心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年01月31日(土) 一月雑感

一日一日、確実に陽は長くなっているのでしょうが、冬の太陽は油断するとあっという間に西に傾いてしまいます。JRの駅に予約した切符を受け取りに行きました。
昨年まで評議会は都内のホテルで開かれていたのですが、今年は川崎に移動しました。川崎というのは長野から行くにはちょっと不便なところです。昨年は高速バス+地下鉄で行ったのですが、今年はそれでは間に合わないので特急電車を利用することになります。まあ、バスより電車のほうが疲れなくてありがたいです。

ソブラエティ十何年という仲間のスリップの話を聞くと、残念な気持ちになります。もったいないとしか思えません。病院メッセージには行っていたけど、普段のミーティングからは遠ざかってしまっていたという偏りが、本人には危険信号として感じられなくなっていたのでしょうか。そういえば、僕のスポンサーも・・・。

アル中はオール・オア・ナシングで中庸というものが苦手なように思います。AAにやってきてまで、まだ成功と名声を求めている人もいれば、無名という殻に閉じこもっている人もいます。でも、ミーティングを続けていればたいていは、中間へと落ち着いていくようです。
狂ったようにミーティングに出続けているかと思えば、いつしかまったく出なくなってしまう。週に一回とか、月に2回とか、そんなペースで落ち着いて続けることは、なかなかに難しいことのようです。

いろんなことがあった一月でした。
AA人という言葉があります。以前は「そんなのになるのは何か嫌だな」と思っていたのですが、いつの間にか僕も変えられてしまっていたのでしょうか、「AA人らしくありたい」と思っている自分を発見して驚きます。人間は変わる。どんな風に変わるかは自分で選ぶことができる。よい方向へか悪い方向へかは、後になってみないと本当のところは分からないのでしょう。そんなことを考える時間も与えられました。
二月には何が待っているのでしょうか。


2004年01月30日(金) 仕事

いつから日本語の「仕事」が、金銭を得るための作業を意味するようになってしまったのでしょう。それは単に「やること・やるべきこと」という意味が第一に来るもののはずで、それによって収入を得るかどうかは二の次のはずです。
AAメンバーにとってAAは「副業」です。AA専業になったからといって効率が上がるというものでもありません。でも副業とは言え「仕事」には変わりありません。

僕は2年間の任期の仕事をおおせつかりました。今年はその二年目です。英語のworkを仕事と訳すのがよろしくないなら、任務という言葉を使いましょうか。一年目は熱意に燃えていた時期もありましたが、今年は少し燃え尽き気味であります。結局それは「正しいことが行われていない」と感じ続けたせいなのです。ただ、(僕にとっての)正しいことが行われることが大切なのかどうかということを、あまり深く考えてこなかったのも事実です。

事務的な文章を訳していて、こんな言葉に出会いました。


私たちは知恵を携えるのではなく、良心を手にしていくよう求められる。私たちの責任は分かち合うべき内容を伝えることであって、説得することではない。私たちは、何もかもを「賛成が何票と反対が何票」に煎じ詰めようとする誘惑に屈してはならない。勝つか負けるかはグループの良心の言葉ではない。


僕は僕なりに人々と出会って形成した良心を携えて行くでしょう。勝つか負けるかは良心の言葉ではないというのですから、大切なのは僕の知恵ではなく、僕が人々の道具として奉仕できるかどうかということが大切なのです。

もう一度「やる気」を自分の心の奥から取り出して、与えられた仕事を全うするよう努力してみることにしましょう。


2004年01月29日(木) a long shot

アルコールとは縁が遠くなったものの、相変わらず「酔い」を求めている自分がいます。
すべてにおいて「しらふ」で生きていければ、それにこしたことはありません。だが、「生きづらさ」というのは、そう簡単には無くなっても、遠ざかってもくれないものです。
痛みを消すためにアルコールを使うことはなくなりました。ちょっとやそっとのことで、心が悲鳴をあげることもなくなりました。でもそれは、心に胼胝(タコ)ができてしまっただけなのかもしれません。それでも、ジクジクと心が痛むときには、なんらかの鎮痛剤を求めてしまう習性は消えません。
やめたタバコをもう一度吸ってみようかという気になったりします。宝くじを買うのもたぶんそうです。ほかにもいろいろ。砂を噛むようなつまらない繰り返しの中に、潤いを求めて・・・なんて言葉を使ってしまう自分が、とても情けないです。

すべての苦しみから解放されることを願うのは傲慢な態度だと言われます。完全主義者とは、完全であるとうぬぼれているか、完全でなかった後悔に苛まれているかのどちらかだと言います。「酔い」を求めないという理想を高く掲げつつも、現実には酒に酔いを求めなかったという程度の自分に、まずまずの満足を求めなければいけないのかもしれない。

行きは西の空に金星を見ながら100Km。帰りは東の空に何かの惑星を見ながら100Km。
事故渋滞だというので、隣のインターまで移動し、さらにそこでラーメンを食べました。一番安いしょうゆラーメンを頼んだのに、出てきたのは味噌ラーメンでありました。餃子は「自分で焼いたほうが美味しく焼ける」と確信できる出来でした。

人は料理人には文句を言わない。ただ黙って去り、二度と訪れないだけ。

こちらに加筆を加えました。


2004年01月28日(水) 支配者をいだいて

すっかりブロードバンドに慣れていると、ページの重さに気がつかないものです。
先日、PHSダイヤルアップ経由で「心の家路」を見てみたのですが、ホームページの画像を全部表示し終わるまで、数秒時間がかかりました。それぞれの見出しに画像を使っているのがいけないのでしょう。GIF画像にするなどして、極力データ量を削減し「軽く」しておいたつもりなのですが、実際自分で見てみると重いです。
ふだん、出張先から見るときなどは、ノートパソコンのブラウザは画像を表示しない設定になっているせいで、その重さに気がつかなかったわけです。

ほかのページはほとんど、葉っぱ以外の画像は置いてないので、ホームページが一番重いという非常によろしくないデザインになってしまっています。
ただ、デザイン面での妥協はあんまりしたくないのも本音です。企業のページなんかはとても重い(データ量が多い)のが多いし、それにくらべれば「心の家路」のホームページなんて軽いものではないでしょうか・・・。単にデザインのやり直しが面倒な言い訳を言ってるだけですけどね。

話は変わって、ビル・Wの話の中に「アルコールが僕の支配者だった」という文があります。一方ステップは、偉大な力を自分のディレクターにすることを要求しています。結局のところAAのプログラムというのは、アルコールという暴君を支配者にいだくか、それとも偉大な力(神)をいだくか、二者択一を要求するということですね。自分を自分の支配者にするという手段は、最終的にはアルコールへの敗北によって、ふたたびこの選択に戻ってくるだけの、先延ばしの手段に過ぎません。
いずれにせよ、依存症者はなんらかの支配者をいだいて生きるしか術はないということかな。

今週は一回もミーティングに出ていません。明日は天気もよさそうだし、ちょっと遠出してみましょう。


2004年01月27日(火) 少しだけ金銭について

お年玉付き年賀はがきの抽選はもうずいぶん前に発表されています。
確かめてみたところ、全部外れていました。
切手シート一枚もあたらないという、見事な外しっぷりです。
厄年の幕開けににふさわしい、低調な立ち上がりです。

ナンバーズのほかに、ミニロトにもロト6にも手を出してみましたが、もうすでに飽き始めています。だって当たんないんだもん。毎週毎週、千円ずつ摩っていくのは実にむなしく感じます。これじゃあタバコを毎日1箱吸っているのと変わらないではないか・・・。
乱数相手に戦ってみたところで、勝つ要素はなさそうです。
やっぱり、結果に偏りがあるギャンブルのほうが面白いのかなぁ。

独身時代に作った農協の口座を、もう使わないだろうと、母親が解約してくれました。何の金だか知りませんが、2万ほど現金で受け取りました。こうしたお金が僕の「ないしょ資金」となって、東京に行ったりとかのAA活動を賄っていてくれるわけです。
「お前もいろいろとお金がいるだろうから」

母は、自分が解決できなかった息子の問題を、AAが解決したので、あまりAAのことを好ましく思っていないようです。だが、母にとって最悪なことは、僕がまた飲んでしまうことなのは確かで、「ゴルフやパチンコで金とヒマを費やす人に比べれば」と、僕がAAに時間を費やしすぎるのを許してくれています。
ああ母上、申し訳ありません。あなたから頂いたお金のうち、もう千円は公共工事の資金として消えてしまいました。ごめんなさい。


2004年01月26日(月) ぐっすり寝る

妻がうつで朝起きられないと言い出したのが、先々週の金曜日でした。
僕はいつも寝るのが遅く、起きるのも朝8時半ということも多いので、事態に気付いたときには、すでに遅いのでありました。長女は小学校に大遅刻、次女は保育園をお休みということになりました。
翌週(つまり先週)月曜日は義母が朝から来てくれたので良かったのですが、「両親とも布団で寝ていて、子供が起きるわけ無いじゃないか」というお叱りを喰らう羽目になってしまいました。それは正論だと納得したので、翌日から僕も朝7時には起きることにして、長女をたたき起こし、着替えをさせ、時間がくれば家からたたき出してあげるということを始めました(食事は変わらず義母が面倒見てくれてます)。そして次女も起こして着替えさせ、一緒に食事をした後に、保育園まで送って行く日課が始まったのです。

その分、夜は早く寝るよう心がけていたのですが、いかんせん睡眠時間は6時間前後をいったりきたりでした。普段の睡眠不足は週末の朝寝で取り戻すのですが、「パパお腹すいた」という言葉を無視して寝ていられるほど神経も太くないわけです。
日曜日は朝早くから出かけたから、よせばいいのに、オークションで買ったMDデッキの動作確認をして、また夜更かしをしてしまいました。それでも月曜の朝は、「パパが送っていってくれるんだったら保育園行く」と普段行きたがらない次女との約束を果たすために、いつもどおりに起きたわけです。

この一週間の行動の中のどこに狂気が潜んでいたのか僕にはしかとは分からないのですが、ともかく言えることは、月曜の夕方には僕は疲労がたまりきっていたという事実です。AAミーティングをお休みして家に直行し、そのまま布団にもぐりこんで寝てしまいました。深夜に一度起きて、風呂と食事をすませ、そのまままた寝ました。
翌朝も7時に起きてみたのですが、ひさしぶりに妻が起きていたので、二度寝させてもらうことにしました。

ひさしぶりに12時間以上寝たので、頭がすっきりしています。
まあ年を取れば若い頃のように無理は利かないということですね。それに、睡眠時間を確保するためには、なにかを犠牲にしないといけないということ。朝ご飯もそろって食べたほうがいいのでしょうね。
反省点の多いところであります。


2004年01月25日(日) 穴居人

人間が狩猟生活を送っていたころ、男たちは集団で狩をしに出かけた(んだろうと思われる)。女たちは子供たちと一緒に棲家で男たちが狩から帰るのを待っていた(んだろうと思われる)。
男たちは棲家から遠く離れても、また戻れるように地理的な能力を身に着けた。だから地図を把握する能力は、現代でも男のほうが優れいてると考えられている(それが真実かどうかは別として)。
女たちは男たちが獲物を持って帰ってくるまで生き延びられるよう、体に脂肪を蓄える能力を獲得した(んだろうと思われる)。

さて、男たちが持って帰った獲物を分配する範囲が「家族」(部族)であった(のではなかろうか)。

なんでそんなことを考えたのかというと、今日の昼食に「一緒にメシを食おう」と誘われたことが原因です。仲良くやっていくかどうかは別にして、私たちは親しくやっていかなければならないわけです。そうでなければ、帯びた任務をこなすことができないわけです。
「親しくなるには、まず一緒に食事をするのが一番だ」というわけで、あまり食べられない人も、沢山食べる人も一緒に食事をしました。

食事をしながら、一緒にメシを食う・一緒に風呂に入り・一緒に寝るというのが、人と人が親しくなるには効率がいいんじゃないかという話をしたのです。でもそれって、AAメンバーの間では「ラウンドアップ」と呼ばれている行事ではないかという意見も出ました。

なんで食事をすると親しくなり、また逆に親しい人と食事をしたいと考えるのか、そんな原因をつらつらと考えていたら、穴居人たちの生活様式が思い浮かんだという次第です。


2004年01月24日(土) 土曜日

駅前までバスの切符を買いに行きました。車で行くと駐車料金がもったいないので徒歩です。
家のすぐ近くにソフトハウスがあり、「もしここに雇われたら、家と(携帯電話じゃなくて)コードレスホンで話せるよね」なんて冗談を言っていたのですが、更地になって駐車場に変わっていました。以前は不夜城だったのに、消えてなくなるところに時代の変化を感じます。
もっとも、ソフト業は極端な労働集約型産業なので、立派な建物や設備なんてものは不要です。ソフト屋の大きな建物を見るたびに「虚栄」という言葉が心に浮かぶものです(笹塚のとかね)。

週末の駅前は、化粧も服も気合が入った人が多いです。腕を組んで歩く二人組みも目立ちます。空の北半分は真っ白に輝く雪雲に占められているほど寒いのに、ミニスカートをはいている女性たちがいるのが信じられません。ただ、冬にミニをはくような人は、総じて足が細い。見せびらかしのようにも感じるけれど、事実足は細いのだから、これは「虚栄」とはちょっと違うな、などと考えながら歩いていました。普段着のまま出てきてしまった僕は、自分がなんとなく場違いに感じてしまいます。

宝くじ売り場で、ナンバーズ来週ぶんとロト6を買いました。ロト6は間違えて2週間分買ってしまったので、思案した挙句にミニロトも2週分買いました。ああ、このまま僕はギャンブラーになっていってしまうのでしょうか。PATも申し込んでしまったし。

2月の第3日曜が地域集会で東京。3月の第3はやはり東京。4月の第3は地元のオープンスピーカーズ。新潟に行くのは5月になりそうです。

明日も東京。週末の上京用にはJRの割引切符があることを発見しました。たまにはJRの指定席で往復してみようかな。千円少ししか違わないし。



2004年01月23日(金) ウィルス駆除

攻殻機動隊を最終話まで見たせいで、目は疲れ、頭が痛みます。

某国産アンチウィルスソフトのメーカーから年間契約の更新のお知らせが来ました。
複数台のPCを所有している人間にとってウィルス駆除のコストはバカにならないです。以前はウィルス駆除ソフトなんて入れてなかったのですが、最近では使うPCには全部入れてあります。人間いったん痛い目を見ると、防御策に出るものです(というか、痛い目に会わないと防御策を講じない)。4種類のソフトを使い分けているのですが、どれも一長一短。これがベストというものはありません。
昔はウィルスを作れる人間は、技術的にもスキルに優れた人であろうと予測され、その手腕を社会に役立つほうに使えばよっぽど貢献できるだろうとされていました。最近では、インターネット上にウィルス作成キットが公開されていたりして、少し気の利いた人間なら誰でもお手製の亜種ウィルスをばらまくことができるようになりました。

無料でもらったPOPメールアドレスがあり、これ幸いとばかりに「怪しげ」なところでメールアドレスが必要とされるときには、それを使っていました。おかげですっかり「汚れて」しまい、SPAMが一日に二十通ぐらいきます。そして週に何通かはウィルスつきのメールがやってきます。それでも無料のPOPメールというのは捨てがたいもので、今後も使うつもりでいます。
AA用のメールアドレスも以前はきれいなものでしたが、自分のホームページに掲載し、さらに他人様の掲示板でも書き込みしまくっていたら、すっかり汚れてきてしまいました。

Hotmailに迷惑メールフィルタリング処理が加わり、普通のメールよりよっぽど便利になったとも言えます。もっとも知らないうちに葬り去られたメールの中に、大事な用件が入っていないとも限らないんだけど。


2004年01月22日(木) ナンバーズ3

最近宝くじに凝っています。これも立派なギャンブルなんですね。
やっているのはナンバーズ3。3桁の数字を自分で選ぶやつです。
当選の確率は1/1000ということになります(ストレートという種類の場合)。一口200円で、ストレートの当選金は平均9万円。数字の並びが違っていても良いのが「ボックス」というタイプで、こちらは当選確率6/1000で、1万5千円。僕のやっているのはボックスで、しかも3つの数字のうち、ふたつを同じにしてしまう(例えば007とか)というパターンで、確率は3/1000、当選金平均3万円というというパターンを選択しています。

で、同僚と競い合って過去の当選データを解析し、なんとか数字の出目の「法則性」を見つけ出そうとしてみたのですが・・・・。結局結論は「数字はランダムに出て規則性は無い」という当たり前の結論に落ち着きました。だって回転する板に矢を放って、当たった数字を使ってるんだから規則性なんてあるわけ無いんですが、そこに「何かがあるかも」と思ってしまうところが技術屋らしいのかもしれません。

抽選は月・水・金の夕方の3回です。週末に3回分まとめて買っておいて(つまり600円)、翌週の月・水・金の夜にインターネットで当選番号を確認するのですが、当然外れています。
「ああ、3秒前までのあの高揚感、期待感はなんだったのだろう」
という虚しさに襲われながらも、来週も同じ番号で行くかどうか考え込むときの楽しさ?に浸ってみたりします。

ちなみに、当選した人のアンケートでは、数字を選んだ理由の第一位は「そのときのひらめき」、二位は誕生日、三位は車のナンバー、四位は電話番号だそうです。結果が乱数なんだから、それでいいんですよね。
ちなみにジャンボ宝くじの一等の当選確率は一千万分の1。毎週火曜と木曜に抽選しているロト6の一等は609万分の1。ロト6のほうが少し確率がいいです。

宝くじの場合、胴元が持っていく金が55%で、当選金還元率は45%だけです。競馬の場合、還元率は75%とかなり率が良いです。しかも宝くじと違って、確率分布に偏りがあるから予想の意味もあります。ギャンブルとしては、実は宝くじより競馬のほうが手堅いと言えるでしょう。
最も還元率が悪い(と言われている)のがパチンコです。ただ、ハマっている人に言わせると「自分はとんとんか少し勝っているぐらい」だというので苦笑してしまいます。機会的ギャンブラーからは「儲かることは滅多に無い。あれは暇つぶしである」と明快な答えが返ってきます。

だったら、やらなきゃいいのにと、思うのですが、それは自分のナンバーズ3にも言えることですか。


2004年01月21日(水) 大阪・マイ・フェイバリット

4月の24〜25日に大阪でAAの全国サービスフォーラムが開かれる予定です。
そこにわざわざ長野から行くべきかどうかとうことを悩んでいるわけです。
使う交通手段は車・電車・バスと3種類考えられますが、値段の点からバスの利用になるでしょう。こちらを朝7時に出て、新大阪に昼に到着。翌日は午後4時に出発して、こちらに9時半到着です。バス代が1万円あまり。さらに参加費と一泊食事つきで一万円。

仕事で枚方(まいかたではなくてひらかたなんだって)まで行ったことはあります。高速使って4時間半ぐらいかかりました。でも、大阪そのものへは、仕事でもプライベートでも行ったことが無いのです。
お好み焼きと食い倒れ人形と阪神タイガースの街、大阪。映画「ブラック・レイン」とか見ていると、あんまり行きたい気がしません。生まれも育ちも東京という友人が、会社の研修で1ヶ月大阪に行ったことがありますが、帰ってきて後に語った感想が
 「女子高生まで関西弁使ってるんだぜ、びっくりしちゃった」
というものでした。みんなの反応は「嘘をつくな」「話を作るな!」というものでしたが、真相はどうなのでしょう。真実は自分の耳で確かめる必要がありそうです。

お好み焼きともんじゃ焼きを比べると、お好み焼きの圧勝は確実です。それに、かつお+しょうゆダシよりも、こんぶ+塩ダシのほうが好きなんですよ僕は、うどんとかね。でも、どんぶりの底が見えないぐらい濃い汁のうどん・そばってものも捨てがたいです。悩むなぁ。大阪に行ったら、カップうどんとか買って帰ろうかな。

話がすっかり食べ物のほうへ行ってしまいました。結局は金があれば大阪へ行き、なければ東京へ行き、もっと無ければどこへも行かないというだけなんですけどね。

ゲシュタルトの祈りを追加しました。ちえぞう、ありがとう。


2004年01月20日(火) 道徳の問題?

源泉徴収票をもらいました。以前は雑収入という収入項目があった時期もありましたが、現在は100%を給与所得に頼っている生活なので、この額面が僕の年収ということになります。
昨年より50万円ほど減りました。世間ではリストラの効果が出始めて、景気が良くなっている会社が増えているそうですので、今後に期待することにしましょう。もっとも、一割の製造業が残りの九割の産業を牽引している産業構造は改革されていないので、そんな急速な回復は見込めないでしょうが・・・。
うちの会社も、政府の助成金がもらえる産業でもないのに、よくがんばっているほうだと思います。社長の引退と共に消えて無くなるでしょうけどね。日本で会社をつぶした社長は、面目丸つぶれというか、ほとんど犯罪者というか、人非人扱いです。だから、それを恐れて会社を興す人が少ないのでしょう。たとえ消えてなくなったとて、その間は貴重な雇用を創出したわけですから、尊敬されてもいいと思うのですが、なぜか日陰者になりがちです。
雇用というのは国や行政や首相が作り出すわけではなくて、勇気ある民間人が作るわけです。とは言うものの、僕は給料を払う側には絶対回りたくないですね。自分のために働いているのだか、人に給料を払うために働いているのか、分からなくなるでしょうから。

新聞にこんな記事が載っていました。依存症と限った話ではないのですけど、「隠れて飲む」あたりは病気の症状まるだしという感じです。「飲む回数を制限する」「ビールだけを飲む」「などなど」というやつです。教師だからといってアル中にならないとは限らない(なって当たり前)なんだけど、それを道徳という平面に投影したがるのが新聞でしょうか。
中学のときの数学の先生も、高校のときの世界史の先生も、美術の先生もしょっちゅう酒臭かったんだけどなぁ。もっとも中学の数学の先生は酔って車に轢かれて亡くなっちゃったし、世界史の先生は奥さんに離婚されてたけど。


2004年01月19日(月) 最低?の一日

今日はずっと椅子に座ってまじめに仕事するつもりでした。少なくとも朝はそのつもりだったのです。そしてそれは、ぜひそうする必要があったのです。ですが、10時過ぎにかかってきた電話によって、その予定はすっかり乱されることになります。
だいたい「社長を出せ!」という言葉を使う輩は、自分が無理を言っているのは百も承知、理屈では自分が負けることが判っているから理に訴えても無駄、情に訴えてもなおさら無駄です。僕は本来エンジニアという専門職のはずなのに、最近ではクレーム処理までやる始末です。年は取りたくないものです。

午後4時半に机に戻ってきたときには、すっかり元気がなくなっていました。仕事のトラブルというのはそういうものです。妻が作ってくれた弁当は冷たくなったまま鞄の中に残っています。今日はいつもより一時間早く起きて作っただけに、これを残して帰るとひときわ機嫌も悪かろうというものです。おまけにお腹がごろぴーで、三回もトイレに釘付けにされたのに、まだ痛みが治まりません。

唯一ラッキーだったのは、高速のパーキングの自動販売機でオロナミンCを買ったとき、150円のために百円玉ひとつと十円玉五つを入れたはずなのに、おつりが390円返ってきたことぐらいでしょうか。しかしそれも、十円玉と五百円玉を間違えるくらい疲れていただけだったのかもしれません。おまけに、それに気をよくしてナンバーズ3を買って散財してしまいました(ちなみにハズれました)。

一人きりの社内で、冷えた弁当に箸を入れていると、電話がなりました。もう午後7時を過ぎている上に、非通知でかけて来る電話にロクなものはないので、出ないでおきました。すると5分後にFAXが入り、その文面を見て、僕は急速に青ざめました。昨年末に残した仕事を、新年からすっかり忘れていたのです。

そして僕は足取りも重く、ミーティング場に向かったのです。そして一時間後、体は疲れていたものの、心は軽くなってそこを去りました。

夕方にアルコールが待っていてくれるからこそ耐えてきた日々が過去にありました。今は別の手段で、意思と命の痛みを癒すことができるようになった自分がいます。どんなに一日が悪かろうとも、もはやアルコールは必要ありません。

AAの仲間から明日肺がんの手術をするという連絡をもらいました。僕にできることは祈ることぐらいです。


2004年01月18日(日) 家電いろいろ

年末に買ったLPプレーヤーをパソコンにつないで、種ともこのシングル「10円でゴメンね」の曲をWAVファイルにしました。
「明日のデートの予定をキャンセルする電話を、10円玉一個だけで公衆電話からかける」というテーマの曲なんですが、ケータイではなくて公衆電話で、しかも10円で3分間という時代のお話です。覚えていますか? そんな時代を。

さて、昔のシングルをWAVファイルにして、これをMDに録音しようとしたら、中古で買ったMDデッキが壊れてしまっていました。なんとか修理できないものかと格闘していたら、時間がみるみるうちに過ぎていってしまいました。

そんなわけで、午後遅く起きるはめになったのですが、妻は元気を取り戻したらしく、子供たちとジジババと氷の彫刻祭りに行ったようです。

さて、昨年10月の出張のために、PHSを新しく契約したままになっていました。機械の納入後しらばらくしてトラブルが発生し、再度訪問しなければいけないことはしばしばあるので、しばらく解約せずに様子を見ていたのですが、そのまま年を越してしまいました。国内ではまったく使っていないのに、基本料金月々2,700円を取られるのもシャクにさわるので、駅前のショップまで解約しに行くことにしました。

が・・・、先日携帯電話のパケット割引も解約したばかりです。もし今後国内で出張などがあった場合に、移動通信に困ってしまいます。ホテルの部屋からアナログ電話でダイアルアップする手段もありますが、かなり割高です。かといって、パケット割引なしでcdma2000を使うと後悔する羽目になります。ふとTwo LINK DATAの端末を中古で入手していたのを思い出し、PHSの解約ではなく、機種変更をすることになりました。

夕食後、電器店を冷やかしに行って、マッサージチェアに魅了されてしまいました。ジジババが30年ほど前に買った機種と比べると、すごく進歩しているのにびっくり。でも値段が按摩40回分というのは元がとれるか疑問だし、第一狭い我が家に設置する場所もなし・・・。


2004年01月17日(土) あれから9年

妻が起きてこないので、子供のために朝食兼昼食を作りました。
目薬をもらいに眼科医に行きました。眼圧測定と視力測定、それと医師の診断(眼底を覗き込んで観察)。そして薬局で2ヵ月分の目薬を購入。五千円札が消えてなくなりました。昨年は面倒くさくてやらなかったのだけれど、今年は確定申告で医療費控除を受けるべく、領収書はきちんと保存しておくことを決意しました。
娘二人を柔道場まで送り迎え。バレエをやりたいと言っていたのに、いつの間にか柔道にすりかわってしまいました。それでも本人たちが楽しんでいるからいいのかな。
受身や投げの練習は女の子はまじめだけど、男の子はふざけてばかり。そして乱取りのときに元気なのは男の子のほうです。

9年前のこの日、阪神淡路大震災が起きました。
僕は何も覚えていません。連続飲酒の真っ只中だったからです。テレビの画面に黒煙を上げる街の俯瞰が写っていたことはぼんやり覚えていますが、あとはブラックアウトの中です。当時、なぜ「酒を飲む人間は沢山いるのに、自分だけが依存症にならねばならなかったのか。そしてその解決方法が、先輩後輩などと小うるさいことを言う断酒会と、これまた神などと小うるさいことを言うAAしかない」ことに憤慨して暴れていました。

その2ヵ月後、僕はAAとのファーストコンタクトを果たします。そして、夏の頃に新聞である記事を見かけました。震災で住まいも家族も失った独居者が、仮設住宅の中でアルコールにおぼれているケースが沢山あることを伝えた記事でした。民生委員や保健婦の説得は役に立っていないという内容を読んで、さもありなんと納得しました。かの地に断酒会やAAはあるのだろうか? そして彼らはどうしているのか。僕はそんな考えを頭から振り払い、アル中たちのことは自分も含めて忘れることにしました。
私たちが現実から目をそむけるとき、起こる結果はひとつ。僕はやがて飲酒に戻ることになります。

夕食の準備も片付けも面倒なので、近所の回転寿司へ行きました。午後から振り出した雪は、10センチほども積もったでしょうか。今年は雪も多いし、気温も低いです。
子供もいつの間にか、赤ん坊から幼児に、幼児から学童に成長しています。僕はあまり変わってはいないけれど、時間だけはどんどん過ぎていってしまいます。


2004年01月16日(金) 唯一の例外

年賀状の返事が電話でやってくる場合もあります。

断酒会の方とのお付き合いはほとんどなくなってしまったのですが、(今のところ)最後の入院のときに同部屋だった人のうち、お一方には年賀状を欠かさないことにしています。そしたら、その方から年明けに電話がかかってきました。身内の方が亡くなったので欠礼の連絡でした。

共通の話題というのはあまりないので、勢い同じ部屋に入院していた人々の消息に話が及ぶことになります。4人部屋でしたが、途中で退院していく人もあり、入院してくる人もありで、数を数えれば10人ぐらいでしょうか。
すでに飲んで亡くなった人もあり、飲んで入院した人もいます。一方で無事な一群というのは、主に断酒会かAAのどちらかにつながっている人々です。その中で唯一、どの自助グループにも行かずに断酒生活を何年も保っている方がいらっしゃいました。
しかし、昨年その病院(僕の出身病院)に病院メッセージに行った時に、どうやらその人ではないかと目される人が患者さんの中にいました。生気が抜け、顔色も悪かったので、同一人物には見えず、他人の空似ではないかと疑ってもいたのです。

電話でのゴシップで、僕が見たのはまさにご本人だということが確認されました。
これで僕と同部屋だった群では、断酒生活=自助グループという図式に例外がなくなったというわけです。もちろん、群をもっと大きく取れば、例外はたくさんたくさん見つかるでしょう。
だが、僕は僕自身を説得する材料さえあれば十分です。自助グループも人間の集まりですから、そこに人間関係の軋轢が発生しないわけはありません。時にはきわめてクダラナイことをやっている気になって滅入ることもあります。でもそれは僕に必要な集まりです。
病院メッセージは、AAという自助グループがあって、そこではこういう回復のプログラムがあるということを紹介に行くわけです。でも、そこで自分が目にする姿は、自分の未来像のひとつでもあるのです。忘れっぽい僕にとって、自分がどんな障害を抱えて生きているか、思い出すにはもっとも手っ取り早い手段であります。

珍しく同僚たちと夕食を食べて帰宅したら、妻がうつで寝込んでいました。「先に寝込んだ者勝ち」という夫婦なので、この週末は家事に追われそうな、やな予感です。


2004年01月15日(木) 言い訳のせい

今ではノートパソコンも安くなって、重さと大きさにさえこだわらなければ、10万円以下で立派なノートPCが買える時代になりました。(もっとも、持って歩くには重さと大きさが最重要課題なんだけど)。

一時期転職して金回りの良かった頃、ノートPCを衝動買いしたことがあります。某S社のショップを冷やかしていたところ、突然欲しくなって買ってしまいました。普及機だったので仕事に使うには大きくて重すぎ、そしてそのメーカーの信頼性はお世辞にも高いとは言えない・・・。
帰宅する頃には買ったことをすっかり後悔していました。箱を片手に帰った僕を、妻の冷たい視線が射るように突き刺さりました。僕は必死で言い訳を考え・・・
「君のノートパソコンだよ。安かったからさ」

こうしてそのPCは彼女の所有物になりました。そして彼女はインターネットで「在宅ワーク」やら「内職」やらの情報サイトに応募しまくったのです。数ヵ月後から、我が家の電話には在宅ワークの勧誘の電話がかかるようになりました。僕には、どうして彼女に「誰でもできることを自宅でやって月に数万円の収入」なんてうまい話があるわけないことが理解できないのか、理解できないのです。だいたい、収入を得るための仕事に、なんでまず金を払って教材を買わねばならないのか・・・。

数十万単位の契約のクーリングオフすること2回。そのうち1回は期間が完全に切れていましたが「消費者センターに苦情を入れる」と脅して解約を強要しました。ありがちなのは、数万円の教材費という題目の金を取った挙句、絶対にこなせない量の内職を押し付けて、ダメだと気がついた時にはクーリングオフ期限が終わってるというパターンです。やれやれ。

今回も、紙に同じ文章をボールペンで手書きしているな、と思ったらやっぱり内職でした。「今度のは最初の投資はいらないの」と言い張ってますが、届いたゆうパック箱に代引き伝票(額面19,800円)が張り付いたままでした(間抜けなヤツ)。一枚書いて数円の手間賃なんだそうですが、納期までに200枚仕上がらなければボツだそうです。主婦業の片手間では無理っぽいし、第一元手を取るまでに何ヶ月かかるやら。

これだけ金を無駄に捨てているなら、東京電力の株でも買ったほうがマシだと思うのです。今なら100株で23万円ぐらい。年間配当が6千円。

あの時、口をついて出てしまった言い訳のせいで、どれだけの金銭と労力が無に消えたものか考えるとため息が出てしまいます。もっとも、妻に言わせれば、僕がAAにつぎ込む労力と金銭も「もったいない」そうですが・・・。


2004年01月13日(火) 一回休み

僕は前の晩に、翌日持って行くものを揃えて置く習慣があります。
そうしないと必ず忘れ物をするほど、朝は頭が働かないわけです。

が、今朝はそれでも忘れ物をしました。
ヤフオクでPHSを売り払ったので、その送品をするために郵便局に寄ったのに、送るべき品物を携えていなかったのです。しかたなく家に戻って出直したのですが、今度は財布を持っていませんでした(ついでに携帯も無かった)。並べてあるものを全部持っていけばいいだけなのに、なぜこうなるのか?

どうも脳みそが部分的にしか働いていないような気がして、そのまま会社に電話して休みをもらってしまいました。布団を敷いて横になり、気がついたら午後4時になっていました。

外は雪になっており、夕方から積もり始め、夜半に小ぶりになりました。
翌朝に雪かきをするのは嫌なので、夜中に雪かきをすませました。

自ら4連休にしてしまいました。ああ、このまま一生休みが続けばいいなぁ。
まあ、明日のことは明日の朝起きてから考えよう。

90の道具に19を追加しました(昨日だけど)。


2004年01月12日(月) よくある間違い?

ウェブサイト維持者にとって、人々がどんな検索キーワードでこのページにたどり着いたかというのは興味の対象のひとつであります。本サイトのほうもそれはそれで面白いのですが、雑記のほうは、いいかげんなことをたくさん書いているおかげで、幅広い検索キーワードでひっかかります。

例えば「雪かき」+「やり方」。およそかけ離れたページにたどり着いてしまった方、ごめんなさい。
あと、最近多いのは「世界で一番の花」。これは暮れの紅白歌合戦のことを取り上げた行に書いてあるのですが、これは間違いで正解は「世界に一つだけの花」です。ところが、「世界で一番の花」で検索して、ここへたどり着いてしまう方が、毎日のようにいらっしゃいます。うーん、みんな同じ勘違いをするのですね。

この「世界に一つだけの花」はSMAPのを聞いたことが無くて、女子十二楽坊の演奏しか知りません。そういえば昔、竹内まりあの「元気を出して」も村松健のピアノ曲しか知らなかった年数も長かったです。

せっかくの三連休の一日なんだから、休みらしく休もうと「攻殻機動隊」のアニメを数話見ました。見すぎで軽い頭痛です。

4月18日の地区のオープンスピーカーズのプログラム案作り。


2004年01月11日(日) 初めての東京

生まれて初めてのことなのだけれど、AAの(サービス関連以外で)ことで初めて東京へ行ってきました。
「冬のビッグブックの集い」。うちわのイベントなのに、150人は優に超えるだろうという盛況でした(実は人数を数えたりしていた)。内容については、消化不良を起こしましたとしか言いようがありません。まあ、ぼちぼち後から反芻して、消化していくしかないでしょう。
また、何人かの方と知り合いになれたのは、何よりも収穫でしたし、また仲間と一緒に(あわただしく)摂った食事は楽しかったです。

そんな会場外での話の中で面白かったのは、「アサーティブ・トレーニングがかえって邪魔になる」という話でした。実は僕も「AAの12のステップとアサーティブ・トレーニングは相性が悪い」のではないか、という考えを持っていたのですが、少なくともそう考えている人は、僕だけではなかったということが確認されたわけです。
まあ、そうは言っても、これは僕の個人的意見として捉えて欲しいのですが、アサーティブ・トレーニングと12のステップに同時に取り組むのは、薬物療法と森田療法を同時にやるのと同じように、相互に効果を打ち消しあうのではないかと疑っているのです。
アダルトチルドレンという問題については、以前は僕も自分もそうなのではないかというコンセプトを抱いていた時期もありましたが、だんだんACってなんなのか判らなくなり、しまいには理解不能になってしまったので、ACとアサーティブについてはとりあえずここでは脇に置いておきます。
僕はこれからもアルコホーリクには、「ステップをやれば<結果として>十分アサーティブになれるだろう」と言っていくでしょう。

朝10時から午後4時半まで、どっぷりと(廊下でおしゃべりしたりせずに)会場に漬かっていたのは久しぶりなので、なんだか疲れました。そういえば、あんなに人数がいたのに、場外で話にふけっている人は意外と少なかったなぁ。みんな今回はまじめだったんだね。


2004年01月10日(土) Living Sober

コードレスホンのシステムを変更しました。といっても、中古のPHSと中古のワイヤレスTAを買って、家庭内コードレス電話に仕立て上げただけですけど・・・。中古のPHSが三千円もしたのはちょっと意外でした。
今まで使っていたアナログコードレスが、あまりに雑音が多かったので、フルディジタルのクリアな音に感激しました。感激ついでに東京のAAメンバーに電話をしたせいで、2時間も話し込んでしまいました。

夜7時半から地区委員会。10グループの代議員のうち、半数の5人が女性になった。世の中の基準からすれば当たり前のことなのでしょうが、AAの男女比は3:1ぐらいなので、1:1になるというのは珍しいことです。

4月のオープンスピーカーズのテーマを考えないといけません。一応現在の私の案は「飲まないで生きる(Living Sober)」というところですが・・・。

明日は朝早いので、早く寝ます。


2004年01月09日(金) 眠れるけど眠れない

別に隠しているわけではないが、僕は睡眠薬を服用しています。
ユーロジン2.0mgとロラメット1.0。

ユーロジンは短期型と言われるタイプで、普通は寝つきを良くするために使われるものですが、僕の場合には「熟睡感に乏しい不眠」を解消するために使っています。使わなくても眠れるのですが、朝起きたときに「眠った」という実感がまるで伴いません。これが数日続くと脳が過労状態になるのか、深いうつがやってきます。
ロラメットのほうは中期型というタイプで、早期覚醒(朝早く目が覚めてしまうという障害)に効果があります。ついでにこれは蓄積効果があって、日中もある程度の効果が残るので、神経症・うつ病・統合失調症のいずれにも効果があり、飲んでいる人はかなり多いのではないかと思います。効きすぎると朝起きられなくて、ちょっと困りますが。

欝だよぉ〜と言って寝ていても良ければ、このふたつの薬は要らないのだけれど、壊れてしまった睡眠中枢の代わりをさせる何かがないと、リズム正しい生活が送っていけません。

実は今週、久しぶりに夜寝る前の薬を飲み忘れ(実は間違えて朝の薬を飲んだ)、そのまま寝てしまった晩が一回ありました。「なんか、夢をいっぱい見る夜だな〜」と思っていたのですが、朝起きて事態に気がつきました。本人は夢を見ていると思っていても、実はレム睡眠の時にほとんど覚醒しているのだそうです。妻には、「いびきをかいて寝ていた」ようにしか見えなかったそうですが・・・。
体は休まっているのでしょうが、頭のほうは徹夜したのと同じ疲労状態で、その日一日、出勤したけど仕事になりませんでした(ああ、さらりーまんて楽)。
ソブラエティの長い仲間でも、睡眠薬の手放せない人は結構います。ただ、ハルシオンのような強力な薬を長期間使っている人は知りませんけどね。

かわいそうなのは薬物依存も併発した人たちで、彼らは「2倍飲めば、2倍効くだろう」という強迫観念から自由になることは難しいらしいのです。薬物での失敗は、簡単にアルコールでの失敗につながるので、生活に障害があっても医者が睡眠薬や安定剤を処方しません。
もっとも僕にも、もう医者はワイパックスなどの抗不安剤は処方してくれませんが(アルコールと同じ作用があるから)。

大多数のアルコホーリクにとって、向精神薬は必要の無いものです。無用な危険は避けたほうがいいでしょう。一方、薬中の人にとってみれば、処方薬なんて眠くなりもしないものだとか。

ひとつ、医師に相談なく薬の服用を中止するのは、医師に相談なく倍量服用するのと同じぐらい危険だということは、お伝えしておきたい。


2004年01月08日(木)

夕方、外に出てみると、西の空に金星が輝いています(宵の明星)。
昼間でも肉眼で見えるはずだそうなのですが、周囲に比較物がないと無限遠にピントが合わないので見えないのだとか(雲が近くにあると見える)。

今朝から急に気温が下がりました。
前を行く車が余りにも遅いのでイライラしたのですが、おそらくは凍結路面を恐れているのでしょう。こういう車に限って、いつ洗車したのか分からないぐらい汚れていたりします。まあ洗車は個人の価値観の問題なので、人それぞれなのでしょうが、リアウィンドウもフロントウィンドウも汚れていて、後ろから見ていても前が透けて見えないぐらいだと、「この人、何が危険なのか分かっているのだろうか?」と不安になってしまいます。
車は汚れていてもいいし、遅くてもかまわないけど、ガラスは拭きましょうよ。見えないから。あなたは見えなくて事故にあっても自業自得かもしれないが、後ろから着いていって巻き込まれるほうはたまったものじゃない。ぶつぶつ。

などと心の中でのろいを念じながらミーティング場に到着しました。おくればせながら、このグループの今年初めてのミーティングでありました。

帰り道は満月が雪をかぶった山脈を照らし出して、妙に綺麗でした。山の大きさに比べて、ふもとの明かりの小ささ、人間の営みの心細さを思いました。ふっと湧いて、ふっと消えていく僕の人生。その中の今日一日。分かち合われたぬくもり。

仲間に電話していたら夜半を過ぎてしまいました。
ミーティングがあった日は、帰宅した後にいろいろなことができない。するだけの時間が無いということに、いま一歩納得がいかない自分がいます。


2004年01月07日(水) 魂の労働

車の車検証には「所有者」と「使用者」のふたつが記載されています。
今乗っている車はディーラーでローンを組んで購入したので、ローンの最中は所有者がディーラーに、使用者が僕の名前になっていたわけです。晴れてローンが終わったので、所有者の名義を書き換えてもらうよう、先日ディーラーにお願いに行きました。
ほかのメーカーでの経験からすると数千円の手数料を取られるだろうと予想していたのですが、無料でやってくれるというのはありがたい話です。
委任状に実印を押して、あと市役所で印鑑証明を取ってきてくれと言われたので、今朝市役所に寄りました。市民カードというものを持参すれば、あとは手数料だけで機械が発行してくれるはずなんですが・・・「このカードは受け付けられません」とすげなく断られてしまいました(くそ、機械の分際で)。
そのまま窓口に寄ればよかったらしいのですが、急いでいたのでそのまま会社へ行ってしまいました。

市役所なんてめったに行かないから勝手がわかりません。
昔、東京で飲んでいた頃は、水道料金の振込みを忘れてしょっちゅう水道が止まっていたので、水道課にはしげく通ったものですけど。さすがに電気を止められたことはないけど。あれは水道とかと違って、五角形の専用のボルトを使っているので、素人には手が出せないのだという話です。

魂の労働という本を読み始めました。もっとも、まだ序文を読んでいるところですけどね。

睡眠不足で頭が痛いです。ま、これは寝れば治るので、心配はいらないですが。


2004年01月06日(火) ゼネラルサービスは実験の場所?

この2日間というもの、僕はExcelのチャートを眺めておりました。自分で作ったそのチャートとほぼ同じものは昨年の評議会の報告に載っているのですが、僕の作ったものは決算の年次変化ではなく、毎年の予算のほうです。日本AAのゼネラルサービスの財務規模は年々大きくなっているのですが、大きくなっていくのには当然理由があって、それは予算組みの時点で前年より大きな予算を組むからです。その予算が膨らむ理由を探っていたわけです。

予算項目が増える一方というわけではなくて、中には何十万円という予算項目が翌年からすっかり消えてなくなっていることもあります。サービスに携わる人が、新しく何かをやりたいと思えば予算の要求をするわけですし、勝手に何かを始めておいて、後からそれに金銭という裏づけを要求している場合もあります。そして、それを推し進める人が去り、人が変われば、やることも変わってくるということです。

なにも存在しないところにtrustee(理事)という存在が作り出され、彼らが構想するままに「とりあえずやって」みているわけです。今の日本AAのゼネラルサービスというのは、いわば実験の場であって完成したものではありません。そしてその実験の成果(AA全体に恩恵が及んだか、メンバーが恩恵を感じたか)を評価する仕組みが機能していない。いや、悪口を言えば、成果が感じられるほどの実験が行われたことなど無かったと言っても過言ではありません。
だから、新しいことは出来ないよとか、ここ何年か続けてきたことも今年は中止ね、と言い出すの躊躇するべきではないな、という結論にたどり着いたというわけです。
だって、収入が増えないのに支出を増やすわけにはいかないもん。それに家賃とか人件費とかはちょっとづつでも増えつづけているんだから。他を削るしかないよ。

まあゼネラルサービスに対する僕のdutyもあと2ヶ月がヤマです。関心はともかく熱意は薄れつつあります。早くひとりの無名のボランティアに戻りたいという気持ちは強いし、AAそのものの魅力を増すこために試行錯誤する活動に、時間もエネルギーも割いていきたい希望も日々強まっています。

ともかく睡眠不足は今日でおしまいにしたいです。


2004年01月05日(月) 正月ボケ

正月ボケした頭に仕事はとてもきつかったです。
社長も仕事が嫌になったのか、いつもより一時間早く上がろう、なんて言いだしてましたが、夕方になってトラブルが発生し、会社を出たのは夜7時半になってしまいました。

遅れていったAAミーティングで、15分も話してしまいました。ああ、なんだか自分だけ余計に回復してしまいそうです。

ヤフーオークションで、間違えて違うブツを落札してしまいました。落札した時点で商契約は成立しているので、基本的にはキャンセルはできません。しかたないので、5千円近く払って不要な品を買い取りました。もちろんすぐに出品して売り払うつもりです。それにしても、手間ヒマと送料がもったいないです。

最近忙しいせいか、注意力が不足しているのかもしれません。
忙しいのは期限付きなので、その間だけがんばればいいのです。人生、ず〜っとがんばり続ける必要はないのだけれど、がんばる必要があるときに、がんばれない人は不幸であると、何かの本に書いてあった。僕は自らを不幸にしたくはないので、今はがんばってしまうのです。
でも、うつ気質でもあるので、限度というものを知りません。毎度、力尽きるまでやって、やり過ぎたとやっと気づく次第です。「ここまでやれば十分だろう」という自己肯定感がなかなか得られない性格です。家事を毎日完璧にこなそうとして気疲れしてしまう主婦のようなものでしょうか。

テープへのバックアップ作業はまだ終わりません。


2004年01月04日(日) カウンタ

ホームページの最下段に設置してあるアクセスカウンター。
これはお手製ではなくて、レンタルです。
たしか昨年末には23,000ぐらいだったはずですが、15,000ぐらいに戻ってしまいました。

どうやらサーバーのハードディスクが飛んだらしく、おまけにバックアップのHDDまで壊れてしまい、古い古いデータしか残っていなかったというのだから、お粗末な限りです。しかし、無料で借りているのだから文句を言えたものではありません。
僕は仕事でパソコンの高信頼化に取り組んだことがありますが、部品点数が増えるぶんだけ故障もふえて、結果的に信頼性が上がったのか、下がったのか判断しかねる場合もしばしばです。
市販のパソコンの値段はひところに比べれば半額ぐらいに下がったけど、信頼性のほうも下がっちゃったのではないかと思われます。メーカーのほうも他社より高ければ売れないわけで、安かろう悪かろうの部品を使うのも背に腹は変えられないといったところでしょう。

他山の石として、自分のところもバックアップを取ることにしました。半年振りにテープドライブを持ち出しましたが、テープ1本に6時間ぐらいかかります。その間PCを使わないのはもったいないので・・・と操作していると、途中でハングアップさせること数回。現在4回目のバックアップやり直し中です。

明日から労働だ。何が嫌だといって、朝のミーティングで「一年の目標」を言わなければならないのが嫌です。工場勤めしていたときにも感じたんだけど、僕は「強いられた自発性」というものが一番に嫌いです。あーやだやだ。
AAの献金だって「自発的な献金」であるはずのなのに、予算とか決まってるとなんだかなぁ、と思ってみたり、唸ってみたり。


2004年01月03日(土) 自らが無力であるからこそ

昨日の電話の番号へかけ直してみました。亡くなっていたのは、妻の手話サークルの友人だと判明しました。自殺であったそうです。

交通事故死の3倍以上の人口が、毎年自殺で失われていく。なのにそれに対する対策が十分に行われているとは思えません。昔の研究ではアルコール依存症者の死因のトップが自殺で、次が事故、内臓疾患はその後で、一番多かったのは「不明」でした。最近では依存症は研究対象として人気がないというお話なので、こうした研究が今も続けられているかは知りません。

1998年から自殺が急増したことは新聞などでも報じられています。増えたのは男性で、50〜64才の年齢層だとか。やっぱり背景に長引く不景気の影響があるのでしょうか。大都市では実数は多いのですが、人口比で見ると実は田舎のほうが多いのです。都市部のほうが、なんだかんだ言っても仕事があるからなのかもしれません。

犯罪も増えています。先日も妻が車を文化センターの駐車場に止めている間に、車内を物色されました(ロックはしてあったそうですが)。もっとも窓ガラスを割られなかったぶんだけ幸運であったのかもしれません。

新聞はそんなことは書かないだろうけど、今後は経済的中流層が崩れて、貧富の差が広がっていくでしょう。僕は真ん中の線より上には行けないでしょう。年収も百万円以上減りました。変わらず暮らしていけるのは車のローンが終わったからに過ぎません。数年後に今の会社が存続しているかわかりません。

まあ、経済的不安の無い人なんてこの世の中に一握りしかいないでしょう。安定を得ようとシャカリキに働いてみたって、一度転んだランナーは先頭には立てないものです。名を成さず、財も成さず、たいして人の役にも立たず、世の中にうずもれて生きていきたいものです。
ただ、挫折に対して強くありたいです。自らが無力であるからこそ、なおさらに。

正月早々、暗い話ばかりですまんす。


2004年01月02日(金) 謎の年賀非礼

二日目の夕食まで実家で頂いて、帰ってくると留守電が一件残っていました。
年老いたしわがれた男の声で「年賀状ありがとうございました。が、○○は昨年3月に死にました。亡くなりましたんでよろしくおねがいします」という内容でした。
内容からして、妻はすっかり僕の範疇だと決め付けています。僕もたぶんAAの誰かだろうと察しました。誰がいつ死んでもまったく不思議じゃないギョーカイ?に生きているのですから。(誰か飲んで死んだかな。でも○○なんて名前に覚えがないなぁ)・・・。

番号通知された電話番号は市内の番号です。亡くなった方の名前は言っているものの、苗字は名乗っていません。こちらからかけ直すには遅すぎる時間であります。住所録をあたってみても、それらしい番号は見当たりません。

こちらが出した年賀状は宛名書きは全部プリンターでやったので、○○という名前を探してみましたが見当たりません。考えてみると、電話があったのは一般用の電話番号です。僕はAA用に別の番号を用意していて、AA仲間に教える番号も、年賀状に載せた番号もAA用番号のはずです。

ところがかかってきた電話は一般用の回線へです。僕は今年は市内へはAA以外で年賀状を出してはいません。妻にも心当たりが無いというし、念のため義父母に聞いてみても知らないと言われました。なにかの間違いなのでしょうか・・・。
僕は数年前から電話帳への掲載は止めています(おかげで電話セールスがすっかり減りました)。わざわざ古い電話帳を引いたのならいざ知らず、僕の名前と電話番号を、相手はどうやって知ったのでしょう?

謎は解けないままなのですが、どうやらどこかのアル中が酒を飲んで死んだと決まったわけでもなさそうです。そういえば、以前より「飲んで死んだ」という話を聞かなくなりました。それは以前はよほど末期でないと医療や自助グループにつながらなかったのが、最近では早期介入・早期治療が当たり前になってきたからでしょう。酒を止めるのはそれだけ難しくなくなったはずです。退院後2年の断酒率の統計を取ったら、きっと1980年台よりずっと向上しているでしょう。
だが、何年酒を止めていようと、一杯飲んだらぶり返してしまうのがこの病気です。何年も、十何年も人生を謳歌した後に、再び酒につかまって自助グループに戻ってくるという話が、日本のAAには相対的に数が少ないだけです。あと10年、20年後には、もっと幅広い経験談が語られることになるでしょう。


2004年01月01日(木) 元日

紅白歌合戦も見飽きて、おなかもくちくなったので、パソコンのある部屋に移動して、すこしいろいろやっているうちに日付が変わってしまいました。「世界で一番の花」も見れなかったし、女子十二楽坊も見れませんでした。

僕は婿養子なので、元日は義父母と(妻と子供と)一緒に過ごすことになります。夕方までに実家に移動して、そして夜は近くの病院の病院メッセージに参加するでしょう。実家で丸一日を過ごしたら、2日の夜にはウチに戻ってくる予定です。

新年だからといって、特別に抱負を語ることも無く、今年も24時間の生き方を続けていきたいと思います。

今年も三が日特別表紙を用意しました。年賀状も同じ写真を使っております。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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