たりたの日記
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2018年06月30日(土) |
気功とセラピーの1週間 |
6月22日に、体験入院などいった悠長な選択肢はなく、駆け込みで、藁にも縋る気持ちで帯津三敬病院に入院して、1週間が過ぎた。 病状として、よくなっている点はまず熱が出なくなっていること。この熱には12月以来悩まされてきたことなので、まずはうれしい。 問題のステントもうまく機能を果たしてくれているようで、黄疸の問題からも今のところ解決されている。
残る問題は、腹痛と下痢なのだが、これが、なかなか悩ましい。様々に痛み止めを追加しても、もうひとつおもわしい結果に至らず、きりきり、ヘロヘロ、トロトロに加え、ゴロゴロが加わり、トイレの中に閉じ込められる時間は多い。下の売店に行く時にすら、ゴロゴロの対策で、一通りの着替えを持ち歩く。
この病院にも魔法の薬なんてないのだが、ただ寝ていその時をやり過ごすということの他に、わたしのようながん患者が行なうことのできるプログラムがいくつも用意されている。 また、動くことはできない患者でも、ベッドに寝たまま、鍼や、アロママッサージ、びわ温灸などを施してもらえる。
ここに来た時には、気功や太極拳などはとてもやれないないだろうと思っていたのに、けっこう、朝7時20分からの気功や太極拳には出ることができ、開催されてい早朝の5つのプログラムの内、4つに参加することができた。朝は比較的調子がよいのも有難い。
昼間の、プログラムは、その日の体調と相談しつつ。どれも、癌の患者さん達のためにアレンジされたものなので、無理な動きというものはなく、これをきちんとやれれば、お腹の調子も整っていくのではないかという希望が持てる。
それにしても、気功と言っても歩く気功から、太極拳、呼吸法と様々。外から気を入れてもらう「外気功」はこれまでに馴染んできたスピリチュアールヒーリングそのものという気がした。
1日に20分から30分ほどの、気功や太極拳のクラスが3つから4つあり、名誉院長の帯津氏のお話も、週2回あり、なかなか、ためになるホッとな話題の楽しい話だ。道場で開催されているプログラムのうち、これで半分は体験できたかな。
この、道場でのプログラムの時間を待って病室にいると、びわの葉のエキスで、身体を温めなから施術してくれるびわ温灸師、伝統的な鍼灸の施術師そして、アロマオイルをその人の体調に合わせて調合し、それでマッサージを施してくれるアロマセラピストが訪ねて来てくれる。びわマッサージは週5回、鍼とアロマは週2回。
鍼灸のつぼについても、アロマの精油の効果効能についても、知りたいことばかりなので、興味深く、つい、いろいろ質問してしまう。
この他に、心理カウンセラーによる、カウンセリングや、イメージトローニングの個人セッションが、無料で提供され、週一度の音楽療法は、参加者のみなさんで、なつかしい歌や童謡などを歌うのだか、こちらも個人的に時間を取って、自分の求める音楽と触れ合う時間が持てるような機会を持つこともできそうだ。もう、声も出なくなったと思っていたのに、わたしの母親くらいの年齢の方々となつかしい歌を歌いながら、こんなふうに素朴に歌う事の喜びも忘れていたなと思う。
ここまで、書いてみて、なに、わたしって、この1週間、こんなに元気に合宿生活していたっけ?とわれながら頭をかしげるが、 お腹のきりきりやゴロゴロの不快感、食べ物が目の前に出てきたら、おおよそ拷問としか思えないような食欲不振、本にも、音楽にも集中できない、ヘレヘロ状態と同時進行で日々が過ぎる。以前のように、食べ物が美味しいと感じたり、スタスタと歩けるような日が来ることが今は夢のような事に思える。痛みのために、脂汗がひたいに滲む、そんな日常ではあるのだが。そんな時には、「主よ、哀れんでください」という短い祈りを繰り返す。夜中に起きて再び眠りにつくのが難しい時には、ロザリオの祈りを唱える。
実は今日は外泊許可をもらっているので、 午後から自宅で過ごし、明日の午後、またこちらにもどってくるという予定。 今のところ、お腹の調子は落ち着いている。 なんとか、念願の、自宅のお風呂にどっぷり浸かりたいものだ。
入院初日の事を記しておこう。
この病院は全室個室だが、差額ベッド代がかかる病室もあり、そこはびわ温灸、鍼治療、アロマテラピーがベッド代に含まれる。
一つだけ空いていた部屋は、これにさらに、トイレの付いている部屋で、わたしにとっては一番都合のよい病室だった。差額ベッド料金も、今まで入院していた病院とほぼ同額!
いくつかの検査の後、さっそく病室へ。 すぐにびわ温灸の治療者が治療を開始してくれる。 ひわ温灸はびわの葉のエキスを用いら温灸器でツボや患部を温めて行なう施術で、免疫、代謝、循環のサポートをするというものらしい。便秘や下痢に効果があると聞き、ぜひとも受けたいと思っていた。
午後からはアロマテラピストによるアロママッサージ、それに続き、鍼灸師が鍼治療を施してくれる。
緊急の入院だったのにもかかわらず、3つもの施術を受けることができたことはラッキーだった。 午前中まで止まらなかった下痢も落ちついていたので、一眠りした後は、毎週金曜日の4時半から5時半まで行われる、帯津名誉院長の講話も聴くことができた。 いろいろと興味深い話を伺うことができた。 帯津ファンの女性たちの求めに応じて帯津先生がハグをするのを遠くから眺めていると、今日入院したあなたともハグしましょうと、ビッグハグ! 書物を散々読み、感銘を受けてきた帯津先生とのスキンシップはまさに、彼の主張してきた患者と医者の全人的な関係を表していた。
土、日曜日はプログラムがお休みで少し残念だが、毎朝7時半の気功に始まる月曜日からの代替療法のプログラムに備えて、身体を整えるとしよう。
夕方から深夜にかけての腹痛やトイレとの往復は今だに続いているものの、日中の痛みはほとんどなく、エネルギーは高まっている。
昨日はベトナムに戻る長男一家が病室を訪ねてくれたが、子ども達とは笑顔で接することができた。声が元気で、ハリがある声に戻ってると安心してもらえてよかった。
2018年06月22日(金) |
ホリスティック治療のための入院 |
この日の9時半、ホリスティック治療を取り入れている、帯津三敬病院の診察予約を頂いていた。 当初の計画では、この日に診察を受け、よく週か、7月に入ってから、この病院に入院をと考えていたが、下痢止めの甲斐もなく一晩中、下痢が続き、食事もほとんど摂れないので、ベッドの空きさえあるようなら、そのまま入院させていただこうと、夜中に、入院の支度をしておいた。
帯津先生の診察を受け、部屋も一部屋空いているということで、希望した通り、そのまま緊急入院ということになった。 ホリスティック治療開始。 今日は2日目、すでに手応えあり。 詳しいことは、次回の日記で。
2018年06月21日(木) |
智ちゃんのアロママッサージ |
19日に大宮の病院を退院し、長男一家が待っている自宅へ。
やっぱり自宅はいい。 植物も枯れずによく育っていて、秋に剪定してすっかり丸坊主になっていた、ハナミズキや月桂樹の枝も緑に覆われている。
そして、賑やかな子どもたちの声! わたしは2階の寝室で寝ている時間が多かったが、子ども達の泣いたり、笑ったりする声が届く。
リビングルームにいる時にはソファに横になり、子ども達の様子を眺めるのが嬉しい。
お嫁さんの智ちゃんが、食事の支度をしてくれるので、もう、全部おまかせ。 病院のお粥よりもうんと美味しいお粥や、甘辛く煮た椎茸を混ぜこんだチラシ寿司を作ってもらう。残念なことに、少ししか食べられないのだが。
しかし、腹痛と下痢は病院にいる時より強くなっているようで、痛み止めで凌ぎつつといった感じで、キリキリ、ヘロヘロが、すっかり日常になってしまっている。
そんなわたしを見兼ねてか、智ちゃんが、お母さん、アロママッサージをしましょうか。お部屋を暗くして、音楽を流しながら。 マッサージオイルはありますか? と申し出てくれる。
自分でアロママッサージをすることはなかったが、先週、次男がインドへ出張に行った折に、アーユルヴェーダというブランドのアーモンドオイルをお土産に買ってきてくれていた。そのオイルに、フランキンセンスやパインなど手持ちのエッセンシャルオイルを混ぜ、急ぎアロマオイルを作る。
子ども達はパパとお祖父ちゃんが面倒を見てくれ、智ちゃんは2時間近くもアロママッサージを施してくれた。 特に習ったわけでもなく、YouTubeなどでやり方を覚えて、時々子ども達にもやってあげるということだったが、それはプロ顔負けの上手なマッサージ。深い呼吸をしながらの心のこもったトリートメントだった。 鳥のさえずりのバックグラウンドミュージックも心地よく、ステンドグラスランプのやわらかな赤い光が真摯で美しい智ちゃんの顔を照らし出していた。なんという幸せな時間だろう。
ねえ、こんなに長い時間、疲れるでしょう? ぜんぜん。わたしもリラックスして癒されてますから。
翌朝、そしてその次の夜も、マッサージタイムを持ってくれた。その時間は不思議に痛みが消えるのだった。身体全体の血流がよくなり、リンパが流れるように思う。今はわたしの身体は痛み止めより、こういう全身的なケアを必要としているように思う。
それにしても、彼女のマッサージは単にテクニックだけではなく、天性の癒す力があるなと思う。
その後も、腹痛と下痢による、キリキリ、ヘロヘロ、トロトロは1週間続き、薬が効いている時間も少なくなり、オキシコンチンは10mgを、多い時には日に6包持ってきてもらう。それでも痛みがなくならないのは、やはり、門脈への血流が悪くなっているため、腸が腫れて、そのため起こる腹痛や下痢だかららしい。おまけになったことのない痔にもなり、トイレとベッドの往復で1日が過ぎた。 12日から個室に変えてもらったので、気は楽だったが。
一方で、黄疸の数値は3に下がり、肝臓の機能は回復しつつあり、こちらの病院での治療の目的は一応達成できたということで、山のような薬を持って、今から退院。
昨日から一時帰国で、ベトナムの長男一家が帰ってきていて、今日は一緒に過ごすことができる。
わたしは3人兄弟で弟が2人いる。 上の弟は2つ下のMで、金沢の福祉関係の大学で教えていて、3人の男の子の父親。 下の弟は、「育つ日々」に、東京オリンピックの年に生まれたこの弟の出産の時の事を書いているが、8つ年下のK、2人の男の子の父親。熊本に住んでいたが、数年前から単身、父母が他界し、空き家になった大分の実家に戻り、幸い、県立大学の進路担当の職を得、一人暮らしをしている。 Mはシリアスな病気を抱え、Kも病気持ちで、とても健康とは言いがたく、母が生きていた頃、「あんたが、家族の中で、一人だけ元気で頼りにしているだから、事故なんかに合いなさんなよ」と、わたしの山行きや、一人旅を心配していた。
この日記を読んで、わたしが元気な内に会いに行こうと思ってくれたのだろう。 Mはこの春金沢市役所に就職した長男Y(Y のまだ小さかった頃の事をこの日記のごくごく始めの頃に書いている)をお供につけ、Kは大分から朝1番の飛行機で、病院まで来てくれた。 久々の再会。なつかしく嬉しかった。 ちょうど、ベトナムから長男、大阪から次男も来ていたので、夫も入れて、5人の男子からベッドを取り囲まれる格好になった。
2人の兄弟達と3人の従兄弟どおし。下の弟が、小さかった子ども達が大きくなったよねと感慨深気だった。三家族とも遠く離れてはいても、子ども達が小さい時に何度か会う機会もあった。いつも身近にいたわけではないので、突然大人になった甥っ子達の姿に驚き、感動するのはわたしも同様だ。 昔の話や近況報告もしでいたような。わたしは、頭がぼんやりした意識の中で、みんなの楽しげなやり取りを聞きながら、幸せな気持ちでいた。忙しい中、また、それぞれの身体の具合もあまりよくない中、こうしてみんなが集まってくれたことが嬉しく思われた。
この日、夕方7時半に、英神父が病室をお訪ね下さり、病者の塗油をして下さる。 ちょうど、長男が仕事の関係でベトナムから戻って来ていたので、夫と長男も同席し、祈りのひと時を過ごす事ができ、感謝だった。
昨年4月、夫と共にカトリックへの改宗式のミサに与った後、ザビエル聖堂で、病者の塗油をしていただいたので、今回が2回目。
いつも夕方から痛みや下痢が強くなるので、この時も、痛みの中にあったが、無事、病者の塗油を受けることができてよかった。 この前の病室での堅信式のように、その後で、神父を囲んでお話しをする事は出来なかったが、病院の帰り、神父が夕食にお付き合いくださり、夫と長男と三人で話しをする機会を持って下さったのは嬉しい事だった。
長い間、教会を離れていた夫と息子達が、こうして神父と親しくなり、神父を通して、再びクリスチャンホームとしてひとつになっていく事は、ほんとうに大きな喜び。 クリスチャンホームを築きたいというのは、わたしの若い頃からの、おそらくは、まだ小さい頃からの夢だったから。
帰り際、わたしの父の子育てと、子ども達が育っていく日々を書いたものですと、「育つ日々」を差し上げた。
<参考までに>
病者の塗油(びょうしゃのとゆ)
ラテン語: unctio infirmorum[1]、英語: anointing of the sick)はカトリック教会の七つの秘跡のひとつ[2]。 古代から行われていた病者への塗油は、時が経つにつれて臨終にある者に対してのみ行われるようになったため「終油(しゅうゆ)の秘蹟」と呼ばれるようになっていたが、第二バチカン公会議後の1972年に秘跡の由来と本来的な意味の見直しが行われ、対象を臨終のものに限らず行われる「病者の塗油」という名前に改められた[2]。カトリック教会では新約聖書のヤコブの手紙5:13-16を論拠に初代教会の時代からこの儀式が行われてきたと見なしている[2]。
ヤコブの手紙5:13-16
13 あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。 Are any among you in trouble? They should pray. Are any among you happy? They should sing praises. *14 あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。 Are any among you sick? They should send for the church elders, who will pray for them and rub olive oil on them in the name of the Lord. 15 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。 This prayer made in faith will heal the sick; the Lord will restore them to health, and the sins they have committed will be forgiven. 16 だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。
2018年06月11日(月) |
トロトロ ・キリキリ・ヘロヘロ |
ここしばらく、日記が更新できなかった。 医療用麻薬オキシコンチン5mgはほどなく効き目がなくなり、5mgずつ量が増え、今は1回15mg。一日2回、30mg飲んでいる。その為、日中はほぼ トロトロとしている。動作が途中で止まってしまう。
で、7、8時間もすると、薬の効き目が下がるからか、いきなり キリキリがやってくる。 「クスリ、クスリをくれ〜」という感じでナースコールのボタンを押し、突然の痛みに対処し、一日何度飲んでもかまわないというやはり、医療用麻薬のオキシノーム5mgを持ってきてもらう。 この薬の場合、まず待たされることはない。 薬は看護士の目の前で飲む事になっており、薬の空き袋は切れ端にいたるまで、看護士に手渡す。何でも、金庫に入れて保管するらしい。
それでもキリキリはすぐに無くなる訳ではないから、ノニジュースを飲んだり、深呼吸をしたりする。 もう少し、ヴィパサーナ瞑想の修行を積んでいたら、こういうきりきりに巻き込まれず、自分の感情をそこから切り離すこともできるのだろうが…
それでもその内にトロトロがやってきて、夢現の中で、一日が終わりに近づく。
で、悪夢はこれから、夜になると、これに腹水による圧迫が加わり、そうなると、キリキリとは違う重くるしさが加わり、ヘロヘロになる。利尿剤を飲んでいるから、ヘロヘロしながらも1時間置きに目が覚め、トイレへ。
そして、外が明るくなる頃、ようやくトロトロが降りてくる。
このキリキリは胃腸の粘膜がやられているせいで、抗生剤の投与さえ終われば解放されると思いこんでいたので、この抗生剤も10日になるので、もう終わりにしたいと、今朝、医師に話してみる。
そうですね。熱はこの2日間、高熱にはなっていないし、腹水も溜まっているようだし、一旦、抗生剤を止めましょう。
昨日からその事ばかり祈っていたから、まずはよかった!
それなら、しばらくして腸内バランスが整えば、この痛みもなくなりますよね。医師の表情からわたしはかなり楽天的な事を言ったに違いないと分かる。医師は、そうとばかりは言えない。門脈への血流が悪くなっているから、腸が腫れて、そのために下痢や痛みが起こるのかもしれない。 そんなの聞いてなぁい! なるほど、それなら、ずっと飲み続ける医療用麻薬オキシコンチンの処方も分からなくはない。門脈の血流の悪さに寄るとすれば、下痢や腹痛は続くことになる。
でも、身体をある意味痛めてつけ、自己免疫力を抑えこんでいた抗生剤とはしばらく離れる、この事だけでも気分が楽だ。
自己治癒力、あなたの出番じゃない?とわたしの身体に問うてみる。
さて、今日はここまでまとめて書けたことを前進のひとつとし、しばらく、トロトロしよう。
さて、昨日の日記の続きを。 当時、わたしは、30代から持ち続けてきた子宮筋腫が次第に大きくなってきていて、生理の時の出血も半端でなかったものだから、慢性的な貧血状態で、駅の階段の登り降りも休み休みという具合だった。
貧血が酷くなると奇食になるというが、わたしの場合は、納豆。それまで嫌いだったはずの納豆が突然好きになり、納豆ばかりを食べるようになり、冷蔵庫に大量の納豆のストックがないと不安になるほどだった。この先、納豆だけで、こんなに幸せな気持ちになるんなら健康で安上がりで、なんといいんだろうと思ったりしていた。
定期的な検査でだったか、近くの産婦人科に行くと、貧血が酷いと鉄剤を処方され、MRIを撮ることになった。これはただの子宮筋腫にしては形がおかしいから肉腫かもしれない。早急に手術をした方ががいいと医者。
早急と言われても、来月に歌の発表会があるので、終わってからにしますとわたし。
その若い女医さんはカチンときたのだろう。 いいですよ。どうせ肉腫なら6ヶ月の命なんですから、今の内に好きな事をやればいいでしょうと。 わたしも引き下がらず、それならそうすることにします。 と病院を後にしたのだった。 それまで、そのコンサートの本番を目標にトレーニングしてきたのだからここで止める訳にはいかない。
それでもって、昨日、記した An Evening Hymn (夕べの賛歌)の出番となるが、それからコンサートの日まで、毎日その歌を練習しながら、様々な思いが行き来した。 とりわけ、台所の窓の向こうに傾きかけた西日を見ながら、夕食の支度をしている時など、この歌への感謝と慰めが胸に込み上げてきて胸が一杯になっていた事を思い出す。
But where shall my soul repose? だが、わたしの魂はどこに休ませたらよいのか? Dear God, even in Thy arms. 愛する神よ、御身のみ腕こそ。 And can there be any so sweet security? かくも甘美で安らかな場所が他にあろうか。
もしかすると後6ヶ月の命かも知れない。けれど、子ども達は2人とも高校3年と高校1年、もうわたしがいなくても、充分自分達の人生を切り開いていける年齢まで育った。 長男が10歳の時、交通事故に遭った時の名言ではないけれど、 “l had a good life!”と、いう心境でもあった。
後日談。 無事、コンサートを終え、すぐに評判の良い大宮市の産婦人科を受診した。初めての病院で、初めて顔を合わせる医師だったが、検査の後、次の生理が来る前に手術だ。貧血がこれ以上酷くなると、心臓にも負担がかかり、手術ができなくなるからね。スケジュール表を手に、この日に手術します!と有無も言わせぬ勢いで、数日後の手術日を言い渡された。
家族に相談するいとまもなかったなぁと、ぼんやり病院から駅までのバス停に向かって歩いていると、道路を横切る数人の人に混じって移動している作業着姿の夫の姿が見えた。 まさか、こんなところで、会うなんて! 普段はこの時間にここを歩く事なんてないのにと夫。 ともかく、最新のニュースをいち早く伝え、なんだかほっとして家まで戻ったことだった。
自信満々の元気な医師による手術は無事に終わり、その後の細胞検査の結果、肉腫でないことも明らかになり、その後、55歳で乳癌の手術を受けるまでの10年間は、子ども時代も含めて、一番体力に恵まれた時期だった。
スポーツジムに通い、夫共々ダンスに打ち興じ、百名山を制覇しようと野心を燃やし、毎晩欠かさず焼酎の晩酌をするという豪快さだった。老父母を見送り、乳癌の手術をした後は、再発する事を考えたら今しかない!とばかりに念願のバックパッカーとなってフランスの田舎へ巡礼の旅にも出た。
今はこのようにヘロヘロであっても、l had a good life! ま、痛み止めが効いて熱がない、今だから、言えるのだけどね。 さて、午後からの熱に備えて、少しでも筋力を取り戻すために歩いてみよう。
それにしても、医療用麻薬、オキシコンチンの力はすごい。感謝!
2018年06月04日(月) |
An Evening Hymn (夕べの賛歌) |
ここ2週間ばかり、午後の日差しが傾きかける頃になると決まって頭の中で響いている歌がある。イギリスの作曲家、ヘンリー・パーセル(Henry Purcell, 1658-1695)の An Evening Hymn (夕べの賛歌)という歌曲。
まだ、「たりたの日記」以前、40歳頃から4年ほど、波多野 睦美さんの声楽のレッスンを受けていた事があった。彼女の歌う、ダウランドや古いイギリスの民謡などの古楽の独特な歌い方や発声方に憧れて、弟子入りしたのだった。
そのスチューデントコンサートが、素敵なデザインの所沢の松明堂音楽ホールで開かれたが、おそらく2000年、44歳の時のコンサートの時、1曲は、つのださんのリュートの伴奏でダウランドの曲を歌い、もう1曲、ポジティブオルガンの伴奏で歌った歌が、このパーセルの An Evening Hymn (夕べの賛歌)だった。
あの時以来、歌う事も、聞くこともなく、今は楽譜もどこにあるのか分からないほど。歌詞も忘れ、メロディもところどころしか思い出せないのに、不思議なようにその歌い出しやリフレインの部分が頭の中をめぐる。そこで、ネットで調べ、ようやくその歌を記憶の中から取り戻す事ができた。 そして、改めて、この歌に慰められている。 また、この歌を知ることができて、どんなに良かったかと感謝に思う。
この歌については、当時のことで、記しておきたいエピソードがあるが、今日のところはここまでにしておこう。
歌詞は以下の通り、CDやYouTubeでは様々な方が歌っているが、私は、エマ・カークビーの歌っているものが好きだ。
歌詞は フラー (William Fuller,1608-1675) によるもの。
An Evening Hymn (夕べの賛歌) Now, now that the sun hath veiled his light, 今や、今や太陽はその光を覆い隠し、 And bid the world goodnight, 世界は心地好い夜に身をゆだねる。 To the soft bed my body I dispose; 柔らかな寝床へ、わたしも身を横たえる。 But where shall my soul repose? だが、わたしの魂はどこに休ませたらよいのか? Dear God, even in Thy arms. 愛する神よ、御身のみ腕こそ。 And can there be any so sweet security? かくも甘美で安らかな場所が他にあろうか。 Then to thy rest, O my soul 安息に入るときには、わたしの魂よ、 and singing, praise the mercy that prolongs thy days. ほめ歌え、讃えよ、日々限りなく続く主の憐れみを。 Hallelujah. ハレルヤ。
↓ An Evening Hymn (夕べの賛歌)
丸々一週間、書けないでいた。 腹痛と下痢で、身体に力が入らないというヘロヘロ状態だった。痛み止めのプスコバンも、2時間くらいしか効かないので、後は痛みと付き合うしかない。ほぼベッドの中でうつらうつらしながら何もできずに時間が過ぎる。
腹痛と下痢の理由は、ここ2ヶ月ばかり続いてる抗生剤の副作用という事は明らかなのだが、どうしても午後から熱が出るので、抗生剤を止める訳にはいかない模様。
腹痛のため食事が取れないから、力が入らない。さりとて、点滴で栄養補給をするとなると、またあの腹水の苦しみ。強い利尿剤でせっかく腹水の問題が解決できたのに、あの苦しみはもう勘弁。それに腎臓に負担がかかるから強い利尿剤はそうそうは使えないとのこと。 わたしとしては取り敢えず、腹痛を軽くしてもらいたいと医師に嘆願。
で、金曜日の夜から一旦、抗生剤を止め、オキシコンチンという医療用麻薬を12時間おきに、副作用の吐き気止め、ノバミンを毎食後に服用する事になった。
これで痛みはピタリと止まるか、と期待したものの、意識も朦朧とはならない代わりに、痛みも2時間くらいは無くなっても、それからまたじわりじわりと押し寄せてくる。で、これは我慢できないなというところで、解熱・鎮痛剤の点滴をしてもらうという具合。幸い、この点滴は良く効くので、夜中は比較的よく眠れるようになった。
せっかく抗生剤から解放され、腹痛問題もやがて解決と思ったが、昨日は38・5度、今日は39・4度まで上がってしまったので、抗生剤再開。がっかり。 今は解熱・鎮痛剤の点滴が効いていて、辛うじて、少しは書ける気になった。オキシコンチンの効き目が現れてきたのか、力も入る。 スマホを持ったり、文字を打ち込むのにも案外、力が必要なのだと分かる。
ヘロヘロ状態ではあったが、あちらこちらから励ましの便りやメールが届いたり、友人たちがスープや甘酒やフルーツ、夫の弁当などを届けてくれたり、パジャマや寝具の差し入れがあったりと、有難い事だった。感謝!
昨日、今日と、大阪の次男のファミリーが訪ねてくれ、4ヶ月振りに可愛いい盛りの孫の姿を見て、喜びと力をもらった。
夫には毎日わたしの辛そうな顔ばかり見せることになり、申し訳なかったが。 明日からは、何とか、少しでも元気になれるといい。
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