心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年02月28日(水) ネカマ

あんまり真面目な話ばかりだと肩が凝りますから、たまには軽い話を(いつも軽いか)。

ネカマとは、"ネ"ット上のお"カマ"の略です。「おかまって何ですか?」という質問は救済しようがないので、広辞苑でも引いてください。

ネットは進化したとはいえ、いまだに文字主体のコミュニケーション手段です。だから、相手の顔を見えないし、声も聞こえません。だから、男が女のふりをするのは簡単なことです。字面だけ女っぽくすれば良いだけですから。相手が女だと思って鼻息荒くチャットに熱中していても、実は通信回線の向こうにいるのは鼻毛を伸ばした脂っこいキモオタなのかもしれません。恐ろしいことです。

ネカマの存在は1980年代前半から指摘されていましたが、やはり数が増えたのはインターネット時代になってからでしょう。ネットで検索すれば、ネカマを楽しんでいる人がたくさん見つかります。
女のふりをして何が楽しいのか? ネカマ道を追求する人には、ほぼ共通の楽しみがあるようです。話を盛り上げて、相手の男がその気に(どんな気だ?)なった時に、おもむろに「実は俺男なんだ」とカミングアウト(?)し、男が狼狽する様子を見て楽しむ・・・。あるいはその様子をネットに公開する。そんなところでしょうか。まあともかく、彼らはネカマ道を極めるべく、日々研鑽にいそしんでいるのです。

お前はネカマに引っかかったことはあるのか、ですか?
もちろん、ありますとも( ̄^ ̄)えっへん。ネット歴二十数年ですから。
いや威張ることじゃないですね。まあ、初めて引っかかった時は、満員電車の中で痴漢されたのと同じぐらいショックでしたが。パソコン通信の時代のことです。

そういう僕も一度ネカマをやったことがあります。
いや、男をからかって遊ぼうと思った訳じゃありません。もちろん真面目な目的じゃありませんので、これも威張れた話じゃありませんが。

なんか話が長くなりそうです。

「もう眠くなりましたから、続きは明日の夜にしましょう」とシャーラザットは言うのでした。

(明日へ続く)


2007年02月27日(火) 一番古い記憶

思い出せる限り一番古い記憶は、3〜4歳ぐらいの頃のものです。実家の御上(おえ)と呼ばれる広い部屋で祖母と遊んでいる記憶です。それは直接の記憶ではなく、小学生の頃に「その場面を思い出した」ことを記憶しているだけです。

直接の記憶として残っているのは、4歳ぐらいで、実家の裏の道で遊んでいたことです。今はコンクリート舗装されたその道も、当時はまったく未舗装で人通りも少なく、草が茂っていました。自分の背と同じぐらいの高さの枯れススキの中で、誰かとかくれんぼをして遊んでいた記憶です。
でも、これも記憶を記憶しているのかもしれません。

AAでは過去のことを掘り起こす作業をするのですが、人生全体から見ればごく一部を取り出せるに過ぎません。残りの部分は平々凡々の日常が続いていたわけでもなく、思い出せた部分より意味が軽いわけでもありません。だとすれば、飛び飛びの記憶から紡ぎだした自分の人生のストーリーは、本来の中心線からずいぶんずれているものなんでしょう。

一度憶えたことを忘れることが本当に出来るかは知りませんが、想起されない記憶は不活発になっていきます。ようするに思い出せなくなるってことです。

子供の頃のことが茫洋として思い出せないように、飲んでいた頃の記憶もあいまいになってきました。AAミーティングでしゃべる体験も、過去に話したことばかりです。記憶を記憶しているわけです。だから、最初の1年・2年・3年の頃に、飲んでいた頃の自分を思い出す作業をしておかないと、後からその作業をしようと思っても、脳みそがそれを許してくれません。

病院メッセージで飲んでいた頃の話をするときは、なんだか中身が定型化してしまっている次第です。


2007年02月26日(月) Bluetooth熱

今回はエレキネタです(というか電波ネタか)。
昨年の1月に突如自分の中で Bluetooth 熱が高まりました。

自動車を運転中に携帯で通話するには、ハンズフリーキットを使うべしと法律で定められています。車載用のちゃんとしたキットは数万円するのですが、そんな投資をするほど運転中に電話したいわけじゃありません。そこで、携帯用の安いキットを買いました。イヤホンの途中にマイクが付いていて、シャツにクリップで留めるような商品です。
が、実際に使ってみると、イヤホンのケーブルがとても邪魔で邪魔で、我慢なりません。また、使うためには携帯電話のイヤホン端子にケーブルを刺さないといけません。が、車に乗るたびに、ケーブルの抜き差しをするのは面倒で面倒で、ますますイライラしてしまいます。

そこで、イヤホンマイクと携帯の間を無線でつなぐ・・という当然の解決方法を探す事にしました。世の中には Bluetooth という無線の規格と製品があります。まず最初は、Bluetooth のイヤホンマイクを買いました。そして携帯電話のイヤホン端子には、Bluetoothの無線アダプタを取り付けます。しかしそれでは「車に乗るたびにイヤホン端子に、何かを接続する手間はちっとも減らない」ことに、なぜ自分は気が付かなかったのか・・・。

携帯電話本体の中に Bluetooth 機能を備えた機種もあります。で、さっそく機種変更。イヤホンマイクの出来が気に入らなかったので、ちゃんとしたヘッドセットを購入。これがなかなか便利で、携帯本体がポケットやカバンの中に入りっぱなしでも、ヘッドセットさえ身につけていれば、発信も着信もできます。調子に乗って、パソコンで Skype 通話するときも、このヘッドセットが使えれば便利だろうとパソコン用アダプタを購入。さらに自宅の電話も Bluetooth 対応に・・・。すっかり泥沼で、何万円使ったか忘れました。
そんなふうに熱が入ったわりには、あまり無線ヘッドセットは使いませんでした。

だって、電話あんまりかかってこないんだもん。

機種変更した携帯電話は使いにくくてたまりませんでした。そして、待ちに待った13ヵ月。やっと機種変更できる時期がやってきました。もうデカくて重い端末はこりごりです。ワンセグも要らないし、ニュース配信も要りません。小説もマンガもケータイじゃ読まないし、音楽も聴きません。だいたい、一日の大半を、パソコンの前に座って過ごす人ですから。


2007年02月25日(日) ネットって本当に匿名なのか・・・。

僕はここでは「アル中のひいらぎ」としか名乗っていません。
(少なくともこのホームページ内では)実名や、住所や、電話番号は公開していません。だから、匿名で活動していると言われれば、それは否定できません。でも、匿名だから言いたい放題のことが言えるかといえば、そんなことはありません。

同じアドレスで4年余り活動し、駄文を書き、よそのサイトにも出入りし、それなりの人間関係も出来ています。オンライン(ネット上)の人間関係は、オフライン(リアル)の人間関係とは違うかもしれませんが、ネットにはネットなりの社会があって人間関係があるわけです。
友人知己は大切にしたいものです。

もちろん、それらをかなぐり捨てて、固定ハンドル名も使わず、匿名プロキシサーバーを通して、没個性の一人として発言することもできます。そういうのはあまり好きじゃありません。「ほらみろ、お前だって完全匿名社会は嫌じゃないか」と言われれば、そのとおりであります。

新聞記事は、わずかな例外を除けば、たいてい匿名記事で、誰が書いたのかわかりません。
どこそこで交通事故が起きたというような雑報にまで署名を入れて欲しいとは思いませんが、「好ましい」とか「好ましくない」という意見を挟んだ記事を書くなら、署名記事にしろと言いたいです。別に記者の実名を公開しろってんじゃなくて、ペン・ネームでいいから載せたらどうかと思います。そうすれば、新聞社と言う会社が記事を書いているんじゃなくて、記者という個人が書いていることが明確になりますから。
そうならないうちは、新聞こそ「匿名メディア」じゃないかと。

PJとかオーマイニュースという「市民記者によるネット新聞」が不振だそうです。
原因は、読者が期待したほど市民記者のレベルが高くなかったことに尽きます。レベルの低い(つまり思い込みの強い)記事に対して、「脳内妄想」などといった中傷が(匿名で)浴びせられて、市民記者のプライドが傷つき萎縮して撤退→さらにレベルが落ちるという悪循環でしょう。それでもがんばって書き続けて欲しかったと思うんですが。

ネット上で何らかの意見表明をすれば、好意的な反応がもらえてうれしいこともあります。けれど、反対意見の人からの反応も、ダイレクトかつ即座に、おまけに長期的にやってくるものです。そこが紙のメディアと違うところです。

ネットを使えば作品を配布するハードルは低くなりますが、その作品に批判的な意見の配布も同じように簡単です。情報発信者だけを特別に守ってはくれない、公平だということなんですけどね。


2007年02月24日(土) 「強制的に」と「好きなだけ」

ちくま新書で廣中直行という人の本を読んでいます。
その本の話は、別の機会にするとして。

ある薬が人体にどんな影響を及ぼすか、という実験をする時に、薬を人間に飲ませた後で、脳を切り刻んで確かめるというやり方はできません。仕方ないので、動物を使って実験します。
ところが、動物は薬を飲みたがりませんから、実験のためには、餌に薬を混ぜるとか、注射をするとかして投薬をします。この投薬は「強制的に外部から管理」されています。動物実験は、ずっとそのやり方でした。

アルコール・モルヒネ・アンフェタミン(覚醒剤)・ニコチン・カフェイン。こうした薬物依存の研究をするにも、動物実験をします。人間のアル中患者と同じにするには、動物が自分で薬物を摂るようにしないといけません。でも動物は酒を飲みたがりません。そこで静脈や胃袋にチューブをつなぎ、ボタンを押すと少量のアルコールなどが注がれるように仕組みます。そのボタンは、動物が好きなだけ押せるようにしておきます。
すると、「自分で好きなだけ」薬物を摂取して、依存症になります。

最近になって、前者のように強制的に薬物を与えた場合と、自分から求めて摂取した場合と、脳の中で起きる変化が違うとされるようになりました。

薬物を管理しながら与えると、依存症になりにくい、というのは、昔から経験的に知られたことです。毎日一合の晩酌を続ける人は、酒狂いにはなりにくいわけです。
自分で量を増やしたり減らしたりするのが、依存症への近道であるようです。

精神安定剤には、ある程度の依存性があります。朝昼晩毎食後に安定剤を飲む必要が
ある人もいますが、きちんと服用してれば処方薬依存にはなりにくいものです。もちろん、量を減らしたり、やめたりする時には、リバウンド(離脱)があるのは仕方ないことです。
危ないのは、効かないからと自分で量を増やし、調子が良いからと自分で量を減らすことです。上の動物実験の例で言えば、前者(管理下)から後者(欲しいだけ)に、いつのまにか変わっているわけです。

睡眠薬を切りたい人で、「昨日は眠かったので飲まなかった」と言う人がいます。そういうやり方が依存症者には危険だということは、なかなか理解してもらえません。「自分で量をコントロールできるから大丈夫です」と言われてしまいがちです。
自分でコントロールすること自体が危険だし、コントロールできていると思っていても、いつのまにか、そうでなくなっているものです。

お酒の時だって、自分は(飲む量が、時間が、場所が)コントロールできていると、自分に言い聞かせ続けた何年間があったはずなんですが。


2007年02月23日(金) パパと踊ったワルツ

上の子(長女)は、かなり「人の言うことを気にするタイプ」です。家族の誰かが、なにかでプリプリ怒っていると、長女も不安定です。また、がんばりすぎて疲れてしまうタイプでもあります。
下の子(次女)は、どちらかといえばマイペースです。手抜きをしすぎて、後で叱られるタイプと言いましょうか。もちろん子供ですから、親の感情に左右されますが、基本的に「なんと言われても、私には私の都合があるのよ」というオーラを発散させているように見えてしまいます。

たまに大きな夫婦げんかをして「離婚する」とか騒いでいると、本気で心配しているのは長女のほうです。父親か母親かどちらかが、子供を捨てて去っていってしまう可能性を本気で心配しているようです。対する次女のほうは、「そんなワケないじゃん」と落ち着いています。

買い物に外出すると、ついて行きたがるのは長女のほうです。単に外出好きなのかと思っていたのですが、「見捨てられ不安」が強いのかも知れません。お父さん、どっか行っちゃって帰ってこないかも知れないし。次女のほうは、一人で残ってゲームやマンガを楽しんでいる方が好きです。
学級が荒れていたとはいえ、不登校をやったのも長女のほうだし。

というわけで、上の子のほうが生きづらそう、という話を人にしたことがありました。その返答は・・・

「上のお子さんは、ひいらぎさんがお酒をやめてまだ1年2年のころに、赤ちゃんをやっているわけでしょう。それだけ回復していないお父さんの影響を、もろに受けたってことじゃないでしょうか」

子供は二人とも、父親が酒を飲んでいるところを見ていない・・ってのが、心の拠り所になっていたわけですが、それがガラガラと音を立てて崩れていった瞬間でした。
僕が飲んでいなくても、「飲んでいないだけ」の父親であったのは、明らかでした。長女と次女は2才違い。2年の違いが、ちょっとした回復を僕に与え、それが長女と次女の違いとして現れたってことでしょうか。
それとも、単に影響を受けた時間が2年少ないだけでしょうか。

子供は親の影響を受ける。飲んでいないだけのアル中じゃだめだ。ってことは分かるんですけど、でもそれってアル中本人には結構厳しい現実ですよね。


2007年02月22日(木) 選択肢の時代

選択肢が増えている時代だと思います。

たとえば仕事にしても、ありとあらゆる職業から、好きなものを選べばよいと言われる時代になりました。僕らの親の世代には、それほど職業選択の自由があったわけじゃありません。

商品も沢山のなかから自由に選ぶことができる時代になりました。
たとえば家電製品だと、子供の頃には、(ナショナルとか東芝とかの)街の電器屋さんの店頭で見て選ぶか、せいぜいカタログで選ぶぐらいのものでした。僕は中学生の頃、短波ラジオを聴くのにこった時期があり、KHzまでディジタル表示される受信機が欲しかったのですが、親から与えられたのは、兄のお下がりの短波ラジオだけでした。まあ、そもそも選ぶ自由すら無かったというか。

今は、仕事でも商品でも、飛躍的に選択肢が広がっています。
ただ、問題は、その中から何を選んで良いか分からないことです。

ちょっと前までは、選ぶために必要な情報をたくさん与えれば、人は自分で選ぶことができると考えられていました。いままでテレビや新聞や雑誌という「フィルター」を介してしか得られなかった情報が、インターネットによって情報提供者から直接得ることが可能になりました。はたまた、CGMと称して、口コミ情報を集める手法も流行りました。

それが幸せにつながったのかどうか。幸せどころが、みんな選ぶことに疲れているような気がします。よりよいものを選ばなければならないプレッシャーにつぶされているように思えます。

どんなに良いものを選んでも、必ず失敗の要素は含まれています。人生から後悔を取り除くこともできません。

高校時代とか大学時代とか、男女がクラスという狭い枠の中に閉じこめれられている時には、交際相手をクラスメートの中から選べた人が、いざ就職して世間に出ると、膨大な選択肢を前に、結婚相手を選ぶことができなくなる・・なんて話もあったりして。

一度しかない人生なんだから、失敗したって良いじゃないか、と思うんですが。


2007年02月21日(水) お休み

過労性の頭痛で仕事を休みました。ついでにホームグループのミーティングも。
整体にかかってみたものの、あまりに状態が悪すぎるせいか、改善した感じがしません。
まあ、仕事はがんばれば一時的に効率を上げることはできますが、休養はがんばっても効率的に休養することなんてできません。一日の休みに、一日の休み以上の休養を求める病理といいましょうか。

吉野家で牛丼販売が拡大されるのだと、ニュースが伝えていました。
牛丼販売再開後も、まだ牛丼にありつけていない僕の口にも、これでやっと牛丼が届くのかもしれません。
豚丼も悪くないのですが、冷めるとどうも美味しくなくていけません。

さて、僕のほうがあなたよりソブラエティの期間が長いからって、すなわち僕のほうが偉いとか、優れているわけじゃありません。単に、僕のほうが早くAAにつながるチャンスを得られたってだけのことです。誰にチャンスを与えるかは、それこそ神さまの領分でしょうから、本人の資質の問題じゃありません。

僕よりソブラエティ期間が短くても、僕より回復している人はたくさんいます。逆に「先ゆく仲間」でもダメな人もいるに違いありません。だから、人を見る時は、その人の回復度合いを見るべきです。

ただ、残念なことに回復を図るモノサシはありません。少なくとも、みんなが納得できる計り方はありません。ただひとつ皆が納得できる基準があるとすれば、「酒を飲んだか、飲まなかったか」です。そして、人はそれが何日積み重なっているかを比べようとします。それは「変えられないこと」です。

今回与えられたソブラエティを、どれだけ大事にするかは、まったくその人の自由だと思います。ただ、また飲んでしまっても次があるという考え方は、間違っています。次も酒がやめられると限らないのですから。だから、今回のソブラエティを大事にしましょう。


2007年02月19日(月) ゲーム続行

人生は、どんなカードが配られても、楽しく遊べる限り、満足のできるものだということを学ぶ。

これは、ピーター神父訳のステップ12の文章です。現在の訳は「人生がどんな試練を投げかけてきても、真剣に対応して〜」となっています。今回は、どっちが良いという話じゃありません。

さて、『カッコウの巣の上で』という映画があります。
といって話を始めると、まるで僕がその映画を見たことがあるかのようですが、単に人から中身を聞いたにすぎません。

この映画は精神病院を舞台にしているので、出てくるのは精神病患者であります。
あるシーンで、患者同士がカードゲームをしています。
でも、ルールを全然分かっていない爺さんが、何度も何度もルールを破ります。そのたびに、神経質な爺さんが、ルールはこうだと説明するのですが、ちっともなおりはしません。それにいらだち、イライラしてきた爺さんに、別の爺さんがこう言います。
「つべこべ言わずにゲームを続けろ!」

伝聞情報だから、かなり違っているかも知れません。

ともかくそういうことです。配られたカードがしょぼくて、全然勝負になりそうになくても。相手がルール違反ばっかりしていて、まともなゲームになりそうもなくても。ともかく、ゲームは続ける。

何かの不幸に生まれついちゃっても、世の中が全然公正公平じゃなくても、今さら努力してもダメそうでも、そんなことはゲームを投げ出す理由にはなりません。
続けてみれば分かることもあるんでしょう。

ついでにそのゲームが楽しめれば、言うことなしですかね?


2007年02月18日(日) メールの着信音は、Kate Bush の Wuthering Height...

メールの着信音は、Kate Bush の Wuthering Heights (のイントロ)です。
Kate のデビュー曲であるこの歌は、エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』に着想を得て書かれた曲です。しかし僕は、『嵐が丘』を読んだことも、映画を見たこともありません。でも、『ガラスの仮面』は読んでいるので、劇中劇に出てきたはずですが・・・。記憶にございません。
明石家さんまの『恋のから騒ぎ』というテレビ番組のオープニング曲になっているので、聞いたことのある人は多いかもしれません。

通話の着信音は、なんかテキトーにネットから拾ってきたMIDIで、『Cosmic Fantasy』というタイトルが付いています。以前は、太陽にほえろのテーマでしたが、仕事中に鳴り出すと、どうしようもなく気まずいので変えました。同様に、キャンディーズの『年下の男の子』も、作ってはみたものの、どうしようもなくはずかしいので使いませんでした。

あとは、遊佐未森の『空に咲く花』のイントロと、ROUND TABLE featuring nino の『Let Me Be With You』を特定の人のメール着信音にしています。

ちなみに、自宅の留守電のBGMは遊佐未森の『君の手のひらから』です。

MIDIで着メロを作るのは大変ですが、CDから曲を取り込んで着うたを作るのは、ネット上から無料のソフトをダウンロードしてくる手間があればできます。

自分で作らなくても、携帯電話専用の掲示板を渡り歩けば、いくらでも(海賊版が)転がっていると聞きます。ダウンロードできるようにする(送信可能化)は違法ですが、それをダウンロードするのは違法とは言えないんだとか。それでも、携帯電話の小さな画面でネットサーフィンする気には、どうしてもなれません。

ニュースで、音楽CDの売り上げが6年連続で減少していると伝えていました。CDが売れなくなったのはネットのせいではなく、「余分な曲とカラオケが入った」マキシシングルを千五百円で売ったりする商売がよくないのだと思います。
欲しい曲だけ、iTMSで買う方が満足できますから。
それと、その曲ばっかり延々リピートで聴きたくなるような、そういう曲が少なくなったと感じています。


2007年02月17日(土) カフェインというケミカル

高校生の頃、カフェイン錠を飲むのがちょっと流行りました。受験勉強をするのに、眠くなると困るからです。四当五落なんて言葉もありました。
そのカフェイン錠に効果があったかなかったか、それは分かりません。ただ皆「全然効かねー」と言っていたと思います。

僕はコーヒーは朝しか飲みません。
朝起きて、トイレに行き、顔を洗った次にすることは、コーヒーを入れることです。粉はジャスコで売っている一番安い粉で、砂糖もミルクも入れません。それを飲んで、じっとしていると、次第に目が覚めてきます。カフェインの効果でしょう。それは、平日も週末も変わらない習慣です。別にコーヒーが好きなわけじゃありませんから、カフェイン錠でも代用できるかも知れません。

AAのミーティングでは、ごく薄いインスタントコーヒーを作って飲んでいます。口が渇くとしゃべりにくくなるので、なにか水分が欲しいのです。
いつもホームグループで、コーヒーのコップを洗ってくれる女性陣には感謝しています。男も平等に洗った方がいいと思うのですが、コップの洗えるシンクは女子トイレの中にしかないので、仕方がありません。女性が来なかった回は、男が女子トイレ内のシンクで洗っているか、あんまりコップを洗ってよさそうな感じがしない男子トイレの流しで洗っています。

夜コーヒーを飲むと眠れなくなる、なんて言う軟弱なヤツを、昔は鼻で笑っていたのですが、それは僕がアルコールという強力な睡眠薬を使っている自覚がなかったからにすぎません。

今夜は、アフターミーティングでAA仲間とファミレスに行ったのですが、ついつい出来心でコーヒーを頼んでしまいました。そして2回ぐらい「お代わり」してしまいました。
おかげで、胃がむかむかし、今夜はあまり眠れそうにありません。カフェインには血管収縮作用もあるそうなので、肩こりや腰痛には逆効果なのかもしれません。

9月から土曜日の会場係をやらせてもらい、司会もほとんど人に譲らずに続けてきました。それも来週でお終いです。ということは、同じ頃に引き受けた、任期1年の某MLのオーナー役も、半分終わったことになります。
人の役に立てている自信はありませんが、少なくとも自分の為にはなっています。


2007年02月14日(水) グループ名

AAグループには名前がないといけません。
名前がないと、ほかのAAグループと区別が付きませんから。

どんな名前をつけても自由ですが、どこかの施設の部屋を会場に借りているからといって、その施設の名前をつけるのは止めたほうが良いと、強く提案されています。
○○クリニックとか、○○教会とかの名前を、グループ名にすると、あたかもそのグループが、その施設と提携しているかのような印象を、外部に与える危険があるからです。
それは誰のためにもなりません。

グループが複数の会場を持っていれば、会場にも会場名が必要です。
このときに落とし穴になるのが、やはり施設の名前をつけてしまうことです。グループ名と同じ理屈が当てはまるので、やはり教会の名前とかはつけないほうが良いでしょう。
たとえば地図を見て初めてAAに来る人は、AAが複数のグループに分かれているなんてことは気にしません。どの場所でミーティングをやっているか、いつやっているかのほうが大事です。
そして、ミーティングの雰囲気はどうなのか、何をしているかが一番気になり、不安でもあるでしょう。でも、中の様子を教えてくれる情報は少なく、地図のチラシから得た情報を(会場名でも)元に想像を膨らませがちではないでしょうか。
だから、グループ名よりも会場名のほうが大切だと思います。

話は変わって、公共施設(公民館とか)を借りていると、会場費の減免処置というのがあって、本来一回千円や二千円かかる会場使用料を、「おたくは非営利の団体だし、多少は社会の役にもたっているみたいだから」という理由で、値引きしたり、無料にしてくれたりします。会費を徴収しないAAですから、出費が抑えられるのは大変助かります。
しかし本来払うべき費用を払わないと、そのぶんは公金で補われていると考えることも出来ます。これは外部からの援助を断って、経済的に自立するというAAの伝統から外れるという意見もあります。

キリスト教会を借りたときは、ちゃんと会場費を払っているから良いという主張もあります。ところが、AAが会場費として教会に支払うのはたかだか月に数千円です。いったい、教会のひと月の維持費がどれほどかかるか、ご存知でしょうか? AAの払っている会場費なんて、その1%にも満たなかったりします。

教会は「困っている人を援助する」、つまり慈善の一環としてAAに安く部屋を貸してくれているわけです。そもそも教会はムラの集会場としての役割ももっていました。だから教会は、AAに限らず、他の団体にも便宜を図ります。AAも他の団体と同じだということです。

公共施設利用費の減免処置にしても、それがAAだけに与えられる特権ではなく、他の団体と同等の恩恵であるなら、AAの伝統の精神に反しているとは言えないと思います。判断基準は、AAだけが特別扱いされているかどうかです。

くれぐれも「俺たちゃ金を払ってるんだから客だ」と思い上がらないで、受けた援助に感謝し、汚さないで使って、片付けて帰りましょう。


2007年02月13日(火) 夜中の国道

AAミーティングが終わった後、夜中の国道を走って帰ってきます。
最近トラックが減った、という気がします。
以前は、トラックが連なってディーゼルの黒鉛が匂い、峠道ではその遅さにイライラし、駐車場などは休憩を取るトラックで一杯になってしまう、ということをよく経験しました。
日本の経済を支える物流が、それだけトラック輸送に頼っていることを実感させられました。
最近夜中の国道が空いている気がします。
先を急いでいるからって、歯を食いしばりながら反対車線に出て追越することも少なくなりました。そもそも追い越ししなくても、制限速度+30Km/hぐらいで流れていたりします。

在庫が積みあがって、物流の必要性が減ったのでしょうか。いざなぎ超えと言われる好景気も、その実感のないままに終わろうとしているのでしょうか。まあ経済学者ではないので、わかりません。

8時半でミーティングが終われば、10時に自宅で夕食を食べていられるのは、楽でいいですけど。

話は変わって、体重が減りました。
太ったときは「太ったねー」と30人ぐらいの人が言ってくれるのですが、痩せたときに「やせたねー」と言ってくれるのは3人ぐらいです。
きっと、太るのは良いことで、痩せるのはよくないことなのでしょう。

ステップ1
私たちは、肥満に対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
(肥満アノニマスの12のステップより)


2007年02月12日(月) スポンサーに電話する

夕食前に、本当に久しぶりに、AAスポンサーに電話をしてみました。
別段要件もないし、相談することも無かったのですが、ずいぶん長いこと電話していないことに気付いたからです。
奥さんが、元気そうな声で応対してくれて、スポンサーもけっこう元気そうな声でした。

いきなり仲間の訃報を聞かされました。すでに旧聞に属するのでしょう。
僕はそういう話を聞いても、なんだか感傷的になれません。飲んでいてもいなくても、アル中さんはいずれ死にます。だから、その人がAAにやってきて飲まなくなり、それから充実した日々があったのなら、それで良かったのではないかと思います。
人の人生が充実しているかどうか、本当のところは僕にはわかりませんが、少なくとも僕にはそう見えました。彼は、自己と対決していくのは厳しい作業だとは言いましたが、ステップは苦しいものだとは言いませんでした。

AAのミーティングは素晴らしいし、人の集まるAAイベントはもっと素晴らしいけれど、日常生活は辛いと言っている人は、否定的なメッセージしか運んでいないように思います。僕にとってAAは、歯磨きのようなものです。歯を磨かなくても生きていけるでしょうが、いろいろと不都合が生じます。でも、歯磨きそのものに喜びを感じるよりは、虫歯にならずに口臭が減る快適さに感謝を感じます。
でも、充実した人生を直接追い求めても、逆に虚しくなってしまったりします。目の前のAAの事に取り組んでいたら、いつの間にか日常生活に生きる喜びを感じていた、ということになるのかも知れません。

ともかく、生きることを喜んでいるかどうか、人は嘘はつけないものです。口でなんと言っても、周りの人は本音を感じ取ってしまうもの。

そんな考えが頭をよぎりましたが、電話口では何も言わないでおきました。

ホームグループの近況を報告して、電話を切るまで5分もかかりませんでした。


2007年02月10日(土) 怒りやまず

スポンサーはスポンシーに、できないことを要求してはいけない、と強く思います。

もちろん、自分が相手にできないことをやるように要求しているとは、スポンサーは思わないものです。「これぐらいできるはずだ」と思うから<提案>するものです。

自分がやって良かったことを提案するのはオッケーです。
でも、時期が適切かどうか。
自分だって最初から、その提案どおりの行動ができたかどうか、それを考えてみる必要があります。

たとえば、AAミーティングに頻繁に通おうぜ! という提案にしても、はたして提案するスポンサーだって、AAに来た最初から毎日ミーティングに通えていたのかどうか。最初は、ときどきミーティングに行くぐらいで、そのうち決まった会場に定期的に通うようになって、さらに再飲酒(スリップ)とかの紆余曲折を経て、一時期真面目にミーティングに通ったあと、やがて忙しくなって少し出席数が減ったところに落ち着く・・・という経過があるじゃないですか。

スポンサーシップでなくても、ミーティングにきたビギナーに提案するだけであっても、相手がどの段階にいるか、よく考えてからでないと、<提案>も単なる害にしかなりません。まだ本質的な迷いがある(つまり底つきしていない)相手に、「がつん」と強いこと言ってやるのは気持ちのいいものです。でもそれは、言うほうの自己満足にすぎなくて、相手をAAから遠ざける役にしかたたなかったりします。

相手がミーティングに来たら、「やあ良く来たねと」声をかけて握手をする。世間話をする。話ができないなら、笑顔でうなずいてあげる。そういった、非言語的な<提案>の手段が使えることも、メッセージの運び手として大切なことです。

「提案は小出しにしろ」とは、昔からの知恵です。

話は少し変わりますが、相手がうつ病の場合には、特に気を遣います。うつ傾向のある人は、<提案>を真面目に受け取りすぎる傾向があります。過大な要求をすると、彼らはその提案に完全に従おうと、身の丈を越えた努力をし、やがて疲れ果てて無気力になります。
あるいは、そんなことはできないと、完全に無視します。無視しながらも、実はとても気になっているわけです。

もちろん、うつ傾向のない人も同様かも知れません。けれど、うつ病の人は、提案をほどよく受け入れて、できることから実行に移していくのがとりわけ苦手です。彼らは提案に対して、0か100かで反応しがちです。職場とか家庭でもそうなんでしょう。

そして、うつそのものもソブラエティの「外乱要因」ですし、たいていは処方薬による気分変化も絡んできます。いろいろ面倒な相手だからって、ほっとくわけにもいきませんし。

というわけで、相手の状況を見極めながら、行きつ戻りつ、薄氷を踏む思いで、小出しに提案をするのです。周囲から見ていて、イライラするかも知れませんが、それは仕方がないのです。やがて、半年、1年と経過していけば、彼らも他の同時期のメンバーと同程度の柔軟さを得ていきます。週末のAAイベントに行っても、翌週ちゃんとミーティングに出てくるようになります(そうなるまで行かないほうが良いですよ)。

そうなる前に相手がスリップすれば、アクセルを踏みすぎたか、ブレーキを踏みすぎたか、悩むものです。言うか言わないかの我慢とは違います。

「私はうつ病のことは分からないから、他のメンバーと区別無く同じ提案をする」という考え自体間違っているんです。「分からない」という言葉で、自分の無思慮を免罪しているにすぎません。分からないからどうすればいいか、は分かりたくないんですね、きっと。
だから黙っていろとは言えないけれど、経過を見ながら慎重にやっていただきたい。スポンシーでなくても、自分のグループだろうが、よそのグループだろうが、関係なく。機械的な提案はやめて欲しいものです。

後でフォローする人間の身にもなってくれ。同じ事の繰り返しじゃないか。僕は本当に怒っているんだ。


2007年02月09日(金) 強制力

AAには規則がないと良く言います。
個人個人がどう考え、どう行動するか、最大限尊重しています。

でも、まったく自由で、強制するものが何もないわけじゃありません。それどころか、考えられる限り、最大最強の強制力があります。
それは「酒ビンの中の強制力」ってやつです。

ある人が、「私のハイヤー・パワーはアルコールだった」と述懐するのを聞いたことがあります。アルコールが私たちの支配者で、私たちはその専制君主の奴隷でした。そして酒を飲まなくなった今も、その支配者の手先は、もう一度奴隷生活に引きずり込もうと、手ぐすね引いて待ちかまえています。

個人個人に、アルコールという強制力が働いていることを理解しなければ、AAの無規則主義を理解することはできないんじゃないかと思います。


2007年02月06日(火) 頭のおかしい人は

今ではそんな言葉は聞きませんが、昔は「頭のおかしい人は、自分の頭がおかしいとは認めない」という俗説がありました。

つまり、精神を病んでいる人は、自分の精神が病んでいることを認めたがらない、というのであります。

精神病院に入院してみると、その俗説は嘘だと分かります。ほとんどの入院患者が、自分が鍵のかかる病院の中にいる理由は理解しています。それは楽しくない現実なのですが、すぐにそれを解消するめども立たないので、直接その事実を見つめずに、ちょっと目をそらして生きている、ってところでしょうか。

うつ病の人は、あまり病識がないと言います。心が苦しいのは認めますが、自分は怠け者になってしまった。もっとがんばらなくちゃいけないのに、がんばれない。皆に迷惑をかけて申し訳ない、などと言います。自分がもっとがんばりさえすれば、事態は解決すると思っているので、薬も熱心には飲みたがりません。
うつになる生き方を自分で選んで来たから、今うつになっている事実を認めないと、元気になっても、いずれぶり返してしまいます。

原因はストレスかも知れませんが、同じストレスを受けても、うつになる人・ならない人がいます。うつになりやすい体質を「ハンディキャップ」と呼べば大げさかも知れませんが、本質は同じであります。

アル中さんも、自分の精神が病んでいるとは考えたがりません。
三大否認てやつがあります。

1.自分は、アルコール中毒ではない(だから酒をやめる必要はない)。

2.(自分はアルコール中毒かも知れないし、酒をやめなければならないかも知れないが)自分で酒はやめられるから、誰の助けも要らない。一人でやめられる。

3.(自分が酒をやめるのに、何かの助けが必要なのかも知れないが)酒さえ止まれば自分は正常であり、酒以外の問題は抱えていない。

「酒以外の問題」ということであれば、アル中以外の人も抱えていることでもあり、そういう人たちが特別な努力無く生きていくなら、自分にも特別な努力は必要ない・・・と考えるのは自己欺瞞です。
だって、アル中以外の人は、酒を飲んだら病気がぶり返して社会生活中断、というハンディキャップは抱えていないんですから、同等に考えるのがおかしいんです。体質も、考え型の歪みも、やめただけじゃ治らんのです。

否認は自分では気付きにくいですが、他の人の否認は分かりやすいものです。「頭のおかしい人は、自分の頭がおかしいとは認めない」とは、アル中を示して言われた言葉かも知れませんね。


2007年02月05日(月) 年数が経ってから理解する

実家で酒を飲んでいたころ、僕は節酒をしようと、さまざまに努力しました。
その中のひとつに「酒を買って帰らない」という手段がありました。といっても、手ぶらで帰るわけではなく、2合ほど買って帰るのでした。酒が2合しか手元に無ければ、飲み過ぎることもない「はず」だったのです。

が、当然そんな量で満足できるはずもありません。時計が気になります。午後11時になれば、酒を売る自動販売機は締まってしまいますから、追加の酒を買いに行くなら11時前にしないといけません。
買いに行ってしまえば、結果飲み過ぎるから、そこはなんとか我慢します。しかし、酒が足りなければ眠れません。まんじりともしないのです。夜中に片道2時間歩いて、隣町のコンビニまで買いに行ったこともありました。
しかし、たいていは朝5時に自動販売機が再開するまで耐え、買いに行くほうを選びました。そういうことは東京一人暮らし時代にもありましたが。もちろん、朝5時から飲みなおしていたのでは、仕事には行けません。

さて、冬は5時でもまだ暗いから良いですが、夏は5時ともなればすっかり明るいわけです。そして悪いことに、田舎の年寄りは朝が早い。朝の爽やかな光の中を、角瓶とかビールの1リッター缶を提げ、変な目つきでふらふら歩く僕の姿は、多くの人に目撃されました。

「恥ずかしいからやめてくれ」と親に言われても、やまるわけがありません。近所で「あそこの家の次男坊は気狂いだ」という噂になりました。近くの家に、別の精神病の患者を抱えた家があったのですが、そこと同じ扱いです。まあ、そういうカテゴライズは間違ってませんけど。

僕の酒が止まったのは、結婚して家を出た後でしたから、結局僕はそこの「地域社会に復帰」はしなかったのです。だから、近所に飲まない姿を見せることはありませんでした。

その後、何年かして、ちょくちょく実家に顔を出すことになります。僕が酒をやめたことは近所にも知れたようです。人々は母に会うと、
「○○ちゃん(僕の名)、奥さんもらって、子供もできてよかったねぇ」
と声をかけるようになりました。しかしそれは言外に、
「○○ちゃんは、お酒を止めて更正してよかったね」
と言っているわけです。

それを聞くたびに、母は当時を思い出して顔から火が出るほど恥ずかしかったと言います。近所から何も言われなくても、僕の車が実家の軒先に止まっている。それを近所が見ている、というだけで、どうにもいたたまれなかったらしいです。

しかし実家に顔を出すなとは言われませんでした。「お前は私の息子だし、それにあれは病気だったんだから」と。どれだけ僕が深く母を傷つけたか、それを無理に許してくれていることも痛いほどわかりました。

あれは病気の症状だった。それは間違いありません。
たしかに、世間はアルコール依存症に(いや精神病全般に)無理解です。
しかし、病気を免罪符にしても、スティグマに責任転嫁しても、僕が母に恥をかかせ、心を傷つけた事実は消えません。それは他の誰でもない、僕がしたことです。
「別に派手なことをやらかしたわけじゃない」といいわけもできません。

それに気付くまで、僕は「自分はそれほど酷いこと、悪いことはしてこなかった」と、ず〜っと思ってきたのです。

ちなみに、兄が許しの言葉をくれたのは、母よりずっと後です。

親の死に目に会えなかった話は、AAで結構聞きました。刑務所とか、保護室とか、そんな話ばかりでしたが。親の葬式の喪主になって、通夜を抜け出してAAミーティングに来た人にも会いました。
人ごとだから言えるのかも知れませんが、親の死に目にあわせて貰えないってのは、それだけ重症だってことでしょう。もう何年か前に酒をやめていたら、会えたのかも知れません。しかし、会える・会えないの分岐点は、とうに通り過ぎてしまって、もう変えられないわけです。
変えられないものを変えようとすれば、悩みになり苦しくなる。
司直、医師、中間施設のスタッフ、AAスポンサー。誰が判断を下すかは、些末な違いじゃないかと思いますよ。

僕も、もう何年か飲んでいたら、親の死に目に会えなかったでしょう。
という話をすると、「その前に自分が死ぬよ」というツッコミが、必ず入る仕組みになっています。

実家の周りを子連れで散歩していると、今では母にではなく、僕に直接「よかったねぇ」と言ってくれる人がいます。僕が、「おかげさまで良い連れ合いをもらいまして」という話をすると、相手は満足そうです。


2007年02月04日(日) 怪しげな健康茶ならウチにいくらでもあるよ

日本最大の新興宗教というのがあります。大きさで言えば例の「学会」のほうが目立つのですが、それは数で言えば二番目です。一番目のほうは、分裂してしまったこともあって、全体をまとめて数えられることも少なく、あまり世間では目立っていない気がします。

実家の隣の家のおばさんが、そこの信者でした。あまり強烈な印象はありませんでしたが、そのおばさんが選挙に出た話は憶えています。その宗教のつてを頼りにしたらしいのですが、町議選にあえなく落選していました。政治に熱心な別の宗教団体だったら違ったのかも知れませんが。
以前「いんな○とり○ぷ」という雑誌を本屋に並べていたのも、その団体でした。

ずいぶん以前の話になりますが、いきなり実家の母から電話がかかってきて、僕の妻が、その宗教団体の人を伴って、実家を訪れたと知らされたことがありました。「先祖供養をしたいので、位牌を見せて欲しい」と言われて、母もどこの団体なのか理解したようです。

その数日後、妻と話をしました。
妻が言うには、そこは多額の喜捨は要らず月に500円の会費でよく、派手な宗教儀式も要らず、強力な布教活動も要らない。先祖への信仰は良いことだから、その団体は悪い宗教ではないと主張するのです。
思い出せば、隣のおばさんの宗教に迷惑をかけられた記憶もありません。だから、「その宗教がいかに悪であるか」という論法で攻めるのは、その時点で諦めました。
もともとその論法には(手に入れたものが宗教であれ、納豆であれ)、相手をさらに意固地にさせる欠点があって、説得の道具としては使い物にならない、と経験が教えてくれたこともあります。

誰から誘われたのかと聞いてみると、父親(僕にとっては義父)からだと言いました。父親に誘われて通っているうちに、入信を断り切れなくなったようです。そういえば、その数ヶ月前から母屋のほうに、見知らぬ人がたびたび訪れていました。
父親に言われると断れない親娘関係というのも、実に困ったものですが、その話は今回は置いておくとして・・・。

そのうち義父がやってきて、その宗教がいかに良いものか話し始めました。その話をずっと「はいはい」と聞いた後で、
「なぜ、妻が入信した事実を2ヶ月も3ヶ月も知らされず、よりによって実家の母から知らされねばならないのか。実家へも前触れ無くいきなり訪問したのではないか。それで信用しろと言っても無理ではないか」
ただそれにこだわってみました。

もともと妻は「パソコンを使った在宅ワーク」に騙されて泣き寝入りしたり、高価な学習教材を買って消費者生活センターに相談に行ったり、やはり高価な健康食品を買ってクーリングオフしたり・・と、いつもダンナが気がついた頃には、トラブルにはまり込んでいるケースを繰り返しています。
今回はたまたま対象が宗教だった、ということなのでしょう。

信教の自由とか、その宗教がよいとか悪いとかは置いといて、ひたすらスジ論だけをして「それではスジが通らねえ」という話だけをしました。
最後には義父も折れて、じゃあどうすれば納得するかと言われたので、
「いったん退会してもらって、数ヶ月おいて、本当に入信したかったら、今度は相談しながらすればいいではないか」
ということにしました。

その後、その宗教の人がたびたび訪れてきたり、義父が「話だけでも聞いてくれ」と言ってきましたが、僕は、その宗教の善悪と今回の件は無関係、ともかく半年の冷却期間。とつっぱねていました。

例外はあるでしょうが、多くの新興宗教は一度退会した人の再入信を認めていません。妻も父親に流されていただけで、別段入信したくはなかったらしく、あれからずいぶん経つもののその話はぶり返していません。ケロっと忘れたかのように。

ときおり母屋へ行くと、義父がお経をやっているところに出くわすことがありますが、それは僕がとやかく言うことではありません。

僕は宗教が悪いものだとは思いません。ただ、天台宗の山田座主の「宗教のデパートがあればよい。そうすれば人は自分にあった宗教を自由に選ぶことができる」という言葉に、深い感銘を覚えるのです。


2007年02月02日(金) 200万分の一

「だから私は、突然であれ、ゆっくりであれ、誰かが変わっていくとき、その変化を疑ってはならないと思う。また私たちは、自分の要求に最も役立つものを求めがちであると経験が教えているから、自分の好みに合った特別なタイプになるようなことを求めてはならないのである」
『ビルはこう思う』281

AAに入って、それなりの回復を得た人なら誰でも、振り返れば自分が歩いてきた「回復の道」ができているものです。楽しいことも、辛いこともあった道ですから、誰でもその道に愛着を持つものでありましょう。

不思議なことですが、人間は自分の歩いた道を、後ろから誰かが歩いてきて欲しいと願うようであります。まるで誰かが後ろをついてきてくれることが、自分の歩みが無駄ではなかった証明になるかのように。

例えばグループの中に、半年ぐらい飲まないメンバーがいたとします。
「こつも半年経ったか。俺が半年の時には、AAの仲間のありがたさが分かって、仲間に感謝できたものだが、こいつはちっとも仲間に感謝しないなぁ」というようなことにこだわってしまうと、自分が苦しくなります。
どうやったら、大事なことに気付いて貰えるか、一生懸命考えてみたり、<提案>してみたりするのですが、基本的にはイライラが募るばかりです。

スポンサーシップにしても同様で、スポンシーにはまず自分と同じ道を歩いて貰うのが普通でしょう。その道には少なくとも自分という成功例があるので、(自分が歩いたことのない道よりは)自信を持ってお勧めできるわけです。
ところが、人間は一人一人違うので、同じ道を歩くとか、同じように回復することはできません。違った回復の仕方をします。

スポンシーを自分の型にはめたがるスポンサーと、はめられて感謝しているスポンシーのペアに出会うこともあります。なんだか共依存的で、脇で話を聞いているとベトベトした感じがあって気持ち悪いものです。俗に親分・子分と悪口を言われたりします。

自分と全く同じ道は誰も歩いてはくれません。たとえ最初そう見えても、必ずどこかで逸れていきます。「僕の好みのタイプ」に回復する人は誰もいません。人は人、おのれはおのれです。好みの回復にこだわれば、他のタイプに嫌悪感を持ってしまい、誰かが失敗すれば「だから言わんこっちゃない」と冷たく突き放したくなります。

伝えるべきものは、自分の経験ではなく、AAの原理であること。原理を伝えるために、自分の経験という道具を使っているにすぎないこと。AAメンバーが200万人いるなら、自分の経験なんて200万分の一の価値しかないこと。
それを自分に言い聞かせて行きたいです。

そうは言っても、この文章だって俺様教を布教しているメンバーを非難しているだけなので、自家撞着するのですが。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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