ずんだいありー
□■□モクジ□■□→→コレマデコレカラ←←


1998年12月29日(火) 2週間を切った

修論提出まで2週間を切ってしまった。
なんかあせりまくって北仙台駅前のミスドでドーナツを5個買ってしまった。
北仙台の駅はひなびいていて大好き。
でも、春の桜の季節の「陸前落合」駅もきれいで大好き。
もう来年はみれないなぁ。

安比高原に行ってしまった彼氏が帰ってきた。でも、やっぱり会えず。
う〜ん、今は僕に余裕ってモノが無いのね。
申し訳ないことをした。
でも携帯にスカイワープでメッセージが届いていた。
こういう配慮は今の精神状態では嬉しい限り。あと、2週間、頑張るぞ。

といいつつ、美味しいドーナツを喰らう。牛乳かコーヒーがベストだにゃ。


1998年12月27日(日) 散歩がてらに

昨日の夜はまた学校のソファー。
記憶がうっすらとしかなくて朝起きたら読んでいた本は床に落ちているし、
眼鏡は斜め45度にかかっているわで本当に疲れていたことが判明。

おやつの時間になってどうしても研究室から逃げ出したくなり、
開店したと聞いたFreshness Burgerに行くことにした。
初めて連れて行かれたのは東大の駒場の裏。
そこでは本当に小さいスペースで営業をしていてモスバーガーよりも美味しいって思った。
新宿のおく〜の方とか、五反田の駅とかにあったきがするけどなぁ。
まぁ、とにかく仙台にもできたわけ。場所はちょっと遠くて西中田のほう。
つまり、もう名取に近いんだよね。市内からだと286号を走り、
長町のモールに向かうところで左折。モールを抜け、それからユニクロを左手に見て、
橋を渡り、オフィスベンダーを右手に見て、仙台銀行とまるまつがある交差点を右折。
そこから更にまっすぐ走ってみやぎ生協を抜けていったら右手にあります。
ダルマ薬局と同じ敷地内。ドライブスルー有り。

いったら結構込んでた。家族連れからカップルまで。
僕はただ何を食べるわけでもなくカフェオレとパンケーキを食べただけだけど。
う〜ん、モスよりはずっと遠いけどドライブがてらにはいいかも。
そんなにはないハンバーガー業界の比較にはもってこいの場所でしょう。
こんどモスバーガー対フレッシュネスバーガーのおいしさ対決をするのもいいかもしれん。
行ってみた方からの感想をお待ちしております。1/3までは24時間営業だったはず。

論文、逃げずに書く。書くぞ。しこしこ。


1998年12月25日(金) シチュー

昨日のクリスマスイブは紅白歌合戦のように二部構成。
第一部は学校の研究室で。シチューを作り、ガトーめぐろで買ったケーキを食べ、
シャンペンにワインにチキンにと。
めちゃめちゃ喰って飲んで結構へろへろ。
気がつけばねてるし。

続く第二部は家で。
えへへ。第二部もへろへろでした。なんでかなぁ?

今日は朝から学校。う〜ん、昨日遊んだ分をとりもどさねば。
昨日買ったシクラメンが綺麗。


1998年12月23日(水) 学食三昧にはあと少し

最近、飲みにも遊びにもいっていない。
普段の食事も学食が殆ど。
うちのキャンパスには食堂が三つあるのね。
一つは近くてよく使う「一食」こと第一食堂。
そして文系学部が並ぶ方にあって夜まで開店している「文食」こと文系食堂、
そして我らの味方、貧乏人の為の食堂、通称「貧食(ひんしょく)」

味はみんな一緒なんだけど学食はあんまりまずくないの。
鯖の味噌煮も麻婆豆腐もおいしいし。
なんでもT学院のTキャンパスはまずいらしい。
論文終わったらキャンパス学食めぐりでもしよう。
最初は仙台大から。
景色もよさげだし。


1998年12月21日(月) 大塚アナ

目覚ましテレビの大塚アナは絶対にこっちの人だよ。ぜって〜。
この前の温泉のロケではリポーターのオヤジに向かって
「**さん!今度は私と一緒に入りませんか?」といってた。
そしたら、今日、森脇がふんどし一丁でいたら「おおお、いい格好!」
みたいなこといってんの。こわぁ。絶対に出来ないけど。

あっちかな?こっちかな?満点体操は好きだった。


1998年12月20日(日) 年の瀬迫る。締め切り迫る。

家のお布団で寝たのはいつのことだったのだろう?
ここずっと研究室のソファーが私のベッド。
研究室のガスレンジが私の台所兼加湿器。
研究室のコンピュータが私のCDプレイヤー。
本当に完全に住居と化している。気持ちいいのよね。

おとといは学校生協で中古CDセールの最終日だった。
衝動的に5枚購入。
本田美奈子ベスト、松田聖子「citron」、ジョージマイケル「Faith」、
シャニース、そして吉田美和のソロアルバム。
ふむふむ。本田美奈子のOne Way Generationはいいねぇ。
パパはニュースキャスターを思いだした。
田村正和はなぜにパパ役があんなに多いのだろう。


1998年12月17日(木) どきどきだよ

もう、毎日時の流れが速すぎてあせってしまってあせってしまっている。
本当に終わらせることが出来るのかしら?
本当にちゃんと修士の学位をいただけるのかしら?
本当にどうしましょ。やってもやっても終わらない。

もう、今日、集中して確実に10時間はやっているのにまだ書き出せずに下調べをしている。
今週中に何とか2章を書かないといけないのに。今、朝の6時でしょう?
ああ、午後の3時くらいには寝よう。
11月くらいの気温なのに11月にはなってくれないのね。つれないわ。
これから人と会う時間をもっと極端に減らさなければいけないなぁ。
でもTOSHiさんが韓国からフトレトチョコレートを買ってきてくれたからそれだけは食べたい。毎日リンゴとコーヒーばっかり。
あと学校の生協。この前は朝・昼・晩全部で学校でだった。


1998年12月13日(日) ぽかぽかだよ

昨日、朝もやの時間になるとなぜか突然に温泉に行きたくなるって書いたんだけど、
結局、昨日の夜にどうしてもお風呂につかりたくなって北環状線沿いのなんとか泉
と言うところに行ってきた。
しかし!なんと入場料は1,000円に深夜料金で800円割り増しで合計1800円になるって
いうじゃぁないかい。
あ〜た、ふざけんじゃないわよってことでいそいそと退却。
結局、お風呂に入らずじまいで朝まで修論。

でも、やっぱり朝もやの時間になったらとたんにお風呂に入りたくなった。
考えてみれば昨日は待ち合わせに遅刻したので顔と頭だけじゃぶじゃぶ流して、
体は頭をふいたタオルで拭っただけだったのだ。
だから夜中に髪の毛はかゆくなるし、なにより首の周りがもう、べとべとして
いやだったんだよね。
ということで隣の研究室のりえさんを強引に誘って秋保の公共温泉浴場に行くことにした。
途中、彼女の家でバスタオルやら石鹸やらをもってきてもらい、そのまま秋保へ直行。
渋滞なんて無くて15分もしないうちに到着してしまった。

入湯料300円ナリ。もうほとんど銭湯という感じのちいちゃなお風呂。
水道も二カ所しかないから他のじいちゃん達はみんな床に腰掛けて体をせっせこ洗っている。
若いもんは朝っぱらからあたしだけでしたい。
でも気ン持ちよかったぁ。お湯はちょっと熱めだけど本当に体の芯までぽかぽか。
私のオチンチンもタマタマも、いいえ、陰茎も睾丸もてろ〜んってつるし柿の様に
リラックスしていました。

僕、仙台に来てから椅子に腰掛けて体を洗うなんて殆どなかったから
本当に久しぶりだったのね。腰掛けたら腰の周りに信じられないほどのぜい肉が!
本当に50歳代のおいちゃんくらいなの。ショック。
修論上げたらもう、ジムいってぜい肉落とすことを決意。決意。決意。
ひたっちに負けないようなビルドアップ日記をスタートするかしら?
ベルトあっぷあっぷ日記とか・・・失礼しました。


1998年12月12日(土) あなたの告白は?

さ〜ってと、12/11はしゃぶしゃぶの日、って別に決まっているわけでは
ありませんが仙台のしゃぶ亭までむしゃむしゃしゃぶしゃぶを食べにいってきました。
ところが、行くとなったら急に雪がすごいの。
急遽、友達の車に乗せてもらっていったのだが、何しろボタ雪でべちゃべちゃしているから
冷たい。でもしゃぶしゃぶは1980円で食べ放題だったし、ちょうど寒かったので
おいしさ二倍でした。

でもね、最初に出てきた肉はすんごいおいしいの。薄くてとろけるようで。
だのにぃ〜な〜ぜぇ〜??次から肉が小間切れみたいなの。だからとろけないし。
あれってすんごい上手い商法だよな。一杯目のビールと一緒で最初はすんごい
おいしく感じさせておいて次からは惰性に流させるという。
ううう、しかしあたしは腹減ってたのでじゃんじゃん食いましたよ。
他の人を気にせず。みんなのことも考えてアクをとるという超面倒くさいのもやりました。
一応。僕はやっぱりゴマだれが何といっても大好き。
でも野菜はやっぱり醤油だれで食べちゃう。
「今のご時世、肉よりこの白菜の方が高いかも」なんていって野菜を一杯食べました。

よくある告白ものサイト。
ときどきSMの告白モノは読んだりしていたんだよね。
友達が超Mということもあって。
でも、今回見た告白モノはかなりすごかった。「母子相姦」モノ。
おおお。ちょっと禁断って感じ。するでしょ?

母子相姦は単身赴任という変わった制度が定着している日本では結構珍しくはない、
ということは昔、本で読んだことはあったんだけどなんかちょっと遠い感じがしていたの。
勿論、それは僕がゲイで母を生の対象にはしても性の対象としては見たことがなかったから。
父親に対しては感情的に好きではなかったのでそういう感情はなかった。
兄は?う〜ん、考えたこともなかった。
でも、このサイトを読むと本当に「癒着している!」って感じがありありとするの。

告白は二種類ある感じで一つは何をしたかをファンタジ〜で書いている妄想系。
これはリアルに見せかけてまるでヤオイ系のホモマンガみてえなの。
で、もう一つは文章のつたない、でもかなりきつい告白。これがすごいのだ。
41歳のゆきえさんは今、高校生の息子に書かされてこのボードに書き込みをしていて、
これが終わったらご褒美にオチンチンを頂ける、とか。
どちらかというと母親の告白の方が結構淡々としていてリアリティがある。

僕はゲイだから社会的にまだ認知されにくい部類に入るわ。
でも自分のやっていることにあんまり悪いことっていう概念が無いのね。
それでも男が男のチンポべろべろなめて、ケツやられて感じていっちゃってみたいなのは
きっと受け入れられないと思うけど。
でも、すくなくとも他人と他人との関係性によって今の僕のGaynessは成立しているの。
一人の大人が一人の大人と関係している、という事実で。
でも、母子相姦の場合そこの部分が非常に未分化な状態である、という印象を強く受ける。
母親の子宮で育った子供がいつまでも家という、母親が支配している子宮の延長的空間にいる、
という状態。
取り込まれている、といったらいいのかしら?
勿論、その原因を母親に結びつけるのはきっと短絡的だろうけど、
精神的、血縁的、社会的に強靭に結ばれている母子が肉体で結ばれてしまったら、
それを超える関係を見つけるのは至難の業に近いと思うの。
大体、父親と兄弟のいない家という空間はTPOどれをとっても
完全に外界から遮断されたふたりの世界だもんなぁ。

まぁ、結局はそこは社会倫理の問題になってくるのでしょう。
どこで線引きをするかという。
日陰の女のあたしが主張することではないわ。
でも僕の中で、SMもスカトロも乱交もオッケーだけど未だ、この近親相姦は何か、
しっくりこないでいる。
僕が無理に個人的なことを社会性や政治的な方向にむけているからなのかしらん?

今ねぇ、朝なの。もうすぐ7時くらいになる。
なぜか温泉に行きたくて行きたくてしょうがないの。
本当だったらTOSHiさんとかひたっちとかたたき起こして温泉いきまっしょ!!!
と言いたいところなんだけど。
ああああああああああ、お風呂に入りたい。
今から秋保の公共の温泉、いってこよっかなぁ?
でもあそこめちゃめちゃお湯が熱いんだよね。
雰囲気もないし。もう、ずっと修論にかかりっきりで今、ハイ。


1998年12月11日(金) 寒し

いくぅ!といった後に吐く息の白さよ。冬はやってきている。冬三昧にはまだ遠いか?


1998年12月07日(月) あしべ

この前大学院のときの友達のあしべが上京して一泊してくれた。
仙台から友達が訪ねてきてくれるのはなつかしいだけでなく
学生時代に戻った気分になれて楽しい。

あしべは非常に優秀な院生で僕は心から彼女の能力に惚れている。
そんな彼女が今はまっている本(の話しをしてくれた。
内容はホモソーシャルな関係を築くためにホモフォビア・ミソジニー(女性嫌い)の文化が
生まれたのだろうということ。
説明は簡単なんだけれど実際の本は結構難しいようで読書会を2年以上かけているそうだ。
そんな話と研究室のことやら聞いていたらとても懐かしくなってちょっと興奮した。
そしてもうすぐ仙台にいた時間と働いている時間が一緒になるということを思い出して
少し怖くなった。

仙台での2年間はそれはそれは充実して楽しかった。
本気で人を好きになってみたのも、バックでイけるようになったのも真面目に勉強したのも
温泉に行くようになったのも、人との別れを経験したのもおかま社会に根っこをおろすように
なったのも、もう誰も見てないこのページをスタートしたのもスポーツクラブに入ったのも
全部仙台がスタートだった。

時間が凝縮していた2年間。

それを入社してからの2年間と比較すると完璧に大学院の仙台時代に天秤は傾くだろう。
それだけあの時間は充実していた。目標があった。やりたいとおもうことがあった。
そして今、僕はまだ暗中模索をしていて何がやりたいのか分からないまま今目の前にある
やるべきことに追われているだけ。
それは確かに仕事だけれどなかなか自分のやりたいこととは結びつかずにいる。
そしてそれがとてもつらい。

まだまだやめる気なんて更々ないけれど、自分が転職をしようと思ったときに
少しくらい英語と韓国語が出来ることと本人には何の特技も技術も無いことを痛感する。
今の僕は転職すらろくにできない。

と、ネガティブモードなんです。わし。


1998年12月05日(土) 余裕が全〜〜〜くない

上京していたCodyを拾い、東北自動車道を走る。
宇都宮インターが見えたらCodyが突然に「ぎょう・・ざ」とつぶやいたのだ。
それが間違いだった。
わたしは急にハンドルを左へ曲げ、なんと途中下車してしまったのだ。
餃子のために。

餃子に詳しいユーイチさんに美味しい餃子屋さんを紹介してもらい、
「正嗣」(まさし)氏家店へと車を走らせる。しかし、氏家店、既に店じまい。
帰る間際のおばちゃんを捕まえて別な正嗣を紹介してもらうが、
この説明がもう、全然わかんないの。
「白沢街道を南へ下ってね」と言われても白沢街道も南もわかんないのにどうすんだろう。
困ったCodyは店の中に入っていき地図を書いてもらってきたが帰ってきた
その顔には曇りがかかっている。う〜ん、とにかくおばちゃんの後をCodyのガイドで
早見優の「夏色のナンスィー」をBGMに出発。最初の左折は完璧。おばちゃんの
スズキエスクードは時速60キロと結構とばすがなんとかついていく。
しかし、次の指示、おばちゃん的にはまっすぐだったのだろうがうちらには
そっちは右折だった。ということで第2段階であっけなくおばちゃんのエスクードは消えた。
残された私達はCodyのわかったようでわかってないような記憶とおばちゃんが書いてくれた
距離感もへったくりもない地図だけを頼りにただただ「正嗣」岩曽店を探すだけであった。

でもぉ、あたしたちは結構強かった。
Codyの毒舌とZndyの嗅覚で気がつけばあらぁ、「正嗣」じゃないのさぁ!
にぃぃぃぃっっこりCody。ぷっくりzndy。
そりゃ、焼餃子、水餃子たくさん食べましたわ。本当に美味しかった。
また行けっていわれてももういけないと思うけど。

今日はめちゃめちゃ嬉しいのだ。
去年からもう一年以上も個人指導してきた生徒が無事に推薦入試で合格したのだぁ!
これもあたしのおかげ。そうよ。そうだわ。
だって生徒、感謝の気持ちか感動か、信じられないのか電話先で
声がぶるぶるふるえてたもん。(理由になっていないけど)あたしもふるえた。
もうだめでもともとだったからね、良かった。本当に良かった。
手塩にかけてきた甲斐があって、学年一位にまでなったんだもんね。
努力家は報われるのだ。しかしこんなに嬉しい気分は久しぶりだなぁ。

と、ここまで書いたが、もう実は疲れてる。
ここ数日アップもできないくらいに気分が焦り、危機感に襲われている。
その割にキーボード打っては消去が続いているのでもどかしい。
早見優の「夏色のナンスィー」も「急いで初恋」「誘惑光線クラッ!」も今、空で歌えるぞ。
本当に論文、かき上げられるかどうか不安で不安で一昨日も布団に入って
電気を消してから突然起きあがって本をむさぼり読んでしまった。
とにかく他のことは今は何も考えられないほどに追いつめられている。
ニキビも増えた。髪はぼさぼさ。食ってばかり。そんなぁ、とっしごろねぇ。


1998年12月04日(金) 地元尽くし

疲労困憊。
朝の5:00に葬式に行くために埼玉を出て、葬式の後、
渋谷へ向かい人の多さにどきどきして独り言をたくさんつぶやいて帰る。
埼京線をわざわざ使って池袋まで行ったことに理由は無い。
地元の駅に着いてから西友を久しぶりに覗き、無印良品を覗き、家までの15分の道で
沢山の懐かしい店を覗いてみた。一番最後はもう20年来、食べているケーキ屋さん。
モンブランと苺ショートのうまさでここを抜いたのは数少なく。
やっぱり買ってしまった。
今日は久しぶりに家での食事だからその後にコーヒーでも入れて母親とケーキ食べよ。



1998年12月03日(木) 師走とはまさに

今日は久しぶりに忙しい日でした。帰宅したのが朝の5時過ぎ。
それから眠って起きたのが12時。授業に出た後に一旦帰宅。
今日は実家に帰省をする日なのでそのためにもう不必要なものを実家に持って帰ろうと
思ってがさごそと押入れを探す。それから仙台を出て、途中那須高原パーキングエリアで休憩。
で先程到着しました。現在、1:30過ぎ。
そして5:00にはもうお迎えの車が来ることに。三時間しか眠れないな。

それにしても国道17号からの分岐する16号、新大宮バイパス。
いつの間にあんなに便利になったの?ってこんな話題分かる人あんまりいないと思うけど。
今まではわざわざ三橋というところまでいってそこからうねうね上江橋をわたり、
川越までいっていたんだけどこの道が出来たお陰で信号の殆どない、
仙台西道路みたいな道をただひたすら走れば良くなったの。
お陰で時間が本当に短縮された。

今日、帰省することはもうずっと前から決めてたんだよね。
だけどまさかその前日に友達が死ぬとは思わなかった。
モーニング娘。を「喪に服す娘。」とかいったジョークをご披露していた
じーこねえさんも「あんたが喪に服す娘になったわぁ」と。まさに。

タケシは交通事故で亡くなったとのこと。中学校の時の友達。
そして中学校の友達の葬式に行くのは今回が三回目。
一回目は大学一年、次は去年、そして今回だ。本当に葬式の多い学年だ。

三人の死因はそれぞれ自殺、肝硬変、そして交通事故。
今回の件がどうしてそうなったのか皆目見当はつかないけどその前の二つはまさに
「死に急いだ」観がある。
特に最初の奴は小学校の一年生からの幼なじみでうちの目の前に住んでいた奴だったから
結構堪えた。弔辞を読んで下さいといわれてもなんか弔辞がかけない。
感傷に浸る暇もなくただ淡々とこなしただけのものでした。
悲しみは雪解けのようにとはよく言ったものでそのあとにじわじわとしもやけのように
じんじんと染みてきたのを覚えてる。今回はそれよりはちょっと距離のあった
友人だったのでそういうことはないけれども、人生の長さは本当に分からないなぁ。
車を運転して無事に自分の車庫に車を入れることが出来たらそれは
自分の運転がうまいのではなくてただ単に今日はラッキーだったと考えなくちゃ
いけないのかもしれないな。

「古都奈良の文化財」が世界遺産に決まったそうな。
そしたら奈良市長「これでたくさん観光客が来るようになると良い」とかコメントしてやんの。
ばっかじゃないの。
そりゃね、観光によって奈良市の財政は潤い、それを使って世界遺産の保護に
努めるかも知れませんよ。でも世界遺産に決まったということと観光ということは
そんなに直接的には結びつかんじゃろ。
もし本当に世界遺産として保護が必要ならば観光を捨ててだって守るものに
なったってことじゃぁないのか?本当に頭来るなぁ。朝から。

ひたさんも書いてたけどなんで仙台の「F堂」ではもうラブオイルを売っていないのだ!
あるのはラブラブだけ。これ、あたしゃぁだ〜〜〜〜〜〜っい嫌い!
もう絵に描いたような滴をぶにゅぅ〜って出したところで手を離すとなんと
全部ボトルの中に戻ってるの。
しかも乾きやすいと来ててバックやってるとケツの中で乾いてつってくるのがわかるし、
でもボトルはまだぬめぬめしてるから滑ってボトルが手からすり抜けていくし、
次の一滴は出しにくくてしょうがないし。
おまけつけてF堂では売っていたけどもう買いません。
金輪際。ということでラブオイルを二丁目に買いにいこ。
小学校の頃にならった「てぶくろを買いに」がなぜか私の右脳をよぎった。


1998年12月02日(水) カプった

今日のでぃなーはカプリチョーザでした。でもなんであんなに女ばっかりなの?
仙台のカプリって。男だけっていうのはうちら3人と食事の途中で入ってきた
オヤジと20代半ばの会社員風のあんちゃんだけ。その二人はいかにもそっち!
っていう感じで、Codyは読唇術を試みて二人の会話がゲイゲイしいことを報告してくれた。
ありがとよ、Cody!しかし君の全ての振る舞いは既にゲイゲイゲイゲイゲイしいわ。
いくら今日の髪型が三雲孝江であっても。

カプリチョーザが仙台に出来たのは去年のことだった。喜びましたよ。あたしゃぁ。
なんせ実家に住んでいた頃はカプリフリークでしたからねぇ。
池袋2店、新宿2店、赤坂、原宿、六本木2店、町田、下北沢、京都、四谷、渋谷。
おいてあるメニューは一緒だけど何かにつけて大人数の時には利用していました。
あそこはクリーム系はあんまり美味しくないんだけどトマト系は非常に美味なの。
ちなみに私のお気に入りのメニューは「温野菜のバター風味」
「カキのドリアカレー風味」「海の幸のリゾット」「ライスコロッケ」
そしてなんといっても「なすとほうれん草のスパゲティ」カプリに来るたんびに
この辺をぐるぐるすることが多い。今日は温野菜とドリアには手を出した。
更にデザートのケーキもでかくて旨いのだ。お気に入りはバナナチョコケーキ。
これは本当に絶品ですわ。
これだけ単品でお持ち帰り用に売り出しても絶対売れるんじゃないかしら。
お試しになってくださいね。今ならスピードくじもやっています。
お陰で今日、グラスワインと4種類のジェラートが無料になってしまった。

わたくしが愛用している5階のトイレの個室には一枚の仙台の地図が貼ってあるの。
塩釜も多賀城も載っているというのになぜか私の住むインターチェンジの方は
載っていないのよ。仙台市なのに、青葉区なのにぃ、家。失礼しちゃうわ。ぷんぷんよ。
ま、いつもいつもトイレを使うたんびに「Codyはこの辺でしょう、たもつさんは
ここぉ、それから仙台に来たばっかりの時に伝言であったアンディ(仮名)を
ここで降ろしたような・・・」とかいいながら楽しんでいたのね。
「きゃぁ、こんなとこに与兵衛沼なんていうのがあるわぁ。行ってみなくちゃ」とか。

だのにぃ〜、な〜ぜぇ〜???今日行ってみたら、ぬわんと!地図が剥がされているでは。
そしてそこには代わりに一枚のB4の紙が貼られていました。
「自治寮の維持・発展をかけて闘うぞ!大学当局のデタラメなやり口を団交要求で糾弾!」
はぁ。あたしゃぁ、今日からこの紙を見ながらトイレタイムを過ごすのかぃ。
ひどいよ、学生寮自治会連合。いくら何でも。あんたこそデタラメだよ。



1998年12月01日(火) Truman Show

Truman Show

ジム・キャリー主演のトゥルーマンショーを見た。今日は映画の日だったので出かけたものの結構込んでいたので困った。結局前から二番目の座席に。

仙台のアーケードがぶつかる藤崎デパートがあるところに大きなクリスマスツリーがあるんだけど、なんであんなに悪趣味なんだろう。なんかぴかぴか光っているだけなの。綺麗ではあるけどなんか情緒がないのね。国分町に飾った方が似合いそうな感じ。もっと小さな装飾の雪が降っているような穏健なツリーの方が仙台の雰囲気にもマッチしている感じがするんだけど。

実家でのクリスマスは非常に寂しいことがおおかったなぁ。ファンタジィを期待しているあたしの意に反していつも家ではただの平日だった。夕食とかもきんぴらゴボウに味噌汁とかだったし。高校生の頃訳も分からず母親に「なんでクリスマスにきんぴらなの!」と八つ当たりをしたことがある。母親も訳が分からずに「あら、クリスマスでも美味しいわよ」とか抜かしてよけい憤慨したりしました。正月はそれなりに盛大なんだけどね。やはりわが家は伝統的。

今週末は実家に帰省をすることに決めた。年末年始は修論もあって実家に帰省できないし、今年は母親一人でスペインに行って来るって言うから親父一人だし。今のうちに最後のお年玉をねだるかな。25にもなって。久しぶりの帰省だから楽しみ。


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