心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2004年02月29日(日) 自明の素晴らしさ

生きていくということは、ただそれだけで素晴らしいことなのです。
そのことは自明であって、何の証明も説明も要りません。
「こういう人生」は素晴らしい、というような条件付けもいりません。

しかし、ある時、生きていくことの素晴らしさが、理解できなくなる(感じられなくなる)ことがやってきます。日常は無味乾燥になり、この世に意味のあることなどないんだ、という気分に落ち込んでしまいます。自分がやっていること、やるべきことに価値が見出せなくなります。

何をやってもつまらないし、くだらなく感じてしまう。
何を言いたいかというと、「うつ」になっているということです。

生きていくことの自明な素晴らしさが感じられない。うつとは切ない病気であります。


2004年02月28日(土) AAはカルトか治療か?

Alcoholics Anonymous: Cult or Cure? については こちら のページを教えていただきました。

金曜の夜は早く寝ようと思いながら、結局3時過ぎまで起きていました。
お昼に起床。ご飯を食べた後、また少し寝て、3時半から家族でお風呂へ。ここ近辺は町村それぞれに日帰り入浴施設があります。入浴後、休憩室で電動マッサージチェアを15分使いました。ラーメンならぬ「中華そば」で夕食。CDレンタル店でCDを借りました。

眠ければ寝て、腹がすけば食べる。僕の思い描くスローライフとはこんなものなんだけど。



2004年02月27日(金) Cult or Cure?

Alcoholics Anonymous: Cult or Cure?

という本があるのですが、書評を読む限りとても楽しそうな本だったので、買おうと思ったらamazonでは品切れでした。古書を探したら一万四千円もしました(ペーパーバックなのに!)。素直に諦めることにしました。

朝起きるのもつらい状態が続いていましたが、やっと金曜の週末にたどり着きました。第二週の週末はAAでつぶれ、その後の土曜は仕事で、日曜はAAで東京へ行っていましたから、休む暇がなかった一ヶ月でした。体も疲れましたし、頭も疲れましたし、心も疲れました。

何をやっても面白く感じられないのは、心が疲れているからでしょう。月の途中で心の栄養補給になる出来事もいくつかあったのですが、さすがに燃料計はゼロ付近にまで落ちてきてしまいました。自分とAAとの適切な距離を取り戻したいと思います。

AAメンバー4千人という数字があります。名簿がないAAですから、正確な数字を把握する手段はありません。一方でグループ数は417で、こちらは登録数だから正確な数です。一グループあたりメンバー10人は・・・いないでしょうね。仮にその400超のグループが実際に動いていたとしても、実働メンバー数は二千数百人ぐらいじゃないのかな。この推計に賛成してくれる人は多いと思いますよ。

来年は九州の集会にも、東京のラウンドアップにも多分行かないと思います。鬼が笑うか。


2004年02月26日(木) 予備校

委員会とは、「無駄なことをするために不適格者から選ばれたやる気のない人間の集まり」(リチャード・ハークネス)

もしくは、

委員会とは、「新しい考えをおびき寄せるが、やがてこれを静かに絞殺していく袋小路のようなもの」(バーネット・コックス)

だと こちら に書かれていました。ちなみに僕は、ハークネスもコックスもどんな人だか知りません。経済学者かな?

グループの代議員の役割を学ぶのに2年では足りない、という言葉があります。要するに代理(副題議員)として2年やった後に、正の代議員をしろという意味です。ちなみに、あるハンドブックによれば、代議員には少なくとも1年のソブラエティが望ましいとされています。1年飲まずに過ごして、2年代議員代理をやり、さらに2年の代議員活動をやりなさいということになります。
自ら望んで代議員になったのならともかく、「他にやる人がいないから」という理由でそんなことを強いられたら、任期が終わったとたんにお役御免とばかりにグループを去っていくんじゃないのかな。
「適任者がいなければ空席にする」というのは、WSM報告書にも何度か登場する提案です。無理して体裁を整えることはないよという提案は、人の回復にも当てはまるけど、AAのサービス活動にも当てはまると思います。

もっとも、最初は何をしていいのか分からなかった人が、しだいにその任務をこなせるようになっていくという姿も何度も目にしているので、あんまり空席主義に傾くのも考え物でしょうね。

○○の実行委員会なんてのは、期限もやることも決まっているんで、身も締まっているものが多いんだけど、常設の委員会の中には「何のために毎回集まっているのか」目的を見出しにくいのもありますね。集まることは委員会の手段であって、目的じゃないはず・・・なんだけど、まあ人間同士直接顔をあわせることが大切なのかもしれません。

もともとこの雑記のサブタイトルは、「〜のドライドランクな日常、もしくは自助グループへの諦念まじりのつぶやき」だったのですが、いつの間にか後半が取れてしまいました。でも、最近の雑記を読み返してみると、ぶつぶつ文句を言ってばかりだという気もします。


2004年02月25日(水) あいぶごってんたいあーど

夕方は西の空に月と金星がランデブーしてとてもきれいです。東の空に見えるのは、木星でしょうか。ちなみに、僕の住んでいるところでは、水星を見ることはできません(山があるからです)。

毎週末が何かの用事でつぶれているので、髪の毛を切りに行くヒマがないまま何週間も経ってしまいました。というわけで、会社帰りに990円の床屋で切ってもらいました。

帰宅したら眠くなったので、そのまま座布団の上で寝てしまいました。起こされたのが夜11時です。それから風呂に入り、出た後に食事をしようとしたら、すでに妻は寝ていました。自分で食事の用意をするのが面倒なくらいダルイ状態だったので、深夜の吉野家にでかけてしまいました。
豚キムチ丼450円は高いのか安いのか? 値段は昔の吉野家の値段に戻ったわけですし、味は美味しかったです。吉牛というのはひとつの文化を作り出しただけに、失われてしまうのはあまりに惜しいです。早く輸入再開できるといいね。

新潟へ出かけるためにJRの時刻表をあたっていたのですが、以前利用できた夜行の急行列車がなくなっていました。おかげで、普通列車で3時間半の行程になりました。しかも、遅刻だし。車で行こうかな。

ともかく今自分に必要なのは休養です。今度の土曜日は寝るぞー!


2004年02月24日(火) 師との対話(その一)

弟子「師よ、なぜ女は理性的でなく感情的なのでしょうか?」
師「うむ。確かに学者の一部などにはきわめて理性的な女性もおるが、ほとんどの女性は感情的じゃな」

弟子「やはり脳みその違いなのでしょうか」
師「男性脳・女性脳論じゃな。それもあるが、女が感情的なのは、男が原因なのじゃろう」

弟子「それはなぜでしょうか?」
師「男女共同参画社会とか言いながらじゃな、女のことを対等の人間として認めておる男がどれだけだろうかね?」

弟子「対等だとおもっておりますが・・・ぶつぶつ」
師「対等だと言っておきながら、女の発言を一人前の人間の発言として扱おうという社会にはなっておらんのじゃよ。まあ女の言うことだからと水に流してしまうことがいかに多いことか」

弟子「そう言われてみれば、そんな気もしますが」
師「言葉に責任を持ってもらうためには、感情ではなく理性でものを言ってもらわんと困るわけだよ。感情から出た言葉であっても、その言葉には責任があるわけだ。ところが、女の感情的な発言だからと許してしまうのはな、結局対等の人間として扱っておらん証拠じゃよ」

弟子「理屈で我慢するよりも、感情を言葉に出したほうがすっきりするのは、男でも女でも変わりませんからねぇ」
師「女も意識的にか無意識にか、そのことを分かっておって行動を決めておるのじゃ」

弟子「言葉に責任を問われる立場になれば、女性も理性的になるのでしょうか?」
師「さあな、鉄の女という首相もいた。日本の大臣でも、感情的なのは長続きしとらんだろう」
弟子「まあ、感情的な男もたくさんいますからねぇ」
師「そうだな。性差よりも個人差のほうが大きいかもしれんなぁ」


2004年02月23日(月) 私は間違っていた

確か「さるさる日記」に一年分のお金を支払ったのが昨年の2月です。結構高かったので、もう二度と支払うもんか、と思って「えんぴつ」に引っ越したのが昨年4月だったかな。年間千円以内なら納得できる範囲内だというわけです。

というわけで、一年経ったら「さるさる」での日記に広告の挿入が復活してしまうのでしょうが、そちらを読んでいる人は我慢してください。昨年秋ごろには、皆さんほとんどが「えんぴつ」のほうをご覧になるようになって、「さるさる」のカウントは一日2〜3ぐらいしか増えなくなりました。この2〜3のうち、1は自分が書き込みするために参照するもので、さらに1は会社でブラウザを起動したときに自動的に読み込まれるものです。なので、実質「さるさる」のカウントは0に等しい日々が続いていました。
なのに最近は6〜10ぐらいのカウントがあります。どうやら「さるさる」の中を移動しながら読んでいる人たちがいるようです。

夕方AAミーティング。テーマは「一体性」。春にやるオープンスピーカーズに備えて、ローカル新聞にレギュラー・ミーティングに取材に来てもらう了承をもらいました。相手のあることですから、どう展開するかわかりませんが・・・。ともかく電話をかけなくては。行動のない信仰は死んだ信仰だ。

相変わらず髪を切る機会がありません。もうそろそろナンバーズを買うのも飽きました(またロトは買っていますけど)。パソコンのDVD-Rドライブは、複製補償金が上乗せされていないので、パソコンを使ったDVDのコピーは合法とは言えないですね。だからこのまえ書いたDVD-Rの話は間違いだったというわけです。ごめんなさい忘れてください。お願い。


2004年02月22日(日) 愛に値札を

バスに乗って東京へ。日本海に低気圧が入ったのか、暖かい南風が吹いていました。

3週連続で、週末はAAの奉仕(サービス)活動で東京へ。まさに「とち狂っている」状態であります。好きでやっているわけではないし、誰かがやらなくてはならないからやっているだけ・・・だったはずなのに、評議員などという肩書きを背負って2年目ともなると、なんとなく親分風を吹かせてしまったりする自分が情けない。謙虚でありたいと願います。
自分のことだけやっているときには、自分のことしか見えなくて当たり前です。グループのことをやっているときにはグループのこと、地区なら地区のこと、地域なら地域、そして全国へと。領域が広がれば、視野は当然のように広がっていきます。視野は広いに越したことはないけれど、しょせん人間のやることなどフラクタル図形のようなもので、ミクロ的視野でもマクロ的視野でも、さして見栄えに変わりはありません。

財務の委員などやっていてつくづく思うことは、やっぱり世の中はお金が無いと動いていけないのではあるのですが、それでも「お金よりも大切なものもある」ということでしょうか。AAの中には金銭でもって購えないものがたくさんあります。メンバーが出してくれた貴重な献金ですから、無駄遣いに厳しい目を配らなくてはなりません。でも、何が無駄遣いで、何が有益な使途なのか、それは簡単には判断ができません。
単純に、黒字だから良くて、赤字は悪いと決め付けてしまえれば楽な話です。だが、真実は数字の赤・黒には宿りはしません。なぜならAAは営利団体ではないからです。

そうは言っても赤字だと困っちゃうわけですよね。例えばグループが赤字ならミーティング会場が借りられないわけですから。どこに良心の礎を置くかが難しい。

常任理事になりたい人たちは、その意思が明確なようであります。幸いなことに、僕にその役をやれという人はいません。ともかく今月は疲れました。立候補だ、選挙だ、投票だなんて手続きで選出しても、結局誰が貧乏くじを引くのか決めているだけという気がしなくもありません。

帰りのバスを降りたら、やはり雨になっていました。駅前のピ○○ロが8千円から9千円に値上げになっていました。どうして値上げするのか経営者に聞いてみたい気分になりましたが、別に店に入りはしませんでしたよ。


2004年02月21日(土) DVDコピー

出張から戻ってきて、車のエンジンをかけ、社外気温計を見ると18度を表示していました。長い間洗車をしていなかったのは、気温が低かったからです。零度以下だとボディについた水が凍ってしまいますし、4度以下だと水は蒸発しません。
いつもの洗車場に車を乗り入れ、洗車機に千円札を突っ込もうとしたら、五千円札しか持っていませんでした。両替に出かけて戻ってくるのも面倒なので、そのままガソリンスタンドに行って、給油と洗車を頼んでしまいました。
いままで汚れきった車に乗っていた人たちも、車を洗ったのでしょう。街にはきれいな車が多かったようです。春の近さを感じます。

レンタルでDVDを借りてきて、DVD-Rにコピーしています。念のため述べておきますと「合法行為」です。DVDはレンタルされるごとに著作権者に利用料が入ります。DVD-R for Videoには複製補償金が上乗せされており、この補償金も著作権者に分配されることになっています。著作権法で認められた私的複製です。

でも、コピーしたのも見ている暇がないんだよね。


2004年02月20日(金) 頭脳ではなく、体の頑丈さ

ビジネスホテルの隣の部屋の前に、焼酎のビンが出されていました。その隣にはワンカップや缶チューハイの空き缶の入ったコンビニ袋。焼酎を割るために使われたのか、烏龍茶のPETボトルがなんだか悲しげであります。
夜遅くまで働いてホテルに帰ってきても、工場の町には夜遊ぶところなどありません。しかも翌朝は早いわけですから、手っ取り早いストレスの発散方法として、ホテルの部屋で酒を呷るという手段を選択するのも理解できなくはありません。
その道を歩んでいると必ずアル中になるというわけじゃありませんが、多くのアル中がその道を歩んだことも確かです。

今回の景気の回復は本物なのか? という話題でもしようかとおもったら、複数の新聞で一面記事になっております。企業はリストラクチャリングが一通り終わって、成長が望めない局面でも利益が出せるようになってきています。僕の会社の顧客は製造業の会社なのですが、いままで間接部門にいた人たちが、部門縮小にあい、製造部門に移って働いている話はよく聞きます。辞めさせられた人々も苦しいのでしょうが、残った人々も労働強化で厳しそうです。
みなが厳しい局面に立たされながらも景気は回復していき、しかもデフレ局面での景気回復は人々に豊かさを感じさせないという、素人には不思議な話であります。

同僚二人は、今回の出張とは別件の仕事を、ホテルの一室でまだ続けています。もうすぐ3時だというのに・・・締め切りは朝8時のようであります。ITエンジニアに求められるのは、頭脳ではなく、体の頑丈さであります。



2004年02月19日(木) 「善良なる管理者の注意義務」

本当は一泊二日で出張に行っているはずなのですが、こうして自宅にいます。
単純に相手の会社の段取りが悪くて、行っても作業にならないので、出かけずにいたのです。仕事の予定がない一日になってしまいました。仕事は作ればあるのですが、作ってほど仕事するほどワーカホリックでもありません。
明日から一泊二日で出かけると、土曜日はつぶれてしまうわけです。日曜日はAAの委員会です。そろそろ髪が伸びてきたので、切りたいのですが、いったいいつ切ったらいいのでしょうか。

出張で行けなかった(はず)なので、仲間に頼んでおいた病院メッセージに、急遽自分で行くことにしました。この病院にAAメッセージに通いだして、もうすぐ7年になります。最近では2回目・3回目の入院という人と出会う機会が増えてきました。1回目の入院の時に「自力で酒を止めるのは難しい」という考えに納得できる人はとても少ないです。多くの人の場合、退院後飲まない期間があり、飲み始めたもののそれなりにコントロールを保っている期間があり、そしてコントロール喪失の期間を経て、病院に戻ってきます。そのスパンは2〜3年という人が多いように感じられます。アルコール依存症の進行はゆっくりの場合が多いようです。

ところで昨日書いた「自由にリンクする権利」には責任も伴うわけです。リンク集に収録するということは紹介を意味するのですから、暗黙の保証が含まれているのです。リンク先のサイトの内容を(ある程度は)推薦しているとも解釈されます。
だから、リンク先が突如変貌して違法なマルチレベル商法のサイトになってしまい、リンクを手繰っていった人が、だまされて数十万円の被害にあってしまったとしたら、そのサイトをリンクという形式で紹介した僕にも、責任の一端があるということになります。法的に賠償の責任が発生するかはともかく、社会的に責められることは避けられません。
だから、僕は「善良なる管理者の注意義務」でもって、リンク先のサイトを定期的に巡回するはめになっているわけです。


2004年02月18日(水) アドワーズは宣伝か?

AAのJSOのサイトを アドワーズ に載せようという計画があります。これは伝統11(AAの広報活動は、プロモーション宣伝よりも、アトラクションひきつける魅力に基づく)に反しないのでしょうか?

インターネット業界での分類としては、アドワーズは「広告」であることは間違いがありません。Google社の最大の収入源は、Googleの検索機能をインターネット接続プロバイダーに提供することで得られているそうです。アドワーズはGoogleの新しい収入源として、大いに期待できるだろうというのがアナリストの見解でもあります。

そもそもAAが広告を出すこと自体は悪いことではないでしょう。例えば僕の地元の新聞に、個人やグループが3行まで無料で載せられる掲示板コーナーがあります。何万部と出ているこのローカル紙に「飲酒のトラブル抱えていませんか? 一緒に解決しましょう。毎週○曜日○時から○○でミーティングをしています。AA○○グループ」という文字を載せることは、悪いことではないはずです。プロモーションとは違いますから。

Googleで「アルコール依存症」と検索すると、AA JSOのサイトが紹介される・・・微妙なところだがセーフであるというのが、僕の感想です。

しかし、JSOのサイトが「ひきつける魅力」にあふれているかというと、少し疑問が残るのも事実です。AAが何を目的とした集まりなのか、メンバーになったら具体的に何をするのか、どれぐらいの実績があるのか、そして実際にAAで回復した人の物語は? 多くを語るサイトでないのは事実です。せっかく1クリック何円かで招き入れた人たちも、ブラウザの「戻る」ボタンを押して帰っていってしまうのでは意味がありません。
ホームページのカウンターばっかり増えても、その次のページまで読んでもらっているかは解析してみなければわからないのです。

そういえば、関東甲信越セントラルオフィスのサイトは、原則リンク禁止なのだとか。理由を聞いてみたら、個人のサイトから勝手に「リンクされる」ことによって、あたかもオフィスがその個人を支持しているように解釈されると困るから、だそうです。
僕ですか? 許可はもらってませんよ。「自由にリンクする権利」を行使しているだけです。ただ、リンクするということは、「相手のサイトを支持している」ことを暗に意味しているわけですが・・・


2004年02月16日(月) 気取ることは良くないことなのだ

何もかも嫌になってしまって、自分が何を目指しているのかも判らない。心が疲れてしまっていて、理想が素晴らしくも思えなくなり、努力にはうんざりし、良い言葉を聞いても空々しく響くだけ。そんな気分になることが、ときどきあります。

そういう時は実は、心が着飾っているのだそうです。ドンキ・ホーテの言葉の「率直に行こう、率直に。気取ることは良くないことなのだ」に従ったほうがいいのでしょう。僕は自分が人格的にも大したことは無いし、霊的成長という点でもろくなもんじゃないということは、よーくわかっているわけです。であるのに、分不相応な自己犠牲を自分に課したりするものだから、歩いていくべき方向すら見失ってしまうことがあるのです。

正当化なんて必要なくて、ミもフタもない自分の心の情動をそのまま受け入れることが必要なんだと思います。少なくともそういう時期が人には必要なときがあるんだと。そうすれば、山の頂きの雪が、まぶしく美しく見える日もまたふたたびやってくるだろうと。

「率直に行こう、率直に。気取ることは良くないことなのだ」


2004年02月15日(日) 「事実上の満場一致」

私たちの集まり(AA)は、「事実上の満場一致」ということをとても大切にしています。でもそれは、例えば100人のうち九十何人が賛成できるような案が出るまで、議論に議論を重ね、問題を先延ばしにしてでも、説得工作を行うことを意味しているわけではありません。

結局のところ、私たちも「賛成・反対」のいずれか(もしくは保留か棄権)を選ぶ投票行動をすることになります。AAでは、拘束力を持った決定をするには、過半数では十分でないと考えられていて、3分の2が必要とされています。そして賛成・反対のどちらかが3分の2に達した段階で物事が決まります。そう、文字通り決まってしまうのです。
敗れた少数派には「アピール」のチャンスが与えられます。もし望むなら、自らの意見をもう一度皆に訴えることができます。それは文字通り最後のチャンスなのです。そして、それに耳を傾けた多数派が「もう一度投票をやり直そう」と言ってくれないならば、それ以上時間が無駄にされることはないはずです。
少数派は、多数派を「説得しよう」とする努力を止め、自らの意見は胸にしまいこみ、下された決定が実行に移されるよう、快く協力するのです。

このように少数派が自ら存在をやめることによって「事実上の満場一致」が実現されるのです。そうでなければ、私たちはばらばらになって酒の海に放り出されるだけなのですから。

僕のような「自分の意見が正しい」と思い込みがちな人間にとって、少数派でありがちであるという事実は恩恵そのものです。少数派であることは、恥辱に満ちた敗北を意味するのではなく、思い上がりを捨て、他者との協力関係を築く練習の機会を与えられることを意味するからです。そして少々の謙虚さを身に着けることも。

今では僕はだらだらと討論することを好みません。投票という民主的な手段を好みます。私たちは誰も裁かないし、誰も罰しない。政府の役割はしない。だからこそ敗北がすがすがしくあるのですから。ステップ9のamendsは埋め合わせと訳されているけれど、それは謝罪でもあり賠償でもあります。私たちは誰に対しても、ステップ9の具体的なやり方を強要したりはできません。

「納得できない」という感情の棍棒を振り回すとき、私たちは常に神から遠ざかる。


2004年02月14日(土) たったひとつの冴えたやりかた

なぜ、ここのタイトルが「たったひとつの冴えないやり方」なのか?

ホームページ・雑記(日記)・掲示板のうち、最も最初に立ち上げたのがこの雑記です。そのタイトルを考えるときに、「心の家路」を名づけたときと同じように、何もアイデアを思いつかなくて本棚を眺めたわけです。目に留まったのが 『たったひとつの冴えたやりかた』 であったというわけです。

なにが「たったひとつ」で、何が「冴えて」いるのか説明すると、この短編のネタが全部ばれてしまうので、ここではその話の内容に触れることはできません。
僕の冴えない日常を切り売り(売ってはいないか)するのに、悪くないタイトルだと思って採用しました。あえて否定文にしたのは、飲まないアル中のドライドランクの日常にしては、これ以上クール(かっこよく)てホット(情熱的)なものもないだろうという反意もこもっていたりします(だから英語のタイトルはneatのままです)。

「やりかた」を「やり方」に間違えてしまっていることに気づいたのは最近のことです。おかげで、検索エンジンから「雪かきのやり方」だの、「確定申告のやり方」だのを検索して来られる方が後を絶ちません。そうした人たちにっては、まったく目的外の、意味不明な文章の羅列を提示してしまっているわけで、まことに申し訳ない気持ちで一杯です。
そして、ここに「雪かきのやり方」などという単語を書くと、なおさら「雪かきのやり方」を探してここに到達する人が増えるというわけです。

くれぐれも、雑記・日記の類に「女○高の更○室」などという単語を記述してはいけないということは、先行く仲間(いわゆる先輩だ)の貴重な経験によって示されているわけです。


2004年02月13日(金) face-to-faceであっても、modem-to-modemであっても

今週はAAミーティング3回出席でありました。最近の僕としては多いほうです。
単純にたくさん出れば、自分がそれだけ助かるというものでないのも事実です。ミーティングで何がもらえるのか、自分にとってどんなプラスがあるのか、損か得かという勘定をすると、どうしたって得るものは少なく、失うものが多いような気がしてしまうのが人間ではないでしょうか?
その点、今月号のBOX-916の記事は明確でした。「私たちが出席することで、仲間たちに安心感を与え、支えになるためでもある」。人間関係というのは原則「ギブ・アンド・テイク」です。つまり与えたものと与えられたものがバランスするはずのものなのです。一方的に与える・与えられるという、「お母さん」と子供のような関係を期待するというのは、大人のとるべき態度じゃないでしょう。
ミーティング出席に損得勘定を持ち込むこと自体、すでにスピリチュアルな生き方から一歩外れているのでしょう。与えるからこそ、与えられるのですから。
と、偉そうなことを言っていますが、単純に苦しいときにはミーティングという原則に従った結果、通常より今週は少しだけ多かったというだけなんです。

そういえば、AAパソコン通信グループの解散のお知らせも載っていました。これはNIFTY-Serveのものかな。時代の変化を受けてのことでしょうか。僕もNifty-Serveの会員でしたが、このパティオには参加しませんでした(覗き込みはしたけど、文字が多くてついていけませんでした)。インターネットの時代になっても、文字中心のコミュニケーションであることには変わりません(オンラインチャットにしてもメッセンジャーにしても)。
でも、Windows XPのユーザーは増えているし、UPnPの機器も増えつつあります。そう遠くない将来にボイス・ミーティング(ネット会議)でのAAミーティングが始まっても不思議じゃないでしょう。早朝には早起き組が、日中には主婦の人たちが、夜更けには深夜族が、それぞれモデム経由で「心の言葉」を分かち合う日々が来るでしょう。


2004年02月12日(木) I hate Valentine Day

脱臼をはめただけなのに、手術料数千円というのは高いのか安いのか?
僕の子供のころは、年配の小学生の先生がはめてくれたりしたものだが・・・やっぱり自家治療でもよかったかもしれない。

急な仕事が入って、土曜日も出勤になってしまいました。
地域集会用にできれば予算書の簡略版を土曜日に作っておいて、日曜日に配ろうと思っていたのですが、やっている暇がなくなってしまいました。僕にとってAAは「副業」であり(むろん報酬は飲まない人生だけだけど)、そしてサービス活動は僕のAA活動の一部分にしか過ぎないわけです。仕事のしわ寄せを受けやすいセクターであるのもやむ得ないのかもしれません。

休日出勤をすると、代休というのが取れるわけですが、基本的にその給与計算月の中で代休を消化しなければならないという会社の決まりがあります。毎月20日締めなので、今度の土曜日の代休は、来週中に消化しないと権利が消失するという、なかなかに理不尽な仕組みになっております。
来週の予定を立てるために顧客に電話したら、担当者は今週一杯休暇を取っているので連絡が取れないという話でした。どうりでメールの返事がかえってこないわけです。

明日中に自動車保険の更新をしないと任意保険が切れてしまいます。以前試算したら、普通自動車の取得と維持にかかる費用は、ざっと年間100万円ぐらい。年収からこの額を引いたのが、実体としての収入であるのかもしれません。車のカーゴルームにはAAミーティング場用のコーヒーの入ったバスケットが常駐しています。

少し現実逃避して、どこかへ行ってしまいたい気分であります。


2004年02月11日(水) さらりまんの安楽

子供が部屋の中で転んで、左腕のひじ関節が痛いと泣きました。骨折というわけではなさそうですが、腕を動かそうとすると痛がります。
調べてみると、隣町の病院が整形外科の休日緊急医になっていたので、早速電話してみました。最初の答えが、「ウチは今日は緊急医じゃないですよ」でありました。驚いてはいけません、よくある話なのです。直に訪ねて門前払いを食らいたくなければ、最初に電話しなければならないことを学びました。それでも当直の医師がいて、レントゲン撮影とかはできないけれど、脱臼くらいだったら治せるよ、というお話でした。
そうか、脱臼くらいだったら僕が押し込んでみようかな・・・と思ったのですが、思いとどまりまして素直に医者に行きました。案の定、脱臼であり、はめなおしてもらったあとは、シップもなく痛みも取れた様子です。それでも、今夜は炎症防止のために入浴はダメと言われました。

今日はどこにもお出かけしない代わりに、外風呂に行く予定で、子供も楽しみしていたのに中止であります。このまま不満をためられても困るので、そのまま田園の真ん中にあるデパートに寄ってまいりました。医者へ行くために、とるものもとりあえず出てきたので、デパートによるにはあまりふさわしい格好ではなくて、ちょっと恥ずかしかったです。

今年は医療費の領収書を全部取っておいて、確定申告に使う予定です(つまり来年の申告)。「確定申告は自分で書いてお早めに」とどこの税務署にものぼりが立っております。早めに持っていけば、税務署員も余裕があるので、間違っていても丁寧に教えてくれます。期限が迫ると殺伐としてくるのは人間だからしかたないのでしょう。
もっとも僕はさらりまんなので基本的に確定申告は不要です。あー楽。


2004年02月10日(火) キリンを燃やし続けろ

バーンナウト(燃え尽き)と「うつ」はどう違うのか?
もともと疑問には思っていたのですが、たまちゃんのサイトで言葉を見かけて疑問が再燃しました。今日は診察を受ける日だったので、主治医に聞いてみることにしました。

うつはきちんとした医学用語であり、バーンナウトはいわゆる俗語であるという話。バーンナウトは(主治医の話では)、もともと看護婦が仕事に熱心に取り組みすぎてしまって、「私これ以上もうできません」と言う状態を示すための、医者の間の隠語であったとか。
「これ以上できません」と言えるのはまだマシで、そんな状態でもまだ頑張ってしまうほうがもっと問題なのだという話でありました。
状態が比較的安定しているうつ病者の場合、診察はそんな話をしていても3分で終わってしまいます。
burn oneself out / burn out onself で「精力を使い果たす」という意味があります。
水澤さんの話をぜひ聞いてみたいけれど、僕はどうせ忙しいか、休養が必要であるかのどちらかでしょう。

頑張りすぎちゃったという点では、今の僕は burn out 状態なのかな。昨日に続いて今日もAAミーティングに出てしまいました。「ひいらぎが二日続けてミーティングに出るんだから、よほどのこと」と言われましたが、そのとおりです。ミーティングで霊的なものを少し取り戻さないといけません。

帰り道に吉野家があったので、最後の牛丼を食べようと入ったのですが、もう売り切れでした。アメリカははやく全頭検査をして安心な牛肉を輸出して欲しいものであります(政治的発言)。

このまま順調に行けば、5月に8年のバースディを迎えることになります。それを機に、ニックネームを「ひいらぎ」から本名(苗字ではなく名前のほう)に変えることにします。僕はAAにやってくる前から「ひいらぎ」というニックネームを使っていたので、将来的にもずっと「ひいらぎ」であり続けるでしょうが、このサイト内での名前も同時に変更するでしょう。
みんな慣れるまで少し時間がかかるかもしれませんが・・・。


2004年02月09日(月) エヴァとお酒と中耳炎

AAミーティングの後、CCCという会社の営業するCDレンタルショップに寄りました。
アニメのDVD5枚レンタルで千円という企画をやっていたので、「新世紀エヴァンゲリオン」の1〜5を借りました。会計を済ませるとレジのおねえさんが、「これはいかがですか」という袋を差し出しました。どうもそれはお酒のように見えましたし、「これはお酒です」とボトルに書いてあったので丁重にお断りしました。
そんなに酒が飲みたそうな顔に見えたのでしょうか?

まあともかく、販売促進用とは言え、未成年の多く集まるレンタルショップで酒を配るのはあまり感心しません。

上の娘が風邪を引いて、先週は一日しか学校に行っていないのですが、今日もお休みしました。片方の耳が中耳炎を繰り返し起こしているので難聴気味になってしまい、耳鼻科で定期的に診察を受けています。今日がその診察の日でして、学校は休んでも医者には行ったわけですが。(風邪のせいか)反対側の耳が中耳炎になっていることが偶然発見されました。
夕方から痛みが出始めたようで、布団のなかで「痛い痛い」と言って暴れております。
耳に指を突っ込んであげると、痛みが和らぐらしく、ずっと指を突っ込んでおります。僕の指には特殊なヒーリング効果がある・・・わけじゃなくて、鼓膜の内側の炎症から出た膿が鼓膜を圧迫して痛いのを、反対側(外側)から圧力をかけてあげると圧が拮抗して和らぐのでしょう(多分)。

静かになったから、もう寝たかなーっと思って、そうっと離れると「痛い痛い」と呼び戻されます。そんなことを繰り返すこと十数回。眠気が勝ったようです。
明日の朝までには、鼓膜の隅っこが破れて膿が外に流れ出し、痛みも取れ、炎症が治るうちに、鼓膜も元に戻るといのが毎度のパターンです。やれやれ。


2004年02月08日(日) GSC三日目

朝6時40分起床。7時から朝食。9時から全体会議。
昼食40分をはさんで、午後3時に全日程終了。

日本には417のAAグループがあるのだそうです。今回集まったうちの20人はその417のグループの「良心」を代表していることになっています。しかし現実にはそれは「その20人の良心」でしかないことが浮き彫りとなった3日間でもあった気がします。僕も結局は僕とごく一部のメンバーの良心しか携えていけませんでした。それでもそれが、現在の日本のAAの民主主義の「精一杯」なのだろうと思います。

会場にあったのは「熱気」でした。その熱には人をひきつける魅力(魔力?)があるようです。しかし僕はもう結構です。未来のことは確かに判らないのですが、おそらくまず間違いなく、僕は二度と訪れることはないでしょう。オブザーバーとしても、お手伝いとしても、その他の立場としても。

3時45分会場発。会場から駅までタクシーで、川崎から東京駅まで東海道線、新宿まで中央快速。僕の身体の移動速度が速すぎたのか、心がついてこれないようでした。からっぽでした。特急あずさの中でうとうとと何も考えずに眠って起きたら、心も追いついてきたようで、日常の中に戻ってきました。

疲れました。確かに疲れましたが、仕事での出張にくらべれば楽でありました。今度の日曜も、その次の日曜もAAで東京です。ちょっとうんざりしていますが、まあともかく、ひとりのAAメンバーに戻れるまでの道のりは、もはやそう遠くは感じられません。


2004年02月07日(土) GSC二日目

朝6時40分起床。7時から朝食。9時から分科会審議。
昼食をはさんで3時に分科会終了。その後、財務だけで予算書の修正。
夕方まで、各地方のカントリーレポート。
19時夕食。20時全体会議開始。23時二日目の審議終了。

みんな精一杯やっていると思います。
今の日本のAAの民主主義はこれが精一杯なのか、まだまだ手ぬるいのか。
この正当なプロセスを経たのであれば、あとは常任理事たちを信頼するしかないのでしょう。


2004年02月06日(金) GSC一日目

朝5時起床。6時より移動。10時半到着。
午前中オリエンテーション。午後より審議。
23時15分一日目の議事終了。

思ったより疲れている自分に驚いています。

BOX-916誌の委員長に初めてお目にかかりました。
彼女の徹夜の努力によって、「活字によるミーティング」Meeting in Printが維持されてきました。その役目も今月発売の号を持って終了し、輪番制によって新しい委員会に移されるそうです。彼女をはじめとした各委員・ボランティアは、その成果に顕彰を受けるでもなく、名もなく忘れられていきます。それでいいのかどうか、僕にはわかりません。
僕は、「グループを代表して、お礼を申し上げます」とだけ伝えました。

僕の顔に笑顔がなかったとしたら、それは疲労のせいです。
おやすみなさい、6時間は眠りたいです。


2004年02月05日(木) 眠い

明日金曜日から2泊3日で川崎に行ってきます。
予約した特急電車の切符が見つからなくて、慌ててしまいました。
もっと早く寝たかったのに・・・。
ホテルはインターネット接続完備だそうですので、雑記を更新するかもしれません。

それでは、行ってきます(のまえに、おやすみなさい)。


2004年02月03日(火) It's not that matters

僕が目覚まし時計代わりに使っているものがふたつあります。
ひとつは携帯電話です。しかし、これはそう頻繁には使っていません。出張先とかで間違いなくこいつで起きるためには、普段からこの音に慣れてしまってはまずいからです。聞き慣れない音が鳴ってびっくりするから、寝起きの悪い僕でさえ起きられるわけですから。
なので、普段使っているのがコードレス電話の子機です。

昨夜はコードレス電話にアラームタイマーをセットして寝ました。ただ、寝る前に、その日の朝のことを思い出しました。子機の内蔵時計がだいぶ遅れていたせいで、朝があわただしくなってしまったのです。そこで布団の中で、子機の時計あわせをしました。
時計あわせをすると、アラームタイマーが自動的に解除されるとは知りませんでした。
そんなわけで、今朝自然に覚めると10時を過ぎていたわけです。
起こったことは理屈としてはわかるんだけれど、釈然としません。設計者出てこい!

開き直って薬局とチャンスセンター(宝くじ売り場のことだ)に寄ってから出社しました。風邪をうつされたのか、昨日から体調がよろしくありません。そこで薬局で体温計を買って計ってみたのですが、35.8度でした。

週末に2泊3日の会議が待っているかと思うとうんざりしなくもないのですが、信州の田舎に住んでいる身としては、数十人のAAメンバーと共に過ごす2泊3日はきっと晴れやかに素晴らしいものに違いありません。議題にトラブルがあったとしても、仕事のトラブルに比べれば It's not that matters (たいした問題じゃない)。

体調にだけは気をつけようと思っていたのですが、すこし雲行きが怪しいようです。



2004年02月02日(月) メンバー数が増えれば、集まるお金だって自然に増える

収入が増えないのに、支出を増やそうとするのは、正気の人間のやることとは思えないのですが、僕の手元に届いたのは昨年より370万円支出増の予算書でした。腹立たしさを通り越して呆れてしまうほどですが、どちらかというと人間不信になりそうです。
まあ、幸いなことにAAというのは輪番制の原則というものがあります。どんな役割についている人間でも、いつかはトコロテン式にそこから追い出される日が来るものです。僕もその例外ではありません。
これ以上メンバー一人一人のふところを痛めるに値するほど価値のあることをやっているとは思えません。自分が納得できない以上、他のメンバーに献金の増額をお願いするということは、僕にはできません。
私たちは集団としても成長の過程にありますし、常にそうあらねばなりません。その青春期にはマスターベーションにふけることがあってもいいのかもしれません。でもその傾向が全体に広まるのも好ましくないように思うのです。(などと書いているとお叱りを受けるかな)。

迷ったのですが、会場にはノートPCを持っていくことにしました。ウィルス駆除ソフトの契約更新をしたので、それをノートPCに入れました。仕事のために買ったとはいえ、仕事にしか使わないのではパソコンがかわいそうです。

メンバー数が増えれば、集まるお金だって自然に増えるでしょう。いまでも多くの人がAAのドアを開けてやってきます。でも残るのは一部の人だけです。「去るのはその人の問題である」というのが今までの日本のAAの考え方でした。僕は、そうではないのじゃないかと思うのですが、とりあえずは当面の問題に集中することにしましょう。


2004年02月01日(日) ワインのように

早いもので、「心の家路」も開設以来2年が経ちました。1年目のときと同じように、なんとなく過ぎてしまっているところが僕らしい間抜けさであります。

ホームページに設置してあるカウンターですが、お正月にサーバーの異常で数字が8千ぐらい戻ってしまいました。絶対数は気にしていないので、そのままにしてあります。僕が気にしているのは、一日に何人の人が訪れてくれているのかという点です。ここのところ毎日40〜70人ぐらいの人が、雑記ぐらいしか更新のないこのサイトを訪れてきてくれています。
やっぱりみんな雑記と掲示板を見ていくのでしょうか?

カウンターにはしごく簡単なアクセス解析ができるようになっていて、どこのリンク元から飛んできたかが判るようになっています。ブラウザーによっては、ブックマーク(お気に入り)でジャンプしてきても、それまで見ていたページがRefererとして表示されるものがあります。

なんでこんなところから「心の家路」へ? と疑問に思うようなページもあります。最近で面白かったのは、恋愛成績表でしょうか(音が鳴るページなので就業中の人はスピーカーを切ってGo!)。

なるべく正直になって答えてみました。結果は以下のようです。

全体として残念な成績でした。赤点はすぐそこです。ひいらぎさんは、女性のことをあまり考えたことがないのではないでしょうか。経験も積み重なっていてもいい年齢ですので、なお残念です。 また、「恋愛プロセス」が最高値を示したものの、それもごく並かそれ以下の成績であり、まだまだ磨く余地があります。向上心すらもあまりないように見受けられ、未来にも暗いものが感じられます。まずは意識改革が必要でしょう。


おう、なんという言われようだ! まあ確かに、女性にモテるために何か特別な努力をするタイプじゃないですからね、僕は。デートのときも見栄を張ってたくさんのお金を使おうともしないし。
もっとも、簡単に過大評価されるよりは、ワインのように熟成に時間のかかる人間関係のほうが僕には似合っているのだと思うのだけれどね。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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