ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年06月30日(月) 6月も今日でおしまい さて、6月も今日でおしまいです。
予告したとおり(したかな?)6月が誕生日の僕は、今月のどこかの時点で40才に到達したのです。10才になるときの10年は人生の全部で、20才になるまでの10年は人生の半分、30才だと3分の1で、40才だとわずか25%です。10年なんて短いわけですね。
時折「ホームページ作りの仕事をしているのですか?」と聞かれる事もあります。少なくともお金をもらってHTMLを書いたことは一回もありません。会社のホームページ作りからも逃げ回っています。僕にとってこれは完全な趣味(道楽)です。誰かのページを見たときに「あれ、これどうやって書いているんだろう?」と見ながら憶えてきただけで、それほど技量はありません。
2003年06月29日(日) TOEIC受験放棄 TOEICですが、結局(予想通り)受験放棄となりました。
日曜日に東京まで行こうとした場合には、できれば一週間前あたりに高速バスの予約を済ませなくてはいけません。TOEICテストは正午からなので、2日前の金曜日でも間に合ったでしょうが、逆にいうと実は金曜日にはTOEICは諦めていたというわけです。
もちろん当日特急電車に乗って移動するという手段も残されているし、体力的にはずっと楽なのですが、高速バスの値段が往復で6千円。JRだと1万4〜5千円ですから、この差は馬鹿になりません。すでに受験料として6千数百円支払っているのですが、それに重ねての出費と、現在の体力精神的状態を天秤にかけて、楽なほうを選んでしまいました。また、第4日曜日に地元で受けられるチャンスを狙うとしましょう。
ホームページのデザインを若干変え、NN4.xでの見栄えを改良しました。新しいブラウザを使っている人には関係ないでしょうけれど。それから、NN3.x以前/IE3.x以前でホームページでエラーが発生してしまう点にも対応しました。そんなことやっていないで「90の道具」の続きを書けというお叱りを受けそうですが、ひいらぎのコンディションが上向くまで、もうしばらくお待ちください。
2003年06月28日(土) 失せ物出るいろんなところ この一月の間に失せ物が三つありました。
ひとつは時計。もうひとつは無線マウス。最後のひとつはZIPディスク(大容量のフロッピー)。
マウスは部屋の中にあるのは確かなのですが、有線のマウスと違って本体から辿っていくことができません。たぶんどこかに片付けてしまったのですが・・・探しても見つかりません。それでも、諦めた頃にひょっこり出てきました。
ZIPディスクはふだん持って歩いているものです。無くしても、中身はあちこちのパソコンにコピーしてあるので問題ないのですが、その中身が誰か他人の手に渡ってしまったら「かなり嫌だ」という心配があったのですが・・・諦めて新しいメディアを用意した頃に、ひょっこり出てきました。
最初に失せた時計は、いまだに見つかっていません。
しかたないので、諦めて買いに行きました。仕事柄ディジタル時計でないと困るのですが、最近は針式の時計が主流です。ディジタルだとカシオのGショックが数が多いのですが、あんな重くてごついものを腕にしていると疲れてしまいます。軽量かつフィット感良好というのは、アスリート向けのものしかありません。ナイキ・アディダスなどです。
前回はナイキのtimewareというブランドでしたが、今回はTIMEXの7千円ほどのものにしました。キーボードを打つときには時計は邪魔なので外しています。時計をしているのは家でも職場でもないところに居る時だけですね。
人と時計の関係は、異性との関係を象徴しているとか(エセ心理学ですな)。ずっと時計を身につけている人は、好きな人にずっとそばにいて欲しいタイプ。僕のように必要なときだけ身に付けるタイプは、望んだときにそばにいてくれればいいタイプ。なのだそうです。本当かなぁ。
2003年06月25日(水) 食事と入浴 僕の感情は、僕の思っている以上に「体調」に左右されやすいのです。
例えば仕事を追えて帰宅するときに、すっかりマイナス志向になっていたとしても、風呂に入り夕食を食べ終わる頃には、かなり気分も上向いて前向きになれるのです。問題が何も解決しなていないのに、気分が変わるのは、僕の内部状態が変わったからでしょう。だから、風呂に入って血行が良くなり、疲労が回復して、カロリーを供給された身体が、精神の状態を変化させてくれるのかな。
妻がとても高額な浄水器を買ってしまいました。そういうインチキな商売に引っかかるのは気に食わないのですが、もともと彼女が結婚前に形成した財産(つまり貯金だな)を使う限りは、僕につべこべ言う資格はないわけです。それに、あまり突っ込んだ話をすると、逆に僕の日ごろの浪費癖をつつかれて、やぶへびということになりかねません。困ったものです。
仕事が忙しかったり、うつが酷かったりしたせいで、AAの関係の作業に手を染められないまま、ひと月以上が過ぎてしまいました。とはいっても、ある程度の精神集中がないとできない作業なので・・・。今日は朝が早かったし、明日も出張、そしてとんぼ返りしてミーティング。今夜は早く寝ることにしようかな。
2003年06月24日(火) コントロール 一日中怒られてばかりでありました。
だいたい怒っている人というのは、トラブルを抱えている人であり、そのトラブルを自分では解決できないので怒っているわけです。自分で解決できれば、怒りを他の人にぶつけたりはしないですから。つまり怒りとは「自力解決不能の表明」であり、言い換えれば「無力の表明」でもあるのです。ただ、怒ることでパワーを得ることができ、問題の解決を他者に迫る能力が「自分にあるのではないか」という幻想が誰にでもあるのでしょう。
で、こと仕事で僕に怒ってくる人というのは、僕自身が解決をしくじった問題があるからであり、その解決を僕が提示できれば、怒りは収まってくれるのです。しかし、僕だって解決不能な場合もままあるわけです。そうすると相手の怒りはいや増すのですが・・・。
僕はアル中としての年季を積んだことと、それと技術者として経験からやっと学んだことは、
「その場逃れのためだけに、できない約束は絶対するな」
というものであり、「きょえー、どうしてくれるんだよぅおうおう」という問いに対して、「ともかくできないのです」と冷たく言い放つことが両者にとって最善であるということです。
それでも、「くそー、そうやって開き直ってろ、このクソ野郎ぉぅガリゴリガリ」といって携帯電話が切れてしまうと、ちょっと後ろめたいというか、可哀想というか、何でオレがこんな言葉まで浴びなきゃならんのだ!という感情が混ぜこぜに浮き上がってくるのです。
人あしらいのうまい人というのはいるもので、「なあ、俺はこんなに困ってるんだよ。助けてくれよ。なんか考えてくれよ」と言われると、それをムゲに断ってしまうのは、こちらが人でなしになってしまう気がして、夜9時まで働いてしまったりするわけです。それで、明日も朝がいつもより2時間早いと・・・。
うまく操られてしまったのも悔しい気もするのですが、それは仕事だからしかたないとしましょう。でも、そうやって人を操ってまで仕事をこなして、楽しいのかなぁと思ってしまうのです。
手持ちの金は有限だから、金の力には限りがある。それを超えたところで、怒りで押し付けようとする人もいれば、感情を操ろうという人もいる。セックス・友好・注目・安全。ちらつかせるのも人間で、食いつくのも人間。
2003年06月23日(月) 未来とイチゴ 興味の無い人はまったく知らないでしょうが、GIFの特許が切れます。
2003年の6月にアメリカで期限切れになり、だんだん他の国でも切れていって、来年の7月にはフリーになるというわけです。この特許が振りかざされた頃には(飲んでいたんだけれど)、2003年なんて「遠い未来」にしか過ぎないと思っていたのに、実はもうそこに来ていたなんて、感慨深いです。鉄腕アトムの誕生日よりも感慨深いです。僕は山下達郎よりも若いので、「アトムの子供」世代ではないのです。飲んでいなくて、生きていればいつかは未来がやってくるわけですね。
ひさしぶりに90分のミーティングに参加しました(ちなみに、長野は90分ミーティングのほうが多いです)。だいたい、この一ヶ月の間に、片手で数えられるぐらいしかミーティングに行っていないので、なんか「久しぶり」な感覚でした。
イチゴの株からはランナーが伸び、無事活着に成功している鉢もあります。3週間も子株を育てれば、ランナーを切っても良かろうと思っていたのですが、一応調べてみたら「8月末まではそのまま育てよ」と書かれていました。しかも、春先と違って、これからの時期は日に1〜2回水遣りをしないといけないとか。
水は朝夕にやれ、とは親父の言葉です。夕の水は蒸発が少ない夜間に土に浸透し、朝の水は植物が水を使う昼間の需要を満たしてくれるという話でした。
夜に懐中電灯で水撒きであります。
2003年06月22日(日) 工事費無料 「工事費無料」のうたい文句に釣られて、Bフレッツに申し込んでしまいました。だって、3万円近い工事費が無料になるんですもの。ただ、自宅の近くまで「白い配線」が来ていないので、敷設には意外と時間がかかるかもしれません。
低空飛行からもやっと脱出できたようで(まだわからんけど)、月曜から仕事にもミーティングにも復帰できそうです。数日休めば復帰できてしまう状態だと、「単に疲れがたまっていただけでは?」という疑念が浮かんできがちです。確かに「疲れがたまっている」状態であったことは確かでしょう。けれど、それだけに原因を求めると本質を見誤るのでしょうね。
たまに「ひいらぎはうつもあるのに、仕事もしてて大変だね」と言われるのですが、僕自身としてはこうした「徹底的休業状態」をたまに2〜3日作るようにすることで、大きな穴を開けないようにしているだけなのです。
月曜に出て行けば、たぶん怒られもするでしょうし、客も電話口で怒鳴っていたりするのでしょうが、あまり気にしてもしかたありません。だって、仕事上の諸問題は僕でも解決不可能な状態なんですから。これが、「すごい努力をすれば解決可能な状態なのだが、それは嫌なので渋っている状態」とかだと、ちょっと良心のうずきもあるのですが、「いくらがんばってみたところで解決不能」という状態だと「いくらあんたが怒ったところで、オレにもどうしようもないがな」と開き直っちゃうしかないんです。
神様は必要なときに必要なものを与えてくれる。一見必要の無い無駄なもののように思えても、後になれば真意が理解できるものもある。だから、与えられたものはありがたく受け取っておこう。
2003年06月21日(土) 保育参観 日のあたる作業でした。炎天下で日干しになるかと思いました。
ペットボトルに麦茶を入れて持っていったのが正解でした。もっとも、人目をしのんでそれを飲んでいるのは、なんとなく「酒の隠れ飲み」を思い出させるのでした。
なんにせよ、子供は楽しんでいたようです。
彼女にとってみれば、慣れない集団生活が始まって、まだ3ヶ月とたっていないわけです。上の子の時には、二親そろって育児には慣れていないので、いろいろと不安もあり、育児サークルに入ったりして「社交性を身につけ(させ)る」こととかに熱心だったのです。3年保育だったから、一緒に入園した子供も多く、園児みんなが揃って集団生活に慣れていく過程を見ていました。
ところが、下の子の場合には保育園に入るまでは、家庭というカプセルの中でずっとすごしてきたわけです。2年保育ですから、3年保育の子供達が1年間仲良しを積み重ねた中に、新人として入っていくわけです。そのストレスは厳しいらしく、発汗障害で手の皮がぼろぼろになってしまいました(足も)。
上の子も小学校に入ってなんかストレスがあるらしくて、手の皮がむけています。
そういえば僕も、子供の頃は皮がむけたっけ。遺伝とは恐ろしいものです。
女の子は一人か仲良し二人で遊んでいるのが多いですね。男の子は一人ぼっちか、もしくは群れています。群れにはリーダー格を中心として、なんとなく順列っぽいものがあったりする雰囲気。進化してもサルはサルかな。
約束どおり、午後は倒れていました。
2003年06月20日(金) Difference between a day and a life このままではイカンなと思うのです。
何が?というと、明日は下の娘の保育参観なんです。
ああ、できる事なら休みたい。なぜかと言うと、プールの組み立てやらどぶさらいやらの作業が待っているからです。そして、何事にも少し遅れ気味で参加する僕は、プールの組み立てなどの華やかな(?)作業には加われず、便所の裏のどぶさらいなどを毎回やっておるわけです。いや、別に日のあたらない作業が嫌だといっているんじゃありません。朝から体が動くか心配なだけです。
上の娘は3年保育で、3回とも保育参観には参加しました(一度は親子で大遅刻でしたが)。下の娘は2年保育なので、今回を逃してしまうとあと1回だけ。上の娘3:下の娘1というんじゃ、可哀想じゃないですか。カミさんは、「午後は倒れていてもいいから、午前中だけ(参観の間だけ)がんばってね」と冷たいことを言います。
はいはい、確かに我々アル中は「期限付き」なら「結構がんばれる」んですな。「一生」といわれるとダメなんだけどね。
2003年06月19日(木) 日常 だいたい僕はひんぱんにトイレに行くタイプなんです。
朝起きて一回。仕事中も午前中に3回、午後3回ぐらい。夕方から夜にかけて3回ぐらい。ところが、同じ会社の中には、「朝来てから夕帰るまで、一回もトイレに行かない」という人もいるのです。僕からしてみれば、「どっか壊れているのじゃないか」と疑ってみたくなりますが、それでも特に体に不調はないようなのです。
で、うつになると全般的に代謝が落ちるようで、まずご飯を食べない(食べたくないし、お腹もすかない)。トイレにも行かない。知らないうちに時間がどんどん過ぎていく・・・。一日に2回トイレに行けば十分だったりします。
そういえばジャンボ宝くじを連番10枚買っておいたのですが、見事に300円だけでした。
2003年06月18日(水) うつ突入 昨夜の日記が書けなかった時点で、もう予想はついていたのですが、調子が悪くなったので午後から休みをもらうことにしました。具合が悪いのはお腹なんですが、それは身体症状にすぎなくて、多分うつでしょう。
もう、十数年治療を続けてきていて、確かに良くなってきてはいるのですが、根治はなかなかできません。周期的に調子が悪くなることにも、すでに「慣れて」きました。病気でない人でも、周期的に調子が悪くなることだってあるでしょう? 僕の場合には、他の人より性能が悪いだけなんです。だから、周期の底が低いわけです。そういう自分を受け入れて(accept)いられれば、うつであることそのものは災厄ではないのかも。
問題なのは、医者に行く気力もなかったので、薬が尽きてしまうことかな。明日も休むつもりですが、医者にだけはいかなくては・・・でもそれが嫌なんですよね。ああいかん、明日の晩は病院メッセージでした。がんばらなくては。たぶん布団にいるよりは、夜は活動したほうがいいのでしょう。
2003年06月16日(月) 帰ってきました 正直言って、疲れ果てております。
おかげで、うつっぽいし。
どうも毎年この時期は調子が悪いのですが、原因を考えてみると、仕事の忙しさと関連があるようです。つまり企業や投資家の方々がお金を使う時期というのは、一年間の中で偏りがあるということでしょう。
疲れているので、ともかく一日休みたいのですが、忙しいなかで代休というのは難しいかもしれません。しかたないので、熱でも出たことにして有給休暇を一日消化することにしましょう。
週末は娘の保育参観とAAの委員会。その次の週末は、TOEICで東京。六千数百円はどぶに捨てたことにして、TOEICは受験しないでおこうかしら。体がもちましぇん。
誰が怒ろうが、困ろうが、布団の中で寝ていられたあの頃が懐かしい。
疲れているので、日記だけ書いて、メールの返事も、掲示板のフォローもあとは明日ね。
なぜこの日記(というか雑記)とホームページを維持しているのか・・それについては、肝に銘じていることがあります。初心忘るるべからず。Just Fun。「ただ面白いから」。本人が楽しんでいるから続けられるのであって、負担で辛くて辛くてたまらなくなったら、たぶんやめてしまうでしょう。
でも、友人たちの中には5年も更新のないサイトを維持している人もいます。このサイトも金さえ払っていれば、公開は続いていくでしょう(更新はなくても)。
いきなり閉鎖したりしたら、「ひいらぎはきっと飲んだに違いない」という噂が広がったりして。
2003年06月14日(土) 不覚 木曜日からまた山梨県の現場に戻っております。
日曜日のオープンスピーカーズでは、受付とスピーカーを引き受けていたので、なんとか土曜日までに仕事を終わらせて帰る予定だったのですが・・・、「仕事が遅れれば納期は限界まで延びる」という例によりまして、月曜日まで伸びてしまいました。
おまけに、相手の会社の担当者が「土曜日は休みたい」と言い出して、この期に及んで何を言い出すんだ、と言う気力もなく、長野に帰っております。
まあ、そのおかげで土曜の午後は自宅の布団で寝ることができました。これから夜を徹してプログラムを書き上げ、日曜の朝にはまた現場に戻っていなければなりません。というわけで、オープンスピーカーズミーティングは欠席ということになってしまいました。
まあ、受付は誰が座っていてもいいし、スピーカーも替わりの人が見つかるでしょう。スピーカーのアサイン担当の人間には連絡しておきました。長野地区のみんなには迷惑かけるけれどごめんね。
2003年06月11日(水) カバー人口 まったく何曜日なのかさっぱりわからなくなります。というのも今日は、休日出勤の代休だったからです。
この前の日に余計な仕事を引き受けてしまったばっかりに、休まないほうが良かったのかもしれませんが、「忙しいから代休はキャンセル」を始めると、本当に休みがなくなってしまいます。それに、働きずめだと、この職業に必要な「最低限度の創造性」すらなくなってしまいます。
でも、仕事はなくならないので、自宅で作業しようとしたら、必要なプログラムが入っていませんでした。この前Windowsをインストールし直したときに、開発環境を一部入れ忘れていたようです。しかたないので、VC++.NETなど一式をインストールしている間に朝になってしまい、まったく進まないままに就寝。
新グループの広報のために、保健所をひとつ、保健所の支所をひとつ、それに精神病院をひとつ訪ねました。精神病院はもうひとつあるけれど、それはずっとメッセージを続けている病院ですから、今回改めては行きませんでした。名刺を渡し、『広報資料』とBOXを一部ずつ渡し、県内のミーティング会場の地図を渡し、ポスターを貼ってもらうようにお願いし、15分ぐらい話をして去ります。
保健所へのアルコール関係の相談件数は、本人<家族親戚<近所の人だそうです。近所の目のうるさいところが、さすが田舎ですね。いやほんとに地域の人間関係は濃いです。だから、飲んで起こしたトラブルは世間に周知されているわけで、それに重ねて「原因が精神病だった」などとなったら大変です。だから、家族も本人も「認める」ところまでなかなか行き着かないのが当たり前かな。
カバーエリア(なんか放送局みたいだね)人口30万人の市部で、グループがまがりなりにも立ち上がるまで「ざっと5年」。それも、それまでの涵養と、協力的な医師やワーカーさんの存在があってこそ。
今度は背景人口は数万人の郡部で、安定したグループに成長するまで、いったい何年かかるのでしょうか。それでも、好意的な総合病院の精神科のあることを感謝しないといけません。
まったく、「自分の回復に専念する」なんて言える立場の人が羨ましいです・・・しかし、このプログラムの核心は Work with others でありますから、ひょっとして僕は恵まれているのかもしれませんね。
2003年06月10日(火) 父 ひとりで残業しているのに・・・、食べ物が何もないなんて、なんて可愛そうな僕(自己憐憫にひたりまくり)。しかたないので、机の底から出てきたインスタントわかめスープでも飲むことにしましょう。それがふやけるまで、しばし雑記。
現在の日本の首相について、それほど意見を持たないのですが、母と話すと「風貌が父とよく似ている」という点で意見が一致します。顔の輪郭・跳ねた髪・高い鼻・深いまなくぼなどなど。それに、行動でもインテリぶろうとするところとか、捉えどころのないところというか。
「変人・軍人・凡人」の総裁選挙だったときには、さして気にもしませんでした(父も生きていたし(そういえばあの時は凡人が首相になったんだっけ))。でも、年を取った彼は、どうも父によく似ています。テレビに映っていると、まるでそこに父が生きているかのように思えて、少し気味が悪いです。
母は、「似すぎていて嫌」なので、テレビのニュースに出てくるとチャンネルを変えてしまうとか。
僕の今回のソブラエティが始まる半年ほど前に、父は他界してしまいました。盆・正月・祭り・彼岸の際に実家の神棚(神道なので仏壇はないの)に線香を上げるときには、「ともかく元気でやっている。子供達も大きくなった」と報告することにしています。そして目を上げて写真を見ると、どうもそこに写っているのが新聞で見慣れた人物のようで、どうも落ち着かないのでした。
僕は母似だと言われます。外見で父から受け継いだものは無いと思っていたのですが、年を取るにつれ、くぼんでくる眼や、こけてくる頬に遺伝を感じるようになりました。それでも、僕の顔に一国の首相の風貌を見て取る人はいないでしょう。
2003年06月08日(日) 苺 病院メッセージ。僕の退院した病院を、実に半年振りに再訪しました。
というのも、この病院へのメッセージは月に1回。それを三つのグループ集団が輪番で担当しています。だから、自分の属するグループ群の番が回ってくるのは3ヶ月に一回。そして、前回は仕事の都合(だったかな)で行けなかったせいで、6ヶ月ぶりとなってしまったわけです。
僕は病院メッセージのあり方について、かなり真剣に悩んだ時期もありました。しかし最近では、単に「AAという存在を知ってもらうための広報活動の一環」として捉えているだけです。以前と違って、病気への認識とか、自助グループの必要性とかは、病院のスタッフの方がよく理解してくださっています。だから、そうした基礎的なことを微に入り細に穿って繰り返す必要はなくなりました。AAプログラムの紹介も、それほど熱を入れなくても大丈夫であると確信しています。「このプログラムには効果があります」それだけが伝わればいいのでしょう。
もっと回数を増やし、シリーズ性を持たせれば効果は違うのかもしれません。でも、じかの12ステップ活動をしたければ、ベッドサイドまで行く必要があるのでしょう。だから、広報活動と割り切って、他のこととバランスよくやるのが僕の考えです。
そういえば、「終わりに質問を受け付けます」と約束したのですが、あっさり終わりにして帰ってきてしまいました。まあ、みんな退屈そうな顔をしていたし・・・、と自分に言い訳。
苺のプランターからランナーが伸びています。DIYショップで鉢3個と丸土と栄養土を買ってきました。およそ千円でした。夕日の中で子供達と「簡単ガーデニング」。
鉢の底にキッチンで使う網を敷き、3分目ほど丸土を、残りは栄養土をのせ、あとは伸びた蔓の下に置くだけです。
「鉄製のベランダに土を持ち込むと錆の原因になる」と家主である義父はご機嫌斜めですが、子供達が喜んでいるので強くは言いません。それに、しっかりと根付いたら、親株から切り離して、地面に降ろすつもりです。苺は強い植物です。ただ、栄養が足りないと実が生りません。
そういえば、柊という筆名を使っていたという話をしましたが、当然苗字になります。下の名前も必要なときは「一伍」(いちご)というふざけた名前を使っていました。据わりの悪い名前でした。
アル中といわれても尊称だと思っていたあの頃。
2003年06月07日(土) ハンドルネームとニックネーム 休日出勤している部下が腐ってしまいそうなので、職場に顔を出して励ましているうちに、余計な仕事を背負い込んで帰れなくなってしまいました。でも、仕事にまったく集中できないので(だって仕事しようと思って行ったわけじゃないんだもん)「家でやる」と言ってごまかして抜け出しました。
確かにパソコンしか機材の要らない仕事は、家でもできるのですが、素直に帰るはずもなく、激安カット(といっても東京のように千円ではなく1,600円なんだな、おまけに消費税まで)によりました。いつもと同じように「このまま短くして。前は眉毛、横は耳にかからない程度、後ろは刈り上げないで」と言ったっきり、考え事の中に沈んでしまいます。
隣で小学生が8mmの丸刈りに挑んでいました。そういえば丸刈りは一度も試したことがないな。ついでにブリーチして、いとうせいこうのようなメガネをかけてみたらどうだろう・・・。同じ年だし。これを白昼夢といいます(たんなる妄想か)。
関係ない話題ですが、僕はネットでのハンドルネームをAAのニックネームにしてしまった人間です。もともとは別のハンドルネームを使っていたのですが、主婦の某というライターの筆名と同じ名前だったために、誤解されることがしばしばあって(ファンレターまでもらった)、やむなく暫定的に「ひいらぎ」というハンドルネームを使うことに下のです。そして新しいのを考えるのが面倒なまま日々は過ぎ、AAにつながったときも、面倒だったのでその名前を使ったのです。
AAのメンバーはニックネームと、ネット上でのハンドルネームを別にしている人も多いのです。その理由はなんとなく理解できるのですが、僕の場合は「そもそも自分はネット上では、ず〜っと10年以上<ひいらぎ>であり続けたのだ」という思いがあるものですから、<ひいらぎ>をそのまま使っています。
AAとネットで同じ名前を使っているものですから、「あれは売名行為だ」という意見もあるようですが、僕にはどうしてそうなるのか理解に苦しむのでした。
2003年06月06日(金) 久しぶりのミーティング? 自分のバースディミーティングから約2週間、ミーティングに出られずにいました。
予定でいくと、このまま日曜日の病院メッセージまで仲間の顔を見ない予定でしたが、やっぱりミーティングに出たくなって高速に乗りました。着いてみたら、すでに今度のオープンスピーカーズの実行委員会になっており、皆が準備作業を進めていました。ミーティングじゃなかった。
手持ちブタさんだったので仲間と雑談していました。
アフターは、公民館のロビーで仲間と「引きこもりについて無策でいいのか」と「100%の成功体験を目指しての引きこもり」「必ずしも成功するとは限らない労働の価値について」などについて雑談。
2003年06月05日(木) ジョーニンリジカイ 常任理事会選挙の季節がやってまいりました。
といっても、実はこの時期に選挙しているなんて全然知らなかったのです。
何で知らなかったのか?
今回の選挙の場合、東日本圏(北海道・東北・中部北陸の3地域)から1名、全体サービスは関東甲信越地域から2名選ばれます。偏ってるじゃないかって? そうです。ヒトもモノも偏っているのが現在の日本のAAの姿ですから。
AAには「偉い人」はいませんが、リーダーは必要です。常任理事というのは、このリーダー役を4年背負ってくれる人です。常任理事にはいくつかの資質が必要であるとされています。安定したソブラエティ(日本の場合は7年以上)、ビジネスあるいは専門的な経歴(このビジネスとはAAのビジネスではなく一般社会の商行為)、リーダーシップ(一般にその人が尊敬されているかどうか)、AAの機構に対する理解(そこそこの理解力)、そして必須なのはたぶん「その職務に割ける時間」(どんなに適任であっても、忙しくてAAに時間が割けないヤツはダメ)。
もちろん、この資質を全部備えた人がいるはずもありません。現実の常任理事会の姿を見ていると、最低限必要な資質は「<ぼんくら>と言われ続けても、めげずに続けていける根気」のように思えます。あと、ボランティア活動ですから、時間を割くのと同時に、それなりのお金を割けないといけないのでしょう。
で、被選挙権を持っているのは「全体サービス経験者」すなわち評議員経験者ということです。2回の年次評議会への出席実績と、任期を全うした人に限られます。そして、選挙権を持っているのは、評議会構成者30人(現評議員+現常任理事+2名)。だから、選挙が一般のAAグループやメンバーの知らないところで済んでいるのはやむを得ないのかもしれません。
でも「顔の見えない常任理事」とか言われるのは、理事会の活動内容うんぬん以前に、立候補も選挙も人々の知らないところで行われているからではないでしょうか。
東日本圏にしても全体サービスにしても、立候補資格者は二十数名しかいません。しかも、常任理事の仕事はハードです。だから、ほとんどいつも信任投票になるのも仕方ないのかもしれません。しかも、2名の推薦者を得れば立候補できるというのを、これ以上複雑にするのは現実的でないのかもしれません。
でもやっぱり、(集会か委員会で)その地域のグループが直接選んだ「候補者」を選挙に送り込めるような仕組みにすれば、「私たちが選んだリーダー」として「顔が見える」のではないかと思うのです。
2003年06月04日(水) 日記 口では強がっていても、ほら体は正直じゃないか、へっへっへ。
一昔前の何かではなくてですね、何が言いたいかというと、「寝坊しました」。
口では「大丈夫です」とか言っておきながら、体は思うようには動いてくれません。疲れが抜けていません。朝8時に起きたはずなのですが、起きたら11時でした。その間3時間に携帯電話に仕事の用件やらで電話が入っていたようですが、ぜんぜん起きてません。
コーヒーを飲んでも目がさめないみたいで、コンビニでお弁当を買っても、支払いだけ済ませて店をでてしまいました。そのまま車に乗り込もうとしたところへ、店員さんがレンジで暖まった弁当を届けてくれました。
ひとつ仕事が片付いていないうちに、もう次の仕事の受注にかからないといけません。営業を終わって帰ってくれば、もはや気力も体力もエンプティ。見積もりのための積算をやっているうちに、午後7時半。ミーティングに行くのはもはや体力的に諦めているので、そのまま電気屋さんで『ハリーポッターと賢者の石』を買って帰宅。エヴァンゲリオンの第5話をLDで、くだんの映画をDVDで鑑賞。
以前に1万円弱で買って、しまいこまれていたDVDプレーヤーが活躍してくれています。
2003年06月03日(火) オンラインストアの憂鬱 昔(っていつだ?)に比べて、本の寿命はとっても短くなりました。
アマゾンや紀伊国屋のオンラインストアで、本を検索してみるとわかりますが、「版元品切れ」の多いこと。以前だったら5〜6年は新刊書として在庫があったものが、最近は2〜3年もてばいいほうです。それで、文庫版が出て、それが品切れになったら、はいお終いです。
『プロザック・コンプレックス』という本を見つけたのは、新聞社のデータベースを検索しているところでした。有料検索は契約を止めてあるのですが、無料検索でも結構いろいろな記事を出してくれます。1,500円以上ならアマゾンの送料が無料なんで「買っちゃえ」という決断を下しました。忘れていて、何年か経過してから思い出した頃には、もう遅いという事態は避けたいのです。
ついでにマイケル・J・フォックスの自伝『ラッキーマン』。それから、ついでのついでに小倉優子の最初の写真集も買ってしまいました(やっぱり写真集は中古はいやだし)。で、届く前に出張に行ってしまい、帰ってきたら他の郵便物の束に混じって詰まれていたというわけです。
おぐゆういいっすよ。でも「ゆうこりん」とか「ももか姫」とか名乗るのはやめて下さい(彼女は妄想世界のなかでは「こりん星」の「ももか姫」なのだそうです。ああ、なんか素敵にイカれてますね)。
周りの人には「○○さん(本名)の好きそうなタイプですね」と言われます。決して「いいトシして恥ずかしくないんですか?」とは言われません。アダルトのDVDを買うよりは、無駄遣い感が少ないし。アイドルというのは、絶対手に入らない虚像であるから良いのです。それをオフセット印刷に固着したものならなおさら(語ってる語ってる)。
腹の下から突き上げるような○欲というのは次第に失われつつあります。それは僕が聖人になったというわけじゃなくて、単に加齢が原因なのでしょう。僕の30代はもう数えるほどの日数しか残っていないわけです。
内心は「誰でもいいからお願いします」でありながら、外面は「そこまで飢えていないもん」と振舞わざるを得ず、欲望とプライドの間で煩悶としていた若き日々は、過去になりつつあります。きっと、女子高生と援助交際するなんて人は、お金とヒマと丈夫な欲望を抱えた人なんでしょう。
それでも男はいつまでたっても男ですから、完全に自由になるということはありません。でも、死に至る病人の仲間に入って、人生が本当の意味で「限りがある」ことを知ったときに、コントロール不能な世界の中で、自分を守るためだけのプライドには用が無いことも知らされたのです。
男であるという身もふたも無い事実から逃れられない以上、そして時間がどんどん過ぎていってしまう以上、すっぱい葡萄の論理はあまり役に立ちません。その行動の結果、後悔するかどうかは、たぶん神様が示してくれるでしょう(おぐゆうの写真集はすぐ後悔しそうだけど)。
出版事情を憂えるはずが、また男という病気の話になってしまいました。
土日出張ぶんは代休を取るようにという指示が下りました。ヒマじゃないけど来週は1日だけ休みをもらいます。
2003年06月02日(月) やれやれ 案の定、一週間延びました。焼け石に水ですが・・・。
今回ばかりはトシを感じさるを得ませんでした。現場で立っていても寝てしまい、
「そのまま転んで怪我でもされると、ウチの責任になっちゃいますから」
と言われ、車の中で仮眠しました(暑かったです)。タイワニーズがどやどやとやってきたのですが、日本人を含めて全員がマスクをする羽目になったのは笑っちゃいました。彼らは定期的に体温を測っています。やっぱり日本人感染者第一号とかを出してしまうと、ろくでもない騒ぎになるのでしょうから、皆が神経を使っているようです。
それから予定が延びました。いまさら延びてもらってもうれしくないです。だって、今までのスケジュールにあわせて仕事してきたのですから。ともかく、自分のぶんは、今夜か明日に終わる予定です。来週もう一回来るかもしれませんが、とりあえず明日帰ります。
持ってきた下着が終わっちゃったので、コインラウンドリーで洗濯しました(面倒なので洗剤はなし)。仕事はひどかったですが、ホテルは悪くなかったです。
そういえば、やっぱり遅れ一日につき10万円のペナルティ(遅延損害金)を支払う契約だったそうです。そんなリスキーな契約にサインするほうもバカだと思いますが、それを黙っていて人に打ち明けないところは、さすが「関東者」だと思います。これが大阪の人だったりすると、「おはずかしい話なんですが、ひとつ協力をお願いしますよ」と頭のひとつも下げてきたりするものです。そういうぶっちゃけた話をしてもらうと、そこは「次の仕事もある間柄」ですから、無碍なことは言って感情を悪くするわけにもいきません。無理が通っちゃう。
やっぱり商売というものは上方の人が一枚上手ですね。
2003年06月01日(日) 実世界の理屈 やれやれ、もう6月ではないですか。
しかもまだ帰れないし・・・。
夜中にAAを離れてしまった仲間から電話。
実はこういう人と話し合っても、あまり得るものは少ないものです。
それは、僕が人生の大半をすごしている実世間の理屈の話だからです。
憎しみには無視で、請願には無理解で、怒りには言い訳で・・・。
しぶしぶ愛情を与えるときには、お金か物をすこしだけ。
時間と愛情なんて、人に与えるものじゃなし。
でも、おかげでAAのことで忘れていた用件をひとつ思い出しました。
まだ、帰れません。火曜の予定。
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