心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年01月31日(金) 過酷な仕事

やっと一週間が終わりました。 それでも、普通に机で仕事ができる普通の一週間でした。年末からずっと仕事で無理を重ねてきたのは、少なくとも1月の終わりから2月の上旬いっぱいは精神的余裕のある状態で資料を読んだり、人と話をしたりメールを書いたりできる環境を作っておきたかったからです。 おかげさまで、ゆとりができました。
「この時のために1年をかけて準備してきた、それでも足りない」という人もいるのですが、「夏休みの宿題型」の自分としては、直前に資料を読み込んで頭をそれ一色に染めていくというやり方しかできません。 もちろん過去の記録は正月から読んではいるのですけどね。
それにしても、常任理事会・全国評議員というシステムは、いまの日本AAにとって頭でっかちだという意見もありますが、やっぱりそれがあってこそ機能しているAAだとも思えます。例えば年間の収支にしても4千万以上のお金が動いているわけです。 これには各地のセントラルオフィスや委員会の会計は入っていない、ゼネラルサービスだけのお金です。それでも足りない。 なぜ足りないのか、どうしてもっと献金がいるのか、説明する人が必要です。
どうお金を振り分けていくのかも、一部の人たちに任せておいて良いことではありません。常任理事も評議員もレベルが低いと言われますが、低いなりにやっていかなければ、声の大きな人の意見ばかりが通る集まりになってしまいます。一年間かかけて意見を集めていって決め、一年間かけて説明して回るというわけです。
非営利・アマチュアでの民主主義とは、一部の人間に「過酷な仕事」を強いるものだなぁと思います。その覚悟も無く、またしばらくサービスからも離れていたのに、ひょっこり評議員になっちゃって直前になってあたふたしているようじゃ「ダメ評議員」と言われても仕方ないかもしれません。ともかく最低限、評議会に出席するだけでもいいから、と甘言にだまされた、などと言い訳しても責任は消えてなくなってはくれません。
ともかくやるだけやってみます。
(家庭が崩壊せずに、うつ病で入院したりしない範囲でね、と防衛線をはっておく)。


2003年01月30日(木) Thank you!

「最初から誰かをアテにしちゃいけません」

「自分で何もかも決めないで、仲間と相談していけば、細かい点は決まってくるから」

あー、サジェスチョンありがとうございます。 だいぶ良い方向へ行っています。さすがに経験の違いを感じました。お礼に海の向こうのAAの言葉を差し上げますね。

「15年目と、25年目と、35年目は危ない時期だそうですので、気をつけてください」

明日一日こなせば、やすみだー。


2003年01月29日(水)

便秘と下痢の繰り返しです。
ひと月あまりの居酒屋夕食生活が祟っているのかもしれません。相変わらず妻はうつ状態で、夜中しか活動しないので、お昼はコンビニ弁当だし。(出張にずっと行っててくれたほうが良かったと言われています。 元気で留守が一番?)
もともと、過敏性大腸炎だったし、うつの人は便秘と下痢になりやすいというし、VDT作業者もそうだというし、医者は薬の副作用かもしれないと言うし、なによりもストレスが原因かもしれません。 あれ(2泊3日の会議)が原因ですよ。
ストレスについては、仲間からこんなページを教えてもらいました。
http://members.jcom.home.ne.jp/kisono/stress/stress.htm
昔なら「ストレスに弱い」と言われただけで、プライドが傷ついたかもしれません。いや「しれない」じゃなくて、確実に傷ついたですね。そのうち、ストレスを理由に飲み始めるようになって、最後には飲酒がストレスの最大の要因になっていたわけです。
「お酒を飲まなければ良い人」と言われたこともあったけど、逆にいうと「酒を飲むのが最大の欠点」だったのですね。
おなかいたひ。


2003年01月27日(月) 自助グループの中での共依存

男が悪い、女が悪いというわけじゃないけれど、断酒会と違って本人だけのグループであるAAが抱える構造的な問題というのがあると思うのです。新しくきた女性の仲間の後を、男性メンバーが追い掛け回すようなストーカー行為はこれは犯罪なんで論外ですが、もっとありがちなパターンの例です。
例えば長いソブラエティを得た男性メンバーでも、新しくきた女性の仲間に「助けてあげたい、守ってあげたい」という感情を抱くことは不思議ではありません。 しかしこれが問題の元です。男には男のスポンサー、女には女のスポンサーという原則はトラブル回避のためです。でも「厳しいことを言う」同性(女)のスポンサーよりも、「優しく受け止めてくれる」異性(男)のほうを向いてしまうのは、人間としては仕方ないことなんでしょう。
でも、共依存が「問題を起こすことで相手を支配しようという人と、世話することで相手を支配しようとする人との硬直した二者関係」だという話を鵜呑みにするならば、まさにこれは新しい共依存の始まりになってしまう可能性を秘めているのです。
こうなっちゃうと何のための自助グループだかわからない。 という話を東京の女性の仲間と話をしました。そもそも「助けてあげたい」という感情自体が、本質的なコントロールへの渇望から来ている可能性があったりするのでしょう。
もっとも、これは男女のかかる問題だけじゃなくて、男同士や女同士でも、べったりお互いにもたれかかりあったスポンサーシップもあったりします。かく言う僕だって、時には手を差し出す側として、時にはすがる側として、周りの仲間に迷惑をかけまくってここまできたわけです。
こうした問題を自助グループから取り除くことは多分無理でしょうね。 忍耐強い改善で満足しなければならない、という点では個人の回復と似ているのかもしれません。


2003年01月26日(日) ぽるてーく

行って参りましたJSO。 用事があって行ったのですが、ついでに収穫をいくつか。
まずはポルトガル語版のビッグブックを入手しました。やっぱり長野県内にも日系ブラジル人の方は沢山来ていて、僕もそういう人と一緒の職場で働いていたこともあるのです。 当然中には依存症になってしまう人もいて(女性が多い気がする)、病院に入院されます。 でも、3世ぐらいになっちゃうと、日本語は(もし話せても)カタコトぐらいですから、適切な治療(というか病気の説明)を受けているとは思えないし、保険もきかないからすぐ退院して行ってしまいます。 せっかく日本に働きに来たのに、多分ろくに働けずに帰る羽目になっちゃうんだろうなぁ、と残念に思っていたのです。
僕にはポルトガル語なんて一言も話せませんから、どうにもできないのですが、せめて病気の知識だけでも正確に伝わるようにならないかと、考えた挙句がビッグブックの2章でした。ともかくポルトガル語のビッグブックを一冊手に入れて、サンプルとして病院に提供し、もしよかったら病気の説明に使ってもらえないかというお願いをしようかと思ったのです。

JSOの所長さんは「名古屋の連中がさ、豊田付近でポルトガル語のことを始めるみたいで、注文してあったぶんを全部送っちゃって今ないかもしれないなぁ〜」と言いながら、一冊見つけ出してくれました。タダでいいよ、とも言われたのですが、一応対価をと言ったら、「じゃ$6だから千円でいいや」となんだか、八百屋さんかお魚屋さんみたいでした。

あと、「12の概念」の本を買いました。 日本語訳版が無いというのは僕のカンチガイでした。93年に出てました。 以前にも見たことがあったはずですが「理解できなかった」ために、自分の中では「存在しないもの」として認識されていたようです。
私が間違っていたのだ・・・とほほ。


2003年01月25日(土) 東京

なんだかんだ用があって、東京へ行くことは多いのですが、単に東京に行って帰ってくるだけだと、あまりそこが都会であるということを意識することはありません。今の自分にとって見れば、そこは「非日常」であって、日常と違うのが当たり前だからです。ところが、時々仕事で東京を横断して、反対側へ行かなければならないことがあります。車のときもあるし、電車のときもあります。 大きな荷物を抱えて、ラッシュ時の電車で横断しないといけないときは、まったく憂鬱になります。
そして目的地に着いて思うのは、途中の1〜2時間を費やした土地で感じた不思議なエネルギーのことです。 人とモノと金の集積効果とでも言うのでしょうか。
何かの手段で強制的に田舎に分配しないといけないほど、都会に富は集中してしまうのですね。オンラインショッピングが便利になって、わざわざ東京の大書店や専門店を訪れなくても通販で何でも手に入る時代になったけれど、そのぶん地元のお店の品揃えは、薄っぺらで価格志向一辺倒になってしまった気がします。 そして、オンラインショップそのものはやっぱり東京にあったりします。
AAの東京のオフィスも、あんな家賃の高いところにいないで、西武なり東武なりの奥のほうに引っ込めばいいのに、と思ったこともあるのですが、やっぱり東京でないといけない意味があるのかな。
明日はJSOを初めて訪れる予定です(寝過ごさなければ)。


2003年01月24日(金) 秋がきて冬が来て

何のために「心の家路」をやっているのか、それは自分では(リーナス坊やと同じで)Just Fun(ただ面白いから)としか言い様がありません。
人間関係のさまざまことが(軋轢などの一見マイナスに見えることも含めて)人生の醍醐味だとするならば、リアルな生活での僕は、きわめて限定された人間関係のなかで暮らしているだけです。 AAを通しても、そんなに多くの人たちと直接触れ合えるわけでもないのです。
「心の家路」を始める前は、僕は依存症関係のサイトやら掲示板など覗いたりはしませんでした。現実の生活だけで手一杯で、「モデムを通じたわかちあい」に興味を持っていなかっただけの話です。 それが、自分のサイトというホームベースを得たことで、あちこちに顔を出し、いろいろと視野を広げてもらうことができました。 少々のソブラエティを得ただけで、いっぱしの専門家面していた部分もあり、そうした鼻っぱしを(多少は)折ってもらえたことはまず第一に感謝したいことであります。
最初はあをねこさんのサイトの補完として(いくぶんかの対抗心をも含んで)始めたことではありますが、結果としていちばん得しているのは自分ではないかと思うのです。このサイトの存在をきっかけとして、いろんなことが始まった一年でもありました。おかげで、趣味の関係で維持しているサイトの更新はパタリと止まってしまいました。

湘南線沿線の朝の空は澄み渡り、「冬の南関東はさわやか」という言葉どおりでした。新宿は幾分寒く、信州は冬そのものでありました。出張中に励ましのメールをいただいた方には、ここで感謝を述べさせていただきます。無事に生きています。 ありがとう。


2003年01月23日(木) やれやれ

「終わりがあるのが営利の仕事」て言葉がありますが、今日がその刻限でありました。
朝から機械の最終テストの準備をして、昼食を食べてからテストを開始し、順調なのを確かめて、午後3時ごろには現場を離れようと思っていました。大きなトラブルは昨日の晩で解決済みで、今日は楽勝の予想でした。
せっかく茨城にきたんだから、土浦のAA会場に寄りたいという希望もありました。問題は、ミーティング後に「ひたち」→山手線→小田急と乗り継いで、神奈川のホテルまで移動できるかどうかです。 もちろん、田舎と違って、深夜まで電車が動いているので大丈夫なのでしょうが、見知らぬ土地で終電という事態は避けたいです。
まあ、夕方までには時間があるから、調べる手間もあるだろうとたかをくくっていました。しかし・・・朝からトラブルの連続でした。 きのう解決したと思った問題の影に、もっと奥深い問題が潜んでおり、その問題を解決している間にも、別の問題が発生し・・・昼飯ぬき、午後の3時にやっとトイレに行く時間が取れ、テストが始まったのは5時でした。
夕の特急の中でハンバーガーにかじりついていると土浦の駅を過ぎていきました。
そういえばミーティングのことはすっかり忘れているのでした。こうやって忙しい毎日に追われ続けながらAAから遠ざかったり、ウィークエンドAAsになったりするんだろうな、とそういう人々のことを理解しました。
目的地の駅でホテルの方角が解らずに途方にくれ、仕方なくメールを読み返そうと通路に座り込んでノートPCの起動を待ちながら周囲を見渡すと、向かいに酒焼けで真っ赤な顔をしたホームレスのおじさんが座っていました。ともかく問題は乗り越えたのです。

「すべてのトラブルはそれを乗り越えるのに必要なエネルギーと一緒にやってくる」

というスキャットマンの言葉を思い出しました。
さて、来週から会社で書類を書くふりをしながら、Webの更新でもしようかな。


2003年01月21日(火) 春が来て夏が来て

長野の仲間に出すはずの手紙を、茨城まで持ってきてしまいました。 やれやれ。
更新履歴をみていましたら、このサイトって去年の1月24日がオープンだったんですね。準備はその前の夏から始めていたし、日記は秋から書き始めていたので、1年といってもあんまり意識はないのですが、まあよく続いたもんだなと、自分で思います。
最初はサーバーのアクセスカウンターを使っていたのですが、「増えてるかなー」と自分が見に行くだけでもカウントされてしまって、何を数えているのかわからなくなってしまったので、解析型のカウンターを設置しました。先週の設定ミスでクリアされたままになっていますが、この一年間でのべ8000人以上の方が「心の家路」を訪れてくださいました。 ありがたいことであります。来週にはカウンターも復活するでしょう。
最初は、一日に2〜3人だったのが、春のオープンスピーカーズでKさんがひろめてくださって、十数人に増え、それから二郎さんのところやTACHからの方が増えて、20〜40人というペースで続いています。
こちらからはどんな人が見に来ているのか把握する方法はないのですが、リファラーを見ると、サーチエンジンで「アルコール依存」で探してくる方、AAメンバーゆりさんや「える」グループさんやともすけさんのリンク集から来る方、あと、やっぱり二郎さんのところとあをねこさんとこ経由が多い、といったところからだいたい「お仲間」の方に見ていただいているのかなぁと思っています。

「お酒を止めるためのサイトではなくて、止めたあとも残った問題についてのサイト」

みたいなことを言われたことがありますが、果たしてそうなのかどうかは、自分でもわかりません。
(この項続く)


2003年01月19日(日) 決意の日

昨年僕の勤める零細企業が雇った女子事務嬢が解雇されました。
業績不振で中間部門の人員が削減されることは、直接部門の人間にとっては自らのふがいなさ(家族を養えないオトーサンのような)を感じて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 といっても、僕にできることはあまりないのですが。
これを契機に、一緒に茨城に行っている同僚(部下)が会社を去ることを決意したようです。僕としては貴重な戦力を一人失うわけで、残念であるのですが、自分の実力を頼りに生きるソフト屋を引き止めるのは難しいことを、自分自身ががよく知っています。 彼にとっても、この会社は単に3社目の会社に過ぎないのでしょう。 僕が入院していたときに採用された彼は、今や立派な実力を蓄えました。 不当に評価されないところに留まっているよりも、もっと社会の役に立つところに出て行って欲しい。 「育ててもらった」などと殊勝なことを言っていますが、そんな感覚もすぐに忘れるでしょう。なにせ、一番苦労し努力したのは本人で、先輩である僕は自分の経験の中から得たヒントを与えてあげることしかできなかったのですから、彼は自分で自分を育てたのです。

独身の彼の身軽さをうらやましく思い、また現在の経営者の健康状態と年齢を考えると、数年後には僕も何らかの決断を迫られるでしょう。 人に給料を払う立場になる器でもないし、かといってその頃には、雇ってもらうにはトウがたっているだろうから、個人事業主になるしかないのかな。 もっとも、技術の革新は激しいから、そんな先のことを心配しても仕方ないし、不安に駆動されてもろくな事はありません。

AAでご活躍のメンバーにも、年齢の波は忍び寄ってくるわけで、いつまでも同じ事が続くというのは幻想だと、こちらも思い知らされました。2月の騒ぎが終わったら、こちらもいよいよ動かないといけません。数は少ないけど、ミーティング月2回、病院M月2回というのが、新グループのスタート時の実力としてはふさわしいかな。
踏ん切りをつける週末でした。 (先のことはわからんよ)。



2003年01月18日(土) 金銭的な面での恩恵

僕は、緑内障であります。
以前は、朝晩に、五分間間隔を空けて三回、点眼する必要がありました。
薬の進歩で、朝晩に一回だけで済むようになったのですが、逆に薬を止めると眼圧がリバウンドするという危険も大きくなりました。この薬が冷やしておかないといけないという大変厄介なシロモノなのです。AAのイベントなどで2泊ぐらいだったら薬なしでもかまわないのですが、こう出張が続くと持っていかざるをえません。 ビジネスホテルは冷蔵庫つきのところを選ばせてもらっています。(ビールがぎっしり詰まっていたりして驚いたりしますが、目薬は瓶の間に入ります)。

待合室で待っていると、医者の怒声が聞こえました。
「眼圧が40もあるんですよ。 忙しいといっても、失明したら仕事どころじゃないでしょう!」
しかし、この病気はたまに激しい頭痛がするぐらいで、ほとんど自覚症状がないのです。医者と薬局で支払いをしながら「高ぇなぁ」と思っていたのですが、健康保険がないともっと高いんですよね。 んでもって、健康保険は病気一つしないような人々が支えていてくれるのです。僕は給料から月々いくらか支払っていますが、恩恵のほうがおおきいのは確実です。健康な人にとって、健康とは空気のような当たり前のものであって、病気であることは哀れむべきことであるかのように思っているフシがある、ってのは僕の被害妄想かな。

「死ぬまで健康でいたい」

とか言われてもねぇ、不健康になるから死ぬのでしょう? ともかく、風邪もたまにしか引かないような人の支払いによって、僕の眼圧が低く保たれているのだから、感謝しなくちゃいけませんね。
目の悪いひいらぎの車に乗るのは自殺行為ですが、今日もひとり命知らずがいました。


2003年01月17日(金) もうすぐ出張終わり

うまくすれば、出張も来週限りで終わってくれる手はずとなりました。
2月にかからないように、できれば1月前半で終わってくれるようにがんばったのですが、なかなか思い通りにはなってくれないものです。
茨城県の会場に寄るつもりではいたのですが、機会は訪れませんでした。一度、夕方7時にあがれるチャンスがあったので、遅れても顔を出そうと思っていたのですが、マーフィーの法則にしたがって、夕方にトラブルが発生し、ホテルに着いたのは深夜になっていました。 来週はどうなることやら。もちろん、いつもこんなに大変だったら別の仕事を探すのでしょうが、時期が過ぎれば、結構自由な時間が作れるのがこの仕事の魅力なのです。


2003年01月14日(火) 科学がそれを

ちなみに、歯槽膿漏には電動歯ブラシでの歯磨きがなかなか有効です。
ただ、症状が重いときは、血がたくさん出るのでやめましょう。ガラスポットは受け取っていただけました。

列車の中で、反対側に座った商社マンとおもわしき一団ですが、乗り込むと同時に日本酒を飲み始めました。話題は、その中の一人が新年会で記憶をなくすまで飲んで騒いだ顛末。そんな話を二時間もできる人たちの話題の乏しさはともかくとして、ご本人にはちょっと同情してしまいました。
(それはブラックアウトと言うんだよ)
そう思いながら、昨夜の睡眠不足がたたって僕はいねむりを続けていました。呑み助の一団は、声もうるさいし、タバコも量が多いので隣接すると閉口します。
ご本人が、しきりに「俺は酒を止めなきゃなぁ」と言いながら、次の一杯を注ぐのを感じ取りながら、ひょっとすると彼も僕らと同じ道の端緒についたのかもしれないし、そうでないのかもしれないなと考えていました。
この世の中からアルコール依存症が消えてなくなることは、文字通り「科学がそれを成し遂げるまで」ないのだろうなと思いました。


2003年01月13日(月) 息が臭いおじさんなのだ

妻から「最近、時々息が臭い」と言われました。
出張が多いから、食生活が乱れていることも原因でしょう、それに歯磨きも完璧じゃないし。AAのイベントで泊まるときに、よく仲間から「ひいらぎの摂食障害」とからかわれるんですが、僕は、寝る前に何か食べないと眠れません。 摂食障害の人の「寝る前にお腹がすいて眠れない」という話を聞くとどきどきしたり、新聞の記事で「眠くてお腹がすいていたら、まず寝てからおきて食事をするのが普通だろう」なんて書いてあるのを見ると、不安なのです。
まあ、ともかく寝る前に、カップラーメンとか、夕食の残りご飯のおにぎりとか、トーストとかなんでもいいので、軽食を食べないと、落ち着いて眠れないのです。(どうせ後でもう一回食べるんだから)と夕食後の歯磨きをしないというのも、歯と歯槽膿漏には良くないのでしょう。
それに、夜食を食べて、歯磨きをした後に、また何か食べたりすることもたまにありますし、ジュースを飲んでも、もう一回歯磨きするのが面倒なので、そのまま寝てしまったりします。そんなことを続けていると、歯茎がぶよぶよしだして、「口が臭い」と言われるはめになるわけです。

だいたい僕は、お腹がすくと大層機嫌が悪く「子供のよう」だとからかわれます。「話せばわかる男」ではなく、何か食わせて話をすれば納得する「食えばわかる男」とも呼ばれます。もし大地震とかが来て、避難所でおにぎりひとつで過ごすことになったら、やだなぁ。


2003年01月12日(日) コンペンセーションとアメンズ

こちらのサイト http://www.h5.dion.ne.jp/~nekonote/ のリンク集に入れていただきました。
DVとかは専門外(お前は何かの専門家なのか?)なので、見たことの無いリンク先がたくさんありました。

昼から市内のガラス食器屋さんに出かけました。 でも、「飴市」をやっていたので、到達できずしかたなく安曇野のガラス器ショップへ行くことにしました。実は昨年の9月に仕事がとても忙しかったことがあり、会社で(たぶんほとんど徹夜明けだったと思うけど)仕事をしていたとき、日曜日に社長夫妻が差し入れをしてくれました。そのときに「元気の出るお茶」という、あまり飲みたくないシロモノも差し入れられてしまったのですが、それが入っていたのが、総ガラス製のティーポットだったのです。
軽率にも僕はそれを壊してしまいました。 (疲れてたんだよと自分に言い訳)。ただ謝るしかありませんでしたが・・・。奥さんは「使うのこれで3回目なのに」とショックな様子でしたが、その場は笑って許してくれました。 何とかしなくてはと思いながらも、茶漉しまでガラスでできていて、でかいティーポットなどなかなか見つけている暇もなく日々は過ぎていってしまいました。

仕事で compensation という言葉が出てくると、僕らの業界では計測数値の補正という意味ですが、辞書の言葉は「埋め合わせをする」「補償をする」となっています。ステップ8・9の amends というのと同じ日本語があてられているので、どうしてもこの一件を含めていろいろなことを思い出してしまうのです。
この件も何とかしなくちゃと思いながらも年を越してしまいました。結局安曇野でも、「大きくて繊細で全部ガラス」という条件を満たすものはなかったのですが、ともかくせいいっぱいのものを買って包んできました。
相手がどう思うかはわかりませんが、これが僕の気持ちですと言って差し出すことが、今の自分にできる精一杯の限界なのです。


2003年01月11日(土) 寒いよう、ほんとに寒いよう

日周変動の激しいうつ病患者にとって、夜は気楽な時間帯です。

「夜明けが来なければいいのにねぇ」

という妻の言葉を、ぼくも共感を持ってうなずくことができます。

ミーティング中にふと思い出したのですが、妻は結婚する前に病気のことを教えてくれていたはずです。 僕が精神病院に入院する前は、ふたりで(僕は酒で、彼女はうつで)寝込んでいた時期もあったはず。 僕が退院してきたときに、彼女は安定剤を飲んでいました。ところがすぐ後に妊娠がわかって、胎児にその影響がでないかずいぶん心配したものです。妊娠したから薬も止めました。 生まれた子供の体重が少なくて、冬にずいぶん心配したものです。妊娠・出産に加え、僕の病気の不安定さもあって、彼女は「うつになんかなっていられない」時期が続きました。 少し楽になったころに病気が再発したのに、治療は中断。二人目の妊娠・授乳中は病気は軽くて、言葉をしゃべりだしたころから、こんどは本格的に病んでいるというわけです。

「うちはだんなが理解してくれて、文句を言わないから、その点は助かるわ」と言われているのですが、僕の病気もあって自由にうつにもなれない時期を作ってしまったことを申し訳なく思っているということが本当のところです。
やりたいときだけ夫婦をやってるママゴト夫婦だという気もします。時々朝まで話し込んでいるのも、ちょっとふつうと違うのかも。


2003年01月10日(金) やれやれ、やっと信州に帰ってきました。

下の子供を保育園に入れてもらうために、書類を提出しないといけないのですが、妻は病気もあって最近働いていないので、勤務先(になっているところ)に就労証明をお願いしたところ、遠まわしに断られてしまったとの事でした。証明書との取引材料として、扱っているサービスの購入を求められたそうですが、そこは「金の亡者」の妻のことですから、断ったそうです。
妻が金にうるさい背景には僕の病気があって、「ひょっとするとまた病院に3ヶ月入院するかも」という不安がゼロにならない以上、宝くじにでもあたらない限り、彼女の金銭的不安も消えないのでしょう。
あたっても消えないのかな。
しかたないので、通院している医師を尋ね、治療証明をもらうことにしたそうですが、うつ状態の彼女には負担が重すぎたらしく、クリニックにつくと同時にパニック発作で倒れてしまったそうです。 書類だけのつもりが、診察にもなり、また帰りはタクシーになってしまって結局出費はどっちが安かったのかわかりません。でも、状態が一気に悪くなったのは確かです。

出張から帰ると、やっと夜になって調子が良くなってきた彼女が、そんな報告をしてくれました。子供たちはジジババのところに預けられています。こんな時に思うのは、「ムコに来てよかったな」ということです。もし僕がヨメさんに迎えて、母と一緒に暮らしていたら、きっとやっかいな嫁姑問題の仲裁にはいったりせにゃならんのでしょうが、正直僕には手に余りますね。


2003年01月08日(水) 慣れ

ソブラエティ一年目は、お酒がとても怖かった。
ミーティング帰りにコンビニに立ち寄るのも、お酒を置いていないコンビニを探して入っていたものです。 知らないコンビニに入って、ジュースを選んでいると、隣がビールの棚だったりしてびっくりしたものです。
葬式も怖かったです。 宴会に行くのも、どうやって乗り越えるか気に病んだものです。
今は「正当な理由があれば」どこだって行きます。 まあ、なくても行きますけど。
家に酒が置いてあることもあるし、棚の上には純度99パーセントのエチルアルコールのビンも乗っています。時おり酒のコップを目の前にして思うのは、「これを飲んだらまた人生だめになるんだろうぁな」という感慨です。いつだって問題は自分の側にあって、酒が問題ではなかったということでしょう。

AAの約束どおり、酒は遠ざかりました。しかし、タバコは吸いたいです。それほど強い欲求ではないですが、こちらはなかなか精神的依存が消えてくれません。 ヘビースモーカーだったので、けっしてタバコの匂いは嫌いではありません。 止めたのは健康上の理由じゃなくて、金銭がもったいないからです。
不思議なことに世間は、お酒よりもタバコを止められたことをほめてくれます。それだけ「止められない」ことが周知されていることだからでしょう。お酒も「止められない」ことが周知されるといいのにね。
え? おまえももっと努力しろ? いや、まだ自分の回復が手一杯でしてね。


2003年01月07日(火) 病識

いったい僕はここで何をやっているのだろう。
ここに何しにきたのだろう・・・。
そう思うことがたまにあります。
今回も、そんな感じです。

どうしても僕が来ないといけない、という思いに駆られてここまでやってきましたが、日中に専門知識を生かしてわずかなプログラムを書いたほかは、眠気をこらえるのと相談と打ち合わせが主な仕事です。
たしかにここに居たほうがいいのは本当なのですが、どうしても居ないといけないかというと、居なくてもなんとかなってしまうのです。
僕でないといけない、皆に迷惑をかける、怒られるのはいやだ・・・・。
確かに何かをすっぽかすと、誰かが困って怒り出すのだけれど、世の中それでも何とかなってしまうものなのです。
誰かのために生きているのじゃなくて、人は自分のために生きているもの。
どうも、そのことを忘れてしまうとうつ病患者は生きるのがつらくなってしまうのです。
これも病識の薄さかしらん。
もっとも、そういう性格だからこそうつ病になるのかもしれませんが。


2003年01月06日(月) 僕はほんとに働くのが嫌い

日記を書き終えて、ノートパソコンをごそごそと取り出して、出張の準備にとりかかりました。 時刻は午後11時。 もうそろそろ寝たい時間です。 「もう寝るよん」と仲間にメールを打って、びっくりさせる予定でした。
でも、ノートパソコンは起動すると数十秒で固まってしまいます。
お正月にアップデートしたウィルス駆除ソフトが悪いのだと判明したのは夜半過ぎでした。
さらにアップデートすれば、たぶん治る。 でも、その最中にフリーズ。
アンインストールすれば、たぶん大丈夫。 でも、その最中にもやっぱりフリーズ。
出張の準備が終わったら、もう2時過ぎでした。 仲間はとっくに寝ているでしょう。

ところが今度は眠れません。
なぜ眠れないのか、わかっています。 仕事に行きたくないのです。
出張に行くのが嫌なのです。
この休みは、仕事を持って帰ったのですが、それは一番後回しにすることに決めていました。 おかげで、(約束より遅れているけど)翻訳チェックのお手伝いはあと一歩までこぎつけました。 いろいろ書類も読めました。
有意義でした。 仕事しなかったことは、まあ仕方ない。 良い休みでした。
でも、やっぱり体も心ももっと休みを欲しがっているのでしょう。
眠れないと体力持たないのに眠れない。 おまけにお腹が痛くなって、トイレでうなっていたら、目覚ましが鳴りました。 典型的な心因反応。
休めるものなら休みたい、それどころかもう一生働きたくない。
いつでも長い休みの明けは、こんなものです。
まあ、ちゃんと茨城にいるのですが、まだ体は回復していません。


2003年01月05日(日) 日曜日

こちら のページの掲示板に、無責任にもYahooに登録したら、と書いてしまったのですが、その後でひさしぶりにぼ〜っとネットサーフィンしていましたら、「工事中のページが多いうちは落とされる確率が高い」とありました。 そういえば「心の家路」も2回目のチャレンジ(推薦)で登録されたたんですが、それは結構な幸運だったようです。
もっとも、希望していた一般カテゴリにはいれらず、地域(長野県)カテゴリの下に入れられてしまったのがちょっと残念ではあります。
一般カテゴリへの収容変更の依頼は2回出したのですが、だめです。
Yahoo側の登録基準を読んでみると、「地域性の高いものは地域カテゴリ」とあります。
自分では「自助グループ全般」を扱っているつもりでしたが、トップページを検討してみると、確かに「長野県のAA情報」がメインだったりして。

で、「アクセスアップにはYahooのどういうカテゴリに登録されるのが・・・うんぬん」というのを読んでいて思ったのですが、果たして僕はアクセス数の向上なんかを狙っていったい何をやっているのだろうか・・・ということです。
もちろん沢山の人に見てもらいたいのはやまやまなんですが、決して万人受けするような情報を扱っているわけじゃないし、すぐに役立つような情報でもない。
つきつめて何のためにやっているのか考えると、やっぱり「ただ面白いから」という理由につきあたってしまうのでした。

ほんとは本業に費やす日のつもりだったのですが、持病の「仕事したくない病」が発病しまして
子供と遊んだり、雪かきをしたりするうちに一日が終わってしまいました。


2003年01月04日(土) 委員会

全国的に雪になっているので、雪に悩まされているのは、僕らだけではないということでしょう。
夕方には市内は氷点下になって、路面も凍り始めました。
今年から僕は地区委員会では役がなくなって、委員会にとっては単なるオブザーバーとしての参加です。
正月の夜だということもあって、広い施設の中で、部屋を使っているのは僕たちだけでした。
「まだ苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを運ぶ」
この簡単が言葉が、この先もずっと繰り返されていくことでしょう。

自分の意に沿わないことであっても、皆で決めたことであるからには、それを意にしていく。
そうしないと、この小さな共同体はばらばらになってしまって、孤立したグループも個人もせっかく手にしたものを失ってしまう。
こんな冬の日に、隙間風の吹き込む部屋に皆が集まっているのも、そのためでしょう。
そのために払われている犠牲も小さくは無いでしょう。

北海道についで広い面積のこの県が、ひとつの地区としてやっているのは、やっぱり人数が少ないから、寄り添うようにして一つのグループのようにして集まっているのです。
今年からまたひとつグループが増えて、より遠くから仲間がやってくることになりました。
女性の代議員も増えました。
自分ばっかりが苦労している、という自己憐憫を取り払ってくれるには、良い薬です。
でも、オブザーバーにしては、発言回数が多かったなと、やっぱり反省。


2003年01月03日(金) 里帰り

里帰りと言っても、出張にでも行っていない限り、月に最低でも1回は僕の生まれた病院に病院メッセージに行っているのであり、その帰りに実家によっているので、実母は僕の登場をそれほど喜んでくれるわけではないのですが、やっぱり孫の顔は嬉しいらしいです。
僕は疲れがたまっていたのか、お風呂と夕食をご馳走になったら、早々に眠くなってしまいコタツで寝てしまいました。

気が付くと、部屋中に布団が敷かれ、まだ夜9時だというのに、寝ることになってしまいました。
真っ暗ななか、ノートパソコンでHTMLを編集しながら(それしかできることがない)、寝付けない娘と話をしていましたが、11時頃には彼女も寝付いたので、僕も寝ることにしました。
起きてみると朝11時。 ひさしぶりに12時間も寝てしまいました。

午後はずっと報告書に目を通していました。
とりあえず去年のは詳しく目を通してたので、あと数年間前のは拾い読みし、これから一ヶ月でできる範囲で精読することにしました。 といっても、昔と違って記憶力はすっかり落ち、一度読んだくらいで詳しく覚えられるはずもありません。
帰ってくる頃には、また雪が激しくなりました


2003年01月01日(水) 笑えるようになった

お正月と言えば、元日はサッカーを見る日であり、二日はラグビーを見る日であり、三日はライスボウルを見る日であり、それぞれビールと焼酎が欠かせないという昔の生活でありました。 他のテレビ番組なんてばか騒ぎばかりで、見てられるか! という気持ちでありました。 でも、決して楽しく過ごしていたわけではありませんでした。

いまや、いずれのフットボールを見ることもありません。 チャンネルは家族に奪われています。義父母の御節(おせち)に呼ばれてテレビを眺めていると、菊地桃子と山田花子のふたりのペーパードライバーが京都の町の中を競争するという番組をやっていました。
(やらせくさくて、しょうもないなぁ)と思いながらも、笑いながら30分以上見てしまいました。

必要があって『成年に達する』を見ていたところ、ついついビルの話を読んでしまいました。
ビッグブックの一章にあたる部分の話ですが、ユーモアに富んでいて、こちらのほうが好きです。
ビルが酔って缶ビール片手に病院に行き、シルクワース博士に「先生、霊的な原理を見つけたよ」と
叫ぶくだりは、思わず笑ってしまいました。

さて、元日からミーティングに行くには「まめ」であるからでなく、今日行かないと次にいつ行けるかわからないからです。 道中降り出した雪は激しさを増しましたが、ミーティング場はにぎやかでした。
ちょっと古い顔が揃いすぎて、4年ぐらいタイムスリップした気分だったかも。
和やかで、楽しいミーティングでした。 懐かしい僕のホームグループ。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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