西日が差したら枇杷の実を食べよう
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2002年03月25日(月) |
「映画」へのラヴレターというより恋文よね。『ニューシネマパラダイス』 |
すでに、ビデオでみているのだが、 劇場でみる機会があったので、またみてみる。
まっとうに、いい映画だと思う。 有名なラストシーンときたら、 本当に「やられた」と思うほど素晴らしいアイディアで、 二度目なのに、思わず涙腺がゆるんでしまったし。 この映画の終わり方は、わたしが今までみた全映画の中で、 好きなラストシーンのベスト3にはランクインすると思う。 なんたって、このラストをスクリーンでみたいがために、 劇場に足を運んだくらいだから。
が。個人的には、いま一つ、手ばなしで「大好き」とはいえないんだよね。 その理由は、ごめんなさい、うまく言えないんだけど。 その一つは、多分、この映画の最大の魅力の一つだと思うんだけど、「音楽」。 あの、これでもか、これでもかとばかりに、その場を盛り上げようとする、 モリコーネによるドラマティックなBGMが、なぜか気になってしまうのだ。 ごめんね。巨匠、エンニオ・モリコーネ。
でもね。 やっぱり、「名作」のカテゴリーに入るんじゃないかな。 音楽だって、わたしは気になったけど、 素晴らしいサウンドトラックなんだと思うし。 『カノン』のぼやきオヤジみたなキャラクターを愛する人には、 人物の描き方が、 「純粋すぎて物足りないんじゃ」って感じるかもしれないけれど、 「映画」という存在がキラキラと輝いていた時代を知るためにも、 『グッドモーニングバビロン』ともども、 一度は、みておきたい作品じゃないでしょうか。
きれいで、品のある映画がすきだ。 猥雑な言葉がとびかい、血糊どころか、 ゲロや、排泄物まで出てくる映画でも、 きれいで、品のある映画はある。 その逆に、一見、小綺麗な映像の連なりのようでありながら、 とてつもなく品性の貧しい映画もある。 多分、それは、スクリーンにうつっているもの以外に、 映画をつくる人の魂の美しさのようなもの、例えば、 まなざしの透明感や、心の姿勢、みたいなものが、 みる側に伝わってしまうからなのだろう。 「つくりごと」を表現するのが映画だけれど、 映画で「嘘」はつけない、と、しみじみと思う。
2002年03月03日(日) |
ジーナ・ローランズは美しい。『こわれゆく女』 |
ジーナ・ローランズの、というより、 ジーナ・ローランズとカサヴェテスの『こわれゆく女』をみる。 かなり重苦しい題材なのに、なぜか、スコンと抜けた軽さが、 あるのが不思議。カサヴェテス映画。 軽いというか。乾いているというか。 でも、乾いていても、芯のところは、しっかり湿っている。 そんな感じ。 かなしみや、くるしみの向こうに待つ、ちいさな幸せは、 いつも、ほんの少し、湿り気があるものなのかもしれない。
なにかこう、救われる。いろいろと。 こういう映画に触れると。
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