ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年07月30日(火) 再起 こんな田舎の街でも、都市熱はあるようで、夏の夜は蒸し暑くなります。
田んぼの多いところでは、ひんやりと冷えてくるこの時間にも、まだ暑いです。山際にあった実家では、夜は山風が吹き込んで、だいぶ涼しかったのですが、街中は、夜も風が止まっています。強力な熱源であるパソコンの部屋で作業するのは辛いので、居間にノートPCを持ち込んで作業するのが日課になっています。 ついでに布団も敷いておいて、仕事やら雑用やらが終わったあとで、翻訳関係の作業をやって、読書を数ページして寝るのが日課なのですが、昨夜はノートPCをつけっぱなしで寝てしまったようです。
やはり疲れていたのでしょうか、遅刻で出社したにもかかわらず、定時に帰宅し、夕食を挟んで4時間ほど寝ました。 悩んでいた問題も、きっと乗り越えられると思い直せました。
「すべての問題には、それを乗り越えるのに必要なエネルギーも一緒にやって来るんだ」
スキャットマン・ジョーの言葉を思い出しました。
2002年07月29日(月) 憂鬱 最近、ホームグループのミーティングに出るのを(実はかなり)億劫に感じているのです。
それは自分がいつの間にか「偉い人」になってきているような気がしているからです。なるべくそうならないように、気を使っていたつもりなんですが・・・本来ソブラエティの長さというのは、AAでは何かのものさしに使えるようなもんじゃないと思うのですが、ビジネスミーティングで反対意見が出なくなるのは考え物です。
グループの運営に意欲を見せてくれるメンバーもでてきたことだし、この際、いっそのことホームグループを離れて、近隣のグループの会場を漂泊してみるのもいいかなぁ、なんて夢想にひたったりしています。単に心が疲れているだけかな。
それとも、「グループにメンバーがいなくて呻吟している状態」にアディクトしてしまったんでしょうか(冗談のつもりなんですが)。
2002年07月27日(土) 海水浴 前回海水浴に言ったのは4年前です。 姫川沿いに糸魚川へ出たのですが、冬の土石流やら氾濫やらの被災跡が残っていました。 数トンの岩で押しつぶされたダンプ、前後をふさがれたロックシェルの中に閉じ込められ放置された自動車。 川原に仮設された道路で、工事の信号待ちをしていたのですが、その間も斜面からガラガラと岩が落ちつづけ・・・。
今回はすでに上越まで高速道路ができていたので、自宅から海の家まで一時間半でした。下の子が、裸足で砂浜に下りるのを嫌がって爪先立ちしていました。 理由を尋ねると、「足が汚れるから」 そういえば、裸足でどろんこ遊びをさせたことなかったな。 親として反省。まあ、それにもすぐに慣れ、初めて海を見た子供たちは、休むことを知らずに遊び続けました。ゆっくり昼寝を決め込むつもりでしたが、西へ逸れた台風の影響で波が高く、子供から目が離せないので、寝ることはかないませんでした。
それでも、太陽と海と風に囲まれていると、日頃の憂鬱も肩こりもどこかへ去るのでした。
砂浜に煙草の吸殻を埋めながら、一日ビールばっかり飲んでいた海水浴とはだいぶん違うんです(アタリマエカ)。
早めに帰ったつもりでしたが、上越のパーキングエリアでお土産を買っている間に、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020727-00000513-yom-soci
の渋滞に巻き込まれてしまいました。 さらに、高速料金を節約しようと、帰路手前のインターで降りたら、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020728-00000202-yom-soci
の影響をもろに食らってしまいました。皆様安全運転で。
2002年07月26日(金) 能無しだなあ、我ながら ふう。 やっと、一つの問題が解決です。
この一週間、プライベートの時間は、セキュリティの問題にかかりっぱなしでした。ともかく、今夜はなんとか解決へとたどり着きました。ほったらかしだった翻訳のチェックのことも再開できますし、Web関係も手を出せます。でも、明日は家族で海水浴へ行く予定ですんで、もうそろそろ寝ないといけません。
2002年07月24日(水) 純粋に自分のために・・・ 会社をほぼ定時で抜けると、峠を越える道へと車を走らせました。
途中でマク○゛ナル○゛の○゛ライブスルーに寄りまして、80円のハンバーガーをふたつ購入しました。ミーティングにはなるべく空腹で出ないようにしています。 特に僕の場合、空腹の影響を大きく受けるので、せっかくの仲間の話も上の空になってしまいがちです。 ですんで、ともかく何かを食べて行くのです。
久しぶりの仲間たちの顔。 新しい人たち。 離す順番を最後に回してもらえました。時間さえあれば、最後に話すのはとても楽なのです。 仲間の話でいろいろな事を思い出しますから、それを言葉にすればいいのですから。 僕の話は少し長めになり、さいごに一言、言いたかったことを言いました。 それは家族にも言えない、同僚にも言えない、たぶん同じグループの仲間にも言わないほうがいい、そんな事実です。 言えば僕の心は楽になるけれど、聞かされたほうは心配が増えるだけでそれに何の手立ても出来ない以上、不安を与えることにしかならないからです。ただ、それを心の中に仕舞っておくには重すぎて、言葉にしたかっただけ。苦しくなると、よそのミーティングに出かける仲間の姿を見させてもらっていて、僕もこんな時の解決策を授けてもらっていたようです。
帰りの道は、心の安らぎと共に帰りました。残ったハンバーガーは家族の夜食となりました。
2002年07月22日(月) ワンチャンス ミーティングである人が、「知り合いになりたい、親しくなりたいと思う人はいる。でも、電話番号を教えたりとか、そこまでの勇気が出ない」 という話をしていました。僕はミーティング用に持ち歩いている袋の中に、自分の電話番号を書いた名刺を入れてあるので、だめもとでミーティング後にその人に手渡そうと考えました。
しかし、袋の中に名刺は入っていませんでした。
昨日、集会に行ったときに、袋からかばんに中身を詰め替え、それを昨夜戻すときに忘れたのでしょう。
まあ、僕の電話番号がなんの役に立つという保証もないし、来週というチャンスもある。・・・はずなんだけど、かならずチャンスがあるとは限らないのが、この世界です。
(ASBI #153)
2002年07月21日(日) 地域集会@東京 珍しく朝6時にちゃんと起きて、7時半に諏訪インターで待ち合わせ。10時には東京におりました。 実は僕は、これだけAAにいても、地域集会に出席するのは初めてなんです。グループも最初の頃はちゃんと機能していなかったので、代議員を選出すると、集会の定足数が増えてしまうこともあり、「連絡員」という名目でおりました(参加義務なし)。
その後、グループから代議員が選出されるんですが、それは別のメンバーたちだったので、僕自身は第3日曜日に東京まで来たことは初めてです(第4は3回だけ行きました)。まあ、ちょっとラウンドアップやミーティングと違って和やかな雰囲気とは違うけど、みんな真剣なんだよね。 それはよく判りました。
断るつもりで出かけたのに、なんだか a demanding job ってのに立候補同然のことを伝えて帰ってきました。 それはその役割をこなしている人々が、やっぱり真剣にそれをやっている姿を見てしまったからでしょうか。 ま、選挙だからね。お鉢が回ってくるとはかぎらないし。
途中でみのわMACに寄りました。 ほんの数分の短い滞在でした。
(ABSI #151途中難しい)。
2002年07月20日(土) 勉強机を買う 上司入院中ということで、週末に何の用が発生するかわかんないので、一応土曜日は毎週予定を空けてあります。 あにはからんや、空いていたので、買い物につきあわされてしまいました。子供の勉強机です。 といっても我が家の現在の経済状態で、数万もする学習机を買う余裕も無いし、置く場所もありません。 アウトレットの家具屋やら、DIYショップやらを回った挙句、小さなパソコンデスクとサイドチェストを、娘二人にひとつずつ買いました。4千円×4です。
明日は、松任のオープンスピーカーズに行って帰ってきた仲間と、東京へ行きます。朝6時起き。 ちなみに仕事でもこんなに早く起きたことはありません。仕事で朝10時東京とかだと、前泊が普通です。 甘えてますね。でも、私的活動だと、そう経済的に甘いことも言ってられません。高速代とガス代が折半になるだけでもありがたいものです。日付が変わる前に寝ようと思いましたが、12時を回ってしまいました。
(ASBI #149)
2002年07月18日(木) 病院でのミーティング ひさしぶりに病院でのミーティング(扱いはすっかり病院メッセージだけど)に行ってきました。 一年半前は、全部自分で背負い込み(このままじゃ、やってけないよぅ!)と訴えていたというのに、こうして輪番制になって、当番が月一回になってしまうと、なんだか寂しい気がするから、アル中とはわがままなものです。
患者さんから「先生」などと呼ばれてしまうと 「AAのことが正確に伝わっていないな」という憂慮を抱いてしまうのですが、情報を正確に伝えることは、どんな場合でも難しいものです。次の回の司会の時には、一言添えよう、と思っても、一ヶ月たつとすっかり忘れている・・・。
「ようこそAA」期待してます。
2002年07月17日(水) 雨の横浜 久しぶりの電車出張です。電車出張のうれしいところは寝ていけるところです。しかも今回は展示会見学ですから、気楽もいいところです。もちろん、ヒマな時間を持て余したときのために、翻訳のためのテキストと、なんと辞書までカバンに詰め込む気合の入れようです(?)。・・・しかし、やっぱり、行きも帰りも電車の中で座れれば、寝てばかりでした。
2002年07月15日(月) まるで海岸べり 長野県は内陸ですから、寒暖の差が激しいです。年間を通してもそうですし、一日でも昼と夜では違います。 夏の温度は東京と実はあまり変わらないか、かえって高かったりします。それでも、海から離れて乾燥しているせいで、蒸し暑さは感じません。ところが今日は、台風が湿った南風を送り込んでくれたおかげで、むしむし。小さな会社でも、人事異動と組織改変があると、どたばたと、打ち合わせやら何やら忙しく、夕になる頃には、シャツまで濡れていました。
子供は元気になったのですが、カミさんが風邪?で寝込んでしまいました。
夜はステップミーティング。遠くから訪れた仲間が二人。 病を得た仲間の近況を伺いました。 その仲間の話に感銘を受けたと。
今年になって3冊目の英英辞典を買ってしまいました。
(ABSI #141)
20020714
安息日その2
結局お見舞いはキャンセルで、緊急医に行ってまいりました。欲を出して帰りに買い物をしたら、疲れてしまい、夕方まで寝ることにしたら、ノバのレッスンを寝過ごしました。
(ABSI #137)
2002年07月14日(日) 病を得ても・・・ やっと社長が退院してきて、僕の心理的な負担も軽くなった、と思いきや、昨日呼び出されて「また入院するから、頼むね」と言われました。今回は、経過によっては前回より長期に及ぶかもしれません。もはや僕には選ぶ権利は無くて、目の前に提示された様々な問題をいかに解決していくかということだけが、日々のテーマになっている気がします。
よく出来た一日もあれば、ダメな一日もあります。
健康を賛辞する考えを否定するつもりは何もありませんが、病の中にあっても、ほがらかに生きている人々の顔を見ると、大事なことは健康そのものではないと感じたりします。健康食品ブームも悪くはないと思いますし、僕もカルシウムやビタミンEのサプリメントを飲んだりしています。 でも、肉体の健康=幸せというのは商業主義のにおいがぷんぷんします。
やっと妻が日々の家事をこなせるだけに回復したものの、下の子は水疱瘡。まあ、水疱瘡は困った事態ではないのですが、上の子がさきほど熱を出してしまいました。喉のガンで手術を受けた仲間の見舞いに出かけるつもりだったのですが、これから緊急医に出かけることになるのかもしれません。
2002年07月10日(水) 憂鬱と力 「飲まない」からといって、それだけで全ての問題が解決するわけじゃない。人生は素晴らしい日々で満たされているはずも無い。 もしそんなことを望むのなら、それは人生に対する態度が傲慢さを帯びているのだ・・・・。
そんなことは判っているのですが、なんだか徒労感に打ちのめされています。肉体的にも、精神的にも、そしてたぶんスピリチュアルにも疲れているのでしょう。一日7時間寝ても、好きな音楽をのんびり聴いても取れない疲れ。たぶん、荷物を背負い込みすぎているせい。 重さで身動き取れなくなって、どれも満足にこなせなくなっている状態。でもたぶん、それは越えられないはずの無い困難。いままでは、階段の踊り場で踊っていただけ。また階段を上り始めたときに、改めて感じる無力さ。
「これは大人と子供をわけるステップです」。
改めて理解する、その言葉の意味。
2002年07月08日(月) 冷房病 すっかり冷房病です。
プレハブの2階、常時PCが十台以上稼動している部屋は、あっというまに30度を越します。おまけに屋根からの熱輻射と、1階からも熱がのぼってきます。対策としては、エアコンを入れるしかないのですが、これにムラがあって・・・・。僕の席は、効き過ぎなんですが、エアコンの風の届かないところの温度は30度近くになっているんで、止めろとも言えませんし。
扇風機でかき回したり、遮蔽版を作ってみたりしてますが、なかなかうまくいきません。夕方外に出て「熱い」と感じる毎日です。
2002年07月07日(日) 安息日 ひさしぶりに、娘二人とレンタルビデオを借りに行き、大きな公園で遊び、買い物をして一緒にお風呂に入り、夕食を食べました。下の子もジュニアシートに乗れるようになったので、ママなしでもおでかけできるようになって、嬉しいです。
まあ、おかげで土曜の昼に予定していたことは、全部キャンセルですが。
右腕の筋肉疲労がたまり、ジンジンと痛みます。 マウスとキーボードを使いすぎているせいなのは明らかです。 たまには、PCに向かわず、本やテレビに向かおうかな。「休日は休むための日だよ」と言ってくれた人がいました。やらなければならないこともあるけど、すこし休みます。昔はマウスがなかったから、左手の小指まわりが痛んだんだけど・・・。
2002年07月05日(金) 現実逃避 やらねばならない事がある。 すると別のことがどうしてもやりたくなる。
仕事でもよくあります。 そういうこと。
資料を書かねばいけないのに、ブックマークの整理を始めたり。
プログラムの見栄え(アイコンのデザインとか)に妙に凝ってみたり。
今夜も引き受けたボランティアの件を進めるためにパソコンを起動したのですが、ちょっと十数年前の体験を書き綴り始めたら、なぜか朝になっていました。
文章は少し寝かせたほうが、良くなるので、そのうちに収録しますね。
さっき新聞配達がやってきて、始発電車が窓の外を通っていきました。
土曜の朝。
2002年07月04日(木) ねむい やっと社長が退院してきました。
といっても、退院前にやった検査の結果が出るのは来週ですから、初日からいきなり完全復帰というわけにもいきません。 難しい決断を迫られているので、替わって決断して欲しいわけなんですが、それはまだ僕の肩に乗っているのです。でも、考えてみると、今回の入院の一件の前までは、こうした決断はすべて他の人に下してもらっていたのだな、と気付いたりもしています。
副作用のひどかった(鼻血)伝統的な抗うつ薬を替えて、SSRIに変えている過渡期なのでどちらの薬の効力も今一歩、という感じで、かなり抑うつ状態でもあります。それでも、すこしは気楽になったかなぁ・・。
ミーティングにやってきている若いメンバーが、「飲みたくてたまらない」と電話をかけてきました。30分ほど話し込んだら、「ともかく飲むのは明日の朝まで延ばす」ってことになりました。翌朝どうなるのか知りませんが・・・。
まあ、私用電話を30分していても、問題の無い職場は大切にしたいものです(笑)。
2002年07月03日(水) あをねこさんの掲示板に書いた記事 がっかり
一応サイトに目を通してみました。作者 Mary Stevenson (Zangare) が、最初の FOOTPRINTS IN THE SAND を書いたのが1936年。その後追加があったようですが、本人は無償で、これを配っていたようです。(ベトナム戦争に従軍する兵士への手紙にも加えられたとあります)。歌手の Kathy Bee と出会い、その薦めにより著作権登録されたのが1984年。(アメリカの著作権は登録制。日本では著述と同時に権利が発生するんで登録はありません)。その後は Kathy と組んで、Anti-Child Abuse(子供の虐待反対かな?)の歌を作ったりしてます。
この間に Margaret Fishback Powers という人が作者とする同じ詩が出版されていました。 んでもって、他のサイトなども見ると、Mary と Margaret との間に、誰が本当の著者かを巡る論争が続いていたようです。で、Mary は 1999年に亡くなって、詩の管理は Kathy M. Hampton という人にまかせられたとなっています。おそらくは、このサイトはこの人が管理しているのでしょう。一応目的は「anonymous(よみ人知らず)とされているこの詩を、Mary Stevenson のものと世間に認知してもらうため」だそうです。本を売るのが目的に見えますが。
サイトの維持者の訴えもわかるのですが、anonymous としている人を「詐欺師」呼ばわりしているのをみたりすると、ちょっとげんなりです。ともかく、このサイトのオーナーにメールするのはやめにしました。「知らなきゃ良かった現実」というやつでしょうか。
ちなみに FOOTPRINTS で探すと、個人で日本語に訳したページが結構ヒットします。
2002年07月01日(月) WHY WE WERE CHOSEN やっと、「不思議な力」の私訳を載せられました。
FOOTPRINTS IN THE SAND も収録したかったのですが、こちらは anonymous ではなく、Mary Stevenson (1922-1999) という人が作者のようです。詳しく調べてませんが、http://www.foot-print.com/ に細かな内容がありますんで、時間がある方は読んでください。僕としては『砂の上の足跡』は大好きな詩でもあります。それが載せられないのは残念。あと、手持ちの文章で copyright free のものというと、90 TOOLS FOR SOBRIETY(ソブラエティのための90の道具)ぐらいしかありません。さあ、趣味の翻訳は終わりにして、ボランティアに手をださないと。
社長も、今週一杯には退院してきそうです。
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