ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年12月31日(火) 特別でない一日 なんとか午前中に起きて、年賀状を出しに行きました。
中央郵便局は車で溢れていました。 同じ局内の人には元日に届くでしょうが、他の人には3が日以内に届けばいいほうかもしれません。 ごめんなさい。
部屋の片付けだけでもし様かと思ったのですが、「パパは遊んでくれなきゃだめ」という娘の言葉に従って、近くの公園に遊びに行きました。 子供にはパパと遊ぶ権利があるわけですな。
毎朝霜柱が立っているだろうという地面はふかふかと柔らかでした。
工事の終わった川の両側には人工的だけれど地面が作られ、クローバーが茂っていたので、モルモットの餌に持って帰りました。 越冬する白いサギ(?)が一羽。
僕は自分の部屋の片づけを、妻はキッチンの掃除をして、今年の大掃除はおしまいです。
せっかく大晦日にテレビで第九をやるというのに、ホットプレートの焼肉のジュージューいうBGNに邪魔されて良く聞こえませんでした。 それにしても、のんびり第九で年末なんて、クラシック好きの親父が生きていた頃(僕が独身で飲んでいた頃)以来でしょうか。
「一人でも真の友を見つけた者は共に歌うが良い。 そうでないものは涙と共に去るのだ」
字幕しか読めないぞ。
さて、翻訳のチェックのお手伝いをし、書類の清書をし、報告書に目を通し、MMXのコーディングをするのに、あと5日で足りるかな。 ま、なるようにしかなりませんか。
2002年12月30日(月) ねみゅい どうも、休みで昼間眠れるんだから、夜中活動しようと言う考え自体が間違っているようです。
休みだから、子供も家にいて、朝から騒ぐわけで、結局は睡眠不足のまま、効率悪く動き回ることになるのです。 今夜は早く寝ようと。
本来なら先週金曜日に届いているべき部品が今日届いたと会社から連絡があったので、出て行きました。本来なら、受領証に判を押して経理にまわすところですが、休みの日で性能が確認できない上に、額は車一台ぐらいの値段なので、もしトラブルが起きたときに責任が取りきれません。 しかたなく、先方に「検収と支払いは来年になる」という気の重い電話をかけるハメになりました。 それに、不足している部品もあるし。 驚いたことに、先方の会社もまだ動いていました。 それもこれも不景気のおかげでしょうか。
イチゴのプランターには、モルモットの餌用のイネの藁を敷いてあげました。イチゴ畑計画用に、我が家の敷地内の地面を物色して回ったのですが、狭い街中の住宅に「日当たりの良い地面」があまっているわけもなく、イチゴ畑用地は確保できませんでした。 屋上にプランターを並べようかなぁっと。
年賀状の発売直後には、はがきを用意しておいたにもかかわらず、やっと今日プリンターを稼動させました。「まだ日があるから」と先延ばしにしておくと、「その日」が来たときには忙しくてそれどころでなく、結局モノゴトは遅れ遅れ、という好例であります。途中でフォトインクが切れ、夕方にパソコンショップに駆け込む羽目になりました。 古いプリンターのフォトインクですから在庫量も少ないらしく、売り切ればかりで3軒目でようやくみつけました。
いつもは、一枚に一言ずつ添えるのですが、今年はそのまんま出してしまいたい欲望にかられています。
ねみゅい。
2002年12月29日(日) スタイルシート化 とりあえず、ホームページと一部のページだけスタイルシートによる装飾に変えてみました。
といってもホームページは2段組になっている部分があり、スタイルシートに段組の機能が見当たらなかったので、しかたなくテーブルのままになっています。Netscape 4.7xでも「読めないことはない」状態だと思いますが、あまりに酷いようならメールしてください。 IE6の機能を使いたかったのですが、いまでも「家路」を見に来る方の3分の一は Internet Exproler 5.x を使っているようですので、あきらめました。IEの1.x/2.xではマトモに表示されないことは確認しているのですが、3.x/4.xだとどうなのか、Netscapeでも5.xとか6.xだとどうなのか、とか「凝った装飾」をしようとすればするほど、ブラウザーごとの違いに悩まされることになります。 プロの人は大変でしょうね。
百姓であり、園芸家でもあった父が良く使っていた「種屋」に、年末の買い物のついでに行きました。よく通勤の途中で前を通るのですが、店に入ったのは初めてです。お目当ては、3株のイチゴが植えられたプランターです。 もうすでに肥料がはいっているそうで、雨のあたるところに置けば、特に世話をする必要も無く、ゴールデンウィーク明けにはイチゴが楽しめそうです。 その後は、地面上に置けば、ランナーが伸びて子株が広がり、いずれはイチゴ畑が我が家の庭に出現するという計画です(何年かかるやら)。
とりあえず、1300円で買ってきたプランターはベランダに設置されました。
あと、さくらんぼの木を二本買ってきて(雄株と雌株)、庭でさくらんぼ計画というのもあります。(こっちは消毒とか大変そうですが)。
2002年12月28日(土) 始まった理由 3回目の入院のときに、初めて「自分はアル中だ」と名乗る患者さんと一緒になりました。
まわりは他の病気の人ばかりですから、ふたりでよく話したものです。年齢の差を越えて、「よくもこれだけ、自分に似た人がいたものだ」と思ったものです。精神病院への入院が20回を越えると言うその人の姿は、自分の将来を暗示させるに十分でした。あるとき、彼がポツリと言いました。
「俺も、30代の頃に2年ほど酒を止めたことがあるんだ」
どうやって? と僕は、ききました。 彼は、別に何もしなかったと答えました。医者は役に立たないし、当時はAAなんてなかったし、断酒会にも通わなかった。ただ、止めようと思って、何の苦もなく2年間飲まなかったのだと。そして、その後「何の気なしに」また飲み始めたところ、今度は「どうやっても止めることができなかった」というのです。
その後、数年して僕のソブラエティが始まったのですが、時々不安に思うことがありました。「僕のソブラエティは、AAに通う自分の努力によって得られたものではなく、単なる偶然によって与えられたものに過ぎないのではないか。 あの彼の2年間の断酒のように、僕のこれも気まぐれに過ぎ去ってしまうものではないか」と。
飲まないで生きていく時間が延びるにつれ、社会的な責任がいろいろと増えてきます。それらとのバランスを考えながら、はたして今自分がAAに注ぎ込んでいるエネルギーは、本当の意味でソブラエティを支えるに十分であるのかどうか・・・。今手にしているソブラエティを、もっと大事にしないと、それは指の間からこぼれ落ちていってしまい、僕はまた下り坂を転がり落ちていく羽目になるのではないかと。
今の自分なら、当時の自分にこう言ってあげられるでしょう。
「ソブラエティが始まった理由なんてどうでもいいじゃないか。 大事なことは今日一日飲まないことだよ。 そして今日一日の生き方を忘れれば、始まった理由にかわりなく、ソブラエティの終わる理由はひとつなんだから、心配するな」と。
2002年12月27日(金) 報告書 昨年の秋に韓国のソウルで行われた、アジア・オセアニア・サービス・ミーティング(AOSM)の報告書が2部届きました。 今回の報告書は4名のボランティのかたが翻訳に携わられました。たまたま僕の妻がワープロの練習をしていて、「何かタイプする文章は無いか」と言ってきたので、そういうボランティアならJSOにいっぱいやることがあるぞ! と言ってあげたら、とりあえずやってみよう、という話になり、7月に原稿用紙で30枚ほどの量をタイプすることになりました。 正しくタイプされているかチェックするのは僕の役割でしたが、下訳の誤りが明らかなところだけ、ちょびっと訂正させてもらいました。
もともとAAに興味なんか持っていない妻のことですから、それだけやっただけで「もう勘弁して」ということになってしまったのですが、ご丁寧にも感謝の手紙とともに2冊を無料でいただいたというわけです。
この報告書ですが、各グループにも一冊ずつ配られることになります。本来であれば無料で配られてしかるべきですが、その原資となる献金が不足しているので、実費負担の振込用紙がもれなくついてくることになります。
実際AOSMやワールド・サービス・ミーティングの報告書を読んでいる人は珍しいでしょう。でも、読んで見ればわかりますが、この報告書に書かれていることは、各国のAAが抱えたトラブルの報告です。 他の失敗から学ぶという原則は、個人の回復であれ、サービスの分野であれ変わりはないということなのでしょう。
個人の回復のための12のステップも、グループのための12の伝統も、サービスのための12の概念も、根っこはすべて同じものから生えているのだなぁ、と感じます。
JSOはいつも沢山の仕事をかかえていて大変です。 ワープロ打ちでもボランティアでやってもいいよという方は、連絡をとってみてください。 これもまた「メッセージを運ぶ」作業には違いないのですから。
2002年12月26日(木) 年末 幸いなことに、木曜日で帰ってくることができました。 新年はおそらく6日の月曜からまた「いばらき」へ行くことになると思います。 そして、お仕事の年末年始の自宅へのお持ち帰りも決まってしまいました。 それでも重大な懸案材料を解決しての年越しはだいぶ気が楽です。 明日は、会社の大掃除をして、今年の勤務はおしまいです。
風邪が悪かったので、居酒屋は勘弁してもらって、あまりおいしくない食堂で我慢して夕食を済ませ、ホテルの暖かい部屋でノートパソコン相手にすごしました。
それにしても、ADSL接続の速度に慣れてしまうと、ダイアルアップ接続は遅く感じます。
www.ieji.org はとりわけ遅く感じます。その理由を考えてみました。 ひとつには、サーバーの設定が悪い、という点が挙げられます。しかし、これを勉強するには時間が必要なので、これはしばらくこのままで我慢いただくしかありません。次に、HTMLの書き方が悪い、という可能性があります。 www.ieji.org はやたらとTABLEタグを使っているんです。 これは自分で思ったようにレイアウトして表示したいという願望があって、それを叶える手段が(HTML3.2だと)TABLEタグしかないというわけです。www.ieji.org は基本的には3.2ベースで書いてあり、4.0やスタイルシート機能の利用は限定的です。
しかし現在、ほとんどの人はIE5.xか6.x(か互換ブラウザ)を使っていることは、確かです。TABLEタグがページ全体を覆っていると、それが全部ロードされるまで、何も表示されないので、体感的に遅く感じてしまいます。 ならば、そろそろ4.0とCSS機能の勉強をして・・・、というわけで、帰りの列車の中で、いろいろな装飾に取り組んでみました。 IE6やNetscape7やOperaでは、美しく見えるページが出来上がりました。 でも、Netscape 4.x で見ると「ぐしゃぐしゃ」でした。
どうやらCSS機能の実装にはブラウザごとに差があり、そのへんを吸収するコツがあるようです。
というわけで、しばらく見栄えのための試行錯誤が続きそうですので、内容面での更新は先延ばしになります。
いや、年賀状とか翻訳チェックとか・・・。
2002年12月24日(火) イブだというのに・・・ 午前中はデスクワークを片付け、午後は特急列車を乗り継いで、今週も茨城へやってきました。 いばらぎではなくて、いばら「き」なんですね、すんませんいままでずっと間違えていました。
「あずさ」のなかで喉と鼻がいたくなったので、喫煙車に乗っていたせいかなと思ったのですが、夕食を取り風呂に入っても消えないところを見ると、風邪をひいたようです。 上の娘は週末に入る前から風邪をひいていましたし、下の娘も月曜のおでかけで人ごみから風邪を拾ってきたようです。 それとも、列車の中でひろったのかもしれません。 体温計がないから熱は測れないけど、たぶんあるでしょう。
みんなに広めなくちゃ。
列車の中で読んだ週刊誌に「出会い系サイト」の連載記事が載っていました。
生きづらさの癒しを求めて、という言葉を読みながら、「しらふで生きている人たちも大変なんだなぁ」と思いました。 「アル中にさえならなければ、こんな苦労はしなかったのに」と何かを恨んでいたあの頃。 でも根本は自ら抱え込んだ生き方の中に「つらさ」があったのが原因だったのでした。 安易な癒しは解決にはならないよ、と彼らに声をかける資格が、僕にあるのかないのか、それはわかりません。
AAにつながっている僕も「寂しさ」の癒しを求めている側面は否定できません。でも、すくなくとも自助グループは「安易な」癒しではないぞと。
2002年12月23日(月) 気 どうして鉄板のような肩こりになってしまうのか? というテレビ番組をやっていました。
結論から言っちゃうと、一部分だけ集中して揉むことを繰り返していると、そうなっちゃう。そこだけ血流が良くなって、乳酸が取り除かれても、その先の血流が悪くなっていると、またすぐ血流が悪くなって揉んだ効果が薄れてしまいます。 また、揉むことによるマイナスの効果が蓄積してこれほど硬くなるわけです。
たしかにプロに揉んでもらうと、痛みを感じる部分ではなく、その他の部分もまんべんなく揉んでくれます。その上で、伝播する痛みの元の部分をほぐすことで、根本的な治療をほどこしてくれます。彼らはそれを称して「気」と言っているわけですが、西洋医学からみると「血流」なんでしょうね。もっとも中国に元を発する医学は、すべからく「気」という概念を使うのかもしれません・・・。
時に「気」はバランスであったり、リズムであったり、スムーズさであったりするのでしょう。うつ病も「気」の病気かな。 脳内物質であるセロトニンやドーパミン、ノルアドレナリンのバランスの問題。 そして、生活のリズムの問題。 決して「気分」とか「気持ち」の問題じゃないぞと。ストレスが多い現代では、うつ病になれることは、生存に有利なのだと言う説もあります。
たしかに僕もうつ病になる前の生活を続けていたら、今ごろ死んでいただろうなと思います。神様から与えられた「うつになる能力」。
「うつになるときは、神様があなたにブレーキをかけているときですよ」という医者の言葉もあながち慰めばかりの意味ではないのかもしれません。
2002年12月22日(日) 携帯電話 携帯電話を落としてしまいました。
普段だったら、鳴らしてみればたいてい車の運転席の上に(ポケットから転がり落ちたまま)発見されるのですが、今回はそれもありません。 電池切れ寸前だったので、かけてみても留守番電話センターに飛ばされるだけです。
電池がヘタってきていますので、3日に一度は充電しないといけないという事態にもかかわらず機種変更をしなかったのは、いろんなひとから不要になった充電器をもらった結果、自宅・会社・かばんの中と、3ヶ所に充電器を常備しておき、いつでも充電できる体制だったからです。
しかしどうやらそれともお別れしないといけないようです。
ともかく拾った誰かに不正利用されないように、すぐに回線を止め、翌日機種変更にでかけました。本当は、解約→新規契約のほうが安いのですが、そうなるとまた新しい電話番号を皆に知らせねばならず、「なんだよ柊、また電話変えたのかよ。 面倒じゃねえか。 理由はなんだ、ええ? 女か?」などとからかわれるのもいやなので、しかたなく余計な数千円を支払うことにしました。
買ったのはGPSつき、CCDカメラつきというヤツです。GPS機能は魅力的ですが、使ってみたら「月額210円」という表示が出ました(そんなこと事前には知らされてないよ)。 毎月1200円でパケット代が大割引、という話も「これを契約すると、パケット代金は月々の無料通話に含まれなくなります」という小さな文字を見落とすところでした。だいたい「無料通話ぶん」なんていう用語自体が、不当表示じゃないですか。
こんな楽しいオモチャを手にしながら、十分遊んでいるヒマがないなんて・・・。
2002年12月21日(土) 進行性の病気? 政治的なことには立ち入らないことが原則のこのサイトですが、たまにはそんな話も。
来年の国家予算が発表されました。 これを「会社員のオトーサンとパートのお母さん、それに進学中の子供がいる家庭」になぞらえてみましょう。
お父さんの年収は不景気で去年より53万円減って418万円。 お母さんのパート収入も8万円減って85万円。 この503万円が、一家の収入のすべてというわけです。一方支出は、生活費が年190万円(社会保障費)、子供の学費が64万円(文教費)、子供への仕送りが174万円(地方交付)、家のローン(建設国債)と生活費の借金(赤字国債)の返済が毎年168万円。 当然これでは足りないので、新たに借金(国債発行)を364万円、毎年しているというわけですな。 こんな状況なのに、家の増改築(公共投資)に89万円、警備(防衛費)に49万円をつぎ込んでいるというのは、節約する気がないというか何と言うか。
借金の総額は親が4500万、子供(地方債)が1500万で、一家で6000万円。
こんな借金漬けの生活が持つはずはないから、と一家の長が「新たな借金は300万以下(国債発行30兆円)」と言っていたのに、結局は2割もオーバーしているところが「さすが」です。
将来あきらかに破綻する、とわかっていながら、現在の生活スタイルを変えることができない、というのはアルコール依存の進行に良く似たところがあります。 普通の生活からは、だいぶかけ離れてしまったのに日々起きる問題は、それほど大きな変化には感じられないので、その異常さに気がつかない。
逆に気が付かないふりをしていれば、将来の不安さえも消えてくれるかのような幻想に陥って・・・。この国の経済も、いったん「底つき」を経験しなければ、立ち直れないということなのでしょうか。
2002年12月20日(金) 長野に帰っております とりあえず今週は金曜日で帰ることができました。
帰ると郵便物がたまっている中に、仲間からの手紙も混じっていました。
「10才の子供の1年は人生の10分の1だけど、40才の1年は人生の40分の1」
今年もあっという間に過ぎ去ってしまって、もう年賀状を準備しないといけない時期です。わずかな親戚と、数少ない学生時代の友人に出すほかは、ほとんどがAAのメンバーです。年賀のご挨拶と言うよりは、滅多に会えなくなった人に「今年もなんとか飲まずに年末までたどりついております」という報告を差し上げていると言うべきでしょうか。年末になると印刷ソフトの住所録を見直し、亡くなったという人や、AAから離れて長いことたってしまった人を削除するのはちょっとさびしい作業です。
役割上必要だからという理由で教えてもらった連絡先は、この住所録にはもちろん入っていないのですが、個人的に教えてくれたのか、役割上なのか、判断に苦しむ場合もままあったりします。 (女性の場合には、住所を教えるのは気をつけてくださいね)。
2002年12月19日(木) 居酒屋 予約をするのが遅かったので、昨日のホテルは一晩だけしか泊まることができず、いままで行ったことのないホテルへ泊まることになりました。五千円しないというところに恐怖感がありましたが、冷蔵庫がないことと、電話機がモジュラージャックになっていないので、ダイアルアップに携帯電話しか使えないことを除けば、特に不満はないです。ああ、非常階段を開けてみたら、屋上へ抜けているだけで、地面へはつながっていないようでしたので、火事になったら助からないかもしれませんが。
今夜の食事は、いわゆる居酒屋ですませました。 大都○とか、村○来とか、庄○などのチェーン店ではない居酒屋に入るのはひさしぶりです。 違いは「飲まない人」向けのメニューがないことでしょうか。 飲まなくなっても、酒のつまみの類は好きなので別に困りませんが・・・。 川えびのから揚げとか、揚げシューマイとか、普段の食卓では食べられませんので、それはそれで楽しみです。でも、ひとりだったら居酒屋には入らないでしょうね。 理由がありません。ただ単に楽しみを求めて入るには危険すぎるところだと思います。
目標設定が低くなったので、どうやら明日の午後には帰れそうです。
ほかの外注の人が「忘年会があるので午後3時にはあがりたい」と言っているので、それも良いニュースです。 しかし、忙しくてもそういう理由だと許してもらえる業界というのもなぁ。
メールなどの返事が出せなくてすみません。 これからまだ仕事です。
2002年12月18日(水) 医者によってから出発しました 中央本線の「あずさ」でも、常磐線の「ひたち」でも、すっかり寝ていました。
仕事が終わったのが8時なので、ミーティングはあきらめ、同僚と焼肉屋で夕食にしました。 おなかいっぱい食べるのは、彼にとってもストレス解消だそうです。先日見たテレビ(リサーチ200Xだ)で、男の脳と女の脳という話をまたやっていましたが、男だって話すことがストレス解消になることもあるのです。
ただそのために、目の前の彼にはアルコールというお膳立てが必要なのでしょう。1時間半ほど、「エゴイズム」とか「プライド」とか「病前性格」とかこ難しい言葉を使って「生き方」の話をしました。 といっても、そこは酒席の話、身近な人の生き方をこき下ろしていただけですが。
中庸が一番という結論になって、会計をすまし、店の外に出たところで、思わず「でも、どんな生き方をしても、壁にはぶちあたっちゃうんだよね」と言葉がついて出ました。 彼のいらえは、
「結局その人の好きに生きるしかないってことですか」
たぶんそうなのでしょうね。 正しい・間違っているは神様でないと判断はできないよ。
携帯電話のパケット通信でつないで、切断するのを忘れて風呂に入ってしまいました。
2002年12月17日(火) 出張に行くのに薬がな〜い。 明日から茨城県へ出張です。 とりあえず今週は金曜か土曜までです。
今日は医者へ寄って薬をもらっておかねばならなかったのですが、すっかり忘れてしまいました。 明日は朝一番から出発ですから、このままでは困ったことになってしまいます。 一緒に行く同僚には迷惑をかけてしまいますが、一本遅い電車で追いかけていくことにします。週日になるとあっという間に睡眠不足になる僕ですから、電車での移動は助かります。
メールのチェックは仕事のアカウントをチェックしないといけないので、携帯を使って一日に何回かやります。 ビジネスホテルに帰った後は、電話回線を使ってダイアルアップ接続します。 ので、多分日記の更新はするとは思うのですが、出張中は一日じゅう工場のなかにいるだけで、晴れているか曇っているか、暑いか寒いか、夜か昼かもわからない状態ですから、ストレスフルだけど刺激のある日々にはなりません。
今回行くところは、去年の秋に行っていたところと同じところです。駅前は歓楽街で、ふつうの食堂やレストランが滅多に無いところですから、夕食は同僚と居酒屋か焼肉屋などになります。 酒の匂いをかいでも、強烈な飲酒欲求に襲われることはなくなりましたが、目の前でビールなどごくごく飲まれると、
「うまそーだなー」
「ぼくも、この目の前の一杯を飲んじゃだめかなぁ」となんとなく考えたりします。
たぶん、AAがなくて平穏な生活を取り戻した自分がいたとしても、ここで飲むでしょうね。食べることが一番の解消法なので、ともかく美味しそうなものを注文して食べます。こんなことを数週間続けると、はけるズボンがなくなります。こんかいは、ひょんなことから夕方7時ぐらいに仕事がおわって、茨城のどこかのミーティングに顔を出せるなんて幸運が訪れてくれるのでしょうか?
2002年12月16日(月) オーラの魅力 来るかな、来ないかな、はらはらどきどき。
来ないとしょんぼり。 来てくれればうれしい。 飲んでなければなおさらうれしい。多分、男だったり、おばあさんだったりしたら、ここまで心配しません。やっぱり男であることに支配されてしまいます。
男であることに抗っていたのが、僕の感情の病気の一端だったりもしたのだから、それはそれで受け入れなければいけない事実なのかもしれません。でも、不安定な女性を見れば「守ってあげたい」という感情が湧きあがってきてしまうのは病的なんでしょうね。 僕だってACの端くれですから。
自分の無力さとか、願望の醜さに何度直面しても、それはなかなか収まりません。でも、女性は回復するとみんなふつーのおばさんになってしまいます。若いおねーさんたちは、ふつーのおねーさんになります。どこらへんが普通かというと、深刻なトラブルを乗り越えた(乗り越える見通しがつきつつある)ところでしょうか。 その人の願っているように、どこにでもいる普通の人になる。
その人の背負っている不幸のオーラが薄れていくと同時に、僕にとってはある種の魅力が消えていってしまうことを、残念だなどといったら叱られてしまうのでしょうが。
2002年12月15日(日) なるようにしかならない平凡な一日 この日記を書くのに費やしている時間は、5分〜10分ぐらいです。
日々の棚卸しにはなっていませんが、一日を振り返る役には立っているようです。
妻が「頭が痛い(たぶん睡眠不足が原因)」というので、子供をつれて出かけることにしました。 ラオックスコンピューター館が、いつの間にか家電も売るようになっていてびっくりしました。 パソコンが売れていないって本当なんですね。 売れていても単価が下がっているのは確かなようです。
レンタルビデオで「さくら」と「ハム太郎」を借り、 au ショップでプリペイド携帯をcdmaOne のに交換してもらいました。 実際にもらった移動機はcdma2000なので、これで3G携帯のユーザーがひとり増えたとカウントされるわけですね。
ファミリーレストランで甘いものを食べ、もう一軒パソコンショップへ寄ったのですが、お目当ての部品(冷却ファンの回転数制御装置)は「メーカー在庫切れ」だそうで、しょんぼり帰ってきました。
あとの子守りはビデオに任せ、夕方から一緒にお風呂に入った頃には、妻も多少は元気になったようです。 今夜の晩ご飯はレトルトのカレーだと呼ばれています。
明日は朝一番から朝礼です。 きっと「ボーナスなし」という話なんでしょうねぇ。
まあ、なるようにしかならない、平凡な一日でした。
2002年12月14日(土) 14時間寝てました いろいろ用事もあったのだけれど、起きてみると午後五時でした。
ここのところ睡眠不足の日々が続いていたぶん、どこかで休まないといけないということでしょうか。あわてて英会話のレッスンに出かけました。 今日2レッスンこなせば、なんとか8割以上の出席率を満たして、給付金にありつけ、授業料を貸してくれた妻への返済にあてることができます。
隣のブースに、自助グループ関係の知り合いを見つけてびっくりしました。「どうですか?」と聞かれたので、「楽しいですよ」と答えておきました。確かに楽しかったです。 でも、終わって(ないけどまだ)ほっとしているのも事実です。だって、レッスンと重なっている曜日のミーティングには出られないことが続いていたのですから。
さて、話は変わって Netscape 7.01 がリリースになりました。まだ試していませんが、ポップアップ広告をシャットアウトする機能がついたとか。この日記サイトも、ポップアップ広告が(たまに)出るところが難点です。
年末年始の休みを利用して、日記を本サイトに収録するシステムを構築する予定です。
2002年12月13日(金) もしもの罠 もし自分が砂漠をひとりでさ迷っていて、しかも水筒の水は尽きてしまっている。しかし、あろうことか荷物の中には、ウォッカの瓶が一瓶ごろんと入っている。水分を採らなければ、まもなく僕は死ぬだろう。 でも、手元には水分たっぷり、アルコールもたっぷりの飲み物が・・・、はたしてこれを飲むべきか、飲まざるべきか。もしそんなシチュエーションに陥ったら、僕は飲むだろうか、飲まないだろうか、そんな話をミーティングでしたことがあります。 真面目に。
みんな笑顔で笑っていました。
いや、僕は不安だったんですよ。 自分がどこまで「飲まないでいたいと願っているか」。今ならみんなが笑っていた理由もわかります。
「もしそうなったら、その時に考えるよ」
幸いなことに(というか、当たり前なことに)、いままでそんな状況に陥ったことはありません。
職安に行った妻が、自分のぶんだけでなく、僕のぶんまで求人票をもらってきてくれました。まだ、会社がつぶれると決まったわけでもないのに。しかし、もしこの求人票の会社に入れてもらえたとして、いったいいくらの給料がもらえるのか。そもそも、勤まるのかどうか。
もちろん、「もしそうなったら、その時に考えるよ」。
2002年12月12日(木) 純粋に仮想な自助グループ? 二郎さんのところに投稿しようと秀丸エディタで書いていたら、途中でバックアップを取るときに間違って消してしまいました。 もう一度書き直して、翌朝読み直すと、あえて投稿するまでも無い記事だという結論に達して捨ててしまいました。
netnews でも、文章は投稿する前に一晩寝かせろ、という警句があります。それだけフレームが多いところなわけですが・・・。
この日記を書きながら「心の家路」の準備をしているころ、僕は「ネット断酒」なるものを信じていませんでした。 偏狭な意見と言われればそのものですが、そう思っていたのです。でもそれは、十何年かモデムを通じたコミュニケーションを経験しても、いっこうに文字だけの人間関係がうまく築けない自分の偏見かもしれない、という可能性を考慮するようにはなりました。すくなくとも自分は、ビッグブックとインターネットだけではソブラエティは保てそうにありませんが。
ともかく、現実の自助グループと、ネットでのコミュニケーションは、お互いに補える関係にあることは
確かだと思います。ただ、この「相補的」ということにこだわってしまうと、ネット上でしか接点の無い人々との関係をどう位置付けたらよいか悩んでしまいます。 また、「ネット断酒」の人々には、なにかが不足しているという結論にもなりかねません。
いっそのこと、「オフ会」なるものを伴わない、純粋に仮想空間上にしか存在しない自助グループが
存在すれば、すっきりするのかもしれません。「心の家路」は僕自身のためのテキスト系サイトですが、それとは別に、ネット上で12番目のステップに取り組むための特別なミッションを帯びたグループを用意するというアイデアも浮かびました。なにせ、ぶろーどばんどやらで、ボイスミーティングも、ビデオミーティングも可能な世の中にいつのまにかなっています。
もちろんやるならアノニマスでね。
でもまあ、残念ながら今は忙しいので、2年後に誰もやっていなかったらやることにしましょうか。
2002年12月10日(火) 時間 SF小説の話をしてしまったので、ついついそんな話を。
R.A.ハインラインの小説に 『愛に時間を』 というのがありました。内容はどうでもいいような話でしたが、タイトルだけは今でもよく覚えています。僕にとっては、愛情=時間です。心の中にどんな感情を抱えていても、それを行動に移さなければ意味がありません。憎んでいても、礼儀正しく接すれるのなら、それはそれで良いのでしょう。愛を持っていても、それを現実の行動にできなければ、ひとりよがり。行動のない信仰は、死んだ信仰。
ところが、行動するためには時間が必要で、しかも人間の時間は限られているときています。寿命もあるし、誰にとっても一日は24時間しかない。その24時間を酒に費やしてきた自分は、大変ゆがんだ自己愛(エゴイズム)の強い人間なのでしょう。
さて、愛情に限りがあるかどうかはともかく、時間は有限です。
気持ちだけがあっても、時間を割いていなければ、やっぱり愛を実践していることにはならないのかもしれません。
労働も愛なのかもしれませんね。 もし労働が苦痛との等価交換ならば、働くに値する仕事はこの世にはありません。「大切なのはバランスだよ、バランス」 と、昔スポンサーが教えてくれました。
家庭・仕事・AA・自分のため、限りのある時間と心のエネルギーをどう分配していくか。
あのときのあなたのソブラエティと、同じ長さのソブラエティを僕もいただきました。そして、同じようにバランスの大切さと難しさを感じています。
同じ道を歩ませてくれて、ありがとう。
2002年12月09日(月) 男の頭 どうして女の人というのは、男の脳と女の脳が違うということを理解してくれないのでしょうか。
新聞を読みながら食事をしていて、妻と娘の話にうなずいていたら、「どうしてあなたは、<うん・うん・わかった>しか言わないの!」と怒られてしまいました。でもね、新聞を読むという作業に割り込んできたのは、あなたたちなんだよ。男の脳は、一度にひとつの言語的作業しかできないんだ。話を真面目に聞かせるためには、まず新聞を読むのを止めさせないといけない。
ところが女の脳は違うときている。 彼女たちときたら、テレビを見ながら平気で話をしている。そのくせ、ドラマの筋はちゃんと失っていないんだから大したものだ。ところが、こちとら、ニュース解説者のコメントが納得できるか考えているところに話し掛けられると、どっちの話の理屈も筋もすっかり忘れてしまうんだ。そんなわけですんで、「話があるときは、きちんと声をかけて、注意をそちらに向けさせてから」ということでひとつよろしく、とお願いしてあるのですが・・・。
どうやら、そこまであらたまってする話ってのも、そうそうないみたいなのです。別に、どうでもいい話に時間を割いたってかまわないんですけどね。新聞やテレビのニュースだって、同じ次元の「どうでもいい」話なんだから。
2002年12月08日(日) なにもかも疲れたぞー 会社の仕事も持ち帰ってしまったし、AAの委員会の議事録も細かいことを忘れないうちに書いておかないといけない、それに翻訳のチェックも一日3ページという自分に課したノルマが最近こなせていません。すぐにやる必要はないけれど、評議会の報告書も7年分手に入ったから、少しずつ目を通したいし、そろそろ年賀状の準備もしないといけません。
しかし、体も心もお疲れなので、もう投げ出して寝ることにします。 その前に日記でも書いておこうかな、と思った次第です。あんまり真面目にやるとうつ病になっちゃう(もうなってる)。
病院には二十数人が入院されていました。 司会をやっているとどうしても「先生役」になってしまいがちなんですが、その要素を完全に排除できるほど成長できていない自分を感じます。
夕方から雪になり、明日も降りそうなので、深夜なのにスタッドレスタイヤへの交換をしました。 交換自体は苦にならないのですが、タイヤの格納場所がはるか頭上なので重いタイヤを持ち上げるのに疲労困憊した次第です。
http://8204.teacup.com/m_matusima/bbs の管理人さんが、あちこちの掲示板に同じ文章を投稿したことが問題視されているようです。しかし、それ自体にはネチケットに反する部分はないように思います。 逆にいえば、それを指摘する投稿が匿名でされていることはその文章の価値を下げている点で残念です。
掲示板は誰のものか、という点が無視されているのもちょっと残念なところ。netnews でもそんな話は繰り返し出た話題ですが、コンセンサスとしては「個々の投稿の著作権は投稿者に帰属するものの、全体はそこに参加している人々の共有財産」。人の記事をキャンセルする権限は、参加者から付託されるべきものであって、掲示板の設置と同時に自動的に発生する権利ではありません。
また、俺の掲示板なんだから、俺の好きなことを書く、という理屈なら、この日記みたいなものを書いたほうがよろしいのじゃないかと思う次第です。
まあ、http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a1/iruka.cgi?bluecat での話のように、「宣伝よりはひきつける魅力」でなければならないのでしょうね。もちろん、その魅力は「理想」であって、それに向かって歩く道が回復なんでしょうけど。
2002年12月07日(土) 地区委員会 今日は、地区委員会でした。 年の最終ということで、役員の改選も行われました。
1年間、仲間のしもべを務めてくださったみなさん、ご苦労様でした。新しい役員の顔ぶれを前もって予想できた人は、多分ひとりもいないんじゃないですか? やっぱり、ひとりの考えで選ぶのではなく、皆で選ぶところが良いのでしょうね。残念なことに、すべてのAAメンバーが、AAのサービス活動に参加できるわけではありません。そもそも参加する・しないは自由選択権が与えられているわけなんでが(本当はそうじゃないよ)、したくてもできない、という人も多くいます。
仕事の都合で委員会などに出席できず、また実務に割く時間のない人もいます。サービスに参加できるというのは、ある意味大変に幸運なことなのです。それにしてもGさん、来年も引っ張り出されるとは思ってもみなかったことでしょう。
さて、明日は病院メッセージの日です。雪になる可能性があるので心配していたのですが、どうやら大丈夫そうです。僕にとってはスポンサーと会うチャンスのある、滅多にない機会です。もうあなたに電話をすることもなくなり、そのかわり僕のプログラムは、他の仲間と電話したり文字でやり取りをしたりということに変わってきてしまいました。でも頂いた力に感謝を忘れることは、この先もないでしょう。
ただ、それを言葉ではなく、行動で示すとなると、なかなかあなたの前に顔を出しているチャンスが訪れないのは残念なことです。でも、そのうちにいつかきっと、猫やその他の動物であふれたお宅へ、家族みなで伺うという約束は忘れていません。
2002年12月06日(金) 具体的行動 12のステップには「表を作る」という作業が2回あります。
ひとつはステップ4で、自分自身の「棚卸し表」を作ることがあります。棚卸し表がAAの中で重要視されているのは、それが「具体的な行動」を伴う最初のステップだからでしょう。 (ステップ3も具体的行動という話もありますが、あれは「決心をする」という心の中の話なので、とりあえず置いといて)。 「仲間と一緒に」ではなく、必然的にひとりでする作業の始めとして、通過儀礼的な役割も持っているのでしょう(良い意味で)。「もうひとつ、表を作る作業があるんだよ」と気づかせてくれたのは、ステップ5を聞いてくれた人でした。 「ステップ9の埋め合わせは、<機会あるたびに>だから、する人もいるし、しない人もいる。 でも、ステップ8で表を作る作業だけは、必ずいつかするんだよ」 と提案をいただきました。
実は埋め合わせは、退院したらすぐにでも始めたい作業でありました。飲んで迷惑をかけた人々に、謝って回りたい、許しを請いたいと。しかし、そんな思いとは裏腹に、仲間の提案は 「今のそんな行動には何の意味もない。 ともかく、飲まない日々を積み上げることが、今のあなたの埋め合わせだ」と諭されて、性急さの無意味を知ったのでした。また、自分の 「心からの言葉」 の軽さの事実を知らされた日々でもありました。
いつしかそうした焦りも失い、表面上は静かな日々の中で、自分が過去に関わった人々との関係を再度整理してみる勇気も失ってしまいました。しかし、仲間に追い越されながら、やっとの思いで掴み取った6・7のステップが、「これで良いはずがない」 と僕に伝えてくれます。表を作ります。その先のことは考えずに、ともかく表を作ります。
でもまあ、僕のことですからね。また、ずるする延ばして3年ぐらいかかるかもしれませんが(早くも言い訳)。
2002年12月05日(木) 駅そば 経費削減だと叫んでいるし、仕事も忙しいから・・・と思って油断していたら、横浜の展示会に行って来いと言われました。 業務命令なら仕方ありません。狭い業界ですから、うちの会社の社長の具合が悪いという話は、燎原の火のように広がっておりました。
「危機ではなく、幻想の終わりに過ぎない」
まったくそのとおりで、日々の安全や安定など、自分自身が作り上げた神話に過ぎないわけで、それに安易に安住するから、いざというときに心が対応できなかったのです。帰りの横浜線の中で、仲間が貸してくれた本を読みました。八王子の駅で、立ち食いそばを食べました。何年ぶりに食べたのか、思い出すこともできません。どんぶりの底が見えない濃いつゆを見た瞬間、過ぎ去った年月に思いをはせたりしました。
2002年12月04日(水) 前進はトラブルから生まれる 関東はAAメンバーの数も多く、献金の額も多いので、いろんな意味で活発だという話を常々しているのですが、じゃあ関東がもっとも日本のAAで先進的かというと、そうとは限らないのです。たとえば、セントラルオフィスには有給の職員もいて、電話を受けたりしてくれているわけなんですが、関東甲信越の場合、委員会やら集会やらの議事録の発送を依頼されていたり、ラウンドアップなどの催し物の受付業務をしてもらったいしています。その上、アルコール相談の電話まで受けてもらっているので、当然大変忙しいわけです。しかし、これがオフィスの正しいあり方なのでしょうか? という議論はなかなか深まってこないのですね。
ところが、献金の額が足りなくて、オフィスの運営に苦労しているところだと、本来のオフィスの目的は「12ステップコールのリレー役」なんだから、ともかくそれをやろうという意識が生まれてきます。
「12ステップコール」は、アルコールに苦しんでいる人や、その家族、医療福祉スタッフがAAに連絡を取りたいときに、まずオフィスに電話をかけるわけです(それしか公開してないから)。オフィスはそれに直接相談に乗るんじゃなくて、それを地元のグループに転送する。グループのメンバーはリレーのアンカーとして、相談してきた人と連絡を取り、AAの説明をし一緒にミーティングに行ったり、仮のスポンサーになったりする。各グループが12ステップコールの受け手をオフィスに登録する。そういう仕組みが動き出しているのは、実はグループもメンバーも少ない地域だったりするのです。
差し出すのはお金じゃなくて、時間と手間でもいいわけですな。
2002年12月03日(火) プリンターのインク インクジェットプリンターのインクを詰め替え(正確には注ぎ足し)しました。
僕は紙に印刷されたものを読む世代ですので、十数ページ以上のドキュメントになるとCRTで読むのはつらく、全部プリンターで印刷してしまいます。いったんレーザービームプリンターで印刷に使われた紙は、ストックされて裏紙としてインクジェットプリンターで使われます(逆は不可)。PPC用紙も安くなったので、それほどコスト意識があるわけじゃありません。以前、資源ごみの日に、新聞のチラシに混ぜて大量にPPC用紙を出したら、つき返された苦い経験があるので、排出量を半分に減らそうというだけです。
それにしてもプリンターのインクは高いです。それもそのはずで、プリンター本体は赤字で売って、インクで収益をあげる構造だからです。(いくらデフレでも、あんな精密機械が1万数千円で売れるわけがない)。インクそのものはもっと安く売れる代物なので、当然互換品がでます。それでも高いような気がするので、カートリッジじゃなくてインクそのものをビンに詰めたものを通販で買って、注ぎ足しながら使っているのです。「あんまり注ぎすぎると溢れる」という注意書きがあるのですが、面倒な作業ですから回数を減らそうと思うと、ついつい毎回溢れさせてしまいます。 カーペットがカラフル。
ちなみにインクはアルコール系ですが、毒物なので飲酒欲求に襲われても飲まないようにしましょう。あと、これをやるとプリンターメーカーの保証外になります。修理に出しても、残留インクの成分分析をやって割り出し、つき返してきます。修理費用は新品が買えるぐらいの値段ですから、当然新品に買い換えます。節約になっているのかなぁ。
2002年12月02日(月) 赤字 僕の勤めている会社の会計は9月がシメです。
ということは11月末が、税務署への報告(黒字なら納税)期限となるわけです。10人ほどの小さな会社のくせに、市で一番大きな会計事務所に頼んでいるせいで、いつも順番は一番後回しです。 というわけで、今日の朝礼で社長から報告がありました。大赤字です。 まあ、ワンマン経営の会社の社長&唯一の営業が半年も病気でいれば、会社が傾くのも当たり前かもしれませんが・・・。
来月から賃金カットだそうです。
僕は、家の立っているウチを探して婿養子にもぐりこんだので、住宅ローンはかかえていません。大きな借金がないので、すぐに生活に困るということもありませんが、車のローンはあるので、毎月赤字で、ローン終了を首を長くして待っていたところです。どうしてAAの役割につくと、仕事が傾くようになっているのかなぁ。まあ、いざとなったら維持費の高い普通車は売って、軽自動車にでも乗り換えることにしますか。それにしても、子供たちがこれから学校にいったりするのに、困ったことだなぁと、どうしても気分は暗く沈んでいたのでした。
幸いにも月曜はホームグループのミーティングでした。 テーマは「感謝」。そういえば、「ドクター・ボブの悪夢」に、「仕事はこの不確定な時代には望み得ないほどうまくいっている」と書かれていました。 実際には、Dr.ボブの生活は生涯つましいもの。今日一日のソブラエティとか、あちこち悪くても働ける体とか、新聞読むだけの時間の余裕とか感謝の対象はたくさんありますね。経済的状況がどうであれ、ほがらかにしていないと、幸せは早足でどこかに去ってしまうのでした。
2002年12月01日(日) 相関度 昨年の10月・11月の平日は、茨城県ですごした期間が長かったのですが、今年の年末と年初めも、どうやらそのパターンになりそうです。茨城に滞在することが必須かというと、無理すれば行かなくてもいいわけなのですが、やっぱり「ひとりで滞在」というのと、「ふたりで滞在」というのでは、メンタルな面で違いが出ます。 そして、その部分が仕事の成果を大きく左右するということもあるのです。去年の仕事は結果的には失敗でした。 会社の上からも、経理からも、出張経費の増大を叱られながら、しかも客先に煙たがられながらのプロジェクトでした。でも、それが功を奏したのかは知りませんが、今回は名指しで仕事をいただけたのはうれしい限り。 でも去年の繰り返しになる可能性は大です。
20年ほどもソフトウェアの仕事に携わってきて、いったい何本のプログラムを書き、いくつのプロジェクトにかかわったのか数えることもしませんが、「自分で満足のいった仕事」は2本しかありません。 しかも、その2本は決して周囲の評価は高くないのが事実です。
仕事においても、自己満足度(達成感)と客観的評価は、あまり相関しないのです。ましてや自助グループの中においては・・・。
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