心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年04月30日(日) 東京行き(1回目)

何の因果か、ゴールデンウィーク中に三回も東京まで往復する羽目になりました。
最初の一回を終わって帰ってきたところです。高速バスでしたが、さほど道は混んでいませんでした。まあ、まだこの土日は普通の週末ですからね。

夕食をファミレスで食べたのですが、ご一緒した人が「普段はこんなに混んでいないのです。ゴールデンウィークに混むファミレスというのもちょっと淋しいですね」とおっしゃっていました。それは、今年のゴールデンウィークは、旅行へ行く人の数が過去最高になるというニュースが流れる中で、どこにも行かずにファミレスに行く人も増えているという二極化と、ファミレス派に分類されてしまう自分を少しシニカルに笑っていたのかも知れません。

初めて「じゃりン子チエ」のアニメを数話まとめてみました。はるき悦巳のマンガも、TVシリーズも、若かった頃は感じるところがなかったのですが、今見ると何とも言えないペーソスを感じるのであります。
父親テツのたったひとつ良いところは「酒を飲まないところ」というのが何とも。
中島らもの書いた絵は、じゃりン子チエのコピーだったと初めて知りました。
ホルモン焼は1回か2回しか食べたことはないのですが、大してうまいものではなかったと記憶しています。ただ何となく食べるのには時間がかかりました。そこら辺が酒のつまみとしては良いのかもしれません。

冷蔵庫の掃除をしました。賞味期限に95年と書かれた海苔の佃煮のビンが出てきました。たしか結婚したのが95年だったような。冷蔵庫の中の8割は「食べられない食料」でありました。うー、定期的に棚卸しをしない冷蔵庫は破産するのであります。


2006年04月28日(金) 空と君のあいだに(その5)

眠れなくて、彼女のいたグループのメンバーに電話をしました。彼は少しは詳しいことを知っていました。
原因は処方薬の飲み過ぎ。自殺するような原因は家族に思い当たらないので、事故ではないかということ。死に顔は安らかだったそうで、お母さんが「あの子は十分苦しんできました。もうこれ以上苦しむこともないのでしょう」と言っていたこと。
それぐらいを教えてもらいました。

「僕の責任です」

電話の向こうで、そのメンバーは自分を責めていました。
そんなことはないはずだ。そんなことはあり得ない。でも、僕はその理由を聞くのをためらいました。そうだあんたが悪い。僕が悪いんじゃない。僕のせいじゃない。だから、あんたが悪くないかも知れない理由は聞きたくない。僕は電話を切りました。

10年経ったら、その人がなぜ自分が悪いと思っているか聞いてみよう。そんなことを考えました。

春が来ても、彼女はミーティング場には現れません。
そうしてようやく、彼女がこの世の中からいなくなってしまったことを実感しました。

(なんで死んじゃうんだ。生きていて良かったって言ったばかりじゃないか)

君のくれたものは一生忘れない。君のことも一生忘れない。時々はミーティングでも話す。そう自分に誓いました。僕が君を忘れなければ、君は本当にはいなくならない。だから線香を上げに行く理由はないはずだ。

自分した約束どおり、僕は彼女のことをたまにミーティングで話しました。でも、次第にその間隔が延びていって・・・、いつしか彼女がいたことすら忘れてしまいました。

電話の向こうのメンバーは、事情があって長野を去りました。
10年は経っていませんでしたが、9年後、長野で開かれたオープン・スピーカーズ・ミーティングの壇上で彼が話をしてくれました。その中には、彼女にまつわる話もありました。

思い出しました。
彼女のことを。10年後に聞こうと思ったことも。

逆に言えば、それまですっかり彼女のことは忘れて暮らしていたのです。

彼女がやってくるのが、あと何年か遅かったら、結果は違っていたのかも知れない。考えても仕方ないと思いながらも、そんなことを思います。
生きていて欲しかった。
僕のことは嫌いになってくれても何でも構わないから、生きていて欲しかった。
だって、死んでしまった人間のことは、どうしても忘れて生きていってしまうから、だから生きていて欲しかった。
それだけです。

翌年のスキーの集いには、子供をジジババに預けて、妻と一緒に出かけていきました。
妻は、「こんなに楽しいのは生まれて初めて」とも「生きていて良かった」とも言いませんでした。
それ以来、スキーの集いには行っていません。
なぜ行かないのかすら、忘れていたのですから。

(この項おわり)


2006年04月27日(木) 空と君のあいだに(その4)

夕食・お風呂・男女に分かれてAAミーティング・コーヒーを飲みながら雑談です。
イベントだと必ず夜更かしをする僕も、この日はスキーの疲れで早々と寝てしまいました。

翌日は午前中滑ってお昼に解散の手はずです。ホテルはチェックアウトしてしまうので、荷物は自分の車に積んでしまいます。ゲレンデに散ってしまったら、あとは集合しないので、はぐれたらおしまいです。

僕は彼女と二人で滑る気満々でしたが、さすがに昨日の夕方の事件でみんな心配になったのか、朝からみんなで集まって滑っていました。ゲレンデじゃなくて林間コースを滑ったりして結構楽しかった。でも、やっぱり少しうまい人は初心者用コースはつまらないのでしょう、だんだん人数が減っていきました。結局、人のいいおじさん(失礼)のNさんと3人になりました。

白金から、表太郎を抜けて、日の出ゲレンデへ。彼女とNさんの後をついて行ったつもりだったのですが、途中ではぐれました。僕は表太郎の上級者コースへ紛れ込んでしまったのです。最大斜度30度。道を間違えたと気がついたときには、もう上へは戻れません。文字通り転がるようにして麓まで降りました。スキー板を吹っ飛ばしながら転がっていくと、哀れに思うのか上級者の人が板を僕のところまで持ってきてくれるのでした。それでまたスキーを履いて転がって・・・。
リフトでまた尾根まで上って二人を捜すのですが、なにせ周囲は中・上級者コースばかりです。また紛れ込んでは先ほどの二の舞をしてしまうのでした。

麓でどうしたものか途方に暮れていました。僕のPHSは圏外で使い物になりません。そうこうするうちに、スキーは手練れとして知られているSさんが、脇腹を押さえながらスキーを車に積んでいるのに出会いました。話を聞くと、転んで止まらず、支柱にぶつかったので医者に行くんだそうです。
「いやー、死ぬかと思った」
それを聞いて僕は、もう一度中・上級者コースに入る危険は犯せないなという気持ちになりました。肋骨にひびが入っていたそうです。

集合する予定はなかったものの、ホテルの前でタバコを吸っていると、三々五々みんなが集まってきました。彼女はNさんとコーヒーを飲んでいたそうで、「ひいらぎも、私たちを見捨ててどっかへ行っちゃったでしょ」と言われました。おやおや。

ともかくイベントはそれでおしまいで、「また会いましょう」、「うん、ひいらぎ、またね」、「ミーティングで会いましょう」。そう言って別れました。

また春になれば彼女も峠を越えてくるだろうし、僕も行くことにしよう。また一緒にミーティングができるだろう。そう信じていました。
彼女も回復して、いずれ男ができるのかも知れないし、結婚するのかも知れない。それを考えるとちょっと淋しい気がしました。僕は結婚するのをちょっと早まったかなぁと後悔しました。が、もうしばらくは、また遊んでもらえるかも知れない。AAライフは少し楽しくなりそうな予感がしました。
しかし、彼女と会ったのは、結局それが最後になりました。

2週間後か3週間後。2月になっていました。
夜10時か11時頃でした。突然僕のAAスポンサーから電話がありました。
「みんな死んでいってしまうな。俺は悲しくてやりきれないよ」
スポンサーはなんだか悲しくてやりきれないという声で、彼女の死を伝えてくれました。
僕はなんだか信じられない気持ちで、「早くこの電話を切ってくれないかな」とぼんやり考えていました。悲しいという気持ちは不思議とわいてきませんでした。
スポンサーはそれ以上の情報は持っていませんでした。

(明日で終わりです)


2006年04月26日(水) 空と君のあいだに(その3)

お昼に集まってホテルに荷物を預け、夕方まで各自スキーを楽しむという段取りでした。
ところが彼女は「私は行かない」と言うのであります。ほとんどスキーはやったことがないし、板もウェアも持っていないからできないと言うのです。
そんな物は借りれば済むことだし、第一やらなくては上達しないよと誰かが説得して、みんなでゲレンデに向かいました。上から下まで全部レンタルの手はずがついて、初心者用のゲレンデの上から下まで一回滑り降りるまでは、みんなが付き添って面倒を見ていました。
が、スキーのうまい人ばかりで、しばらくすると皆は上級者用のゲレンデに移っていってしまい、いつの間にか僕と彼女の二人だけ取り残されました。

仕方ないので二人で半日滑りました。
だんだん彼女もスキーがうまくなって楽しめるようになりました。
ペアリフトにも乗りました。
滑る周期がずれて、リフトに乗った彼女が、僕が滑っている頭上で手を振って呼んでくれたりしました。転んでいる彼女を、僕が滑って行って助け起こしたりなんかして、彼女はどう思っていたか知りませんが、僕としては気分は恋人同士です。全身黄色のレンタルウェアの彼女は、ゲレンデのどこにいてもよく目立ちました。
時々上級者用ゲレンデから誰かが様子を見に来ても、「大丈夫、大丈夫」と言って追っ払いました。
何より楽しかったのは、彼女が楽しんでいる様子だったからです。

「ひいらぎぃ、こんなに楽しいのは生まれて初めてだよ。生きていて良かったなぁ」

そう言って笑った笑顔を一生忘れないと誓ったはずでした。
また来年も一緒に滑ろう。
君には幸せになって欲しい。それが僕の役目じゃなさそうなのは、ちょっと残念だが。
そんなことを思った記憶があります。

夕方になってナイターへの切り替えのアナウンスがあり、みんな大松の麓に集まってきていました。
ところが彼女の姿が見あたりません。どこへ行ったのか。トイレなんじゃない? そんな話をしながら待っていました。
彼女が2〜3人の男たちに囲まれて滑り降りてきました。遠目にも顔色の悪いのがわかりました。
「あっちに仲間がいるから」
そう言った彼女に、「すかしてんじゃねよ、ブス」と男たちが罵声を浴びせて去っていきました。
「どうしたの?」
「ひとりでいたら、絡まれちゃって、無理矢理誘われちゃって」
泣きそうでした。いや泣いていたのかも知れません。

守ってあげられなくて、ごめんなさい。そう言って謝らなければいけないはずでした。一日一緒に遊んでもらって、最後にドジを踏んでしまったのは僕でした。
でも、僕は心の中で彼女を守れなかった言い訳を必死で探しました。(ひとりでふらふら、どっかへ行っちゃった君が悪いんだよ)・・これは責めてるみたいでまずいな。
そういえば妻と一緒にスキーに行ったとき、彼女は同じような状況を「あっちに旦那がいるから」と言って追い払っていたっけ。

「そう言うときはさぁ、下に彼氏とか、旦那が待っているって言えばいいんだよ」

僕が言ったのはそんな言葉でした。結局彼女が悪いみたいな言いぐさです。もちろん何の慰めにもなりませんでした。
みんなで大丈夫だからと安心させて、宿へ帰りました。

(続きます)


2006年04月25日(火) 空と君のあいだに(その2)

僕は彼女がやってくる会場に行くのが楽しくなりました。彼女がやってくればその晩はとても楽しいのでありました。やってこなくて空振りに終った晩は、次はきっと来るよと自分を元気づけていました。

不安定だった彼女のソーバーも、ミーティングを重ねるごとに安定していきました。それが自分のことのようにうれしかったです。

「毎晩ミーティングに通う日が続いていて、昔の自分にはこんな生活考えられないことだし、友達にも打ち明けられないんです。でも何か新しい自分が始まっている気がして」

そんな彼女の話に「うんうん、よかったよかった」とうなずいたりしていました。
実のところ彼女のAAの関わりには少々ムラがあって、毎日ミーティングに熱心に通う日々が続いたかと思うと、みんなが心配になるぐらい顔を見せないときもありました。

やがて冬がやってきました。雪が降るようになると、峠を越えてミーティングに通う人は減ってしまいます。今より確かに道は悪かったのです。「酒を飲んで(スリップして)死ぬヤツはいても、ミーティングの行き帰りでスリップ事故を起こして死ぬヤツはいない。神様が守ってくれる」。そんなことを言いましたが、現実には冬場には交流が減り、暖かい時期に増えたメンバーも減るのでした。そういう僕も、AAのビジネスミーティングでしか峠を越えませんでした。
最後に彼女の顔を見たのはいつだったっけ、はたして元気でいるだろうか、そんなことを思うぐらい顔を合わせませんでした。

僕の妻が第一子を出産し、なにかとあわただしくお正月が過ぎていきました。

どういう理由で始まったのか忘れたのですが、AAメンバーで集まってスキーをやろうという話になっていました。僕はといえば、妻と交際を始めてスキー場に初めて連れて行ってもらい、ゲレンデの上からどんと背中を押されてスキーを覚えて2シーズン目でした。初心者だけれども、どんどんスキーがやりたくてしかたない時期でした。菅平高原で一泊二日と決まり、チラシを作って仲間が広報しました。
スキーのできる、スキーのやりたいAAメンバーは限られているし、新潟でも金沢でもスキーの企画はやっていましたから、それほど大きなイベントにはなりませんでしたが、二十数人集まったでしょうか。

初めての子供が生まれたばかりだったし、低体重児だったし、心配事はつきなかったですが、そんな事情はみんな振り切って僕は出かけていきました。お金はもう払っちゃってあるんだから、行かなければ損だという理屈であります。実のところ、久しぶりに彼女の顔を見られるのが楽しみで楽しみで、参加を取りやめるなんて考えもしませんでした。


2006年04月24日(月) 空と君のあいだに(その1)

一生忘れないと誓ったはずなのに、完全に忘れていました。
顔も忘れ、名前も忘れてしまいました。
憶えているのは、彼女が若い女性だったことぐらい。
確か27か28才だったはずです。

彼女がミーティングで姓を使っていたのか、名を使っていたのか、それともニックネームを使っていたのか、それすらも思い出せません。姓は確か静岡の地名で、それで呼んでいたような気がします。
なにせ彼女と一緒にミーティングをしたのは、両手の指で余る回数しかありません。あまりプライベートなことはその当時も知りませんでした。

僕がAAで酒をやめ始めて半年ぐらい経った秋でした。
いつもいつも同じメンバーで、うんざりするぐらい同じ話の繰り返しだったミーティング会場に、彼女は突然やってきました。

今でも長野県内のAAミーティング会場は多いわけじゃないですが、当時は毎日ミーティングに出たければ、それこそ車で飛び回る必要がありました。

「遠くの会場へ行けば、遠ければ遠いほど、大きな力がもらえるよ」

その言葉は、なるべくミーティングに数多く出てもらうために、新しい人に渡す「あめ玉」でした。そのあめ玉にはいささかの真実が含まれてもいます。回復は理屈じゃない、足で稼ぐほかはない部分があります。

地元のAAグループのメンバーにその言葉を贈られて、彼女はほかのグループのミーティング会場にも通うようになりました。最初は川に沿って下流にあるグループへ、またその下へ・・。
やがてそれだけに飽きたらず、峠を二つ越えて、僕の通っているミーティング会場にもやってきました。峠を越えてやってくるメンバーは珍しくなかったですが、今まではみんな男性でした。若い女性が、夜の峠道を何十キロも走ってやってくるのは初めてでした。

当時の長野のAAといえば、男ばかりでした。年齢も僕が一番若く、おじさん(失礼)ばかりでありました。断酒会に比べればAAは年齢層が若く、独身者が多く、女性が多いことになっています。ときおり県外からやってくるAAメンバーの中には、女性もいれば、僕より若い青年もいました。当時も全国的に見れば「若い・独身・女性」という傾向はあったのかもしれませんが、ともかく長野のAAは男ばかりでした。
僕のスポンサーは、奥さんもアルコホーリクという、AAメンバー同士の夫妻でした。その奥さんが毎回ミーティングに出ていたのが「紅一点」と言えました。ときどき子供もいる主婦のアルコホーリクが、その女性の話を聞くために訪れましたが、独身女性のアルコホーリクには会ったことがなかったのです。

そんなところへ彼女はやってきました。

一緒にミーティングをやって、

(素敵な人だな)

と思いました。まあ、独身女性に免疫がなかったのだから仕方ないです。

彼女はアルコールだけじゃなくて、若い女性が抱えがちな問題も抱えていました。それに精神科医に通っていて薬も飲んでいました。その薬を飲んでいることにも、僕は親近感を持ちました。当時のAAには、「向精神薬を飲みながらのソーバーなんて、そんなのソブラエティじゃない」という風潮が強く、僕は少数派の悲哀を味わっていたのであります。

彼女は小柄で、髪が長く、痩せていました。顔が美人だったのかどうかは思い出せません。
家庭の事情が複雑であるようでした。

(続きます)


2006年04月23日(日) 週末の過ごし方

土曜日は県の南の方でひらかれたステップセミナーに顔を出してきました。
体調が下り坂で、正直しんどかったですが、用事が三つあったので行かないとあとあと面倒です。幸い用事はすべて片づけることができました。
セミナーでは、会場で話を聞いていたのは1時間だけでした。
人の話にじっと耳を傾けて一日を過ごす、という謙虚さが失われて久しいです。
自分の中で必死さがなくなってきたと言うことでしょうか。

いろんな仲間と立ち話をしました。
自分の信念に従って行動している人間は強いなと思いました。
自分もそうありたいですね。
批判や誤解を受けるのは常のことですよ。
信じられるものがあって、「これが自分のやるべきことだ」と思えるものがある人は幸せですよ。
何のために生まれてきて、何のために生きているのか分からずに苦しんでいる人はたくさんいるのですから。meaning of lifeってやつですね。
もっと高尚なことがやりたいとか、もっと人に認めてもらえることがやりたいという欲を出すと、とたんに見失っちゃうんですよね。

往復の高速道路で、会社の通勤用のETCカードを使ってしまいました。
総務に何て言い訳しましょう。

日曜日は、ずっと家に籠って寝ていました。
本当は家の片づけをしようと思っていたのですが、ウツは心の疲れですからね。眠れる時に眠らないと。言い訳ですかね。

For what men call adversity is the ladder you must use to ascend the rungs toward spiritual perfection.
人々の反対の声は、あなたたちがスピリチュアル(霊的)な完全性へと登る梯子の横木になるのだ。

霊的な目覚めというのは、一生のうちに何回かしか体験できない奇跡ではないのでしょう。
それは毎日の生活の中に埋もれているのであります。

誰もあなたに助けられたと感謝は言わないでしょう。だが、名もなく埋もれることこそが私たちの究極の目的です。だから感謝されずに終わることを目指しましょう。

ま、お互いがんばりましょう。


2006年04月21日(金) レスポンス

最近病院メッセージで患者さんにつっかかられることが多いです。
しゃべっている内容が辛辣すぎるのかもしれません。

「大きなお世話だ、あんたたちと一緒にしないでくれ。偉そうなことを言うな」というわけですな。

入院期間中、入れ替わり立ち替わりでAAの人が来てしゃべってくれたが、みんな何回も精神病院に入院している人たちばかりである。1回だけという人には会ったことがない(たまたまじゃないですかねぇ)。そんなだらしのない連中と私を一緒にしないでくれ。
私には○○もあれば、○○もある。あなた達と違って社会的責任というものがあるんだ。だから当然二度とこんな間違いをするつもりはない。
同じ病気かもしれないが、個人差ってものはあるはずなんだ。あなた達と一緒だと決まったわけじゃない。

なるほど、一理あるかもしれません。こういう人に「違い探し」の経験など話しても始まらないわけです。聞く耳を持っていないのですから。

なるほど、そうかもしれませんね。あなたは退院したらもう一生お酒は飲まずに過ごすかもしれない。毎日適量を飲んで過ごすかもしれません。もしそうなら、私たちのことは忘れてもらって結構です。私たちのほうから追いかけるということはしませんからね。
こんなことを病院で言うと怒られるかもしれませんが、今日読んだ第3章の終わりにあるように、「紳士のように飲めるかどうか」実験してみればいいというのが提案です。(きゃー、やめてーという言葉が聞こえてきそうだ)。
でももし、お酒が止まらなかったら、家族がもうこんなことはやめてくれと言うようでしたら、その時は私たちのことを思い出してください。

いつだってアルコールが最大の説得者であるわけです。それに比べれば僕の言葉なんて軽いものです。死ななければまた会える日がくるでしょう。ひょっとしたら無事にやっている人もいるのかもしれないですよ。


2006年04月20日(木) 理想の女性像

職場で雑談をしていて「結婚するならどんな女性がいいか」という話になりました。
ま、だいたいいつも同じ結論に達するのですが・・・。

「掃除と片づけと洗濯をまめにしてくれる人がいい」
「ついでに料理も上手だということはない」

結局欲しいのは「奥さん」じゃなくて、「家政婦」じゃないの? という話になります。
セックス「も」してくれる家政婦が欲しいというのが男の本音でしょうか。

が、中年にさしかかると微妙な変化が訪れます。セックスは面倒くさいからいいや(したくないわけじゃないけど)。結婚するのも面倒だから、家に帰ったらいつの間にか奥さんがいたというのがいいなぁ、などと言い出します。

「いつの間にか子供までいた、ってのはどうですか?」

それはちょっとヤだな。でも今、一瞬(それもいいかなって)考えたでしょう。

掃除も片づけも洗濯も好きで、料理が趣味という女性も世の中にはいるかもしれないけれど、数はすごく少なくて、おまけに若いうちに手の早い男たちにかっさらわれてしまって残っていないのであろう・・・という結論に達するのであります。

足が細い女がいいとか、胸のでかい女がいいとか言っているうちに結婚した方がいいのかもしれないですね。


2006年04月19日(水) 全体の幸福>個人の幸福

Each member of Alcoholics Anonymous is but a small part of a great whole. A.A. must continue to live or most of us will surely die. Hence our common welfare comes first. But individual welfare follows close afterward.

私たちは「酒を止めて生きなければならない」というきわめて個人的な都合でもってAAに集まっています。
世の中からアルコール依存症を根絶しようというわけではありませんし、アルコール依存症に対するスティグマ(偏見)を取り除こうと社会改革に燃えているわけでもありません。

単純に、自分が助かりたい、自分が幸せになりたいという、とても自分本位の目的追求のための集まりであります。
ただ、AAの回復のメッセージというのは、これを受け取っているばかりでなく、次の人にプレゼントし続けていかなければ、その効果が薄れてしまうというものであります。
AAのメンバーが「まだ苦しんでいる依存症者」に興味を持つのは、なるほどその人に助かって欲しいという願いがあるわけですが、その背後には「自分が助かりたい、助かり続けたい」という願いがあるわけです。逆に言えば、どんなに余裕しゃくしゃくの依存症者だって、背後からアルコールに脅されているという現実からは逃れようもないわけです。

AAにやってきて私たちは、このような苦しみ、このような不幸を背負っているのが自分だけではなかったと知って安心するわけです。またここに解決方法があることを知って喜ぶわけです。

しかし同時に、ひとりではAAミーティングすら開けないということも知るのです。これはひとりミーティングを10回以上やっている僕の言葉だから信用してください。ひとりではどうにもならないわけであります。

こうして私たちは、助かりたければ一緒にやっていく他はないこと。一緒にやっていくためには、どこかで自分の権利を犠牲にしなくてはならないことを知るのであります。

自分が納得するまでしゃべりたいとか、自分のことを理解してもらえるまで聞いてもらいたいとか、都合の悪いときは休みたいとか、気に入らない話は聞きたくないとか、話を聞きながらタバコが吸いたいとか、そういう「自分の都合」を生け贄の祭壇に捧げながら、ともかく一緒にやっていくほかはないということであります。

犠牲は尊いものでありますが、その犠牲の価値について理解するのは、いつもずっと後になってからであります。


2006年04月18日(火) セックスする権利?

元データがどこだったか忘れてしまいましたが、10年ぐらい前に、アメリカで男性の心理カウンセラーを対象に行われたアンケートの結果が報じられていました。

それによると、九十数%の男性カウンセラーが、「自分は特定の女性クライアントとセックスする権利がある」と感じたことがあるのだそうです。実際にする権利があるとかいう話じゃなくて、セックスしたい=する権利があると感じるというわけです。

どうやら男というのは、女性からプライベートな話をされると、それだけで親密な関係が築き上げられたと勘違いしてしまい、性的な関係に誘っても大丈夫だ、いや相手から誘ってきたんだからというふうに感じてしまう動物であるようです。

自助グループのミーティングでは、そんなに親しくない間柄なのに、きわめてプライベートなことが語られます。プライベートなことを包み隠さずに正直に話すことが回復につながるという文化があるからです。そこにさまざまな擬似恋愛が生まれる余地があります。
が、ミーティングだけの付き合いなら、清いグループ交際であります。

これが、男と女が一対一ということになると、男の勘違いは激しく加速することになるのでしょう。心理カウンセラーの場合にはプロですから職業意識が働いて、「権利を感じた」からといって行動にたやすく移したりはしないでしょうが、自助グループの男たちはアマチュアですから自己規制がありません。
というわけで、AAでは経験的に、男のスポンサーは男、女のスポンサーは女、と決まっているわけです。(スポンサーとは相談相手みたいなものだと思ってください)。

ただ、糖尿病の重い男性は、相談相手として女性に人気があるという話しも聞いたことがあります。安全だからだとか。

え? 世の中の男ぜんぶが、ひいらぎお前のようにスケベ根性丸出しではない? そうかなぁ。


2006年04月17日(月) ひいらぎ動静

雑記を書いていないと「飲んで死んでいるのではないか」とか言われてしまうので、とりあえず昨今の動静など。

14日金曜日。
長野地区のミーティング会場地図の印刷原稿を出しに行きました。
印刷を頼んでいるコピー屋さんは、老夫婦のやっている文房具屋さんであります。消費税は取られません。コピーといっても実体はリソグラフです。この老夫婦が廃業したら、次はどこへ頼めばいいのやら。いやこれは「先取りの不安」か。

15日土曜日。
できあがった地図を受け取りに行きました。
レモン色の紙、B4表裏1500枚、B5片面1500枚。1万8千円。
第一回東京ステップセミナーには行くことにしました。家族4人で。たぶん会場には宿泊しに行くだけですが。
いきなり夜10時に、子供二人と花見に行くことにしました。ファミリーマートでおでんとお茶を買って、市内の公園へ。すでにライトアップも終わっていて、真っ暗で何も見えず、ただ夜景だけがきれいでした。雨も降っていて、風も吹いているという悪条件。完全に「計画倒れ」でありました。

16日日曜日。
今日しか時間が取れない、というメールに誘い出されて外出。
ちなみに2ちゃんねるで「がいしゅつ」は既出のことであります。
似たようなものに「すくつ」があり、これは巣窟のことであります。

ふたつとも正しく読めた、というひとはATOK日本語テストにチャレンジしていただきたい。


2006年04月13日(木) 人口カバー率

携帯電話のサービスエリア(電波の届くところ)の広さを表すのに、人口カバー率という表現が使われます。
ドコモのFOMAで93%、ムーバは100%ということになっています。100%と言うからには、人の住んでいるところ全部で使えるかと言うとそんなことはなくて、この数字は不思議な算定方式が使われているのであります。
分母は日本の人口。ま、これは常識の範囲内ですね。
分子のほうは・・・市の市役所や、町村の役場がサービスエリア内なら、その市町村の人口すべてが加算されます。ということは、極端な話、村役場の周辺だけサービスエリアに入った場合、村の大半が圏外であっても、村民すべてが「自宅で携帯電話が使える」という計算になるわけです。
これを誇大広告といわずして何と言いましょう。
それが証拠に、PHSの人口カバー率だって、同じ基準で計算すれば99%(ウィルコム)です。が、99%の人がPHSを使えるとは到底思えないのであります。

人口の疎な場所は広大無辺に広がっているわけですが、そういうところに基地局を立てていったとしても、もともと人口が少ない限りは、通話料収入も少なくて、到底初期投資や維持費をまかなえないのでしょう。なので、そういう場所は、今後もずっと「圏外」であり続けるわけです。

そこに住んでいる人ならともかく、人口の少ない場所には、そもそも滅多に行かないわけなので、携帯の電波が届かなくても、実のところそれほど困るわけでもありません。が・・、例外もあって、地方の町と町を結んでいる国道や県道が、山間部に入るととたんに圏外ということがあります。昨今は運転中の携帯電話の使用が禁止されているので、使用頻度は下がっているのですが、いざそういうところで車が止まってしまって、携帯電話でJAFを呼ぼうとしたら運悪く圏外。しかたなく麓まで歩いて降りてという笑えない話もあったりします。冬場だと遭難したりなんかして・・・さすがにそれはないか。

最近では国道沿いであれば、山間部でもサービスエリアになっているところも増えました。が、圏外の場所もないと、営業に出たついでにサボって帰るということもできないのであります。


2006年04月12日(水) 反ドーピング

WBCという野球の世界大会を機に、アメリカの野球のドーピング(禁止薬物)汚染がとりざたされることになりました。

アメリカの大リーグは実質的にドーピング検査をしていないというのは有名な話です。
何年か前だったか、マグワイヤーとソーサーという二人の選手が、ホームラン王争いをしていたときには、筋肉増強剤を使っているのが当たり前という報道がなされていました。
全球団ともに検査をしていないのだったら、それはそれで公平と言うことなのかもしません。「薬を使ってトレーニングをして何が悪い」という価値観も、あながち完全に否定することはないでしょう。

が、国対国の試合をするとなると、そうも言っていられないわけであります。WBCではオリンピックに準じた薬物検査をすることになっていました。ドーピングの検査をする機関としてWADA(世界反ドーピング機関)というIOCが設立した団体があるわけです。
WADAでは抜き打ちの検査をすることができる契約を、各競技団体と結ぶわけですが、今回はWBCを主催した大リーグ機構と選手会との契約が切れており、抜き打ちの検査はできなかったわけであります。WBC主催側では独自のドーピング検査をした(抜き打ちで)としているわけですが、その検査対象の薬物のリストも公表されないとあって、どれだけ信頼が置けるかははなはだ疑問であります。
一応韓国の選手がドーピング違反で失格になっていたのですが、いかにもスケープ・ゴートという感じがしなくもありません。

一方日本の選手団は、自主的に全員を検査したとしています。
これも疑ってかかれないこともないのですが、「どんなにイチローがヒットを打ったとしても、もしそれが筋肉増強剤や興奮剤使用の結果ならば、その実績を認めない」という国民性はあると思います。

次回のWBCもあいまいな基準のまま行われるのか、それとも米大リーグ機構に自浄能力があるのか、3年後の大会もそんなことに注目してみたいと思います。

パラリンピックやスペシャル・オリンピックも、通常のオリンピックに準じた薬物検査が行われているのだそうです。ただ、時には、治療のため、予防のため、日常生活の維持のために常用している薬が薬物検査に引っかかってしまって、思わぬ失格という悲劇を生むこともあるのだとか。こうなると、どこに公正という線を引いたらいいのか分からなくなってしまいます。
もっとも、そうした特別なオリンピックの価値自体を認めないという人も、世の中には多いのでありますが。


2006年04月11日(火) ルーチンワーク

毎日読ませていただいているこちらのサイトでは、雑記(日記)は毎日10時30分に更新されます。
雑記は前の日に描いておくのだそうで、10時30分になると自動的に更新される仕組みだそうです。ウェブマスターが出張に行ったりすると、書き溜めておいた雑記が毎日順番に更新される仕組みらしいです。もっとも最近ではモバイル通信環境も格段の進歩(?)を遂げたので、ひょっとしたら出張先から翌日の雑記を送り込んでいるのかもしれませんが、まあ普通は重たいノートパソコンを出張に持って行きたくはないものでしょう。

毎日雑記を更新するだけでもその労力たるや・・・と思うのに、さらにブログまで始めて、一日に何回も更新される日が多い。「よほど文章を書くのがすきなのだろうな」と思うのであります。

僕なんかは毎日雑記を更新するだけで呻吟していて、たまに複数の文章を書いたときなども、「翌日の雑記のために取っておこう」と思うぐらいで、それを消費してしまおうとは思いません。しかし、描いたものははじから公表してしまうほどのサービス精神や、適度なウィットやユーモア、人が知らないことに対する造詣の深さ・・・そういったものがなければアクセスアップは望めないのだろうな、と思ったりするのであります。

なぜ僕が毎日雑記を更新する(しようとする)かといえば、毎日ではなく「適度な間隔で」更新するということができないからであります。しばらくサボっているともう書くのが面倒くさくなって、更新が止まってほったらかしということになりかねません。
世の中には「毎日更新」をうたいながら、最後の日付が何年も前という日記やらブログやらがごろごろしているわけであります。僕のそういう人のことを笑えません。
1か0かであって、間の「適度なところ」というのが実に苦手なのであります。

AAミーティングもなぜ行き続けているかというと、それも同じことで「適度な間隔で」行くというのができない性分だからです。行かなくなったら、もうずっと行かなくなってしまうでしょう。
「苦しくなったときだけ行く」というのはもっともな考え方ですが、楽なときにミーティングに行くことができない人間は、苦しくなったときはもっと行くことができないわけです。
それだったらルーチンワークを守ったほうがよほど楽だったりするわけであります。


2006年04月10日(月) 禁酒は不健康なのか

適度な飲酒の健康効果に疑問

ネタがないときはニュースを取り上げるのであります。

まったくお酒を飲まないよりも、少々飲んだほうが長生きするというのが、定説であります。
もちろん飲みすぎは体によくないわけでありますが、適度ならばよろしいと言うことでしょう。
が、それも迷信(かもしれない)という記事であります。

飲酒習慣と健康状態の関係を調べる疫学調査というのはたくさんあるわけです。
たとえば最近では、少々お酒をたしなむ人のほうが、まったく飲まない人よりも自殺率が低いという調査結果が記事になっていました。
しかし、そうした疫学調査を54調べてみたところ、長期間飲酒していない人を「非飲酒群」とした調査は7つに過ぎなかったというわけです。

逆に言えば、そのほかの調査では、短期間しか断酒・禁酒していない人も「非飲酒群」に含めていたわけです。短期間しか止めていない人には、老齢で健康が衰えて酒を慎んでいる人とか、薬を飲んでいるせいで酒が飲めない人とか、虚弱体質の人とか、ようするに健康に何らかの問題を抱えた人が多い可能性があるということです。
健康上の理由で禁酒している人が混じっている群のほうが、健康的に飲酒している群よりも、長生きするとか、病気の罹患率が低いとか、自殺率が低いのは「当然のこと」であるかもしれません。

長期間飲酒していない人のみを「非飲酒群」とした7つの調査では、非飲酒群と適正飲酒群の間に死亡リスクの差はなかったともあります。

ただし7つの調査だけでは、「適正飲酒は健康にいい=酒は百薬の長」を否定するには、数が十分でないともあるわけです。

ちなみに、ある研究者の話では、「百薬の長と言えるぐらいの適切な飲酒量とは、毎日飲むのだったら日本酒0.5合まで」だそうであります。
もちろん酒造業者御用達の研究者たちは、もっと景気のいい数字を出してくるわけですが。

まあ、酒もたばこも(ギャンブルも)やらずに長生きするよりも、楽しく生きたほうがいいというのなら、それも人生の選択でありましょう。楽しいならね。


2006年04月09日(日) debut

昨日のことになりますが、初めて娘たちをAAのイベントに連れて行きました。
最初は一人で出かけるつもりでいたのです。
最近AAで出かけていることが多かったし、日曜(今日)もでかける予定だったので、「どこかへ連れて行ってくれ」という要求を無視するのは難しかったのです。
「じゃあ、パパと一緒に来るか」という無茶な質問に、「行く」という返事が返ってくるとは思いませんでした。

会場にはすこし顔を出しただけで、あとは会場施設である「少年自然の家」の周辺で親子3人遊んでいました。遊んでいるだけだったら、別に隣県まで出かけなくても良かったかも知れません。

見知った顔には挨拶ができました。この人と初めてあった時は、まだこの子はお腹の中だったんだな、と思うと感慨深いです。

子供たちのAAの感想は、「おじさんたちが集まってお話を聞いているところ」だそうです。

子供の相手をしてくれた仲間、ありがとう。


2006年04月08日(土) 幸せ

満たされない。と不満を言うよりも、満たして欲しいと願うことのできる自分に幸せを感じたいと思う。

僕は欠点の多い人間であります。
その欠点を一生懸命隠して生きていこうとしているのです。
だが、悲しいかなそうした欠点は、よろいの隙間からちゃんと見えてしまっていたに違いありません。
いままでも、ずっと。今も。これからも、ずっと。
そのことを考えると、ちょっと切ないです。

が、自分では必死で隠していた(つもりでいた)欠点が(ずっと)見えていたにもかかわらず、僕の周りにいる人は、僕に対して相当な尊敬と愛情を示してくれていたのであります。

これを見せてしまっては、もう二度と人の尊敬を勝ち得ることなどないに違いない・・・そういう恐れが常につきまとっていたわけです。知られまい、知られまいと思えば、自分を良く見せようと必死になります。実際よりよく見せようと思えば、人は高慢になります。
高慢は人を傷つけるから罪なのでしょうか。
そうかもしれません。しかし高慢は何より自分を苦しめます。

「愛されたい」と思うからこそ虚飾を施すのです。でも、飾るほど、今自分が受け取っている尊敬と愛情を感じることができなくなります。愛されない、尊敬されない自分には価値がないと感じるので、余計に飾るようになって、あとは無限の悪循環です。

いま受け取っている尊敬と愛情を信じることが「少し」でもできれば、今は感じることのできない「残り」を感じることができるのでしょう。

自分はもっと愛される人間だ、もっと尊敬されてるべき人間だという考えは、「気取り」なのだそうです。自分は愛されていない、尊敬されていないと感じるのも「気取り」でしょう。自分はくだらない人間で、愛されるべき人間でも、尊敬されるべき人間でもないと感じるのは、一見謙遜であるようで、実は高慢と少しの違いもありません。心の底では、愛されたい、尊敬されたいと叫んでいるのですから。

今受け取っている愛情を信じるのではなく、求めるだけの愛を得られた時だけ幸せになれるという考えは、人が陥りやすい罠なのでしょう。
よろいの隙間から、つまらない、くだらない自分が見えていたにもかかわらず、自分の予想を超えるものを受け取っていたのです。

「満たされたい」という願望そのものを否定したくはありません。ただ、満たされないから苦しいのではなく、気取って自分の首を絞めているから苦しいのであって、そういうのはやめたいなあ、と思うのであります。

そう思うだけであって、そういう自分になれるかは別問題ですが。
こういう神妙な文章を書いている時は、人に言えないことで悩んでいるだけだったりして。

ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか。ニ・ニ・ニーチェかサルトルか。と歌っていたのは野坂昭如かな。


2006年04月07日(金) 季節の経過

レスリンの量を半分に減らして3週間近くが経ちました。
鼻が詰まって息苦しいのは軽減されてきました。
やっぱりレスリンの副作用だったのか、それとも花粉の季節が私の体の上を通り過ぎていったのか・・・。
でも、最近なんだかうつっぽいです(いつもか)。
それはレスリンの量が減ったからかも知れませんし、単に波なのかもしれません。
本を読む気になれません。眠れません(夜は)。そして昼間は眠いです。ねむねむ。

関係ないですが、ねむの木は「合歓」と書くのですね。
ゴーカンの木と読んで笑われた記憶があります。
閑話休題。

レスリンは抗うつ剤ですが、抗不安効果もあって、飲むとちょっと心が落ち着きます。
そういうものとお別れするのはちょっと、いや「ちょっと」どころじゃなくて、ずいぶん淋しいです。薬と別れるのが淋しいところがアルコホーリクですな。

今日は仕事がお休みの日でした。
お昼ご飯を食べると、いろいろ妻に説明するのが面倒だったので、「オートバックスに行ってオイルを変えてきます」と言って出かけました。
オートバックスに行ったのは4時半でした。別に何時までにオートバックスに着くという目標を設定していたわけではないし、夕方までに交換が終わればマーモンタイ(無問題)であります。
前回オイルを交換したのが、昨年7月の車検の時です。あれから9ヶ月。走行距離も1万数千キロになりました。
僕が車に乗りだした頃は、オイルといえば安いのがSEとかSF、高いのがSGとかSHでした(E・F・G・・とアルファベット順にグレードが上がる)。現在店頭に並んでいるのはSLとかSMとかです。高いオイルを入れる意味はない、安いオイルを頻繁に交換するのが得策・・・と言いながら9ヶ月であります。

4リットル缶ふたつと、オイルフィルター、それと工賃で6千円でした。
毎回思うのは、なぜ4リットル缶しかないのだろうという疑問です。僕の車はオイルフィルターまで一緒に交換するとオイルが6リットル必要です。4リットル缶ひとつでは足りないので、ふたつ買うことになります。そうすると必然的に2リットル余るのです。
余ったオイルは「持って帰りますか」と聞かれるのですが、持って帰っても使ったことはほとんどありません。次に持ってきても、古いのと混ぜるとダメだと言われます。
必然的に、持って帰らずに処分してもらうことになります。
店の方では余ったオイルを次の客に使・・・ったりはしないで、まじめに処分しているのでしょう。
つくづく資源の無駄遣いであり、お財布にも優しくありません。
ディーラーで換えれば、資源の無駄遣いはなくなりますが、お財布にはもっと優しくないし。
え? 自分で交換すればいい? ジャッキとかオイルパンとかいろいろ物いりじゃないですか。

一時間ほど待っているとオイル交換も終わり、出発から5時間後に帰宅した僕を、妻は「なんだかずいぶん遅かったわね」という言葉で出迎えたのでありました。

「うん、今日はメカニックの数が足りなくて、店が混んでいたのだ」

そういう嘘がしれっと出てくる自分がなんだか情けないです。

夕方からPTAの集会。父親は自分一人であります。完全に周囲から浮いています。でも良くしたもので、AAの仲間には同じような経験を持つパパも僕の近くに配置されているのであります。それを偶然と片づけてしまうのも自由ですし、なにか大きな存在が自分に優しくしてくれているのだと考えるのも自由であります。


2006年04月05日(水) まさかこんなものを偽造するとは

精神障害者手帳偽造容疑で男逮捕

いつの間にか「心の家路」も5年目に入りました。ホームページ下部のカウンターも10万を超えています(キリ番とかやらなかったなぁ)。

障害者手帳をもらったのは、すでにこの雑記を書き始めてからだと記憶しています。申請には診断書が必要だったのですが、手帳をもらえば通院医療費公費負担(いまは名前は変わりましたが)の申請に診断書が要らなくなるので、診断書代は損にはなりません。
手帳の発行は都道府県の事務なので、県によって多少差が出てしまうようです。アルコール依存症で手帳をもらったという話も聞きましたし、依存症ではもらえなくてうつ病でもらったという話も聞きました。
手帳の発行実績としては2級がダントツで多いそうです。これは生活保護費の障害者加算を得るためには2級が必要(3級だと取得する意味が無い)ということと関係がありそうです。

身体障害者手帳や療育手帳と違って、精神障害者保健福祉手帳には、人に「ちょっとうらやましいかも」と思わせるほどのメリットはないと思います。交通機関の割引きを受けられるわけでもなく、NHK料金を値引いてもらえるわけでもありません。(ただ、地方によっては独自の施策があり、例えば東京都では都営地下鉄・都バスが無料になります)。
給与所得者だと所得税・住民税の控除ぐらいでしょうか(これは勤務先に知られてしまうので、休職した去年初めて使いました)。あと、携帯電話の割引きと(これが一番大きいかな)、NTTの104が無料になるぐらいでしょう。
僕の住んでいる市だと、市民プールや市の美術館が無料になるのは少しうれしいかもです。

そんな感じで、持っているデメリットも無いけど、大してメリットも無く、誰もそんなものを偽造するとは思いもしませんでした。それはトバシ携帯の契約に使うとは・・・。確かに顔写真は貼り付けてないわけですが。

他の手帳にある顔写真が無いのは、この手帳の制定当時に精神疾患の患者会や家族会がプライバシー保護のために反対したのだそうです。その気持ちもわからなくもないですが、そのおかげでJRが「本人以外に悪用される可能性がある」という理由で割引きの適用を拒否しました。そして、高速道路も飛行機会社もNHKも、JRに倣ったというわけです(なんでNHKまで)。

お札や運転免許証、パスポートなどは紫外線をあてると光る塗料が塗られています。これは顔写真を貼り付けても偽造がなくなりはしない根拠のような気もします。ただ、空港のパスポートコントロールならいざしらず、一般店舗でブラックライトを使って真贋判定をのんびりやっているわけにもいないのでしょうから、不可視インクは意味がなさそうです。

さて、こうなるといずれ精神障害の手帳も顔写真入りになるのでしょう。そうなった暁にはJRも割引きをするようになるかもしれないし、ならないのかもしれません。

ともかく、生物学的には障害が重いほど数がまれになるのが自然で、等級が軽いほど手帳の保持者が増えるのが自然でありましょう。3級よりも2級の所持者が圧倒的に多いという事実が、この制度のひずみを示しているように思われます。


2006年04月04日(火) 諸事

仲間のバースディ・ミーティングに行ってきました。
ビーナスラインから白樺湖へ、さらに女神湖へと向かいました。
蓼科山の山容が残照を浴びて、薄明の空に浮かび上がっていました。美しいというより恐ろしさを感じさせる風景でした。初めて行った女神湖ですが、左に眺めるだけでアクセルを踏み込みます。峠を過ぎると、右に佐久の市街の夜景が広がっていました。それを右に見て、ひたすら北へ。
意外に多くの仲間が集まっていて驚きました。彼もここでミーティングを始めて5年。その努力には頭が下がります。初めてミーティング場を持ったときに、スポンサーから「5年は続けろよ」と言われたことを思い出します。たった数ヶ月のソーバーの人間に、5年は遠い遠い未来であります。でも1年持たないのじゃないかと言われた僕が、ともかく飲まないでいられたのは、スポンサーのきびしい提案のおかげでしょう。

3月上旬に取り上げたOrigamiことUMPCが9万9800円で発売になりました。10万円を切る価格に「がんばった」という声が出ていますが、もう少しがんばって欲しかったです。
この値段の中にはOfficeとかのソフトの値段は入っていないわけで、2台目のノートPCとして使うには、相当の出費を強いられそうです。
東芝Dynabookの初号機を買ったときの感動や、WorkPadを手にしたときの感激のように、「小さくてもすごそう」と感じさせるものがいま一歩ありません。でも、今後バッテリーの駆動時間が延びたり、ワンセグが見られるようになったり、ナビゲーションが可能になったりすれば、面白くなるかもしれません。

iTMSで買った曲を、CDに焼いて聴いてみました。同じ曲をCDで買ったものと比べてみると、AACでの劣化が分かります。CDと同じ音質を期待しても無理であります。が、これは比べるから分かるのであって、別に悪い音でもなく、最初からiTMSで買えば「そういう音」だとしか思わないのでしょう。

iTMSでアルバムを1枚買うとします。そうするとそれをCDに焼くことになるでしょう。CDを買ったのならCDは譲渡できますが、iTMSでアルバムを買っても焼いたCDは古本屋には売れません。
それはともかくアルバムをCDに焼くと、CDにレーベル印刷をしたり、ケースの表紙を印刷したりしたくなるものです。
CDのレーベル面は、1万6千円ぐらいのプリンターで印刷することが出来ます。というわけでプリンター買い換えになりそうです(iTMS泥沼ともいう)。


2006年04月03日(月) ひいらぎの半分は何でできている?

ノートパソコンのハードディスクを入れ替えました。
このノートPCは2000年のモデルを翌年にアウトレットで買ったものです。(なので、標準搭載のOSはWindows 98SEだったり)。

よく5年も壊れずにもったものだと思いますが、さすがに昨今の高性能PCと比べると遅さが際立ってきました。でも買い換える余裕はありません。もはや仕事では使わなくなっているので、20万近く出して新しいPCを買う言い訳がありません。
今年の正月には、液晶が写らなくなりました。あわてて上半身だけ中古部品を買いました。もうパソコン全体でも2〜3万円ぐらいの相場なので、上半身だけだと1万円しません。が、分解してみたらただの接触不良だったので、手に入れた部品はすぐに売り払ってしまいました。
が、1ヵ月後にまた液晶が写らなくなり、また上半身だけ手に入れて、今度は交換しました。

記憶装置であるハードディスクドライブは、中で円盤が回っています。その円盤を受け止めている軸受けは、以前はボールベアリング、現在は流体軸受けが主流です。流体軸受けの良いところは音が静かなところです。ボールベアリングも悪いとは言いません・・が、さすがにボールとボールが接触しているので、磨耗して玉が小さくなると、軸受けから音がするようになります。
その音がだんだんうるさくなって、ある日「ガガガ」という大音響とともにハードディスクがお亡くなりになる・・・というのがパターンであります。ま、普通そこまで使い込まないでしょうが。

夜中にノートPCを使っていると、ディスクの音が気になるぐらいになって、もうずいぶん時間がたちました。電源を切り忘れて寝てしまうと、夜中にディスクの回転音がうるさくて目が覚めてしまうこともありました。
こいつは古いからボールベアリングです。そろそろ寿命を感じさせます。先延ばしにしてきたのですが、ノートパソコン全体を買い換えるほどの(我が家の)経済復興はまだ先のようです。あきらめてドライブだけ買い換えたのでありました。送料込みで14,000円でした。

新しいハードディスクは速いです。Windowsの起動時間が2/3になりました。

話は変わって、最近成分解析というソフトが人気であるようです。ためしに「ひいらぎ」の成分を解析してみました。

ひいらぎの成分解析結果 :

ひいらぎの28%はむなしさで出来ています。
ひいらぎの27%は食塩で出来ています。
ひいらぎの24%は大人の都合で出来ています。
ひいらぎの13%は黒インクで出来ています。
ひいらぎの6%はやらしさで出来ています。
ひいらぎの2%は税金で出来ています。

会社の同僚を解析したら、59%が毒電波でできていました。


2006年04月02日(日) iTMSで曲を買う

ブログの方で iTunes Music Store を取上げたので、ひさしぶりにiTunesをインストールしてみました。僕はパソコンでは音楽を聴かないので、以前iTunesをインストールした時も、CDから何曲かリッピングしただけでもう飽きてしまって使い込んでいませんでした。僕はiPodを所有していません。

今回はiTMSで曲を買ってみました。
アメリカでは1曲99セントだそうなので、日本でも99円なのかなと思ったら、150円でありました。人気のある歌手は200円だったり、新曲は400円だったりします。
遊佐未森の曲を検索してみたら150円、アルバムは1,500円でありました。中島みゆきは200円、アルバムは1,600〜2,000円であります。
iTMSのアカウントを取得するにはクレジットカードが必要です。カードを持っていない人は、コンビニなどで売っているプリペイドカードを買うことになるのでしょう。そのうちプリペイドカードでの購入も試してみたいです。

CDアルバムの定価は2,800円+消費税で2,940円というのが相場でしょうか。amazon.co.jpあたりだと5%引きが当たり前なので2,793円ということになります。これをiTMSで買って2,000円だとすると、800円弱お得ということになります。さらには、iPodにコピーするのに、いちいちリッピングする手間が不要です。
しかし、CDの現物は手に入らないことになります。
CDの現物を棚にしまっておきたいファン心理の働く相手にはiTMSはあまり魅力がないといえます。逆にたまたま今ヒットしている曲を買いたいとか、昔の思い出の曲を買いたいという場合には、曲あたりでばら売りしてくれるのはありがたいです。

AACの128KHzの音質がどれくらいか・・・、それはまた日を改めて。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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