たりたの日記
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2018年02月28日(水) 今日アップした3つ目の日記

今日は朝から長文の日記を2日分アップしたので、今日の分は短く。
明日、退院決定!
黙想のトレーニングは充分だったとは言えないけれど、適度な断食もし、よい四旬節の時期を過ごすことができた。感謝!

4月1日のイースターまで、後一月の四旬節。
願わくば、体調のよい日々でありますように。
だんだん春らしさを加えていく、祈りの道のウォーキングもできるとよい。


2018年02月27日(火) 可愛いお客様さま

今日は可愛いお客様があった。
1歳2ヶ月の女の子!
その子のママは幼稚園の頃から知っている、Mちゃん。
ずいぶんと久しぶりの再会だった。すっかりお母さんの顔になっていて、びっくりする。
そのママのママに
「Mちゃんはあなたより、お母さんらしい顔になってるよね」なんて言ったが、よくよく見れば、彼女は確かにお祖母ちゃんの顔になっているなぁ。
まあ、わたしもそうなのだけど。

元気に歩き回る好奇心旺盛の1歳児のお尻を追いかける母親と祖母を見ながら、何とも微笑ましい気持ちになる。
アメリカ滞在中に知り会ってから、いろんな波乱万丈をお互いにシェアしてきた事を思えば。

お祖母ちゃんになった友人が作ってくれた野菜のポタージュスープは何とも優しく滋養に満ちた味だった。
彼女はそのポタージュスープのような愛情でもって母親に成り立ての娘と、この世の生を始めたばかりの孫娘を支えていくのだろう。
この三世代の母達、娘達に祝福がありますよう。

ところで、この日は、FEBCネットラジオで英神父の「イエスの生涯を黙想する」という番組から 「主の晩餐ー四つの動詞からの黙想 ルカ22:14〜23」を聴き、それを元に黙想した。
四つの動詞というのは、最後の晩餐の時、イエスが弟子達の前で パンを「取り」、それを「祝福し」、それを「裂き」、それを弟子達に「与えて」言われた、、、
という4つの動詞。
その存在を手にとられた自分
その存在を祝福された自分
その存在を裂かれた自分
その存在を与えられた自分
について黙想する。
料理は美しく並べられそこに飾られただけではやがって腐ってしまう。
人々に分け与えられ、裂かれ、細かくされることで消化され人々の滋養になり、料理の目的を果たすということ。

深い黙想を体験した。祝福も恵も多かったが、裂かれた事柄もまた多くあった。ある意味、まだ、今も裂かれつづけている。
裂かれた自分をどう与えてきたのか、今与えているのか、これからはどうなのか、そんなことも。

若い母親は子育ての中で裂かれていく。
たくさん裂かれて砕かれた祖母たちは、子どもや孫になにかしらのものを与えることができるのかも知れない。けれどもそれで終わりという事はない。すっかり与えられるようになるためにはきっともっともっと裂かれ、砕かれていくよう人生は終わりの時まで進んでいくのだろう。


FEBCネットラジオ の番組はこちらから↓
英神父の「イエスの生涯を黙想する」




2018年02月26日(月) 石牟礼道子「苦海浄土」のこと

この日、月一度の正津文学ゼミ。テキストは石牟礼道子著「苦海浄土」。残念ながら参加はできなかったが、私とこの本のかかわりについて書いておこう。

この本がテキストに決まったのは1ヶ月前。
私は、持っているはずの「苦海浄土」の初版版を書架に探した。学生の頃に手に入れたものだ。それ以来、引っ越しする度に持ち運び、団地で家庭文庫を開いていた時は文庫の本棚に並べ、アメリカ滞在にも持っていき、当然今の家にも運んできた。捨てられない本だった。一旦そこを開けば、そこには水俣の苦しみがあり、そこにしかない特別な世界がある。けれど重い。へらへらとした日常の日々の中でそれを開くことはできない。けれども忘れてはいけないと思っていた。石牟礼道子という尊敬する作家と繋がるための一冊でもあった。

ところが、その本がないのである。もしかして捨てた⁉
昨年の暮れあたりに夫と口論した夜、怒りにまかせて断捨離モードに走り、持ち続けてきた本の多くを段ボールの箱に詰め込み処分してしまった。もう長くはない残り時間の中で開くことはないだろう本、残しておいても誰も読まないだろう本、古くて虫がわきそうな本は迷わず詰め込んだ。あの中に入れてしまったのだ。石牟礼道子著の「あやとりの記」も一緒に。その時の気分は、もう「苦海浄土」は手放してもよい本になっていたのだろう。

その浅はかさを後悔しつつ、講談社庫版をアマゾンから取り寄せた。新しい文庫本というのが、未知の本に会うようでもあり、再会を気楽にした。
身体の具合が悪い時だったので、この本は、ほぼベッドの中で読んでいた。石牟礼道子が語るその世界に入り込み、彼女と共に水俣の海を眺め、彼女が見つめる水俣患者をまたわたしもその同じ距離で見つめていた。自分が抱えている病気が、そうする事を以前よりも軽く、しかも親密にしている気がした。そんなふうにその本を読み進めていた最中、20日未明に石牟礼さんが亡くなったという事を知った。不思議な気持ちに打たれた。

20代のわたしがこの本を手にする前に、1人の若い詩人が描く水俣の詩を通して水俣が自分の内側に入って来るという出来があった。その時の事は、たりたの日記 2001年6月30日に書いてあるが、その後、「苦海浄土」を読み、ユージン・ スミスの写真に打たれ、砂田明さんの 一人芝居「海の魚」に掴まれた。水俣の言葉は佐賀に住む祖母や伯父や従姉妹達の言葉づかいとよく似ていることもあり、訪ねる事もなかったのに、水俣は親しい特別な場所として「苦海浄土」の本と共に、いつも傍らにあった。

公害や環境破壊に対する警戒や怒り。持てる者が持たないものを食い物にしてさらに肥え太っていくといういつまでも変わることのない社会の構造への批判はそこから養われてきたのかもしれない。

けれど、多くの影響を受けながら、その本を開かないまま書架に並べておくのと同じように、水俣の事には耳そばだてながらも、石牟礼さん達の戦いに参加する事もなく、何の行動も起こすことができなかった。他の社会的な事がらにも行動らしい行動を起こさず、加わらずに日々が過ぎていった。その後ろめたさもずっと持ち続けてきた。

この日、まだ少し残っていたこの本を読了したが、読了!といった感覚はなかった。少なくとも、あの断捨離モードの時に本を迷わず捨ててしまったところにはもう戻れない。
新たな、そして必要な再会が始まったという気持ちがあった。




2018年02月25日(日) メディテーションは自主トレで

8日間のキリスト教的ヴィパサーナ瞑想をキャンセルした事は残念だったが、この時ではなかったのだろうと思った。同時に、もうこのチャンスはないかも…という動機で申し込んだ事に疑問も湧いてきた。
この後に及んで、私はまだ何かに誰かに頼って、その指示の通りにトレーニングを受けたいと思っていた事に気づく。
もう散々、そういう事はやってきたでしょうと自分にツッコミ。
振り返ってみれば、
40代の頃のメディテーションやヒーリングのワークショップ。
カトリックの神父によるサダナの黙想会。
韓国人シスターによる10日間の黙想会。
キリスト教的ヴィパサーナ瞑想の、日帰り、1泊2日、3泊4日それぞれ。
教会での1日及び泊まりがけ黙想会を数知れず。

それでもなお、黙想のトレーニングのために出かけなければと思っていたが、もう何かに頼ろうとするのではなく、自分自身で見出しなさいというメッセージを今いただいているのだろう。

昨日から「Mindfulness and Christian Spirituality---Making space for God」という本を読み始めた。
この本は、予定していたヴィパサーナ瞑想を担当されるイエス会の柳田神父が今翻訳準備中の本で、月一度のキリスト教的ヴィパッサナー瞑想の勉強会のテキストに用いられるということだった。この勉強会には参加できないので、原書だけ以前に取り寄せていた。

マインドフルネスのメディテーションは仏教のヴィパサーナ瞑想から宗教的なものを排除したもので、今は企業や学校と様々なところで取り入れられているが、そのマインドフルネスを通じて、キリスト者の霊性を深めることができること、またマインドフルネスの中に見出すことができる 福音書の言葉や、様々なキリスト教的アプローチが紹介されている。たどたどしい読みでなかなか進まないが、じっくり学ぶにはタイムリーなテキストに違いない。こちらも自主トレ。

今日は日曜日。昨日は玄米スープを作って持って来てくれた夫が今日はわたしのリクエストで野菜たっぷりの焼きそばを作って持ってきてくれた。家族談話室を借り、家庭礼拝をしようと夫。彼によれば、前日わたしの持ってきてリクエストが多くてキレたことへのお詫びという気持ちからだって。ともあれ、今日の聖書の箇所を夫の朗読で聴き、2人でささやかな日曜日の礼拝を守る。なんと幸いなこと。

夕食後をメディテーション実習、黙想の時間に当てている。
昨日はマインドフルネス瞑想を1時間、クレンジングと祝福を祈る黙想を1時間行った。
マインドフルネスは音声ガイドに従いながら自分の呼吸に集中する瞑想や聴こえて来る音に集中するといった方法で。クレンジングは、自分の身体の細部を観察し、そこを光で洗っていくという瞑想。祝福を祈る黙想は、思いつくまま、家族や友人、生徒、これまでかかわってきたあらゆる方々の顔をひとりひとり思い浮かべながらその方々の祝福を祈る。何とたくさんの人との出会いに恵まれてきたことだろう。

日曜日の夜は3時間の黙想。
マインドフルネス瞑想をし、英神父のこの日の説教をネットで聴く。その説教を友人にシェアしたところ、友人が愛猫の看病をしている事を知ったので、その苦しんでるいる猫ちゃんと、猫ちゃんを見守る家族のみなさんに癒しのエネルギーを送る。これは以前に教えていただいたスピリチュアルヒーリングの方法で。イエスがその腕の中に、病んだ猫を見守る家族をそのまま抱き抱えているイメージが浮かぶ。癒すことはまた癒されること。

その後、夜の病室を音を立てないように一歩一歩ゆっくりと歩きながら、歩くヴィパサーナ瞑想。
もっと歩いていたかったが、不審な患者と疑われそうなので早めに切り上げる。

長時間座っていると、腹水の為に胃が圧迫されて痛いので、その後はベッドに横たわったままの黙想。身体に起こる痛みに巻き込まれてることなく、それを観察するという瞑想。さらにそこに光を送る。不思議と痛みがふっと緩む。
「主よ、我らを哀れみたまえ」
自分や友人も含め、すべての創られた者への哀れみと癒しを唱える黙想を最後に、この日の自主トレ終了。


2018年02月24日(土) 今年2回目の入院

後30分で、また点滴に繋がれてるので、その前に急いで書いておこう。

21日の明け方の高熱の後、22日の午後に同じような発熱が起こり、今回は、ちょっと危険も感じて、夫の帰宅を待って、病院へ行くことに、熱のためにふらふらしながらも、入院するのに困らないように、スーツケースに思いつくものをとにかく詰め込む。本やノート、漢方薬、健康食品、梅干しに佃煮、その日作った玄米スープまでも。

肝臓の機能低下はこれまでで一番大きくなっていること。熱の原因は胆管炎によるものかどうかは分からないが、それを想定しての抗生物質投与ということで2週間の入院計画。

毎度の事だが、手帳に書き込んだ予定を眺めながら、バツ印をつける。
来週の英語教室、24日のグレゴリオ聖歌特別講座、26日の「苦海浄土」の文学ゼミ、3月3日からの8日間の「キリスト教的ヴィパサーナ瞑想」…
仕方ない。
せめて入院の場を瞑想のトレーニングの場にしよう。個室でなくても、カーテンで仕切られている空間、テレビも見ないようにすれば黙想の場としては理想的かも。

大分に住む高校の時からの友人が、お孫さんに会いに千葉に来ているというので、昨日大宮で会うことになっていた。こちらもだめかと思いきや、幸いにも、昨日お連れ合いと一緒に病院まで訪ねて来て下さった。
古くからの友と会う時の、今が過去に一気に繋がる不思議な感覚を味わう。成熟し、調和の取れた素敵な祖父母となった2人の姿を心に留める、豊かな時だった。感謝!


2018年02月21日(水) 昨夜の事

浅い眠りの中で曼荼羅を見ていた。円の中央から広がっていく複雑な模様の曼荼羅は色というよりは光を放っているように見えた。中心から次の輪、そして次の輪へ、それは私がやり遂げたいことが、少しずつ満たされて行っている事を示しているのだという認識があった。美しい、象徴的な夢だった。

曼荼羅の絵がまだ残る意識の中で目覚めたのだが、身体の方はそんな平和と裏腹に布団の中にいるにもかかわらずとても寒い。足元にある湯たんぽを抱え込む。デロンギはついているし、エアコンの温度を上げてみても寒さは収まらず、悪寒は痙攣に変わった。12月からこっち、高熱にはなっても痙攣に見舞われる事はなかったので、久々の事だ。この寒さを何とかしたい。せめて、引き出しからヒートテックのスパッツや暖いハイソックスを取り出して履きたいと思うのだが、一度痙攣が起これば、身体を縮めて震えるより他に手立てがない。少しでも足を伸ばそうものなら、寒さが身体をばらばらにしてしまいそうな感じなのだ。

何とか首を回して時計を見れば夜中の3時。夫を起こすには忍びないとしばらく震えていたが、ついにSOS発信。声がでないので隣の部屋で寝ている夫に携帯電話をかける。
ありがたい事にすぐに気づいてくれた。
まず一階からストーブを運んでもらい、部屋を暖めてもらう。サウナ状態の暑さだと彼は言うのだが、私は冷蔵庫の中にいるように寒く、がたがたと震えていて、取り出してもらったスパッツも靴下もとても身につけられない。熱は39・4度。
医師からは39度を超えた場合は救急車で病院へ来るようにと言われていたが、痙攣は熱が上昇するまでの間だけで、一旦上がってしまえば、身体は楽になるし、その後熱も下がる場合が多い。震えながら様子を見ることにする。夫も私も、もう何度となくこういう場面に合ってきたから、それほど深刻ではない。

3時45分、ようやく痙攣が治り、身体の力を抜いて、スパッツや靴下を履き、スポーツドリンクを飲む事ができた。熱は39・9度。
ようやくピークに来て、開放されたのだ。
これまで解熱剤の使用は避けてきたが、この時間に病院へ行きたくはないので、夫の勧めもあり解熱剤を飲む。しばらくして熱を計ると、38・5度に下がっていて、部屋の中も布団の中も暑いと感じられる。ガラス窓を開けて冷たい空気を吸いたいほどになる。もう大丈夫。夫も部屋に戻り、わたしも眠ることにした。時間は朝の4時になっていた。嵐のような1時間の出来事。

朝7時、深い、そして心地よい眠りから目覚める。パジャマは汗で濡れていて、熱が出切ってしまった後の爽快感さえあった。
今日は無理をせず、一日身体を休めることにしよう。
胃腸を休ませるために夕方までは固形物を摂る事もやめておこう。
夕方のクラスはやれそう。

さて、ここからは、振り返り。
いったい夜中の急な発熱は何に原因があったのか。
ここのところお腹の具合が悪く、昨日も完全に良くなっている訳ではないのに、早朝から電車に乗って、都内まで、マイクロ波の治療に出かけた。途中電車の中でお腹がごろごろし始め、ひやひやしながらの移動だった。
治療を始めると、始めの10分くらいで、ものすごい発汗があり、疲労感も今までになく高かった。それでもせっかく来たのだからと、休み休みではあったが、2時間近く治療を受けた。昨日は患者さんが少なかったので治療器を2台使うことができ、ひとつをお腹に、もう一つを背中側に置き、パワフルな治療だった。
治療の後はさすがにぐったりと疲れて、バスと電車の中でほぼ熟睡状態で最寄り駅まで。
朝は夫に駅まで車で送ってもらったので気づかなかったが、ここ数日寝てばかりいたせいで、歩行力が落ちていることが分かる。やっとの思いで家に帰り着いたのが午後2時半。それから、かぼちゃスープと小豆麹のお汁粉にお餅を入れたものを遅い昼食に摂り、一休み。
4時半から6時半まで英語教室2クラス。

ここにもわたしの貪欲さが見えるなぁと反省。
まだ身体の調子がきちんと整っていないのを承知で、遠くへ出かけ、パワフルな温熱治療をした。これは明らかに判断ミス。しかもこの日は仕事も控えていたのだから、出かけるべきではなかった。
病気を治したい一心ではあったものの、身体にはそれに耐えられるだけのパワーがなく、無理強いされた故の深夜の反乱となったのだろう。
けれど、一方では、身体はこうして発熱することで、懸命に癌と闘ってくれているのだとも考えられる。
身体に聴くというのはなかなか難しい。つい自分のエゴが勝ってしまう。自分の身体を自分で治すのだという感覚をもっと研ぎ澄ますのでなければね。


2018年02月19日(月) 玄米スープから始まった日曜日

 日曜日の朝、玄米を炒る香ばしい匂いが台所から二階の寝室まで漂っている。
夫が玄米スープを作っているのだ。
結局、お腹の調子は良くならないまま、昨夜はほぼ1時間おきにトイレに駆け込むというなさけなさ。しかしこれは明らかに自業自得。腸は弱っていて、すでにサインを出しているというのに、わたしときたら、食べたいという気持ちを優先させ、これくらいなら大丈夫だろう、これは消化にいいのだからと、腸を休ませることなく食べていた。

土曜日に何を食べたかといえば、朝食にりんごのヨーグルト和えとにシフォンケーキを少し。昼食にうどんを半分と伊予柑を1つ。おやつに焼き芋半分と夏みかん大の大きな蜜柑を1つまるごと。夕食に焼き芋の残り半分と小豆麹のおしるこ。ま、病人食らしくはあるが、わたしの腸はこうしたものも十分消化できないほど音を上げていたことに気がつかなかったわけだ。というか、身体に甘えた。で身体はわたしに窮状を知らせるべく、必死に警告を発したのだろう。

で、日曜日の朝、頭に浮かんだのは玄米スープ。
料理家、辰巳芳子さんが著書「あなたのために いのちを支えるスープ」の中でいの一番に紹介しているスープだ。
玄米を気長に炒って煎じるというこのスープを以前、何度か作った。身体に優しく美味しく滋養のあるスープであることは十分分かったものの、なんでも食べられる身体にとっては「必要」というところまではいかない。けれど、今はこれが必要、そう感じた。幸い、玄米スープ用に冷蔵庫に保存しておいた玄米がある。夫に作り方を伝え、作ってもらうことにしたのだった。

澄んだたんぽぽ色の玄米スープは梅干しの酸味と塩かげんも丁度よく、言葉の通り身体の細部に染み渡る感じ。これだったら腸への負担もないだろうし、身体は必要な滋養が取れるだろう。


この日ベッドの中で考えたことは、こうなれば、いかに腸に負担をかけない食事をするかが、当面のわたしの課題なのかもしれないということ。抗がん剤の副作用がなくなってからというもの、それまで食べたくない、食べられないと思っていたものが食べられるようになり、食べられるものはなんでも食べようみたいな貪欲さがあったが、その発想を変えなくてはならないな。
断食(ファスティング)や一日一食は身体にとっては良いに違いないと思っていたし憧れもあったが、わたしには無理とばかり実行に移せないでいたが、今は必要に迫られている。断食と癌治療の関係を調べてみると、様々な研究や著書や体験談が出てきた。

余命3ヶ月長くて半年という肝臓ガンの宣告を受けたムラキテルミさんが、朝はにんじんジュース、昼は生姜紅茶、夜は普通の食事というファスティングを行い、13ヶ月後に癌が消えたという講演は印象深かったし、癌患者にとってもファスティングは有効だということが分かり良かった。また、彼女が支持する医師、石原結實著「食べない健康法」も読んでみることにした。

昨日の日曜日は、玄米スープ、かぼちゃのポタージュスープ、小豆麹のおしるこ、マニカハニーという固形物なしの食事に徹したお陰で、昨晩は土曜日に夜のような悲惨な事態を招くこともなく、お腹の痛みも今はない。けれど、腸には何かしらの問題があり、それが解決したわけではないのだから、普通の食事に戻して良いわけはない。身体に負担のないよう配慮しながらのファスティングがしばらく必要となるだろう。このことが、ムラキテルミさんのように癌を消滅させることに繋がるなら、今やっていることにもうひとつ付け加える治療法として価値あるもののように思える。わたしの場合は、スープを中心に持ってくるのがよいような気がするが、それについても調べてみよう。

辰巳芳子さんが著書「あなたのために いのちを支えるスープ」の前書きに「スープに託す」という文章がある。以前は読み飛ばしていたかもしれないこの文章がこころに染みた。
それは夫が玄米を炒り、それを煎じて作ってくれた一椀の玄米スープが、一瞬にして総身にしみわたるとこの身で感じたからだ。
その文章の始めと最後の部分をここに書き写しておこう。

「スープに託す」

「つゆもの、スープ」と人のかかわりの真髄は、と問われましたら、あらゆる理論を超えて、「一口吸って、ほっとする」ところ。いみじくも「おつゆ」と呼ばれている深意と答えたいと思います。
 作るべきようにして作られたつゆものは、一口飲んで、肩がほぐれるようにほっとするものです。
 滋養欠乏の限界状態で摂れば、一瞬にして総身にしみわたるかに感じられるそうです。この呼応作用は、いつの日にか解明されますでしょう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

人の生命のゆきつくところは
愛し愛され、一つになることを願い
それをあらわさずにはおられぬ仕組みを
生きるところにあると思います

人間の尊厳も自由も
互いに愛惜せねばならぬ根源も
ここに、見出されてなりません

これが、スープの湯気の向こうに見える実存的使命です。



2018年02月16日(金) 腫瘍マーカーは上がったけどね

この日、帯津病院と、もう一つの病院と、2つの診察の予約の入っている日。
早朝、夫の運転で川越へ。

ここ10日ばかり夕方の熱について聞いてみた。胆汁鬱滞があるので、それによる熱と伺い、納得がいく。胆汁鬱滞に働きかける漢方薬もあるが、今は、免疫力を最大に上げる、漢方薬とサプリメントを使っているので、もう少し続け、免疫力を高めていきましょうと、その言葉が力強い。
昨日からお腹の調子も良くないというと、エコーを撮っていただく。結果、おへその周りに腫瘍のようなものが見られるので、その影響があるだろうということ。

こちらの病院では、病院内の道場で、毎朝7時半から気功に始まり、毎日、異なる気功、呼吸法、音楽療法、帯津先生の講話、ヨーガ療法などのクラスが行われている。
緩和ケアは帯津病院でと、その言葉はずっとかかってきた主治医の先生にもすでに話しはしてある。
けれど、身体を動かせなくなってからこちらの緩和ケアにお世話になる前に、まだ元気なうちに、帯津先生から直々、気功を習ったり、お話を聞いたりして、免疫力を高める目的で1週間ほど入院治療をしたいと思っていたので、その事を話すと、いいですよという事だったので、早速、4月9日から6日まで、入院の予約を入れていただく。
気功は初めての体験。
入院の部屋は全室個室。部屋でヨガや黙想もすることができる。漢方粥などの治療食もありがたい。
感謝!

その後、12時にいつもの病院へ。今日の目的は、腫瘍マーカーの検査を受けることと、こちらで出してもらっている1ヶ月分の薬をいただくこと。
10日の熱に関しても、お腹の不調に関しても、血液検査の結果、特に感染症の疑いはないので、抗生物質は必要ないということに。
腫瘍マーカーは前回、6万から11万に上がっていたので、その事について尋ねると、これだけ上がれば、感染や炎症の影響は考えられないので、癌が進んでいるということですねとのコメント。
医師に、帯津病院で漢方薬とサプリメントの治療を始めたこと、前回いただいた紹介状のお返事をお渡しする。帯津先生からのお手紙の内容は分からないが、便箋に5、6行の手書きの文字が目に留まる。

診察の後、腫瘍マーカーの結果を知りたかったので、4時近くまで「サリンジャー と過ごした日々」を読みながら待っていた。どこからサリンジャー と過ごす時が始まるのだろうと期待もあったし、馴染みのある、メトロポリタン美術館やセントラルパーク、など。ニューヨークの街の様子や空気、そこに集うアーティストの生活の様子が面白く、待ち時間は退屈ではなかった。ちょうど読み終えたころ結果も分かったのだが、本の結果から言うと、この本の著者は実際にサリンジャー と過ごしたという訳ではなく、サリンジャー の作品を出版社に持ち込むエイジェンシーで、サリンジャー 担当のボスの秘書として過ごした1年間の事だった。面白い本ではあったけど、ちょっとがっかり。

で、腫瘍マーカー CA19-9の結果はおよそ17万。前回より6万増し。1ヶ月のマイクロ波温熱療法や2週間の漢方薬とサプリメントの治療は数字には現れていなくて、ちょっとがっかり。
昨日、マイクロ波の治療室で患者さん達が話していた。
これ始めると最初の何回か、腫瘍マーカーは上がり、その後下がっていくんですよねと。
なので、20万くらいいくのかしらと一方では思ってもいたので、こちらは、想定内。
しかし、お腹の調子よくないなぁ。
夕方病院に迎えにきてくれた夫から温泉に連れて行こうかとオファーがあったけど、熱も出そうだしやめておいた。
昨日作ったミネストローネとパンはお腹に気持ちよく、食べることができた。


2018年02月15日(木) 10回目のマイクロ波治療の日

夕方から少しあった微熱も下がっていたので、今週2回目のマイクロ波治療へ。
1月13日から始めたこの治療、今日で10回目。今日は新しい方が3人おられ、その方は飛行機で福岡往復で、治療にいらしているという事だった。それに比べてると、電車で2時間は楽な方だ。

お腹の調子が良くないし、ちょうどレントに入った事もあるし、こんな時こそ、断食。
家に戻って、甘酒の豆乳割を飲み、クラスまで一休み。どうやら、定期便の夕方からの熱は今日も出てきた。
でも食欲はあって、友人が届けてくれた具沢山のおうどんと茶碗蒸しは美味しくきいただくことができ、感謝。
昨日は昼間調子良かったったので、友人の分もと、大鍋いっぱいのミネストローネと、きな粉、アーモンド粉、黒ごま、ココナツオイル入りのパンも焼いた。たまには、私の作ったものも食べてもらえる事が嬉しい。

6時半から8時までのクラスは問題なくやれ、面接の模擬テストも、後1回を残すのみ。
クラスが終わってほっとしたのか、熱は、38度を超えた。
明日は二つの病院で診察を受ける日なので、この1週間の熱について話を聞こうと思う。漢方薬とレスプラチンというサプリメントを始めて2週間。様々な身体に起こった変化のことも。
これからの治療の計画についても。

3月3日から12日までの、「キリスト教的ヴィパサーナ瞑想8日間」の泊まりがけの黙想会が近づいて来た。こんな具合で行けるのだろうかと不安はあるが、行くように召されていれば、行けるのだろうし、そうでなければ、そこへ行く時でないということなのだろう。

そうだ。その時の事が分からないにしても、プランはプランとして進めておかなくては。4月1日、次男のカトリックへの改宗式と、連れ合い、そして彼らの1歳児の長男の洗礼式に参加するため、前日から2日間の宿の予約。
6月24日の夫と私の献身式の申し込みと、5月中3回の講座の申し込みを急がなければ。
当面、大切なイベントが6月までは「予定」の中に組み込まれている。
たとえ、時は今しか存在しないとしても。
たとえ、今日いただいた命を生き切るということがすべてであるとしても。

さて、眠ることにしよう。


2018年02月14日(水) ちりから出てちりに帰る〜灰の水曜日の今日

今日、四旬節(受難節)の始まりの日、
「灰の水曜日」
灰の水曜日のミサに出てれば、司祭が、
「あなたはちりから出たのだからちりに帰ってゆくのです」と言った言葉と共に、黒々とした灰を手に取り、額に十字架を施してくれる。
私は、この儀式が好きだ。
ちりに帰るという言葉も。

今日は遠出は避けておいた方が無難なので、
ミサに出るのはあきらめ、ひとり灰の水曜日をやった。
まず灰作り。
去年の「枝の主日」にいただいた棕櫚の葉と、その前の年の棕櫚の葉を缶の中で燃やし、灰を作って、額に十字架の印を施したりと、これは儀式とは言えない、ただの真似事だけど、自分で灰を作ったことはよかった。

それから、灰の水曜日に歌われるグレゴリオ聖歌をひと通り、youtubeで探しながら、どこかの国の修道士の方々の歌に合わせて歌う。

午後からは、BSプレミヤムで放送されていた映画、『奇跡の丘』を見る。この映画は1964年公開のパゾリーニ監督によるイタリア・フランス合作映画。マタイによる福音書を忠実に映画にしたもので、脚本はテキスト通りでひねりも固有な解釈もなかったが、詩人でもあったパゾリーニ監督の作品だからか、映像は美しく詩的で印象的だった。
そして音楽、とりわけ、黒人女性シンガー オデッタの歌う「黒人霊歌」(曲目は「時には母のない子のように」ではないかしら)は意表を突いていたけれど、不思議な効果をもたらしていた。録画していたから、もう一度、詳しく観てみたい。

もうひとつ。
灰の水曜日 のことについて調べていたら、
T.S. エリオット が 「灰の水曜日」という長い詩を書いている事を知った。
書き出しのところから、好きな詩だと思った。

書き出しの部分のさらにその一部だが、ここに載せておくことにしよう。


Ash-Wednesday

by T S Eliot

Because I know that time is always time
And place is always and only place
And what is actual is actual only for one time
And only for one place
I rejoice that things are as they are and
I renounce the blessed face
And renounce the voice
Because I cannot hope to turn again
Consequently I rejoice, having to construct something
Upon which to rejoice


T.S. エリオット 「灰の水曜日」より

わたしは、時はいつでも時であり、場所はいつでも
場所であり、ただそれだけだと知っているから
また、現実とは、ほんの一度だけ、一つの場所においてだけ
現実であると知っているから
わたしは物ごとが今あるままにあることを喜び
あの祝福された顔をあきらめ
あの声をあきらめる
わたしは振り返ることを望むことはできぬから
だからこそわたしは歓ぶ、歓びの礎となるものを
築かねばならぬことを


詩、訳詩の引用はこちらのブログから
http://poesia.exblog.jp/amp/17553839/


2018年02月13日(火) 池澤夏樹の 石牟礼道子追悼文


昨日の朝日新聞に、池澤夏樹が書いた、石牟礼道子の追悼文が掲載されているということなので、ネットで調べてみると、全文が記されているものが見つかった。この追悼文を、新聞の切り抜きをノートに貼るような気持ちで、ここに貼らせていただこう。



池澤夏樹 石牟礼道子追悼
石牟礼さんがもういない。

 熊本に行っても、託麻台リハビリ病院にもユートピア熊本にも石牟礼さんはいない。念のため、以前に暮らしていらしたやまもと内科の四階を覗(のぞ)いても、やはりおられない。あれらの部屋はみな空っぽになってしまった。

 この十年、何度となく熊本に通った。不知火海を一周して水俣に寄ログイン前の続きり、遠く高千穂へ走って夜神楽を見、一昨年の地震の惨状も確かめに行った。その他にも何かと理由を作って訪れた。

 すべて石牟礼さんに会うためだった。

 パーキンソン病でお首が揺れるのだが、いつもいい顔をしておられた。声が美しく、昔の話が次々に湧いて出て、お疲れを案じながらもついつい時間を忘れた。その場にいられることが何よりも嬉(うれ)しかった。

 何をしても上手な方で、病院の個室で炊飯器一つで煮物を作られる。これが本当においしい。いつも品のいいものを召していらして、どれも手作り。昔の布をつないで不思議な上着を仕立てられる。絵は最後まで描いておられたし、小声で歌われるのを聞いたこともある。

 この人の前に不細工な無能な男としてただ坐(すわ)っているのが苦しかった。身を持て余す思いがした。こちらからお渡しできるものが何一つなくて頂くばかり。それでも石牟礼さんはぼくが目の前にいることを喜んでおられる。

 病状を抑えるために服用している薬の副作用で頻繁に幻覚がやってくる。ここ二、三年はそういうお話が多くなった。

 去年の十一月に聞いたのは(今から思えば最後になったのだが)、「部屋の隅に街灯のように立つ二人の見知らぬ男」とか、「温泉で衣類を残して消えてしまった入浴客。みなで探すがいない」とか、「(昔の水俣の)とんとん村の海岸にいる。水平線に天草が見える。でも海を隔てる壁がある」というような話。

 声が小さくなって口元に耳を寄せるようにして聴き取った。幻覚ではあるが、しかしそのまま石牟礼道子の文学でもある。

 そもそもこの人自身が半分まで異界に属していた。それゆえの現世での生きづらさが前半生での文学の軸になった。その先で水俣病の患者たちとの連帯が生まれた。彼らが「近代」によって異域に押し出された者たちだったから。それはことのなりゆきとして理解できる。でも、たぶん石牟礼道子は初めから異界にいた。そこに相互の苦しみを通じて回路が生まれたのだろう。

 去年、石牟礼さんは『無常の使い』という本を出された。「五〇年くらい前までわたしの村では、人が死ぬと『無常の使い』というものに立ってもらった」と序にある。二人組で、正装で、行った先では「今日は水俣から無常のお使いにあがりました。お宅のご親戚の誰それさんが、今朝方、お果てになりました」と口上を述べる。

 これは石牟礼さんがこれまでに書かれた追悼文を集めた一冊である。たくさんの人たちと深い魂の行き来があったことを証する名文集である。この時を迎えて読み返しながら、ここでもぼくは引け目を感じる。自分の場合はこんなに深く人々と交わることができなかった。縁を作れなかった。数少ない縁の一つが他ならぬ石牟礼さんとの出会いだった。

 数時間前、ぼくのもとに無常の使いが来た。「石牟礼道子さんが、今朝方、お果てになりました」と告げた。


 ◇石牟礼さんは2015年1月から本紙西部本社版で、17年4月からは全国版の「文化・文芸面」で「魂の秘境から」を連載中でした。今年1月31日付の掲載が最後になりました。


http://s.webry.info/sp/sekisyuu.at.webry.info/201802/


2018年02月12日(月) 癒しの一日

今日は文字通り癒しの一日だった。
朝、熱が下がっていたので、夫と都内へ。私はマイクロ波温熱療法を2時間。2週間前、肝臓癌の末期で、見るからに容態が悪かった方が、今日はずいぶんと顔色がよく、何も食べられないでいたのに、ラーメンが食べられたんですよ。今度はチャーハンが食べたいと嬉しそうに話してくださった。
夫はその間、御徒町の中国整体へ。待ち合わせの場所まで行くと、とてもいい整体だったから是非私も受けるといいと勧められ、数年ぶりに、整体へ。逆流性食道炎の発作が起こる度にどういうわけか、肩がカチカチになり背中も痛くなっていたので、60分のきちんとツボを心得た腕の良い整体師の施療はほんとに気持ちがよく、熱での治療の後、経絡、気の流れが整えられたと感じた。

お昼は、先ほどの炒飯の話で、私も炒飯が食べたくなっていたので、整体の近くの中華店に入る。あっさりした卵とレタスと魚介類のチャーハンは事の他美味しく、魚介類の豆腐スープも身体が温まってとても美味しかった。外食で美味しいと感じる事がめったに無かっただけに、今日のランチは癒しのランチだった。

さて、次なる癒しは今日の本番。英神父の「癒しのミサ」。
お話の中で、癒しは身体だけのものではなく、神様の恵みを受け取れる心になる事というところに深く共感する。身体の癒しよりも魂の癒しの方が大切だと私も身を持って味あわせていただいているから。
ミサの後、病気を持つ人や、病気の家族や友人を持つ人は、前に進み出て、癒しを受けることができる。2000年前、イエスが病める人々を癒されたように、そこには、霊的な癒しがあった。聖霊の働きで癒しをほどこす癒し主と、癒されたいという願いを持って、その前に出ていく人々。わたしも癒しをいただいた。感謝!
人によって何が癒しであるかは分からない。必ずしも病が治ることが癒しであるとは限らない。けれど、そこにはそれぞれにとって必要な癒しが与えられるに違いない。

夕方、また38度近い熱が出てきたけれど、熱も免疫力が増す事を考えれば癒しに違いない。ほぼ1週間続いている熱だが、それ以外の不快な症状もないので、今度の金曜日の診察までは、経過を観察する事としようと思う。



2018年02月11日(日) 石牟礼道子さん死去

石牟礼道子さんが10日未明に亡くなられた事を知ったのは、ちょうど、ベッドの中で「苦海浄土」を読んでいた時だった。
結局、金曜日、土曜日と37度〜38度の熱が出たり、下がったりを繰り返すので、都内へマイクロ波治療に出かけることはあきらめ、ベッドの中で読書と決め、もう太陽もすっかり上がった昼前だというのに、私は布団から頭だけ出し、文庫版の 苦海浄土に顔を突っ込むようにして読んでいた。
身体はここにあるにしても、心は逆らう事もできず、水俣の美しい海へ、そして、水俣病患者の家や病室、痙攣する患者達の眼差しへと連れて行かれていた。彼女の文章には、軽々と読むものの魂をその肉体から引き離し、彼女が見せたいと思っているその場所へと向かわせる力がある。そこにあるのは悲しみや怒りや訴えだけではなく、むしろ、人間の美しさ、魂の深さ、命の尊さへの畏怖、祈り、信仰、人間の感情の様々なものが引っぱり出される。行ったこともない水俣の海が、自分の故郷ででもあったような幻を見る。詩人の紡ぐ言葉の数珠は、使い古された言い回しや決まりごとの濁りがなく、魂をそのまま映し出した美しく澄んだ色をしている。わたしの祖母や従兄弟たちが話してい佐賀弁にどこか似ている天草言葉は、標準語では伝え得ない心の内が読むものへまっすぐに向かってくる。

今朝の朝日新聞の「天声人語」に、こういう文があり、共感した。

▶(石牟礼さんが)患者から学んだ哲学は「のさり」だという。天からたまわったものを意味する。豊漁が「のさり」なら、病苦もまた「のさり」。「迫害や差別をされても恨み返すな。のさりち思え(たまものだとおもえ)。加害企業も、酷薄な世間も恨むまい。その崇高さに打たれる。

のさりはたまもの、天からの贈り物。人間の目には苦しみや悲しみにしか見えないことが、浄土(神の国)からの光を通してみれば、たまものであることが分かる。

ここ5日ばかり、身体は健康であるとは言えなかったが、こうして、苦海浄土を読み、石牟礼さんの魂と対話できたことは、「のさり」でなくてなんだろう。

今日は結婚記念日。
37年前、小さな教会での結婚式、それに続く、保育室の小さな椅子とテーブルを使ってのティーパーティー。その時、会の司会を努めてくださったKさんから、お祝いのメッセージと贈り物が届いた。
その時には、まだ、影も形もこの世に存在しなかった次男夫婦からもお祝いが届いた。
私達を支え、祈ってくださっている家族と多くの友人たち、
37年のたどたどしい歩みを支えてくれた神、その 大きなたまもの に感謝!




2018年02月08日(木) 熱で寝ていた木曜日

火曜日はすこぶる元気で、水曜日も1時間のウォーキングをしたくらいなので、元気だった。ウォーキングついでに、ダイソーに寄り、桃の花や菜の花の造花やシールなど、英語教室のひな祭りのディスプレイになりそうなものや、3月始まりのスケジュール表を買い、昨日買えなかったみやここうじと、玄関に飾るのピンクのストックの花も買って帰った。その後、すぐにクラス2コマ。いつものように夫の帰宅を待って8時頃夕食。食欲もあり、朝煎じた漢方薬も飲み、録画しておいたブラタモリを見ていた。なんだか座っていられない感じで横になる。もしかして熱ある?と測ってみれば、38度。
すぐに38度5分。38度5分を超える熱が出たら、病院へ来るようにと言われている。
でも、行きたくない。行けばまず検査。血液、胸のレントゲン、点滴に繋がれ、感染しているかどうか結果が分かるまで入院しましょうということになる。クラスのキャンセルや連絡、先月の分の振替だってまだ残っているのに。それに鍼の先生からは、熱が出るのは身体が戦っているということで、あなたの細胞はとても元気だから、敗血症になるような心配はないですよと太鼓判を押してくれたし。数年前敗血症で奥様を亡くされている先生がそう自身を持って言って下さるので、それを信じたい。
熱は39度まで上がったが自力で下げることにしよう。

翌日木曜日、熱は38度台に。今日は一日ベッドで過ごすことになるだろからと、読みかけの本を何冊も積み上げていたが、本を開く気力なし、というより、ただただ眠りたい。途中、昼食用にバナナと焼き芋を食べて、また眠り、2時過ぎまでつづけて眠る。

スマホをチェックすると、友人からのライン、いなり寿司を玄関先に置いてきたからと。なんとまあ、ありがたい。彼女の作るいなり寿司は絶品。天から降りてきたマナが頭に浮かんだ。彼女は私が寝込んでいることは知らないのに。
さっそく一ついただく。やっぱり美味しい。この美味しさが感じられるということは、熱も大したことないな。

今日のクラスは中1の5人。6時半から8時まで。英検3級の面接試験を控えているので、休むわけにはいかない。5時半から起き出して支度を整える。さっきまで37・5度だった熱がクラスの直前には36・5度になっている。クラスは問題なくやれて、面接対策も予定していたことを一通りやることができた。

友人が届けてくれた、いなり寿司と、豆腐の鶏ひき肉あんかけで豊かな夕食を済ませて、早々とベッドへ。苦海浄土を読み始めるがまた熱が少し上がってきたので、読書はやめ、眠ることに専念。



2018年02月06日(火) 元気な火曜日

身体の調子は引き続き良好。
今日はとりわけ、エネルギーが満ちていて、一度も横にならないまま、夜まで過ごすことができた。画期的!
一日の事を書き出してみよう。

朝食にパンケーキを焼く。それといつものりんごのヨーグルト和え。朝からパンケーキを食べたいというのが今までになかったこと。

午前中、「奇跡のコース」の学びの後、クラスの準備。
大鍋いっぱいの豚汁を作る。きちんといりこの出しを取って。煮干しの匂いが好ましく思える、これもまた久々の事。

しろが外に出せとあんまりうるさいので、出してあげた。実はしろはしろで猫エイズにかかっている。これは、しろの要求に応えて外に出してあげていた為に生じた事だろうが、しろだって、限られた猫生を、心満たされて過ごしたいはず。1時間くらいで戻ってくる。

今度は私が外に出る番。
太陽の日差しがまぶしく、美しい青空が広がっている。大雪の日から行っていない、お気に入りの伊奈コンポステーラ。私の瞑想と祈りのための道を歩く。
あの雪の平原はすっかりなくなり、畑の黒い土が顔を出している。ちらほら歩いている人がいる。

杖をつきながら歩いている1人の女性がしきりと川を見ているので、カワセミですか?と聞くと、しっぽが黄色い、見たことのない鳥がいたんですよ、と。
わたしも川の茂みを伺いながら歩いていると、いたいた、黒くて小さい、小尻の内側に黄色い模様のある鳥がひょこひょこと歩いている。ほんとに見た事のない鳥だ。
まだまだ、知らないたくさんの生き物達と一緒に生きてるんだなぁ。

見上げた空は美しいブルーで、ぷかぷか浮かぶ白い雲のデザインは見事!神さまの仕事の何と美しく完成されていること。
この空いっぱいのキャンバスに描かれている絵を私1人で見ているなんて、何という贅沢!
空を見上げながら身体をゆっくり360度回転させてみる。

ウォーキングのついでにスーパーで 小豆麹を作るための、みやこ麹を買おうとしたが、改装のために閉店!
でも、モールの広場に町の図書館のブックシャトルが来ている。あまりスーパーに来ないので、ここで、ブックシャトルに会ったのは初めてのこと。カードを持っていなくても、借りられるというので、車のわずかな棚に並べてられている本を一冊づつ見ていく。このくらいの量の中から選ぶのは楽だ。気に入った本が見つかればの事だけど。

あった、あった。
今月のゼミの課題図書は石牟礼道子の「苦海浄土」なのだが、「石牟礼道子全句集〜泣きながら原」という本が目に止まった。
まるで、待ってましたよという感じ。

もう一冊は「サリンジャーと過ごした日々」サリンジャーの著書はどれも別格という感じで、私にヒットするのだが、その人となりについてはミステリアスで、書いたものを読めば読むほど、その人物の事を知りたい気持ちになるのに、知ることができないでいた。
この本はいいかも。

彼の作品の中では「フラニーとズーイ」がとりわけ好きで、(この日記のどこかに、その事を書いたはずだが、取り出せない)、その本の中に、かなり大きな役割として、フラニーがいつも持ち歩いている「巡礼は旅を続ける」という本が出てくる。この本が実際に存在する本かどうかを知りたくて、原書を調べると、「The Way of a Pilgrim」という本で、実在する本で、何とアマゾンで買うことができた。けれどもこの翻訳本は今に至るまで見つけられないでいた。
ところが、ところが、英神父のブログで、祈りについての著書の中に、この本の翻訳版「無名の巡礼者」が紹介されていた。
こちらも、絶版にはなっているものの、辛うじてアマゾンで注文でき、今半分ほど読んだところだった。
この本については、後日、書くつもり。

こういう背景があったから、ブックシャトルの中に「サリンジャーと過ごした日々」という本を見つけ、にっこり。
ここに、私の知りたい事が書いてあるかどうかはまだ分からないが、これもまた 聖霊の導き。

帰り着くと、もう3時半。いつもクラスの前は最低1時間は横になってエネルギーチャージをするのだが、今日はその必要もなさそう。
深蒸し茶ときんつばのおやつを食べ、クラスに備える。

2クラス、楽しく終了。
ちょうど夫も帰宅してきたので、熱々の豚汁を大きなお椀に盛り、夕食。
食事の後もまだ元気があるようだ。
いつも彼1人で参加していた、「癒しのヨガ」に私も出ることに。
今日のテーマは「全身を温める」
インストラクターの熱のこもった指導が快く、身体全体がぽかぽか。ジムの温泉で1時間
を過ごし、さらにぽかぽか。

11時30分帰宅、12時就寝。
と、こんな元気な一日を過ごした。


2018年02月05日(月) サイモント療法 〜 イメージの治癒力

今日はマイクロ波治療で都内に出る日。朝 8時前、夫の通勤に合わせ、一緒に家を出る。
電車を待つ駅のホームから前方に雪を頂いた富士山が美しい。その富士山に顔を向けながら、冷たく、きりりとした朝の空気を深々と吸い込む。わたしは早朝のこの空気が好きなんだと自覚する。
3年間の都内の職場の通勤も、先月からの週2回の治療も、長時間の移動を苦痛に感じないのは、この朝の空気のおかげもあると思う。

今日の治療、すでに2人の方が来ていらした。今日はマイクロ波治療の間、サイモント療法を試みた。サイモント療法というのは、ひとつの心理療法で、ガンが縮小していくのをイメージしながら瞑想をすると、実際にガンが小さくなるという心の作用を利用した治療法。
この治療法については、帯津良一医学博士の著書「ホリスティック医学入門」で知ったが、20年ほど前に、マーティン・L・ロスマン著書「イメージの治癒力」という本に出会い、そのコンセプトに共鳴していた。
イマジネーションの持つ力は大きい。病気だけにかかわらず、生きる事のすべての領域で、何をどうイメージするか、心に描くかで歩みは変わってくる。

さて、治療の場に戻ろう。マイクロ波温熱治療器を背中に当てると、患部が異様に熱くなる。初めての時よりはやや弱まったものの、まだまだそこが焼けるように熱い。皮膚の表面を触ってもそれ程熱くないので火傷する心配はないのだが、その暑さにくじけそうになる。
そこで、熱がガン細胞を必死で攻撃しているイメージを思い浮べ、私自身が戦っているモードにする。もう少し頑張れと戦士達に声をかけたり、そこに癒しがなされるようにと天の軍勢の応援を呼びかけたりと、ただ座って、ONとOFのボタンを押すだけのテレビゲームの中での戦いのようだが、身体に熱という刺激が加わる事で、そのイメージもよりリアルになる。

そんな戦いモードの2時間を過ごし、汗でびっしょりになった服を取り替え、再び寒い戸外へ。なんだか運動をした後のような清々しさ。
通り道にある老舗の佃煮屋さんに寄って、葉唐辛子とアサリの佃煮を買う。ここの佃煮をおにぎりに入れるととても美味しくて、治療の日は佃煮入りのお握りを持参するのが習慣になっている。
お天気もよく、あまり寒くもない。今日は、クラスもないから、バスには乗らず、駅まで30分ほどの道をのんびり歩いた。
毎度の事だが、電車の中では、右に揺れ左に揺れしながらの爆睡。これまでに体験した事のないような乗り物の中での前後不覚の深い眠りもこの治療の故だろう。帰り道がそのままお昼寝の時間に。最寄り駅に降りたった時はすっきりと元気が戻っていた。

今日は、もうひとつ書いておきたいことがある。
先に紹介した「ホリスティック医学入門」の中で帯津氏がサイモント療法のサイモント博士の言葉を引用している。そしてその言葉にはとても納得がいった。
そのままここに抜き出すと、

「病を克服するために、いちばん大切なことは、必ず良くなると自分の心に決めることです。良くなるための鍵は自分のなかにあるのだから、ふたを開けて、これを取り出すのも自分です。決して他人がしてくれるわけではないということ、それをわかっていただきたいと思います。
一方で、目的を達成するための妨げになるのは結果に執着することです。「良くなる」という気持ちは大切ですが、良くなろう、良くなろうとだけ思いつめていると、それが執着になってしまい、かえって結果を悪くしてしまうのです。
それでは、執着しないためにはどうしたらよいか。それは良くなりたいと強く思うと同時に、いつでも死ねるという心の準備を進めておくことが大事なのです。」

ほんとにその通りだと思う。
ところで、今日の治療中、わたしがイメージ療法をしている間、治療を受けている2人の方が、この博士と同じような事を話しておられ、あれっと思った。
「医者からもう手の施しようがないですと言われたわけだから、いつ死んでもいいと思ってるんですよ。でもみんな頑張ってここに来て治そうとしてるんですよね。」
ガンサバイザーの先輩達は吹っ切れた、いい顔をして話しておられた。



2018年02月03日(土) 漢方薬事始め

のんびりとスタートした土曜日の朝。
まずは昨日持ち帰った漢方薬を煎じることから。
500ccのお湯に漢方薬を入れ30分ふやかす。
その後、30分とろ火で煎じる。
ちゃんとタイマーをかけて弱火で煎じたけれど、250ccの漢方薬が抽出されるべきところ、100ccしかできなかった。しかも、袋を開き、中身だけ煎じるべきところ、袋ごと煎じてしまった。
薬局に電話で聞いたら、今回はこれで良いとのこと。
ま、そのうち、慣れるでしょう。

飲んでみる。
にがっ!
薬剤師の方が薄めて漢方茶みたいにして飲んでよいと言っていたので、お湯で割って飲んでみる。苦さはあるが、喉を通った段階で、身体が喜ぶ感覚が伝わる。
ちょうど、野菜や豆をコトコト煮たスープを飲んだ時のあの感覚。
まだ液体が胃にも達さない内に、身体の細胞は、ウェルカムのサインを身体中に送るとでもいうのだろうか。
しかし、飲んだ後の口に残る苦さはいただけない。
身体によいマヌカハニーをちょっぴり舐めるという訳にはいかないものか。
すでに舐めた後だったけど、薬局に確認。大丈夫だということ。
よし、これで、漢方薬とマヌカハニーをセットで身体に取り込める。

さて、今は夕方。
朝と昼に漢方薬と例のサプリメントを飲んだわけだが、身体の芯からぽかぽか温まっている感じがずっと持続していた。

今日は午後から土曜日のUインストラクターのハタヨガに出た。3ヶ月ぶりかな。
ヨーガ療法士の資格も持っているUインストラクターのヨーガは、ヨーガ療法の感じで、心も身体も整った感じ。

その後、なんと4ヶ月振りに美容院へ行き、ヘアカット。
今までできないでいたことが2つできた今日。

昼食は、煮た大豆に麹を入れて発酵させた小豆麹のぜんざい。

夕食は夫を助手に鶏ひき肉のすき焼き。
鶏ひき肉には豆腐をたっぷり練りこんで、野菜もたっぷり。料理を作る気持ちがおこることが嬉しい。



2018年02月02日(金) 帯津三敬病院へ

ホリスティック医療を目指す、川越の帯津三敬病院へ行こうと考えた経緯は、12月28日の日記にくわしく記しているが、今日、ようやく、そこへ出向き、名誉院長 帯津良一医師の診察を受けることができた。

著書や写真で先生の事は昔から良く知っていたので、初めてお会いしたのに、前からよく知っているという打ち解けた感覚があった。本にあった通り、この医学博士、白衣は着ておらず、素足にサンダル、なんとも優しい隣のおじいちゃまといった感じ。
前持って、これまでの経緯や病院に望む事については詳しく書いていたし、今通っている病院からの紹介状や資料も前もってお渡ししていたので、さっそく診察から入った。本で読んだ通り、ちょうど鍼師のように、注意深く時間をかけて触診して下さる。

最初の質問は、今どんな事をご自分でやっていますかという事だったので、サプリメントとしてはノニジュース、コロラドYR、療法としては、マイクロ波温熱療法、その他に自分でやっていることは、ヨガ、呼吸法、瞑想、歌などですと答える。どれにも頷いて下さる。マイクロ波温熱療法の事もご存知だった。
今、あなたがやっているものはそのまま続けられるといいでしょう。
こちらでは、サプリメント、ホメオパシー、漢方による治療がありますが、直感的にどれがいいと感じますか?

出た!直感だ!
抗がん剤を止めたのも、この病院へ来ようと思ったのも、いわば直感(私にとっては導きという言葉の方がピンとくるが)に寄るのだが、ホメオパシーも漢方薬もこれまであまり馴染みがないので、ここは先生の直感にお任せするしかない。
では、バイオブランというサプリメントと漢方薬を試してみましょうと2週間分の処方をしていただく。
資料を見ると随分悪い状態のようですが、本人を見ると元気そうだ。これはよい方向に行くのではないかな。
嬉しい言葉だった。

こちらでの緩和ケアについての相談はもう少ししてからにしようと、2週間後に予約をいただき帰ってくる。

家に戻ってから、この馴染みのないバイオブランというサプリメントについて調べてみた。バイオブランは飲む丸山ワクチンともいうべきもので、
バイオブランは経口摂取による消化管からの吸収、丸山ワクチンは皮下注射による直接体内への投入だが、どちらも人体における免疫賦活が証明されているとある。

漢方薬は以下の6種の生薬。
これを毎朝、30分以上かけて煎じ、1日に3回飲むというもの。
煎じ薬は初体験。さっそく煎じ用土瓶をアマゾンに注文。
漢方薬についてはまるで知識がなく、読み方も分からないので、調べてみた。

黄耆 (こうぎ)
補気・利水消腫・止汗・托毒

女貞子 (じょていし)
補肝腎・補陰・明目

白朮 (びゃくじゅつ)
健脾・補気・止瀉(下痢止め)・利水消腫

梅寄生 (ばいきせい)
抗がん

霊芝 (れいし)
強壮・安神・健胃・止咳

薏苡仁 (よくいにん)
きょ風湿・清熱・排膿・健脾

植物の持つ力、これまで馴染み、親しんできたハーブやアロマオイルに感じてきたのと同質のものを感じる。

さて、煎じ薬なるものを飲めるかどうかが心配ではあるが、また、費用も抗がん剤治療より嵩むことになるが、8月完治を目標に6ヶ月は続けたい。


2018年02月01日(木) ホリスティックということ

昨年3月末から10ヶ月間の抗がん剤治療から解放され、晴れ晴れとしている。
身体のレベルで言うならば、前のように、あれが食べたい、これが食べたい。これは美味しいという感覚が戻ってきたことと、何か薄い膜に絡まれていたような、身体全体を支配する不快感が溶けたこと。
心のレベルでは、人生を収束する方向よりは、まだまだ広がって行くようなイメージの方が強くなり、実際そのように動き始めていること。
例えば昨日のこと、この3月末でクローズする事にしていた英語教室を、水曜日のみ、小学生2クラスを続ける事に決め、保護者にメールした。

こうした変化は、単に抗がん剤を止めたからというのではなく、ようやく、私が理想としてきたホリスティックな視点での治療へのシフトが可能になったからだ。
抗がん剤治療には抵抗はありはしたものの、医師の勧める標準治療を始めから拒否するのも躊躇われた。いったい抗がん剤というものが身体にどう作用するのか、副作用と引き換えに癌の進行をドラマティックに押さえる事にができるのかどうか、まずは試してみなくてはと思った。
結果として、私の場合は、胆管癌に使われる二種類の抗がん剤はどちらも、副作用の割に癌の進行を抑える力を発揮しない事が明らかになった。相性がよくなかったのだ。それならば、兼ねてから私が信頼を寄せていた ホリスティック医学に心置きなくシフトできる。
そういう気持ちの整理のついた晴れ晴れしさ。

私なりにこれまで(癌を患う前から)行ってきたホリスティックなアプローチを挙げると、
ヨガ、瞑想、アロマセラピー、フラワーレメディ、鍼治療、食事療法、などがあるだろうか、今になって思えば、山歩きや巡礼も、リコーダーやグレゴリオ聖歌も、また、最近始めた曼荼羅カラーリングやゼンタングルといったアートセラピーもここに含まれるのだろう。
そして、ホリスティックな視点からすれば、私の身体の一部は病んでいるにしても、全体としては今までになく健康な状態を得ているという気すらする。

さて、ではここからは、自分のためにも、この日記を読んで下さっている方のためにも、ホリスティック医学についてのおさらいを。


ホリスティック(Holistic)という言葉は、ギリシャ語で「全体性」を意味する。
ホリスティックという言葉はもともと「ホーリズム(holism)的な」という形容詞として生まれたのだが、ホーリズムとは、「全体とは部分の総和以上のなにかである」という考え方で、臓器や細胞などといった部分に分けて研究し、それを総合したとしても、人間全体をとらえることはできない。 現実の基本的有機体である全体は、それを構成する部分の総和よりも存在価値があるという理論であり、同時に、一個体は孤立に存在するのではなく、それをとりまく環境すべてと繋がっていると考え方。

ではホリスティック医学とはどういうものなのかと言えば、
健康な状態、病気の状態に関係なく、人間の「からだ」というものは、常に全体的にとらえる必要があり、ここで言う人間の「からだ」とは、肉体・精神・心・霊魂の総体であり、すなわち人間そのものを指し、健康、あるいは健康破綻としての病気について考えるということは、人間について考えるということになる。
人間の生を「いのちの営み」として、ありのまま全体を見つめ、限界や欠如も含めて尊重する姿勢がホリスティックであり、ホリスティック医学をひと言でいうならば、人間をまるごと全体的にみる医学といえる。
これは、病気だけに限定されるものではなく、人生の生老病死にかかわる、あらゆる分野の「癒し」も関連している。したがって、ホリスティックヘルスとは、「病気でない状態が健康である」という否定的な定義や「検査結果が正常値の範囲以内であれば健康である」という消極的な定義ではなく、
精神・身体・環境がほどよく調和し、与えられている条件において最良 のクオリティ・オブ・ライフ(生の質)を得ている状態 』を健康と考える、より積極的な状態のこと。

ホリスティック医学協会では、ホリスティック医学を次の5つの視点で定義している。


<ホリスティック医学の定義>
1. ホリスティック(全的)な健康観に立脚する
2. 自然治癒力を癒しの原点におく
3. 患者が自ら癒し、治療者は援助する
4. 様々な治療法を選択・統合し、最も適切な治療を行う
5. 病の深い意味に気づき自己実現


以上、NPO法人日本ホリスティック医学協会のHPからの抜粋




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