×××こぉんな日×××

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2001年09月30日(日)    +++備えあれば・・・+++


>>赤面<<


  朝 今日こそ 目がさめるまで ゆっくり寝ようと思っていたのに。
  横で ひなが大声で笑う。
  
  「え?」っと思って 起きて見ると
  体をくねらしながら きゃっきゃっ言ってる。
  気持ち悪すぎ。
  結局 8時前から起きる羽目になってしまった。
  
  昼寝をしようとしたら 黒柳徹子のユニセフのリポート番組に
  見入ってしまい NG。
  やたら 眠いぞ〜〜〜!
  
  明日は いよいよ幼稚園の入園願書受付日。
  お迎えのさりなちゃんのママと 朝7時半にこっちを出て 並ぶ。
  
  幼稚園への 定員は大丈夫そうなんだけど 送迎バスのキャパが
  決まっているため 早くに申し込まないと 自力登園になるらしい。
  
  それは ご勘弁願いたい。
  
  今日は 早めに寝て 明日に備えるのだ。
  ひなよ・・・。一生のうちで 私学は今回だけ・・・。
  後は 公立で頑張ってください。




2001年09月29日(土)    +++金木犀+++



  今年初めての花が咲いた。
  うちのマンション(アパートみたいだが。)の 入り口には
  金木犀の木が 何本も植わっている。
  花盛りの時には 2階の我が家も 金木犀の香りでいっぱいになる。
  
  ここへ越してきてから 金木犀のアレルギーまで 出てしまうくらいに
  甘い香りが漂うのだ。
  
  震災前 実家にも金木犀の木があった。
  10月の声を聞く頃になると 子供部屋の下から ここと同じように
  甘い香りが 入ってきた。
  
  金木犀の香りは 学生服の冬服の準備を促すようだった。
  そして ある年から 金木犀は一人の人を思い出す 哀しい香りとなった。

  高校1年の体育祭の日のことだった。
  まだ その頃は 吹奏楽部にいた。中学時代の先輩が多かったため
  中学生の頃から 出入りしていた私は 一つ上の先輩を姉のように
  慕っていた。

  どんよりした曇り空の下で 校庭にいすを並べ 応援や雑談に花を咲かせ
  運動音痴の私も 楽しい気分に浸っていたその時 先輩に呼ばれた。

  「Yちゃん お父さんに刺されて 病院にはいったから。」
  思わず耳を疑った?なんで?刺すってどう言うこと?
  
  「かなり 危ないらしいから 体育祭終わったら 部室に来るように」
  そう言い残して 先輩は他のクラスに伝言しに行ってしまった。

  放課後 集まった私達に先輩は言った。
  「Yちゃんは 看病疲れで辛い状況にあったお父さんが 一家心中しようと
  して 亡くなった。」と・・・。

  信じられなかった。すぐに おうちへ行ったが 警察のロープが張って
  あって入れなかった。ロープが 真実を告げていた。

  告別式が終わったあと 近所の公園に行って 思い出話をしながら
  泣いた。金木犀の花が いっぱい咲いてた。
  この花が咲くと 私はY先輩のことをきっと思い出すだろう。と
  その時 心によぎってから もう22年になる。
  毎年 毎年見上げては 先輩を思い出す。

  これは 後日談なのだが・・・。告別式の夜 ラジオを聞いていたら
  「今日は ありがとう」って声が聞こえた。
  なに? って思ってたら 友達から電話があった。
  「今 Y先輩の声がしてん」と・・・。こわかったけど 優しい先輩が
  気を使ったのだね。って 話した。

  その後 私は同じ学年の部員と仲が気まずくなったのと BANDに
  のめりこみ 吹奏楽部をやめた。
  
  すっぱり縁が切れたという感じはせず
  少し 後味は悪かった。
  
  次の年 高校2年のクラスメイトを見て 驚いた。
  その険悪になった 友達と同じクラスになっていた。
  しかも Y先輩が 使っていた2年7組の教室で・・・。

  偶然と言えば偶然かもしれないけど・・・。
  仲良くして欲しかったのかも知れないと思った。
  いさかいを好まず いつも誰かの間に立って 物事を静め様と
  していた先輩らしいなぁと思った。

  22回目の秋・・・。
  私は 元気です。
  先輩 しあわせですか?そっちは 過ごしやすいですか?
  今年も 金木犀は 花盛りになりそうです・・・。




2001年09月28日(金)    +++予報士+++


>>明日はねぇ・・・<<


  いつの頃からか ひなは 天気予報に興味を示しだした。
  テレビの天気予報が始まると 地域は関係なしに
  「明日は 雨やって〜〜お買い物行けないねぇ」とか
  「ラッキー 明日はおてんきぃ」と能天気に唄っている。
 
  ある日 新聞の天気予報欄を見て 不思議そうに言った。
  「ママ〜テレビと一緒やぁ。」
  
  それが 天気予報欄であること。
  傘のマークは雨 お日様は晴れ。
  雲は曇り。矢印が入ると 雨のち晴れ。と教えてみると
  雨のち晴れという フレーズが気に入ったらしく
  そのお天気マークを 見つけると嬉々として 教えてくれる。
  それが 関東地方の予報であっても おかまいなしだ。

  最近は ちか(私の妹)のすむ東京と神戸のお天気は
  違うと言うことがわかってきたらしく 神戸はどれ?
  東京はどれ?と 新聞を持ってきて聞くので やっかいになってきた。
  
  明日もひなによると 晴れらしいが それは どこの地域のことか?
  でも お月様の様子では 晴れそうだったなぁ。

  空模様で 天気を推測する母。
  新聞で確認する 娘・・・。
  ちょっと へんてこ・・・。



  


2001年09月27日(木)    +++決意+++



  ここ2.3ヶ月の間の 理事長の成長ぶりは すざまじい。
  なみなみと揺れる腹で ひなも難破状態だ。

  夜の仕事で ビールも補給して帰ってくるので
  肝臓が 危険信号を点滅しているのか 吹き出物類も
  花盛りだ。
  
  常々 自分のことは押入れのたか〜〜い棚に押し上げた上で
  「ちょっと 痩せたら?」と言っている。
  
  鼻先でせせら笑いながら「お前に いわれたないわ。」と
  返してくるのも もうすでに 慣れっこになってしまった。
  
  どれだけすごいかデジカメに撮って上げるから 確認すれば?と
  言ったのだが 正直 恐ろしすぎて 撮れない。

  昨夜 耳の吹き出物がつぶれて 血が出てきたのを
  ひなが見つけたから さあ大変。
  血だ〜血だぁと大騒ぎ。

  さすがに 危機感を感じたらしく 痩せるわ。と言って来た。

  前々から「はなまるマーケット」で紹介されていた
  ”食べて痩せるダイエット”が 気になっていたので 
  自分のダイエットをかねて やって見たら?と薦めた。

  結局 本人の努力より メニューと調理をする私にかかってるんだけど
  この冬 服を買い換えなきゃならないくらいなら やってみる価値は
  ありそう・・・。

  魚 肉 卵類の摂取が トータル1日150グラム。
  ご飯1膳かパンは 毎食摂取。
  豆 海藻 野菜はどれだけ食べてもOK!

  卵一個で 50グラムくらいだったので なかなか 初めの3品目の
  摂取が大変そう。

  しかし・・・もう すでに フォアグラ状態の肝臓なんとかしないとね。
  理事長の決意は 私の決意となるのであった・・・。
  


2001年09月26日(水)    +++セーフ!+++


>>お風呂大好き BY横山ノック<<


  先日来 ぐらぐらと取れそうになっていた 足の親指の爪。
  外科の先生によると 明日の木曜日には 麻酔を打って
  はがないと 次の爪に深く影響するとの事だった。

  エレクトーン弾きのわたし・・・。
  左足の親指の爪。大切なのよォ。引きぬいたら 靴ははけないし
  ベースをふむのも困難!
  できるだけ 残しておきたい。

  今朝 ライダーの母が心配して電話をくれた。
  彼女はうちのプライマリーナース!

  今行ってる外科より 皮膚科の方がいいかもよ。ってアドバイス
  してくれた。そうだよなぁ・・・・。
  皮膚科の原先生。信頼できそうだしなぁ。

  ひなのYAMAHAを終えてから 皮膚科に走った。

  診てもらった結果は・・・。
  はがなくても大丈夫でしょう。半分はしっかり くっついてるから
  生傷作ったら 治りにくいし 楽器も弾きにくいしねとのこと。

  外科では お風呂もお湯につけるのは禁止だったが
  別にいいよ。とのこと・・・。

  外科の先生は 切りたがるからなぁ。爪はがすなんて 痛くて
  私 嫌やわ。怖いよねぇ。って。

  正反対の診断・・・。別に 今は痛くないし はがなくてすむなら
  それに越したことは無い。明日 外科に行くのは 絶対やめよう。

  痛いのは 外科の先生が 爪の中に ピンセットをつっこんで
  無理やり 爪を浮かす行為・・・・・。
  その後 じんじん何時間か 足がしびれる。

  それも 今日は無く 気がらくになった。
  
  しかし 爪ひとつで 先生によって こんなに診断が違うのね。
  他の病気でも 色々とらえ方や 診断が違っても 当たり前か?
  
  以前 先輩に病気の相談でアドバイスもらったり 病院で説明受けても
  自分の中に「でも・・・」って どこかに 何かクリアーにならない
  不透明な物が残ったら 納得いくまで 診てもらった方がいいよと
  言われたことがある。
  
  子供のことは 特に 後で ものすごく後悔するからね。って。
  そうなんだよね。
  だから 病院選びって 難しいのだ。
  
  とりあえず 大騒ぎしたけど・・・セーフ!
  心配かけて ごめんなさい。
 
  今夜はお風呂に入って ゆっくりつかろう。
  
  


2001年09月25日(火)    +++虫嫌い+++



  ひなは 虫が苦手。
  目に見えるか 見えないかの虫をも見つけ出し
  火がついたように泣きわめき 飛びのく。

  それは あまりにも 激しすぎて 一瞬何が起こったかと
  こっちの心臓が止まりそうになるくらいすごい。

  この間は 車の中に 一匹の蚊が迷い込み
  運転中に背後の席で 気が狂ったように泣き喚くので
  何事かと 車を止めたほど。

  「虫が〜〜蚊が〜〜〜足 かんだぁ」
  真赤な顔で 泣き喚きすぎて 鼻血まで 出していた。

  昨日から 一匹の蚊が 生息中。
  どんなに かまえても 捕獲?できない。

  熱でうつろながら 蚊を見つけると ぎゃ〜〜〜と走ってくる。
  余計に熱が でそうなので 捕まえ様と ぱちぱち手をたたくが
  全部はずれ 怪しい盆踊りのよう。

  ついに「怖い〜〜 嫌だ〜〜」と言い 泣きながら寝てしまった。
  
  蚊ごときで こんなだったら この先この人はどうなるんだろう?
  
  変な怪しい虫を 持って帰ってくるよりましか・・・。
  そういえば あーたんが 小さい頃 ポケットに虫入れて帰ってきて
  びびったって APOが言ってたっけ?

  それも 怖いしなぁ・・・。
  幼稚園行ったら 変わるかなぁ・・・。

  とりあえず 早く良くなれ〜〜〜!




2001年09月24日(月)    +++にんにくパワー切れる+++



  今年の春のインフルエンザの猛威に疲れ果てた私は
  ライダーの母に教えてもらった にんにくを食べるという
  民間療法を ひなに始めた。

  あれは 4月・・・。
  それから 毎日2.3粒 梅しそにんにくを食べつづけてる。
  おかげで それ以来 疲れて少し熱っぽい日はあっても
  風邪を引いたり 病院や耳鼻科にも 5ヶ月通ってない。
  これは 快挙!まぁ 季節的な物もあるけどさ。
  
  ところが 最近のバタバタした生活と 気温の変化にさすがに
  ついて行けなくなったようで 鼻たれ小僧になってしまった・・・。
  
  連休最後の今日は 本来ならば 六甲山牧場に連れて行くはずだった。
  ・・・・が 昨日も六甲山越え・・・。
  連日の山越えは この年にはきつい。
  
  おまけに 私の足は おっさんつっかけ。
  芝生や土の上を歩くには ためらわれる。
  でもって 朝から ごろごろ寝転がっては 鼻をたれるひな・・・。
  当然 NG!

  食事の時 つぶやいた。
  「ひな 毎日 にんにく食べてるのに 何で 風邪引いたかなぁ?
   ばい菌どこから はいったんやろ???」

  確かにね。どこで 引いたかわかりゃ 世の中のお母さんは
  予防もしやすいさ・・・。

  そして 食後・・・。
  「ママ〜 お薬飲んどくわ。我慢するから アイスに混ぜてね。」

  いかに 以前 お薬を飲んでいたかわかる発言・・・。
  く〜〜〜〜 ごめんよぉ。
  早く治そうね。
  
 


2001年09月23日(日)    +++お見舞い+++



  お彼岸で母が お寺のお手伝いに行ったため
  ひなと二人で 101歳ばーちゃんのところへ。

  ひなと二人だけの 六甲山越えは初めてだったので
  少々緊張した。

  行きも帰りも 歌を唄いながら 延々喋り続けるひなのパワーに
  私はついて行けない。

  見るもの見るもの全て 話さないとすまない。
  おまけに 思い出話まで 加わる。
  そのくせ 運転しながら 頭をかこうものなら
  「ママ 運転してるのに危ないよ。信号が 赤になるまで我慢しなさい。」
  と説教までする始末。

  お相手と緊張とで ど〜〜っと疲れた。

  おばーちゃんは 点滴の腕が腫れつつむくみもかなり進行していた。
  でも 嫌なことへの拒否の動作が まだ出ているので
  少し安心して 帰路へ・・・。

  さて 帰り道 おやつの相談。
  モグラさんちのケーキを見てから ケーキケーキとうるさいので
  と言うのは口実で 実は私も食べたくて 帰りにケーキ屋さんへ。

  どこの店に行くかで また ひともめ。
  私は 「シェコパン」と言うお店の カラメル系のケーキが食べたく
  ひなは 「アンリシャルパンティエ」の喫茶店か
  「高杉」の喫茶店で 食べたいと言う。
  
  しかも「アンリ」だと 苺のケーキで 「高杉」だと チーズケーキと
  ジュースが良いと言う。
  
  参った。的を得すぎている・・・・・。
  この先 ず〜〜〜っと こう言う風に「私はこれ!」と
  ひともめ ふたもめして行くのだろうか???
  嬉しさ半分。うざさ 半分。

  結局 ドライバーの私の意見を押し通し その代わりアイスオーレを
  作ってあげるという交換条件が成立した。

  帰って 苺ミルクのケーキを食べながら 幸せそうな顔で
  「ママ〜ひなの選んだケーキ めっちゃおいしいわ。一口あげよ!」と
  口に放り込まれた・・・。

  おいしかったんだけど・・・。なんだかなぁ・・・。
  3歳児に あ〜〜んってしてもらうのも 変な気分。

  明日は 余分にかった チーズスフレとプリンが二人を待ってる♪




2001年09月22日(土)    +++サービスDAY+++


>>冒険<<


  おばあちゃんの具合が悪くなってからと言うもの
  休みは 老人施設へ同行。
  他の休みも 仕事でつぶれると言う日が 続いている。
  
  ひなは テレビで動物や ミッキーマウスが出て来たり
  子供の遊ぶ姿を見るたび「ここに連れて行って〜〜」と
  言ってる。でも・・・なかなか 連れて行ってやれない。
  
  昨日 本当なら豊岡の母の実家のおばあちゃんの所へ
  小旅行の予定だった。
  ところが 今週頭から 101歳ばーちゃんの様態が悪くなり
  すぐに連絡のつくところへいて下さい。と 園から言われ
  中止になった。
  
  ひなはおやつを出してきては「おばぁちゃんのところにこれ持って
  行こねぇ・・・」と楽しみにしていたので
  さすがに 私も母もかわいそうになって 代わりに昨日 
  近場でひなの行きたい所へ 連れて行ってやることになった。

  どこへ行きたいと聞いたら「トイザラス」とすかさず答えが返ってきた。
  何か 絶対にお目当ての物があるようだ。
  
  とりあえず ハーバーランドへ行けば 遊び場もあるのでと
  出かけることにした。
  
  「こべっこらんど」と言う神戸市の児童施設があり 無料で色んな
  遊具で遊べる。そこへ 連れて行った。
  
  ひなは大興奮。珍しく 走り回って 大物の遊具にもチャレンジしていた。
  大好きなパズルもあるし ボールのプールもある。
  約1時間半。もう いいでしょ?と言っても 動かない。

  トイザラスに行こうと半ば無理やり引っ張って出た。
  
  食事をし(スパゲティーとピザのリクエストに答えたのだ。)お目当ての
  トイザラスに・・・。
  パズルを探しに言ったのだが あるのは100ピースのジグソー。
  60〜70ピースの大き目の物は なかなかなく 100ピースに
  チャレンジさせようかと思ったが 付き合う手間を考えると・・・・。
  別のコーナーへ そそくさと移動した。

  色々 物色したわりには 一番欲しい物は黒のネンド。
  「黒がないと おめめができないねん」とのこと。
  結局 その場に行くと 他の色も欲しくなり 9色セットを
  買ってもらい 意気揚揚とご帰宅!

  何が楽しかった?と聞くと 「こべっこだんど〜〜〜」と言う。
  「ママ〜明日も 明後日も毎日 あそこに行こ〜〜〜〜」とな・・・。

  あのさぁ。毎日は・・・無理。
  今日は 今日は・・・スペシャルなのよ〜〜〜〜!


2001年09月19日(水)    +++なべなべそこぬけ+++



  発表会が終わってからと言うもの ひなは 鍵盤にやたら触りたがる。
  
  8月の末に 暇な時間少しだけ 楽譜を教えようかと試みた。
  かわいいプーさんの一段の5線紙に どとれを書いて
  これが ど。これが れ。と音符の場所を教えようとしたのだが
  ただ鍵盤に触りたいだけの3歳児 覚えようとするわけはない。
 
  とりあえず「なべなべそこぬけ」→「れどれどれれれ」と書いて
  指の使い方だけ まさに言い放って ほったらかしのまま
  昨日まで 過ぎてた。
  
  発表会の前日は 我が家は異常に人の出入りが 多い。
  リハーサルをかね 子供達は同じ時間に集合して
  順番に お辞儀をしながら 練習して行く。
  
  ひなは 今年その場所に居合わせたせいもあって 鍵盤に向かう前に
  ちょこんとお辞儀をし 弾き終わるといちいち椅子を降り
  また お辞儀し その場を立ち去り 又戻り お辞儀をし
  鍵盤に向かう。ご苦労なことだ。
  
  さて今日は 母の友人のピアノレッスン日。
  「おばちゃん ドレミ上手やねぇ。」と言うひな。
  母の友人は 60歳手前で ピアノを始めた 努力家だ。
  5年かかって 両手で 簡単なポピュラー曲が弾けるようになって来た。
 
  それを知ってか知らずか ひなは 俄然やる気を出したらしく
  「ひなねぇ。ドレミのお部屋で練習してくるから 
  おばちゃん後で来てねぇ。」とすたすた 一人で2階から降りて 
  レッスン室に入っていった。

  レッスン室には 大切な演奏データ−のFDもある。
  触られて おじゃんにされてはたまらない。
  慌てて 追い駆けた。

  エレクトーンに座り プーさんの楽譜を置き 振り返り言った。
  「ママ〜先生になって ひなにドレミ教えてくれるの?」
  いかにも嬉しそうな笑顔に 負けた。

  「弾いてみ」と言うと 案の定 好き勝手やりだした。
  どの位置を 正して 音符の復習・・・。
  その後 なべなべそこぬけを2本の指で 弾くように 
  音符を指で指しながら 促した。

  れどれど れれれ〜〜 なんとなく弾けてる。
  本人も嬉しくなったらしく 何度も弾く。
  
  ふと 思い出したように 椅子から降りた。
  そして お辞儀をして言った。

  「ママ〜〜 ぱちぱちってしてよぉ。」
  拍手を強要されたよ・・・。

  初めて 自分で 弾けた曲。「なべなべそこぬけ」
  覚えておいてあげるからね。



  


2001年09月17日(月)    +++義父の誕生日+++



  先週 お義父さんから電話があった。
  「新米頂いたから 持って行くけど いつが都合が良い?」と。
  毎年 新米を持ってきてくれる。ありがたいなぁ。

  ふとカレンダーを見ると 17日のお誕生日まですぐだったので
  「17日にしてください・・・」とお願いした。
  今日は お義父さんの誕生日。

  こっちに遊びに来ると 外食に誘ってくれる。
  いつも 大変だから・・・との心遣い。  
  そうなのだ。お義父さんは とってもよく気のつく人で
  感心するし 見習わないとといつも思う。
  
  せっかくのお誕生日。今まで 食べてもらった物で(ごくわずかだが)
  気に入ってくれていた物を ささやかながら作ろうと思った。
  
  あとは お義父さんの好きなお寿司やさんのお寿司・・・。
  
  ひなは 昨夜から「じいじ」と一生懸命書き
  似顔絵をカードにしていた。
  なんだか じの濁点が あさっての方向を向いていたけど
  それも ご愛嬌・・・。
  
  あとは 宇宙語を書いていた。「なんて書いたん?」と聞くと
  「じいじが 車の運転いっぱいするから 頑張ってね 気をつけてね
  って書いてん。」とのこと。

  今日 渡す時に また同じことを言っていたので ホントに
  そう思っていたみたいだった。

  「62歳になって 初めて お誕生日のお祝いって こんな風に
  してもらった。うれしいなぁ。」と言って頂き 私のしっぽは
  左右にぷるんぷるんと 喜びに揺れた。

  夜 理事長ご帰宅。
  「おやじ ようさん食べてたなぁ。喜こんどったなぁ。
   男兄弟の息子持ってたら こんなことせえへんもんな。
   よかったなぁ。ごくろうさん・・・」と言ってもらい
  またまた しっぽは ちぎれんばかりに揺れたのだった。

  自分の父にはできなかった 親孝行の真似事。
  お義父さん 長生きしてね。



 


2001年09月15日(土)    +++永久の愛情+++


  今日の仕事は 仏教で49日にあたる カトリックの方の
  死後50日祭の宴席の演奏・・・。
  
  今年に入って 人生の終結のお仕事は 2回目だ。
  前回は 社葬だったので 特にと言っては何だが 亡くなった方との
  距離は遠かった。
  
  今回は 奥様を亡くされた ご主人が 生前 大好きだったホテルで
  近しい皆さんと 思いで話でもとのことで 催されたようだった。

  初めに 厳粛なミサが始まり 神父さんのお話や
  魂を 送るための讃美歌を 合唱されていた。
  
  亡くなられた 奥様の写真が 何枚も飾られ そこに献花がされた。
  ミサが始まる前に 神父さんが ご主人に話しかけられていた。
  「このお写真は あなたが撮られたのですか?」
  「はい。私は 人物が大好きで 特に妻をモデルにして撮るのが
  楽しみでした。」とご主人。

  「あ〜お綺麗な方だったのですね・・・」
  洗礼の儀式をされたのが 縁で今回 ミサもお勤めになると聞いていたのに
  頭に???と浮かんだ。

  ミサのオルガンを弾かれる シスターとお話をしているうちに
  疑問が解けた。

  「奥様は 4年ほど前に 交通事故で 3年かかってやっと松葉杖で
  歩けるようになりました。事故の前は ずいぶんお綺麗な方だった
  ようですねぇ。顔にも 傷を負われて 事故後は 外へも出られなかった
  ようですよ。元々は 高校の先生をされていた様ですが そんなことが
  あって お仕事もおやめになり 精神的にも辛い 日々を送られていた
  様です。事故後 他の病気も 患われて 精神的にも不安定で
  洗礼をうけられたのです・・・」と。

  また「お子さんがいれば よろしかったのに 恵まれなかったようで
  生きがいが見つからなかったのかも知れませんね。」とも おっしゃった。

  なんとも 言いようのない思いが じわ〜っと心に広がった。
  突然 襲った交通事故は その後何年も 彼女を苦しめた様だった。

  式が 無事に終わり 食事会になり リクエストを受けていた
  思い出のいっぱい詰まったであろう曲を 一曲ずつ演奏して行った。
  
  ほどなく 特にご縁のある方々のスピーチが始まった。
  その合間合間に ご主人が コメントを入れられていった。
  
  その一言一言は 愛情に満ち 心温まる物だった。
  お二人は 御見合いだったのだが ホテルで待ち合わせの時 かわいい
  女性が目の前を通り その方がお見合いの相手だったらいいのにと
  思った所 声をかけられ どれほど嬉しかったか。
  
  人目ぼれで始まり 亡くなった後の メイクされた死に顔を見て
  その頃の思いが まだまだ 自分に続いていて ずっと人目ぼれのまま
  天で また 逢いたいと おっしゃった。

  自分たちは 結婚してから 相手と互いに向き合いすぎるほど
  向き合って 色んなことを話し ぶつかり そして 慈しみあったと。
  何にも代えられない 幸せな18年間だったと しみじみ述べられた。

  この夏は ずいぶん辛く 夫婦ともに 眠れない夜が続いた。
  そんな時 疲れ果てた妻は 眠りたい一心で 余分に薬を飲んで
  しまったのだろう・・・。

  いつも 一緒にいた夫婦だから 絶対に手を握りあい最後を迎えたいと
  思っていたのに 自分が仕事でいない時に たった一人で
  旅立ってしまったことが 悔やまれて仕方ない。

  帰って来て 冷たく硬くなった 妻に何度も人工呼吸や心マッサージを
  したけれど ふと 今まで どれほど苦痛に満ちていたかと思えば
  このまま 寝かせてあげた方が良いと自分は なんてわがままな事を
  しようとしているのかと 泣けました・・・。と。

  切々と語る ご主人には 奥様への愛情の深さが 全身ににじみ出て
  自分はこんなに 愛されるだけの価値があるかと・・・考え込んで
  しまった。

  スピーチの間 目の奥が ずっと熱かった。

  最後に「MY HEART WILL GO ON」を
  挨拶の途中に演奏してくださいと リクエストを受けていたので
  ころあいを見計り演奏した。

  不意におっしゃった。「この曲の ドアを開けて こっちに来て・・・と
  言う歌詞があります。いつも 僕のところへ 来てもらっていた家内の
  そばに 何年か先 ドア−を空けて 僕が行けるように。
  その日まで 待っていてもらうことにします・・・。」と。

  きっと 奥様は待ってらっしゃるだろう。
  痛みも苦痛も無いところで・・・。お写真のような 綺麗なやさしい
  微笑で・・・。

  夫婦のあり方。夫婦の愛情の交わし方。
  ものすごく 考えた1日・・・。

  
  


2001年09月14日(金)    +++報復+++

  

  米国同時多発テロ事件・・・。
  誰に会っても「こわいね〜〜」が お天気の様子に変わる
  挨拶になりつつある。
  
  火曜日・・・1日の疲れをどっと感じつつ
  ドラマ「ウソコイ」を見ていた時に 入った 一報だった。
  
  誰もが 言うように 映画のワンシーンかと思った。
  あまりにも むごい・・・。
  やることが 卑劣過ぎる。

  「報復」って言葉 今まで 小説や何らかの 文章の中で目にすることは
  あったけれど 人の口から 発せられるその言葉は
  言い知れぬ怖さがある。
  
  仕返しとか やられたらやり返すと言う言葉とは 全く違う
  心底の憎しみや 哀しみを含むこの言葉は むやみやたらに
  使う物ではないのだと 知った。
  
  日本では あまり見かけられないテロ。
  その底に 沈む 根深い憎しみ・・・。

  どうか これ以上 広がりませんように。
  そして ひなが 一生口にしない言葉であって欲しいと
  心から 願うのでした。


  


2001年09月13日(木)    +++四季+++



  その1
  車に乗って 出かけていたその時 母とひなの会話。
  ひな「ひなね お外に お手紙 書くねんもぉ〜ん」
  母 「ふぅ〜〜ん。なんて 書くのぉ?」
  
  ひな「早く 秋になって下さいって 書くねん。」
  母 「なんでぇ?」

  ひな「だって 早く涼しくなった方が いいやん。」
  母 「そうやね。ひな 暑いのいややもんね。」

  ひな「違うよォ。だって 暑いの ばぁばが 苦手やから
     ひなが お外に 秋になって下さいって お願いするねん。」
  母 「ありがと〜。(私に向かって)
     いつのまに そんなこと 覚えたんやろ?」
  
  ひな(すかさず)「だって ばぁば 毎日 言うてるもん。」
  
  私 「ひな 秋ってなに?」
  ひな「夏の次で 涼しくなること。」
  
  確かにね。けど・・・私 そんな風に言ったっけ?
  
  その2
  じいじとの電話で・・・。
  ひな「じぃじ〜 今日ねぇ・・・ お部屋の窓 ママが空けたら
     ひゃ〜〜っと 風が 吹いてきてんよ。
     気持ち良いねん。 もうすぐ 秋になるよぉ。いいでしょ。」
  
  どうやら 季節の変わり目や 四季と言う物があるって事
  なんとなく 感じるようになってきたようだ。

  夏の始まりには プールや花火を楽しみにしていた。
  秋には 何があるのか まだ 教えてはいないけど
  暑い夏を終え 涼しく 過ごしやすい日を 心待ちにするのも
  良いだろう・・・。
  
  でも・・・
  最近 富に 人のことを見て 良く聞いていて ひやっとさせられること
  ホントに多い。
  
  言動も 行動も気をつけなくちゃね。

  
  

  



2001年09月12日(水)    +++敬老の日+++


>>お祝いの会<<


  101歳のおばあちゃんを 祝って 市の係りの方と
  園の理事長さんを交えての お祝いの会をするということで
  一足早い 敬老の日を 祝ってきた。
  
  園からの連絡で 1時には 来て下さいとの事だったので
  早めにと思い 12時45分頃には 園についていた。
  
  お祝いの会は 2時からと聞いていたので おばあちゃんに着物を
  着せて 準備をして・・・と 母と私は 考えていた。
  
  しばらくして 職員の方が 今日の会は 2時30分からに変更に
  なっていますので しばらく待ってください。と おっしゃった。
  
  あと 一時間半も待つのかと・・・内心 ひなが静かにできるかと
  不安が 広がった。
  
  歌ったり 散歩したり・・・。何とか 時間をつぶして 
  2時半・・・。でも 誰も 何も言ってくれない。

  おばあちゃんは 窮屈な着物を着せられて 寝づらそうにしている。
  そのうち 安定の悪い 車椅子に寝かされて 待った。
  市の役員が来る 時間を10分過ぎても 15分過ぎても
  そのまま・・・。いくら寝たきりでも しんどかろう・・・。

  20分を少し過ぎた頃 その役員さんとやらが 来られて
  記念品を渡され 記念写真を撮った。
  
  今の世の中 携帯があるのだから 途中で遅れるのなら 遅れると
  電話のひとつも 入れられない物なのか?
  
  記念品を渡したあと 一言二言 話しかけられていたけど
  「この方は 耳は 聞こえますか?あ〜寝ておられるんですか?」と
  なんだかなぁ・・・と言う質問。
  目を開けたくても 老衰と言う 人が通るべき道を 今 歩いていて
  開けられないのだ。

  100歳越したら 耳も聞こえなくなるでしょう・・・。
  福祉の市の役員が このありさま。
  せめて 大きな声で 耳元で話しかけるくらいしても よかろうと
  思うのだが・・・。わざわざ 足を運んでいただいたのでは 
  そう言うことも 望めないのかも知れない。

  福祉の役員さん・・・。あまりにも 単なる仕事。
  お役所仕事 すぎませんか?

  その後 しばし お茶を頂いて 部屋へ戻って びっくり。
  着物のまま 車椅子に寝かされていた。

  今は もち直した物の 先日まで 死にかけていたのに・・・。
  なんで?と思ったら 職員と一緒に お写真を撮りたいからとのこと。
  ちょっと 早くして 寝かせてあげたいなぁって 思ってたら
  案の定 ひながぐずり出した。

  家を出てから 4時間ちょっと しかも 何も面白みの無い所だから
  仕方ない・・・。

  「じゃあ よろしくお願いします。」と 後ろ髪を引かれながら
  帰ろうと廊下に 出ようとした時に
  職員さん同士が 話しているのを耳にしてしまった。

  「こんなに 忙しいのに みんなで記念写真なんか無理ヤン。もう
  良いんと 違うん?」

  そうだよね・・・。そうかも 知れないけど・・・。
  だったら ちゃんと その事言って 寝かせてあげてよ。

  前にも 聞いたんだ。
  「ちょっと それよけて・・・」とよその おばあさんのこと
  指差していた職員さん。

  忙しいでしょう。自分たちで 看られない祖母を預けているわけだから
  感謝もしてます。

  でもね。何か 違う気がするんだよね。
  それを 言えない自分にも腹が立つし。それを 当たり前のように
  言うことのできない 日本の介護システムにも 腹が立つ。

  そして その事は もっともっと年月をかけ
  役所の人間から 変わっていかなきゃ どうにもならないことを
  今日 思い知りました。

  何のための お祝いの会だったんだろう・・・。



  


2001年09月11日(火)    +++おわったぁ〜!+++


>>出番まち<<


  今年も発表会が終わった。
  今日になって やっと ほっとした感じ。
  後は ビデオテープのダビングと写真屋さんから送ってもらう
  写真のチェックを残すのみだ。

  生徒さんの年齢が 少しずつあがって行き 思春期の女の子の対応は
  難しくなる。
  どうなることか どうなることかと思っていたけど
  特に ぶっ飛ぶことはなく 無事に終わった。

  曲の最後まで まともに弾けたことがなかった聖くんも
  本番ではNOミスで 演奏できた。
  
  ゆきちゃん あんなちゃん さきちゃんのコンクール組は
  以前より もっともっと良い演奏ができた。
  
  絶対に 左手は弾かないと言ってのけ 練習も絶対しないと言った
  しーちゃんも 右手だけだが 気持ちよく弾いたようだ。

  泣いて泣いて 最近では 涙をこぼさない技術を身につけ うんと
  強くなり 楽器に食らいついていくようになったみいちゃん。
  努力の結果は きちんとみんなの耳に届き みんなに上手になったと
  評価された。

  大人も 時間がない中 ホントに良く練習して 良い演奏したと思う。
  ご苦労様でした。
  
  発表会は 自分の個性や意思 自分のやってきたことを
  見ず知らずの人達に聞いてもらい 自分を知ってもらう機会だ。
  楽器を演奏したり 絵を書いたり 字を書いたり そんな作品を作ることに
  携わらないと できない貴重な体験。

  街中で いきなり自分のことを「私はこうなんです!」って 表現することは
  できないけれど 発表会って言う 舞台の上ではできる。

  初めは 親の意思で 始めたことかも知れないけれど
  自分の演奏を 楽しみにしてくれる誰かが絶対いるってこと。
  努力や 積み重ねてきたことは 必ず誰かが見てて 
  必ず共感してくれること。
  小さい子は小さいなりに いつかわかって欲しいって思う。

  また 1年の始まり。
  私も・・・がんばらないとね。




  

  

  


2001年09月06日(木)    +++ベッドタイムストーリー+++


<zzz!>


  ここの所 眠りにつくまで お話をするのが
  ひなのお気に入り・・・。
  
  「むかぁし むかし・・・」から始まる日本のお話から
  お姫様や狼が出てくるお話までいろいろ・・・。
  
  動物の登場するお話で気がついた。
  気の毒なことに 狼は海外では どこまで行っても 悪者扱い。
  日本では きつねとたぬきが悪者の象徴・・・。
  今まで 気にしたことはなかったけど 狼 きつね たぬきの悪事は
  事欠かない・・・。

  ついつい こっちものってしまって 
  怖い狼や 鬼を演じると 枕に顔をうずめて
  「ママ 怖い。怖いってばぁ。ママになって〜〜〜。」と
  怖がる・・・。その姿が かわいくて またまた 熱が入ってしまい
  結局 二人とも 目がさえてしまうこともしばしば。
  意味無いヤン。

  お話が 増えてきてどうも ごちゃごちゃになったようで
  3匹のこぶたに こやぎが出て来たり 白雪姫はなぜか
  「しらたき姫と7人のこぶた」と言う題名に変わっている。
  白雪姫とちゃんと言いたいらしく 「白雪 しらたき?しらたき?
  しらゆり姫・・・」と 5段階活用のようだ・・・。

  こんなお話で 盛り上がってくれるのも あと何年かな?
  
  


2001年09月02日(日)    +++ぎょえ〜〜〜〜!+++

  
  
  発表会のプログラムできたぁ!と思って 一緒にする先生の
  お宅に持って行く道中・・・。
  間違い発見!
  
  一人抜けてた。しかも 相手の先生の生徒さん・・・。
  150枚ミス・・・。大ショック!

  うちの生徒さんにお願いして プリントアウトしてもらったのだ。
  生徒さんの まさよちゃんにまたまた 負担をかけることになってしまった。
  
  とりあえず お届けした物の生徒さんには 渡せないので 
  また 回収に・・・。
  それは うちの生徒さんに回すことにして まさよちゃんに
  また 作ってもらう。

  忙しいのに ホントごめんよ。
  ちゃんと 連絡できなかった私のミスよぉ。
  
  あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
  みなさん ごめんなさい。ご〜めんなさい。(こうしクン風・・・)




2001年09月01日(土)    +++DUO+++



  来週の日曜日は 発表会。
  もう一息。

  今年は 念願のピアノ・エレクトーンDUOをヤルノダ。
  お相手は 理事長ではなくあーたん。
  
  APOのご長女。
  産まれた時から「この子の一番最初の友達にしてもらおう。」と
  勝手に決めていた。
  
  ほとんど 孫の感じ。
  かわいくてかわいくて。もう中学1年生で 私と背丈も変わらないなんて
  信じられない・・・。
  
  小さい時から 変わらないやさしい瞳の中に 少し強さが出てきたかな?って
  今日初めて思った。

  演目は ルロイアンダーソンの「舞踏会の美女」
  派手なワルツ。どうしても これが 演りたかった。
  アンダーソンは大好き。この曲のイントロの華やかさが 特に気に入ってる。

  ひなが産まれて初めて 曲らしい曲を聞かせたのがこれだった。
  実家で 夜泣きや日中泣いたりした時 CDで鳴らすと 不思議と
  だんだん 声が小さくなって行った。
  かと言って 今この曲をかけても 無反応なので
  いわゆる新生児の記憶ってのも 当てにはならんなぁ。

  今日は 初めての合わせだった。
  実は ばたばたしていた私は 譜読みができてなかった。

  「げっ!」とか「ぎゃっ」とか 不気味な声を発しながらの
  演奏だったので ホントに申し訳なかった。

  CDを聴いて 「ここってこうだよね。」とか
  「私は こう弾きたいって思うんだけど あーたんそんな風にできる?」
  とか 「ここで ブレス入れてみよっか?」とか
  細かい打ち合わせを 小さかったあーたんとできるように なるなんて。
  夢のようだ。年取るはずです。

  以前なら 私がこうだと思うんだけど・・・って言ったら
  きっと ひとつ返事か 「うん」って首を振るだけだった彼女が
  「あーたんはなぁ〜 こっちがいいわ。」とか うんうんって言いながら
  「できるよ。」って答えてくれる姿を APOに見せてあげたかった。
  
  ひとつ 気がついた・・・。
  最近 少し 煮詰まって 色々悩んでた 講師業・・・。
  私って 良いとこ取りかも。

  子供たちの鍵盤に向かう時の 一番良い表情見れて
  一番良い演奏 誰よりも先に 耳にできるんだよね。
  
  また 明日から頑張れるよ・・・。
  あーたん サンキュ!
  
              あ〜〜〜練習しなきゃね!汗・・・


  




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