心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2001年11月30日(金) 年末年始

自分のグループの年末年始のミーティングスケジュールは、すでに確定済みです。
病院でのミーティングは、仲間内で相談した結果、正月3日は休ませてもらうことで決まりました(まあ病院側との調整は必要ですが)。以前三が日にミーティングをやったこともあったのですが、お正月なんで皆さん外泊していて誰もいなかったりします。教会以外の施設を使っている会場は、年末年始はほとんどお休みになります。
そこに魔が潜んでいるのも確かで、お酒に接する機会が増えるこの休みにスリップする例も数多くあります。忘年会・新年会もあったりして。年末年始の教会でのミーティングは沢山人が集まることも多くて、たまにしか会えない仲間の顔が見られるチャンスでもあるんですが。


2001年11月26日(月) 関係者来訪

ミーティングにいきなり(でもないか)関係者の方々が見えられました。
「関係者」というのもAA用語でしょうね。医療・福祉関係の専門職の方をまとめてこう呼びます。今回いらしたのは、病院のドクターから学生まで含めて4名の方。こういう事態は久しぶりなんで、結構緊張しました。ミーティングの終わりにコメントを頂きました。
医療の側から見ると、依存症の回復失敗例しか見ることができません。それはそうでしょう。順調にソブラエティにたどり着いた仲間は、あまり通院したりしないのが現実で、医者の前に顔を出すのは、依存を断ち切れない例が大多数なわけですから。そうした状況の中で、回復への希望を維持しつづけるのは難しく、時には無力感に悩まされるという話も伝え聞いたことがあります。
自助グループに顔を出すと、そこには回復に取り組んでいる人間の姿が見えるわけです。今回頂いたコメントも、そうしたニュアンスを帯びていたかもしれません。そういえば、入院のときに世話になった先生に手紙を書こうと思いながら、何年も過ぎてしまいました。スポンサーにも手紙も書いていません。
ああ、そういえば年賀状の季節ですね。僕の出す年賀状のほとんどは、AAのメンバーあてです。残りの少数は大学時代の友人と、親戚ぐらい。
AAがなかったら僕はだいぶ孤独でしょうね。



2001年11月22日(木) 避難入院

スポンシーから就業時間中に携帯に電話がありました。
飲酒欲求に押しつぶされそうなんで、避難入院をすることにしたんだそうです。始めは彼が勝手に自分でそう決め込んでいるのではないか、と思ったので、「なんと言ったものか」と悩んだのですが、聞いてみると、家族や主治医、ケースワーカーとも話し合った結果だそうなので、納得しました。
ちょうど、彼が最後に入院した県立病院から、アルコール関係にも詳しいDrが市内の大学病院に移ってきていたこともあり、そこの精神神経科に1〜2週間入院する予定だそうです。まあ、彼も体の治療に毎週通っている病院でもありますから、奥さんも気が楽でしょう。避難入院の効果については、僕自身はかなり疑問を持っているのですが、いちおう複数のドクターの間で合意がされるような自体であれば、素人の自分が口をだすべき分野ではありません。
ある病院で行われている「飲酒テスト」という名前の、嫌酒療法の再現にも真の効果があるかはハナハダ疑問だとは思っているのですが、ある種の人々には「数ヶ月間酒から遠ざかる」だけの効果はあるらしく、そのぶん病気の進行は遅らせられるのは事実なわけで、無軌道な批判は避けねばなりません。
さて、彼も最初のバースディに向けて、困難な上り坂の時期に入ったのでしょう。



2001年11月19日(月) すれ違い・・・

地区で刷るミーティング会場地図に、English Speaking AA in Tokyo の情報を載せようと思っています。東京では英語でのミーティングもずいぶん盛んなようで、グループ間での活動も活発みたいです。ところが、地方へ来るとなかなかそういうわけにもいかなくなります。
Outside of Tokyo Area (東京以外の地方)の情報としては、メンバー個人の電話番号やメールアドレスが記載された一覧があり、new comer はそこへの連絡がAAへの入り口のひとつになっているわけです。
その個人情報そのものは掲載しないんですが、そこへつながる情報を掲載し、数百部配布する以上、本人の許可がいただきたいわけなんですが、これがなかなか一筋縄で行きません。
留守番電話は両者行き違い・・・、メールは文字コードが完全に化けて読めません。(hotmailなんとかしてくれよマイクロソフト)。
まあ、「ゆっくりやりましょう」。どうせ刷るのは今週末だし。

ああ、ミーティングですが、転勤族の仲間が一時滞在して、ちょっとにぎやかになりました。1年ぶりにステップミーティングも始めました。古い訳のやつですが。



2001年11月18日(日) 啼鳥山荘と柏茂会館

啼鳥山荘と柏茂会館でのフェローシップとふたつの病院でのメッセージ活動について、ここのメインサイトへの収録の許可をもらうため、金沢のメンバーに電話をしました。収録の許可自体は、ほかのグループとの確認が必要なので、即答は無理だと言われました。それはもちろんそうでしょうし、僕のほうも別に急いではいません。
ただ「啼鳥山荘が今年いっぱいで閉鎖される」という噂をきいたので、来年以降どうするのかという点は確認を取りたかったので、きいてみました。ところが山荘は閉鎖されるのではなく、堀金村の3000万円の予算を確保して山荘の改装をするというのです。まあ、冬は雪に閉ざされる場所ですから、改装は春〜秋に行われるでしょう。そうなんると、その改装期間中は使えないことになるわけですが、それがいつなのかハッキリしないという話でした。

「ともかく私たちは4月から10月まで予約をお願いしてるけど、いつ使えないのかは判らないし、改装後も同じ料金でいいのかも不明なの」

それよりも意外だったのは、山荘が積雪で閉鎖される冬季間に代替施設として使っている、塩尻市の柏茂会館が市に寄贈され、市の「青少年センター」となってしまったという話です。AAは、どうやっても「青少年」とは呼べないでしょうから使わせてはもらえそうにありません。
今年も山荘は10月には閉鎖されてますから、彼らは今週土曜日の宿泊場所も確保できてないことになります。
数年前、頼まれて「啼鳥山荘や柏茂会館のような自炊型宿泊施設」を探したこともあるのですが、さすがになかなかそんな場所もありません。今回も、できるだけ探してみると約束はしましたが、成果は望めないでしょう。
ともかく、僕の用意していたページもそのまま載せるわけにはいかないことは確かです。


2001年11月13日(火) アラノン

僕の住んでいる街で、アラノンのミーティングが始まりそうです。しかも昼間。峠の向こうの街でやっているミーティングは夜ですから、昼間のミーティングが欲しいという話はよくわかります。やっぱりアルコホーリクの家族となると「主婦」の方が筆頭にあがるわけで、昼間のほうが時間が自由になるでしょう。もっとも専業主婦でなければ、なかなか平日の昼間の時間は取れないかもしれませんが。
スポンシーの奥さんがアラノンのミーティングに通っていたりする関係で、彼もその話に加わっているようです。例え彼自身がアラノンのミーティング会場に入れないにしても、何か人の役に立つことは悪いことではないでしょう。
そんな話をしました。



2001年11月08日(木) 遅刻

睡眠不足の日々が続いています。
それでも昼休みに十数分の仮眠を、机によっかかって貪れば、なんとか問題なく過ごせてはいるんです。が・・・、今日の僕の机の周囲は大変とっ散らかっており、机の上に弁当を広げることすらかなわず、ひざの上に弁当を置いて食べるしかない状態でした。
午後もなんだかんだで休憩もせずに過ぎてしまい、午後6時に、病院でのミーティングに参加するために、車で北上を開始したときには、「眠くてたまらない」という状態でした。まあ、経験上これぐらいの眠さなら居眠り運転をするほどでもない、とは思ったのですが、念のため、LOVE PSYCHEDELICO のMDを大音量でかけながら行きました。
病院の駐車場に車を停め、時計を見ると、ミーティング開始まであと15分ほどあります。携帯電話のアラーム機能を設定して、8分ほど寝ることにしました。車内は暖かく、めがねを外して、シートを倒すと、すぐに眠りが訪れました。・・・・、目がさめると1時間経過していました。
最近地区内の病院メッセージで、「忘れていた」「遅刻した」なんていうトラブルが、いくつか続いていたのですが、「しまった自分もやっちまった」わけです。いつも会場になっている部屋に行くと、別の部屋への案内が張ってありました。その部屋の前へ行ってみると、AAの丸い看板が出ており、なかから人の声が聞こえます。

なんだか、出張ついでに見知らぬ会場を訪ねあてた時のように、安心しました。最近地元の仲間二人が、定期的に参加してくれていて、ミーティングも定刻に始めてくれたようです。出張で留守をしている間に、いろんな変化があったのですね。
日々これ同じからず。ちなみに、アラームの設定は19:23のつもりが、17:23になっているという凡ミスでした。



2001年11月04日(日) 公園

子供たちと一緒に公園へ行きました。
もっとも、起きたのが昼でしたから、出かけたのは午後3時近くです。
もう冬も近いので、太陽はあっという間に西に傾きます。
公園内の公民館で、来月の委員会の部屋を予約しました。
子供たちは、ブランコをやったり、滑り台をやったり。
沈みかけた太陽を見に、築山を上って芝生のほうへ行こうとしたら、築山の東屋に二人のホームレスが居を構えていました。でっかい焼酎のビンが置かれていましたが、おそらくその中身は水でしょう。
「アル中は浮浪者にはなれない」と言われます。
ハードな路上生活に耐えられないのだ、と経験者の話をきいたこともあります。ドヤ街の人たちのアルコール依存症の罹患率は、普通の社会と変わりないとか。



2001年11月03日(土) 地区委員会

地区委員会へ出席しました。いつもは、僕の住んでいる市内で開かれるのですが、今日は祝日なのでその施設が夜はつかえません。ので、以前使っていた会場で開かれました。そこへ行くには、トンネルをふたつ抜けなければなりません。それだけで、往復2400円の出費となります。いつも遠くから委員会にやって来るメンバーの苦労がしのばれます。
委員会でもっとも紛糾するのは、いつ・どこで委員会を開催するかという点です。それは、「委員会がどうあるべきか」という理念も絡めた話なので、常にその話が出るのは、ある意味委員会が正常に機能している証なのかもしれません。ともかく、来月は従来どおり僕の地元で会場を確保することになりました。その後は、来月選出される三役(議長・副議長・会計)に委ねられることになります。



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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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