心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年03月30日(土) 手をつけてません

Big Book 4th Edtion の「個人の物語」の翻訳ですが、最終的には二十人近くのボランティアが集まったみたいです。全部で四十数編ですから、一人あたま2〜3編を訳せばいいわけです。僕は、気に入りそうなのを3篇選んでしまいました。ただし、2編は、僕の訳出前に「誰かが取り掛かりたい」と言ったら、回してくださいと現場監督(出版局の方に付けられた愛称)にお願いしてあります。
で、全然手をつけていません。それだけ時間的余裕がないというのが、第一の理由です。でも、できるなら期限の年末までに、(仲間内での校正を済ませて)下訳を提出したいと考えています。ゴールデンウィークあたりにでも、まとめて2編ほど訳したいと思っています。



2002年03月29日(金) 休暇(欠勤とも言う)

仕事を休んでしまいました。
一応理由は「風邪で熱が下がらない」ということにしておきましたが、実際には過労気味なんで一日休みたいというのが本音です。本当は出て行かなければならない用事はあるのですが、実のところ「僕がいなくても何とかなる」用事は多いのです。多忙なときは「あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ」という切羽詰った気分でいますから、何でも自分ひとりの肩に背負っている気分でいますが、実は「他の誰か」でも十分にそれをこなせる場合が大半です。
仕事の「うまい」人は、自分の仕事が手一杯になってくると、新しく来た仕事を周囲に回してしまします(押し付けるとも言う)。そうやって仕事が溢れないようにできるのが一人前なのでしょうが、僕は「何でも自分でコントロールしたい」アル中そのものなので、何にでも絡んでしまい、いつの間にか身動き取れなくなっている自分に気づくのです。
去年の9月に「長い夏休み」から復帰して以降、一度も休まなかった仕事ですが(遅刻はけっこうあったけれど)、今回は一日半休んでしまいました。初日は夜8時まで寝ていまして、二日目(きょう)は午前中も寝ていました。出てきて見ると、昨日休んだ仕事は、既にきちんと片付いていました。なにか愛知のほうでトラブルの雰囲気がしますが、昨日休んで打ち合わせに出ていないので「当事者意識」はまったくありません。
あんまりのんびりして、サボり癖がついても困るのですが、たまにはのんびりしなくちゃね。



2002年03月26日(火) ね、ねむい。

病院からミーティングにやってきた人が、懐かしい人から伝言を預かってきてくれました。
「今度は処置入院で5年ぐらい外に出られないけど、よろしく伝えてくれ」
ミーティングには来たいようですが、閉鎖病棟から出してもらえないようです。しばらく考えた後に、僕が出した結論は、「慌てて面会に行く必要はないな。時間ができてからにしよう」でした。
毎月一回、市内の各精神病院に、ニューズレターやらのコピーを届けているのですが、今回は4月にあるオープンスピーカーズ・ミーティングの案内も入れる予定です。が、忙しがっているうちに、3月も終わりに来てしまいました。



2002年03月24日(日) ひょんなこと

ひょんなことから、病院メッセージに飛び入り参加してしまいました。
でも、日曜日の午前中に活動する、というのは「僕には」負担のかかる話です。だもので、「もし〜だったら」という条件付けをすると、多分病院には行かなかったでしょう。なので、前夜に仲間と相談して、無条件に行くことにしました。久しぶりに会えた仲間がいました。
僕が「一番最初」にAAミーティングに出たときに、十数人のメンバーがそこにはいたのですが、彼女が話してくれた内容だけを覚えています。そんな仲間とひさしぶりに会えました。
もちろん僕は嬉しかったです。もし、僕が不機嫌そうに見えたとしたら、それは日曜日の午前中だからです。仲間の助言に従って、午後はゆっくり寝ることにしたのはゆうまでもありません。


2002年03月23日(土) ただ面白いから

ぼくは、オンラインでの「経験の分かち合い」については、長い間否定的でした。
Niftyのパティオで「オンラインミーティング」が開かれていた時代も、何回か顔を出してみたのですが、そこに混じっていこうとは思いませんでした。ひとつには、「ひとの書いた長い文章を読むのは実は苦手」というのもありますが、「言いっぱなし」にならないというのも、どうも気にいらなかったのです。
インターネット普及後も、アルコール関係の掲示板とかには近寄らないようにしていました。アル中でない普通の人々でも、フレームとよばれる過熱した議論が発生し、単なる揚げ足の取り合い、避難の応報になることは、珍しくありません。そこまでひどくなくても、あまり気分のすっきりしない記事も多いものです。
今でも、「じかに人と人とが顔を合わせ、話をする」ことが、回復には最も良い手段である、という意見に変わりはありません。でも、こうして実際にサイトを運営するようになって、見知らぬ人と(薄いながらも)やりとりが生まれてみると、なるほど現実に自分が移動できる範囲を越えて、いろいろな経験が分かち合えるのだなぁ、と少し考えも変わってまいりました。少しずつ巡回先も増やしていって、リンクに加えていきたいと思います。
でも、このサイトをアルコール依存関係のポータルサイトにまで成長させようとは、夢にも思っていません。そもそもこのサイトは、ステップ12(メッセージを運ぶ)という高邁な精神でやっているわけじゃなくて、「Just fun」というシンプルな動機で駆動されているだけですから。



2002年03月18日(月) 不運続き

不運続きでした。というか、根本的な原因は自家製なので、不運と呼ぶのはふさわしくないのかもしれません。ともかく、僕は前の晩の深夜に、注意不足からショートサーキットを起こし、1800円で買ったばかりの12V 1250mAのACアダプターをおしゃかにして、さらにそれをつなげた発信機自体を壊してしまって、総被害額8000円という事態に、憤懣やるかたないといった心持ちで、今朝を迎えたのでした。
睡眠不足の不機嫌と、思うにまかせない仕事の状況で、終日イライラを募らせながらの一日でした。さいわい、ホームグループのミーティングの日でもあり、司会を頼んでいる仲間がインフルエンザで休みなので、「思い通りにならない」というテーマで司会をさせてもらいました。僕が休んだ先週から通い始めた仲間もおり、数ヶ月ぶりで顔をみた仲間もおり、僕は自分で決めたテーマで勝手なことをしゃべって、なんとか心理的安定へとたどり着き、帰宅したのでした。
FAXから紙が吐き出されていました。AA出版局からで、「PCがウィルスにやられて、ここ数日メールのチェックができていません。下記の話はすでに決まってしまっていますから、これ以外から訳したいものを選んでください」という主旨でした。僕が3つ選んでメールしたのは、確か金曜深夜ですから、おそらく失われてしまったのでしょう。決定済みのリストは長く、二十数編に及んでいます。つまり、全体の過半数です。どう考えても、僕の選んだ3篇は、その二十数編とダブっているでしょう。
「ああ、きっと全部ダブってしまって、また選びなおさないといけないんだぁ」と悲嘆にくれました。ふたたび、イライラが顔をもたげてきます。何度も起動に失敗するわがPCに罵声を浴びせながら、何を訳すと決めて連絡したのか、記録と照らしあわせてみました・・・・、3篇とも誰ともダブっていませんでした。
サイコロを3個降って、全部奇数がでる確率と、ほぼ同等です。AAでは、こういうのを「偶然」とは呼ばずに、「ハイヤーパワー」と言うのでしょうね。



2002年03月17日(日) お小遣い帳

お小遣い帳をつけています。
僕のお小遣いは1日1000円。月額30000円です。何らかの理由でお弁当を持参できなかった場合には、この中から昼食費を出さないといけません(もっとも理由が県外出張の場合には会社から出た出張手当は僕のものです)。仕事関係の雑誌書籍もここから出費されます。技術系の専門誌は高いのでバカになりません。あとは、PCのパーツ類や散髪、ジュースやカップラーメン、ペットのえさなどの費用に散財されていきます。
なんだかんだ言って、大きな比率を占めているのはAA関係です。献金や書籍の購入などなど・・・。普通の家庭であれば、必要ないはずの経費。でも僕にとっては、命と心の平和を購うのに必須の金額。
僕のソブラエティの始まりは、金銭の欠乏との戦いでもありました。仲間の提案にそってつけられ始めた家計簿。その中に書いた「ミーティング献金」の額について、妻と喧嘩したこともありました。「正直とバカ正直とは違う」という言葉を仲間から貰いました。今は、お小遣いとガソリン代という名目で支給される範囲内であれば、どこに幾ら使っても文句は言われなくなりました。でも、再建されたはずの家計も、車を買い換えてしまったのが原因、ローンで家計は毎月赤字です。
お小遣い枠だけは死守しましたが、おかげで「AAのイベントだから」という理由で特別な出費を強いることもできなくなりました。少しでも、余分な金を用意しておきたくてつけはじめたExcelのシートですが、自分の物欲を再確認するだけの表になり果てています。まあ、足りなくなれば頭を下げるしかないんですが。



2002年03月16日(土) みっつ選びました

Big Book 4th Edition に収められている「個人の物語」は四十数編です。
翻訳ボランティアは15名集まったそうですので、一人当たりのノルマ(?)は3篇てことになります。今なら、好きなの3篇を選んで「これをやります」と宣言してしまえば、通りそうな気配だったので、みっつ選んでJSOの出版局の方にメールしました。「AAの先駆者たち」からひとつ、「なんとか飲むのを止めた」からひとつ、「ほとんど全てを失って」からひとつ。バランスよく選んでみました。なんとか年内には3篇とも下訳を提出したいものです。「心の家路」もリンク先を増やしていきたいのですが、「リンクする自由」には「リンクする責任」も伴うので、「投稿の量が多すぎて読んでいられない掲示板」とかはリンクが躊躇われます。
「ここリンクしたらどうですか?」という推薦がありましたら、掲示板にでも書き込んでください。



2002年03月14日(木) ああ、忙しかった。

富山は良いところでした。上越のジャンクションから北陸道に入ると、二十数本のトンネルを貫いて、直線路が続きます。前にも、後ろにも車がいないぐらい空いています。思わずアクセルを床まで踏みたい衝動にかられます。もっとも社用車で180Km/hでるかは試したことがありませんが。ちなみに金沢に近づくと、もっと車は増えるそうですが。
黒部の山の山容の隣には、「裏側?」からの白馬三山が雪をかぶった姿をみせています。しかし、里はあくまでも平野で、雪も無く、海岸線の向こうに、水平線が広がっています。水曜は、大垣と豊田へ行ってきました。太平洋岸はもう「春」ですね。新潟から妙高を経て帰ってきたときも、恵那山トンネルを抜けたときも、雪の斜面が迎えてくれました。やっぱ、信州は寒いです。
今日は県内を2ヶ所回り、これでとりあえず年度末の営業帯同の行脚は終わりの予定です。ミーティングをふたつすっぽかしてしまいました。留守を預かってくれた仲間に感謝。今度の土日はゆっくりしたいです。
ゆっくり行って、黒部まで2時間ちょっと。金沢も、(時間の点では)そう遠くもないかな。もっとも、高速料金という点では、東京より遠いですが。
え? 安房峠から神岡を抜けろ? う〜ん。



2002年03月10日(日) 眠い一日

ゆっくりサイトの更新をしたいところですが、明日は富山に出張なので、ほどほどの時間に寝ないと「後悔するハメ」になってしまいます。
いや実は今日の病院メッセージも、眠くてたまりませんでした。でも、今回は僕のグループの輪番で、今回動けるのは僕だけですから、いやもおうもありません。でも、現地に付いてみると、ふたりの仲間が応援(?)に来てくれていました。素直に感謝できれば良いのですが、「あいつは頼りないから」と思われているんじゃないかとか、「あいつの話は独善的過ぎるから、心配だ」と思われているんじゃないかとか、そんな疑心が心の中に芽生えたりします。
もし仮に「本当にそのとおり」だったとしたならば、恨むなんてとんでもない、なおさら感謝しなければなりません。でも、素直に「ではそう考えて、大いに感謝しておこう」と思えないのが「性格上の欠点」てやつでしょうか。
帰りの車の中は眠くてたまりませんでした。「遠いなぁ」と思いながら、明日のホームグループのミーティングを、今日行った市にあるグループの仲間にゆだねてきたことを忘れている自分に気づきました。彼女はきっと、今日僕が辿ったのと同じ行程を辿りまた、帰って行くのでしょう。夜に。



2002年03月09日(土) 読んでます?

久しぶりのミーティング会場にいったら、「ホームページ見てるよ」と声をかけられてしまいました。う〜ん。恥ずかしい。だから、あまり地元の仲間には教えてなかったのですが・・・。とくに日記を読まれるのが恥ずかしい。だったら書かなきゃいいのに、と言われそうですが、どうも日記の無いサイトはつまんないですからねぇ。まあ、人の日記を読むというのは楽しいものです。 インターネット普及以前は考えられなかったことです。日記を毎日書く人がいて、それを毎日読む人がいるなんて。パソコン通信時代でも、日記系というのはなかったなぁ。
僕も好きですよ、人の日記を読むのは。「Webマスターの自己紹介」にも書きましたが、毎日読んでいる日記があります。First & First (http://www.cds.co.jp/ff/) と、大坪家の書庫 (http://member.nifty.ne.jp/GOtsubo/) 。こうした人たちは毎日更新してるんで、マメだなぁと関心してしまいます。まあ前者は、10:30になっても新しい原稿がはいらなければ、自動的に予定校が入る技術的にも高度な仕組みです。
「たったひとつの冴えないやり方」も、あんまり更新頻度は高くないです。理由は、それほどAA関係のトピックが毎日あるわけじゃないせいです。
東京のSCORAHさんのサイトへのリンクを設けました。



2002年03月08日(金) タックシール

去年までは、年賀状の宛名印刷にシェアウェアを使っていました。それ以前はフリーウェアを使っていたのですが、出来が悪すぎて仕方ないので、ベクターで500円を支払って購入した次第です。その後メジャーバージョンアップがあって800円を追加で支払いましたから、合計1300円です。
プリンターを買う前は順調に動作していたそのシェアウェアですが、新しいプリンターとは相性が悪いらしく(ふつうはバグと言われる問題でしょうが)、だいぶ難儀してしましました。印刷するたびに苦労の連続です。そんなわけで、昨年11月に年賀状用宛名印刷のソフトを買いました。
しかし年末の忙しい中、「新しいソフトの使い方を覚えるよりも、慣れたやり方のほうが無難」という判断をして、今年の年賀状はシェアウェアで刷りました。当然それはタックシールにも印刷できるんですが、今回は一念奮起して印刷ソフトをインストールし、データを移行させました。さすがに細かなところまで設定できて便利です。説明書はどうにも判りにくいのですが、ともかくふたつ発生した問題の解決は、マニュアルの中に見つかりました。なにせ、タックシールそのものが店に見つからないものだから、見つかったものを何でもいいやと買ってきたら、東芝のワープロ用の特殊レイアウト品で、印刷ソフトの初期設定には、特殊品のレイアウトがありません。しかたないので、自分で設定しました。きれいに刷り上ったタックシールは、オープンスピーカーズの案内の封筒に張られる予定です。でもなんとなくレイアウトが気に入らないので、もう一度刷り直しました。
いかにもアル中的行動ですね。


2002年03月07日(木) JSO経由で4thEdtion到着

今週は睡眠時間が5時間を切った日が続きました。 いや、AAや仕事ばかりじゃなくて、趣味のこともあるので、自業自得です。たまには、早く帰ることにして、文房具屋に寄ってタックシールを買いました。いままでは封筒に直接印字していたので、タックシールを買うのは初めてです。意外と高いんですね。それだけ需要が減ったってコトなのでしょうか。
話が仕事のほうに行きそうなので、元に戻しまして、帰宅して郵便箱を覗くと冊子小包が届いていました。「何にも頼んだ覚えがないのになぁ」。開けてみると Big Book 第4版でした。太平洋を船便で渡ってきたのが、JSO経由で僕の手元にやっと届いたってわけです。もちろん素敵な納品書がついていましたとも。一冊1200円。あちらでは $9 だったと記憶してますから、実費です。JSOへの送料も考えれば、実費以下かな。もちろん僕のところへの送料は別途340円請求されてますが、振込用紙は赤い加入者負担のやつです。可能な限り最大限の配慮をいただいている、と判断していいでしょう。
すでに翻訳が開始されているもののリストもあって、これ以外なら何を選んでもいいよ、ということなので、3部構成のなかからひとつずつ選ぶことにします。最終的に訳者は15名になったようなので、ノルマは3篇です。訳語のばらつきを避けるために、用語集もついてきました。なんだか仕事みたい :-)
週末にゆっくりとみっつ選ぼうと思います。



2002年03月06日(水) おかげさまで

おかげさまで、毎日十数人の方がこのサイトを見に来てくださっています。
単に、あをねこさんのサイトの補完として、県内のミーティング場の一覧と地図を掲載するだけのはずだったのですが、そこはアル中的性格でしょうか、不要に凝ってしまうところが・・・・。最初はフレーム構成にしてみて、あげくに全部デザインを一新してしまうあたりが・・・。
おかげで、初めてスタイルシートの機能とか使って勉強になりました。最終的には、ブックマークに常に入れてある 『中野法律文庫』http://plaza2.mbn.or.jp/~duplex/houritsu/houritsu.htmをすっかり真似てしまうことになります。
見に行っていただければ、いかに真似たか判っていただけると思います。
あんまりヒット数など期待しているわけじゃありませんが、見に来てくださるのはありがたいことです。ただ、お忙しい方は、WWWCなどで「更新されたときだけ」見にくることができることも、付け加えておきます。
今後は、体験記とかアーカイブを充実させていきたいと思っています。



2002年03月04日(月) 時には不思議なことが起こる

どうみても順調には滑り出しそうにない一週間のはずでした。
朝から憂鬱な会議があり、大切だけれどうっとおしい打ち合わせがあり、そしてスポンシーがミーティングに来るのか来ないのかハッキりしない状態。今週のスケジュールはスパゲッティのようにこんがらかって・・・。
ところが会議はたった45分で終わり、打ち合わせは担当者がインフルエンザでダウンしたせいで、明日に延期(明日までに治るのか?)。仕事中に携帯電話がワンコールだけ鳴って切れました。着信記録をみるとスポンシーの番号です。「どうせ『今日のミーティングは休む』だろう」などとタカをくくって、かけ直してみると、奥さんが出て「電話はかけてないですよ。全然。まだ、37度以上の熱が下がらなくて。この人は時々こういうことがあるんです。原因はわかりませんが」、そういえば前にも原因不明の熱が何回かあったような気がします。ごめん、あなたの「やる気」を疑って悪かったよ。内科行った方がいいよ。
落として壊したキーボードはすぐに修理できたし、6時過ぎに会社を出ようとしたときに伝えられたトラブルへの対処は、若い社員ふたりが替わりに対応してくれると言うし。3ヶ月先のミーティング会場は何の問題もなく予約できたし。おまけに、寂しいだろうと思っていたミーティングには、入院中の人の家族だとか、外泊中なんで子供連れてきましたとか、100Kmむこうから下道走ってきましたとか、なんだか賑やかなミーティングでした。誰もコーヒーを飲まなかったせいで、片付けも異常に楽だったし。
一日の最後に、1ヶ月近くにわたって行ってきた実験のデータを台無しにしても、まあ苦笑いして許せる気持ちでした。
不思議ですね。こんな一日があるなんて。神様からのプレゼントなんでしょうか。



2002年03月03日(日) イライラ

イライラが治りません。
飲まないアルコホーリク(いや飲んでいるアルコホーリクも同じか)が、イライラするときは、「自分の思い通りにコトが運んでいかない」場合である場合がほとんどです。その原因が自分にあろうと、他の人にあろうと関係ありません。
なんだか中間管理職になってしまって、人の面倒を見るのが仕事になり、ひたすら会議の連続の毎日です。元来プログラマーである自分が、プログラムを最後に書いたのは去年の11月です。以来、1行足りとも書いていません。HTMLはイヤになるほど書きましたが、これはプログラムとは言えません。
週末にノバのレッスンをふたつ入れてしまったおかげで、週末もなんとなくテンションの高いまま推移してます。以前だったら、疲れていれば午後遅くまででも寝ていられたのになんだかお昼頃には目がさめてしまいます。
仕事にしても、プライベートにしても、AAにしても、大きな問題はなくて、深刻なのは家計の赤字ぐらいのものなのに、イライラが収まりません。「自分の思い通り」どころか「自分が何を望んでいるのか」さえも見失っています。謙虚とか、感謝とかが必要なのはわかっています。でも、それが実践できるかどうかは、別の問題なのです。なんとなくウツっぽいこともあり、不機嫌な顔つきで毎日を送っています。どうやらAAの仲間には(いや他の人にも)それが判るようで、「調子悪そうだね」と言われたりします。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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