2007年07月31日(火) |
小田実さんの訃報に触れて |
どこからどう書き始めればよいのか、わからない。でも何か、書いておきたい。
「日本はこれでいいのか!市民連合」の存在を知ったのは、日市連の解散間近の頃だったような気がする。市民運動なんてまったく無縁だった私が、初めて参加したデモが日市連のデモだった。
誰に誘われるでもなく市民が自分の意志で一人ずつ参加しているようなそのデモは、学生運動みたいなカゲキなデモであるはずがなく、ただ淡々と歩くおとなしいデモ行進だった。いや、行進というほど勇ましくなく、お散歩といったほうが良いくらいだった。
組織化された人々の集まりではないためか、誰でも受け入れてくれる雰囲気と、参加者がお互いに根っこのところでつながっているような感覚が、とても居心地がよかった。それが私の市民運動のイメージの原点となった。
そのような市民運動の原型を作ったのが、小田実さんだったのね。
身体が硬いと頭も固くなるという話を聞いたことがある。そうかもしれない。
仕事一本やりで、あまり外遊びもせず、週末には家でぐったりぷー。だからなんだかリフレッシュできないし、身体も硬くなる。新しいモノに触れないので、新しい発想も生まれない。頭も固くなる。
せめてストレッチで、身体の凝りをほぐそう。
今日ものんびり過ごした。せっかくの週末、映画やら水泳やら、あれこれしたいこともあったけど、軽いショッピングだけにしといた。
この頃、ときどき思う。働くために、週末の2日間を過ごすのか、プライベートの時間を楽しむために、働くのか。つまり、働くことと遊ぶこと、私にとってどちらが目的で、どちらが手段なんだろうか。
仕事を通して社会に貢献しているという実感があれば、自信を持って「仕事が目的」と言うだろう。でも、そういう実感が私にはない。
仕事が目的ではないとすると、人生の目的はなにか。「これなくして私の人生はあり得ない」というような“何か”を私は持っていない。社会活動、趣味・・・。“何か"があれば、もう少し仕事のペースを考えるんだろうなあ。それがないから、ずるずると仕事中心の毎日を送ってしまうのよね。
一週間の仕事の疲れがたまっている。
連日、皆で検討しながら資料を作りこんでいた。その場で文章を作りこんでいく。皆の意見を聞きながら、頭の中から言葉を引き出しながら、PCを叩きながら、の日々。
自分の知力や理解力、感情コントロールなど、自分の能力のなさにちょっと自己嫌悪。
頭がオーバーヒート気味。首肩がばりばり。心もちくちく。
それで、今日は一日だらだらと過ごす。・・・それにしても暑いなあ。もう少し涼しければ回復も早いと思うのだけど。明日も暑そうだなあ。
内部の検討会で、あれこれ議論しているうちに、加熱して、つい議論の方向性を見失ってしまう。ムキになって反論しているうちに、深みにはまってしまう。
一歩引いて、そこを流して先に進んでおいて、あとで振り返ればよいのに。これでいつもしくじる。
それをまたやってしまった。進歩がないなあ。
朝から夜まで、同じ顔ぶれで検討会をしていると、毎日にメリハリがなくて、今日が何曜日なのかもわからなくなってしまう。今日はまだ水曜だったか。もうぐったりだよ。
9月の夏休みが待ち遠しいなあ。
2007年07月24日(火) |
「どうしたらよいと思う?」 |
打ち合わせをしていて、合間合間に課員から問われる。
「○○についてはどうするんですか?」 「○○についてはどうすればいいんでしょうか?」
この問いかけが好きじゃない。その事柄については、まだ話し合っていないってわかっているはず。それなのに「どうするんですか?」と聞くってことは、どういうことなんだろう。誰かに答えを出してもらいたい、指示をしてもらいたい、という態度に思えてしまうのだ。
だから、必ずこう答える。
「どうしたらよいと思う?」
そう、誰かに答えを出してもらうんじゃなくて、自分で考えて提案してほしいなあ。「○○がまだ決まっていないなあ。どうしたらいいかなあ。こうしたらどうだろう。」って具合にね。
シンプルな意識変革の構造なんだけど、こういうことから変えていくのが結構むずかしいね。
ミーティングでまた大ボスからNGをくらった。構想や企画の段階でのNGならまだ立ち直れる。でも今回のようにモノが出来上がってからのNGは痛い。修正できないから、挽回策がない。
設計段階でプロトを見せましたよね? そのときにそういう指摘をしませんでしたよね? そう言いたいところだが、多分、火に油を注ぐだけだろう。黙って指摘を飲み込むのが賢い処世術なのだろう。
確かにこちらからも詳細設計図を提示しなかった。肝を押さえた事前確認が出来ていなかった。
でもなんかそれだけじゃない。基本的なところで信頼関係が構築できていないように感じる。あるいは根本的なところで価値観が異なっているのかもしれない。
そうだとしたら、この先がおもいやられるなあ。
投票日までの1週間に、大きな出来事がおこって、価値観が変わるとは思えない。来週の旅行の予定は延期になったけど、期日前投票は予定通りやってしまおう。
今回はいろいろな争点があるけど、私にとって一番大切なことは、憲法を守ること。美しさの追求とか、何かを敵に見立てての闘いとか、そういう言葉が怖いのは、ヒトラーが証明済み。
戦争が廊下の奥に立ってゐた 渡辺白泉
そんなことにならないように。
どうも首・肩の様子が今ひとつ。ずーっと定期的に整体でメンテナンスしてもらっているのだが、1〜2週間前から、右腕を回すと痛みが走る。今日も整体でここを集中的に治してもらったが、完全回復とまでは行かない。
これは、もしかすると○十肩かも。昔、母が肩が痛い、動かないと騒いでいた。あれがいよいよ私のところにも来たか。
このところ、週末、くたびれてしまって、休養優先のために、泳ぎにいっていない。だからかな。また泳ぎに行こう。
それとも痛くなってしまってからでは手遅れなのかしら。
どうも判断力が鈍っている。仕事の負担感からちょっと壊れかかっているのかもしれない。
いや、もともと判断力がないのかもしれない。あれこれ仕事があって、めまぐるしく次々に判断を求められて、それで判断力のなさが目立っているだけかも。
2007年07月19日(木) |
アウトプットの質の追求 |
ある仕事の作り込みをしている。ラフに作って、そのあと詳細を作りこんでいく。
見直すたびに、修正が入る。誰かにダメ出しされるわけではなく、自分自身が、修正を提案している状態。
作りこんでいる過程で、どこか腑に落ちないまま、先に進むと、後からそこがやはり気になって、修正を提案することになる。
それに、このアウトプットが、社内に落とし込まれてことを考えると、出来るだけ質をあげたいと思う。だって、あとから問い合わせを受けたり、訂正版を出したりしなきゃいけないのは、自分たち自身だから。だから、あきらめず、途中で放り出さず、粘り強く質を上げていく。
でも、この質の追求に、ちょっと疲れちゃった。自分自身を追い込んでいる感じもあるなあ。
2007年07月18日(水) |
出すぎた杭は打たれない |
それは私がすごーく若かった頃のこと。
私が属していた組織(=学校)は、とても個性的な人が多かった。その中で過ごしているときには気がつかなかったが、個性を伸ばす組織だった。そこにいるだけで、お互いに刺激しあって、無意識のうちに自然と自分の個性を伸ばそうとしていた。
そのせいか、その次に属した組織では、私は存在するだけで目立っていた。刺激を感じる人も少なかった。そのためか、私の中の個性を伸ばそうとする機能(意識といったほうが良いのか)は、自然と衰えてしまったように思う。
その後に属した組織でも、私は特殊な存在だった。存在の特殊さは、自分が作り出したことでもあるのだが、目立たないように、縮こまって暮らしていたように思う。
今考えると、あの時期、もっとのびのび暮らそうと思えば出来たのかもしれない。誰から叩かれた訳でもないのに、何かを怖がって、自分で勝手に天井を作って、小さな部屋の中で背を低くして過ごしていたような気がする。
怖がることなんか、何もなかったのに。出すぎた杭は打たれなかったのに。後悔というほどの気持ちはないが、ちょっとだけ残念。
2007年07月17日(火) |
「なぜそう決めたのか」 |
決めた結果を共有することはもちろん大切。でも「なぜそう決めたのか」を共有しとかないと、いつも誰かに決めてもらったり、誰かの判断を仰がなければならない。
だから、いろいろな場面で「なぜそう決めたのか」を記録に残すようにしてるんだけどねえ。実践の徹底は難しい。自分でも実践できていないのに、人に実践を指導するのも難しい。
いや、実践指導の前に、「『なぜそう決めたのか』を共有することが、なぜ大切か」ということを実感してもらうのが難しい。
「なぜそう決めたんですか?」ときいてくれるような人なら、すぐわかってもらえる。でも「なぜそう決めたのか」を知りたいと思わないような人に、その必要性を説くのは難しい。
自分が「なぜそう決めたのか」を知りたがるようじゃないと、「なぜそう決めたのか」を記録に残すことは出来ない。
そういう人には「なぜそう決めたんだっけ?」とこちらから尋ねるようにしてるのだが、そういう人に限って、私を「忘れっぽいバカなヒト」とでも言いたげな受け答えをする。そんな思いまでして、指導する気にはなれないし。
指導って難しい。
訳あって、昨日、母の水着を買い、今日は母とプールに行った。
「えー、行きたくない」と最初は言っていたのだが、すぐに抵抗をやめたところを見ると、実は行ってみたかったのかもしれない。
泳げない彼女を、励ましてバタ足をさせたり、ビート板に乗っけて引っ張ったりした。子供を遊ばせているお母さんのようなものだね。彼女も泳げないなりに、楽しんだようだった。
それにしても、何を提案しても最初は必ずNOを言う。日常生活と少しでも異なることは、なんとなく不安なのだろう。それも歳のせいなのだろうね。
それにもめげずに誘って、あちこちへ連れ出す。これも親孝行のうち。
同級生の知人と小ぢんまりと食事。一人はシングルアゲインの男性。もう一人は既婚だが子供のいない女性。
再婚願望の話になった。彼は自分の子供と過ごしながら、遊びや生活の知恵を伝えながら、子供をを育てることに強い願望を抱いている。それで再婚したいと熱く語る彼。
その夢に、私がツッコミを入れる。 「男性はいいねえ、若い女性と一緒になればこの歳でも自分の子供が持てるってことね。女性には有効期限があるから、そういう夢は私はもうとっくに卒業した。」
そして彼女が更にダメ出しを。 「それに、結婚したからといって子供が出来るとは限らないのよ。」
夢と現実。男性と女性。すれ違い。
tamaさんが残業しなくなったら、安心して仕事を任せられると判断できるんだけどね、と言われてもね。残業するヤツはろくなヤツじゃない、と言われちゃうとね。そこまで言われるとねえ。
確かに、残業する人はいつも残業しているし、しない人はいつもしない。仕事が早いとか遅いとか、責任感が強いとか弱いとか、完ぺき主義とかずぼらとか、粘り強いとか諦めが早いとか、そういうことではないのだろう。
やはり時間管理の問題なのか。
今週はどうも眠りが浅いなあ。夢うつつで、仕事のことを考えていたり、職場のメンバーフル出演の夢を見たり。
今週は朝から晩まで考えるという仕事が多かったので、家に帰っても、慣性モーメントで、頭の中が仕事モードでグルグル回り続けてしまうのだろう。
おまけに、夕べは、寝入りばなに蚊が出て、眠い中でベッドに蚊帳(というかモスキートネット)をつったり、かゆかったりして、眠れなくなってしまった。
ああ、早く週末にならないかな。朝寝坊が待ち遠しい。
大学時代の知人から案内が届いた。勤めていた会社を辞めて起業したという。同じ研究室の15人ほどの仲間のうち、起業は2人目だ。
彼は学生の頃から、社会を生き抜く力を感じる人だった。それはたぶん持って生まれたもの、資質というか気質というか、そういうものだったのだろう。起業の知らせを受けて、「なるほど、彼ならそういう人生もありかな」と思った。
一方、私は会社勤めを続けている。起業なんていう選択肢を考えたことがない。だから起業をイメージして、能力開発や人脈開発をしていない。だから、起業なんてあり得ない。
今日、上司との面談で、ステップアップをイメージして過ごせとアドバイスを受けた。一つ上のポジションだったら、どうするかを考えて、力をつけよ、と。
毎日、自分の将来をどうイメージしながら過ごすか。それによって、将来が拓けるのよねえ。ただ、毎日忙しく仕事に追われて過ごしていては、このまま会社勤めを終えるだけになってしまう。さて、私はこの先、どうしたいのか。
上期を終えて、7月からは下期。中間時期なので、上司と部下との間で、面談が行われる。上司から言われることは、おおかた、予想がついている。
残業するな。それは、自分が手を出しすぎるからだ。課員を育成しろ。
そういわれても、どうも納得できない。でも・・と反論したい。状況はこうだしああだし・・。
納得できないこと自体が、私の限界なのかもしれない。それならそれで仕方ない。
気の抜けない日々が続いている。今のテーマを仕上げてリリースするのは8月末。それまではずっとこの高原状態が続く。
単に期日を守るというだけでなく、質もきちんと作りこんでいかなきゃ。成果物への責任を感じる。
こういう責任感をどれだけ感じるかが当事者意識だ。だから、質を置き去りにして早く終わらせたい様子の彼には、ガッカリする。
ま、とにかく、そういう課員がいても、それを引っ張ったり押したりしながら、進めなきゃ。一人で進むより気力・体力が必要。長い道のりだけど、乗り切らなきゃね。
この状況を予測したわけではなく、例年のことだけど、夏休みは九月に取る予定。いや、「予定」なんていう弱気じゃダメだ。絶対取るぞ!
この週末に仕事しなきゃ、と思っていたのだが、どうも乗り気がしない。昨日は体調が悪かった。悪かったといいながらも、母に付き合って買い物に出たりしたのだから、休出しようと思えば出来たのかもしれない。
今朝も起きられなかった。寝付けなかったのは、昨夜遅くまで、趣味の譜面作成に熱中したからか。いやそれだけではないだろう。明け方、仕事関係者総出演の夢をみたりして。
それでも、作業を片付けておかないと、破綻する。しかたなく午後に4時間ほどお仕事。この4時間が、平日にひねり出せればいいのだけどねえ。
今週末は、スイミングも映画もなし。次の三連休まで我慢ガマン。
ウイークデーの朝に起きられなかったり、土日に体調が崩れたり。これは単なる疲れではないね。精神的にちょっとキテいるに違いない。
共倒れはない、精神的には楽。そう書いたけど、それは不安を押し込めているだけで、実は私自身もアブナイのかもしれない。
金曜だ。今日は天気が良いせいか、朝もなんとか起きられた。久しぶりに徒歩通勤。
昨日みたいなひどい頭痛もないし、一日、リラックスした気持ちで仕事が出来た。でも、金曜だ。今日は夜遅くまで仕事せずに、早く帰ろう。
と思ったのだが、仕事に励んでいるうちに、結局、それなりの時刻になってしまった。金曜なのに。
でもまあいいや。今日は金曜日。明日を気にせず過ごせる。ゆっくり飲んでゆったりしたい。缶ビールも2本目。
お仕事をこれ以上課員に落とせない。その分をカバーするために、私が業務をカバーする。その業務に追われて、マネジメントができない。この悪循環に、また陥ってしまった。
それはやはり私のせいなのか。私に“何か”が欠けているからなのか。仕事の旅理能力なのか。仕事の優先順位付けなのか。それとも、課員の育成能力なのか。リソース不足を訴える力なのか。
まあ、とにかく、目の前の仕事の山を崩さないと、手が打てない。それからじっくり先の手を打とう。今週末はそれに充てよう。
職場に電話があった。相手は社外のコンサルタント。今お願いしている仕事について、相手方から、ありがたい申し出があった。
「えー! それは本当に助かります。ありがとうございます。」
私が電話をしている姿を見て、周りで笑っている人がいる。受話器を持って、立ち上がって、見えない相手に向かって、お辞儀をしているのが滑稽に見えたようだ。
「電話に向かってお辞儀をしたって、相手にはみえないのに。」
わかっているけど、「ありがとうございます」と口にすると、反射的にお辞儀をしてしまう。お辞儀をしながらでないと、心からの感謝の言葉が出ない。電話については、私はきっと不器用なのだろう。
まあ、お辞儀をしながら電話しても、誰に迷惑をかけるわけじゃなし。無理に矯正する必要はないよね。笑わば笑え。
ちょっと疲れが溜まっているようだ。疲れのバロメーターが、私にイエローカードを出している。
朝、起きられない。肉体疲労もあるのだろうが、精神的なものだと思う。会社を休みたいと思う気持ちと戦いながら、なんとかベッドから這い出す。朝の気分は疲れのバロメーター。
身体のある部分に痛みが出る。これもいつもの症状。症状がひどくならないうちに、メンテナンスしなきゃ。
晩酌のビールが美味しくない。グラスに注いだビールがなかなか減らない。いつもなら、あっという間に空いてしまうのに。
もっとも、飲みたいと思うだけ、まだいいのかもしれない。ビールも飲みたくなくなったら、異常な状態だ。
訳あって、病院に付き添いで一日。特に何をするということもなく、単にそこにいるだけなのだが、なぜか疲れてしまった。もっとも、今日も休暇だということで、夕べ、調子にのって夜更かししてたからかも。
付き添っていてもすることがないので、PCに仕事を詰めて持っていったのだが、病室ではPC使用禁止。そのため仕事はほとんどはかどらず、それも誤算だった。こんなことなら、夕べのうちに仕事しとくんだった。
それにしても、たった一日、単に付き添っていただけでこんなにくたびれてしまうとは。いずれ直面するだろう“介護”というテーマ、今からきちんと向き合っておかなきゃいけないなあ。
持っている資格の更新のために、5年に1度の更新講座を受講中。
それにしても、この資格を取ってからこの十年、この資格を仕事の場面で使ったことがない。それにこの資格の領域の知識をほとんどメンテしていないので、資格を持っていてもなんの役にも立たない。
でも、苦労して取ったからなあ。足を運んで講座を受けるのは面倒だけど、1日や2日程度のことだし、費用もたいしてかからないので、とりあえず今回は更新しとくか。
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