×××こぉんな日×××

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2001年10月31日(水)    +++がんばる!+++



  不精で ものぐさなのに こだわりのある物には 妥協を許さない。
  けど 怠慢な性格が災いして 姑息に手抜きをするが
  イトも簡単にばれてしまい しょげる。
  
  納得いくまで徹底的に!と言う信念が 全てにわたっていたら
  今ごろ違った人生を謳歌していたかも・・・と常日頃 家事の合間に
  考える・・・。
  決して 後悔はしていないが 夢を見ることだけは まだ続いてる。
  
  30代半ばを越した辺りからの 私の像・・・。
  それって こんな感じかも・・・。

  今日は 朝から ブライダルフェア−の打ち合わせ。
  今回は ファッションショーのごく一部の音楽の担当。

  エレクトーンって ある時期から とっても軽視されるようになった。
  手軽でどんなジャンルでもこなせると言う事が お手軽と言う事から
  ”ちゃち” ”安っぽさ”に変わった。
  
  そんなイメージを打破するために 
  少しでも 元曲に忠実に。
  歌詞が無くても 雰囲気が同じように。
  その場の 雰囲気とシュチエーションに合わせた 音楽を提供できる。
  それらを お客様にわかって欲しくて がんばってる人は
  少なくないと 信じたい。
  
  うちに出入りしてくれてる いちちゃんは その事を忠実に
  しっかりこなしてる若手の一人だ。
  そして 年は行っていても 私もその一人と思いたい!

  最近のCD MDのオーディオ機器の繁栄に伴い 生演奏の需要は
  恐ろしく減ってる。
  バブル全盛期 恐ろしいほどの仕事量だった日々は 夢のまた夢。
  だけど 今の生活ペースには 今の仕事量が調度心地よく
  刺激の少ない日々へ 私の体がフィットしてきているのは 
  良くない兆候かもしれない。

  仕事を始めた頃から 手抜きはしない。
  これだけを信念として やってきた。
  今回も 曲目が完全決定しない中 ボツになるのは覚悟で 自分の中で
  精一杯 練習とプログラミング 多重録音をやったつもりだ。

  でもね。仕事の仕込みに乗るまでの時間が かかった。
  どうしてもお仕事モードに切り替わらないのだ。
  結果・・・。昨日1日で 一気に仕上げると言う 一夜漬け作戦になる。
  自分の年も省みず・・・。

  理事長にひなを 預けっぱなし。
  朝から 間レッスンを入れて 夜までこもりっきり。

  まさに 鶴の恩返し。
  私が ハタを折る間 この戸を決して空けないで 下さいまし。
  って感じだ。

  なんとか 納得できる物はできた。
  今日 モデルさんの動きに合わせて 演奏する。

  結果・・・「HOW WILL I KNOW」ホイットニーヒューストンの
  曲に決まった。
  こっちの方が 聞き映えするので よかった。

  前後には CDがずっとかかっているのだけど
  CDと生演奏 全然違和感が無かった。と・・・。
  ボーカルのKさんの 尽力が大きいのだけれど これは 最高のご褒美。
  うれしかった。

  自分のできる事。精一杯続けていければ いいなぁ。 
  手抜きしてしまった時 開き直らず反省できる心 いつまでも
  持ち合わせていたい。

  牛の歩みでいいから 少しずつ やっぱり前進したい。って
  再認識した1日。

  しかし〜〜〜!
  曲の寸法が変わってしまった。
  本番までに 全て プログラムのやり直し。きっついなぁ。

  しかも・・・ 来週はライオンズクラブの宴会がある。
  韓国民謡が山のように 私を待っている。
  こなせるのかぁ?冷や汗・・・・。
  
  働けるってこと・・・幸せに思いましょう・・・。

  
  
  


2001年10月30日(火)    +++おつかれさま+++



  今日は 理事長が10年勤めたお店の最後の日。
  不況の波は 大打撃を加えた。

  大阪万博の年にできた ドイツレストラン。
  なかなか趣があって ビールも御料理もおいしかった。
  
  ドイツ民謡やヨーデル クラッシックや日本歌曲。
  色々な曲が 生で 民族衣装の歌い手さんと演奏されるのは
  楽しかった。
  数年前 私も 数日アコーディオンでバイトさせてもらった事がある。
  ビール片手に 楽しいバイトだった。

  この8月 ひなにパパのお仕事を見せてやりたくて
  APO一家と 遊びに行ったのが最後。
  ホントは もう1回ぐらい行っておきたかったけど バタバタしてて
  行けなかったのは 残念だ。

  男の人は 大変だね。
  もちろん 主婦も大変だし 主婦しながら仕事するのも大変なんだけど
  ん〜 何て言うのかな?
  責任の重さが 違うような気がする。
  
  理事長も仕事が一つ減った事で 色々 考えている様子だ。
  
  うちら夫婦は 音楽以外に何もできない。
  他の 技術を持ち合わせていないので 転職って ゼロからどころか
  マイナスからのスタートになる。
  
  でも 自分の進む道と思って ここまでやってきたんだから
  焦らず 納得できる仕事をこなして欲しいと思うのは
  甘いかなぁ・・・。

  仕事を選ばなければ 何か食いぶちは 見つかるだろう。
  縁あって せっかく好きな事を仕事にしたのだから
  少し休んで 先の事 考えて欲しいなぁ。

  きっと 今日は遅いはず。
  明日は 逆転。私が 朝から仕事。
  ひなのことよろしくね。

  10年間 おつかれさまでした。
  (って ここに書いても 一生見ることはないでしょう。
   超アナログ人間だからね。彼は・・・)




2001年10月29日(月)    +++捜し求めて・・・+++



 
  出席簿に アップルパイのカキコがあった。
  胃の中と 口の中は甘酸っぱくて 鼻は 少しシナモンの香りがして
  耳にサクッって言う幻聴まで 聞こえてきそう。
  
  パイのてっぺんには 切りこみが入っていなければならない。
  冷たすぎてはいけない。
  湿気ているなんて もってのほか。
  SAKURAちゃんの言うところの レーズンはNG。
  
  砂糖が 効きすぎてもNG。
  できれば 少し 洋酒が効いてるくらいの物が 良い。

  そういえば めごにもらった りんご丸ごとアップルパイは
  絶品だった。
  神戸の同じ仕様の物は 甘すぎて りんごの酸味にかける。
  やっぱ 本場だぜ!と うなったなぁ。

  アンリシャルパンティエのアップルパイ。
  少し暖かくて バニラアイスと共に出てくる。
  この時ばかりは コーヒー党の私も お紅茶に浮気する。
  
  知っての通り 無類の甘い物好き。
  ホールケーキも一気に 食べられる。
  ケーキバイキングも 15個は いける。
  ケーキのためなら 車でさまよえる。

  あ〜〜〜アップルパイ アップルパイ。
  
  たまらず買いにでた・・・。
  ひなの 皮膚科の帰りに まず1件。なかった。
  2件目。お取り扱いが ありません。と言われた。
  3件目。最近 あまり売れ行きが良くなくて うちはタルトタタンなんです。
  と 言われる。
  
  タルトタタンは大好きだけど。
  だめなのよ〜〜〜〜!今日は パイの気分なのよ。
  サクッて 言わなきゃならないのよぉ。

  そう言えば ケーキって言うと やっぱスポンジ系選ぶよなぁ。
  正統派のアップルパイって こんなに売ってないもんだっけ?

  4件目。ない〜〜〜〜〜!
  あきらめて アップルパイ風 デニッシュでも買うか?と思ったが
  どうしても あきらめきれない。
  
  うちに帰り 夕飯の用意をし 体調も良くないので 昼寝した。
  起きて 仕事の仕込みをしに 実家へ。
  タイミング良く 母が ホームセンターに 連れて行ってと言うので
  車を出した。

  頭の中は そのお店の近くの ケーキ屋さんは どこだっけ?
  アップルパイが 陳列されてたかどうか お店のショーウインドウが
  頭をよぎる。

  一番上は ホールのケーキとホールのパイ類。
  二段目は スポンジケーキ。その横に シュークリームと
  チーズケーキ。一番下の段に アップルパイや容器に入った
  プリン系があったような なかったような・・・・。
  
  母に 寄りたい所があるからと ケーキ屋さんに猛ダッシュ。

  あった〜〜〜〜〜〜〜!
  ちゃんと ばってんに切れ目の入った アップルパイ!
  私のこと 待っててくれたのね。かわいいやつよ。

  シナモンは少なめっていうか ほとんど効いてなかったけど
  甘さ控えめ パイはさくさく。
  下のスポンジも 多すぎず りんごの果汁とシロップを程よく
  吸って パイのさくさく感を のがさないように・・・。

  風邪気味で お腹痛いのだ。
  だがしかし。一気に 食べてしまった。

  このまま 食べられずに寝たら
  夢に出てきただろう。絶対に!
  何も 思い残すことなく 今夜は早く寝よう。
  あ〜〜しんどかった。




2001年10月28日(日)    +++にちよう+++



  なんだか ばたばた動き回っていた先週。
  やっと 今日はゆっくりできるかな?って 朝は期待してた。

  ひなが起きてきて 「さぁ!今日は どこに行く?」と
  おはようの挨拶も そこそこに言う。
  勘弁してくれ〜〜ゆっくりしようぜ。と 言いたい所だったけど
  食料品を調達に出ねばならぬ。
  そうなると 犠牲者は母!一緒に 買い物へ行こうと電話で誘い
  車で SEER(総合ストア?)とコーナン(ホームセンター)へ。

  SEERの本屋さんで 物色している間 ひなは 母とパズルを
  買いに・・・。
  50ピースを探しても無い。どうせなら 頑張って70ピースに
  挑戦すれば?と ぐーちょこらんたんのパズルを買ってもらった。

  夕飯の用意を買い チュウリップの球根を買いに ホームセンターへ移動。
  幼稚園の入園式の日には 咲きますようにと 6色。
  12個の球根を買い 帰ってきた。

  午後は ゆっくり 昼寝でも・・・。と思いきや。
  ひなは 二人きりでいる時は 私から離れない。
  パズルに 必死になっているすきを狙って 寝室で横になっていると
  「ママー ママー」とうるさい事この上ない。

  知らん顔をして 寝ていると 足をこそばしたり なでたり
  私の体にねじを巻いたり(キリッキリッと言いながら ねじを回すふり!)
  おちおち寝ることもできない。

  そのうち 背中に重い物を感じて 目をあけると
  巨大なスヌーピーのぬいぐるみが乗せてあった。

  あ゛〜〜〜〜〜〜!頭痛いんだから 寝かせてくれ〜と
  言ってる間に まるこちゃんが始まり サザエさんが終わった。
  サザエさんに じゃんけんで勝ったひなは ご満悦。

  パズルの完成後 夕食を取り 日曜日も終わり。
  明日から また忙しい1週間が始まる。
  がんばらなきゃね・・・。
  


2001年10月27日(土)    +++ハロウィンパーティ+++




>>黒猫ちゃん<<


  待ちに待った ハロウィンパーティ!
  朝 11時前から ライダーの母家もやって来て 子供のメイクにかかる。

  子供の肌はすべすべで 化粧のりのいいこと いいこと。
  みいちゃんは 天使。ピンクをふんだんに使い ラブリーに!
  
  ようちゃんは ドラキュラ。
  赤の口紅で 血のりを口の横に書き足す。
  
  ひなは黒猫。アイラインを下から 上にキューっと引っ張り
  猫の目を作る。
  つけまつげ用の粘着剤を ひげにつけ 乾くまでそっと押さえできあがり。

  すっかりその気の子供達。
  車に乗せて 六甲アイランドの会場へ。

  参加証の葉書と交換に スタンプラリーのカードとお菓子をもらう
  大きなひなのからだの半分ぐらいの ビニール袋をもらい
  ゲームをしに 回る。

  フラフープくぐり。シューティングゲーム。
  塗り絵で旗作り。かぼちゃつり かぼちゃ運び。
  どれもこれも ひなでも楽しめる物ばかり。
  大喜びで こなしてはお菓子のご褒美をもらう。
  あっという間に 袋はぱんぱんに。

  そのあと 大きな広場で パラパラを踊り 仮装大賞発表。
  残念ながら 選にははずれちゃったけど おかまいなし。
  パレードをして かわいらしい風船をもらい 帰路についた。

  ひなは ホントに楽しかったらしく 寝る直前まで
  メイクを落とさず ひげもしっぽもつけたままで 語尾ににゃお!を
  つけて話し 大はしゃぎ!

  ここ最近 楽しいイベントがなかったからね。
  よかったねぇ。

  さて 親も気合が入ってしまったのだ。
  ライダーの母と「来年どうする?」と 密談!
  参加が 10歳までなのだが・・・。しばらく はまりそうだ。
  来年・・・どうしよう???!


2001年10月26日(金)    +++ひと仕事+++




  おばぁちゃんが 亡くなって2週間。
  今日は 御世話になっていた施設に 書類を頂きに行った。
  あと おばぁちゃんの洋服等で 使えそうな物や
  バザーに使えそうな物を 持って・・・。

  ここ5ヶ月ほど毎週。
  5年ほど毎月通った 高速道路。山道。
  もう これで よほどの事が無い限り 来る事もないだろう。

  ホッとする気持ち半分。
  寂しい気持ち半分。

  私達の住む区とは 離れているので 保険証や老人手帳返すのも
  施設のある区になる。

  地図を頼りに 始めて行く区役所へ。
  死亡届を出し 一区切りついた感がする。
  
  夜 妹から宅急便が 届く。
  ひなが待ちに待った 千歳あめが入っていた。

  おばあちゃんの四十九日が 済むまでは 鳥居をくぐれないとかで
  その日は 11月29日。

  七五三に 11月中に行くとなると 30日しかない。 
  あまりにも 慌しいので 写真だけ撮って 12月に入ってから
  お参りだけするつもりでいる。

  千歳あめが買えないね。不二家ででも ぺこちゃん千歳あめ買ってあげよう。
  と言っていたら どこからか 仕入れて来てくれた様子。

  喜んで 持って走りまわっていた。
  去年は 骨折といとこの結婚式で できなかった七五三。
  今年は 喪中でできない七五三。

  してなくても 元気な子供はたくさんいるけどね。
  ちょっと かわいそうかな?って。

  千歳あめ持って 写真を撮ったら おばぁちゃんに見せてあげよう。
  少しだけ 肩の荷が降りた今日でした。
  
  


2001年10月25日(木)    +++面接+++



  面接を初めて受けたのって 高校受験の頃だろうか?
  ん〜〜。少なくとも 3歳では受けてないはず。

  今日は 幼稚園の面接。って言うか 検定だった。
  身体検査(内診)を受け 子供だけ検定会場へ行った。

  泣いてお母さんから離れられない子。
  走りまわる子。それぞれだったが やる気のひなは 番号を呼ばれると
  後ろも振り向かず すたすたと先生と教室へ入っていった。

  黒いカーテンでおわれているので 中の様子はわからない。

  しばらく経って でてきたひなは ニコニコ顔。
  「何やったの?」と聞くと
  「お布団で ぴょんぴょん飛んで くまさんとか犬さんのパズルやった。
   先生が これ何色?って聞いてぇ。
   あとはぁ〜 ボールぽ〜んってやった。」と言う。

  ちゃんとできたんだろうか?不安はつのる。
  元々 すでに幼稚園には入れるので これではねられる事も無く
  安心は安心なのだが・・・。

  帰ってきてから 急に「ひな 幼稚園に来て良いですよ。って先生言った?」
  と聞いてきた。
  あぁ〜この子なりに 不安だったんだな。
  
  これで 気詰まりだった事は 終えた。とりあえず ホッ!

  11月前半は 仕事が忙しい。
  これから 巻きで 練習せねば。
  
  く〜〜〜!しんど!


  


2001年10月24日(水)    +++干し物の達人。+++


>>これで どうかな?<<



  主婦業が向いてないのか 根っからの いいかげんさが災いしているのか
  単なる不精なのか 全てにおいて大雑把!

  掃除が嫌いと何度言った事か。しかし言い足らない。
  ただ アイロンがけは まだ いい。
  結果がすぐに出る。ぴしっと アイロンがかかった物を着ると
  気持ちいいから。

  洗濯は どっちでも良い。
  洗濯機がやってくれるから。干すのは お天気が良く 
  暑すぎず 寒すぎず そんな日なら 良い。

  今日 発見した。
  うちのマンションのお向かいのおうち。
  芸術的な 洗濯物の干し方だった。

  タオルは サイズに別れ 洗濯バサミの当たる所は 紙の様に
  まっすぐに伸び いかにも ぴしっといいそうだった。

  靴下も 同じ向きに揃えられて くるくる回りそう。

  シャツも 行儀良く 全部 南を向いて整列していた。
  
  うちのシャツ類とくれば・・・
  会社帰りに 上司に叱られ くたびれて 片方の肩を落としながら
  左右に揺れ 千鳥足で帰るおやじさんのよう・・・。わびしすぎ。

  はぁ〜〜〜。
  こう言う風に 干してあるおうちは 室内も綺麗なのであろう。

  いや たとえ そうでなくても 知らない人に そう思われるだけでも
  価値があると言う物だ。

  うちの洗濯物の隙間から 垣間見ながら
  なるほどねぇ。と 一人で つぶやく。
  
  そして メリーゴーランドの木馬のように 同じ向きに ソックスを
  並び替え 疲れたおやじの姿勢を正した。
  
  今さらなんだけどさ。
  今からなんだよね。 何事も。ってね。

  ひなとYAMAHAに行く 大慌ての時間
  一瞬 表から ベランダ見上げて思った。

  まぁ 一応・・・うわべだけでも・・・。
  ははは・・・。





  


2001年10月23日(火)    +++良い夫婦の日+++


>>お験しのひげ。右と左どっちが良い?<<


  昨日は良い夫婦の日。
  なんだか 1日 話題がずれる日記が続くのだが・・・。
  今朝 理事長の靴下を洗濯しようとして 思い出したのだ。

  良い夫婦だなぁとしみじみ思ったことが 今まで2回ある。
  一度は 6年前。
  
  父の友人のお葬式でのことだった。
  そのご夫婦は おじさんが透析を受けながらの生活だった。
  結婚された時も おじさんは 余り体は強くなかった。
  奥さんは 薬剤師さんだったので 健康管理には ずいぶん気をつけて
  おられた。
  
  お子さんがいなかったから 私達を 子供のようにかわいがってくれた。
  おじさんが 亡くなって 母と私は 東京へかけ付けた。
  
  葬儀の最後のお別れの時 お姉ちゃん(奥さんの事をそう呼んでいる。)
  が おじちゃんに向かって言った。
  「ありがとうねぇ。たくさんたくさん ありがとうねぇ。」何度も何度も
  繰り返して言った。

  お姉ちゃんにとって 看病の日と普通に生活してきた日と 半々ぐらいだった
  と思う。傍目には 大変だったんじゃないかって思ってた。

  最後の最後まで ありがとうって言えるなんて。
  良い夫婦生活を送っていたんだなぁと 胸が熱くなった。

  もう一つは APOんちの夫婦。
  ここの夫婦は 失礼ながら めちゃおもしろい。

  ケーキを食べる時 10年以上 取り合いになるのは 変わらない。
  ほほえましいを通り越して 笑える。(ごめん!)

  だが ん〜〜7.8年前だったろうか?
  下の子 泰が まだ2.3歳の頃だ。
  二人の子は 朝から晩まで にぎやかで その相手も大変だったはず。

  私が 旦那さんに「APO大変やねぇ。」と言ったら
  いつもは ちゃかす彼が こう言った。
  「おぅ!ようやっとうと思うわ。大変や思うで。
   まぁ 本人には言わへんけど。」と言った。

  照れが入ってたのかもしれないけど 本人のいないところで
  さりげなくね こんな風に言ってもらえるって 幸せだよなぁ。
  それを 言えるってことは ちゃ〜〜んと奥さんの事見てるって事だし。

  この事も 良い夫婦だなぁとしみじみ思った瞬間だった。

  自分たちが 良い夫婦だと思えるのも 良い夫婦。
  誰かに 良い夫婦だなぁって思ってもらえるのも 良い夫婦。
  仲良きことは 人をも 幸せにするんだね。



  


2001年10月22日(月)    +++魔法の日+++


>>おしゃれ<<


  昨日は 百貨店が作った「孫の日」。
  義父さんが ひなに プレゼントを送って来てくださった。

  木曜日に 電話があり「ひなちゃんは リボンちゃんのおしゃれセット
  持ってるかぁ?」と尋ねてくれた。
  結構おもちゃの新作チェックは 怠らない方だが 知らなかった。
  そういうのが 出ている事など・・・。

  お言葉に甘えて お願いしたのだが そこからが大変。
  例の如く 毎日何回も「いつになったら リボンちゃん来るの?」と
  聞かれる・・・。

  外へ出れば出たで 黒猫の宅急便の車を見るたび
  「あれ 違う?ひなのおうちに来る たっくうびんやさん」と
  指を刺す。

  早くこいこい日曜日。

  昨日 親も子も待ち望んだ宅急便がやってきた。
  しかも ひなの言うとおり ”黒猫”ちゃんで!

  あけるとかわいいドレッサーが入っていた。
  大喜び。お気に入りのスヌーピーにも お化粧をしてあげる。

  妹への報告の電話で ひなはこう言った。
  「ちかぁ〜 ひなねぇ。まほうの日やったから じいじが
  りぼんちゃんのおしゃれくれてん。かわいいよぉ。」
  おいおい 孫だってば!

  ひなからして見れば 素敵なプレゼントをもらえる孫の日は
  ホントに魔法の日かもしれないね。





2001年10月20日(土)    +++1週間+++

  先週の今ごろ 六甲山をぶっ飛ばしてたなぁ。
  早いもので もう1週間たった。
  
  今日は おばあちゃんの入所していた 老人施設にお礼に行った。
  震災後 5年間お世話になった場所。
  ひなが 3年間遊びに行った場所。
  
  荷物はきちんとまとめられていた。
  「思い出に残る物を お持ちかえりください。」と言われたけど
  使える物は 使っていただく様にお願いした。
  
  おばぁちゃんを預ける時に もうそれなりの覚悟は決めていた。
  だから おばぁちゃんの思い出になるもの。
  少しだけ すでに うちにおいてあったから・・・。
  
  お世話になった 職員の方と少しだけ話しを交わして失礼した。
  
  先週 容態が悪くなって 慌ててかけ付けた時
  ひなは おばぁちゃんは治る物だと思っていたらしい。
   
  時間を追う毎に 息遣いも荒くなり「このままここにいても
  変わりは無いので 色々なご準備をいったん帰られてされてはいかがですか」
  と 職員の方に促されて 一旦帰宅した。

  うちに帰り おばぁちゃんを迎えるために 
  布団を敷いたり 色んな所に電話をし 慌しく動く私達の横で
  ひなも ただならぬ空気を感じたらしく あれこれ 手伝おうとしていた。

  母に頼まれ物をされ 買い物をし帰ってきたら
  玄関にお客さん用のスリッパが 1足並べてあった。

  母に「誰か来るの?」と尋ねると 困ったように
  「ひなちゃんが おばぁちゃん帰ってくるから スリッパ出してあげないと
  って出してんけど。何て言ったらいいか・・・。」と言った。

  ひなの気持ちを察し そのままにしておいた。
  
  今日も ひなが言う。「おばぁちゃんは 死んでどこに行ったん?」
  「箱に 入って どこに行ったん?」と。
  自分で死んでしまった愛犬リッキーのところに行ったんよ。と
  言っているのに 「リッキ−のとこってどこ?」「お空ってどんなとこ?」
  と 色々質問してくる。
  
  うまく言おうにも ボキャブラリー不足で なかなか答えられない。
  困ってしまう・・・。
  困ったまま過ぎた 1週間。

  


2001年10月19日(金)    +++ふ・し・ぎ+++

  前に うちの中を掃除したと書いたはず。
  何度も言うようだが 掃除は大嫌い。
  
  それなのに 思い立って どの部屋も一応 人並みに
  綺麗にしたつもりだった。
  
  忘れていたが 9月のお彼岸の前
  母と私は 何かにトリツカレタように お墓掃除に没頭した。
  その時間ナント3時間。
  雑草を刈り 植木を剪定し(見よう見真似) 墓石を磨いた。
  
  調度 理事長がひなを見ていてくれたので
  時間を気にせず 延々と続いた。

  さすがに炎天下で暑くなり これくらいにしといたろ!と
  吉本のギャグのように 言いながら 帰路についた。

  思えば 約1ヶ月前の事・・・。

  おばぁちゃんのお通夜の日。私とひなは 実家に泊まった。
  マンションに義父母の荷物を預かっていた。
  着替えも 義父母はマンションでしていたので カギを預けっぱなしにし
  自由に出入りしてもらった。

  掃除をする前だったら とても そんな事はできなかった。
  義父母の入る事の無いであろう部屋に 見せたくない物を
  突っ込んでいたから・・・恥!

  片付けておいて ホントに良かったと 胸をなでおろした・・・。

  昨日 母と二人で その話しをしながら 同時に言った。
  「お墓掃除 完璧でないにしても しておいてよかったねぇ。」と・・・。

  偶然とはいえ なんだか不思議。
  きちんと少しずつ 準備するように 時間に押されていたのだろうか?
  
  何でも そこに結びつけるのもどうかと思うけど。
  ふ・し・ぎ。




2001年10月18日(木)    +++感情+++

  ひなが産まれて5ヶ月目頃から ひなは私達と
  毎月1〜2回 そしてここ半年は 毎週おばーちゃんのところへ
  顔を見せに行っていた。

  片言を話すようになってから 老人ホームのおじいちゃんおばあちゃんの
  うつろな目や動きが怖くなり 泣いたり
  行って帰った夜に 夜泣きした事もあった。

  一時期 そんな様子を見て 連れて行くのをやめて行こうかとも
  思ったのだが そんなわけにも行かず そして これも
  ひながどう受け止めるか別にして 大切な人とのかかわりあいだと
  思い いつも連れて行っていた。

  不思議とご老人達は ひなを見ると ぱ〜〜っと顔に表情が
  現れ 笑顔になる。
  小さい子供と 動物は人を癒すと言う事が 目に見えた思いだった。

  おばあちゃんの具合が 一転二転 良くなったり悪くなったり
  している時も 手をさすりながら「風邪が治ると良いねぇ」と
  話しかけていた。

  時々 おばぁちゃんに無意識につねられると
  「ひな 悪い事してないのに き〜〜〜ってされた」と泣き顔に
  なる事もあったが・・・。

  もうすっかり ボケて私のことも 誰だかわからず
  ひなの事も 一度も名前で呼んでくれた事は無く
  一緒に何かして 遊んだわけでもない。

  ひなにとって おばぁちゃんが どんな存在でどう言う風に
  感じていたか問いただすには 彼女は幼すぎて 無理だ。
  でも 聞いて見たいと思う。

  お葬式の日 最後のお別れに お花を棺桶に入れる時
  ひなは泣いた。

  今までの涙。それは 叱られたり 機嫌が悪かったり 自分の思い通りに
  ならなかったり 痛かったり 自分の身に不具合がおきた時の物が
  ほとんどであったろう。

  私はひなを抱きつつ 妹や母が泣いているからつられて泣いているのかと
  思っていた。

  ひなが言った。「おばぁちゃんが いなくなったらさみしい。」と・・・。
  そして ぽろぽろこぼした涙は おばぁちゃんの旅立ちの着物の上に
  落ちた。

  火葬場へ行くタクシーの中 ひなは泣きつづけた。
  「おばぁちゃん一人でかわいそう。おばぁちゃんいなくなって淋しい。」
  そう つぶやきながら泣きつづけるひなに 誰も 何も言えなかった。

  一緒に住んでいなくても 一緒に食事した事なくても
  一度も名前を呼んでもらえなくても
  3年間 逢いに行った事は ひなの胸に刻み付けられ
  新たな感情を 生まれさせてくれた。

  毎日「おばぁちゃんにご飯持って行くね。」と母と仏壇に向かう姿に
  私は 考えさせられ 見習わないとと 反省する・・・。




2001年10月15日(月)    +++なんとか+++

  どうにか こうにか お通夜もお葬式も
  早々と初七日も 済みました。
  
  出席簿も ざざ〜〜っと目を通させてもらいました。
  優しい言葉がいっぱい・・・。
  お葬式で あんまり流せなかった涙 ここで少し出しちゃいました。
  ありがたいなぁ・・・。(しみじみ・・・)

  これから お世話になったHOMEや病院。
  お寺や式場に挨拶が 始るのね。(深いため息!)

  とりあえず もう少し落ち着いたら 速攻復帰します。
  
  人を一人送り出す事って 大変だなぁって。
  それでは 今日は 早々と消灯します。
  
  あっ!私は すこぶる元気です。
  普段食べないご馳走食べて 合間にこっそりビール飲んで
  1キロ増えました。(確認済み)
  
  メッセやメイル下さったみなさん。
  ありがとうございました。




2001年10月14日(日)    +++一時帰宅+++

  昨夜 おばあちゃんが亡くなった。
  今日は お通夜。 
  明日が お葬式。
  
  色々荷物を作りに帰って来て
  PCに 向かう・・・。
  ネット中毒?
  
  しばらく 落ち着かない日々が 始まります。


2001年10月12日(金)    +++お友達+++



  少し前 幼稚園の体験保育を受けてから 
  ひなは「同年代のお友達」に対して 
  関心を持つようになったようだ。

  行く道々 ちょっと不安そうに「ママ お友達はどうやって
  お友達になってもらったら良いの?」と聞いていた。
  う゛〜〜〜〜難しい問題だ。

  無い頭で考え考え「ひなが こんにちはってご挨拶して
  一緒に遊ぼう。って言って 一緒に遊べたら お友達になれるんよ」と
  答えて見た。返事はなかった。失敗したかなぁ、と内心思った。

  私達が説明会で 幼稚園の概要について聞いている間も
  大丈夫かな?と ちょっと心配だったのだが
  階下では 楽しい時間が過ぎていたようだった。

  ひなによると その日お友達は10人くらいいて
  みんな始めは好きな事をして 遊んでいたらしい。

  ちょっとして(ちょっとと言うのがどれくらいかわからないが)
  先生が お絵かきして風車を作ろう言われ がんばって皆で
  作ったらしい。

  そのあと 先生がアンパンマンの曲やら くまの出てくる曲を
  かけてくれたので タンバリンを持ってお友達と 踊ろう!と
  誘って一緒に踊ったらしい。
  
  その中には男の子もいて 男の子はぐるぐるぐるぐる何回も
  周りを回ったり ジャンプしてて楽しかった。
  ひなは ハム太郎が好きだから「ハム太郎のお歌をお願いします。」って
  先生に言ったら 先生が「ごめんね、ハム太郎は 今は無いから今度
  ひなちゃんが来る時には 用意しておくね。」とおっしゃったらしい。

  ・・・・・と言うのが 体験教室の出来事だったようだ。
  お友達ができた事。お友達は楽しいって事。
  それが 彼女にとってカルチャーショックのようだったらしく
  それ以来 「お友達」って言葉が 良く出てくるようになった。

  スイミングでいつもなら 親同士は話しながら
  でも子供達は 個々の親の手をつないで帰る駐車場までの道を
  「まいちゃんは ひなのお友達やから 一緒におててつなごうよぉ」と
  嬉しそうに走りよる。

  まいちゃん 突然の出来事に躊躇していたが 二人は仲良く
  手をつないでいた。

  ひなはひなの世界を・・・。
  子供の目線の高さの社会を・・・。
  70センチの目線の高さの違いは 私の見えない何かを沢山
  見せてくれるんだろうね。


  
  


2001年10月11日(木)    +++まんまんちゃん+++



  昨夜まで じくじく痛んだ頭痛もようやくおさまり
  今日は なんか 久々に調子良い。

  マッサージに行ったら いつまでも せこく残していた
  はがれかけの足の爪を かばって歩いていたのが
  良くなかったらしく 体のよじれから コリが全身に来ていたらしい。

  はぁ〜〜〜やっぱ 若くないのね。
  
  先生の言われたとおり 自力で爪をはがした。
  それを珍しそうに見ていたひなは「こわい〜〜」と言いながらも
  目が離せない。

  そのあと 話す人話す人に「ママの爪が〜〜」と報告をしていた。
  
  挙句の果て・・・。
  「今日ね まんまんちゃん(仏壇の事)にお祈りする時
   ママの爪を早く治してください。頭痛いの治してください。
   ってお願いしといたから。」と
  気を使ってくれた。
  
  「ありがとう。なんて 言ってはった?」と聞くと
  「はいはい わかりました。って言ってたぁ。」と答える。

  「ひなすごいねぇ。なんか おててあわせて言ってるかと思ったら
   お願いしてたんやね。まんまんちゃんの声がひなには聞こえてんね」
  とうちの母。
  
  「そうよ。ひなは お耳が良いから 聞こえたんよ。」とひな。
  耳が良いから聞こえたのか・・・。
  良く 色々思いつくなぁ。
  
  しかし ホントに聞こえてたらどうしようと・・・ちょっと怖い私である。

  さて そのひな。本日 発熱中。
  今度は 私が「ひなのお熱がさがりますように。まんまんちゃん
  お願いします。」と 祈らないとね。




2001年10月10日(水)    +++大失敗+++



  何度も言うようだが 理事長は太ってる。
  昔は 50キロを切っていたらしい。
  その頃の顔の2倍は 今はあるのだ。
  この事を よ〜〜く頭に入れてから 本編を読んで下さい。

  日曜日。理事長の仕事は 大阪のSホールでのコンサートだった。
  指揮者は あの「宇宙戦艦ヤマト」の作曲者のご子息。
  チケットは 全席売りきれだった。

  演奏のお仕事ってのは
  ステージによって 衣装が変わるので ややこしい。
  タキシード 燕尾 黒服。シャツもさまざま。
  組み合わせも色々・・・。
  
  朝 黒服とカッターと銀タイを用意した。
  ふと見ると ズボンに穴が・・・。大慌てで 補修しアイロンを当てた。
  この時点で 私は重大なミスを見逃していたのだ。

  無事に送りだし 私とひなは おばーちゃんのお見舞いに。
  車を飛ばしながらも 頭に大きな???が残っていた。
  時間は2時頃「あ゛〜〜パパの ズボン間違えた。黒服のついのズボン
  クリーニングから戻ってきて 衣装ダンスの中!」

  家に帰り調べると やっぱ 対のズボンは収納されていた。
  色目を見ても 変わりは無かったので 心の中で手を合わせた。
  ごめんよ〜〜〜!

  しかし その頃Sホールでは 怒涛の如く大パニックになっていた。
  
  理事長が ゲネプロを終え 着替え様としたその時。
  ズボンは 明らかに小さかった。それもそのはず 約10年前
  今の顔の半分の大きさの頃の サイズのズボンがそこにはあった。

  そうなのだ。先日 仕事場から10年前のズボンを持って帰って
  置いてあったのを 私はそのまま クローゼットにしまった。
  それを そのまま 持たせたのだった。

  理事長は青ざめ ステージマネージャーに変えがないか聞いたらしいが
  誰も 衣装を余分には持ってこない。

  ズボンはない。しかも 今日はシンセ ピアノ チェレスタと3つも
  楽器移動がある。
  しかも グランドピアノは中央。しかも 宮川先生の古希のお祝いで
  ご家族が見えてる。取材人も来てる。

  当然 違う色のものははいて出れない。
  オケの方に 手伝ってもらい 無理やりはいたズボンは
  どこかのパンク小僧のように ぱちぱち。
  (手伝ってもらわないと はけなかったというのが 味噌だ。)

  ウエストなど 通したベルトがぐるんぐるん回るほど・・・。
  いわゆる纏足のような ズボンのウエストになったわけだ。
  本人いわく 「腸が切れるとおもった」らしい。

  ステージ上を移動するたび ズボンが破けやしないか 汗を掻き
  オケの方々も 笑いながら頑張れ!と 言ってくださったらしい。
  
  宮川先生親子がトークされてる間も あれほど時間が長く感じられた事は
  無かったくらい 長かったと・・・。

  家に帰って 再現してくれたが
  ぴょンぴょン飛びながら はくその姿に 申し訳ないが
  転げまわって 笑った。

  「あんたは しあわせもんや」と飽きれたように 言われたが
  ホントに 笑えるから しあわせもんかもしれない。
  
  超有名なSホールで 腸の断絶状態に 耐えながらピアノを弾く人は
  彼だけかも・・・。くっくっく・・・・。

  さて その日以来 彼は 狂ったようにご飯を食べてる。
  ダイエット〜〜と 言いたいが 多少罪の意識のある私は
  それを 言い出せない・・・。

  顔が 3倍にならなければ良いか・・・。
  くっくっく・・・。


2001年10月08日(月)    +++運動会+++


>>背伸び<<


  連休が終わった。
  と言っても 理事長は連日仕事三昧。
  うちには 土日 連休は関係ないのだ。
  
  3日間とも 気持ちの良い秋晴れ。
  土曜日6日は 小学校の運動会に出かけた。
  
  生徒さんの さきちゃん あんなちゃん みなみちゃん しいちゃんの
  応援に・・・。 
  
  去年も出かけたのだが むろんひなは 覚えていやしない。
  運動会ってなにするのぉ?と 興味津々・・・。
  
  競技を見ながら がんばれ〜と応援する。
  
  さきちゃんとみなみちゃんは 背が高いので 見つけやすく
  彼女達を 見つけてはひなは 大はしゃぎ。
  自分も玉入れをしたい。かけっこをしたいと 言い出す始末。
  
  さて 今日は 来年ひながお世話になる幼稚園の運動会。
  未就園児の為の プログラムも用意されているとの事。
  来年に備えて お邪魔した。

  お隣の小学校を借りての運動会だったのだが・・・。
  キャンプ場かと思うくらい カラフルなパラソルとテーブル。
  これって みんな朝から並んで場所取りぃ?

  ビデオやカメラの数もすごい・・・
  演技が始まると 一番前に皆さん並んで いっせいに撮影・・・。

  うわさには聞いてたけど・・・。来年 私もあの列に加わるのか?
  思いっきり 腰・・・引けた。

  ひなは 終始「次は ひな?」とうるさいくらいに聞く。
  「よーいどんって言われたら こうやって 走って行くねん。」と
  その場で 練習までしていた。
  
  何をさせてもらえるのかわからないのに・・・。
  走らせてもらえなかったら どうしようと 不安が頭をよぎる。

  やっとの思いで順番が回ってきた。
  手作りの木に ひもでくくられたラムネ菓子がつられている。
  それを 走って取りに行き ゴールすると言う競技。

  「よーいどん」の声で 一番始めに走り出したのはよかったが
  ラムネ菓子の前で 味を選び出す・・・。
  「これ グレープゥ」
  「あんた 何やってんのよ さっさと走りなさい〜〜」
  思わず頭を はたいてしまったよ。
  
  慌てて走り出し ゴール!
  何人かが流れ込んだのだが 偶然居合わせたお友達のママが
  「ひなちゃん一番だったよ〜びっくり!」って 言ってくださり
  上機嫌だった。

  来年・・・あのちびっこたちの様に 演技できるのかしらん?
  一緒に行っていた 母が
  「来年 何時くらいに 並ばないとあかんかなぁ?」とつぶやく。
  おぉ〜〜〜あんた やる気だね。
  お弁当よろしくね。(と どこまでも 人任せ・・・。)


  


2001年10月04日(木)    +++期間限定+++



  何度も書くが 掃除は嫌い。苦手なのだ。
  ほこりで死にはしないと思っていたら
  最近は 私も保持しているアレルギーとやらが
  ほこりで 死に追いやることもあるらしい・・・。
  恐ろしい世の中だ。

  ところが やり始めると O型の性格か?
  とことんなのだ。
  
  見なきゃ見ないですむし やる気の無い時は
  汚れは見えない・・・。
  
  ここんとこ 何日かもまたしかり。
 
  散々 散らかし放題で 突然人が尋ねてきたら
  玄関で最低15分くつろいで頂いてからでないと お通しできないほど
  だったのだ。

  泥棒が入ったら さよなら〜〜って逃げて行きそう。
  午前中いっぱいかかったよ。
  とりあえずそこらへんの扉さえあけなければ なんとか形がつく
  程度には 片付いた。
  
  部屋が片付くと 他も気になる・・・。
  台所の戸棚・・・。賞味期限切れの物発見→処分。
  タンスをひっくり返し もう着ないTシャツや履かない靴も
  思いきって処分した。

  気分的に ちょっとすっきり。
  今なら うちに 入ってもらうことは可能です。
  ご用のある方・・・1週間以内にお越し下さい。
  それ以降は・・・保証できません。






2001年10月01日(月)    +++列+++



  くじ運のない我が家は ひなの公立幼稚園の抽選を
  早々とあきらめた。

  ずっと この地に住んで できることなら 私と同じ地元の幼稚園に
  入園させたがったが 競争率8.5〜9倍。
  とても 女神様は 微笑んでくれないだろう。
  
  さて 今日は気合の入った 入園願書提出日。  
  朝 7時過ぎに家を出て 大雨の中 車でならびに出かけた。
  
  到着時には 5人くらい並んでいたのだが
  雨がひどかったのと 5人くらいならと 同じ園に入るさりなちゃんの
  ママとしばし 車で雑談。

  そのうち園バスが到着し 先生方が来られ門が開いた。
  門が開けば 雨宿りも可能。
  早速 車を止め 列に加わった。

  雨のせいか 思ったより人は少なかった。
  
  先生方は 濡れ気味の私達を気の毒に思って下さり
  受付時間9時を 8時半に繰り上げ 受付を開始してくださった。
  助かるぅ。一人一人に ご苦労様です。と丁寧に声をかけてくれる
  様子を見ても ここに預けても安心と言う 気持ちになる。

  検定費用と申込書を渡し 引き換えに 面接と身体測定の案内用紙。
  なんと その日に提出する お絵かきの宿題画用紙をもらって帰る。

  すごいよね。いきなり 宿題ですか?
  私は きっと小学一年生になってから 宿題と言う言葉を知っただろう。

  私達の前に並ぶ人達は
  やっぱり 六甲アイランドの島外の人ばかりだった。
  通園バスから 外れちゃうときついもんね。
  海を越えての 自力登園は勘弁だよねぇ。

  ここで 人間ウオッチングの癖が出た。
  二番目に並んでいたお母さん。
  ぬかりの無い 完璧なメイクだった。

  朝 7時過ぎに 完璧なメイクで並ぶなんて。
  綺麗なお母さんの鏡だわ。
  私といえば 3歳児の塗り絵のような お化粧で 恥ずかしいばかり。
   
  色々な人との お付き合いの輪が また 始まるのね。
  3年間。ひなと 一緒に成長しようと 思った雨の朝。



  




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