たりたの日記
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2018年07月25日(水) |
In manus tuas, Domine 父よあなたにゆだねます |
午後6時半、陽が落ち、風も涼しくなり、ようやく凌ぎやすくなった。 薄暗くなってきた寝室に、グレゴリオ聖歌が静かに流れる。
今日は暑さの中でトロトロの一日だったが、なんとか過ごす事ができた。
今、ここを大事にするということ。 今日は今日の事だけを考えるということ。 後の事は主の御手にゆだねて。
一昨日の日記に書いた、コンプレトリウム(終課) の日本語の歌詞をここにのせておこう。
コンプレトリウム(終課)
小レスポンソリウム
父よ、あなたにゆだねます。 父よ、わたしをゆだねます。 わたしを救われた いつくしみ深い神。 父よ、わたしをゆだねます。 栄光は父と子と聖霊に。 父よ、あなたにゆだねます。 父よ、わたしをゆだねます。
シメオンのカンティクム
アンティフォナ
起きている時も、眠っている時も、 神よ、わたしを救い、守ってください。 キリストのうちにいつも目ざめ、 平和のうちにいこうことができるように。
カンティクム
主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。
わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 これは万民のために整えてくださった救いで、 異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。 栄光は父と子と聖霊に。 初めのように今もいつも世々に。
アンティフォナ
起きている時も、眠っている時も、 神よ、わたしを救い、守ってください。 キリストのうちにいつも目ざめ、 平和のうちにいこうことができるように。
それにしても暑い夏だ。 大分に住む友人が、埼玉方面では熱中症での死者が何人も出ているというので、心配して電話してくれた。 家の中にいるのだし、エアコンで部屋の温度を下げればよいのだが、わたしの場合、身体が少しでも冷えると、お腹のゴロゴロが始まり、気分も悪くなるので、エアコンはつけても29度とか30度の設定。 エアコンを切り窓を開け、外の風を入れるように試みるが、風もなく、室内よりも気温が高かったりするから、これもまた、うまい具合にはいかない。
夜は睡眠薬を飲んでもあまり効き目はなく、気持ちよく眠りにつくのは明け方近くという日も多い。 熱中症にならないよう、何度も起きて水分補給もするので、夜の時間は細切れになってしまう。昨夜は開き直って本を読んだ。画家であり、エッセイストであった故 宮迫千鶴のエッセイ集「草と風の癒し」。この本が面白く、暑い夜の不快感も忘れてしまうほどだった。
彼女は生前、帯津三敬病院の帯津良一先生と交流があり、2008年にこの病院で亡くなっている。帯津先生の攻めの養生論の通り、死に向かって加速し、笑いながら…
今夜、たとえ寝苦しくても、このエッセイの続きを読もうと思うと、夜へ向かう憂鬱がなくなる。
2018年07月23日(月) |
チャント 〜天空の歌声 |
オーストリアのシトー派ハイリゲンクロイツ修道院 の修道士が歌っている 「チャント〜天空の歌声」というCDを、ここのところ、昼となく夜となく聞いている。静かで穏やか、そして清らかな光に包まれる。大きな慰め。出会えてよかった。
このアルバム は修道僧が一日の最後に毎晩唱えるコンプレトリウム(終課)や、レクイエム(死者のためのミサ曲)などが取り上げられていて、まさに天国と地上を結びつけている祈りの歌だ。
グレゴリオ聖歌入門クラスで教えていただいたコンプレトリウム(終課)のラテン語のチャンツをわたしも寝る前に唱えるようにしているが、以前からこのコンプレトリウムの音源を探していながら、なかなか出会えずにいた。それがつい最近、グーグルの検索で見つかり、アマゾンの中古CDを購入できた時は嬉しかった。 聴いてみると、修道士の葬儀で歌われる「イン パラディズムズム(天国に)」など、初めて聞く美しいチャンツもあり、出会えた喜びはさらに大きい。
録音は「2008年3月31日〜4月3日」。UKで発売された当初は究極のヒーリングミュージックということで、かなり話題になったようで、日本ではユニバーサル ミュージックから発売されたが残念なことに今日本版は中古でなくては買えないようだ。 貧しさと労働とを重んじるシトー派修道会についても、とても心引かれていたので、この祈りの歌と巡り会えたことにとても感謝している。
シトー派修道会について
Sacer Ordo Cisterciensis 1098年フランスのシトーに創立されたカトリック修道会。モレームのベネディクト会修道院の修士たちが規律のゆるみを嫌い,戒律に厳格に従うためその大修院長ロベルトゥス (ロベール) の指導を仰いで新たに開いたもの。クレルボーのベルナルドゥスの入会後興隆したのでベルナルド会とも,またその修道服から「白衣の修道士」とも呼ばれる。3代目の修道院長のとき基礎が固まった。すなわち,規律によらない衣食を禁じ,絶対的共同生活を規定し,周囲の社会との交流をもたらす所有を禁じ,労働を再導入した。会員が同じ戒律,習慣に服すること,全修院長が1年に1度シトーに集り総会を開くこと,母体となった修道院の院長はそこから派生した各修院を1年ごとに巡察することの3点を特色とした。また牧羊によって毛織物を中心に 12世紀の経済界でも重要な役割を果した。 12世紀を過ぎると衰退に向い,宗教改革時に北方でのシトー会は消滅。 17世紀のド・ランセの改革による厳律シトー会はトラピスト修道会として知られる。
ハイリゲンクロイツ修道院 (ウィーン) チャント〜天空の歌声
chant MUSIC FOR PARADISE I.イン・パラディズム(天国に) 01. アンティフォナ《天使らが汝を天国に》および詩篇121(122) 02. レスポンソリウム《神の聖人らよ、援助に来たまえ》 03. レスポンソリウム《主よ、われを解き放ちたまえ》 04. ハイリゲンクロイツ修道院の鐘 II.レクイエム(死者のためのミサ) 05. イントロイトゥス《主、イエス・キリスト》 06. キリエ 07. グランドゥアーレ《主、イエス・キリスト》 08. トラクトゥス《主よ、イエス・キリスト》 09. オッフェルトリウム《主、イエス・キリスト》 10. サンクトゥス 11. 奉献後の歓呼(祈念唱) 12. アニュス・デイ 13. コンムニオ《主よ、永遠の光を》 III. コンプレトリウム(終課) 14. 神よ、われの保護に 15. イムヌス《光の消えゆる前に》 16. 詩篇4 17. 詩篇90(91) 18. 詩篇133 19. 小レクツィオ 20. 小レスポンソリウム 21. シメオンのカンティクム《主よ、今こそ御身のしもべを》 22. キリエ 23. 閉祭の祈り 24. サルヴェ・レジナ 25. ベネディクツィオ 26. ハイリゲンクロイツ修道院の鐘 IV. スピリトゥス・ドミニ(主の霊が) 27. 聖霊降臨の祝日のイントロイトゥス《主の霊が全世界を》 28. 聖霊降臨の祝日のコンムニオ《突然天より》
2018年07月22日(日) |
主はわれらの牧者、わたしには乏しいことはない。 |
今朝は5時に起床。 普段の朝は、7時くらいで、その時間は腹痛があることが多いので、まず痛み止めを飲むのだが、今朝はそれもなく、ヨガをしたりもできた。 体重を測ってみれば、ここ数日の体重のマイナス2キロ、これは溜まっていた腹水が2キロ近く減ったからだと思う。利尿剤も効いたのだろうが、昨夜、夫から40分、びわ温灸をしてもらった事も効果があったと思う。
そのせいか、今朝は朝食もいつもより食べる事ができ、昼は茄子の味噌汁煮が食べたくなって、自分で台所に立って作った。この茄子の味噌煮は子どもの頃、よく母が作っていたもの。我が家の家族には人気がなかったので、作る事もなくなっていたが、今日は、あれなら食べられるという気がした。大きく切った茄子の皮の部分に切り込みをいれ、豚肉やピーマンと一緒に炒めた後、少量の水と味噌と砂糖を加えて、しばらく煮、最後に小麦粉を振り入れ、トロみを付ける。
思った通り、美味しく食べることができた。以前食べていた量の4分の1くらいではあるが、よく食べたと実感がある。
こんな具合に、悪い日もあれば、良い日もある。夕方から夜にかけて辛い時間があっても、朝が来てまた身体は起きあがる。
今日は主日、ミサには出られないが、午前中は今日の聖書日課にを読み、youtubeで英表神父の黙想についての講義などをまとめて聴くことができた。
今日の聖書日課は、とても好きな、ダビデの詩篇。
詩編23・1 〜6
主はわれらの牧者、 わたしは乏しいことがない。 神はわたしを緑のまきばに伏させ、 いこいの水辺に伴われる。
神はわたしを生き返らせ、 いつくしみによって正しい道に導かれる。
たとえ死の陰の谷を歩んでも、 わたしはわざわいを恐れない。 あなたがわたしとともにおられ、 その鞭と杖はわたしを守る。
神の恵みといつくしみに 生涯伴われ、 わたしはとこしえに 神の家に生きる。
水曜日の夕方から腹水のたまり方が多くなり、腹部に強い圧迫を感じ、そのため食事ができないので、腹水を抜いてもらうと楽になるのではと考えた。けれど、単に腹水を抜いてしまうと腹水の中にある栄養分も体外に出てしまう。 そこで、かつて肝臓病で母が受けていた、CART治療法(CARTとは、Cell-free and Concentrated Ascites Reinfusion Therapy: 腹水濾過濃縮再静注法の略で、肝硬変やがんなどによって貯まった腹水(又は胸水)を濾過濃縮(ろかのうしゅく)して、アルブミンなどの有用なタンパク成分を回収する治療法)を受けたいと思い、19日の午後、その設備のある大宮の病院へ連れていってもらう。丁度主治医の外来の日で予約が取れたのは、ラッキーだった。
主治医には帯津での代替療法のための入院の事や、日常的な発熱、激しい腹痛や頻繁な下痢からは今のところ無くなったが、腹水のための圧迫が強いので、CART治療法を受けたい事を申し出たが、CRT治療法のリスクや、抜いてもまたすぐに溜まることや、受けられる回数も限定されているので、まずは利尿剤を飲んで様子を見て、それでも解決しない場合は、5月に行ったように2日間、アルブミン の注射をし、減少しているアルブミン を増やす事が先だという説明を受ける。この場合、2、3日の入院になり、それはCART治療法も同様という事だった。
医師の説明に納得がいったし、せっかく退院したのにまた入院する気にはなれない。まず、利尿剤を朝、昼と毎日飲む事にし、様子を見ることにした。
腹水の圧迫による痛みも、レスキュー のオキノーム(医療用麻薬)で凌げる事も分かったし、排尿の具合や足の浮腫みの様子から利尿剤は効き始めているように思う。 薬のために、トロトロ状態にはなってしまうが。
昨日は、初めての訪問看護。とてもフレンドリーな看護師さんで、検温や血圧などの後は、浮腫みのある部分のマッサージをして下さる。また、届いたばかりのびわ温灸器を使って背中や腹部に当てていただく。 びわ温灸器は初めてなので、勉強してきますねと、資料の写真を撮っていかれた。 マッサージの間、東松山にあるシャロームというキリスト教主義の病院のことなど、教えてくださったり、ヨガや瞑想がよいことなど、共感できる話しができてよかった。 1週間に1、2度の訪問になるが、心強い。
午後からは、夫と、びわ温灸器の使い方をDVDで観ながら、ツボの位置を確認。さっそくやってもらう。毎日やることが肝心という事、自分でもできるようにしよう。これで、腹水が取れたという人の記事が体験記にもあったので、よいかも知れない。
2018年07月18日(水) |
訪問リハビリを受ける |
退院して四日目、自宅介護に関する手続きなどで、日々訪問者があったが、今週は夫が 仕事を休んで自宅にいてくれるので、応対は夫が引き受けてくれ、病室に早変わりした寝室に案内してくれるので、具合が悪い時でも苦にならずにすみ幸いだった。
まず、16日に訪問看護ステーションの所長が訪問下さり、訪問看護や訪問リハビリについての説明やスケジュールについてお話し下さる。
翌日17日に介護保険の認定調査の担当の方がいらして、正式な認定は一ヶ月後になるが、要介護1から少なくとも要支援1か2には該当するので、今からでもサービスを開始しても良いとのことだった。
そして、今日は地域包括支援センターのケアマネージャーの訪問があり、階段に手すりをつける工事などの打ち合わせをし、その後、リハビリの理学療法士の訪問。11時20分から12時まで、今必要で、無理もないリハビリのプランを立てたり、次回までの自分で行うリハビリの課題をいただいたりという時間を持った。
「課題があると燃えるタイプですか?」 「はい、そうなんです」 「では、燃えすぎて、無理をしないようにしてくださいね」 すでに見抜かれている。
目標は階段の登り降りが楽にできるようになること、台所に立つことができるようになること。課題ができる事で気持ちに張りも生まれる。午後の調子の良い 時間にさっそくやってみる。がんばろうと思う。
今日は仕事で長男がベトナムから戻ってきたので、立ち寄ってくれ、午後から夕方までの時間を一緒に過ごすことができた。
6月12日からしばらく抜けていた日記を記すべく、今日、6月12日の日記 「病者の塗油を受ける」もアップする事ができた。
2018年07月16日(月) |
玄米スープはやっぱり命のスープ? |
昨日は家に帰ったらまず飲みたいと思っていた玄米スープを夫に作ってもらう。 この暑さの中で、大変申し訳ないんだけれど、何は食べられなくてもこの命のスープがあれば身体が生き返るという気がしていたから。 大きな厚い鍋で、玄米を気長に炒る。たちまち、部屋の中は玄米の香ばしい香りでいっぱいになる。パチパチと爆ぜる音がし、玄米が小麦色になれば、出来上がり。きつね色だと炒り過ぎだと書いてあるけれど、夫もわたしも小麦色ときつね色の違いがピンとこない。つまんで、ぽりぽり食べられるほどになったから、このくらいでいいんじゃない?
炒り上げた玄米に700ccほど水と梅干しを入れ、約半量になるまで、30分ほど煮てもらい、スープだけを取り出すと香ばしい玄米スープの出来上がり。 思った通り、美味しい。身体が喜んでいる。台所に長いこと立てない今は、とっても玄米スープは作れない。晶さん、ありがとう!
昨夜も、思うように食事が取れず、ごはんにいかの塩辛乗せたものをようなく何口かとスイカを3切れがやっと。逆流性食道炎食道炎のような症状があり、胃液が上がってきて夜はつらかったが、玄米スープを枕元に置き、夜から朝までにかけて、何度か飲んだ。
朝からはまだ胃が重く、何も食べる気がしなかったが、昼頃になると、何だかんだお腹がが空いてきた! お腹が空くという、何か食べたいという久々の感覚! この感覚、行ってしまわないでほしい。 急ぎ、夫にご飯を炊いてもらい、昨日たくさん、炒ってもらった玄米をスープにしてもらっている。 卵かけご飯、食べられそう! 夜はピーマンとナスの味噌炒めが食べられそうな気配。
2018年07月15日(日) |
退院!25日振りに我が家での一日 |
帯津三敬病院での3週間の入院を終え、昨日、退院。 ホリスティック医療を目指すこの病院に入院して、治療を受けたいという願いが叶い、良かったと思っている。腹痛や下痢、食欲不振など、良いコンディションというわけにはいかなかったが、幸い熱もなく、朝7時20分からの気功も半分くらいは参加できたし、様々なタイプの気功もひととおり行うことができた。DVDやCDも購入できたので、日々の生活の中に取り入れていきたい。
毎日施術してもらったびわ温灸は温灸器と琵琶の葉のエキスがあれば自分でもやれる事が分かったので、アマゾンに注文した。
帯津先生のツボの本とシールタイプの鍼をヨーガ仲間のMさんが送って下さったので、自分でツボを見つけながら鍼治療もやっている。また、2週間ごとの通院の度に、帯津の鍼灸師から施術してもらうこともできる。夫も足つぼマッサージを日課にしてくれている。
アロママッサージは腹水や、足のむくみが楽になり、寝る前にリラックスできるので、これも毎晩続けていること。
家に戻ってきてから、お腹の調子がそれまでよりよい。 今の問題は、胸焼けのような感じがあり、水や食べ物を飲み込むのが辛く、食欲はなかなか戻らないが、エネルギーは増している。 昨日は、買ってサインしていただいた帯津先生の新刊本、「ホリスティック医学 私論〜来し方・いま・行く末」を読み終えた。
実際の講義の中でも、本の中でも繰り返し聞いた、 「死に向かってエネルギーを高め加速していく」ということ。心に留めて、家での生活をしていきたい。
ここの病院では、毎週木曜日の午後に音楽療法の時間が組み込まれている。15時から15時40分までの40分間は、その時集まってこられた患者さんや、すでに退院された方、また時には医師も加わり、みんなで歌を歌う「うたの広場」という時間で、その前後には、ボランティアの方々によるオカリナ演奏があり、その演奏が、これまから歌の時間が始まりますよ。これで歌の時間が終わりますよという合図にもなっているという事だった。 また、午後1時半から午後5時まで、音楽療法士から30分の個人療法も受けられる事になっている。
わたしの歌の好みはグレゴリオ聖歌とかルネサンス期の歌、せいぜい唱歌や童謡くらい。歌の広場への参加には始め躊躇があった。 実際、1回目は、ご高齢の方が多く、はじめは聞いたことのないような演歌がリクエストされ、とても楽しめないなと思っていたところ、唱歌や童謡もリクエストに出てきて、久々に声を出して歌う事ができ楽しいと思った事だった。なんとなく知ってはいても、歌詞を見ながら歌ってみるとこんな歌だったのかという発見もあり、子ども時代や若い頃の景色が目の前に現れてくるのも不思議だった。 2回目の参加の後は、個人のセッションをお願いして、それは沢山ある歌集の中から、かつて夢中で歌っていたグループサウンズやフォークソングをリクエストし、歌わせていただいたりし(病人らしくない、熱唱だったかも)その歌にまつわる思い出を聞いていただいたり、グレゴリオ聖歌を学んでいる話など、音楽に関することを療法士と話す事ができ、よい時間だった。
そして、3回目の今日、「歌の広場」の時間を待って、ベッドで本を読んでいると、何と、2年間、グレゴリオ聖歌を教えていただいたW 先生が病室にお見えになった! ここの病院の事は、前に突然お訪ね下さった、同じ受講生のSさんからお聞きになったという事だった。
W先生から教えていただいたグレゴリオ聖歌のテキストは入院の度ごとに持ち歩き、とりわけ、聖務日課の寝る前の祈り(コンプレトリウム)の3曲は毎晩、就寝前に小さな声で歌っている。
W先生からは、前の病院に入院していた時に、そちらに出向くので、一緒にグレゴリオ聖歌を歌いましょうとメールをいただいていたが、体調が落ち着かず、瞑想室に出かける元気もなく過ごしていたので、体調が良くなったらご連絡しますとメールをしたままになっていたのだった。
音楽療法士には、グレゴリオ聖歌の学びの事も話していたので、W先生を「歌の広場」にお誘いし、みんなで歌う前に、 Salve,Regina (元后あわれみの母)という、マリアの賛歌を先生と一緒に歌わせていただいた。 もう一度、ご一緒にグレゴリオ聖歌を歌いたいという願いが叶い、それを、患者さんや、スタッフの方々に聞いていただけたという事は本当に得難い、幸いな時だった。
その後の時間も、月の砂漠、野ばら、サンタルチアなど、いくつかの歌もご一緒に歌っていただき、ハーモニーもつけて下さり、思いがけなくも豊かな歌の時間が流れたのだった。
そうして、もうひとつ、不思議な出会い、わたしの唯一のエッセイ集「育つ日々」の「月夜の田んぼで」というエッセイの中で、カエルの音が不気味な夜の川辺を歩く時、決まって父が歌ってくれた「月夜の田んぼで」という歌が、オカリナの演奏で流れ出したこと。 オカリナ奏者の方から楽譜もいただくことができた。 父の歌以外では聞いたことのなかった幻の歌との再会!
2018年07月10日(火) |
衰えていく身体をどう立て直していくか |
ここのところ、キリキリ、ヘロヘロ、トロトロの状態にパターンが見られる。キリキリは夕食の時間あたりに始まり、薬で、落ち着くが、夜中の12時過ぎにまた起きる。そんな時は頓服薬のオキノームを立て続けにもらうが、昨夜はその薬の甲斐なく朝まで、下痢とキリキリに見舞われた。
そういう夜の翌日はだいたい1日、ヘロヘロ、トロトロとただただベッドの中で寝たきりになるのだが、これがあまりよろしくない。1日寝たきりになると、それでも落ちている筋肉がさらに落ちるのか、最近はしゃがみこんだら、立ち上がるのもおぼつかない状態になっている。また脱力感が酷く、直ぐに座ったり、横になりたくなってしまう。 無理は確かによくないが、ヘロヘロ、トロトロに身を任せていては、身体は衰弱していくばかりではないだろうか。
そこで今日、火曜日は、ベッドに潜り込みたいところをできるだけ起きて、やれそうな事はやるという事を試みた。
7時半 道場へ。今朝は帯津先生の気功、「元極学」。これは、外から気を入れてもらう、外気功のひとつなので、受ける側は、深い呼吸をしなが座っていればよい、20分のプログラム。
14時半、郭林新気功。これは呼吸と、歩行を合わせたもの。身体に捻りをいれなながら歩くので、わたしのようにお腹にトラブルがあるものにはちょうどいい。30分歩き、30分は休憩しながら、いろいろ話をする。
その後はベッドで一休みしてから、16時30からの養成塾に参加してみる。帯津先生から気功を学び、その後にお話を伺う。 塾生は、30人ほどで、全国にはいくつもの養成塾があり、時折、他県で集まりもあるとのこと、たしか、この5月、大分の湯布院温泉でも開催されている。
帯津先生は来週は45人の参加者を先導して、モンゴルに行かれるとのこと。いいだろうなぁ、モンゴルの大平原! 遠くに出かけて行くのは無理だが、こちらで、週に2度ほど、お話を伺ったり、気を入れていただけるのは有難いことだ。
トロトロしながらも気力を出せば、これだけ動くことが可能だと分かる。 ベッドの中にいる時も、つとめて、アロママッサージやリンパドレナージをやった。
さて、ここにきて、もうひとつ問題が。 食事が取れないこと。 こちらの病院食は、前の病院より、味にも工夫してらあり、美味しく調理しているのは分かる。ところが、食事を目にすると、食べたくない気持ちが前面に出てしまい、どうしようという気持ちになる。 舌先、口の中、喉、もちろん消化器も、目の前の食べ物を拒否しようとする。無理に咀嚼しようとすると戻しそうになる。
体力維持のためにも、腹水を減少させるにも、熱量やタンパク質が必要なのに、それを体内に取り込むのは大仕事。 白米も、お粥も、パンも喉を通らないので、白米に、永谷園のお茶漬けをかけると、多少は食べられる。魚は何とか半切れはお茶かなにかで流し込む。好きなはずの野菜のお浸しや、炒めものは、ほぼ食べられない。 辛うじて果物は美味しく食べられるものの、単独で食べたり、量が多くなると下痢に繋がるので、食間や食後に少量。
この食欲不振のメカニズムについて、もっと知りたいと思っているが、多くのがん患者に共通する問題だろう。
病院の中ではいろいろな食品を試したくても無理なので、家に戻ってから取り組んでいくつもり。
今、頭にあるのは、 玄米を気長に炒って、煎じる、玄米スープ、 ゆっくり戻したしいたけを煮て、塩のみで、味を調える、しいたけスープ、ココナツミルクとカレーパウダーで作る、豆やジャガイモのスープ。 りんごとさつまいもとレーズンのコンポート。 豆乳はじめ、大豆製品をつかったもの。 夫に手伝ってもらいながら、こんな食事から始めていきたいと思っている。
食べればきっと体力もつくはず、夢の中では、美味しい揚げたてのコロッケやトンカツの美味しいお店を探したり、ステーキ屋さんに出かけたりしているのだから、まだまだ望みはあるのではないかしら。
今週は、月曜、火曜、水曜、木曜の夕方まで、調子が良かったのだが、木曜日の夕方から翌朝にかけて一晩中、下痢が続き、そのための脱水症状のためか、金曜日は、一日脱力感、血圧減少、今日の明け方3時には悪寒を伴う発熱があったため、週末の外泊はままならなくなり、病院で過ごすことになった。 ほんとうに一進一退だ。
それでも、金曜日は朝7時半からの帯津先生の外丹功という気功のクラスに椅子に座ったまま参加し、病室では、びわ温灸、アロマセラピーではリンパドレナージュをしていただき、鍼の治療では、下痢やお腹に効くツボや、足のむくみに効く施術をしてもらう。週に一度の帯津先生の講話には、看護士さんが車椅子で連れてきてくれたので(これは血圧が低くなったため)、何とか1時間、話を聞くことができて、幸いだった。
今日は自宅に帰 ることはできなかったものの、大阪に住む次男が、東京の出張帰りに病院に立ち寄ってくれ、夫と3人で良い時間を過ごす。話をしながら、夫は今日も足のマッサージをしてくれる。夫は毎日仕事帰りに病室に来てくれるが、足裏のツボ押しや、マッサージを仕事のようにしてくれるので、だんだんプロ並みになっている。 次男のお嫁さんの ゆうちゃんは、第2子の出産も間近。今度は家族4人で会えるのを楽しみにしていますとカードに書いてあって、新しい命の誕生にワクワクする。ゆうちゃんからはパーフェクトポーションというブランドのアロマバームと、アロマミストの贈り物。chakraというシリーズのブレンドで、凄く良い香り!
3人で病室にいる時、主治医が訪ねてくれたので、いろいろ話を伺うことができた。ここでの入院は他の緩和医療の施設と同じように、3週間が目処で退院し、その後は自宅で介護できる方向に持っていけるよう支援する体制になっているということだった。 そのためには、介護保険の申請をし、訪問医療や介護、ヘルパーによるサポート、がん患者のためのデイケアやグループホームなど、様々な形態のサポート体制があるということだった。来週には医療福祉相談員が病室を訪ねてくれることになった。 介護保険は65歳以下でも、末期のがん患者で、1人で身の回りのことをするのに支障をきたす場合、介護申請ができるとのこと。
というわけで、わたしも、後1週間こちらに入院し、後は自宅で可能なサポートを受けながらの生活となりそう。月曜日には夫が役場に介護認定の申請に行ってくれることになっている。
先週末から今週にかけて、こちらの病院にも友人達が訪ねてきてくれた。 先週の土曜日にはフランスのテゼ共同体の1週間の滞在から帰ってきたばかりのUさん。懐かしい場所の写真を見せていただく。 月曜日には文学ゼミのKさん。NY土産と一緒にいただいた、パワフルな自家製ハチミツは口の中が苦く食欲のない今、とても強い味方になってくれる。 火曜日にはリコーダーのパートナーのJさんと一緒に、郭林新気功という歩行を中心にした気功のクラスに出ることができた。メロンとマンゴーも美味しくいただく。 木曜日にはFさんが、ご主人の運転で。6月にリクエストしたソルダムがようやく出始めたからと白桃といっしょに持ってきてくれる。とにかく唾液が出ないドライマウスに悩まされていたので、プラムの酸味で唾液が出るようになり有難い。
辛い時間もあったが、この週も様々な方に支えられて過ごさせていただけた。
2018年07月04日(水) |
「最上のわざ 」 長岡輝子さんの朗読 |
最上のわざ 作者未詳 ヘルマン フォイヴェルス訳
この世の最上のわざは何?
美しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう―。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること―。
老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために―。
おのれのこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事―。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ―。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために―。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と―。
長岡輝子著
「老いてなおこころ愉しく美しく」 草思社 より
2001年7月23日の「たりたの日記」にこの詩のことを書いている。 あの時、聞いた長岡輝子さんの朗読の声で、今も、その詩が聞こえて来る。朗読はその人そのものという事を、この詩を思い出す度に思う。あの時、一度だけラジオから流れてきたその朗読を聞き、その後は聞く機会もないままだったのに、わたしの一部になっているように、その朗読はそこにある。
父親の自宅介護をしている友人の姿と、その父親の姿の上に、もうすでに他界した父母の姿の上に、この病院に入院している寝たきりでいらっしゃる方々の上に、この地上で終末や、病に向き合っている方々の上に、この詩が重なって聞こえて来る。 そして、何もできずに、多くの方から祈られ、支えられている今のわたしの上にも。
薬を飲む事がまるで、仕事のよう。ずいぶん沢山の薬を飲むので、その薬についてよく把握しておきたいとも思う。 今日は、その薬の事を書いておくことにしよう。
まず、胆管がんの手術の後から2年半飲み続けている、お馴染みの消化を助ける薬が3種類
*リパクレオンカプセル (消化酵素) *ミヤBM(整腸剤) *ランプラゾール(逆流性食道炎)
次に鎮痛剤 *オキシコンチン錠 15mg(医療用麻薬) *オキノーム 頓服として 10mg( 医療用麻薬) 帯津で新たに加わったもの2種 *トラムセット配合剤 *アヘンチンキ 10mg (モルヒネ系)
薬の中心は4種類の鎮静剤で、その中で、オキノームは、必要に応じてもらうことになっている。痛みを我慢しすぎると後後、響くので、痛くなりはじめたら、すぐに持ってきてもらうようにしているものの、効かない日は1包飲んでも効かず、2包、3包と増えてしまう。
次に漢方薬。 しばらくお休みしていたが、しらべてみると、腸の働きをよくしたり、利尿作用があったりと、今の状態によいと思われる効用があることが分かってきたので、再開することにした。
*桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ) 腹部をあたため、腸の働きを良くする
*茵蔯五苓散(インチンゴレイサン) 体内の余分な水分を取り除く効果、炎症、黄疸の改善
* 6種類の生薬
そして、ホメオパシー。 先週の火曜日からスタートした。こちらは初めての体験。 処方していただいたものは *レメディArs 30c 今日、新たに処方されたものは *レメディArs 200c。よりエネルギーを高くしたものということ。
それにしても、昨夜は、便秘の苦しさで、眠ることができなかった。この手の痛みは、オキノームでは、どうにもならないから、マッサージをしたり、教えていただいたばかりの丹田呼吸法を試みたり、ネットで調べた、耳ヨガや、体操をしてみたりと、ありとあらゆることをやってはみたものの効果はなく、これはもう、完全に腸閉塞になっているのではないかと思っていたところ、今朝、大量の排便。無事開通。今朝は腹痛からも解放されている。感謝。 これを繰り返さないよう、努めて、身体を動かすことをこころがけよう。
そうそう、昨日の夕方、痛いお腹を抱えて、ヨーガ療法のクラスに出てみた。わたしが 1年間学んだ、ニケタンのヨガ療法指導者コースのヨーガ療法士によるクラスだったが、とても素晴らしいクラスで感銘を受けた。もっと身体の調子が良い時にまた受けたいものだ。
7月1日、年間第13主日。 ミサに出かけることはできなかったが、次男一家は徒歩10分のところにある、大阪梅田教会のミサに出席し、お嫁さんから、この日の礼拝のプログラム「聖書と典礼」がラインで送られて来た。 ラインには「タリタ クム が出てきました!」とあった。
<子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた > で、その場面のモザイク画が表紙に用いられていたからだ。
「たりたくみ」わたしのもう一つの名前はここからいただいた。 わたしが子どもの頃から青年期にかけて馴染んで来た口語訳聖書は 「タリタ クミ」(少女よ起きなさい) と訳されていて、今でも、そちらの言葉の方がしっくりくる。そして、繰り返し、この言葉に起こしていただいたことを、今も日々支えられていることを感謝に思う。
ヤイロの娘を癒すイエス 14世紀 モザイク画 イスタンブール カーリエ博物館所蔵
このテーマで多くの牧師や司祭が書いたり、説教したりしているが、このような文章を 余生風blog というブログで見つけたので、最後の部分、シェアします。
それは「わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11;25)と言われたお言葉と呼応する。真に生きるとは何か。主の死と復活によって実現した神の国で生きることにある。人は必ず死ぬ。だから、あの少女もやがて年老いてまた死んだはずだ。それなのに主は一度彼女を蘇らせなさった。それは彼女がいつまでも地上で生きるためではなく、いつか神の国で永遠の命を得て生きるため、そして私たちがそこから信仰の神秘を学ぶためであった。
余生風blog より http://josef.blog69.fc2.com/blog-entry-209.html
2018年07月01日(日) |
やっぱり家はいいなぁ |
月並みな言葉だけれど、 やっぱり家はいいなぁ。 とりわけ、風。 開け放した窓から入ってくる夏の風。 エアコンの苦手なわたしにとっては何よりありがたい。
昨夜は、入浴剤を入れ、ラベンダーとフランキンセンスの精油を垂らしたお風呂に2回浸かり、夜は例のごとく、トイレとの往復はしたものの、眠れないままに、ベランダのガラス戸を開いて、月や星を眺めたりした。
お腹の調子は落ち着かないでも、痛みさえ、痛み止めで、コントロールが効くなら、高熱が出てる事もなくなったし、家で過ごせるような気もする。でも、びわ温灸、鍼治療、アロマテラピー、気功など、集中して免疫力を上げるためには、最低でも、後1週間は入院した方がいいだろう。
一昨日の帯津先生の講話の中で、印象深かったのは、代替療法は病気を治すのではなく、命を観るという療法、だから、病気の治療のさらに上を目指すことと言う話だった。 この話を、思いがけなく病室を訪ねてくれた、鍼灸氏のSさん(彼女とは、グレゴリオ聖歌入門コースで知り合ったのだが)と一緒に聞くことができた事もよかった。
最近、夫も免疫力や自己治癒力や、ツボについての知識を身につけ、フットマッサージを施してくれる。
さて、気分の良い内にヨガをし、お湯に浸かるとしようかな。
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