心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年01月31日(木) そうか!(オフィス移転の影響)

本サイトのほうに、セントラルオフィス移転のニュースを載せておいて、まったくその影響について考えていませんでした。ミーティング会場の地図や、ポスターにもセントラルオフィスの電話とFAXの番号が載っています。それが変わってしまうのですから・・・・年始に各病院に持っていったポスターも、新しく直さないといけないですし、年始めに増刷したミーティング会場地図も、また新しく刷らないといけません。まあ、新グループも誕生するみたいなので、ちょうど良いタイミングではあります。
それにしても、広報関係の資料にしても、各種案内の連絡先も、ハンドブックの表紙につかれたハンコも、みんなセントラルオフィスの住所と電話番号ですから、移転の影響はかなり甚大です。
僕らがいかにセントラルオフィスの存在に頼っていたのか、思い知らされた事態でした。



2002年01月29日(火) はっぴ〜ば〜すでぃ

8時前に仕事から上がり、ひさしぶりに車の暖機を駐車場で十分やってから、雪道をパワースライドで遊びながら帰りました。妻がケーキを一切れ持ってきてくれました。ああ、すっかり忘れていた。今日は下の娘の誕生日だっけ。
妻の病気のことも合って、年明けから一人暮らし(+モルモット)が続いていたので、家族のイベントまで忘れていました。寝る前のおやつに、そのケーキを食べました。ちょっと躊躇したのですが、やっぱり「はっぴばぁ〜すでぃ とぅ〜ゆ〜」を歌ってしまいました。大の男が深夜に一人で歌う歌じゃありませんが。
来週は、仲間の1年のバースディ。およそ2年ぶりでしょうか。



2002年01月27日(日) アルジャーノン

土曜日の晩に、4月に行う「オープンスピーカーズミーティング」の打ち合わせのために土曜のミーティング会場に1時間半前に集合しました(僕は例によって遅刻しましたが)。打ち合わせ(実行委員会)が終わって、レギュラーミーティングに移るときに、遠くから来た仲間二人は「明日の午前中に病院メッセージがあるから」と帰っていきました。
僕は思わず、「起きられたら、僕も行くよ」と言ってしまいました。なぜだか判りません。二人も「柊が?」とおどけた様子でした。そう、僕は大変朝に弱く、午前中はとても苦手なのです。たぶん彼らも僕の空手形を額面どおりに受け取ったりはしなかったでしょう。「Yes/Noをはっきりしろ。できない約束はするな」。昔、スポンサーにそんな提案を受けたことを思い出しました。
はたして深夜から大雪になり、雪かきをしながら「これは彼らが病院に10時までにたどりつくのは無理だ」と思って、「だめだったら、朝電話でたたき起こしてください」とメールを送っておきました。
朝、彼らから電話はきませんでした。でも、別の仲間から(もうひとつ同じ時間にやっている別の病院に)仲間が来れるか心配なので、念のため病院に行ってみる、という電話がありました。僕も飛び起きて、出かけることにしました。積雪は40cmを超え、渋滞が続いています。10時に病院にたどり着いて見ると、きのうの二人はちゃんと病院に到着していました。朝の6時に出発したそうです。
僕の大好きな小説に『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キース)というのがあり、その中に、うろ覚えですが「お金を分かち与える人間は世の中に沢山いるが、時間と愛情を分かち与える人はほとんどいない」という言葉があります。
それを改めて思い出しました。



2002年01月25日(金) ふう(本サイト設置完了)

やっと本サイトが立ち上がりました。
場所は、プライマリが http://www.mhl.janis.or.jp/~ieji/
セカンダリが http://nagano.cool.ne.jp/home_of_spirit/ と、ふたつ用意しました。
中身はまったくおんなじです。ただ、COOL のほうは広告が入りますが。出張に行っている間は、JANISのは更新できないので、COOLのだけを更新する予定です。掲示板も慣れたOTDに用意しました。さっそく「あをねこ舎」さんにリンクを張っていただきました。感謝です。
せっかくだからと検索エンジンに登録して回っていたら、夜があけつつあります。どうせだからと、アクセスカウンターも設置しました。明日は土曜日。昼までには起きて、上の子と一緒に児童館に遊びに行くという約束を守らねばなりません。
それから、オープンスピーカーズの実行委員会に行くつもりです。委員会が終わったら、すぐにふだんのミーティングになるでしょう。だとすると、途中でご飯もたべてかなくちゃ。温泉の有名な町ですから、お風呂にも入りたいな。
一日で全部やるのは明らかに無理ですね。無理を無理とも思わず、やるつもりになって結局時間が足りなくてイライラする・・・今から明日の自分が予想できます。



2002年01月24日(木) 道具

「お酒を止めるのは目的じゃなくて、健康に生き直すための手段である」
「AAは人生という道程を歩むための杖の代わり。単なる道具なのだ」
ソブラエティは到達点ではなく、出発点だといいます。人はワンディの緑色のメダルをもらう時に、スタートラインに立ち、ゴールの無いマラソンランナーとして、走り始めるのです。ハイヤーパワーが「もう走らなくていいよ」と引っ張りあげてくれるまで、一日一日を積み重ねていくしかありません。
ソブラエティは貴重な財産でもありますが、もっとも失われやすい財産でもあります。
アディクションから抜け出のも大変ですが、もっと大変なのは、自分のなすべきことを見定めて、それを達成していくことです。12のステップの目的は「アルコホーリクを社会の役に立つ人間するため」にあります。自分はどんな役に立つのか? 何のために生まれてきたのか?思い悩む時期も成長への道しるべなのでしょう。

「だって、酒止めてるだけじゃつまらないじゃないですか」

という仲間の言葉も身にしみます。
貴重な財産を失った仲間が、受話器の向こうでグラスをカチャカチャいわせながら、恨みのこもった言葉を吐くのを3時間も聞いているうちに、最初の言葉を思い出しました。
今は祈るしかありません。



2002年01月19日(土) 英会話学校

英会話学校に通うことにしました。
職安で「教育訓練給付金」という制度があって、それに該当するコースだと8割(最高30万円)まで給付が受けられる、というナイスな話があります。しかし、それにしたって、事前に給付してくれるわけじゃなく、費用をいったん自分で出した上で、ちゃんとそのコースを修了して、それを証明する書類をそろえて、提出すれば給付してくれるという制度です。
ですので、やっぱり最初にかなりの額を用意しないといけません。ボーナスがそれなりに貰えたら、それを元手にレッスンを受けるつもりだったのですが・・・・、残念ながら僕の期待は甘すぎました。しかし、妻が「出世払いで貸してあげる」といってくれたので、その好意に甘えることにしました。初心者用のコースは4月から給付の対象外になるそうなんで、助かりました。
で、レッスン開始の前に、現在の実力を把握するために、筆記試験とインタビュー形式のテストがありました。僕の話すのは、とってもおぼつかない英語ですが、相手もそのレベルに合わせてくれるので、なんとか30分程度の時間が、重苦しい沈黙なしに経過しました。
(でも、やっぱり初心者のレベルからスタートですけどね)。

「仕事が終わった後の時間は、何をしているの?」という質問がでました。
I am an alcoholic so I go to Alcoholics Anonymous.
と答えたら、「Attend to meeting ?」と言い直してくれました。そして、インストラクターである彼も別のアディクションを持ち、本国ではそのミーティングに出ていたと話してくれました。アディクションに関しての話はそれ以上突っ込んだ話にはなりませんでしたが、その話以降、すこし緊張が解けた気がしました。



2002年01月17日(木) 羅列的に

月曜のホームグループのミーティングが休みだったので、県庁所在地のミーティングに行きました。たまたま仲間のバースディでした。18年だそうです。山の奥のほうでは二十数年というメンバーのバースディが行われているはずです。アメリカ人のメンバーに会うこともできたのも収穫です。
English speaker のAAメンバーのサービス機構は、日本人のサービス機構とは独立して存在していて、Intergroupの活動なども日本人のAAとは別に行われています。English Speaking AA in Tokyo という名称がついてます。東京やその他の大都市では、ミーティングの一覧表が作られています。そうでない田舎では、外人のメンバーは基本的にはローンナーであり、日本人のグループに身を寄せています。そして、ミーティングの一覧表の代わりに、自分の電話番号やメールアドレスを掲示して、近くにアルコホーリクが現れるのを待っているのです。県内で連絡の取れる English speaker は彼ひとりです。
で、県内のミーティングの地図を作ったときに、くだんのホームページやら電話番号を掲載したかったのですが、それは彼の個人情報に直結する情報でもあるので、彼の許可をもらいたかったのです(前回の印刷では確認が取れず見送りました)。快諾はしてもらえたのですが、ひょっとすると仕事が3月末で終わり、4月には帰国してしまう可能性がある、と言われました。だとすれば、春の増刷で掲載しても、入れ違いになってしまう可能性があります。
「ともかく、長野県を離れるようになったら連絡をください」と名刺を渡してきました。

木曜の病院のミーティングは、地元の仲間が3人きてくれました。
ひょっとすると・・・中の一人は、グループを立ち上げようと言う考えを持っててくれたりするのかな? だとすれば嬉しいですが。あ、地区委員会の議事録渡さないと・・・・



2002年01月16日(水) 一体性・全体の福利

「AAの一体性とは何なのか? 全体の福利とは何か?」

というようなメールを頂きましたので、もう一度自分なりに考えてみました。
伝統1で示されていることは、AAが分断されてはならない、ということでしょう。
泥臭い派閥争いや、「自分の意見のほうが正しい」と言い争っているヒマがあったら、一人でも多くのアルコホーリクにメッセージを運ぶべきだという考えです。僕が直接聞いたわけじゃありませんが、仲間が「こんな言葉を聞いた」と教えてくれました。

「AAからの要請は断ることができない。なぜなら、今あなたが持っている時間は、AAが分け与えてくれたものなのだから」

そう、僕が今日一日飲まないで、当たり前のように仕事をし、食事をし、家族と会話し、アルコール以外の問題で悩んでいられるのも、すべてAAの先行く仲間が、僕に無償で手渡してくれたスピリチュアルな財産が元手となっているのです。オハイオのアクロンで始まったAAが、僕のところまでに届くまでに、ほんとうに沢山の仲間が関与してくれたはずです。そのどこかの誰かが、

「もう自分が助かったんだから、これでいいや、メッセージなんて運んでも無駄だし」

と考えていたとしたら、僕の手元にAAのプログラムは届かず、僕はおそらく今も酔っ払って
いたでしょう。

「でも僕らも食べていかなくちゃならないからね」とは同じ仲間の言葉です。そう、フルタイムでAAの活動ができる恵まれた仲間はほんの一握りで、残りの大多数は働きながらミーティングに参加したり、病院を訪れたり、委員会やイベントをやったりしているのです。
はっきり言って、自助グループに参加していくのは楽じゃありません。仕事・家庭・AAのバランスをどうとるか。どれにどれぐらい時間を割くか、メンバーは皆同じ悩みをかかえていることでしょう。
「無償でもらったものは、無償で返せ」と言われます。多少の献金は払ったけれど、それで誰かが儲けているわけじゃありません。自分のもらった財産の大きさは、育ててもらった親への恩に次ぐ大きさです。でも、それを返す先は、スポンサーではなく「次の人」だというのですから、やっかいです。なかなかスピリチュアルなプログラムの「次の受け取り手」が見つかるもんじゃないですからね。
まあ、僕も地区委員の役目は途中で放り出したクチですから、先の仲間のような言葉を言えた義理じゃありません。でも、自分の平和な生活が、仲間の一体性と自己犠牲の上に乗っかっているんだということは、なるべく忘れないようにしていたいです。
質問の答えになっているでしょうか。


2002年01月14日(月) DARCの特集番組

年末にローカル民放で放送された、DARCの特集番組をやっと見ました。
予告で気が付いた妻が、気を利かして録画しておいてくれたのですが、なかなか見る時間が取れなかったのです。今日、昼食を摂りながら、ゆっくり見ました。違和感があったのは、メンバーの顔がそのまま写されていたことです。以前にNHKの番組でDARCが取り上げられたときには、入所者の顔はモザイクがかけられ音声は処理されていました。まあ、DARC=NAというわけでもなし、部外者の僕がとやかく言うべきことでもありません。
感想としては、問題への切り口も適切で、問題のバックグラウンドもよく説明されていると感じました。薬物の人の場合、アルコールより深刻な問題があります。つまり、摂取自体が違法行為であることです。それに対する国の取り組みは、売るほう買うほうの両者を「悪」と決め付け、依存が形成された人を、刑務所なり精神病院に放り込んで、あとは知らん振りというのが実情です。そこから社会復帰に対して支援の態勢というのは、ほぼないに等しいと言っていいでしょう。
ちょっと驚いたのは、DARCがすでに24ヶ所もあることです。「あなたの人生を粉々にします」という公共CMも良いけれど、粉々になった人生をどうやって、少しでも元の生活に戻していくのか・・・そうした意味では、DARCの人々の顔が見え、回復者の存在や、それを支援する人の顔が見えたことは、音声処理とモザイク処理された映像より、ずっと説得力とアトラクティブな魅力があったと思います。
県内各地の高校へ、薬物依存者としてメッセージ活動を行っている姿が印象的でした。



2002年01月10日(木) 難しい

病院で行われたミーティングに参加しました。
本当は僕の担当の番じゃないんですが、昨年12月に二回大遅刻をやらかし、地元の仲間に臨時で司会をお願いしたぶん、埋め合わせにいこうかと・・・地元のふたりの仲間に、月一回この会場をお任せすることになっていて、今日がその初日でしたので、彼らも気合がはいってきていたのかもしれません。
それを、「昨月の埋め合わせに司会をさせてください」と頼んでやってしまいました。
これが良かったのか、悪かったのか・・・本当は、会場の隅で順番が回ってくるのをおとなしく待っているべきだったんじゃないかと、今この瞬間も悩んでいたりします。ともかく来月の第一木曜日はお願いします、とだけ伝えて帰りました。



2002年01月09日(水) 時間

委員会の議事録を作成しています。
全部の発言を記録できているわけじゃない(自分が絡む話には熱中して議事録を取るのを忘れる)ので、記憶鮮明なうちに作成しないといけません。以前書記をやったときや、臨時で頼まれたときは、土曜の晩か、日曜日に作っていました。しかし、今回は日曜日に子供が「耳がいたい」というので、耳鼻科へ連れて行ったりしていたら、時間がなくなってしまいました。平日の夜に少しずつ進めるしかありません。
「持てる時間すべてをAAに注ぎ込める幸運なメンバーは、ほんの一握りだ」とどこかに書いてありました。家族のあるメンバーは、家族と過ごす時間が必要です。
最初の一年とか大事な期間は、家族よりもミーティングを大事にしないといけない時期もあるでしょう。しかし、安定したソブラエティを得るにつれ、家族と触れ合う時間が求められるのは当然です。
また、一人暮らしのメンバーの生活も大変です。仕事やミーティングから帰って、ご飯を作って食べ、選択や掃除をし、また明日の準備をして・・・ま、僕は一人暮らしで飲んでいた頃は、そういったことは全部放棄してましたから、本当の一人暮らしの苦労はわかってないんですが。でも、「一人暮らしのほうが、AAのプログラムに取り組む時間が取れるぶん回復する可能性が高い」なんていう話もあったりして。
ま、ともかく平日の夜にこんな時間が取れる自分は恵まれているのかなと。
都市部では、生活保護を受けて暮らし、ミーティングとサービス活動への参加を活発にやっている人々がいます。彼らには時間があるから、とひがむ人もあったりして。



2002年01月08日(火) 郵便物

郵便箱を開けたら、中から大きな荷物がでてきました。
ひとつはセントラルオフィスから。先日注文したハンドブックと「こちらAA」とビッグブックの文庫版が2冊。いちおうグループの名義での注文ですが、僕が勝手に頼んで、勝手に支払いをします。グループの名義にするのは、グループ毎の献金の一覧表に「書籍」の項目で載るからです。グループから毎月献金できるわけじゃないので、すこしでもリストを賑わそうと。で、これらの品はグループとしての活動じゃなく、僕個人の12ステップ活動のために使われたり、ハンドブックの不足している会場に「献品」されたりするのです。献金箱に献金して、グループのビジネスミーティングで購入を決めて皆で使っても良いのですが、「何事も自分でコントロールしたがる」アル中としては、思い通りにしたいがゆえに、こうやっているメンバーも少なくありません(笑)。オフィスは財政状況の悪化で、書籍の一割引販売を止めてしまいましたが、ハンドブックなどを一度に沢山注文すると一割ぶん余計にサービスしてくれます。
もうひとつは、hazelden からのメダルとトークンです。こちらは財政難のオフィスには申し訳ないのですが、アメリカの出版社から直接購入しています。去年はオフィスがメダルの品切れを起こし、数ヶ月メダルなしの状態が続いたのも心理的な要因です。バースディやメダルのオープンミーティングに、メダルが間に合わないという事態が(オフィスに責任はなく、グループの、というかチェアマンである僕の怠慢が原因で)何度も起きているので、予備的にたくさん仕入れておいた次第です。
NAとかACとかニコチンとか、アラノン用とか、いろんなメダルも向こうにはあるのです。



2002年01月07日(月) 今日のテーマは「ターニングポイント」

仕事は、一日中会議でうんざり。
オープンミーティングでした。9ヶ月の仲間がふたりいます。6ヶ月までは、プラスチック製のメダル(トークンという)なんですが、9ヶ月からはブロンズに変わります。というか、6ヶ月までもブロンズのメダルはあるんですが、消費量が多いので、トークンで代替してるわけです。
正月明けのミーティングは緊張します。やっぱり年末年始はリスキーな時期だし、そこでのスリップが原因で、2月ごろは病院も患者さんで溢れます。だから、今日来ない仲間がいると、かなり「どうかな?」という心配がでてきます。
そういえば、大学病院から先生が若い方をふたりほど連れて見えました。前回はもふたりほど連れてこられました。正直言って、経験豊富な医師が、いまさらAAのミーティングにやってきて、何の意図があるのか、図りかねていました。でも、やっと少し判りました。だいたい、アルコール依存症というのは人気の無い分野であること。だから、依存症のことを学んでいない医師が多いこと。そんな話をしていただきました。二人の若い方は医学生で、「なんで連れてこられたか最初はわからなかった」とおっしゃっていましたが、自助グループという手法があるってことを知っていただいただけでも、それは素晴らしいことでしょう。医師は医師の立場で、努力してくださっているんですね。

ねむいです。


2002年01月05日(土) 委員会

いつもながら、委員会は疲れます。
今日は雪でしたから、あまり多くのグループが集まらないのでは? でも、結局全グループがそろいました。委員会が始まる前は、いつもながら和やかな雰囲気につつまれています。でも、委員会が始まると・・・・あるメンバー曰く「どんなに揉める会社の会議だって、こんなに辛らつな言葉の応報はあり得ない」。やはりアルコホーリクは感情の病気です。みな真剣なのは確かです。感情的になりすぎて、酷い言葉が出てくるというのとは違います。でも、「自分の考えのほうが正しい」という思い込みをベースに、思い通りにならない苛立ちが吐かせる言葉は、辛らつという形容を超えることもしばしば。とくに、集まった献金をどう使うかという話になると、すんなり決まるような場合なんてめったにありません。
それでも、初の女性議長が、獅子奮迅で多数の議題を定刻の90分で消化してくれました。ミーティングのテーマに「謙虚」とかが選ばれるのには、立派な理由があるのです。今年一年書記を勤めさせていただきますが、それも議事録を取っていれば、黙っていられるだろうという考えなんですが、いざ自分も関係ある議題になると、議事録なんてほっておいて、口角泡を飛ばしていたりします。
9時を過ぎると、降って解けた雪が凍り、面白いように道が滑りました。心が疲れ、いらいらしています。全体サービスへの参加なんて、つくづく損な役回りだななんて思ったりします。「みんな病気だよ」とつぶやいてみたり。でも、僕がこうして帰宅して風呂に入り、モルモットを運動させた後に、くつろいでパソコンの前に座っている間も、凍てついた帰路を急いでいる仲間もいるのです。彼女が家に着くころには日付が変わっているでしょう。
それを思い出すと、自分だってひどい感情の病気持ちだって気がついたりするのです。



2002年01月04日(金) 走れ!

今日は平日です。でも不景気なんで僕はお休みです。
つまり、公共機関や病院は開いていて、僕には自由な時間が与えられているというめったに無いチャンスなのです。仲間とも、「4日は広報活動」と打ち合わせていたのですが、起きたら昼でした。
慌ててお昼を食べ、ポスターの原稿をイライラしながらプリントし、家を飛び出しました。
1時半。コピー印刷屋さんで、ミーティング会場地図を刷り、AAのポスターのほうは、A4をA3に拡大コピーしてもらいます。この時点で仲間に電話・・・留守でした。携帯なら捕まったのに、と後で責められました。
2時半。最初の病院は、お付き合いの長いSWさんとすぐ会えました。ポスターも快く引き受けてくださって、病棟と外来の両方に張っていただけるそうです。感謝。
2番目は保健所。酒害相談担当の保健婦さんは変わっていました。地図を喜んでいただけました。一ヶ所に長く居られません。
次の病院に向かう前に、まったくお付き合いの無い病院の前を通りました。いきなり駐車場に車を停め、窓口に「AAというアルコール依存症の患者会の者です。ケースワーカーの方に面談をお願いしたいのですが、10分ほど時間を割いていただけないでしょうか?」 この際、表現の正確さは置いといて、判りやすい表現にしてみました。会社の営業の人の「飛び込み」ってこういう感覚でしょうか? 会っていただけました。患者さんに紹介して良いか、一度ミーティングに出てみたい。それは当然ですね。大歓迎です。やっほう。3時半。
次もお付き合いの長い病院。担当の方が変わっていました。これも貴重な情報。4時。
次は半年前にいきなり訪問した病院。もうポスター貼ってくれるかどうか関係なく2枚づつ渡しちゃいます。もうお任せ。4時45分。
近くにあとひとつ病院があります。ダメ元で行ってみました。5時5分前。会っていただけました。驚いたことは、CW/SWの方ばかりでなく、先生方にも自助グループの存在というのが認知されていることでしょうか。医療関係者の皆様の努力もありましょう。精神保健センターや保健所の方の活動。AAのサービス機構。断酒会の方の努力。頭が下がります。
夜電話したら仲間に怒られました「約束したのに・・・」。大丈夫、大学病院と市役所はあなたのために取ってあるよん。ポスターも地図も残ってるし。



2002年01月01日(火) お雑煮+ミーティング

隣の県の県庁所在地のミーティングに参加しました。
お雑煮を作ってくれるという話に釣れられて・・・僕が初めてAAのミーティングに出だした頃、その会場のチェアマンが、その隣の県のミーティングまで毎回出かけていることを知りました。僕が病院からAAに Coming Back してくる頃には、隣の県のAAも成長を始めて、二つの会場の間はメンバーが活発に行き来する状態になりました。おかげで僕も沢山の仲間の話に触れることができて、とても助かりました。彼らは時には、もうひとつ峠を越えて、僕のホームグループの会場にも顔を何度も出してくれたりしました。人数の少ない会場には、遠来の客はとても嬉しいものです。
僕も、「いつかは彼らの会場に行くね」と誓って以来数年、一回も行くことはありませんでした。彼らが会場を増やし、グループを増やしていく過程は聞こえてきてもいました。また、順風もあれば、逆風もあることも、二つの県に共通のこともあります。
きのう仲間から、その会場が元日の晩に開くという話を聞いたとき、迷いなく決めました。「行こう」と。
懐かしい顔に出会えました。新しい人たちとも会えました。顔を見なかった人たちにはそれなりの事情があるのでしょう。再会を喜び、握手をし、世間話をするでもなく、またの再会を誓うわけでもなく、別れて帰ってきました。
お雑煮以外、何も特別でない、普通のミーティング。今日一日。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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