心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年02月28日(木) 何が幸いするのかわからない

病院でやっているミーティングに参加しました。
いちおう「地区でやっているミーティング」という名目なのですが、地区委員会では「病院メッセージ」として、グループの輪番で維持されています。
今回は僕のグループの番でした。
いつもどおりに序文を読み、病院の外から来てくれている仲間に、ハンドブックの3章を読んでもらって、分かち合いを始めました。テーマは、平安の祈りから「自分に変えられないもの」。外から来ているメンバーは、僕を含めて3人。病院の治療プログラムの一環としてミーティングに出席している患者さんは、あまり話したがりません。でも、今夜は違いました。ある女性の方が、残りの時間のほとんどを独占してしまったのです。僕も司会として、「そろそろまとめてください」というお願いを一回いれたのですが・・・。司会の力不足と言われればそれまでですが、あまり良い雰囲気のミーティングにはなりませんでした。
地元の仲間ふたりは、「病院で強制的に参加させられている患者さん相手のミーティングをしても、そこから力をもらうのは難しい」と言い、病院の外にミーティング会場を作るほうへと話が転がっていきました。たとえ、ふたりだけのミーティングになっても、酒を止めたいと願う人の集まりがAAじゃないか、と。
そう。それって「伝統3」に従って解釈すると、立派な新AAグループの誕生じゃないですか。
帰りの車の中、「ヒョウタンからコマ」という言葉と、「Higher Powerの配慮」という言葉のどっちがふさわしいか、ちょっと考えてしまいました。



2002年02月27日(水) BOX到着

帰宅すると、JSOから封書が届いていました。
月末であることと、封筒の大きさからして、中身はBOX-916(日本のAAの月刊誌)だろうと予想をつけました。ひとついつもと違っていた点は、宛名がタックシールでなく、手書きだったことです。
夕食後、振込用紙を取り出すために、封書を開封しました。僕は実はBOX916を、あまりマメには読んでいないのです。他の仕事の関係の雑誌と一緒に積み上げられ、その山をどうにかしないと住めなくなるまで放置されているのが常です。あまりにも頭が疲れたときに、掘り出されてランダムに読み散らかされるのがせいぜいです。でも、他のメンバーの購読分は取り出さないといけませんし、振込用紙を会計係に渡さないといけないので、開封だけはしないといけないのです。
ところが、中から出てきたのは BOX 459 というニューヨークのGSOの出しているニュースレターでした。(ちなみに BOX 459 は、日本で「日本AAニューズレター」70円に相当するもので、日本のBOX 916に相当するのは、AA Grapevine誌です)。昨年末のと、今年最初のやつの2部入っていました。斜め読みしかしてませんが、シリコンバレーで日本語グループが始まったことや、東京でのスペイン語グループのスタートアップの話が載っていました。
疑問なのは、なぜこれが僕のところに届けられたかです。封書の裏には差出人名がありませんからオフィス発送物なのでしょう。これはつまり、第4版の Personal Stories の日本語訳に手を上げた人間に、何らかのパケットとして送られた、と考えていいでしょう。
ま、そのボランティア作業からは、抜けられなくなったということでしょうね(笑)。



2002年02月26日(火) 喪失

らいでんグループの書きかけの地図を失いました。
いつもはZIPの100MBのディスク上で作業をしています。会社のPCにも、自宅のPCにも、ノートパソコン類にもすべてZIPドライブが装備されていて、どこに移動しても作業が継続できるというのが、僕の環境です。で、そのZIPディスク上のデータは、HDDにコピーしておくのが習慣です。データの編集は、ZIPディスクのを取り扱い、HDDはあくまでバックアップ用です。ところが、間違ってHDD側のデータを編集していたのに気づきませんでした。そう、せっかく編集した地図データが、ZIPの古いデータで上書きされてしまったのです。
不思議なことに、怒りとか憤懣とか、喪失感とかは発生しませんでした。かわりに、すこし陰気な諦念が訪れました。まあ、また書けばいいのです。どんなに頑張っても(データ復旧ソフトを使っても)失ったデータは返ってきません。あがけばあがくほど、自分が苦しくなるのは経験から学んだことです。
20年近くパソコンを使ってきて、今手元にあるデータはここのところ6年ぶんぐらいです。ファイルひとつ失ったからなんだというのでしょう。まあ、前回9か月分のデータを一挙に失ったときは、心が平静を取り戻すのに、かなり時間がかかりましたが。



2002年02月25日(月) 賑やかなミーティング

いつもより少しだけ早く仕事を切り上げて、ミーティング場に向かいました。
途中のコンビニに、パンとジュースを買おうと立ち寄ったら、仲間に出会いました。不思議なものです。最近コンスタントに来ているメンバーは、全員が揃いました。病院からの外泊で来てくれた仲間もいました。僕らのミーティング場は、大きな公民館の2階にあります。正面玄関から入ると、前のホワイトボードに、どこの部屋でどんな会議(やら習い事やら)をやっているのか、書いてあります。第3会議室は、市の催し物か、地元の町会の集まりでもないかぎり、たいていはAAが使っています。
表玄関から入って、見上げると、階段の上が第3会議室。その階段を上れずに帰って行く仲間がいることは、知っていました。決して敷居が高いわけじゃないのですが・・・。
「あそこでとって返した」と経験を話す仲間もいます。
ドアをくぐれば、仲間はあたたかく迎えてくれるもの。何で飲んだの? なんて聞きはしません。また一緒にやろうよ、と言うだけです。ハードルは、その人の心の中にあるものでしょう。
近くの病院からは、若い患者さんが看護婦さんに付き添われて、また、大学病院からはドクターも現れました。え? すっかりクローズドじゃなくなっているって? 大丈夫。悪影響はないと思うし、もしあってもそれは長続きするような影響じゃありません。



2002年02月24日(日) 権兵衛トンネル

木曾谷と伊那谷を結ぶトンネル工事が進んでいるそうです(国道361号線)。え〜、ちなみに伊那地方に住んでいる人に「伊那谷」というと怒られます。
「これは谷じゃない、平野なんだ」
たしかに、長野県の県歌にも「松本・伊那・佐久・善光寺、よっつの平らは肥沃の地」とありますね。でも、北半分は桜で有名な観光地のほうまで広がりを見せて「盆地」っぽいですが、南のほうへ行くと河岸段丘の目立つ地形になっていきます。でも、僕はあの平らが好きなのです。「陽光溢れる」というようなイメージがあります。なにせ、そこで2ヶ月の入院生活もしたことですし。
で、木曾のほうへは一度も言ったことがありません。電車で通過したことはありますが、国道を車で走ったこともありません。そして、そこには長い間、断酒会もAAもありませんでした。断酒会が出来たと言うニュースは新聞にも載りました。でも、AAを求めてくる人にとっては、谷を北に抜けて松本まで来るしかないのです。でも、それはちょっと遠すぎるのです。
中央アルプスを越える道は険しすぎて、伊那方面のAAミーティングへの参加は事実上無理なのだと聞きました。あそこにトンネルができればね〜。という話が何回でたことでしょう。トンネルを出て下れば、そこは伊那谷のミーティング場。トンネルを抜けて、そこへ通う人がきっといつかは出てくると思います。



2002年02月22日(金) 何のためにやっているのだろう

駅前の英会話スクールに通うのが、だんだん面倒になってきました。最初のうちは「初心者の域から脱してやるぞ」という意気込みで行っていたのですが、少しずつ慣れてきて、さらに自分の進歩があんまり感じられなくなってくると、「何のためにやっているのだろう」という思いを心の中から拭い去ることが難しくなります。
英語がすぐに仕事に役に立つわけじゃないし、レッスンを週末に集めたせいで、週末のんびり過ごせなくなっているのも事実です。こうやって、体が疲れているとかいろんな言い訳が湧いて出てくるのですが、とりあえず「お金を前払いしてあるんだから、途中でやめちゃうと大損」という強烈な現実が、僕を駅前まで歩かせるのです。
AAのミーティングも同じ傾向があるかもしれませんね。ミーティングに出ることで、即効性のある何か(心の安らぎとか)を毎回得られるわけじゃありません。どちらかって言うと、長い時間の中で仲間が見せてくれる姿、飲まない仲間は、肉体・精神・心理・経済・信頼・家族・人間関係などなどがゆっくりとでも(行きつ戻りつでも)回復していく姿を見せてくれます。飲んでしまう仲間の姿は、「自分も同じようになり得る」という強烈なメッセージを与えてくれます。それに気づくには、それなりの長い期間が必要なはず。
AAでは、誰かがミーティングに来なくなっても、強引に誘ったりしないものです。ミーティングに行かない言い訳は、いくらでも考えつけます。「何のためにミーティングに通っているのか」見失うのは簡単で、探し出すのは難しい。僕もそうでしたから。
10年目のバースディの仲間の言葉が思い出されます。
「これが趣味のサークルか何かだったら、10年は続けてこれなかったはずだ」と。



2002年02月21日(木) 疲れ目?

岡崎までは、長野道→中央道→東名経由。300Kmといったところでしょうか。朝9時出発で、午後イチの打ち合わせに間に合わせるとすると、移動時間は4時間です。途中でお昼ご飯も食べないといけません。前回岡崎の自動車工場から豊田ICまで移動するのに、1時間近く要した憶えがあります。となると、豊田ICを降りるのは12時前にしたいところです。できれば11時30分ぐらいが望ましいです。天気は良く、愛知県内に入ると、暖かな春の予感がしました。
東名に入った頃・・・交通標識が読めなくなりました。なんとなくぼやけた様に見えて、大きな文字も読み取れないのです。抗うつ剤の副作用で、瞳孔の調節がうまくいかず、ものがまぶしく見えるという症状が出ることがある、とは医者から聞いていました。おそらくこれがそうなのでしょう。
いや、この一年間、いろいろと薬を変えてみているので、その症状は別の薬の話なのかもしれません。いずれにせよ、次の診察の時には確かめて見ないといけません。帰りは同僚に運転をまかせました。悪いと思いながら、長野県内に入ったところでぐっすり助手席で寝てしまいました。



2002年02月20日(水) イライラ

Palm という小さなPDA(個人情報アシスタント)にBig Bookの原文を入れて読むことにしました。日本語版のほうは文庫本があるので、どこへでも持っていけます。しかし、英語のほうは辞書を引きながらでないと、意味がわからないところもあるので、PDAに入れて、そのまま単語を引いたほうが楽なのです。データのほうは、リンクにもある http://www.recovery.org/ からひっぱってきましたが、それを見るツールが、昨日・今日ともにダウンロードできません。なんだかサーバーのメンテナンス中だったみたいですが・・・・
イライラしました。そのツールでなくても、別の代替品はいくらでもあるのに、ただ「あれは評判が良いから、ぜひあれが使いたい」、なのにダウンロードできない。ぶつぶつ言いながら2日間すぎました。
「自分の思い通りに事が進まない」とイライラするのは、飲んでいた頃と変わりません。
(明日は、愛知県岡崎市)



2002年02月18日(月) ひさしぶりのホームグループとBigBook第4版

先週はホームグループのミーティングがお休みだったので、今週は2週間ぶりのミーティングという仲間も多かったかもしれません。遠くの病院から外泊で来た仲間が、退院してやってきてOneDayの緑色のメダルをもらいました。病院とミーティング会場との間を送り迎えをしてくれる仲間がいるおかげで、そちらの病院に入院した患者さんがAAを知り、地元の僕らのグループに顔を出してもらえる。ありがたいことです。自分が地元で同じだけのことが出来ないのは残念ですが、こればっかりは無理はききません。
転勤族の仲間も久しぶりに現れました。4月28日にまだ長野にいるようなら、スピーカーをやってくれないか? と依頼してみましたが、4月の上旬に引っ越すようで無理のようです。いちばん近くの病院からは、病棟の看護婦さんとケースワーカーさんに見守られつつ、女性の若い方がいらっしゃいました。

アメリカの本屋さんに頼んでおいたビッグブックの第4版が届きました。おどろいたのは、ソフトカバー版とハードカバー版とページ数もまったく同じなら、その内容もまったく同じなのです。「ビッグブックの〜頁」という引用のされ方をするので、混乱を避ける意味でやってるんですかねぇ。ソフトカバー版のほうは、翻訳のためOCR用に分解される運命です。「前半の部分について、原文と日本語の新訳を読んでおいてください」と言われています。実は僕は、新訳のビッグブックを最後まで読んだことはないのです。



2002年02月15日(金)

一月の下旬あたりから、だいぶ鬱が悪化していました。もっとも、毎日ちゃんと通勤して、ミーティングやらを、こなしていたのですから、それほど深刻な状態だったわけではありません。医者にも何も言いませんでした。通常の変動の範囲内だと、自分で勝手に思ったからです。
ただ、はたから見れば、かなり疲れた様子で、無表情に疲れた顔をしていたことでしょう。3連休をのんびり過ごして、やっと浮上のきっかけをつかんだかな、という感じです。それでも平凡な日々だったことは確かです。変成流転、人生には変化がつきもの。今現在、その変化の只中にいる仲間が、いったいどんな気持ちで過ごしているのか、僕の疲弊した脳みそでは、推し量ることがまったくできません。
ただ、5年前、若い仲間の突然の死を告げてくれたスポンサーの電話を受けながら、とくに何の感慨も持たずに「この電話早く終わらないかな」と考えていた僕が、今回は自らの心のなかに動揺が広がるのを抑えることができません。


2002年02月07日(木) ミーティングお休み

今日は第一木曜日なので、病院でのミーティングはお休みです。といっても、ミーティングそのものはちゃんと開かれているはずです。第一木曜を担当しているグループから、そこの病院までの道のりは、雪道や凍結路になる可能性が高いので、冬場の3ヶ月だけ、僕が引き受けていたのです。
しかし、地元の仲間が月に一回引き受けてくれるようになりました。おかげで、自宅でゆっくり過ごしました。小田和正がテーマ曲を歌うドラマ見たりして。こうしてみると、意外と体が(たぶん心も)疲れているのに気づきます。
ちょっと「鬱」っぽいのも気になるところ。3連休は寝て過ごす予定だったのですが、なんだか雲行きが怪しくなってきましたし。
ゆっくり布団で寝たいなぁ。



2002年02月05日(火) バースディ・ミーティング

月曜日は、仲間の1年のバースディミーティングでした。
僕らのグループで1年のバースディをやるのは、久しぶりです。1年半、いや2年半ぶりぐらいかな。今回の仲間は、病院入院中から外泊のたびにミーティングに顔を出していってくれました。2月に退院してきたときに、ワンディのグリーンのメダルを渡しました。よく「入院中も含めると○ヶ月飲んでいない」と言う人もいますが、AAでは入院中はノーカウントが普通です。退院した日か、退院後初めてミーティングに出た日をバースディと呼んで、1年たつごとにお祝いのミーティングをします。もちろん、飲んじゃったらソブラエティもリセットされて、グリーンのメダルからやりなおしです。
僕らのグループでは、1年目のバースディはグループの献金の中からケーキ代を出しています。これは「おめでとう」というお祝いの気持ちからです。2年目からは「自分で買ってきてね」と言われます。ソブラエティは仲間から力をもらって継続できるものですから、バースディは仲間に感謝する機会なんだよ、というふうに決めています。他のグループでは、1年目から自分で買うところもあり、何年でもグループで買うところもあっていろいろです。
ケーキに1本だけロウソクを灯し、部屋を暗くして「ハッピバースディ・ツー・ユー」を皆で歌いました。あとは、ケーキを切り分けて食べながら、普通にミーティングです。今回は、いつも来る仲間が休んでしまい、ケーキの切り分け役がいなかったので、たまたまオープンミーティングに来ていた、女性の心理士の人にお願いしてしまいました。お客様に仕事を押し付けた上、足りなくなったケーキを僕に分けていただきまして、申し訳ない気持ちです。ごめんなさい。ありがとう。
病院からの外泊の人も、奥さんと一緒に来てくれました。ほかの仲間もいつもどおり。月曜日は決してよい一日ではなかったけれど、一日の終わりに和やかなお祝いの雰囲気につつまれて、ほっと癒された日でもありました。



2002年02月03日(日) Big Book 4th Edition

Big Book は前後半に分かれています。前半はビルの書いた「回復のプログラム」で、この部分は60年前に書かれて以来、改版があってもまったく変更なしに受け継がれてきました。後半は「個人の物語」で、ドクターボブや様々な人の回復の軌跡を描いています。英語版では、改版されるたびに(前半はそのままで)、後半の個人の物語を取捨選択し、時代に即した新しい話が挿入されてきました。
ニューヨークのGSOからは、各国版に翻訳する際に、前半は極力英語版に忠実に訳し、後半はその国の人の話を入れるのがふさわしいという提案がなされています。実際に、日本のビッグブックの後半は、(ドクターボブ以外は)すべて日本人の話です。今回の新訳では、前半とドクターボブの話だけが訳出され、それが第3版として出回っているわけです。
しかし、Big Bookは全体が回復のためのプログラムであって、英語版後半の個人の話も読んでみたいという話は昔からありました。今回、英語版が第4版になったのを受けて、約40篇の個人の話を、ボランティアが分担して翻訳するという話がでました。自分にどれだけ出来るかは不明ですが、ともかく何か役に立てればと、ボランティアに応募しました。
第4版のビッグブックは(船便なので)まだ太平洋の上だそうです。それを待つ間「前半の原文と、日本語第3版の前半を良く読み比べておいて欲しい」というリクエストを受けました。しばらくは、苦手な英語と格闘する日々が続きそうです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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