ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年06月29日(木) 無力+α(さらに続き) 「人生の意味って何だろう」
飲んでいた頃は、よくそんなことを考えました。
つかのま物質的・肉体的に満たされているときは、そんなことを考えもしませんでした。満たされて幸せなので、その幸せこそが人生の目的地だと感じられるのです。飲み続けて、人生が不安と不満で充ち満ちて来たからこそ、この辛い人生に何の意味があるのかどうか、思い悩んだのだと思います。
酒を止めてみても、「これからの人生、決して自分の望むように満たされることはないのだ」という絶望は消えませんでした。それならいっそ、ボトルの中から幸せが生まれて来るという狂気に、もう一度身を任せた方が楽かも知れない・・そうしてみようかな、と思うこれこそが、僕が「本当の飲酒欲求」と名付けたものです。夏にビールの宣伝を見て、酒が好きだから飲みたいと思うのと違って、生きていくのが辛いから楽になる薬が欲しい、まさに古い行動原理です。
でも飲んでもさらに辛くなるだけだから、と理性や理屈で酒を止めている状態の僕に、「今持っているものに満足し、感謝しなさい」と言われてもなぁ、という感じでした。欲深と言われようが、感謝知らずと言われようが、そういうものは強制されてするもんじゃないだろう、という理屈です。
アダルト・チャイルドの人に、「親のせいで大変な目にあったかもしれないが、今あなたがあるのは、親が生んで育ててくれたからじゃないか、感謝しなさい」と言ってみても、どうなるわけでもないのと似ていると思うのであります。
人は一足飛びにそこには行けないし、行けるんだったら最初からこんな道に迷い込みはしません。
子供は明日ご飯が食べられるかどうか心配しないものだと思います。まあ、させてはいけないといいましょうか。明日空腹を満たされることに不安を持ちません。もし明日のご飯を心配している子供がいたら、そんなことは親に任せて安心していなさいと言うでしょう。
大人になって、さすがにいつまでも親に食べさせてもらうわけにはいかなくて、自分の心配は自分でするようになりました。
自分の心配は自分ですると言いながら、それは僕が「そうありたいと願っていた」だけでした。本当の僕の姿は、ある日突然親がいなくなっていることに気づいて、不安にパニックになっている子供でした。でも、今更年老いた両親に、安心させてくれと頼むわけにも行きません。
「悩みのない人生などない」と言います。なるほどそうかもしれません。周囲を見渡しても、悩みを抱えていない人はいないようです。ならば僕の悩みも取るに足らないものだったのでしょうか。
失う不安、得られない不満に毎日責めさいなまれ、ぶつぶつと不平をこぼし、恵まれた人を見ては貶しておとしめ、恵まれない人を見ては自業自得だと思い、人の不運に内心ぺろりと舌を出し、自分の不運には大げさに同情を求め、ああしてほしい、こうしてほしい、本来であればこうであるべきだ、ああであるべきだとわめき立て、そしてこういうことをちょっとでも我慢して抑えられただけで、自分には大変な人徳が備わっていると思っている。
それでいて、その苦しさから逃れるために、自分が変わろうとはちっとも思わない。口では変わりたいと言っているが、それは酒を止めたいといいながら、ちっとも止めなかった頃とまるで変わりはない。
結局のところ、僕は「自分の心配は自分でする」ことができないのでした。それを認めるのは悔しいことでしたが、弱さを認めることが、前へ進むためにはどうしても必要でした。
(次回でおしまい)
2006年06月28日(水) 無力+α(続き) 僕は自分のことを不幸だと思っていました。だって生きていくのがこんなに辛いのですから。
そりゃもちろん、世の中には僕より不幸な(だと僕が見なす)人々がいます。だが、そういう人たちと自分を比べて、自分はまだこれだけのものを持っていると考えることは、ゆがんだ満足を与えてはくれます。しかしそれは諸刃の剣であって、世の中には僕より幸福な(だと僕が見なす)人々もたくさんいて、自分が持っていないものの多さを感じさせるのであります。
ステップ7の文章にあるように、感情のトラブルの原因は「今持っているものを失う不安」と「欲しいと思っているものを得られない不満」なのだと思います。
自分の力に頼って生きていた僕にとって、自分で獲得したものの多さだけが、安心と満足のわき出る泉であり、幸せを計る物差しでありました。他人の幸福も同じ物差しで計っていました。
持っているものは失いたくない、欲しいものはすべて手に入れたい。物や金だけでなく、他の人からの信頼や尊敬や親切といった無形の物まで含めて、もっともっと欲しいと思った原因は、失うこと・得られないことで不幸になりたくなかったからでした。
人生の目的は幸福の追求にあるのだと信じていました。
身の程知らずの望みを持つのは愚か者だと思っていましたが、もしチャンスが与えられたなら、当然のように手を出したでしょう。ストイックな生き方にも魅力はあるかもしれないけれど、修行僧のような生活の中に僕の幸せは待っていないだろうと思っていました。
そういう幸福追求の人生を歩いてきた自分にとって、依存症になって精神病院に放り込まれるというのは、最悪な災いでした。家族も仕事もまだあったのですが、手に入れた物の大半を吐き出してしまった気分でした。自業自得かも知れませんが。
もう一度やり直そうと思っても、時計の針を元に戻すわけにはいきません。失った物をもう一度手に入れている間に、人生の時計はもっと先に進んでしまいます。それでは自分は幸せになれっこないと思いました。かといって、しゃかりきになればなるほど、もう一度病院に戻ってくる確率が上がるだけだということも分かりました。
また飲むのは嫌だったので、ともかく飲まないで生きてはいましたが、「こんなやり方では、またいつか飲んでしまうのではないか」という悪い予感を抱えながらでありました。
今でも、人は幸福を目指すべきだと思っていますし、物質的・肉体的に満たされることを否定するつもりもありません。かといって「私は今ある物だけで満足ですよ。ありがたいと思っています」などと言いながら、実は必死でやせ我慢をする生き方とも違うと思います。
(続く・・でしょうね、たぶん)
2006年06月27日(火) 無力++ 「酒が好きだから飲んでいた」というのは嘘ではないですが、正確ではありません。
飲む目的は酔っぱらうことです。フォーマルな場でかしこまって酒を飲んでいても、ちっとも楽しくありませんでした。酔っぱらえないからです。逆に言えば酔えれば何でも良かったのです。アルコールを選んだのは、たまたまそれが合法的な薬物だったからで、もし酒が非合法で大麻が合法だったら、きっと僕はヤク中になっていたでしょう。
酒を止めた後も、酔っぱらいたいという願望は消えてなくなりませんでした。
酔いの中に幸せがあるという感覚はいつまでも残って、辛いこと、しんどいことがあると、酒を飲んで心や体の疲れを取りたい欲望が強くなりました。
酒を止めて9ヶ月ぐらいで、僕は必死で「神様」を探していました。自分の「神様」を持っているAAメンバーは楽そうにしていたからです。僕も自分の神様を見つければ楽になれるだろうと思ったのです。けれど、いくら探しても神様は見つかりませんでした。
今から思うと、ぼくが信仰を求めたのは、信仰に酔いたかったというのが動機です。
金の悩み、対人関係の悩み、体のしんどさ、そういうものから自由になって、幸せにのほほんと生きていきたかったのです。酒を飲んだのも、酒の中にそれを求めていたのでした。しらふになって酔えるものがなくなって、今度は信仰の中に酔いの幸せを求めたかったに過ぎません。
もちろん僕の希望どおりに幸せで満たしてくれる信仰は、どこにも見つかりませんでした。
僕の主治医の言葉で「飲んでいた頃は毎日がお祭り騒ぎだったわけですから」というのがあります。
それに対して自分は静かに飲んでいたと反抗するのは簡単ですが、つきつめて考えてみると、毎日がお祭りの日のように、陽気で、笑いにあふれ、悩みを忘れ、人と和気あいあいと過ごしていける、本当にそんな日ばかりが毎日続いていって欲しいと願っていたのです。
そして酒を止めた後も、どこかにそういう幸せがあるはずだと探して回ることは止めませんでした。
お祭りのはれの日のほかは、穢の日常が続く、その当たり前のことが、僕には受容できなかったのです。
(続く・・・かな)
2006年06月26日(月) 無力+α 「ステップ1だけは、いつも100%でなければならないんだ」
AAスポンサーからそう教えられました。他のステップは理想を述べたもので、完全に到達することは人には不可能であるにしても、無力であること・人生が自分の手に負えないことは、いつでも認めていかなければならないのだと。
そこから先についてはとりあえず棚上げでした。1年間はステップ1・2・3の基礎を作る時期だと言われていた頃でした。スポンサーはキリスト教徒でしたが、信仰については多くを語りませんでした。「最初の1年か2年は宗教的なことから離れていた方がいい」というピーター神父の教えを守っていたからかもしれません。
でも、無力なだけでは次第に苦しくなっていきました。
「それが酒を止めた後にやってくる本当の底つきだよ」と笑われました。
最初は酒を止めても楽になれるはずはないと思っていました。しらふで生きていくのは辛いことばかりで、そんな辛いことを一生続けていける自信はありませんでした。「酒を止めたいと思いたい」だけというやつです。誰だって自分が悪い方に進んでいるとは思いたくありません。僕も、酒を止めたい気持ちぐらいあるけれど、ただそれが実行に移せないだけなんだ、という言い訳を自分にしていたのです。
次は、酒を止めたほうが楽に生きていけることを知りました。体も楽になるし、感情の振幅も小さくなるし、お金の収支も改善しました。「酒を止めるって素晴らしい」と口では言っていましたが、100%健康になったわけでも、いつも夢見心地に幸せなわけでも、月収100万円になったわけでもありませんでしたから、本心はと言えば、もしジンを2本飲んでも翌朝無事に仕事に行けるんだったら、どんな代償でも払うつもりでした。
実際に飲むことから僕を遠ざけてくれていたのは、根性だとか見栄だとか理性だとか、「いざ」という時には役に立たないことが実証済みの原理ばかりでした。
本当の底付きは何年も続きました。今も終わったとは言えないでしょう。支えはやっぱりAAという存在でした。そのうち自分に何が足りないのか、うすうす感じられるようになってきました。
(続く・・・かも)
2006年06月25日(日) 羅列で、 ・今週は二つミーティングに出ました。
最近の僕にしては良い出来かと。
もっともひとつは仲間のバースディミーティングでしたが。
このところ、病院メッセージの回数のほうが多い月もあります。
・その病院メッセージなのですが、担当医の交代があったせいか、急にアルコール医療に不熱心になってしまいました。スタッフも入れ替えがあって、AAのことが理解できていない様子。いままで積み上げたものが崩れ去った後でも、またこつこつと積み上げていくしか方法はないのだと思っています。
アルコールの入院患者の数が一桁減って、メッセージ活動を続けることに疑問を感じるメンバーも増えてきた感じがします。そこでは僕は輪番の担当者ではなく、単なるオブザーバーの身であります。
「オブザーバーは、オブザーブするから、オブザーバーなんだよ」
という言葉をいただいているんで、控えの席に辛抱強く座って、事態の進展を待っていようと思います。
・今日のオープンスピーカーズ・ミーティングでは、書籍販売の係を一日やらせてもらいました。ずっと以前に地区のセミナーで書籍の販売をやったときには、100人以上集まったセミナーだったのに、本の売り上げは6千円ぐらいでした。今日は、グループでやった30人ぐらいの小さなスピーカーズでしたが、売り上げが16,380円。
昔に比べれば本の質も上がっているし、本を読んで回復に結びつけるというやり方に、慣れてきたということではないか、そんなことを考えていました。
・「満足にステップもやっていないくせに酒が止まっている大酒飲み」という揶揄の言葉を、この3ヶ月ほどで2回聞きました。ステップを使わずに酒が止まるのは、アルコホーリク(依存症)ではなく、単なる大酒飲みなんだ、というのがその理屈らしいです。本当のアル中ではなく、大酒飲みがAAをやっているから、日本のAAは成長しない、と続くパターンも同じでした。もちろん、その背後には「俺のやっているステップこそが最善、真髄」という自負があるのでしょうね。
そういう言葉を聞いたら、にやにや笑って、その場を離れる以外に、ほかに何が出来るというのでしょうか。そんなやつは追い出してしまえ、と思ったら、同じレベルであります。
2006年06月23日(金) 勉強 ある機械部品のメーカーの技術セミナーに行ってきました。
その部品はよく使っているのですが、体系だって勉強したことはないので、知識が穴だらけであります。いちばん初心者向けのセミナーをやってくれるというので、申し込んでおいたのです。
といっても、どうしても必要だから行ったわけじゃなくて、メーカー主催のセミナーの場合には、豪華な昼食がお約束であることが大きな要因であります。入手したミール・クーポンには、中華料理・釜飯と並んで、「江戸前」と冠された店の名前が書かれていました。うむ、昼食は何を食べるか決まりであります。
セミナーに参加して思うのは、「忘れていること」に気付くことの多さです。
ああ、これは前に調べて憶えた記憶がある・・けれど、すっかり忘れていたというやつです。言われれば、ああそうだったねと思い出す、まるでアイドル歌手の名前のようなものかもしれません。
20代の頃は、一度読んで憶えたことはなかなか忘れませんでした。その上、金がなくて、買った本を何度も読むしかなかったので、ますます良く憶えました。「スポンジが水を吸収するように」という形容を自分の記憶力に当てはめるのはふさわしくないのですが、記憶できることを不思議には思っていませんでした。
今の自分の記憶力は、まるで「ざるに水を注ぐごとし」であります。ざるにくっついて残った水で何とか露命をつないでいる、って感じです。
Basic、Pascal、アセンブラ、Cぐらいまでは、すぐに文法書が要らなくなりました。C++で机の上に入門書が常備されるようになり、Perlなんかは同じ本を自宅と会社に置いてあります。演算子の優先順位を記憶できなくなって、怪しげな時は全部括弧でくくって切り抜ける技を駆使するようになりました(VBとか)。
今日も、女性の若い教官の「インダクタンスが」という言葉に、頭が真っ白になり、インダクタンスとインピーダンスはどう違うんだっけとか、若い頃電磁気学演習をサボるんじゃなかったとか、そういう思いがぐるぐると駆けめぐるのでありました。
年を取っても勉強は出来ます・・が、何事も若い頃と同じようには行きません。少年老い易くを実感するこのごろであります。
秋の資格試験のために勉強しなければ、とは思うものの、参考書の背を眺めるばかりです。でも受験しないと参考書代がもったいないのです。
ちなみに、昼食は寿司と天ぷらのセットにありつきました。
2006年06月21日(水) スピーカー 日曜日、使っていないときの待機電力節約のために、コンセントを抜いておいたオーディオの電源を入れました。たまにはステレオで音楽でも聴いてみようかと思っただけです。
車の中はともかく、家で音楽を聴く習慣はありません。
いちおうパソコンには5万ぐらいのスピーカーがつなげてありますが、主に映像観賞用であります。
高いスピーカーを買っても意味がないのは、あまり大きな音が出せないからであります。
スピーカーは、ある程度大きな音を出さないと、スピーカーのコーンが十分に振動してくれず、まともな音が鳴らないのであります。音響メーカーやAV機器のメーカーが、小さな音でも云々と宣伝していても、なかなか実際にはそんな画期的なスピーカーが登場したことがありません。
以前、A君がパソコン用のスピーカーを買いに行くのにつきあったことがあります。
場所は秋葉原のパソコン売り場で、20組ほどのスピーカーを切り替えて試聴できるようになっていました。A君は最初のスピーカーの音が気に入った様子で、「これいい音ですね」と言っていたのですが、2本目、3本目と聞いていくうちに、悩み出しました。そしてしばらくすると、神妙な顔で「どのスピーカーもみんないい音なんですよ」と言い出しました。一組5千円のスピーカーも、5万円のスピーカーもどれもいい音だというのです。
理由は単純で、パソコン売り場は雑音がやかましく、スピーカーの音を聞くために、ボリュームを上げて大きな音で聞いていたからです。大きな音を出すことでコーンが振動し、スピーカー本来の音が鳴り出したのです。スピーカーの音の良し悪しなんて、その上での話であります。
結局A君はスピーカーを買い換えるのは止めてしまいました。家で使っているスピーカーも、これぐらいの音量で鳴らせば、そこそこいい音がするのではないか・・・はたしてその通りで、買い換える必要を感じなくなってしまったのだとか。
自分の使っているスピーカーが安物だから音が悪いと思っている人は意外と多いです。物理的制約からサイズを小さくしたスピーカーでは、どうにもだめな場合もありますが、たいていは家人隣人から文句を言われるぐらいの音量で鳴らせば、なかなかの音がするはずです。
日曜日に使ったステレオは妻が独身時代に買ったもので、はっきり言って安物であります。それを気に入っているわけではないのに、買い換えたいと思わないのは、我が家の住宅事情ゆえ、でかい音はたまにしか出せないからであります。
そしてCD1枚聞き終わる頃には、僕の耳は音に疲れてしまうのです。
2006年06月20日(火) お詫び まず文頭に書かないと行けませんが、JSOからCOへの書籍の卸価格は6割ではなく8割だそうであります。訂正してお詫びします。
さて、昨今は企業からの個人情報の流出というニュースが多くなっています。その背景は、ひとつは個人情報保護法の存在が挙げられるでしょう。もうひとつは、WinnyだとかShareだとかのファイル共有ソフトを使って行われる音楽やマンガや映画の違法コピーに対する憎しみがあるのでしょう。
今やWinnyのノード数も50万を超えたそうです。それだけのユーザーが、ほぼ間違いなく、CDだとかDVDだとかテレビの録画だとかマンガのコピーしたものを、交換しあっているわけです。やっている人間に言わせればいろんな理屈とか言い訳があるのでしょうが、確かにそれは違法行為であります。
逆に言えば50万人の人間をして、あえて違法行為に走らせるだけの魅力が、Winnyにはあるというわけです。僕に言わせれば、たとえば今週発売の少年ジャンプが無料で読めるからとか、今週発売のCDがタダで聞けるから、という理由でWinnyを何時間も走らせるのはばからしいです。そんな手間をかけるぐらいならコンビニで買うか、レンタルで借りてきたほうが楽です。
そもそもWinnyでコンテンツを手に入れている人間には、(手間はかけられても)金を出す気はないのでしょう。なぜそうなのかと言えば、世の中にはつまらないもの、面白くないものに値段が付いていることが大変に多く、金を出して買ってきたのに、とても悔しい思いをすることが多いからではないか、と僕は思うのであります。
Winnyをやっている人たちも、違法行為がしたくてやってる訳じゃないでしょう。彼らはコンテンツに興味は持っている「潜在的な需要家」です。お手軽で、安価な手段で、合法に彼らにコンテンツを届ければ、そこにはまったく新しい商売が生まれる可能性があるのです。
泥棒を客に変えることができるわけですが、そういうことは考えないのが日本人でしょうか。
お隣韓国では、違法な音楽のコピーがまかり通っていました。でもそれはやっぱり違法だし、著作者にお金も入りません。そこで安価で合法な音楽配信を始めました。日本にあてはめると「月々500円で着うたフルが何曲でも取り放題」ぐらい。おかげで違法なコピーはずっと減りました。安すぎるという話もありますが、理性的だと思いますね。
さて、会社のパソコンでWinnyやShareを走らせるのは「馬鹿」であります。じゃあ、なぜWinny経由で会社の情報が流出するかと言えば、それは仕事を自宅に持って帰って、個人のパソコンで仕事をしているからでしょう。そこでWinnyを走らせていて、ある日ワームを踏んでしまう。
各企業とも、個人情報をファイル交換で流出させた担当者を「厳重に処罰しました」とかいう「お詫び」を発表していますが、そもそも「自宅に仕事を持って帰らねばならないのは労働環境が劣悪な証拠」であり、厳重に処罰すべきは担当者じゃなくて経営者じゃないの? という気がするのであります。たまたま社員の中にクズが混じってました、というような顔をしてすませていいものかどうか。
2006年06月19日(月) 暑い 職場はエアコンが稼働していないこともないのですが、暑いです。
最上階(といっても3階)に位置していて太陽の熱をもろにくらうのと、中でパソコンが多数動いているのが原因でしょうか。
パソコンも、人間がホームページを見たりワープロを打ったりという間欠的な使い方ではなく、始終CPUメーターが振り切れるような使い方をしていると、熱風発生器になります。
土日も自宅でビデオの再エンコードをやっていたのですが、CPU利用率100%で何時間も使っていると、ラジエータから熱が立ち上り、人間のほうは早くも夏ばてでうんざりと言った感じです。
空調服 を作っている会社が、株式会社空調服という名前 になり、今年は 空調ベッドも発売 するのだとか。
空調服というのは、単純に言えば服に空気ファンを取り付け、外部から服の中に空気を送り込むだけの仕掛けであります。これによって汗が蒸発して「裸でいるより涼しく」なると言います。何よりも毎日8時間使っても、月の電気代が数十円ですむところがエコロジーであります。その開発にあたっては、ファンの耐久性だとか、取り外して選択可能にだとか苦労があったといいます
もともとこの会社の社長さんは、某メーカーのブラウン管技術者。ところが、東南アジアの現地ブラウン管工場へ出向いた際に、空調のない中皆が汗だくで仕事をしているのを見たのだそうです。この人たちが経済成長をして、全員がエアコンを使うようになったら、大変なエネルギー危機になるに違いない、と考えて、エネルギー消費の少ない空調システムを考えたのだそうであります。
服に付けた場合は、ニッケル水素の充電式乾電池がエネルギー源、なのでポケットにいつも電池パックです。デスクワーカー向けにパソコンのUSBから電源を取るキットもあります。汗くさいにおいというのは、服に付いた汗の水分の中で雑菌が繁殖するにおいなのだとか。なので、汗をすぐに蒸発させてしまう空調服だと、汗くさくはなりません。
人間が汗をかくときは働くとき・・・なので、空調服の最初のデザインは工場用の作業服でありました。が、なかなか導入が進まないのは、すでに工場で使っている制服と同じデザインでないと採用されないという理由なのだとか。なんだか、日本の製造業の硬直化を感じさせる話であります。
今年はワイシャツ型や女性用ブラウス型も出るそうです。
面白いのは、この服を着ると体温が下がるのかと思いきや、逆に体温は上がるのだとか。体を冷やすと脳が寒くなったと判断して保温しようとする、という説があります。ひょっとするとカロリー消費を増やしてダイエットの効果がある(かもしれないし、ないかもしれない)。
空調服を着たまま寝ると、体が冷えすぎて風邪をひく・・・ので、考えられたのが服の代わりに、シーツの下に送風する空調ベッド。ベッドと言っても単にベッドの上に置くものですから、我が家のように畳の上に布団を敷いている生活でも使える(といいな)。
じゃ、さっそく買ってみよう、というにはちょっと高いんですよね。だれか人柱になりませんか?
働いていないけど暑いんですよね。
2006年06月18日(日) 七瀬またたび ある掲示板の投稿に返信を書いてみたのですが、なんだか責めているような理屈をもう少し緩和できないかとひねくり回しているうちに飽きてしまいました。
普段だったらこういう文章は捨ててしまうのですが、雑記をあらためて書くのも面倒なので、自分の所に転用した次第です。
自分でも1年に2回精神病院に入院したことがあって、その年は都合5ヶ月ぐらい病院にいたので、外にいるのと中にいるのとどっこいどっこいでありました。「自分の人生が酒でダメになっているな」と自分でも強く感じられた年でした。
その翌年にAAにつながり、さらに翌年にようやく酒が止まりました。
自分の周囲を見ていても、やはり短期間に何度か入院を繰り返した人は、そこが大きな契機になっているようです。病気が進行してきたから、入院の間隔が短くなったのだろうと言われればそうかもしれません。
ですが、それは「人工的に作られた底つき」だったのかもしれないと思っています。
病院がこの病気を治してくれるわけじゃありませんが、底を突かせてくれる役割は果たせそうです。
本人もなるべく入院はしたくないし、娑婆で長く過ごしたい。家族にとっても入院は大事ですから、避けられるものなら避けたい。でも、飲みながら娑婆で過ごせるように援助しても、それは病気の回復を遅らせるだけです。
飲んでいるアル中の心中には「現状維持をしたい」という強い芯があるようです。
それが良い方にも悪い方にも変化することを拒んでいるのです。
その気持ちが理解しがたいのでしたら、こんな例を考えてみればいいのです。
家族が本当は「一滴も飲んで欲しくない」と思っていたとします。
でも本人は相変わらず飲んでいる。それをとがめるのは、本人にとっても、家族にとっても、新しいトラブルであるから出来れば避けたい。それに、あまり家で厳しくすると、外で飲んで飲酒運転で事故でも起こされたら、それこそ大事だと心配になります。
それだったら家でこっそり飲んでいるのは「小さなトラブル」だから、それさえ我慢すればいいのだと。明日も、今日と同じ「小さなトラブル」の日でありますようにと願うのであります。
本人も家族も奇妙なバランスの上に安定してしまっているのです。
「良くなる前には、どうしてもいったん悪くならないといけない」
これは精神科医の言葉であります。
人間の社会を見てみると、例えばある種の犯罪が目立つようになり社会問題化して、それから法改正が行われて、ようやく取り締まりがきつくなって、沈静化する・・・というような事例はいくらもあります。
人は「悪くなることを見越して予防策を立てておく」ということは苦手であるらしいです。悪くなってから焦ったり後悔したりするのが人であります。もちろん用意周到な人もいますが、そういう用心深い人は酒に溺れたりしないのでしょう。
いったん悪くなることを回避して、素直に良くなって欲しいと思うのは人の良心でありましょう。でも、病気に必要なのは良心ではなくて治療(support)ではないか、と思う次第であります。
2006年06月16日(金) 本の販路(その2) 日本のAAの本はどこの本屋でも売っていません。
(アメリカのAAの本は洋書として注文すれば手に入ります)。
売っていない原因は商社(取り次ぎ)と取引していないからです。トーハン・日販には相手にもされないでしょうが、地小だったら(ASKの本だって扱ってるんだから)扱ってくれそうなものです。
が、そうしていないのは、今までAAの側から依頼したことがないからです。
「ビッグブックや12&12ぐらい、本屋で売ったらいいのに」とか「いや<今日を新たに>とか<ビルはこう思う>だっていい本ですよ」、「本屋で扱っている本なら街の図書館に入れてくれるように頼めるのに」という意見もあります。一方、「本としてまだアマチュアの作った域を脱していない」という否定的な意見もあります。
実は本やパンフレットの売り上げが、各地のセントラルオフィス(CO)の収入の大きな柱になっているのであります。例えば3千円のビッグブックは、6割の千八百円でCOに卸されます。八百円の文庫版なら四百八十円です。
ちなみにこの6割の半分3割は、同じものを再度印刷在庫する費用に回されます。言ってみれば仕入れ費用です。別の半分(3割)は、JSOの維持運営費に回ります。千八百円でビッグブックを仕入れたCOは、それを3千円円で売り、差額千二百円をCOの運営費に回します。
JSOにしてもCOにしても、出版物の売り上げが収入の大きな柱になっていて、グループや個人から集まってくる「献金」よりも、出版物の収入の方が大きいほうが普通であります。AAの出版物は高いから値下げしてくれという話は良く出ます。そのほうがメッセージを運ぶのに効率がいいのですから、当然です。
でも、なかなかそれが出来ないのが「人間の性」というやつでしょうか。
例えば、仮にビッグブックをCOが千八百円で売ることにしたとします。するとそのぶんCOの収入は減るから千二百円を現金で献金してね、ということにします。どうなるでしょう? ビッグブックの売り上げは確かに増えるでしょう。でも、献金はあまり増えない。結果としてオフィスは運営費が不足してしまいます。
本を手に入れるために3千円を払うことは厭わない人でも、何の見返りもなく千二百円を献金することは嫌うのであります。(実際には本を買う人もそう多くはなく、献金には見えない見返りがあるのですが)。
AAの外部に販路を求めてしまうと、現在の流通経路(JSO→CO)に落ちている収益が、外部に流出してしまうという意見があります。
さて、amazon.co.jpの委託販売ですが、版元でISBNコードかJANコードを取っていれば扱ってくれるそうです。AAの本は実はISBNコードがついています。日本語の本であっても、著作権者はニューヨークなので、アメリカのISBNコードですが、それは問題にはならないでしょう。
委託販売なので、入金が「納めた時点」ではなく「売れた時点」であることとか、amazon.co.jpの取り分が4割というのが高いか安いか、考えるべき事は多いです。JSOにとってデメリットは少ないでしょうが、COにとっては商売敵かもしれません。
でも、COに本を頼む層と、amazonで本を買う層は違うのかもしれませんね。
以前の職場だったら、COやJSOから本などと一緒に送られてきた振り込み用紙を郵便局に持って行くのも面倒ではなかったのですが、仕事が変わってから郵便局に行くのは大変になってしまいました。アマゾンで買えるんだったら、便利でいいんですけどね。
まあAAの財政というのは、小規模ながらも経済活動であります。どう展開していくかは、ビジネスとして熟考の上で決めるべきでありましょう。
でも、amazon.co.jpや地小で扱ってもらえれば、僕にとっても便利だし、本屋で扱っていない本というのは、同人的というか、健康食品や宗教法人の会員向け出版みたいで怪しげな気がしてヤだな思う次第であります。
2006年06月14日(水) 本の販路(その1) 書店に並ぶ本は、出版社が出したものがそのまま書店にやってくるわけではありません。
他の商品と同じように、卸問屋とか取り次ぎとか流通業とかという商社があって、出版社の本はまずそこに納品され、それが本屋に納品される仕組みになっています。それは普通に感じるのですが、他のいくつかの点で「僕の常識」とは違う商習慣が行われています。
たとえば返本。仕入れたけれど売れなかった本は、逆のルートを通って出版社まで返品することができます。普通は注文をキャンセルするだけでも嫌がられ、ましてや一度買ったものを返品するなどと言えば相当なトラブルを覚悟しなければならないのがB2B(会社間取引)だと思うのですが、本はそうではないらしいです。
商社もトーハンと日本出版販売(日販)のふたつしかないのも変だという気がします。もちろん教科書などの特殊な本に限ればもっとありますが。普通の商品なら、大手商社の他に、こまごました商社がたくさんあって、小回りのきいた商売で大手と渡り合っているものだと思います。
が、出版社が書店に本を並べようと思ったら、トーハンか日販を通すしかないとも聞きました。ところがこの2社と取引するには、相当しっかりした出版社でないと相手にされなくて、まずそこがハードルになります。
大手が2社しかないという、それだけでなんだ嫌な感じであります。パッケージソフトの流通を一手に握ってのし上がったソ○トバ○クを思い起こします。販路の独占は「新興商社と取引するなら、おたくの商品は仕入れない、おたくには卸さない」という縛りが暗なり明なりに可能にするわけであります。
こうした奇妙な構図の原因を尋ねると、「本は著作物ですから他の商品とは違う」という答えが返ってきますが、それで全部説明できるとは思えません。
もちろん出版社が本を書店に直接持ち込むこともできなくはなく、委託販売と呼ばれて実際に行われています。しかし全国に書店は山ほどあって、そのすべてにリーチする手間が小さな出版社に出せるわけはないのであります。
一応ニッチを担当する商社として、"地方・小出版流通センター があって、小さい出版社や(長野県のような)地方の出版社の本を扱っています。ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)の本もここで扱われています。ただ、あまり売れない本ばかり扱っている関係上、出版社にしてみればここも条件は相当厳しいのだとか。でも他に選択の余地はないわけであります。
amazon.co.jpが本の委託販売を始める というニュースについて書こうと始めたのですが、長くなったので明日に続きます。
2006年06月13日(火) 聖人? 俗人? 頼まれてアメリカのメンバーの短い分かち合いを日本語に訳しています。
下手な日本語ですが、まあともかく日本語であれば読むことはできるわけなので、質は二の次と予防線を張ってやらせてもらっています。
感じることは「自信に満ちあふれているなぁ」というものです。私は回復しているよ、ハイヤー・パワーと一緒だよ、これなら安心だよというメッセージが伝わってきます。読んでいて元気づけられるというのか、毎回読むのが楽しみであります。
でも、もしその方に直接会うことがあったとしたら、回復者であるとか人格者であるとか感じずに、おそらくは「ふつうの人」であると感じるのではないかと思っています。日本のAAでも経験の長いメンバーが感じさせるような「俗人」ではないか。それでいて親しくつきあってみれば、実は人生の苦難にありながら、生きることを楽しんでいる人であることがわかる・・・のじゃないかと勝手に想像しています。
回復というのは現状に甘えずにパーフェクトを目指すことです。が、完璧になれるのは神様だけであって、人間は決してそこへはたどり着けません。だから回復とは「乾いたぞうきんをさらに絞って水を出す」というものじゃなくて、「バケツ満杯の水を耳かきで掻き出す」というようなものであろうと思っています。
いつまで経っても性格的欠点はなくならないし、減ったようにも見えないし、かといって掻き出すのをサボっているといつの間にか増えているし・・・。でもまあ、悪い方にしか進まなかった人間が、現状維持できるだけでも変化だし、良い方に変わっていることがあれば、それこそ恵みであります。
日本のAAで「俺は回復しているぜ」なんて言うと、(ああいう事を言っている間は回復していない証拠だ)などと陰口を叩かれかねない部分があります。いつまで経っても回復しないと嘆く自己憐憫が謙虚さであるかのような勘違いがあり、自尊心を回復した人間の足を引っ張る横並び意識があるような気がしてなりません。
完璧な聖人にはなれないと書かれていて、毎回それを読んでいるのに、人にも自分にも聖人であることを求めてしまうのが日本人気質なのか、日本のAA気質なのか。
ビッグブックには回復すればお金持ちになれるとも、素晴らしいパートナーと結婚できるとも書いてなくて、ただ世界が自分の理想とかけ離れていても生きていけることが担保されているだけだと思うのであります。そういう自分もミーティングに行けば「いつまで経っても回復しない」と嘆くことは忘れないのでありますが。
2006年06月11日(日) 非生産的なことをする 以前焼いておいたCD-Rだとか、DVDだとか、そういったものはタイトルはマジックインキで殴り書きしてあるか、ポップな色のポスカでカラーリングがしてあるのであります。
CDやDVDのレーベル面を印刷できるプリンターを買ったので、以前の手書きのレーベルの上にきれいにレーベルを印刷しているのであります。
やっていること自体にそれほど意味はありません。
そんなことをやっているより、部屋の片づけでもしたほうが良いのかもしれません。
でも、意味がなくてもやるのです。楽しいから。
思い出してみれば、ティーンエイジャーの頃は、カセットテープのラベルとか異常に熱心に書いていました。ロットリングとかステッドラーとか使ってです。テンプレートも買って、きれいにレタリングしたりして。
きれいに仕上がれば、テープの内容まで輝いてくれる気がしました。
字もきれいに書こうというので、練習しました。おかげで大学に行ってサークルに入ったときに、同人誌の清書をやることになりました。いや、マンガじゃなくて小説とかです。当時はワープロなんかないですから。
雑誌の最終ページには、必ずといっていいほど「日ペンの美子ちゃん」が載っている時代のことです。日ペンて意外と高かったので、結局やりませんでした。今はペン習字よりも、ワープロ検定の時代でしょうか。
あれからワープロを使い続けて、すっかり字も下手になりました。
強迫的になにか意義深いことをしようとする。人の役に立っていないと安心できない。責任を引き受けることに自分の存在意義を見つけようとする。そういうところから、一歩はなれることが必要なのでしょう。
まあ、気が緩みすぎて、地区委員会に行くのを忘れていましたが。ミーティング会場の地図印刷も終わったので、とりあえず行く用事はなくなりました。
2006年06月08日(木) 長期戦? AAにつながってから覚えた日本語があります。
ソブラエティとかそういう難しい英語じゃなくて。
たとえば「肝胆相照らす」かんたんあいてらす。
もちろん正直は美徳であるわけですが、正直も場所と相手を選びます。特に、下半身のことを話すときは選ばなければなりません。あ、いや窓から小便していたとかそういう話は病院でも話せますけど。台所の流しにしていたとか。ペットボトルとか。
何の話でしたっけ。
まともかく、「この話はだれ相手にでも話せることではない」ということは、聞いているだけで分かることであります。それを話してくれたと言うことは、自分のことを(自分のソブラエティを)信頼してくれたということでもあります。たまたま同性だけが集まったミーティングでは深い分かち合いが行われるときがあります。
具体的に相手の話したことは忘れちゃうことが多いのですが、信頼感は後々まで残ります。
「信頼を紐帯とした共同体」なんてのもあったな。
要するに厳しい掟によって成立している共同体ではないよという意味らしいです。
信頼には信頼で応えてください、とは委員会などで名簿を作るときに添えられる言葉であります。
映画『マイ・ネーム・イズ・ジョー』を見ているのですが、主人公ジョーの言葉に One day at a time がでてきます(今のところ2回)、字幕は「俺は長期戦を覚悟した」というのと「焦るな長期戦だ」でありました。
千里の道も一歩からってやつでしょうか。
ちなみ12のステップは、あいかわらず「12段階のプログラム」であります。
2006年06月07日(水) ルール まああれだ、AAに熱心な人はたいてい「AAは規律によって正しく保たれねばならない」という理想を持つ時期があるのは、仕方のないことだと思いますよ。
人間の集団を維持していくためには、なにかルールを決める必要があるというのは、僕らが小学生の頃から学んできた経験則ですから、使い慣れたナイフを使いたくなるのが人間であります。
が、AAが規律によって維持されている団体だと思ってしまうのは、経験不足を露呈しているわけでしょう。
個人はおおよそ「12のステップ」に従っていかないと飲んでしまう。(どんな大きさであれ)グループはおおよそ「12の伝統」に従っていかないと壊れてしまう。でもステップも伝統も「鉄の規律」ではないから、そこから一歩でもはずれたら破滅が待っているというわけでもないのです。ステップから一歩でもはずれたら破滅だなんて言うなら、僕なんかとっくに破滅ですよ。
大切なのは、ステップや伝統に従っていきたいかどうか、それは僕らの気持ち次第なのです。伝統もviolation(違反)じゃなくて、break(破り)と言われるのです。
ブルーカードというのがあるでしょう、オープンミーティングはどうこう、クローズドはどうこうと書いてあるやつです。ああいうカードがあると、書いてあるとおりにやらないといけないと思ってしまうわけですな。
が、あのカードを使うも使わないも、それはまったく「グループの自由」です。ほかのアディクションの人間がミーティングに混じっていたって、それでかまわないとそのグループが決めたなら、評議会であろうが、理事会であろうが、ニューヨークのGSOだろうが、その決めごとをひっくり返すことはできないのです。
そういう統治機構はAAには存在しないのです。
「あんなのAAじゃないよ」と言う人間のほうが、言われる方より病気が深いのです。より深くコントロールしたがるのが僕らの病気ですからね。私流のAAに「伝統」というハクをつけて押しつけたがるわけです。
AAは、AAをこの先も維持していきたいという願いが維持させているんですよ。ルールじゃないんですよ。口角泡を飛ばして議論している人たちも、いずれ分かるはずです。そして自分の了見が狭かったことを恥じるわけです。経験者が言っているんだから間違いありません。
原理原則は曲げない。でも現実への適用はアダプティブに。長くやっている人を見ればわかるでしょう。
まあ、議論は悪いことではないですよ。少なくとも関心を持っていますから。いちばん悪いのは無関心ですからね。
2006年06月06日(火) 祈り 昨日は仕事を休んでしまったので、今日は仕方なく出て行きました。
高速道路を運転しながら、途中で帰りたくて帰りたくて仕方がありませんでした。
「はー、やだやだ」
そうは思うのですが、さすがに高速道路を途中で引き返すわけにも行きません。
こういう時はどうすればいいのだろう。と思って、ふと考えると、そうかお祈りをしてみればいいのだと気がつきました。
最初に思い浮かべたのは、同じグループの仲間の顔です。次は、毎朝の祈りの中で僕のことも祈ってくれていると言ってくれた仲間。だんだん仲間の顔を思い出していったので、近所のグループのメンバーだとか、県外のメンバーの顔も浮かんできました。
そういう人達の今日がソーバーであるように、平和であるように。
何十人か思い出すうちに、だんだん面倒くさくなってきました。
「はあ、祈るのも面倒くさい」
もう祈るのはやめだ。それよりも今日の仕事の段取りを考えよう。
あれ、さっきまで仕事のことを考えるだけでも嫌だったのに、どうしてこんなに変わるのでしょう。ひょっとして祈りの効果というヤツでしょうか。まあ半信半疑であります。
考えてみると、通勤の時間はいつもなんとなくぼんやり過ぎていきます。帰りは音楽を聴いてくることもあるのですが、朝はまさにぼうっと考え事をしていることが多いのです。
今度も思い出したらまた祈ってみようかしらん。
まあ、まだ習慣にはほど遠いです。
2006年06月04日(日) 28DAYS かねてからの子供との約束通り、イチゴ狩りに行きました。
「30分食べ放題」と言われても、焼き肉やピザと違って、ここぞとばかりに食べまくるというわけにはいきません。途中でイチゴを見るのも嫌になってくるだけであります。
やっぱりイチゴは3〜4個を惜しみ惜しみ食べるのがいいようです。
たしか実家のじいさんの従姉妹の家でサクランボを作っていて、子供の頃は毎年そこからザルに一杯のサクランボをもらっていました。サクランボのほうがイチゴより飽きが来ないように思います。でも毎年最後は痛んで腐らせていたと記憶しています。今から考えると贅沢な話であります。
庭にサクランボの木を植えるの夢だと言いながら、いっこうに実現しません。
かねてからの懸念であった、サンドラ・ブロック主演の『28DAYS』のDVDを見ました。
姉の結婚式をめちゃくちゃにし、飲酒運転で事故を起こした主人公が、刑務所に4週間服役するか、それとも4週間依存症のリハビリ施設に行くか選択を迫られ、嫌々ながら施設へ入所する話であります。
最初は、「宗教まがいよ、ぜったい反抗してやる」なんて言ってるのですが、だんだん心を溶かしていくのであります。実は母親もアル中で、主人公が幼いうちに死んで施設で育ったとか、暗いバックグラウンドがあるのですが、そこはコメディ・ドラマですので、終始明るいのであります。
劇中劇として「サンタ・クルーズ」というソープオペラ(昼メロTV番組)がでてくるのですが、これが抱腹絶倒の怪作であります。実はDVDの特典映像としてこのソープオペラが二十数分ついています。主人公がなぜかギャンブル中毒だったり、薬の横流しあり、酒を止めたり飲んだり・・最後はモンティ・パイソンを彷彿とさせる出色の出来、要するにまじめなのが好きなお方にはとうてい承伏しかねる内容だというわけであります。
そのうちホームグループの本棚にいれておきますので。
次の目標は『失われた週末』。
2006年06月03日(土) コーヒー 自分の話ではなく、AAスポンサーの話を書くのはプライバシーの点から問題があるかな。まあ、もう時効にしてもらいましょう。
まだ僕がスポンサーと一緒にAAミーティングをやっていた頃でした。
アルコホーリクの奥さんだという人がミーティングにやって来ました。まだ長野にアラノンのない頃でした。医者からの紹介だったのか、保健所からの紹介だったのか、まあ珍しいことでした。
僕らはクローズドミーティングを急遽オープンに切り替えて(といっても、メンバーは3人しかいなかったので、それは暗黙の了解でしたが)、「かつてどのようであり、何が起きて、いまどうであるか」なるべくシンプルに話すことにしました。
ひとしきり分かち合いがあったあとで、話は雑談に切り替わっていました。
本人を連れてくるなら、できるだけ酒を切ってきて欲しいという話をしましたが、それはどうも望み薄でした。自力で酒が切れないのなら、やはり入院してもらうしかないのではないか。入院するんだったら、あの病院に3ヶ月くらい。自分も入院したことはあって、入院費は社保でこれぐらい・・・などという話をしました。
「お子さんはいるのですか?」という質問に対する答えは、小学校低学年の子供がいるという話でした。
ともかく奥さんだけでもここに通って、この病気がどんなものか知ってみたらどうでしょうか。というような締めくくりで、ミーティングは散会になりました。
スポンサーは自分で飲もうと思って持ってきた缶コーヒーを手にしていました。まだ口を開けていませんでした。そしてそれを、「これをお子さんにあげてください」とご婦人(奥さん)に手渡そうとしました。なにぶんにも田舎のことで、何かを手渡すことで好意を示すのは、ある意味当然のことでもありました。
が、ご婦人は困って僕のほうを見ました。
「○○○さん、子供は缶コーヒーを飲みませんよ」
そう言ったのですが、それでもコーヒーを渡そうとしています。一度おみやげに渡そうと決めたものは、相手が固辞しても簡単に諦めてはいけないのであります。
「小学生はコーヒーを飲みませんよ」
やっとその言葉が通じて、スポンサーも「あ、そうなのか、残念だな」とコーヒーを引っ込めました。
話はこれで終わりであります。
スポンサーにも子供はいるのであります。が、残念なことに一緒に暮らすことはできずにいるのでした。もし一緒に暮らせていたら、小学生が缶コーヒーを飲まないことを知らないわけはないでしょう。が、病気によって人生が大きく狂ってしまった・・それで当然知っているべきことを知らないできたのでしょう。
そうした経験と知識の欠落は、ふつうの社会だったらくすくす笑われる対象になるのかもしれません。が、僕らは(くすくす笑わないと言ったら嘘になるけど)、そうした欠落を笑いものにはせず、「うん、わかるわかる」と受け止めるのであります。
なぜなら、僕らの人生も病気によって多かれ少なかれ狂ってしまったのであり、その過程で当然積んでいるべき経験や、当然学んでいるべき知識を、身につけずにこの年になってしまったのだからです。
ミーティングで話すことだけじゃなくて、こうした前後の交流が、「経験と力と希望」を分かち合いにもなっていたと、今では思っています。
2006年06月02日(金) 予定 昨年の秋に妻が入院した時には、子供はジジババに預かってもらっていました。僕も、食事と洗濯と風呂はやっかいになっていました。
が、僕はAAミーティングに行くので、残業でなくても夜遅くなることがあります。残業で遅くなる時には電話を入れるのですが、ミーティングの時にはいちいち連絡はしません。
妻は、月曜日はここ、水曜日はここ、木曜日は時々ここ、とようなスケジュールを理解していてくれたので、それよかったのです。
が、ジジババはそんなわけにもいきません。
いろいろと行き違いがあったあげくに「予定表を出せ」ということになりました。
次の月一ヶ月のAAミーティング出席の予定をだすのであります。
そんなこと言ったって、メンタルなコンディションの悪い時にはミーティングを増やしたりするじゃないか・・・と思ったのですが、そういう理屈の通用する相手ではありません。
しかたないので、予定表を出して、その予定に沿ってミーティングに出ることにしました。
その習慣が妻が退院した後も続いています。
というわけで、6月の予定を書いているわけであります。
「面倒臭いなぁ、もっと勝手気ままにやらせてくれよ」というのが本心でありますが、まあ、仕方ありますまい。
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