心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年11月30日(土) 真面目に相手をしないように・・・

会社の新人さんの歓迎会でした。
今回の幹事は、「自宅と会社と本屋とパソコンショップが行動範囲」というソフト屋にありがちな人だったので、かわりに周囲のみんなでお店を選んであげることにしました。といっても、みんなそれほど行動範囲が広いわけでもないので、サーチエンジンで検索したり、イエローページ見ながら電話かけたりしただけですけど。 結果として「アジアン飯屋」というところで変なものを沢山食べました。 もちろん日本人好みに変えてあるのはいうまでもないですが。

新聞の投稿欄なんて「当たり前の論理」が書かれているだけなんで、普段は読まないのですが、土曜なので
読んでしまいました。子育てを「負担」として、それを「援助」しようという論理をふりかざすから変になる。(当たり前じゃん)女性の社会進出とか言いながら、パワーゲームの参加者を増やしているだけ。(気が付いてなかったんですか?)
もちろん子育ては現実に大変だから非常用途施設も必要だと思うし、男女共同参画社会に異はないけど、「労働人口が減るから女性に働いてもらって補おう」なんて役人の安易な妄想じゃないの?
人口が減るから土地の需要も減って地価も下がり、製品需要も減るから株価も下がる。景気対策と称して「未来の需要」を先食いしてきたから、当面不景気は続いちゃう。不要な社会資本の整備は止めて(ついでのその部門の政府も縮小し)、あまった労働人口は高齢化社会の対策に当てれば産業効率化は進むし、家庭内に閉じ込められた壮年期の貴重な労働力が市場に出てくるのに・・・。もっとも、労働人口の15%がいったん失業するような政策を唱える政党なんかあるわけないか。ああ考えるだけむなしい。
世の中には巨大な慣性モーメントがあって簡単には変わらないってことを忘れちゃいけませんね。やっぱ、投稿欄なんて読むんじゃなかった。

ちなみに、歯医者はまだ予約していません。


2002年11月29日(金) 歯が痛い

歯が痛いです。
痛い歯は、病院に入院中に「やっつけ」で治療した歯です。それほどまじめに治療しても仕方ないという諦めが、自分自身にあったせいです。やっぱり「やっつけ」治療がいけなかったのか、退院後2年ぐらいのときに再発して、こんどはきちんと治す予定だったのですが・・・、治療があまりに痛いので、「テキトーでいいです」と音を上げてしまった経緯があります。他の人はどうだか知りませんが、安定剤と睡眠薬とアルコールを同時に飲むようなむちゃなことをやってきた自分は、歯科でも麻酔薬の効きが悪いのです。
「これぐらい麻酔薬を注射すれば、痛いはずはないんだがねぇ」と言われながら、また痛い思いをせねばならないと思うと、「歯痛」自体を忘れてしまいたいのですが、痛みは確実に日々増しているのです。また、「歯の磨き方がなっていない」とか怒られるのだろうなぁ。だいたい待合室で読む雑誌がないんだよね。 「山と渓谷」とか置かれてもねぇ。週刊ポストとは言わないけど、せめて週刊朝日か文春くらいは置いて欲しいです。名コラムを書く人たちがどんどん亡くなっていって、さびしいです。
いたひよん。


2002年11月27日(水) 雨の日は良く眠れます。

雨の日は良く眠れます。
空腹に耐えかねて起き出してみると、すでに夕方でした。夕食を食べた後に、雑誌とジュースを買いにコンビにまで出かけてみると、すでに雪に変わっていました。 踏み切りで電車を待っていると、水銀灯の明かりに雪が飛び込んできています。「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」 この歌が出た頃は、まだティーンエイジャーでした。CDなんかなくて、LPレコードでした。 しきりにテレビCMで流れていた頃は、酒代としてテレビを売り払ってしまったので、CMの絵自体は知りません。あれからもう20年も経ってしまったのですね。
来し方を眺めてみれば、ほんとうにいろいろなことがありました。 きっとこれからも、いろんなことがあるのでしょう。

限りのある仕事だと理解はしていたのですが、いざその時が(自分の予想を越えてはやく)来てしまうと、自分でも笑ってしまうぐらい、うろたえるものですね。変えようのないことを、変えようと焦ってみたところで、成果の上がるはずもなく、ただ自分が疲れてしまうだけなのでした。
もし、この部屋の中で、ずっと座っていられるのなら、それも楽でいいのかもしれませんが、20年前と明らかに違うのは、ここに居るよりも、人々の中に混じって、悩んだり笑ったりしているほうが生きている実感(たとえそれが苦しみであっても)と喜びに満ちていると感じていられるようになったことです。

それにしても、雨の日は良く眠れます。


2002年11月26日(火) 空回り

会社での人間関係に疲れたので、一日休みをもらうことにしました。
人間関係というより、「怒っている自分」に疲れてしまったのでしょう。


2002年11月25日(月) アクセスカウンター

アクセスカウンタ・・・気にならないか? ですって?
もちろん気にしてますよ。
気にすまいと思っても、人の評判が気になってしまう病気ですから。アクセス数が減ると、「今日は日曜だからなぁ」(実際に日曜はアクセスが減ります)とか、「大きなイベントがあるからかなぁ」(やっぱ読んでいてくれる人はAAメンバーが多いのでしょうか?)とか、なるべく原因を自分以外のところに求めようと躍起になったりします。



2002年11月24日(日) 東京へ行ってきました

英会話のレッスンは実はあと8レッスンだそうです。
年内に終わりそうなので、まあAAの関係と重ならなくて良かったかなと思っております。

朝に家を出るときは、夜明け前の空に金星が美しく輝いておりました。初めて乗った高速バスですが、意外と揺れないものですね。家を出て4時間後には、もんじゃ焼きで有名な月島に着きましたが、すでに委員会は始まっておりました。 委員会そのものにはオブザーバーなので、オフスタンスでいられるのは楽でしたが・・・今度からはそうもいかないのね。 午後の引継ぎも予想より短かったため、3時間ほど時間があまってしまいました。 いくら東京の真中とはいえ、そんな都合良く参加できるミーティングがあるわけもなく、セントラルオフィスへ寄らせていただきました。

見知らぬ仲間といきなり話ができるのが、この集まりのいいところですね。
ひとしきり話をした後で、「ところで僕は○○の○○といいます」と紹介するあたりは、なんかパーティーでの会話のようだなと思ったりもします(そんなもんじゃないけど)。
他の地域のオフィスや委員会の議事録を読ませていただきました。僕の属する甲信越は、関東地域に組み込まれている点で、大変恵まれています。田舎ですからメンバー数も少なく、献金もろくに集まらないのに、首都圏にたくさんいる仲間の献金とマンパワーで、オフィスの維持を含む様々な地域サービスの恩恵にあずかっているのですから。マンパワーもお金も少ない状況で、広い地域をカバーするために苦労している人々には、具体的には何もできないかもしれないけれど、その苦労だけは理解してあげたいと思った一日でした。


2002年11月23日(土) 早寝します

JSOのNPO法人化というだけでも、たいぶんいろいろな問題をクリアしないといけないのですね。
資料は明日、バスの中で読むことにして、そろそろ寝ます。FOOTPRINTS IN THE SAND (砂の上の足跡)を収録しました。


2002年11月22日(金) それは「棚上げ」とは違うな

最近、リンク集の更新と、新聞の切り抜きしか更新してません。
もちっと、オリジナルな更新を目指そうと思うのですが、なかかなネタもなくてですね・・・。それでも、(AAのではないですが) Footprints in the sands という詩を収録するめどをつけました。それと、「個人的見解」に「いったいいつまでミーティングに通わなきゃいけないのか(AAに卒業はあるのか)?」というテーマを加えようともくろんでいます。 たった数年のソブラエティしかない僕が論ずるには、あまりに無謀なテーマですが、あくまでも「個人的見解」ということで勘弁していただきたいとおもいます。 (ここで概略を書いちゃいますと、「人それぞれでいい」なんだけど、やっぱり世の中ギブ・アンド・テイクなんだよって結論です)。
あと、以前に流した 90 tools for sobriety (ソブラエティのための90の道具)も、ひとつひとつを取り上げながら、雑文を書いていくという企画も考えました。 訳自体は、すでに他のメンバーによるものが出回っていると思いますけど。

「おまえは、そんなことしているヒマはないはずだ」と言われそうですが・・・、事実そのとおりで、たぶん
ここに挙げた更新も、いつになるかはわかりません。言い訳をしますと、これも一種のストレス解消といいますか、逃げといいますか。ほら、仕事が忙しくなってくると、「お気に入り」の整理がしたくなったり、なぜかデフラグをしたくなったり、メールアドレスの整理を始めたり・・・・。 それと同じです。 (え?僕だけですか?)

まだまだ回復がたりませんなぁ。


2002年11月21日(木) おおまかにあきらかにする

「(あなたは)ものごとの原因や経過とか、現状を簡潔に話す能力があってうらやましい」
という(主旨の)言葉を言われました。 自分ではとてもそうだとは思えないのですが・・・。ただ、AAのミーティングでは繰り返し同じ過去の話をします。ミーティングの数はたくさんあり、思い出せる過去には限りがあるので、しかたなく、同じ事実を視点を変えながら何度も話していくうちに、その時その時の自分の理解を話すことは「癖」のようなものになりつつあります。 それはあくまでも「自分の理解」であって、事実とは違うかもしれないのですが・・・。

それとは別に、「他の人の話が終わるのを黙って待つ」という能力も(少しだけ)与えられました。それが自分の意に添わない話であっても。嫌いな人に対しても、礼を失しない態度をとることとか。(「嫌いな人」がいるというだけで、まだまだ回復が進んでいないことが判りますが)。まあ、病気でないふつうの人なら、やすやすと成し遂げられることなのかもしれません。でも、不完全でも身に付けられたものは、ミーティングを通じて与えられたものであります。


2002年11月20日(水) 予定ではあと16回

予定ではあと16回、英会話のレッスンに出席すると、それから解放される予定です。
たぶん、あと4回は休めそうです。 が・・・、12月の9日以降はずっと茨城にいる可能性が高くなってきておりますので、予約を土日にずらさないといけません。すると、土日が憂鬱になってくるというわけです。茨城滞在中は、夕食が毎回居酒屋になる可能性が大です。 悩みはアルコールの問題というより、偏食による体の不調と肥満です。 今回は水戸のミーティングにいけるといいな。

そういえば、やっぱり戦争になるのでしょうか?
やっぱり石油製品は高騰するのかな。 ガソリンの買いだめはできなくても、灯油は買って置いたほうがいいかもしれないですね。 もっとも、ポリタンクを買い足すほどの差がでるかは疑問です。 まあ、占い師ではないので、未来のことはわかりませんが。


2002年11月19日(火) のろい?

妻の車ですが、直ってきております。 さすがに15年前のモデルですので、バンパーはみつからなかったようですが、その後のモデルのバンパーが合ったみたいで、無事に今後も走りつづけられることとなりました。 物損部分は保険が適用になり、診察代金は相手の方に負担をいただきましたので、ともかく金銭的損害はほぼありませんでした。

今朝は資源物ゴミの日でした。 飲んでいた頃は「呪いの日」でしたね。 一ヵ月分のビンやら缶を捨てねばならないのですから・・・、もちろん飲みつぶれて出せずに数ヶ月ぶん溜まることもザラで、ゴミだめのような部屋になりました。 ゴミの分別収集まで憎んでいたあの頃。
さて、最近の我が家から出る資源物は古新聞・古雑誌が主で、重いので夫婦共同で出す約束ですが、まあこれほどあてにならない約束はありません。 今朝も寝過ごしていましたら、隣の部屋から内線がかかってきました。 「起きられないから、あとよろしく」。どうやらまたウツのようです。 しかたないので、ゴミを出し、朝食を作り、下の子はおばばに頼み、上の子は保育園に連れて行きました。 オトーサンがつれてくるところも多いですね。

スーパーで夕食の買い物をしたのですが、改装でお惣菜売り場の位置が変わってしまって、みつけられなかったので、しかたなく、ちゃんこ鍋の材料とスープのセットを買って帰りました。まあ、起きてきた妻が喜んで食べてくれたので良かったです。 しばらくは出来合いの惣菜でごまかせますが、そのうち飽きるでしょう。 はぁ〜。「男の料理」にケチをつけたおかげで、呪われたかもしれませんね。



2002年11月18日(月) 雑誌

ミーティング帰りに、本屋さんに寄りました。
18日はソフト関係の雑誌が沢山出る日ですから。主に不得意なUnix関係(じゃWindowsが得意かというとそうじゃないけど)の雑誌を何冊か買います。ふとみると、「男の料理」雑誌が目に付きました。「食べたい料理があったら自分で作りなさい」という妻の提案?に沿って、食べたいものは自分で料理しないと、外食でもしないと口に入りません。でも、こういう雑誌ってしばらく買ったあとで、読まなくなりました。
やっぱ「酒のつまみ」みたいな料理も多いし、男は酒を飲むものだ、みたいな先入観念があるみたいで、「この料理とワインの組み合わせを味会わないひとなんて、カワイソウである」なんて、書かれていると (うるせぇな) なんて思ったりして。単なるひがみですが。最近は料理をするヒマもなくて・・・(寝るヒマはある)。
SCORAHのページのWebマスターさんと直接お話をしまして、「今後管理はしない」そうですので、リンクを削除させていただくことにしました。



2002年11月17日(日) 集合的良心

沢山のグループや仲間の意見を集める役目を任されました。
今回僕が選ばれたのは、僕自身の人徳によるものではなく、常に少数意見をも全体に反映させようというAAの持つ集合的良心が表明された結果だと考えています。東京までの物理的な距離は遠く、それはいかんともしがたい現実ではあります。しかし、信任投票ではなく、選挙となったおかげで落選した仲間が出たことは、僕にとって真剣に受け止めねばならない結果です。 単なる「数合わせ」や「次までのつなぎ」という、(あいまいながらも、いざというときの)逃げ道を用意したスタンスよりも、もっと積極的な行動が求められていると考えていいでしょう。 ここ2〜3日の悩みは、その決意が自分にあるかどうか問いかけていたのかもしれません。 結論として立候補の取り消しはしませんでした。
まあ、体力と精神状態と金銭の許す限り、なるべく多くの場所に出没したいと考えております。(信任だけの場合にも、それほど消極的だったわけじゃないですが)。

「2年遅いぞ」と叱られましたが、僕にとってこの2年は霊的な旅の端緒を探す2年でもありました。(AAのことで)東京に行くのは今年は2回目、昨年はゼロでした。 2年間「足が止まっていた」僕にとってそろそろ動け、というお話なのかもしれません。(一般にAAメンバーの離婚率は低いそうなのですが)「アメリカでは、評議員になると離婚率が上がるんだって」 という仲間の話がありましたので、帰宅後に女房どのにご報告申し上げましたところきわめてご機嫌ななめでした(この話が出たときからそうだけど)。
家庭が崩壊したら、だれか拾ってください。



2002年11月16日(土) 今夜は早く寝ます

> 彼らの言っていることが全部本当であろうと、半分本当であろうと、
> あるいはまったく的外れであろうと、
> どんな場合でも私たちは同じように不愉快である。
なるほどね。
今週は立派なエンジニアにお会いしました。 自分の失敗を話すエンジニアでした。

平日の朝出勤して、最初にやることは、自分のお茶を入れることです。仲間のミネアポリスのお土産が毎日使われています。そのお茶を繰り返し夕方まで飲んでいると、夕方にはずいぶんお腹がすきます。途中で何かおやつを食べないと、集中力が切れます。ところが、朝から150円のジュースのペットボトルをお茶代わりに飲んでいると、不思議と夕方になっても、それほど空腹は感じません(固形物がないから腹は減るけど食欲は・・・)。一日に2本も飲むと、夕食なしで残業を乗り切って帰ったりします。やっぱジュースってすごいカロリーなんですねぇ。
もっとも、もっと高カロリーな液体を365日飲みつづけていたんだものなぁ。



2002年11月14日(木) べんぴっぴ

憂鬱な気分の原因の一つには「便秘」がありました。
いや、笑ってはいけません。 僕らは(特に男は)肉体の些細な不調が精神に与える影響を軽視する傾向があります。 たとえば空腹が飲酒欲求を増進することもあります。睡眠不足は、苛立ちの原因の一つになりがちです。ま、便秘が解消しても、相変わらず憂鬱なんですがね。

例の選挙ですが、立候補者がひとり増えたそうですんで、信任投票ではなく選挙になるそうです。僕は他の方がどんな人なのかまったく知らないのですが、僕よりも活動していただける方であるならば、そういう人を積極的に応援したい気持ちではいるのです。だからといって、安易に放棄することなどできはしないのですが。悩ましいところです。
何よりも悩ましいのは、ねぼすけの僕が、日曜日の朝6時前に起きられるかどうかです。


2002年11月13日(水) ???

昨日の日記。 合計しても11人になりませんが、記述から漏れたお一方は、現在断酒会でご健在です。

うつなのでしょうか? 何もやる気が起きません。でも、不思議なのは、人間と話をするのは楽なのです。普通、うつの時には人と話をするのが一番苦痛だったりするのですが・・・



2002年11月12日(火) 思い出の写真

本棚の上に、僕の1年のバースディミーティングのときに撮影された写真が飾ってあります。
仲間がプレゼント代わりに贈ってくれたものです。 写真の前は、娘たちに与えるお菓子置き場になっているのですが、娘たちは、その写真の意味を理解することはまだありません。写真には(僕を含めて)12人の男が写っています。 僕のほかの11人は、その後どうなったのか・・・。3人は現在もAAの中で元気です。 ただ、この三方はあの時点でもすでに安定したソブラエティを手にしていた人々でした。 別の3人は、(たまにミーティングに顔を出すだけで)AAを卒業してしまった人々です。ただ、たまに消息を聞く範囲では、元気で過ごされているようです。東京の施設に行かれて、その後どうなったのか詳しくは知りませんが、AAで元気にしている人がひとり。現在は入院中という人が二人。 そして、亡くなった人がひとり。平均よりずっと良い数字でしょうね。全員消息が判っているというのも、珍しいことかもしれません。



2002年11月10日(日) 所詮は夢の話

ちなみに事故にあったのは僕の車ではなく、妻の車です。
昭和62年登録車ですので、15年前のモデルです。 現在は、中古部品の流通がオンラインになって全国規模で流通している層なのですが・・・。さすがに、全損したフロントバンパーの代えは見つからないかもしれません。その場合には、残念ながら廃車にするしかありません。新車購入となると、破綻寸前の我が家の経済に重くローンがのしかかることになりそうです。と言いながら、車の選定は(夢に過ぎなくても)楽しいものです。マイナーチェンジされたスバルのインプレッサの、一番安いモデルは、ついにベース価格が120万円を切りました。 エンジンや駆動系さえ違うものの、ボディ構造や、基本的なサス構造はWRCラリーを戦うマシンと同じものです。 楽しそうですなぁ。

まあ、ホンダがフィットの自社登録を大量にやっているみたいなので、来年あたり新古車が放出され始めたら、それになってしまうかもしれませんが。なんて思っていても、今の車が修理できるのが最善なんですがね。

新聞の切抜きを一枚収録しました。



2002年11月09日(土) ひちごさん

メインサイトの移転の作業だけで、だいぶ時間を使ってしまいました。
もともとは、長野グループのオープンスピーカーズに泊まりで行って、お餅を食べたり、仲間と深い分かち合いをしたり、四角いジャングルで戦ったりするつもりだったのですが・・・。子供の七五三でした。 (こちらでは「ひちごさん」となまるのです)。七五三を放り出して、お出かけしてしまうのでは、飲んでいるのと変わりません。写真館に写真を撮りに行きました。 月々いくらかずつ支払って、年に1〜2回写真を撮ってもらうという契約を交わしているのです(我が家には完全な贅沢ですが、これも義理です)。おかげで今回は特別な出費がなかったのですが・・・。二人の娘に着物を着せて写真を撮るだけで2時間もかかりました。朝から雪が舞う天気で、お宮参りもそこそこに帰ってきました。
お祝いの席も今回は特には設けず、夕方ジジババも含めて回転寿司に行って済ませました。



2002年11月07日(木) NPO法人?

断片的な情報しか持っていないんで、わかんないんですが、断酒会のNPO化って個々の断酒会を全部NPO法人化するって話なんでしょうか?(たぶんそうでしょうね。 すでに財団法人として法人の資格を得ている全断連をわざわざNPO法人にしなくても良いでしょうから)。県断連の単位はもう済んでいるんですよね。 以前NPO法人関係を調べていたときにぞろぞろヒットしましたから。

AAは完全に「任意団体」なんですが、サービス機構だけはNPO法人化という話が進んでいます。 ただ、AAそのものは決して法人化されることはないでしょうが。聞いた話によれば、NPOとは書いた字のごとく「利潤を上げることを目的とせず、(当然ながら収益を会員間で分配しない)組織」ですから、AAも断酒会もその点ではすでにNPOであります。 法人格うんぬんは法律・行政上の話に過ぎません。まあ実際のNPOにはいろいろ要件があるのでしょうが。
さて、PTAのような任意団体(これはたぶんNPOとは違う)にも法人格を与える方針で話が進んでいるとか。


2002年11月06日(水) 実験を拒む科学者

今日は朝から苛立ちを抱えていました。 昨夜の残りです。
いえ、原因は大したことはないのです。 パソコンの不調です。僕のパソコンを車に例えると「エンジンと駆動系は高性能でよく整備されているけれど、車内はろくに掃除されていなくて埃だらけ」とでも言いましょうか。 だから、すぐにトラブルが起こるのです。 パソコンも自分自身の心と同様、毎日のケアと整理整頓が欠かせません。でもそれができないのが人間なんですがね。
そんなわけで、昨夜はやりたいこともできず、やらねばならないこともできず、ともかく応急処置だけして寝たのでした。 普段は、昨日の事を引きずらないことにしている自分ですが、今朝はどうもいけません。朝のコーヒーをのみながらふと見ると、本の原稿が目に入りました。「祈りと黙想の効果を否定する人たちは、自説を否定する実験を拒む科学者に似ている」なるほどね。 こういうのをAAでは「偶然」と呼ばずに、「ハイヤーパワー」と言うんだろうな。効果は?
もちろんありましたとも。


2002年11月05日(火) 神の視点

自分が「良い子」でなければならなかったあの頃。
周りの全員がレフェリーで、僕を採点していると思っていた。どうやら、いつも不合格のようだった。とても自罰的だったけれど、それしか生きていく術を知らなかった。自分が「何でもできるすごいやつ」だったあの頃。「すごいやつ」でなければならなかったあの頃。いくら結果を出しても、誰もほめてはくれなかった。こっけいなほど高慢だったけれど、それしか生きていく術を知らなかった。まったくかけ離れた、両極端の生き方に思えたそれぞれが、実は同じ問題の表と裏に過ぎなかったことを知ったのは、どちらの生き方にも行き詰まって、どちらも笑い飛ばす術を教えてもらってから。

try levitation!

10メートル上空に浮かんで、自分の生きてる姿をみおろしてごらん。思わずクスクス笑っちゃうぐらい、バカな生き方をしている自分が、そこにいないかな? 「神の視点」は役に立つよ。「ご苦労さん、もういいよっ」と拾い上げてもらう日まで、この地上をテケテケ走っていこう。


2002年11月04日(月) 先行く仲間

僕がステップの4・5を終わらせたのは、ソブラエティが2年半ぐらいのときでしたから、AAの中ではかなり遅いほうでしょう。 周りからも、スポンサーからも「飲まなければいいというものではないぞ」と脅されすかされながらの実践でした。(皆さん心配してくれてありがとう)。それが終わったと報告したときには、スポンサーは手放しの喜び様で、「俺の役目もやっと終わった」と肩をなでおろしていたようでした。 その後は二人の距離は広がっていってしまうのですが、当時にもらったアドバイスは今でも忘れていません。 それは、彼自身がスポンサーからもらった言葉として僕にプレゼントされた言葉でした。

「『先行く仲間』にはなるなよ」

それが具体的にどんな意味を示すのか、解説をしてはくれませんでしたが、僕には常なる戒めとして残る言葉です。 自らの回復を誇るような高慢に陥るなよ。 楽に生きていけるようになったからと言って、あたかもそれが自分のなし得たことだと思うなよ。 いつも苦しむアルコホーリクから目を離すなよ。新しい仲間からもらえる恵みに感謝しろよと。 一緒に苦しめ。 専門家になるなよ。年数なんて何の意味もねぇぞと。いつでも新しい視点を加えてくれる言葉として大切にしています。これほど実践の難しいこともないですね。

「タダで貰ったものは、タダで返せ」

回復に値札はついてないんです。 でも、タダより高いものはなし。



2002年11月03日(日) 交通事故

『さくら』のビデオを返す期限の日なので、午後は家族でお出かけの予定でした(ツタヤとユニクロ)。でも、疲れがたまったせいか、頭が痛かったので、1時間ぐらい休ませてもらうことにしたのですが、起きて見るとすでに夕方でした。 (置いていかれたかな)と思っていたら、妻が帰ってきて開口一番、「車ぶつけちゃった」聞けば、駅前の渋滞の中、信号のない交差点で、前に空いたスペースを埋めようとして発進したところ、横から飛び出してきたワンボックスと接触事故になったとか。
相手の車の横っ腹に突っ込む形になったようですが、相手はシェル部分なんでボディがゆがんだ程度のようですが、こちらはフロントのクラッシャブルゾーンですから、派手に破損しています。もう警察にも寄ってきたというので、あとは保険屋に電話をかけるだけです。妻の話からすると、ローギアでクラッチミートした直後ぐらいなので、ほとんど速度は出ていなかったはずですが、子供たちが頭を打ったということで、保険屋の指示で緊急医に行くことになりました。というのも、成長してチャイルドシートが合わなくなったのに、ジュニアシートに買い換えてないせいでシートベルトが締められず、高い位置に座っているだけだったり、立っていたりしたせいで、ヘッドレストやダッシュボードに全身をぶつけたようなのです。

「健康保険は使えません。 しかも、自由診療ですから、通常より高くなります」と言われても、他に行く病院がないんだからしかたありません。 下の子は額をぶつけていましたが、「自分で歩けるなら脳内出血の心配はないし、CTの放射線の害のが大きい」ということで「打撲」。 上の子は首を曲げると痛いと訴えるのでレントゲン撮影をしましたが、骨に異常はありませんでした。

「骨に異常がなくて、首の痛みがあれば、ムチウチの診断をするしかないんですよ。 それが詐病でもね」
とは医者の余談でした。「頸部挫傷」。診察の間も遊びまわり、病院にいるのが恥ずかしくなるぐらいでした。会計で、負担率200%という請求書が出て、合計3万数千円となりました。事故は防げなかったかもしれませんが、シートとベルトをしていれば、余計な手間と出費は防げたはず。
シートベルトを締めましょう。



2002年11月02日(土) さむさむ

えー、ゼビウスはナムコだよん、と仲間に教えてもらいました。 お〜、そうだった。
(休みなので)お昼ご飯を家族で一緒に食べながら、娘たちの見ている『カードキャプターさくら』のビデオを見ていました。 (ひいらぎは「をたく」なので、深入りしないように気をつけています) アニメの登場人物の心理描写ってわかりやすいですよね。 それは、ジャパニメーション特有の約束事に過ぎないのかもしれませんが、「楽しい」「悲しい」「ムカついてる」「気にしてない」「落ち込んでいる」などなどを判りやすく伝えてくれます。それも現実の人間にはありえない魅力なんでしょうね。 だからこそ、それを脳内恋人にできるわけなのでしょう。 対処がしやすい=コントロール容易、なのかな。

現実の人間は、そんなに内部状態が外部から、判りやすくありません。 にこやかにしても怒っていたり、すねていてもかまってほしかったり。 迷惑だけど、ありがたがってみたり。僕みたいに「相手の気持ちになって考えられない」病気だと、(こういうことをされたら、こう感じてしまう)ことが想像できないせいで、相手の心の中は、外から観察することでしかわからないのです。そして、それはしばしば裏切られる結果となる・・・・。かといって、自分がこれだけヒネクレ者なのに、他の人にアニメのキャラ並に素直になれってのは単なるわがままに過ぎません。

信州はいつもより早く冬になっています(他の日本もそうでしょうね)。夜中に電気毛布を探しても見つからないので、「湯たんぽ」にお湯をはりました。あったか。


2002年11月01日(金) いけないいけない。

長野グループのオープンスピーカーズには、泊まりでなくても日帰りでいく「つもり」ではいたのです。が・・・子供の七五三と重なっていました。最近PDAで予定を管理しないといけないほど忙しくなかったので、ついついスケジュール管理を怠った結果がこの有様です。 まったく。 行けなくてすみません。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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