たりたの日記
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好調が突然不調に変わる、予測のつかない身体の変化、これがいちばん困る。
昨日は訪問看護の日で、熱、血圧、腹水やむくみなど問題はなく、いつものように、いろいろ話をしながら、びわ温灸やアロママッサージをしていただいた。昨日のトロトロした感じもなく、昼も「癒す心、治る力」の本に書かれていたレシピを見ながら、ブロッコリーをニンニクとオリーブオイルで蒸し煮にしたものを美味しく食べることができた。沢山の薬をひとつひとつ数え、飲み終えて、食器を洗っている時に、突然の悪寒!やばい! 夫は午前中、休みを取ってくれて、わたしが具合もよさそうなので、12時前に仕事に出かけたばかり。
動けなくなる前に、とにかくベッドにもぐりこまなくては。 がくがくしながら、なんとか階段を登り、冷房を暖房に切り替え、クロゼットから冬用の羽毛布団と毛布を引っ張りだし、その中に潜り込む。それでも寒く、歯と歯がガチガチ音を立てる。湯たんぽがほしいが、身体の向きさえ変えることができない。
けれど、これまでもなん回かこういうことを経験しているから、これは熱が出きってしまうまでの症状で、30分から1時間もすれば落ち着くことは分かっている。でも今回もそうだろうかとそんな不安も頭をよぎる。 このような時のために、24時間体制の訪問看護を受けているのだが、今は携帯で様子を説明するのさえ自信がない。それに、家に来てもらっても、鍵がかかっているから、わたしが、階下まで降りなくてはならない。それも無理。それでも夫にはもしも痙攣が治らない場合のために伝えておかなくてはとしどろもどろに電話する。ちょうど職場について午後の仕事を開始したところなのに申し訳ない。 「あれは、地獄の淵からかけてきたような声だったよ」と後の夫の証言(笑)
夫は警察と救急車を呼び、警察にドアを壊してもらって救急車で病院へ行けと言うが、こんな状態で救急車に運ばれて行く事も、その後、検査のためにまたまた1週間入院し、抗生物質投与となる事は避けたい。とにかく悪寒がおさまるまでは動きが取れないのだから。
前回は6月から7月にかけて入院していた時に2度ほど、このように酷い悪寒に見舞われたが、その時はその前日、一日中下痢で、翌日は下痢止めで下痢はおさまったものの、一日トロトロと微睡みの中にあった。その日は気温も高く、喉は乾くものの、お腹がゴロゴロ鳴るので、思いきって水分を補給するのがためらわれた。その後の血液検査の結果、夜中の発熱は感染に寄るものではなく、結局、脱水症による熱だったので、今回の熱もきっとそれに違いない。ベッドのそばに置いてあるミネラルウォーターを飲み、イスラエルで買ってきた瓶詰めの死海の塩の粒を口に入れ、震えが止まるのを待つ。
午後2時45分、ちょうど、震えが止まり、身体が緩み始めたころ、おっと帰宅。さっそく湯たんぽ2つを作ってもらい、ようやく落ち着く。 その後、暖房を冷房に切り替え、アイスノンで首回りを冷やすと間もなく平熱に戻る。食欲はないが、お団子を2粒食べ、いつもの薬を飲み、いつの間にか眠ってしまったが、夕方6時、再び悪寒。気がつけば、パジャマも髪も汗でビッショリになっている。その上冷房をつけたまま眠りこんだから、すっかり身体が冷えてしまったのだ。
急いで乾いているものに取り替え、また布団に包まれる。今度は夫が家にいて助かった。また湯たんぽを作ってもらい、買ってきてもらったポカリを飲む。熱は39・4度まで上がり切ると、震えが治り、今度は身体が熱くなるので、両脇と保後頭部を保冷剤とアイスノンで冷やす。夜8時過ぎには平熱に戻り意識もはっきりしてきた。夫がナースセンターに電話をして経緯を話すと、また悪寒は起きるかもしれないが、それに耐えられ、水分が十分に取れれば、今から慌てて病院に行かなくててもいいでしょうと言う事だった。
その後の夜の時間はいつもの腹痛もなく、身体の調子も落ちついていて、 本を読んだり、スマホで映画も観られるくらいだった。読み始めた本は若松英輔著、「常世の花 -石牟礼道子」毎日のように葉書を送ってくれる大学時代の友人が、送ってくれた新聞の切り抜きを読んでさっそく注文した本。 1ページ目を読んだ時に、この本に出会えて良かった、読むことができて良かったと思った。感謝。
それにしても、この変化はなんということ。 こういうことも起こることを想定しておかなくてはと思う。
今日はリハビリと歯医者の予約をキャンセルしたが、昨日のようなハプニングには見舞われず、久々にゆっくりお風呂に入ることもできた。琵琶エキスなどの生薬が入ったオレンジ色の入浴剤に心がなごむ。
さて、今夜はどうだろう。 本の続きを読めるといい。
今朝の早い便で、長男の家族5人が、無事帰国。 1年半あまりのベトナム滞在が終了。 この日を心待ちにしていた。
そういう意味では、8月は特別な月で、まず、次男のところに第2子が無事誕生することと、長男達が、帰国後の家を無事に見つけ、海外からの引っ越しをスムーズに終えられること。 まず、その二つのことが終わるまでは生きていなくてはと、あたかも自分の目標のように、思ってきたから。 あぁ、よかった。
その安心感からなのか、今日は一日トロトロと微睡みの中にあった。 近い内に、孫たちが我が家に顔を見せに来てくれるだろう。その時には、しゃっきりした元気な顔を見せたい。
2018年08月25日(土) |
「癒す心、治る力」読了 |
「癒す心、治る力」(アンドルー・ワイル著/上野圭一訳)、読了。
噛み締めつつ読んだので、ずいぶん時間がかかってしまった。
19章ある内の7章 「治療の道(タオ)」から読み始め、最後に、もう一度そのその部分を読む。 その中でも印象深かったところを記しておこう。
<からだにそれほど巧妙な治癒力があるのなら、人はなぜ病気になるのか?>
絶対に病気にならない健康や、絶対に健康に戻らない病気など、どだい存在しない。われわれの努力目標は、病気を自己変容の機会として活用するところにある。
<癒された状態のまま死ぬことは可能か?>
もちろんだ。死と治癒は反対概念ではない。癒された人の死とは、自己の人生を満たされたものとして眺め、身体の崩壊を受容することのできる死である。
まだまだあるのだが、とても記しきれないので、この二つのことを。
ところで、帯津病院でこの本を読んでいた時、ちょうど、主治医のH先生が病室にいらして、「あれっ、この本は?アリゾナ大学医学校で統合医療を学んでいた時、アンドルー・ワイル氏から直接指導を受けたのよ。素晴らしい教授だった」と著者について話し てくださり驚いた。不思議な繋がり・・・
さて、わたしの治療のこと。アヘンチンキの服用を始めてから3日間は、夜中の下痢と腹痛からは解放されていたが、昨日、今日と、腹痛は戻ってきて、オキノームに頼ることになった。
今回も大きな治癒の進展はないが、多少なりともご飯が食べられる。美味しいと感じられるものがまたある。本を読んだり、映画を観たりする気力がある。そんな今日を過ごすことができることに感謝。
午前中は調子がよく、午後から具合が悪くなるというのは今に始まったことではないが、退院した17日から20日にかけて、夜中になるとお約束のように下痢と腹痛がやってきて、頓服のオキノームや、下痢止めのロペラミドを飲むのだが、これがなかなか効かずに、特に制限のないオキノームを2包、3包と飲み、お腹と背中に湯たんぽを入れて長い夜を凌ぐという状態が続いていた。6月にも入院中にそういう日が何度かあり、冷房を暖房に切り替え、それでも足りずに電気毛布を看護師さんに持ってきてもらい、お腹にまきつけて寝たこともあった。
あの時の酷い下痢と腹痛はそれからしばらくしておさまり、頓服を飲まずに済む日が続いたので、医師と相談し、それまで飲んでいたアヘンチンキという水薬を飲むのをやめたのだったが、もしかすると、あの薬で今のトラブルが解決できるのではないかと、アヘンチンキを飲んでみることを思いついた。病院に連絡したところ、21日火曜日に外来の予約をいれてもらうことができた。
火曜日は訪問看護の日でもあり、また、いくら夫の車でとはいっても、川越の病院まで出かける体力はないので、わたしの代わりに夫が外来で医師に様子を説明して、クスリを処方してもらった。
その日の夜からアヘンチンキの服用を始めたが、痛くなり始めても頓服が効き、夜眠れないのは変わらないものの、気力は出てきて前回のような長い日記も書くことができた。
で、昨夜は、夜中の下痢と腹痛に苦しむこともなく頓服も飲むことなく、12時から朝まで一続きに眠ることができた。何週間ぶりのことだろう。
今、午後8時40分。幸いなことに、今日は朝から、一度もオキノームを飲んでいない。これからびわ温灸。夫が背中をやってくれ、その後自分でお腹周りをする。薬だけではなく、こうした毎日のトリートメントも身体の治癒力を高めてくれているのだろう。
今日は、曼荼羅カラーリングをし、アマゾンプライムで「コウノトリ」という産科医のドラマを観、(すっかりハマっていたのに、残念なことに、今日で最終回まで観てしまった)、アンドルー・ワイルの「癒す力 治る力」を読むことができた。 今夜も平和に朝を迎えることができますように。
イグナチオ教会のミサにわたしは出席することはできないが、幸いな事に、英神父のブログ「福音お休み処」に、英神父の説教ライブがその日の内にアップされるので、わたしもこうして聴くことができ、いのちの糧をいただくことができる。
この日曜日は幼児洗礼の主日だったので、それに相応しく、教会という共同体の中で、家庭という共同体の中で、幼児の時から、信仰が養われていくというお話だった。
生まれて一ヶ月になるかならないかの赤ん坊をベビーカーに寝かせ、夫と3人で、夏の炎天下の石ころだらけの道をゴトゴト音をさせながら、教会まで30分ほどの道を歩いている様子が思い出された。
教会の方々が、みなで喜んでくれ、「こんなに小さいときからこうやって外に連れ出していれば、丈夫な子に育つわよ」と、当時、幼稚園の先生をしていたA さんが言った言葉と表情を思い出す。 教会のメンバーのUさんは看護婦さんで、福音診療所というクリスチャンの4人の医師達が立ち上げた、診療所の看護師をされていた。わたしが、切迫早産になり、4月から6月までその診療所に入院していた時に、毎朝のように病室に立ち寄っては手作りのお弁当を届けて下さった。 家に訪ねて来て下さり、わたし達が必死な面持ちで、赤ちゃんを沐浴させるのを「まるでおままごとのようだね」と笑いながら、何枚も写真を撮って下さったAさんの笑い声もそのまま耳に残っている。 故郷から遠く離れ、親も親戚も近くにはいない私たちにとって、子ども達が生まれた時から、私たち親子を見守ってくれた共同体がどれほど心強い存在であったか、今さらながら思い出す。
アメリカ滞在中に通っていたルーテル派の教会でも、帰国後通い始めたルーテル派の教会でも、教会学校や英語学校で、我が家の子供達は霊的に育てられて来たことも思い出し、感謝の気持ちで一杯になった。
説教の中に出てくる 陶芸家( 河井寛次郎)の「この世は自分を探しに来たところ」「この世は自分を見に来たところ」という言葉にも心惹かれるものがあり、後で、彼の作品や、随筆集を調べ、青空文庫で読めるものは読んでみたが、その作品はほんとうに伸びやかで自由で、心を高めてくれるものだったし、随筆も素晴らしく様々な事を思い返すきっかけを作ってくれた。
子どもとしてのわたしを見、親としてのわたしを見、教師としてのわたしを見、祖母としてのわたしを見、今は病気をして、その人生の終わりのところを見ているのだなぁと思った。痛みや苦しさもひっくるめて、それを見るためにこの世に来たんだなぁと。
説教のテキスト版の方もアップされていたので、ここに載せておこう。
2018 年 8 月 19 日(日)10 時ミサ 年間 第 20 主日〈白〉B 年 幼児洗礼式 カトリック麹町教会 主聖堂於 イエズス会 英 隆一朗 主任司祭 ミサ説教記
ヨハネによる福音書 6章51-58節 (そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。)「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」十
今日の福音書ではヨハネの6章、最近読まれてるところですが、イエス様自身が生きたパンであるとおっしゃっていて、イエス様の肉を食べ、その血をわたしたちは飲むことができる。それによって永遠の命を得ることができる。イエス様こそわたしたちの命の糧であるということをおっしゃっています。わたしたちは人間として生きる以上、やはり糧を得て成長していく、あるいは命を繋いでいくものだと思います。特に幼児洗礼を受けられる小さなお子さんの親御さんが一番気を配ることの一つは、子供が健康で成長するように、どういう食べ物を栄養があるものを子供に与えようとしておられるかと思います。やはり体が健康に育つには、本当の意味で栄養があるものをしっかりと吸収され大きくなるように心がけておられるように思われます。洗礼を受けるにあたって子供の成長のために単に体と心の成長だけではなしに、信仰の成長といいますか、霊的な成長といえるかもしれない。そのための糧が必要だということも心にとめておいてくださってもいいのではないかと思います。というのはこの幼児洗礼をするということは、カトリック教会の長い長い伝統の中で、このような儀式をしているわけです。大人の場合だったら信仰というのは自分の意志の表明によって、自分が神を信じるという表明によって洗礼を受ける。でも子供の場合は自分の意志の表明がないわけです。ないのになぜ洗礼式をするかというと、共同体の信仰があるからです。信仰というのは個人の事であるけれども、小さな子供に洗礼を授けるという恵みを共同体である教会が見守りずっと大事にしてきているわけです。ということは小さな子供に洗礼を授けてそれで終わりということはない。むしろ信仰教育のスタートだといえると思います。小さな子供に本当に栄養のある食事を与えるように、子供にも信仰というか心というか、霊的な成長のためにどういう恵みをどういう糧を与えるかということも 考えてくださったらいいと思います。信仰というのは共同体の中で育つものだからです。あるいは家庭の中でこそ育つものです。つまりそのような養分を吸収しない限り、子供の信仰は成長しない養われない体と同じです。だからイエス様が命の糧で命のパンであって糧だということは、この小さな子供たちにもこの信仰である小さな糧があるような工夫を、親御さんは心がけてくださったらいいと思います。そしてわたしたちは一生ごはんを食べないと生きられないように、信仰の糧は大人もみんな必要なんです。わたしたちが信仰を養っていくためには、一生恵みをいただいたり、御言葉で養われたり祈りで神様に触れたりしながらいつも歩んでいくということ。イエス様が命の糧だとおっしゃった時に、わたしたちはその糧をいつもいただくように心がけたいと思います。わたしは親ではないですけれども、特に思うのはやはり親になるということは少しずつではないかと思います。子供が一歳になったら親の経験も一歳だし、子供が二歳になったら親の経験も二歳として成長してしていく。急に立派なお父さんお母さんにはなれないんです。みんな子供の成長と共に良いお父さんお母さんになるように少しずつ成長していくんです。だからこの少しずつ成長していく糧をいただきながら、子供の信仰の成長は親の信仰の成長と繋がっています。親が成長していくに伴って子供も成長していく。だから信仰というのは共同体的な側面がいつもあります。お互いの関係の中で信仰というのは成長していくようになっています。お子さんも親御さんも 代父代母の方も、ここに集まっている全ての人もそうですが、信仰の糧を得ていつも信仰を少しずつ成長させていくように自分自身もそうだし周りの人とも信仰を深めていけるように心がけましょう。神の恵みの中でそれは少しずつだされるものだと思います。 わたしは美術展を見るのが好きで、最近は陶芸展を見ました。その陶芸家が造っている壺とかは本当に人間の心が出ますから、自由で捕われのない大らかな良い感じの作品が多いんです。見ているだけで心が洗われるような。その陶芸家が言っている言葉があって、名言を残されてますが「この世は自分を探しに来たところ」「この世は自分を見に来たところ」があります。わたしたちは絶えず自分を探しながら生きている。若い時は若い時なりに自分は何をしようかということを探していました。でも結婚したら夫になり妻になるというのも新しい自分を探してきた。そしてお子さんが生まれたら親になるという自分を探していく、育てていかなければならない。そしておじいちゃんおばあちゃんになったらどう生きていくか、新たな自分自身を探さなければならないでしょう。あるいは病気になったら病気の自分を探さなければならない。それを受け入れてそれを生きなければならない。わたしたちは絶えず自分探しでしょう。自分探しというのは人との関わりの中でしか自分を確認できないし、人との関わりの中で自分をもっと自分らしくいろんな形で成長もするでしょう。年をとったら衰えていく自分も自分として受けとめなければならない。わたしたちは絶えず自分探しをしているともいえると思います。そのためには神様がイエス様がいつもわたしたちに命の糧を与え続けてくださる。その命の糧を頂いていつもその時その時の自分を精一杯生きていけるように。そして今日洗礼を受けられるお子さんたち。そして青年の方。本当に自分らしい生き方をこれからも歩んでいけるように、その恵みの一つとしてこの洗礼の恵みを受けて、神様と共に成長していかれるように、心から祈りを捧げましょう十
第一朗読 箴言 9章1-6節 知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。獣を屠り、酒を調合し、食卓を整えはしためを町の高い所に遣わして呼びかけさせた。「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」意志の弱い者にはこう言った。「わたしのパンを食べわたしが調合した酒を飲むがよい浅はかさを捨て、命を得るために分別の道を進むために。」
第二朗読 エフェソの信徒への手紙 5章15-20節 (皆さん、)愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい十
五番目の孫の名前は 「花」 いい名前だ。そこから広がるイメージもいいし、音もいい。 はな、はなちゃん、Hana.
2歳お兄ちゃんの宗次郎は、もう、「いもうと」「はなちゃん」と言っているらしい。 ふたりとも よく似ている。3550グラム、予定を過ぎて生まれたくらいだから、新生児とはいえ、すでに生後一ヶ月ほどの貫禄があり、みるからに元気。
これを書いているのは日曜日、明け方の4時。 昨夜も、そして、この夜もそうだったが、お腹が痛くなり下痢が続くのが、10時過ぎから明け方にシフトして来ている。頓服のオキノームを2包、3包と飲んでも、痛さが治まらず、冬用の羽根布団にもぐり、湯たんぽをお腹に抱え込んで寝ると、まあまあ楽に明け方、まとまって眠れる。今朝は夫のかける掃除機の音でようやく目覚め、時計を見れば10時を回っていた!その後も、一日 トロトロとして過ごした。夜になれば同様にうんうん唸る時間がやってきた。さて主日明日(今日)はどんな一日になるだろう。
わたしが起きる時には、夫は玄米スープと野菜スープを作っておいてから、四ツ谷の教会に行っているだろうから、食欲のある朝の内にスープと、昨夜作ったのに食べられないままだった、かぼちゃとひき肉の煮物と焼き魚を食べることにしよう。そして、一人礼拝を。ゆっくり聖書や祈りの本を読んで、グレゴリオ聖歌が歌えるといい。
遅い昼用、あるいは早い夕食のために、カレーを作ってみたい。なぜか、キャンプで作るような、昔ながらのシンプルなカレーを食べたいと思っていたから。うるかや竹八漬け、蟹づけには相変わらず助けられている。いろんな土地から届く、ぶどうやメロンやカボス、沖縄の黒砂糖にも。食事の量は少なく、下痢のため、体内での吸収は悪くても、食べられる物と、食べられる時間帯があることはありがたいことだ。
昨夜は、窓の正面を映し出される、夏祭りのの花火を階段に座って見た、これまでは、花火は興味がないという夫と、じっと座って見る時間がもったいないと思ってしまうわたしだったが、この夏は、2人で座り込み、最後の花火まで見届けることができた。缶ビールならず、黒砂糖の袋を手に、なめなめしながら。
さて、日中以上に頭は冴えているが、2時間ほど眠ることにしよう。
8月14日から帯津病院に入院している。今回は腹水を減らすための入院なので、明日の午後には退院の予定。
8月10日くらいから腹水が溜まり辛くなってきたので、アルブミン の注射をしてもらうべく、帯津病院に相談したところ、主治医のドクターが、今日の午前中までなら病院にいるということで、急遽診察をしてもらえることになった。ベッドも緊急用に一床だけ開けてある部屋があるということで、この日の内に腹水を抜く処置と、アルブミン の点滴を受けられることになった。そんな幸運な事もあろうかと、前夜は眠れないままに、スーツケースに一通り、入院の支度をしておき、車にも積んでもらって来ていたので、そのまま、入院し、腹水を抜いてもらう。アルブミン の点滴は3日間続く。
入院中に親しくなったSさんや、看護師さん達の存在はうれしく、びわ温灸師やアロマ療法士からはさっそく、施術を受ける。昨日の午後と今朝は太極拳のクラスにも出る事ができ、今日の音楽療法の時間には、20名くらいの患者さん方やドクターといっしょに歌も歌えた。前回退院してからというもの、ベッドの中で過ごすことが多かったから、体力の衰えも感じた。退院後リハビリの療法士の示してくれたトレーニングにはきつすぎて挫折したけれど、なんらかの形で、身体を、動かすようにしなければ。
この日記を記している最中に、次男から、女の子、無事誕生の知らせ! 新しい命!これからその命の時間が刻まれていく。 一日でも長く、その命を見守りたいと思う。
日常的な腹痛は今に始まったことではないが、ここのところ、夕方から夜に限らず、いつでも腹痛に見舞われる。
そういう場合は、頓服のオキノームを飲むことになっているが、それがなかなか効かない。その場合、2包続けて飲むよう言われているが、強い薬を常用する事に抵抗があり、どうしても、我慢しようとしてしまう。 結果、食事が取れず、エネルギーがダウンしていく。これはまずい。
先ほど、午前4時に1包飲んだ。後、10分しても痛みが治まらないなら、もう1包飲もう。 今の目標は、できるだけ、食べるようにし、エネルギーを下げないようにすること。
一頃に比べると、玄米スープや、野菜スープやしいたけスープの他に、魚も少しなら食べられるし、友人が漬けた、昔ながらの梅干し、九州から取り寄せた、なつかしい酒粕漬けや、蟹漬け、友人が地元から送ってくれた鮎うるかなどがあれば、ご飯も食べられるようになった。 有難いことに美味しいパイナップルや葡萄やメロンなどが産地から届けられ、食事が取れない時には、果物やノニジュース、あま酒などをこまめに口に入れ、カロリーを補給する。夕食は食べられない時の方が多いが、ゼリーや、プロシュアといった、栄養補給食品を枕元に置いておき、目が覚める度に飲むようにする。
次男のところの第2子の出産予定日が8月12日と聞いた時には、とても先の事に思われ、間に合うかしらという気がしていたが、無事予定日を迎え、もういつ生まれてきてもよい段階。
長男のところも無事引っ越し先の家が見つかり、今月25日には日本に戻ってくる。今までインターナショナルスクールに通っていたれおは、世田谷区の公立小学校の3年生に編入することになる。それぞれの家族は新しいステージを迎えている。 今までのように出産の手伝いや引っ越しの手伝いは出来ないが、せめて、元気にしておかなくては。
2018年08月08日(水) |
孫たちと過ごした一日 |
台風上陸と、長男一家がベトナムから戻って来る日とが、重なるようで、心配だったが、飛行機は無事に飛び、予定通り8月8日の朝に家族5人は成田空港に到着。
深夜便での旅だったにもかかわらず、2歳児、5歳児、9歳児は驚くほど元気。わたしの寝ているベッドに上がってきて、おしゃべりしたり、いっしょにDVDを見たりと心豊かな時間を過ごすことができた。
8月で長男のベトナムでの仕事が終了し、帰国する事になったので、今回の帰省の目的は9月からの彼らの住まいを決め、帰国の準備をすること。 明日からは、子ども達をママの実家に預け、あらかじめネットで目星を付け、不動産屋と連絡を取っていた物件を回ることになっている。
この日を迎える事ができてよかった。孫たちに再び会えてよかった。しかも、台風の影響で涼しくなり、あのうだるような暑さも、エアコンの辛さもなく、わたしの体調もここ数日の中では最高に良かった。 感謝! 彼らの日本での生活がつつがなくスタートできますように
今日、アマゾンに注文した、「竹八漬け」が届いた。貝柱の粕漬けで、佐賀県の名物だが、ふと、子どもの時に食べた 「竹八漬け」の事が頭に浮かんだ。両親の郷里が佐賀なので、お土産や親戚からの荷物の中にたまに入ってたもので、子どもの時にこれが好きだったという記憶はない。だから、大人になってからは食べる事もなく、このあたりで見かけることもなく、自分では買ったこともないという食品だった。 それなのに、突然、あれがあればご飯を美味しく食べられる!と思ったのだ。まさか、ネットで買えるとは。見たところ、昔のままの様子をしている。まずは取り寄せてみたのだった。
ご飯の上に載せて 美味しく食べられますようにと祈るような気持ちで口に入れる。 「美味しい!」 目を閉じてうっとりしながら食べている自分が不思議で、また、何とも有り難かった。 いつもお茶碗に半分の量のご飯すら食べられないというのに、何とお代わりまでしたのだから。
それにしても不思議だ。子どもの頃食べていたものの記憶が、このタイミングでわたしを助けてくれる。 他にも探したがまだ見つけてないものもある。 例えば、これも佐賀名物のカニ漬け、大分の鮎のうるか。くじらのベーコン。親の好きな物には違いなかったが、子どもの頃は少しも好きでなかった珍味の類いなのに、おかしなものだと自分でも笑ってしまう。 舌の記憶の不思議? 単に味覚の記憶というのではなく、その当時の無意識の内にも幸福感を感じた何かしらの記憶と結びついているのかも知れない。
なんだかとても長い前置きとなったが、今日はご飯を美味しく食べることができて感謝!
前回の日記で、冷や汁を調理した事を書いたが、さて、具合が悪くなる前に早めにに食べようと、早い食卓に着いた途端に、例の具合の悪さがやってきて、口の中は苦く、お腹はゴロゴロとなり、身体が食べることを拒否しているかのようだ。夫は美味しいと言っているから、調理に問題があった訳ではない。いつもの具合の悪さが食べようとしたタイミングでやってきただけだ。
翌朝、具合のよい時に食べることにして、頓服を飲んでベッドに困る。数時間すると、これもいつものように具合が落ち着き、おだんごや、栄養ドリンクのプロシアなど、口に入るもので栄養補給をし、読みかけの「地球の祈り」を読了する事もできた。
日曜日も、同様に4時くらいから具合が悪くなるまでは、食欲もあり、何とか今日必要なカロリーや栄養の半分以上は取れたのではないだろうか。何も食べたくない、何も食べられない時と比較すると、まだもう少しは行けそうだ。
今日の主日のミサの説教を、英神父の「福音お休み処」で、聞くことができた。 「試練を調理する」 まさに、今の私の課題。
説教のテキスト版もアップされていたので、ここに載せさせていただこう。
2018-08-05 試練を調理する 英神父 ミサ説教 聖イグナチオ教会於
ヨハネによる福音書 6章24-35節 (五千人がパンを食べた翌日、その場所に集まった) 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」 そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」十
今日の福音書は、ヨハネの6章のはじめで、イエス様がパンの増加の奇跡を行うわけですが、その後、イエス様は本当の 命の糧というのは一体何なのかというお話になります。そして、イエス様自身が命のパンであるということをはっきり言われます。わたしたちはその命のパンをいただくことができるという。神様というのは、人類にとって父なる神というわけですから、親のような存在。わたしたちはみな神様の子供、神様は親心でわたしたちをいつも導き守ってくださっている、そういう方になるわけです。 人間の親が子供に与えることの最も大事なことの一つは、当たり前ですけれども食事を与えることです。子供が栄養を得て育つようにと、良い親であればあるほど、栄養に満ちた食べ物を一日三回、子供のために用意して与えるというのが、親の一番の務めだと思います。今では子供をちゃんと育てられない親もいますが、そういう時に一番手を抜くのが、子供に十分な食事を与えないことだろうと思います。心が温かい親ならば、子供に十分に栄養のある食事を与えるということです。では神様はわたしたち全人類の父なる神で、親のような存在ですから、神様がわたしたちにどれほど食べ物というか、命の養いを与えてくださっているかということを、それに心を向けなければならないと思います。わたしたちも生きていくために必要な様々な食べ物であれ糧であれ、主は用意してくださって、わたしたちに与えてくださっているということ。そのこと自体が事実ですけれども、わたしたちの人間的な体を養う糧だけではなしに、神様はわたしたちに霊的な糧ですね。わたしたちの霊魂を養う食べ物も、与えてくださっているということ。それをしっかり受けとめていきたいと思います。わたしたちカトリック信者にとって、イエス様は命のパンである といった時に、一番大事なのは、ミサの後半で頂く御聖体です。御聖体として、イエス様がわたしたちに食べ物として与えてくださっているわけですから、心から感謝のうちに受けとめるのが一番大事なことだと思います。でも神様がわたしたちに与えてくださる霊的糧というのは、命の糧というのは様々ありますから、お母さんが子供の為にごはんを作るのも、白いご飯だけということはないです。パンだけというのはあまりなくて、普通は何品か用意すると思いますが、子供の栄養のことを考えたら、様々な料理を作って与えるのが普通だと思います。神様も同じで、わたしたちに様々なお恵みを与えてくださっている。御聖体だけではなくて、聖書の御言葉を通して、主はわたしたちに糧を与えてくださっている。だからこのミサの前半は、聖書の朗読を三つ聞いて、しかもこうして説教もあるわけです。ただ御聖体だけを食べればいいというものではなくて、神様が与えてくださる様々なお恵みを、様々な形でしっかりと受け止めていくように心がけたいと思います。ミサにあずかって御聖体だけいただけばいいというものではありません。ちゃんと最初から御言葉の祭儀のところからあずかって、まず神の御言葉によってわたしたちは養われる。その後に、御聖体によってわたしたちは養われるわけです。日々の生活の中でも、祈ることは大事です。朝の祈りや晩の祈りを通して、個人的な祈りを通して、わたしたちは神様の栄養を絶えずいただける。とにかく体の方は一日三回、ごはんを頂いているわけですから、できればわたしたちも日曜日のミサだけではなくて、様々な形でイエス様から、神様から霊的な糧を得るように努められたら良いのではないかと思います。さらに言うならば、お祈りからだけ主はわたしたちに恵みや糧を与えているわけではない。日常生活の小さなこと大きなこと、様々なことを通して、神様は霊的な栄養を与えてくださっている。それにもしっかり心を開きたいと思います。人間関係がうまくいったり、仕事がうまくいったり、あるいは周りの人が親切にしてくれたり、そういう日常生活の小さなことの中に、主がわたしたちに恵みをいつも与えてくださっている。そのように日々、主が与えてくださっている恵みの糧がある。それをしっかり感謝して受けとっていきたいと思います。日常生活の中でも主が働いておられる以上、この中にもわたしたちに対する養いがあるということです。それを思い起こして、味わっていきたいと思います。そしてまた、日常生活の中の、例えば辛い出来事とか、悲しい出来事があるでしょう。でもそれですら、それを通して、神様がわたしたちに恵みと力と、そして学びを与えてくださっていることが多々あると思います。その出来事を通してなさっている神の恵みは何なのか。それにも心を開いて受けとっていきたいと思います。思うに動物と違って、人間ができることの大切な一つは、料理をすることだと思います。動物はだいたい生で食べるので、料理しないわけですが、人間だけは生だけではあまり食べないです。 お米は炊いたり、じゃがいもは生ではあまり食べない。人参は生で食べることはありますが、生で食べられないものはたくさんあります。それを料理するから美味しく、しかも栄養あるものとして食べることができるわけです。これはとても大事だと思います。日常生活で体験する辛いことや悲しいこと、それを生のままでは栄養にならない、食べられないわけです。そのような辛い出来事や悲しい出来事は、料理しなければならない。料理をしてちょっと手を加えるからそれがお恵みになって、わたしたちはそれを霊的な糧として受けとることができます。それを心がけたいと思います。だから生で食べられるものもあれば、料理しなければならないものもあります。料理すればもっと美味しく食べられるものがあります。それを見なければならない。料理するというのは、よくよく振り返ってそのことを通して、どういうお恵みがあったのか。それは一見辛いけれども、そのことを通して、どういうお恵みと力があったのかということを、それを振り返ったり考えたり黙想したりすることが、料理をするということだと思います。人間だけができることだと思います。それはいろんな例があると思いますが、例えばこの教会に来るきっかけは、皆さん一人一人違うでしょうけれども、多くの人は辛い出来事があったから、教会に来られたのではないかと思います。人によりますが、ものすごく辛いことがあって耐えられないでいて、たまたまそこの道を歩いていたら、鐘の音が聞こえてこの教会に初めて入ったという人が何人もおられます。その方々の多くは、苦しい事がなかったら、この教会には入らなかったと おっしゃいました。つまり人生がうまくいってるんだったら入らなかったかもしれない。でも人生に辛いことがあって、たまたま鐘の音を聞いて、ここは昼はだいたい扉が開いていますから、それで鐘の音につられて入って、この御堂に入るだけで、何か慰められたり力づけられたりしたことがあったと言われました。全員とは言いませんが、辛い出来事とか悲しい出来事とかがあったことに感謝されています。そういう辛い出来事があったからこそ、自分は神様に巡り会えた。神の恵みに触れたという方々が何人もおられます。それもこの一つだと思います。辛いことや悲しいことを通して、主がわたしたちに大きなお恵みを、本当の命のわたしたちの魂の糧となる、命の恵みを与えてくださるということは度々あると思います。神様が一体どれほどわたしたちを養ってくださろうとしているか、様々な料理を、様々な糧を、主がわたしたちに与えて下さっています。あるものは食べやすい、あるものは食べにくい。あるものはお恵みだとすぐわかる。あるものはお恵みだとすぐには分からないけれども、わたしたちの霊魂の栄養になるものを、主がその時そのタイミングで、わたしたちにくださるわけです。その命の糧をしっかりと受け止めましょう。この御聖体を心から礼拝する気持ちで受けとるのと同じように、日常生活を通して与えてくださる主の恵みを、そのような気持ちでわたしたちは受け取ることができるわけです。主の養いなしにわたしたちの信仰はあり得ないでしょう。神の恵みなしに、わたしたちは信仰生活をやっていくことは全くできません。三日も食事をしなければ倒れてしまうように、わたしたちの魂も、神様の恵みを絶えず頂いて、その恵みを生きていく中でこそ、わたしたちの信仰生活がある。御聖体も主の言葉も、日常生活の出来事も、すべて神様からの糧です。そのお恵みをしっかり受けとめて、わたしたちはこの一週間を歩いて行けるように、共に心を合わせて、祈りをささげましょう十
2018年08月04日(土) |
「地球の祈り」を読む |
今日は朝から不思議とトロトロの状態がなく、朝食も昼食も、比較的良く取れた。 数日前から読んでいる 「地球の祈り」龍村仁・龍村ゆかり著を読み進め、これまでに映画で見てきた、「地球交響曲」(ガイヤシンフォニー)のメッセージや、そのドキュメンタリーで出会った人々について、より深く知ることができる。
「地球交響曲」第4番の登場人物、アフリカに住みチンパンジーの研究を続けている、 ジェーン・グドールの事はとりわけ興味深く、彼女の初の自叙伝 「森の旅人」も、手元に届き、平行して読んでいる。これらの本について書きたい事はたくさんあるが、今日はここまてで。
「たりたの日記」2001年10月30日と10月31日に、「地球交響曲第4番」の事が記してある。
今日はまた、過去日記も書くことができた。6月12日、まだ大宮の病院に入院していた時に、弟達がお見舞いに来てくれたが、その時の日記。
さて、夜も、このままの調子で過ぎていってほしいものだが... 宮崎名物の冷汁を作るろうと、すでにダシ汁は冷やしている。
2018年08月03日(金) |
この9日間あまりのこと |
日記、25日から8日のブランク。 ここに記すエネルギーが残っていなかった。 ノートには、その日の体調や摂取した薬、食事の内容や量を看護師よろしく、ふにゃふにゃした文字で、時々意識が遠ざかる中でも、何とか記録した。うっかりすと、劇薬の痛み止めを飲んだか、飲まないか分からなくなってしまうこともあるから。 今朝は、何としたことが、10時半ごろ夫が仕事場から電話をしてくるまで、前後不覚に眠りこんでいたので、今は朦朧とした感じがあまりなく、ここを開く気になる。 それにしても、メールの返事もないものだから、夫はにはずいぶん心配させてしまった。「出かける時も身動きひとつしないで眠ってたから、死んだんじゃないかと慌てたよ」と後で笑い話。
ここのところの日常は、朝から昼過ぎごろまでがトロトロの中で過ぎる。深く眠るということはできず、意識は現実と現の間を行き交う。朦朧とした感じ。 これが医薬用麻薬の副作用なのか、それとも充分なカロリーや栄養を摂取できないために生じる老衰のようなものなのか、はたまた、この暑さによるものかは分からないが、痛みや苦しさがあるわけではないので、このまま、すうーっと、あちら側の世界に導かれるなら楽だろうななどと思ってしまう。
ところがそうも問屋は下ろしてくれないようで、このトロトロは夕方くらいから、キリキリモードに移行し、途端、闘病モードになる。腹痛、下痢、腹水の圧迫が一度にくるので、せっかく夫が用意してくれた食事もほとんど、食べられず、辛い4〜5時間が続く。
それでも昨日は、友人が漬け込んだ、絶品の梅干しのおかげでお茶漬けを半分は食べられ、石垣島から届いたパイナップルや、いただいた地元の梨を美味しくいただくことができた。
頓服のオキシノームを包飲み、12間おきに飲むオキシコンチンがようやく効き始め、痛みから解放されるのが、夜の9時とか10時。 このあたりになると意識も覚醒し、本にも集中できるが、その前に、おしごと。 腹水や足の浮腫みを取るべく、アロママッサージと、びわ温灸。背中の部分は、夫にやってもらう。 11時過ぎ、夫は自室に引き上げ、わたしは、なかなかやってこない眠りを待って、グレゴリオ聖歌を聞いたり、過去のミサの説教の録音を聞いたり、思い切って起き上がり、本を読めばいいかもだが、明日がさらにトロトロになりそうで、夜は努めて心身をやすませたく、眠る努力をする。昨夜は明け方3時に眠りについたので、10時半まで熟睡してしまったのだろう。 なかなか眠りにつけないのは、身体の温度調節が上手く働かないこともあるかもらしれない。エアコンをつけるとお腹がゴロゴロと下痢気味になるが、窓を開けて、弱く扇風機をかけても、肌に当たる風が気持ち悪く、冷や汗をかいては、その汗で体が冷え具合が悪くなる。冬の暖かいお布団の中でぬくぬくというという眠りが恋しい。
食欲は入院中の、見るだけでも食べる気力がなくなっていたころと比較すると、味覚の感覚が戻ってきて、食べられるものが少しづつ増えているように思う。夫が毎朝作ってくれる玄米スープと、夜に作ってくれる野菜スープ(大量の数種の野菜をひたひたの水で煮出し、塩を少々加えて濾したケンブリッジ版 命のスープ)が命を支えてくれているに違いない。
今後はあまり、書けないかもしれないけれど。ここをお訪ねくださり、祈りで支えてくださっている方々の存在はとても大きく、それもまた、わたしの命を支えている下さっている。感謝!
とりとめもなく、今の状況を。
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