどの店で各色とも売り切れで、在庫があったブルーを買わざるを得ませんでした。ソフトはスーパーマリオブラザーズ。
さて話は変わって、AAはなぜ「謙虚さ」というものを尊ぶのでしょうか。
その理由について考えてみたものの、ずっと分からずじまいでした。
しかし最近になって、
「恨みがましい人を幸せにするのは難しい」
という文章に出会いました。周囲の人間が力を合わせても、尊大な人、わがままな人を幸せにすることは難しい(というかできない)。なにせ、本人が自分で自分を幸せにしたいと思っていないわけで、ただ「俺を幸せにしろ」と言っているわけですから。
幸せになるためにがんばるのではなく、すでに持っている幸せを感じる能力を育てることも「謙虚」なのでしょうか。
「心が感謝で満たされていれば、馬鹿げたうぬぼれが入り込む余地はなくなる」
とビルも書き残しています。
人並み以下であることの幸せと申しましょうか。
2006年12月22日(金) What happened to ひいらぎ 一日中会議。夜は会社の忘年会でありました。
最近の飲酒運転厳罰化の流れもあって、大半の人間が飲まない忘年会となりました。空いたビールの瓶より、烏龍茶のピッチャーのほうが多かったかもしれません。
しゃぶしゃぶの店でしたが、ふだん肉を食べに行かないので、それが良い肉なのか、悪い肉なのかは分かりません。ただ、先週本社で別のセクションの忘年会に参加した同僚が、「あれは松阪牛だったが、これは・・・」という話をしているのが興ざめでありました。
ウェイトレス(というか仲居さんというか)の制服は、黒の膝上5cmタイトスカートであり、とりわけ足の細い女性を雇っていることは、説明されなくても分かりました。「あれって、いいですよね」という僕の話に乗る人はおらず、座ったところが常務の隣という悪条件もあって、どうしても仕事の話にひきずりこまれる3時間でありました。
その後は、前の会社から一緒に働いている4人でカラオケ。毎年忘年会の後は、この4人でカラオケに行くのが習わしになっています。
が、その前に卓球を1時間やりました。1ゲームも勝てませんでしたが。
さて途中で一人帰ったものの、午前4時半まで歌って会計をすると、カラオケの支払いは総額1万円を越えました。朝までフリータイムでは入らず、一時間ずつずるずる延長したのがいけなかったのかもしれません。でも、それにしても高いぞと。
レジで確認してみると、途中で帰ったヤツのぶんまで延長料金がカウントされていました。それを差し引いても、まだ何となく高い。
レシートを確認すると、ソフトドリンク飲み放題で、誰も酒を飲んでいないのに、ジントニック580円×2というのが入っていました。
それも訂正してもらいました。
その後で、あれはジンジャーエールをふたつ頼んだのが、間違えられたんだろうねという話になりました。僕もジンジャーエールを頼んだ覚えがありました。いつも水で薄めているとしか思えない、この店のジンジャーエールではありますが、いつにも増して薄かった気がしなくもありません。
ソフトドリンクを頼んだ時は、酒と間違えられていないか毎回匂いと味をチェックしてから飲みますが、実はトニックウォーターの味がしなかったかと言われれば、そうかもしれません。単なる端末の打ち間違いという可能性もあります。
僕は極薄のジントニックを飲んだのかも知れませんし、飲まなかったのかも知れません。今さら確かめるすべもなく、体にも特に変化はありません。明日になったら、ものすごい飲酒欲求が起きて、正月明けには入院しているかもしれませんし、何も起きずに1ヶ月後には忘れているかも知れません。
ただ、明日はいつも通りAAミーティングに行って、この話をするでしょう。アルコールに関しては完全に正直になる以外に方法を知りません。なんとなく、このまま死ぬまでソブラエティが続いていきそうな、妙な自信を持ちつつあったところに、冷水を浴びせられた思いです。
ソブラエティ・カウントをリセットすることになるのかどうか、それは時間が経過してみないと分かりません。普段通りにしているしかないってことでしょう。
そうでなくて、お前はAAのプログラムが入ってないから、飲まなくても緑のメダルからやり直せという提案は何度ももらってますけどね。
2006年12月20日(水) ネタがない 雑記もネタがありません。困った時はスラドから、拾ってきます。
星の王子様に会いに行きませんか キャンペーンに続いて、今回は 「月に願いを!」 キャンペーンであります。
20文字という制限がきついです。ほとんど俳句ですな。文字サイズ35μmってのは、肉眼では見えませんが、誰かに見せるわけじゃないから構わないのか。
地球近傍と違って、月の周りには大気のような邪魔ものがないので、衛星がだんだん減速して月表面に衝突する・・ってことはなくて、ずっと月の周りを回っているんでしょう。
早生まれは得?損? 微妙な“格差”埋める動きも
小学生の算数の成績とかが、誕生月別に違うって話は聞いたことがありましたけど・・・。
2006年12月19日(火) 評議員? いざなぎ景気を越え、戦後最長と言われる今回の景気回復。
「でも、全然その実感がない」という話は、また別の機械に譲るとします。
今までにないぐらい景気回復が続いても、相変わらず国の財政は赤字で、借金ばかりがかさんでいきます。
とーちゃん、今までで一番稼いでいるのに、金遣いが荒いのが治らなくて、家計が毎月赤字。こんなんで、我が家の借金が減る日が来るのだろうか・・・そういう感じに似ています。
さて、田中角栄が道路を造るために作った税金と呼ばれるのが、道路特定財源と呼ばれるガソリン税や自動車税。毎年7兆円という巨額です。これは目的税だから、道路を作る目的にしか使えません。これを他の目的にも使える「一般財源化」というのが、今年の政治テーマのひとつでした。
さんざん、政治的な駆け引きがあった挙げ句、12月になって「道路をちゃんと造って、余ったぶんを一般財源に回す」という妥協案に落ち着きました。いかにも政治であります。
賛成派の人にとっても、反対派の人にとっても、「100%思い通りの結果にはならなかった」という不満の残る結果かもしれません。国会議員にしても、支持者に胸を張って報告できる結果ではないでしょう。
でも、それが政治なのかも。
それでも、国会議員はお金ももらえるし、子々孫々にまで残る名誉ももらえるし、ひょっとしたらうまい汁も吸えるのかも知れません。議員になりたがる人が多いのもうなずけます。
でも、AAの評議員は、お金も名誉ももらえません。手間ばっかり食います。そのくせ、極端なことは決められませんから、AAのサービス活動に興味を持つ人には「思い通りにならない不満な対象」です。そこだけは政治と同じです。
そして、名誉欲とか権力欲とか言われます。
自分のためにはならない、皆のために時間を使う役割です。同じ時間を使うなら、AAの中でも、別のもっと楽しいことをやりたいという気持ちはよく分かります。役割に人気がないのも仕方ないですね。
サービスって、日本語にすると「奉仕」ですからねえ。無理強いはできません。でも、自分のことばっかり考えてきたアル中が、みんなそれぞれの意見について考えるところに、回復があるんですけどね。
今年は評議員の選出が難航、という話を聞いて、そんなことを思いました。
2006年12月18日(月) 四輪駆動車は普通の車よりも・・・ 雑記も、日があきました。
ここ数日、肉体的にも、精神的にも調子が悪かったのは事実です。
ノートパソコンが壊れてしまったのも痛かったです。デスクトップ機のある寒い部屋に行く気になかなかなれませんでした。そして、今日月曜日は仕事も休んで寝ていました。まあ、明日は行けるでしょう。
さて、年末はパソコン用のプリンターが一番売れる時期なのでしょうか。
プリンターを買ってきて箱を開けても、最近は中に取扱説明書という冊子は入っていません。CD-ROMにPDFファイルが入っていて、印刷物のマニュアルはついてこないのが普通です。代わりに入っているのが、「セットアップガイド」とか「初めての方に」とか書かれた一枚紙です。
片面にはプリンターの設置方法が書いてあるのが普通です。輸送用固定の解き方とか、電源の入れ方とか、インクカートリッジの付け方とか、そんなことが書かれています。
反対の面には、CD-ROMからソフトをパソコンにセットアップする手順が書いてあるのが普通です。
たった一枚の紙で、イラストや写真が大きくて、文字なんてわずかなものです。それに従ってやれば、プリンターのセットアップはとても簡単で、まず間違えることはありません。
しかし、その簡単なことに失敗する人も結構たくさんいるのです。
何年も前に発売されたWindows XPは、今年発売された最新式のプリンターのことなど知りもしません。だから、「プリンターを接続する前に」、まずCD-ROMからソフトをインストールしてあげる必要があります。
が、「俺はプリンターの使い方が分かってるんだぜ」という無用な自信を持っている人は、トラブルに巻き込まれやすい(というか自分でトラブル作ってるんですけどね)。彼らは、インクカートリッジの取り付けが終わるあたりで、「後は知ってるんだ」とばかりに、いきなりプリンターとパソコンをUSBケーブルでつないでしまいます。
XPは新品のプリンターを「ドライバーが見つからない」とか「不明なハードウェア」とかいう言葉を使って、冷たくあしらいます。付属の紙に書かれていない言葉が出てきて、びっくりした彼らは、慌ててソフトのインストールを始めたりするのですが、時すでに遅しであったりします。
そこでひいらぎの電話番号を思い出して、サポートセンター代わりに呼び出してみたりするのですが、まあそれは別に僕にとって迷惑な話でもありません。(数は少ないものの)その人が女性の場合には、丁重な受け答えが待っていると期待していいです。が、男性の場合には、
「パソコンの電源を落として、プリンターの電源も切って、ケーブルも外して、そして最初から紙に書かれたとおりにやりなおしてみろ」
と冷たくあしらわれるのがオチかもしれません。
「どうしてアル中の人って、紙に書かれた手順に従ってやるのが、こうも苦手なんだろう」と思いますね。どこかで「自分の考え」が入って、横道にそれて、トラブルに勝手に巻き込まれて・・・。まあ自分も例外じゃないですが。
まあ、そんな傾向が、プリンター接続ひとつにも現れると申しましょうか。
でも、自分の考えで困っている人へのアドバイスは簡単なので、こちらも楽です。プリンターだったら紙に書かれているとおり、ステップだったらビッグブックに書かれているとおり、「やってみてダメだったら、もう一度電話してくれ」と言えばすむことです。そこに僕の知恵など不要です。
逆に、考えがまともな人の持ち込むケースは、パソコンサポート係にとってもチャレンジングなことが多いのです。四輪駆動車は、FFの車より、救出が困難なところで立ち往生するのが、世の習わしであります。解決できない問題のほうが多いです。
まあ、そもそも「助けを求める」「困りごとを相談する」こと自体が、まず最初のハードルなのかも知れません。
2006年12月13日(水) 頑張れをムチだと感じる心理 さわやかに目覚めて、なぜこんなに目覚めがさわやかなんだろうと疑問に思いながら時計を見ると、すでに10時でありました。目覚ましはしっかり止めてありました。とほほ。
あわてて職場に連絡を入れました。言い訳を考えても仕方ないので、「寝坊しました」と言っておきました。けれど公式な記録は「体調不良で遅刻」にしなければならないのは、会社の事情です。
さて、「頑張れ」というのは手っ取り早い励ましの言葉です。でも、世の中には「頑張れ」という言葉で励まされるのが嫌いな人が多いです。かくいう僕ものその一人であります。
頑張れと言われるシチュエーションは、人に後れを取っているときが多いです。たとえば、「たいへんよくできました」が一番なら、二番は「よくできました」。そして三番目が「もっとがんばりましょう」です。クラス全員のマラソンなんかでも、人より遅れていると、後ろのほうから先生が自転車で走ってきて「がんばれ」と言うわけです。
でも、たいていその時は後れを取っていることは自分が一番分かっているものです。アクセルを床まで踏みつけるようにして頑張り続けているのに、「これ以上どう頑張ればいいというのか」という反発心も生まれれば、「頑張っていることが認めてもらえてない」という自信喪失にもなったりします。もう頑張れないほど疲れ果てているのに、励まされるのは辛いものです。
励ましを受け止めることが出来るのは、心の中に予備のエネルギーが残っているときですね。例えて言えばオートバイのリザーブタンクのように、ガソリンがなくなったように思えても、実は別に少し残してあるのであります。
ところが、最初からリザーブタンクの中身まで使い切っちゃう勢いで頑張っていると、励まされるころには予備のエネルギーがありません。実際そこまで頑張ってなくても、「いつもリザーブタンクが空になるまで努力を続けないとならない」という強迫観念を持っていて、努力しない自分を後ろめたく思っていれば同じことです。
確かに「頑張れ」という言葉が無神経に使われて人を傷つけている場合もあります。けれど、励ましは「歩くのがしんどそうな人につえを貸してあげること」です。つえを差し出されているのに、なぜかそれが「言葉のムチで打たれている」ように感じられてしまう。
それは自分の問題です。
自分の側の問題であるのに、それを「人間関係の悩み」という言葉にすり替えてしまうから、本質が見えなくなってしまう。「あの人は嫌いだ」と言って、優しい別の人を探す。だから解決しない。
そんなふうに考えています。
2006年12月12日(火) 匿名カウンセリング 僕は心理カウンセリングを受けたことはありません。
カウンセラーが長野県内にどれだけ居るのか知りませんし、その養成の仕組みだとか、値段とかも知りません。
ただ、知識としては、日本全国くまなく存在するわけではないことや、能力も様々であること、やっぱり無料より有料の方がいいという話は聞いています。
最近のアメリカ・カナダのメンバーシップサーベイによれば、AAメンバーの2/3はAA以外の医療・心理・宗教的な手助けを受けており、その3/4はソブラエティに効果があったと答えています。
さて、ニュースリリースからこんな記事を見つけました。
ITを活用した新サービス『エキサイトカウンセラー』を開始!
ITを活用したとは言っても、カウンセリングは電話で行われるので、あんまりITっぽくはありません。課金はエキサイトのIDに対して行われるので、カウンセラーに直接払うわけじゃありません。だから、カウンセラーはクライアントの身元を知る必要はないわけです。
カウンセラーは三つ星から五つ星まで3段階にランクわけされています。30分の料金が3千円〜5千円というのは、僕には高いか安いか分かりません。ランクわけは利用者の評価によるとされていますが、その仕組みがうまく機能するかは未知数です。
一応カウンセラーの得意分野で探せる仕組み鳴っていますが、「依存症」で選んでも、「性」でえらんでも、現在登録されている42人のカウンセラー全員がリストされるテキトーさです。
ちなみに、ニュース記事によると、カウンセラーは提携カウンセリング団体からの派遣らしいです。提携先は、神戸メンタルサービス合資会社とNPO法人日本心理専門士協会。
日本心理専門士協会のホームページを見に行ったら、「カウンセラーの卵たち」と書いてありました(いまはそれが消えてますが)。
ひいらぎ、お前が人柱になって、試した感想を聞かせろよ、とか言われてもなー。
2006年12月11日(月) 病院メッセージ 今年もそこそこの数、病院メッセージに行かせてもらいました。
病院メッセージというのは、AAメンバーが病院にうかがって、アル中の患者さん相手に話をするものです。患者さんは、病院の治療プログラムの一環としてほぼ強制的に参加するケースもあれば、出たい人だけ出ればいいよという病院もあります。もちろん、前者のほうが圧倒的に参加人数が多くなります。
どちらが良いかはわかりません。自発的に参加したからって、断酒する人の割合が増えるようには感じられません。だから強制参加のほうが、断酒する人の絶対数は増えそうな気がします。
もちろん、こちらとしては自発的な参加者相手のほうが、やりやすいです。強制参加で人数が多いところへ行くと、「何しに来やがった」という反発心も強かったりするので、気を抜けません。
しかし、入院中は真面目に自主的にプログラムに参加している人が、退院後はAAや断酒会にいっさい通わず、通院もせず、もちろん抗酒剤も飲まない、もちろん結果は推して知るべし、このほうが普通だったりします。
病院のスタッフにしてみれば、やる気を持って治療に取り組んでいた人が、退院後は手のひらを返したようにやる気がなくなるケースを見て、すっかり不信感を持ったりするようです。でも、そういう病気ですから。
人数が増えてくると、どうしても相互通行的なやりとりをする余裕がなくなって、12番目のステップの活動というより、単なるAAの広報活動になる感じがします。広報活動だって、メッセージを運ぶ一環だと言われれば、確かにそうですが。
日本での病院メッセージは、皆で一室に集まってするケースが多いです。元祖アメリカでは、病室のベッドサイドまで行って、個別に話をすることが普通に行われているそうです。
日本でもそうしたことができないものか。そういう疑問に、ある精神科医が答えてくれました。
それは病院の責任問題なのだそうです。たとえばベッドサイドで話をしているときに、患者さんが興奮してAAメンバーを殴りつけ怪我をさせたとします。それを考えねばならないのが、精神病院の現実です。補償という問題を抜きにしても、日本ではそうした事故が起こると、病院側の管理責任を問う声が上がってしまう。だから、病院としては慎重にならざるを得ないと。
それは社会の問題なので、たとえAAメンバーが「もし事故の被害を受けても、なにも補償を求めない」という念書を出しても、解決するものではありません。
もっとも、それは病院から地域の断酒例会やAAミーティングに参加することにも、同じ事は言えたわけです。いまだそれにすら慎重な病院もあるものの、ここ10年・20年の間に、驚くほどの変化があったのも確かです。
せっかく受け取ったのに、贈り続けなければ失われる。不思議なプレゼントであります。
2006年12月10日(日) 練習 (自分も含めて)アル中の人は「人と親しくなるのが苦手」だと思います。
自分からは何もしなくて、誰かが勝手に親しくしてくれるのを待っているだけ。そんな人が多いように思います。
あるメンバーが話していたのですが、人と人が親しくなるには、
・まず知り合って、挨拶をする関係になり、
・次いで、世間話をする段階があり、
・そして、プライベートな話をする段階へと至る。
という手順を踏むわけであります。
その過程では、「人間に対する恐れ」とか「無用な自分のプライド」とか、いろいろと乗り越えなくてはならないハードルがあります。そして、アルコールは、そうした邪魔者を一気に取り除いてくれる「魔法の薬」であったわけです。
その魔法の薬に頼り切ってきた(あるいはひたすら孤独を選んできた)人間は、しらふで人間関係を築く経験を積んでいません。だから、良い言葉で言えば内気でシャイな人間に、悪い言葉で言えば孤独をひがむ人間になってしまうのは、不思議じゃないでしょう。
自分の子供と何を話したらいいのか分からないとか、すぐに「昔の俺はこんなに偉かった」という話になったりとか。その下手っぴさは、なにもアル中に限りませんが。
自助グループでは、そうした人ばかりが集まってくるので、お見合いみたいに「まずお互いが親しくなることから」などと言っていては、その間にぼろぼろ人が死んでしまいかねません。だから、初対面だろうが構わずに、ミーティングでは身の上話や心の悩みを話しなさいとなっていると、僕は考えています。
信頼できる人を選んで、その人に話をするのではなく、たまたま自分の前に配置された人を信じるのだと。
AAの中にいれば、つまらない人間関係のトラブルに悩まされることも多々あります。でも、それはすべてを許せということになっています。何せ僕らは、AAという幼稚園の庭で遊んでいる子供です。子供同士の喧嘩をいつまでも引きずるわけにもいきません。お互い傷つけ合いながら、失敗しながら学んでいく。それが親しくなる方法ではないでしょうか。
社会の中では、人間関係の失敗は時に致命傷です。AAは練習の場だと思います。
ミーティングで話をきくばかりでなく、人と交わることもAAのプログラムでしょう。
(この項続く、かも)
2006年12月09日(土) 代行 僕のふたりの娘は、父親が酒を飲んでいるところを見たところがありません。
もし飲んでいるところを見たならば、言葉での説明が要らないくらい、この病気にはインパクトがあると思います。
でも、そのためにわざわざ飲んで見せようとは思いませんが。
どうやって、依存症のこととか、AAのこととかを、説明したらいいのか。それは、子どもが赤ん坊の頃から、僕の心に引っかかっている悩みでした。
が、そんな父親の思惑とは別に、母親による教育は着々と進行していたらしいです。
いつの正月だったか(今年かな)、町内会の三九郎(どんど焼き)の時、町内の奥さんに紙コップを渡され、そのコップに酒を注がれそうになりました。
断ったのですが「縁起物ですから」と、ちょびっと注いでもらうことにしました。
でも、娘は「パパ、ダメッ!」と怒りました。
「飲むふりだけでも」と言われたので、匂いぐらいは嗅ごうかとしたら、さらに「パパ、ダメダメダメ」と怒られました。
でも、なぜ父親が飲んでいけないのか、本当に理解していたかは疑わしいです。
春に山梨でのAAイベントに行った時、娘たちも連れて行きました。
もっとも、家族連れで行くと、スピーカーの話を聞いたり、話し込んだりってこともできません。ほぼ家族の相手で終わってしまいます。
それでも、会場のロビーで他のAAメンバーと話し込んでいるうちに、とある横浜のメンバーが僕の娘たちの相手をしていてくれました。
彼と娘たちの会話を断片的に聞いていたのですが、
「あなた達のとうちゃんは酒を飲むと・・・。AAに行っていれば・・・」
そんなような話をしてくれたようであります。それでどれだけのことが伝わったのかはともかく、「お酒飲むとどうなるの?」という直球の質問に、その仲間は真摯に答えてくれていたようです。
そのイベントでは、心に響くような誰かの話を聞けたわけでもなく、ただ会場の周囲の山野で娘たちとひたすら遊んで帰っただけでした。
けれど、自分でどうやって越えたらいいか分からなかったハードルは、その仲間が易々と跳び越えてくれたようであります。感謝。
「自らのためになし得なかったことを、神がしてくださっていることを、突然悟るであろう」〜6章。
2006年12月08日(金) 高いハードル ときどき顔を出すぐらいの頻度なんだけれど、続いている人がいます。
毎週でなくて、不定期にでも、AAミーティングに出席している人は、ともかく飲まないでいるものだと思います。
想像ですが、そういう人は、自分に必要になった時だとか、暇な時間ができた時に、AAミーティングに出かけてくるんだと思います。
でも、それって結構「すごいこと」です。
というのは、定期的ではなく、不定期を続けるのは、人間には難しいと感じているからです。これは、AAのミーティングに限りません。
たとえば、この年になると、何もしないで健康体という人が少なくなってきます。すると、スポーツジムとかフィットネスクラブに入会したという話も聞くようになります。
最初はみんな、「体を動かすって気持ちいいですよ」とか爽やかな顔で言うのです。しかし、続く人は少ないですね。毎週○曜日はジムの日で、他の誘いを断って行く人は続きます。でも、自ら拘束することが嫌いで、時間の余裕がある時にだけ、って言っている人は、まず例外なく「会費だけ払う会員」になります。
そして、半年もすれば会費だけ払って通わないばかばかしさに気付いて、退会してしまいます。
人間というのは、そういうもんだと思います。理由は多忙であったり、怠惰であったり、いろいろでしょうけれど。
不定期に通うのは、誰にでもできることじゃありません。
だから、AAのスポンサーは、「毎週決まったミーティングにきちんと出席しろ」と口を酸っぱくして言うのも分かります。だって、それが一番楽なやり方ですから。
ミーティングを休んだ言い訳なんてしなくていいのですが、僕も余計ないいわけをスポンサーにして怒られたことがあります。
「先週は調子が良かったので、ミーティングをサボっちゃいました」と。
すると、「調子がいい時にミーティングに来れないヤツが、どうして調子が悪くなった時にミーティングに来れると思うんだ?」と叱られました。
そういう甘えたことを言っているヤツは、いざ調子が悪い時には、もうミーティングに行けないぐらい調子が悪くなっているもんだと。
高いハードルを越えられる人がいるからって、自分も高いハードルを跳ぼうとすることはないですよ。低いハードルで楽をしましょうや。
2006年12月05日(火) 評判悪しのすすめ 最近、僕の評判が悪いですって?
あまりそういうことは気にしないんですよ。
だいたい、AAの中で失って困る評判なんかないですよ。
第一に、評判は「守るべきもの」じゃありません。
評判は、頂戴するものです。繁盛している店に行って、流行ってますねと言えば、「おかげさまで評判を頂戴しまして」と答えが返ってくるでしょう。
評判は、勝ち取るものではないんですよ。
そりゃ、根も葉もないことを言われれば傷つきますよ。でも、あんまり深く傷つくのは、自我が膨らみすぎている証拠です。
本当のことを言われると、もっと痛いです。でも、本当なんだから仕方ないじゃありませんか。自分で自分に格好付けてると、本当のことを言われた時に、すごく痛いんです。だから、自分にはありのままでいないとね。
自分の実体より良い評判に恵まれちゃうことだってありますね。でも、分不相応の評判を守りに行ったら悲惨です。背伸びして歩いていれば、転ぶのが普通です。
等身大の評価をされるのが、たぶん一番幸せなんです。
品行方正じゃないのに、品行方正のふりしてたってダメです。品行方正になるより、まず自分自身にならなくちゃね。
「女の尻ばっかり追いかけてる」とか「何年経っても人間的に成長しない」とか「まだ薬飲んでる」とか。本当だし。どんな話にも、いくばくかの真実は含まれているんです。
自分の信じたことをやっていれば、評価はあとからついてきます。春に種をまいて、秋まで世話を続けられれば、収穫があるでしょう。それが評判ではないでしょうか。たくさん種をまいても、地力以上には実りませんし。
話は変わるんですが、ソブラエティが長くなるのに、AAは平等だからって、グループの運営に口出ししすぎるのも考え物です。やっぱり、5年・10年・20年とたっていけば、何となくその人の意見に重みがついちゃうのが普通です。そういう意味では、1年くらいの仲間と平等ではないです。つまり、長くなれば自由にものを言う権利がなくなってくる。ビジネスミーティングに限らずです。
グループは間違えるものです。正しいやり方を知っている(と思っている)からって、口を出しちゃダメです。若い人に、間違える権利、間違いから学ぶ権利、こつこつやって評判を得る権利、そういうものを譲ってあげないといけません。さもないと死にかけの執事ですよ。
「あんたのいるグループは最近評判悪いじゃないの。あんたがいながら何やっているの」と言われても、任せてあるんだからと「へらへら」笑っている度量が求められているように思います。
○○さんがいるから、あのグループは安心だなんて言われるのは最低ですな。その人がいなくなったら、どうするんでしょうか。
2006年12月02日(土) 倶利伽藍行 日々雑記ではなく、週3雑記になっている、今日この頃です。
土曜日7時半起床。8時半出発。交通情報で安房峠が雪になっていると言っていたので、白馬から糸魚川に抜けることにしました。
松本、安曇野あたりでは、まだスタッドレスタイヤを履いている人はほとんどいません。しかし、北の方に行くと、ノーマルタイヤの車は皆無になりました。
10時、白馬の道の駅。11時、北陸道糸魚川インター。日本海側は、鈍い色の曇り空になっていました。北陸道は、ひたすら空いていて、ひたすらまっすぐで、眠くなるのでありました。北陸の空は、鈍い色の曇り空で、やがて1時に富山石川県境の倶利伽羅峠につく頃には、その空から激しい雨が降り出しました。
スピーカーの話は1時間半ぐらい聞いただけでした。あとは、3年ぶりぐらいに会った仲間とひたすら話をしていました(もちろん別の仲間とも)。
9時頃帰ろうと思っていたのですが、ずるずると10時半頃まで居残ってしまいました。夜の峠はみぞれになっていました。しかし、富山まで行けば、気温もあがって雨になりました。そのまま8号線を朝日まで行って、高速に。
糸魚川ではふたたびみぞれになり、融雪のために道に水が撒かれていました。
南下して標高が上がるにつれ、気温が下がり、みぞれが雪に変わり、道路も白い部分が増えてきました。なにしろ(前回も書きましたが)、スタッドレスタイヤがあまりにも古く、あまり雪が激しくなるようなら、南下を諦めねばなりません。
一番怖いのは、ずっと進んでから諦めることになり、糸魚川まで延々戻る羽目になることです。金沢の温泉施設で朝まで過ごした方が良かったかと思ったのですが、後悔先に立たずです。
後悔先に立たず・後悔役に立たず・後悔後を絶たず。
しかし、雪は激しくならず、生まれ故郷を通り過ぎる頃には、雪の姿も見えなくなり、3時半に自宅につく頃には、よく眠れそうな疲労に包まれていました。
たまったメールの返事はこれから書きます。
2006年12月01日(金) ほっと一息 今週は仕事が忙しく、ほぼ毎晩残業になってしまいました。
商売は相手のあることなので、どうしても思い通りにならないこともあります。
その電話をたまたま(他の社員ではなく)僕が取ってしまった、というだけの理由で、大変な思いをしたわけですが、それを貧乏くじと思ってしまうと、自分が辛いばかりです。
こういう時は、いつもユダヤの言い伝えの話を思い出します。
「スマート・マン(利口な人)とワイズ・マン(賢明な人)とは違う。スマート・マンは状況から抜け出すのが上手な人だが、ワイズ・マンは状況に入るのが上手な人だ」
状況への入り方がうまいってのは、いろんな意味に取れますから、毎回違うことを考えるわけですが。
賢くありたいと思います。困難な状況から自分だけが抜け出す「ずる賢さ」ではなく、状況にうまく関与していく「知恵」を持ちたいと思います。
ともかくいろいろ勉強になりました。
でも、やっぱり自分の能力以上のことをすると疲れますね。
というわけで、今日は昼まで寝ていました(罪悪感無し)。
明日は金沢のAAイベントに行ってくる予定です。
安房峠を越えるか、糸魚川へ抜けるか、上越回りでずっと高速道路で行くか。明日起きた時間で決めたいと思います。夕食は頼んであるので、会場で食べ、夜に帰ってこようと思います。
今日、新しくスタッドレスタイヤを買って交換しておこうかと思いましたが、明日は気温が高く推移しそうなので、そのまま行くことにしました。雪になると帰って来れなかったりして。
今年前半の自分のテーマは、「その人のハイヤー・パワーが進化する」でした。後半のテーマは、「直感とかインスピレーション」でした。いずれも、霊的なふれあいの中から与えられた言葉でした。
明日も運が良ければ、何か与えられるかも知れないと、期待しています。
それよりも、ビンボーなのに何万円も衝動買いしてしまった自分を、正気に戻してくれる何かが欲しいんですけどね。
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