ずんだいありー
□■□モクジ□■□→→コレマデコレカラ←←


1998年11月30日(月) 11月が終わる

早いなぁ。
もう11月も終わり?マジで?
たもつさんともひたさんともCodyともあそんでない。
あ、あたし結構友情を軽く見ているって思われているかも。
そんなことないです。みなさん。ただ、ちょっとの間は好きにさせてください。
かならず、また皆さまにまたお世話になります。
修論、がんばろう。全然進んでね〜。


1998年11月28日(土) 在日であるということ

久しぶりに神戸に住むヒョンから電話があった。
就職活動で悩んでいるということ。
話し始めたら結局、長くなってしまった。

ヒョンとは韓国語で兄さんの意味。
彼は在日韓国人二世で僕がソウルに韓国語を勉強にいったときに出会ったのが始まり。
それから勝手に僕がヒョンと呼び始めた。
ソウルの韓国語学校はすごい楽しいんだけどなんか韓国オタクで
ちょっと性格が壊れている人とかもいたりしてそんななかでやたら
ブラックなネタをご披露してくれるヒョンとはすぐに仲良くなった。
ポケベルのメッセージとか岸田今日子の語りとかにしてるし。
もみあげを残す、日本で流行りの髪型を韓国の床屋でやってもらおうとしたら
めちゃめちゃ斬斬り頭になって帰ってきて俺が爆笑したこともあった。
彼はハングルのハから勉強をして僕が韓国に行ったときにはもう5級くらいで
かなり話せるようになっていた。

僕は大学院入学のために97年の3月に帰ってこなきゃいけなくなった。
ソウルを去る日にタクシー乗り場でお別れしたときの彼の淋しそうな
目を忘れられない。
あれから数回電話したり、手紙をやり取りしてヒョンも今年、帰国した。
僕が就職活動をしているときの頃だった。
大変だったけどなんとか僕は希望の就職先に内定し、彼も同様に
就職活動を始めたが一向に決まらなかった。
僕が内定したことを教えたとき、一番喜んでそして一番素直に悔しがって
妬いたのもヒョンだった。
そして僕はそういう彼の正直なところが大好きだった。

そしてもう11月末。
彼はまだ就職活動をしている。受験した会社はとうに20近い。
しかし落選が続いている。その原因を彼の能力や話術の限界に求めることも簡単だろうな。
でもやっぱり彼が在日韓国人だという事実を看過することは出来ないと思う。
そこに落ち続けている理由を収斂させてしまうのもまた違うかも知れないけれど。
でも、このご時世においては芸術学科卒業の今、26歳で韓国語の分かる在日韓国人が
必要とされず、経済学科で21歳で日本語しか分からない日本人は必要とされるのか。

エスニックな部分で斬ることの出来る問題ではないけれどねぇ。
そしてそんな彼には今、在日韓国人が経営する物産と韓国領事館の仕事の
二者択一しか残されていない。
日本で生まれ育ち、日本語で教育を大学まで終了し、それから韓国語を習得したヒョンは
日本人といっても過言ではない。
(アイデンティティ論は棚にあげておく。僕が知っている彼はそうだ。)
その彼が結局、就職先として選ばなくちゃいけないのが両方とも韓国系であるという事実。
そこにはおぼろげながらも確実に境界線という名の差別が見える。

ネクタリンって1900年代にアメリカに渡った韓国人が桃とプラムをかけあわせて作って
できた果物なんだよ。しってた?


1998年11月27日(金) ドラえもん、来仙!

え?なんでこんなに警察官がいるの?
ウチの住んでる方なんて青葉区のさいはてなのに。
一つの交差点に警察官が10人もいた。
中国では江沢民はドラえもん(機械猫)とよばれているそうな。

明日あさって、仙台の町中にはでないほうがよさそ。
「君、所沢ナンバーの汚れた車を運転しているなんて過激派だな!」
「いえ、そんなことないです。」
「うるさい、身体検査だ。ケツを出せ。」
「あん、いやん!」
「この野郎、公僕に向かって女の腐ったみたいな声を出しやがって。
 俺がおめえを本当のおんなにしてやる!」
「あん、いいん!」

何いってんだろ、俺。
もう二回もつかまってるんのに。


1998年11月25日(水) Royal Milk Tea

昨日のページのアップは今朝の5時過ぎくらいだったにも関わらず、
それから三時間後くらいにはすでに一人の性年Codyから答えが届いていた。
J-Phoneやデジタルツーカーで使うことの出来るスカイウォーカー・スカイワープで
メッセージが届いたのだ。ああ、出社途中にチェックしたのね。
よっぽど朝から暇だったとみた・靖子。

今日の夕食は僕のいる研究室でおとなりさんと一緒に作ることに。
両親が石巻から来ている友人が母親の手作り料理を出してくれておいしくありつく。
それからロイヤルミルクティーを作ることにした。
牛乳が沸騰しないように気を付けながら紅茶を出すのは面倒くさいので
コーヒーメーカーの保温する上にティーバッグと牛乳を入れた
ティーサーバーを置いて待つこと1時間。

出来たミルクティーは上品な肌色でまろやかな味でした。
これをアップしたら少し眠ろう。


1998年11月24日(火) エアロビックス

最近、本当に眠りにつくのが遅い。
朝の6時なんてしょっちゅうで昨日も地震の時には学校にいた。
でも睡眠を十分にとって起床したら日が暮れているというのはやはり生活としては
異常な感じがする。恐い。
ということで今日は久しぶりにその生活パターンを崩すべく、
身体をめちゃめちゃ疲れさせてすぐに眠たくさせようと試みた。
そう、それがエアロ。世の中にはエアロビックス・エアロビ・エアロビクスなどと
いうらしいですが通だとエアロというそうな。

で、幽霊会員になっているセントラルスポーツへてけてけと。
改装後、始めていったので結構びっくりした。スタジオも二つになっているし。
今日でたいと思っていたのはパワーアップクラスという、結構ハードなヤツ。
Kさんという丸顔の優しい女性が分かり易く教えてくれるので好きだったのだ。

だのにぃ〜なぁ〜ぜぇ〜?来たのは最近まで入院していたという(病名はいろいろ噂されているらしい)N氏!
ぎゃぁぁぁ。あたし、このクラス嫌いなの。トラウマ。
生まれて初めてやったエアロのクラスがこの人のクラスで死にそうなくらい
きついヤツをやらされてしかも一人だけ波からはずされて怒られたりしたのよね。
やめようか考え、でもやっぱり出ることにしていざ出陣。

ぜ〜ったいおねえさまなはずなんだけど、この方。
嘉門達夫が変え歌してたサッカーの歌のヤツをBGMにガンガン飛ばす飛ばす!
あたしゃぁ、ウォームアップが終わった時点で汗かいてました。
それからもう腕回したり、前に行って後ろに行ってインドのポーズはさせられて、
とやるだけやったらもう、汗だくだく。
結局終了7分前に耐えきれなくなって出て来ちゃった。
ああ、意志薄弱で体力のないワタシ。
まわりのネーチャンバーちゃんハッスルハッスルなのに。
でも嬉しいことに体重がいきなり2キロくらい減ってた。
やる前と後で。すげ〜よな、このえあろパワー。また行こ。

でもこの後に、結局TOSHiさんとご飯を食べに街道沿いのロイホに行き、
ハンバーグステーキをバグバグ食ったので結局プラスマイナス0ですかね。
今月にもう数回いかないとエアロ一時間で¥5,000になってしまう。
いや、3ヶ月行ってないから¥15,000?みてろぉ、N!
あ〜たの前でいつの日か引き締まった下腹部を丸だしにして
大声だしてエアロやって・・・みたい。

誰か、一緒に行きましょ!


1998年11月19日(木) 初雪

昨日、研究室にいたら隣の部屋の人が「降雪のために緊急撤収いたします」と
言い残してさっさと帰った。
ま、八木山っていう山に住んでいるから雪だとすぐに道がダメになっちゃうからね。
僕も朝の6時くらいに帰宅。
本当に寒くてヒーターを入れても身体が暖まらず結局シャワーを浴びてしまった。

でも寒い季節は好き。
今日もめちゃめちゃ寒かったけど、すごく気持ちよかった。
冬は少なくとも夏よりは7倍は楽しいでしょう。
まだ4:30だというのにもう真っ暗ででも人通りがあるあの押し迫った感じが好き。
年末の、何かを締めくくろうとしているちょっとあわただしい感じが好き。
伊藤みどりも好き。
鼻一杯に息を吸えない冷気も、雑草に下りる霜柱も、ほのかな灯油の匂いも好き。
ストーブの上で親父が焼いてくれるにんにくのほこほこ焼きもその上で湧いているお湯で
母が入れてくれる緑茶も好き。
布団からはみ出た左手の冷たい温度も冷たく乾いた洗濯物も好き。
モスのホットチョコレートも和光市にあって潰れた109のミネストローネも大好き。
やっと仙台駅を出発する仙山線の暖房も好き。

でも毛布みたいにくるまってあっためてくれる冬の人肌が一番好き。


1998年11月18日(水) フトレト

僕は板チョコが好きなのだ。
それも何も入っていない非常にシンプルな奴が。
高校生の頃にVIPチョコレートなるものがあって中にブルーベリーとかティラミス
(CMガールは鰐淵晴子の娘か何だかの単なるデブだった)とかあって
寄り道をしたけれどやっぱり好きなのは普通の板チョコだな。
クリスピーなやつもあんまりだし、KitKatもまぁまぁ。
結局納豆と一緒で味と同様に触感がポイントなんですね。
あのチョコレートのねっとりとする感触が非常に好きなのです。
よく買うのは茶色のパッケージの明治。これはただ単に惰性。
実家の埼玉には明治製菓の菓子工場があって小学校の社会科見学で
二回も行ったのだ。
その時からなにかと明治製菓製品をよく買うようになったのよね。
お母さんにチョコ買ってきてもらってもやっぱり明治製菓だったりした。

昨日もつい明治の奴を買いそうになって手を止めた。
そういえばロッテってあんまり食べなかったな。
ということで急遽、ロッテのガーナチョコレートに変更。
ふむふむ。これも旨し。
後ろのパッケージを見るとなんとロッテは今年50周年だと。ほほう。
しかしなんでロッテなんだろう。韓国の企業なのに。
韓国の他の財閥はみんな現代・大宇・韓進・鮮京とかの漢字なのに。
って思ってよく見ると、ロッテの由来が書いてある。
「若きウエルテルの悩み」のヒロイン、シャルロッテにちなんで
「ロッテ」にしたのだそうな。へぇ。

韓国にいたときにもよくロッテのチョコは食べてた。
韓国に明治製菓無いし。でよく食べていたのがロッテフトレトチョコレート。
(真ん中が文字化けしていたらご免なさい。フトレトと書きました)
カタカナでフトレトと書いてハングルではガーナと読むんだよね。
つまり、それはロッテガーナチョコレート。
友達にお土産で買っていったらフトレトとか読み出して大笑いしたっけ。
だれか韓国行くときには探してみて下さい。
キーワードはフトレトです。

ロッテは軍政下の韓国政府の開発独裁の波に日本の外貨を投入することで
韓国の財閥の世界で大きな地位を築いたらしい。
今でもソウルの超一等地にあるホテルはロッテホテルだし、日本と同様に野球球団もある。
しかし一番びっくりしたのはロッテ電子。
下宿の隣室の日本人の友達がラジカセを買ってきたというのでブランドをみたら
「ロッテ」って書いてあんの。大爆笑。
韓国ではロッテは「お耳の恋人」でもあるようです。


1998年11月17日(火) シシザリュウセイグン

飽きるまで見よう。

33年後もまた見れるかわからんし。


1998年11月16日(月) 7月7日、晴れ

壊れていたコンピュータが直ったとの連絡を受け、てけてけと生協へ。
二万以上の出費になった。痛い。
速攻で自宅へ電話し災害義捐金の申請を行い、なんとか認可を受ける。

今日の生協川内店では中古CDフェアをやってた。
見ちゃいけない見ちゃいけないと思いつつ15分かけて全部見る。
「マドンナは全部持ってるしなぁ。」とか独り言言いながら分厚い眼鏡かけて、
ほぼ寝間着姿で見入っているこの姿をこちらの世界の方にはちょっとお見せできないわぁ。
で、今日みっけたのが「7月7日、晴れ」のサントラ。
入っている曲を見ると大好きな曲ばかり。
「go for it!」でしょぉ、「うれしい!たのしい!大好き!」でしょぉ、
「二人のDifference」でしょぉ、それに「The signs of Love」まである。
でも何といっても「冬三昧にはまだ遠い」が入っているのが決定打だにゃ。
迷わず買ってしまった。1,600円。

えへへへと思ったその瞬間、今度は別なやつを発見。おおお、これこそ今、
私が視床下部の底から欲しがっていたイチモツ。スピッツの「インディゴ地平線」。
ぶっ続けて聞いていたんだけどレンタルだったから返さなくちゃいけなかったんだよね。
早く欲しい欲しいと思いつつ資金繰りがつかずに買えずのままでいたんだけど何よりも
欲しくなってしまい、これも速攻で買ってしまった。2,000円。
二枚で3,600円は悪くないでしょう。
だから好きなんだよね。中古CDフェアと生協。
ちなみに生協ではいつもCDが15%オフなんですよ。
仙台の人で何か欲しいCDありましたらどうぞご連絡を。
10%オフに致します。え?5%?そりゃ、あんたコミッションよ。
当たり前じゃない。なんちて。

昨日の朝日新聞で学級崩壊について取り上げてた。
何でも小学校などでは教師の言うことを聞かない子供が増え、
授業が成立しないケースもあるとのこと。
分かる気がする。

学校の先生には問題がありすぎるよ。
なんであんなに社会性の無い先生が多いんだ。
うちは父親が校長先生だからいろんな先生から電話がかかってくる。
で、そういう先生からかかってくる電話には本当に呆れるものも多いの。
かかってきて突然「先生、お願いします」とかならまだいい方で
「先生は・・・」とかで止まってしまうのもある。
僕、意地悪だからそういう時は黙っちゃうのだ。「え?・・・」みたいに。
でも社会性のない子供が多いとか、きれる子供達が増えたなどの特集は
多くなってもそれを生み出している家庭と学校についての責任の所在は
はっきりさせないんだよね。その責任をお互いでなすりつけあってる。

昔は成績のいい子は必ず児童会長で、成績の悪い子がスポーツが得意で
もてたりもして・・・的な比較的分かりやすい構図で全て子供のことを
認識していたと思うけど(でしょ?無着成恭さん!)
やっと今、成績の善悪や先生の言うことを聞く子ときかない子、と
その子供の善し悪しとは実際は何も関係していないことを文部省も
理解し始めたんだろうか。

「学校の先生は大学からそのまま学校に行ったからあれは就職じゃないです」
という人もいるがそれもなるほど、確かに。
学校の先生の常識はあまりにも世間の常識からかけ離れているよ。
今更、贈答品のオンパレードだし。
オヤジが校長先生になってから届く中元と歳暮の数は増える一方。
兄貴のいる証券会社はきっぱりとその習慣を改めたというのに。

一方、先生を養成する機関でもある大学の教職課程にも問題が大アリだよな。
本当にこいつは自分の管理すら出来ないんだから先生になっちゃダメだよって奴が
教職とってるし。教員になる試験の前にインターンとして少なくとも一年くらいは
学校に詰めるというくらいの訓練が必要だよね。試験はその後だよ。
あと、子供をなんとかしなきゃいけない前にやらなきゃいけないのはとにかく先生の
再訓練でしょう。ということを子供の頃から知っていたからでしょうねぇ。
私も兄も教職の単位を一個も取らずに卒業し、公務員ではなく一般企業を就職先として
考えたのです。


1998年11月15日(日) オカマを伝導?

29時間、一緒に過ごした。
楽しかったけどまだまだ時間が足りないよってかんじ。
いてもいても飽きないのだ。
結局、その半分は布団の中で爆睡こくかゴロゴロしているかのどっちかだったけど。
でも気がつけば僕は彼の訛りを真似しているうちに本気で訛ってくるし、彼にはオネエが。
オカマを伝道・伝導?してしまった。

昨日のご飯話の続き。
KOHさんはたまごご飯は反対にご褒美だったとのこと。
へぇ〜、そういうのもあるんだ。
たまご納豆ではなくネギ納豆に勝るものは無いという人までいる。
え〜!あれぇ?なんか納豆のせっかくのねっとり感に突然シャリシャリ感が紛れ込んできて。
僕、好きじゃない。
トロ〜リ感のたまんないチョコレートに突然紛れ込んでくるナントカ味のフルーツだったり
するのと似てる。
味覚よりもこう、触感を邪魔する感じが苦手なの。
でも、結局ネギ納豆はうまい、という不条理な結論になってしまった。まぁいいや。


1998年11月13日(金) 禁断の味

昨日は結局、完全徹夜に。家に帰ったのは朝の11時。今日でした。
帰ろうと思って車乗ろうとしたら、「駐車禁止」の張り紙が
運転席のドアとフロントガラスにべっっっっっっとりと張られてた。
ただ、駐車許可証掲示し忘れただけじゃん。
やかんにお湯を入れてたわしでごしごしこすって剥がす。

今日は良くはれてた。
でも起きたらもう真っ暗だった。
はんだやでご飯。たまご飯だ〜いすき。

僕の家庭は非常に厳格なことで知られていました。
近所のおじさんおばさんもオヤジのこと先生とか呼んでるし。
そんな中で育ったわたしには許されないことがいくつもありました。
駄菓子屋さんで駄菓子を買うこと。
50円持ってふがしを買ったときの罪悪感は今でも兄貴との語り草に。
コーラを飲むこと。なぜか三ツ矢サイダーはオッケーだった。
ゲームをすること。だから僕はゲームは下手です。
それから何故かたまごご飯にしてご飯を食べることもあった。

納豆にたまごの黄身だけを入れて食べるのもあのフワァ〜っとした納豆の感じが
たまらなく好きだったのに親父は絶対にさせてくれなかったんだよね。
たまごご飯も「ご飯をつゆみたいにじゅるじゅる食べることになって消化に悪い」
とか言って食べさせてもらえなかったの。
たぶん、小学生の頃までまだたまごにシールで産卵日が貼ってなかったりしたから
どれだけ新鮮か分からなくてそれでやめさせたんだと思うんだけど。

だから一人暮らししてからの大好物になったのがこのたまごご飯。
もう、超!旨い。
醤油にちょっと味の素入れたりするんだけどなんだかわかんないけどただただ旨くて。
そんなこんなでもう何年もたまごご飯を飽きずに食べてる。
この前、塁二さんが来仙した時にはんだに2回、仙台B級ツアーと称して行ったけど、
やっぱりたまごご飯にしてしまった。安いしね。

ふがしとたまごご飯、わたしの禁断の味です。


1998年11月12日(木) お腹が痛いよう

昨日の夜中にラーメンが食べたくなり、仙台随一の歓楽街、国分町へ。
ここはピンクチラシの多さでも全国的に知られる超歓楽街。
私のお世話になる飲み屋さんもこの一体にある、ほぼゲットー。
飲みに行った帰りについついラーメンを食ってしまうというのも
よくあるパターンで国分町には沢山のラーメン屋がひしめき合ってる。

そのなかでもまぁ、誰でもしってるっていうのが「天下一品ラーメン」でしょう。
ここはチェーン店らしいのだが、何故か非常に人気があるんだよね。
いわゆるこってり系のラーメンなんだけど、そのこってり系の中道ってとこかしら。
美味しい。

で、行ったはいいが今度はにんにくと辛子味噌をた〜んまりと入れて食ったためか、
少々胃がびっくりしてしまったのでしょう。
朝くらいに眠ろうとしてもお腹が痛くて眠れない。
結局下のお口でもう一回辛さを堪能する羽目に。あたたたた。

「眞須美」すげ〜な。夫にも砒素盛ってたのかよ。
共謀してたとしても結構すげ〜。誰だっけ?旦那のことめちゃイケるっていってた奴。

今日はご飯を食べに大学病院の近くのBistro JAJAへ。
KOHさんと一緒に行ったのが初めてだった気がするけど
結構美味しいのでランチの時間を狙ってよく行ったのだ。
今日行ったのは11/11〜18までパスタが¥500で食べられるから。
二人で行って飲み物にサラダを合わせても¥2,000位で済んでしまった。
えへ。誰と行ったかは秘密。


1998年11月11日(水) さみ〜っす

昨日はめちゃめちゃ寒かった。
なんか、コートにマフラーといういでたち。
なのに学食には半袖のTシャツ一枚という輩が。おお。

最近の私の近況を知っている人から送られてきた私へのあだ名。
オスコマシ君・ずんだの男遍歴その174・ネズミ女etc...
ま、こんなとこですかね。個人的にはオスコマシ君というのが気に入っています。
ああ、そうですよぉ。あたしゃぁ、オスコマシですよ。
でも、結果として非常にいい思いをしているの。がんばってね。Cody!

友人のMはいわゆるMで本気で昔からSMをしたいと言っていた。
首輪を付けるプレイが非常にお好みのよう。
その彼女の頼まれてSMスナイパーを購入したのが約半年前。
その彼女が最近、活動度を飛躍的に増している。
SMスナイパーの投稿欄を管理している、そうだなぁ、「薔薇族」で言えば伊藤文学
(この人ノンケらしいけど)にあたってしまうような人のところへ
直接、教えを乞いに行ったらしい。そして本当に調教されているらしい。
彼女いわく「非常に充実し、快感である」とのこと。まぁ、そりゃそうでしょうなぁ。
2時間で4発もやられりゃぁねぇ。しかも好きでやられてんだよ。ちくちょう、
なんだよそのオトコ。いいなぁ。

彼女と僕との間にはそういった、人にはあんまり言わない諭しみがあるのよねぇ。
しかし、違いは彼女にとってSMはやはり生き甲斐であり僕にとってゲイっていうのは
人生なんだろうなぁ、ということ。彼女はきっとSM無しでも生きていくことが出来るで
しょうが僕には彼氏が無いと生きていけない。独立はしているつもりだけど。

夕食後に昼寝してさっき起きた。実はフロッピードライブの調子がおかしい。
ここ3日ほど読み込んでくれないの。ちょっとぉ、あっしの修論どうしてくれるのよ!
ということで自分の家からメールで添付したりしてなんとか学校のコンピュータを使って
修論を書いているこの頃です。iMacってFD無いんでしょう?どうするのかしら?
あっしみたいなコンピュータの使い方をしている人って多いと思うんだけど。
ということでこの日記も本当に慣れないままにHTMLを使って書いているのだぁ。
ちょっと前まではこんな難しいことは出来なかったぞ。
でも結構楽しい、これ。

しかし、学校のコンピュータを使ってこれをやってても周りの友達は
「ずんだ、修論がんばってんなぁ」くらいにしか思わないんだから笑える。
後輩の女の子なんか「ずんだ先輩を見ていると私、本当に勉強してないって実感します」
なぞとほざいておった。おうおう、どんどん勘違いしてくれぃ。
今、オカマノデンドウを勉強中です。


1998年11月10日(火) ノーコメント

「ノーコメントっていうことはノーコメントです」
と言ったのは宮沢E.T.か?誰だったっけ?まぁいいや。
ということでノーコメントです。
え?でも本当のトコはどうなんですかって?
いやぁ、だからぁ、ノーコメントっていったじゃない。
え?幸せですか?え?ええ、幸せですよ。とっても。


1998年11月09日(月) 夜行性 a go go!

夜行性だもんね。わし。
さっき、朝刊を読んだりしてるし、なんだかしっかり寝たから体は翌日だし。
日記書く気まで湧いて来ちゃって今日二回目の日記だもんね。アップは翌日になるけど。

今新聞を見たら65歳以上と15歳以下には商品券をあげるという方向で
自民党と新公明党が歩み寄ったとのこと。ふざけんなよなぁ。
なんで経済の問題に年齢が関係してくんだよ。
困っている人は失業している人であって年金もらっている人じゃねえだろ。
65歳以上だってうん千万円の年収ある人だっているじゃんかよぉ。
30代で収入が毎月一桁の人だっているんだぞ。なんだよ、その考えはよぉ。

こういうのが偽りだよな。65歳は肉体的には老齢だけど商品券なんか必要としないで
バリバリ稼いで自活している人だって一杯いるんだぞ。
年収とか求職状態とか貧困線とか考査しろよ。
それに年齢でこういう風に決着を付けていくのはまさにエイジズムだよな。
国民年金にしてもしかり。何で学生が払ってサラリーマンの奥方が払わないのでいいのだ。
家事労働を考えれば免除は当然と言う人もいるがじゃぁ、俺のおばばはフルタイムで
バリバリ働いて主婦もやってるから年金を払わなくて良くてそして年金をもらう資格があるぞ。なんだよ、このシステム。

階級の概念が欠落してるよ。このバリバリ資本制の中で。


1998年11月08日(日) インディゴ地平線

昨日アップしてからずっと研究室にいる。
結局フェイクファーは8 時間ほどぶっ続けで聴き、
飯食いに行って帰ってきた9時半くらいからはずっと
「インディゴ地平線」になっている。
今、5時半だから同じく8時間くらいか。

いい曲を説明したいけどTSUTAYAだっせ〜からCDに歌詞カードついてねぇでやんの。
しけてらぁ。
だれか、教えて下さい。
♪街道沿いのロイホでぇ〜、夜明けまで話し込みぃ〜♪
っていう超単調な曲なんだけどなぁ。

夕飯は定食屋さんでレバニラ炒め。これがうっまいの。
レバーっていつから好きになったんだろう。
泉亭のパスタでもレバーのパスタ、すんごい好きだし。
昔、あんなに嫌いだったのにな。
スカスカの茄子漬けとらっきょうだけは今でも苦手だけど。

本気になって修論の序章を書いてる。
でも「輸出志向型の経済政策の下に急激にハッテンし」は、ね〜だろ、ATOK11!
確かにハッテンとカタカナで表記するのはあたいだけどさぁ。
力抜けるぜ、といつまでも他律的な私。
「おい、力抜けよ!」って誰か囁いて。
尻許で。


1998年11月07日(土) 運命の人

「運命の人」もとてもいい。あ、スピッツ。
そう、そこにいてほしいのは優しいだけじゃなく偉大な獣。
もうドツボの様に聴きまくってる。
早く来い来いわたしの優しい獣。
優しい悪魔はキャンディーズ。
もう、フェイクファーのアルバムだけで5時間ぶっ通し。

なんで、ハンバーグを二枚にチーズで挟んで上にベーコン乗せただけで
「マックイタリアーノ」なんだよ!マクドナルド。
なんでもイタリアンにすれば客が飛びつく訳じゃないぞ。
俺様は偉いからビックマックを頼んだぞ。
「マックイタリアーノはいかがでしょうか」という声を無視して。

久しぶりに母と電話。久しぶりといっても4〜5日しか間が空いてはいないけど。

「元気?お母さんの方で預かってる、郵便局の通帳が一杯になっちゃったけど、
どうする?通帳送ろうか?」

「うん、そうしてくれる?悪いね、ありがと。」

「今、どこ?」

「まだ、研究室」

「ご飯食べてんの?」

「うん、食べてる。大丈夫だよ、学食もあるから。」

「あそ。それじゃね」

携帯で30秒もかからない簡単な電話。ここ数年そういう電話が多い。
でもそれで十分に通じてくる、五臓六腑に染みわたる母の僕への信頼と深い愛情。
僕はいつになったらその信頼と愛情を母に伝え返せるのだろう。
いつになったらその信頼と愛情を別な誰かに傾けることもできるのだろう。
母と僕の関係は別な意味で運命の人だ。
父とは繋がらない気持ちがなぜか母には十分伝わる訳で、ぶくぶくと太って、
もう母の子宮には戻れないけど今でも見えないへその緒で母の胎盤と繋がっているのかと
思ってしまう。っていうか思いたい。

マザコンはおかまには許される特権。


1998年11月05日(木) スピッツ

今更はまってる。

「冷たい頬」はいい。
♪ふざけすぎて恋が幻でも構わないといつしか思っていた。
 壊れながら君を追いかけてく。
 近づいても遠くても知っていた♪ 
 だなんて。

今でも嫌いになれない好きだった人がどんどんと自分の好きな人とは違うものになっていく。
でも実際にそれは僕の想いがどんどんと現実の彼と乖離していっているだけのこと。
彼の前だとわざとふざける。わざと甘える。
もう、好きになってもらえないってわかっているから徹底的に甘えてみる。
確かにそれは壊れながら追いかけているのと似ている。
もう、幻想だけど。夢想だけど。空想だけど。
そう分かって超非生産的なことをしてみたりする。

髪を切る。
短く短くみじか〜くなった。気持ちいい。
広瀬通りに出て数歩も行かずにくしゃみ。寒くなった。


1998年11月04日(水) 僕は弱くない

なんか、やっと書ける。
別にここに自分の思いを、おかま人生を全て書き連ねる必要はないのだが。

最近、おわかれしました。

知り合ってから大体半年近かったけど。
飽きっぽいわがままな僕には珍しく長かった。
一緒に旅行に行ったり泊まりに行ったり来たりと充実した生活をしてはいたのですが
ある日を境に関係を支えていた愛情が薄くなってしまった。
それに気がついてからやっぱり僕は主体的に自分が一目惚れするなりして
恋しなくちゃ人を好きにはなれないんだって理解してお話をしておわかれしました。
今は独り身にまだ戻ったけど寂しいと感じることはない。

最後に電話したときに
「迷惑をかけたもんなぁ、追いつめられてたんだなぁ」って言われた。
でもそれはとてもとても違うと思った。
僕は受動態で表現される人間じゃない。能動なんだって。
迷惑をかけられ、追いつめられる僕は二人の関係において矮小化され、弱体化されていく。
でも僕のアレは矮小だろうが短小だろうが僕は弱くない。
そうやって愛さない理由を曲解されるとなんでおわかれしたいと思ったのかを
分かってもらえないままだろうな。

ま、わがままなアタシに半年も付き合ってくれて感謝しているんだけど。
おわかれしたい気持ちは内田春菊が
「物陰に足拍子」2巻で完璧に表現してくれてます。

修論、やっぱり序章を書くことにする。
ここで自分の論文の方向性を書き示さないと次に進めない気がする。
そうして後から序章を推敲すればいいや。


1998年11月03日(火) やる気が出ない

朝、目を覚ましたらたもつさん宅の玄関で爆睡こいてた。
昨日、たもつさん宅で飲んだときにトイレに行った後そのまま部屋に戻らず
玄関で眠ってしまったらしい。おおこわ。
風邪を引いた感じがして朝起きたらたもつさんも俺もくしゅんくしゅんくしゃみがうるさい。

学校に来たのはいいもののやる気がでないっきゃ。
もう11月でマジでやんなくちゃいけないのに。
ページのアップばかりをしている。




1998年11月01日(日) 超充実

昨日から始まった第3回オフ会。
楽しかったぁの一言に尽きます。
場所が人里離れた所だったこと、それから宿泊場所が一つの家の様に
なっているところだったのでおねぇぶりぶりこきまくっても安心と言うことで
あたしはそんなことはしませんが皆さん、心行くまでおねえさんを
ぶっこきまくっていたようです。(ツッコミ)

まぁ、実際にオフ会がどのように進行したのかについては
TOSHiさん、ブルちゃん、飛太さん、それに塁二さん(近日公開)の日記でも
ご覧下さいませ。

今回は新しい方々がいらっしゃってもう、大興奮。ずんだ、どきどき。
でもそのどきどきを隠すためについついおねぇをぶっこいてしまうのよねぇ。
本当にそれはそんな性格だと思うわぁ。
Codyなんて大人だからきちんと静かにしていたわ。
やっぱりしたたかね。あの女。キ〜ッだわ。

それにしても新しい方々はみなさんとってもと〜っても魅力的で僕は結構緊張していたのだ。
マジで。だから、夜にやったYes/Noゲームは超楽しかった。
Yes/Noゲームは匿名で質問にイエスならトランプの赤のカードを、
ノーなら黒を見えないようにして出して、いったい、その質問に何人がイエスと答えたかを
知るゲーム。

「この中でいける人がいる」という質問に一人を除いて全員が赤を出したのはびっくり。
そのままゲームは終了で部屋を暗くしてヤリ部屋に変身!とはならなかったものの、
随分盛り上がり、ゲームを企画したたもつさんと僕はにんまり(●^o^●)でした。
次のオフ会は僕が一応幹事予定なの。
もう今日から何をしたらいいのか考えてるのだ。
う〜ん。やっぱりお泊まりが楽しくていいし、
遠くからも来てもらえやすいし。
温泉は暖まるしちょっとどきどきの一石二鳥だし。
どうしよ。
考えつつ、お休みなさい。


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