心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2002年06月29日(土) 御礼

昨年の長い夏休みの間に、「あをねこさん」のサイトの存在を知り、自分も似たようなことを始めてみようかと考えたのが、このサイトの始まりでした。10月にとりあえず、「さるさる」で日記を書き始め、1月に本サイトのオープン。この頃はフレーム形式でした(いままでフレームを使ったことが無かったので試してみたかっただけ)。その後すぐに、現在のレイアウトに落ち着きました。

自分のサイトがどれぐらい人に見られているのか、という数字は、Webマスターにとって最大の関心事でもあります。 そこで、ユニークなカウンター(同じ人が同じ日に複数回見ても多重カウントされない)を設置しました。ちなみに、このカウンターは、アクセス解析の機能もあり、どこから見に来ているか記録する機能もあるのですが、もちろんプライバシー保護のために、そうしたデータを保存することはありません。(その点だけは信用してください)。

最初の頃はリンク元といっても、「あをねこさん」のところばかりで、一日に数人が訪れれば多いほうで、ゼロという日もある閑散としたサイトでした。四月あたりからゆっくりと訪れる方が増え始めたのは、AAメンバーのKさんがオープンスピーカーズの時に、いろんなメンバーの方に紹介してくださったおかげでしょうか。

Referer(リンク元)の統計を見ると、最も多いのは「アル中の二郎さん」のリンク集からいらした方。次が名古屋のグループ「える」のページから、その次は「あをねこさん」のサイト。あとは、サーチエンジンの結果から来ている方もちらほら。最近では日に20〜30もの方が見にいらしてくださっているようで、更新の少ないWebマスターとしては恐縮な限りです。

このサイトのおかげで、いろんな方と知り合う機会が訪れました。 意外なチームに参加し、意外なsuggestion をもらったりしました。 このサイトの恩恵を受けているのは、ほかならぬWebマスター僕自身なのは、疑いありません。


2002年06月28日(金) いやあ、風邪でしたね。

木曜の朝、いつもより2時間早く起きたのは、単に調子が悪くて前の晩に、風呂も入らずに寝てしまったせいです。 「休んだほうが無難かな」という思いもあったのですが、その日は同僚の仕事の納品の日でもあり、心配な点もあったので、同行することにしました。案の定、トラブル続きで、立ちっぱなしで数時間を過ごしました。節々の痛みが「おそらく風邪のせい」だとは思っていたのですが、トラブルが解消し、帰ってこれたのは、やはり夜になってからでした。
体温計で計ってみると、二年ぶりの39度でした。 風邪薬を飲んで数時間寝ていたら、38度を切ってきたので、そこで安心して寝ました。 今朝も37度台だったので、ともかく予定通り休む、と会社に連絡を入れ、一日静養ということにしました。そんなわけで、とんだ3連休です。

熱にうなされる中で、過去のいろんな場面を追体験したと思うのですが、もう覚えていません。手足がしびれるので、妻にさすってもらったところ、左手首の傷を見つけられました。「結婚前に話してあったはずだが」、と前置きして、自殺未遂と命の恩人、救急病院と東京から長野に戻ってくるいきさつなどを話しました。救急病院に担ぎ込まれたのが確か夜8時半ころでしたでしょうか。 夜勤の医師が「30分前に寝入ったばっかりなのに」とこぼすのを聞きながら、すみません、すみません、と謝っていた自分を思い出しました。


2002年06月26日(水) 風邪か?

単なる睡眠不足か、それとも娘の風邪がうつったのか。
会社の机には体温計は置いてないし、もしあってもこういう場合は計らないことにしています。熱があったらあったで、問題が確認されるだけだし、ないならないで、問題が解決されるわけでもありません。 拘束時間帯が過ぎたので、とっとと帰ることにしました。布団を引いて寝、途中で「ごはんだよ」と起こされて、食べたのは覚えているのですが、気が付いたら朝になっていました。


2002年06月25日(火) 変えられないもの

ミーティングの人数が十人を超えました。なんだか、感慨深いです。ただ、これには波がかならずありますからね。
スポンシーが「ステップ5をやる日が29日と決まりました」と報告してくれました。僕はスポンサーシップは1年間が基本だと思っています。彼が1年のバースディを迎えたあとは、ステップ5を受けてくれる人に、それを依頼してひと区切りとしました。「ああ、やっぱりあの人にお願いしてよかったな」と思いました。

元気に活動していた仲間が、喉頭がんの手術を受けるとか。「アルコールはさ、神様しかないけど、のどは医者で治せるからさ」ただ、僕は彼が声を失ってしまうのでは、と恐れているのです。

夜半に遠方より電話。

神様、変えられないものを受け入れられる心の落ち着きを、僕にください。



2002年06月24日(月) SSRI

ずっと(四環系の)伝統的な抗うつ薬を使っていました。
もともとその薬を使っていたのですが、SSRIが認可になったときに、早速医者に切り替えてもらいました(デプロメールだったかな)。プロザックのように「性格を変える薬」なんてことはないのですが、なんとなく「フットワークが軽くなったような気がします」と医者に言った覚えがあります。 しかし、今考えて見ると、それまで悩まされていた副作用を味会わなくなって、気分が軽快になっただけなのかもしれません。
その後SNRIの認可といっしょに、それに移行しました(トレドミンだっけか)。坑うつ薬は「ブレーキを緩める」か「アクセルを踏む」か、どちらかの薬なんですが、このSNRIは「アクセルを踏む」傾向があって、体が疲れても「まだまだいける」という気持ちが残るので、しまいには、体が疲れきってしまいました。効き目はあっても、僕には合わない薬だったのです。
そんなわけで、もとの薬にもどしたのですが、いろいろと副作用が復活しました。瞳孔が開き加減になるので、日中の外ではまぶしく感じます。 高速道路を2時間も運転すれば、しまいには、案内の看板の字も読めなくなります。 口が渇いて大変しゃべりにくいのには慣れたのですが、鼻の粘膜も乾いて鼻血が頻発するのにはまいりました。鼻血は副作用のリストには載っていないので、耳鼻科に案内状を書いてもらって行きました。

「口と鼻はつながってますからね、鼻の粘膜が乾いて炎症を起こしてます」

さて、副作用であることははっきりしたのですが、ここでひとつ問題があります。この高ストレス下で、違う薬に切り替える(当然その間には薬の効かない日もある)か、それとも、いつとも知れぬ未来まで延期するかです。30秒ほど考えて、パキシルというSSRIに切り替える決断をしました。



2002年06月23日(日) 安息日

按摩に行ってまいりました。 左肩がものすごく凝っていて、いくらもんでも柔らかくならず、首ももまれました。 普通は首をもまれることはありません。 すごく痛かったです。一日中パソコンの前に座っていて、夜もこうして座っているのが原因なのはわかっています。でも、同じ行動をしていても、ぜんぜん肩こりや筋肉の緊張に悩まされない人もいるのです。

緑内障(高眼圧症)なので、定期的に眼科に通い、点眼薬をもらっています。毎回眼圧を測るのですが、緊張すると高くなるのは血圧と一緒なんじゃないかと思いました。医者に尋ねてみると、「そうです。血圧と同じです。それに、緊張しやすい人は眼圧も常に高めなんです。 緑内障にも病前性格みたいなものがあるんでしょうね」と言われました。抗うつ薬の中には眼圧に関連するものもあるので、この眼科医には僕がうつ病もちのアル中であることは知らせてあります。 内科医にも知らせておかないと、風邪薬に抗うつ薬を入れられたりします。
話が逸れました。 それで体の疲れが取れたかといいますと・・・。週末の安息など、子供が熱を出してしまえば、あっという間に吹き飛んでしまうものです。



2002年06月21日(金) ねむい

悪夢のような一週間を過ごして、やっと週末にたどり着きました。
睡眠不足と、ストレスで過労気味。 うつ状態に近いところです。やるべきことがたまっているのですが、すべては先延ばしにして、今夜と明日はゆっくり休むつもりです。



2002年06月18日(火) なれないことばかり

僕は6回入院したことがあります。最初のふたつは子供の頃で、盲腸炎と蓄膿症。
あとの四つは全部アルコールがらみの精神病院。 そのたび、仕事をやりかけのまま放り出して入院してしまったわけで・・・。
社長が入院して、ちょうど一週間がたちました。 月曜にいったん顔を合わせただけで、引継ぎもなく、いつまでという期限もなく、ただ一日一日だけを、何とか乗り切ることに専念してきました。誰かが入院してしまって、「残された者の戸惑い」というものを、初めて僕も体験しているわけです。(むろん妻の入院というのは数回あるんですが、それはともかく)。
「とりあえず今週一杯は検査が続くので退院できない」という話が、「検査をしながら経過を見守る必要があるので数週間」、そして「2〜3ヶ月」と、話がだんだん長くなっていきます。まあ、症状は深刻ではなく、すぐに命がどうこうという事態でないのは幸いです。ただ、こちらは、日々(やっていることはともかく、気持ちの上では)新しいことに取り組まなければならないわけで、慣れず、常に不安が伴っています。

言うならば、1ヶ月・3ヶ月とメダルを貰いながら過ごしていたあの頃が戻ってきたような気分です。「大部屋はイヤだから」という理由で、バストイレ電話テレビつきの「まるでビジネスホテル」の部屋の主から電話がかかってきました。「ああしなさい、こうしなさい」という単なる確認事項の繰り返しに過ぎないのですが、聞きなれた声を聞いたときの安心感は、ちょっとAAのスポンサーから電話をもらったときのそれに似ていました。
そう言えば、ToDoリストの先頭に「スポンサーに手紙(3年前の写真)」というのが、いつまでも居残っているのです。子供を連れて遊びに行く、という約束もいつか忘れ去られ・・・


2002年06月17日(月) ピンチヒッター

社長が倒れました。
突然というわけではありません。ここ数ヶ月、朝早く目が覚めてしまう、とこぼしているのを聞いていました。(それはおそらくストレス性)と、こちらは素人判断してしまいました。ここ数週間、起床するときに手足がしびれるという症状を訴えていました。先週の中ごろ、ついに朝起き上がれなくなり、救急車で大病院に運び込まれました。様々な検査をしたものの、別に悪いところも発見されず「早く出て行くように」と促される始末。
周囲は、ますます(ストレス性の・・・)という素人判断に傾きました。しかし症状は消えていないので、本人も納得せず、専門医を尋ねたところ、「何でこれを見逃すのかな」と医者も不思議がるほど明確に、CTに小さな脳梗塞の映像が写っていたそうです。それが今後大きくなるのか、それとも小さくなるのか、経過を見守る必要がある、という判断で、そのまま入院してしまいました。最短でも今週いっぱいは出て来れません。

自分の勤める10人ほどの小さな会社の、リスクマネジメントを考えた場合、エンジニア陣と中間スタッフには代替がいます。去年僕が「長い夏休み」を貰っている間も、技術的な問題はなんとかなっていました。しかし、営業と経営はまさに「個人企業」形態で、社長の代打はいないのです。僕は、そこを心配して、一昨年無理やりの転職に失敗し、おめおめと舞い戻ってきて、技術陣のリーダーをやらせてもらっているわけですが・・・交渉や駆け引きは、僕の最も苦手な分野でもあります。正直言って荷が重過ぎます。
こんなときこそ「気楽にやろう」「今日一日づつ」と自分に言い聞かせるのですが、そううまく心が反応してくれません。「Higher Powerは、時々あなたを試しに来るからね」という言葉を思い出しています。



2002年06月16日(日) ポケット

やらなければならない事(というか、やらなければならないと、勝手に自分に課している事)があるにもかかわらず、「こ〜えん行きたい」攻撃にさらされて、公園に行って参りました。どうせならと、距離は遠くても「充実した」公園へ、車で向かいました。
僕も行くのは初めてだったのですが・・・、野球の出来るグランドあり、子供向け巨大ジャングルジム(というかフィールドアスレチックみたいなヤツ)、はだしで遊べる水場などなど、親子連れと肩を寄せる恋人たち、あとはスポーツを楽しむ人ばかり。
自然のえさを与えてあげようと連れて行ったモルモットは、広大な芝生の上で固まるばかり。だいたい夜行性ですからね。飼い主の股間に隠れておびえていました。かわいそうなので、茂みに入れてあげました。
ヒイラギの木があったので、イメージスキャナーでスキャンしようと、良さそうな葉っぱを3枚選んでポケットに入れました。もちろん、すっかり忘れていて、シャツのポケットに入ったまま、洗濯されてしまいました。


2002年06月15日(土) ニックネーム

僕のニックネームは「柊」です。
AAに来てから考えだしたわけじゃなくて、それ以前から僕が使っていたものです。もちろん現実にそんなニックネームを使っていたわけじゃありません。パソコン通信時代に使っていたハンドルネームが、他の人と重複を起こすことが多い名前で、勘違いされて困ったので、新しいハンドルネームを考える必要がありました。
昔も今も、人々はさして深く考えずに仮想空間用の名前を決めます。
例えば、「megaten」という名の人に、由来を聞いたところ、考えているときに、「目の前に『女神転生』というゲームがあったから」だそうです。
僕も、なんとなく本棚を眺めました。当時も今も、僕の本棚のある領域は少女マンガが占めています。酒井美羽・日渡早紀という二人のマンガの登場人物に、それぞれ柊という名前がありました。英文字で5〜8文字ぐらい、という条件を満たしていましたので、即採用することにして、その日から仮想空間内で、僕は hiiragi となったわけです。

本名が使えない文章を書くときにも、柊という筆名を使いました。AAに来て、「なんかニックネームをつけたほうがいいな」と提案されたとき、じゃあ「柊」と何も考えずに決めました。
ヒイラギは植物の名前でもあり、魚の名前でもあります。ちなみに、Webページの左上に出てくる葉っぱは、ヒイラギではなくて、一年草の夏草の葉をイメージスキャナーでスキャンしたデータを貰ったものです。
ずきずき痛むことを「ひいらぐ」と言ったりするそうです。



2002年06月12日(水) ステップは踏むもの?

ステップは踏むものなのか・・・、「踏んでどうする」という仲間の言葉も聞きました。
なぜ「ステップを踏む」という表現になるかというと、ビッグブックの第5章の12のステップの前に、「ここに私たちの踏んできたステップがある」という文があるからでしょうね。

Here are the steps we took.

take かぁ。難しいなぁ。「取り入れる」「利用する」「(人の意見などを)聞き入れる」「(忠告に)従う」「取って利用する」・・・・。「私たちの使ってきたステップ」というのも違うなぁ。

しっくりした言葉は出てきません。 旧訳が「踏んできた」だったから、やっぱりそれを使うのが最も無難な道なんでしょうね。日本語としての語呂も悪くないし。take には、「道を選ぶ」という意味もあると、辞書にあります。「踏んできた」のも悪い訳ではありませんね。でも、僕のつたない英語力だと、(前向きな意思で選び取り、使ってきた)というニュアンスを感じるんです。 本当に原文にそんなニュアンスがあるのかどうか、分かりません。でも、「単語ひとつとっても、どんな日本語にするか数日悩むことがある」という仲間の言葉にもうなずけるというものです。

ソブラエティは「断酒」とも違うし、アルコホリズムも、アルコール依存症やアルコール症とも違う。翻訳という試行錯誤は今後もず〜っと続いていくんでしょうね。



2002年06月09日(日) つっかれったよ〜〜〜ん

さすがに今夜の僕は、自分がマイノリティであることを認めなければいけません。日本が勝利する瞬間もメールを書いていました。勝ったのはうれしいけど、やはり「ドーハの悲劇」の心の傷が癒えるためには一勝じゃなくて、「決勝トーナメント進出」だよね、と同僚と話した次第です。

冗談はともかく・・・・、病院メッセージに行ってきました。今月になって、久しぶりに(ほんとに久しぶりに)顔を出すようになった仲間と、その病院を退院して、半年ほどの仲間と一緒でした。なんだか、普段ひとりとかで行くよりも疲れました。
昔、他のアディクションの人に、「アルコールの人は、『次の人』が病院にいるから、羨ましい」と言われました。 僕は、数ある依存対象の中から「運良く」アルコールへの依存となり、「ラッキーなことに」そこにAAがあった、だから今の自分がある。そのことを認めるのが、ちょっと悔しいのです。
「運が良かったから回復した」 そうなのかもしれない。 だから、次も「運良く助かるとは限らない」、だから「今回のソブラエティを大切にしよう」そう思ったりします。



2002年06月06日(木) やっぱ病気じゃない人はすごいや

「仲間が飲んでしまった」という事態には、なんとなく「馴れて」きてしまったのでしょうか、それほどショックを受けることはなくなりました。飲んでしまうのは、やっぱり何かが足りなかったせいでしょうし、もし僕がのんだら、「やっぱり何かが足りなかった」ということなのでしょう。というか、足りないのが常で、だからミーティングに行くのかな。
それはともかく、ソブラエティを保っているにも関わらず、他の病気に罹っている仲間を見たり、その状態を伝聞で聞いたりすると、胸がぎゅうっと苦しくなるのです。そのお見舞いにも行けないのが今の自分です。

「そのうち、あんたも動けなくなる時期がくるからね」

フットワークの重くなったスポンサーに、辛らつな言葉を並べた挙句に、貰った言葉がこれです。ここまで見透かされていると、脱帽というか何と言うか。

「神様は、年々ハードルを高くしてくるからね」「は〜い」

スピリチュアルに病気で無い人は、この状態をしらふで乗り切っていけるんだよね。すごいよね。



2002年06月04日(火) ワールドカップ

結局ワールドカップは観戦しませんでした。 ドローですか。
「たったひとつの冴えないやりかた」のタイトル画像が表示されなくなってしまいました。いままで外部からの画像の参照を許してくれた JANIS も、ついにそれを禁止してしまったってわけですね。「さるさる日記」ぐらいお金を払おうとも思っているのですが、払ってもタイトル画像も置かせてもらえないんじゃねぇ・・・、と考えてしまうのです。ともかく、タイトルは文字に戻しました。
ちなみにこれは「自分の日記サイト」ですが、IEの「制限つきサイト」(つまりセキュリティの面で信用できないサイト)に入れてあります。IEの場合、ツール(T)メニューから、インターネット オプション(O)...を選び、ダイアログの中から「セキュリティ」タブを選び、「制限つきサイト」のアイコンを選択してから、「サイト(S)...」ボタンを押します。
www2.diary.ne.jp と入力して、追加(A)ボタンを押して、OK。OK。
何が起こるかは・・・



2002年06月03日(月) 頭が痛くて吐きっぽい

うーむ。体調が悪いです。
土曜日は早起きする必要があったのに、金曜の晩も結果的にはいつもどおりの夜更かしとなってしまいました。土曜の朝起きたときには、疲れは取れておらず、お腹は空き、そんな状態に腹を立てていました。 たぶん、仲間に「一緒に山梨へ行こう」という約束をしていなかったら、「体調が悪いから休み」という決定を下していたかもしれません。疲れたけれど、行っただけの価値はありました。 たしかに、車のハンドルを握っていたのは僕ですが、別の意味では、彼につれていかれたとも言えます。

土曜の晩も、早く寝ればいいのに、効率が悪いのにいろいろ片付けようとして、夜更かししてしまいました。日曜日は昼まで寝た挙句、外出から帰ったらまた寝たのですが、NOVAのレッスンがあるので、夕方からまた起きて活動しました。さすがに月曜の朝起きたときには、「これは車を運転しないほうがいいな」という判断を下さざるを得ませんでした。それでも、「AAのイベントに行ったせいで、仕事休んだ」とは言われたくないんで、午後に目を覚ましたんで、会社には顔を出しました。 誰が悪いわけでもなく、自分の自己管理のふがいなさ
の問題です。

でも、山梨には行って良かったです。 スピーカーの話には、自分の過去の忘れていたひとコマを思い出させてくれるきっかけをもらいましたし、全体サービスの関係では、いろいろと提案ももらいましたし。
しかし・・・、もはや若くはないなぁ。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加