ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2001年12月28日(金) 今年最後のミーティング 今年最後のミーティングに出席しました。
年末年始を挟んで、3週間も間隔が空くのは良くないだろう、という周囲のグループからの提案もあって、月曜を金曜に移してのミーティングでした。時間帯がイレギュラーであることもあってか、出席者は4人。でも、今年は一人で始まったんだから、かなりうれしい数字と考えるべきですね。
「今日集まった仲間は、『ほんとの仲間』だなって気がする」と誰かが言っていました。
ACグループのミーティングと重なっていて、懐かしい顔を見ることができたりしました。
20011226
まだ治っていません
木曜のミーティングには結局間に合いませんでした。東名⇒中央道⇒長野道とかなり飛ばしたのですが、結局会場では最後のスピーカーになってしまいました。
で、風邪のほうですが、まだ治っていません。
気管支炎になっているみたいで、咳が止まりません。月曜はホームグループのミーティングが(祝日で会場が閉まってるので)休みだったぶん、火曜の隣のグループのミーティングに出るつもりだったのに、結局家に帰って寝てしまいました。
この雪辱は来年の元日のミーティングにて晴らしたいと思います。
2001年12月17日(月) 風邪ひきました 台湾に出かける前に、ちょっと喉がゴロゴロするなぁとは思っていました。
家族全員で、ゼホゼホ咳をしていたので、感染力の強いカゼじゃないかな、と思ったり。台北の日中の気温は18〜20℃ぐらいなのに、どこでもエアコンで冷やして、その中で皆さん半袖で仕事してます。信州は寒いといっても、普段は暖房の聞いた二十数度の中にいるわけですし、「どうせ向こうは暖かいから」という理由で薄着でいった僕らは「寒い」を連発していました。
それでも、咳も治って快適だったのですが、日本に帰ってきたら、今度は外気温が数度です。温度差にやられて、すっかりカゼを引いてしまいました。まあ、咳をしすぎてガラガラ声になっている以外は、それほど深刻な状況ではないのです。
しかし、最も人に「しんどそう」と思ってもらえる状態でもあります。
仕事が長引いて、ミーティングに30分以上遅れてしまいました。
バスケットが無くても、時間になれば、そこに居る仲間がミーティングを始めてくれていました。僕が話してミーティングが終わり、ビジネスミーティングで、メダルを幾つか買うことを決定し(9ヶ月以降はブロンズのメダルになるんで、単価が高いのです)。水曜・木曜と、また出張になりそうで、木曜の晩の病院でのミーティングへの参加がちょっと間に合わないかもしれないです。困ったな。
2001年12月14日(金) 台北 3度目の台北でした。
今回は仕事の打ち合わせだけでしたので、2泊3日というあわただしいスケジュールでした。10月に買ったノートPCには、iPassConnect も GRIC も仕込んであるので、現地からのダイアルアップには何の不安もありません。仕事もこのまますんなり行けば、受注できる見込みです。そして、そうなるとまた来春には、1週間以上台北に滞在することになるでしょう。そうなると、できれば台北のAAミーティングに出てみたくなるものです。
ホテルの電話からダイアルアップして、ニューヨークのGSO公式サイト http://www.aa.org/からたどると、各国のサービスオフィスへのリンク or 電話番号にたどり着けるのですが、残念ながら Taiwan も China も見つかりませんでした。どうやら、こちらには「AAのミーティングが無い」か「あってもサービス機構がないので連絡不能」のどちらかということになります。いずれにせよ、例えミーティングがあったとしても、それがどこで行われいるか、僕には知る手段がないことになります。
お土産に買って帰った「杏仁茶」「烏龍茶ケーキ」ともに、家族にはとても不興でした。
2001年12月11日(火) いろいろ 12月に入っていろいろありました。転勤族の仲間がやってきて、バースディミーティングが行われたり(メダルが間に合いませんでした、というか忘れてた)、閉鎖された会場を誰が再開するか、委員会でゴチャゴチャあったり・・・
県内のミーティングの地図が出来上がったので、とりあえず主治医のところへ持っていきました。「ああ、それは良かった」と言っていただけましたが、逆にいうとそれは「今まで必要があったのに、それが存在しなかった」という問題点が浮き彫りにされる言葉なわけで誇らしいというより、恥ずかしい話です。
年末までに、もし半日ぐらい休みがとれれば、各医療機関を回って、できるだけ配りたいところです。が、あまり理想を高く持つと、始めるのが億劫になるので、「郵送でも可」てことにしときましょう。
来年にオープンスピーカーズミーティングの輪番になるグループが、それを辞退した場合に僕のグループで立候補するという心積もりでいましたが、そのグループが引き受ける方向で話が進んでいるようで一安心です。ただ、代わりに一泊の「夏の集い」を再開しないかと来年の議長から打診されました。あと、広報用に月刊のペラを出せないか、これも打診がありました。
熱心だった隣の県のメンバーが、会場を閉めてAAを離れていった、と聞いたのはショックでした。
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