たりたの日記
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2018年01月30日(火) ここ数日のことを

日記がしばらく空いてしまった。出かける事が続いた後、不調が続き、ようやく今日、エネルギーがフルになった感じ。

26日、5回目のマイクロ波治療。この日はとびきり寒かった。外を歩いたり、バスを待ったりと外気にさらされる時間もけっこうあり、こういう日によく好き好んで外出するものだと思うが、反面、こんな寒さの中、外を歩ける元気がある事が嬉しくも思われた。治療の後は食事も取らず電車に乗る。家の近くの駅で友人が待ってくれているので、2人で遅いランチへ。12月の初めに会ったきり、ずっと会っていなかったので、久々に会って話しができてよかった。ほっかりとくつろぎ、話しはしながらも、共に静けさの中に漂ってるような、そんな時間がありがたい。

27日、3回目のグレゴリオ聖歌特別講座へ。お腹の調子があまりよくなかったが、どうしても行きたくて、出かける。熱心な講師のもと、休みなく2時間半に及ぶ講義、3回ほど、腹痛を催しトイレに駆け込みはしたが、有意義な講義を受けることができた。感謝!

28日、お腹の具合が悪く、一日ベッドの中。有難いことに熱はない。
29日、病院。この日は、今後抗がん剤を続けるか、止めるかという選択を医師に伝えることになっていた。
12月15日のインフルエンザ以来、しばしば熱が出て、入院などもしたため、1ヶ月以上、抗がん剤はストップしていた。それを開始するか、このまま止めるかという選択。
抗がん剤は今後使わないと医師に告げる。抗がん剤を服用していた時は免疫力が落ち、そのための腹痛や熱、それ以上に食欲が落ち、何も食べたくないという日が多かった。そういうデメリットを考えた場合、抗がん剤を止め、マイクロ波療法や、鍼治療、食事、ヨガ、あらゆる方法で免疫力を高めることでやっていこうと決めた。
医師も、今までになく、理解を示してくれ、オプチーボの臨床試験についても当たってみて下さるという事だった。
まずはすっきりした。
身体の免疫力を上げるためにも、私自身の心的エネルギーも高めていかなくては。


2018年01月24日(水) 4回目のマイクロ波治療

雪がまだ道路に残る早朝、4回目のマイクロ波の治療へ。
この上なく出不精で、徒歩10分足らずのところにあるスーパーにさえ行きたくない私が、こんな寒い日に、好き好んで電車を乗り継ぎ、2時間もかけて都内にでかけるなんてと我ながら驚く。
この事をどう説明したらよいだろう。
予約を取っている訳でもないから、行くか行かないから全く私の意思次第。
寒いから、雪で滑るから、午後には英語教室が2クラスあるからという理由で、私はスーパーへの買い出しを断念するところ、往復4時間かけて出かけようというのだから。
身体がそれを求めていると言えばよいのだろうか。
そこに行くことがとても求められている、どうやらそんな大きな吸引力があるようなのだ。

今日は大宮から御徒町まで乗り換えなしで座って行き、そこから都営バスに乗るという初めてのコース。
先客は1人、すぐ後にもう1人。
およそ2時間治療器の前に座る。半端ではない汗。まさにサウナに入っている感じ。これまでと同様、患部のところが異様に熱くなるが、以前より熱さは和らいでいる気がする。
この日も、治療を受けながらいろいろな話を伺ったが、早い人は4回目くらいで癌がなくなることもあるらしい。リュウマチの場合は一度で治る例も多いと聞く。リュウマチで苦しんでいる友人の事が頭を過る。もし、彼女のリュウマチが数回の治療で治るならどんなに良い事かと。
近く都内にできるクリニックでにもこの治療器が数台入るらしい。代替医療は代替医療として厚生省の認可がなくても広がっていっているのだろう。
とにかくここにいると、治るのが当たり前という空気があって、それは病院の診察室でも、抗がん剤の治療室にもまるでなかったエネルギーだ。
身体がその治療を求めているだけでなく、心もその場所でエネルギーをもらいたいと欲しているという事なのだろう。

帰りは、仕事が待っているので、昼食も取らずにバスに乗ったものの、気がつくと、間違ってスカイツリー行きのバスに乗っていた。気がついてバスを降り、近くの地下鉄乗り場から上野へ。やれやれ、今度は気をつけよう。
クラスの1時間前に帰宅。
一休みしてクラス。
こんなこと、元気な時だってできなかったこと。


2018年01月23日(火) 雪の日

昨日の午後から降り始めた雪が積もりに積もり、朝には20センチを超えていた。
庭のテーブルの上には真っ白な円筒状のケーキが出来上がり、イスは厚いクッションを2つ重ねたような格好になっているし、花などの鉢はすべて大きな山のかたまりの下。
けれど空は青く、陽の光は眩しい。積もった雪の上にはたくさんの光の粒がキラキラと光っていて美しい。

どうにも歩きたくなった。
あの、伊奈コンポステーラの雪景色を、まだ雪が溶けない内に見届けなくては。
久々に山歩き用のトレッキングシューズを取り出し、雪を踏みしめながら歩きはじめる。
家並みが途切れ、ジョギングロードにつながる道も、そこから四方に広がる田畑も一面の雪、どこまでもただだ白い平原と化していた。
2、3歩柔らかな雪の中に足を踏みいれた。このまま道のないまっさらな雪の中を歩いて行きたい気持ちはあったが、カンジキか何かがなければ、この靴ではすっかり雪の中に埋もれてしまい、大変なことになりそう。
せめてもと、雪景色を写真と動画に収めて引き返す。
この前の大雨の後の広大な湖のような景色といい、この大雪の後の景色といい、何の変哲もない住宅地に住みながら、大自然の中にいるような気分を味わうことができるのは、何と幸せなこと。

家に戻ってから、雪の山に埋もれている花々を救出。雪の中でも氷り付くことなく、元気な緑色の葉と美しい色の花を保っている花々に感心してしまう。
中には昨日の午前中、雪になる前に急ぎ植え付けした花々もあった。
どこも真っ白な庭の中で、その花々の色は ひときわ 美しい。


2018年01月21日(日) グレゴリオ聖歌を歌いながら

昨日は一日中出かけていたので、こういう日の翌日は決まって寝込む事になったのだが、今日は朝から調子がいい。
グレゴリオ聖歌が歌える!
急ぎ身支度。

もし体調が良ければ、久々に電車で東久留米の「聖グレゴリオの家」のミサに出ようと、この日歌われるグレゴリオ聖歌を練習していたのだった。
用意万端。

朝7時45分の電車に乗れば、9時半からの聖歌隊の練習に間に合う。およそ45分のリハーサルをはじの方で邪魔にならないようご一緒させていただき、ミサでも歌った。

人一倍グレゴリオ聖歌が好きで長年聞いてきてはいても、まだまだネウマ譜を歌にする力はなく、ラテン語も日本語と比べてながら、辛うじて意味が分かる程度。それでも、自分で声を出して歌える事に大きな喜びがある。

日本語であれば、その言葉に慣れてしまっているので、意味や味わいが心に引っかからず素通りしてしまうことが多いが、ラテン語の場合は、これは何という意味なのか、どういう発音になるのか、ひとつひとつの言葉が未知の言葉で新しい。何度も何度も繰り返し歌いたい。

今日の福音書はイエスがガリラヤ湖で、漁師のシモンとアンデレに 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしようと」と言って2人がすぐさま網を捨てイエスに従うという箇所なので、その事を歌った歌で統一されている。そうした事も、見事に美しいと思う。
ミサをどれほど大切なのものとしていたか、当時の修道士のこだわりもまた見えてくる。

歌いながら、いつか、講座の中で語られていた言葉が思い出された。
「私たちはどんなに頑張ってみても、生きている間にこの歌を完成させる事ができないです。きっと天国でこの歌を完成させる事ができるのでしょう」

ミサそのものが、この世で生きる者達がすでに天国にいる方々との交流の中で捧げるものであれば、こうしてミサの中でグレゴリオ聖歌を歌うことは、私の魂にとって必要な準備、終活だという気がする。
最近は身辺の整理などといったこの世の終活よりも、魂の終活の方がよほど大切に思える。一方で8月完治という目標を掲げているとしても。

3月1日からの8日間のキリスト教的ヴィパッサナー瞑想にも参加したいと、意思が固まってきた。身体も何とか支えられそうな気がする
いつかは参加しようと思っていたが、それは「今」という気がしてきた。

イエスの召し、そして召しを受けた弟子たちの決断を心に刻む。
この4月にわたしも歩いた、あのガリラヤ湖のほとりで起きた出来事を。


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マルコによる福音書1章14節〜20節

1・14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤヘ行き、神の福音を宣べ伝えて、15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
16イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。17イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。18二人はすぐに網を捨てて従った。19また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、20すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。


2018年01月20日(土) ゆるしの秘跡を受けた日

この日、3回目のマイクロ波温熱治療へ。
10時過ぎ、治療開始。これまでのように、患部が焼けるように熱くなる。しめしめ癌細胞が熱で悲鳴を上げているぞと思いつつ、手元のスイッチを時々切りながら熱さに耐える。

今日も新しい方々とお会いした。お一人の方は、骨にまで癌が達していて、かなりの痛みがあるらしい。本来なら、緩和ケアのベッドでモルヒネを投与されている段階なのだろう。けれども彼女は、モルヒネ漬けにはなりたくないと、可能な限り痛み止めを避け、こうして治療に来られているとのこと。
痛みで涙が出てくるのよ と涙を拭いていらっしゃるのだが、その気丈さに圧倒される。まさに戦士だ。果たして、私にはそういう選択ができるだろうか。
お別れする時は、頑張りましょうねとお互いに握手した。彼女への癒しを祈る。

治療の後、夫と共に四谷へ。
4月にカトリックに改宗してから、まだ、ゆるしの秘跡(告解)を受けておらず、この事についても充分理解していないので、新しい信者のためのフォローアップ 、ゆるしの秘跡についての講座に参加したのだった。

秘跡とは神の恵みの感覚的なしるしである。
カトリック教会では最低年に一度、「ゆるしの秘跡」に与る義務がある。それは義務ではあるが、ゆるしを確認するという恵みに与ること。
罪とは何か、それを他者との関係性から考える。罪とは愛が足りないこと、愛に反すること。
愛の本質はゆるしであり、ゆるされた後、和解が成立し、関係性が回復される。
愛が分かるから神が分かる。
全ての宗教の中でキリスト教のみ原罪という概念がある。原罪がなければ、キリストの十字架の救いもない事になる。
以上は、私がメモしたもの。

ゆるしの秘跡について学び、担当者と司祭による模擬告解を見せていただき、ゆるしの秘跡の受け方は分かった。
さて、後は実践のみ。
今日は夕方のミサの時間の前に告解の時間が設定されている。お御堂の告解室の脇には、すでに ゆるしの秘跡を受ける方々が多数並んで座っておられた。
私の場合、ミサには月に一度くらいしか来れないし、今後の体調次第では、ゆるしの秘跡を受ける機会を逃しかねない。
今ですね、やはり、とその列の最後に並ぶ。

自分の順番を待つ間、葛藤があった。
自分自身の罪の正体を知りながら、それを見ないように、また考えないようにしてきた。いいカッコしいの私が、模範的な信徒でありたいと子どもの頃からそれらしく振舞ってきた私が、果たして司祭の前で罪の告白ができるものだろうか。しかも、今日の告解担当の司祭は、これまで何度か面接も受けてきた指導司祭のようだ。罪の告白をするのなら、わたしの事を何も知らず、これからも個人的に顔を合わせる事もない司祭が気が楽だと思ってきたので担当司祭の姿をお見かけした時には正直慌てた。順番を待つ間、緊張は高まっていた。
さて、わたしの順番。初めて告解室に入る。


罪の告白。
わたしがそれを語っているというより、語らされている感覚があった。
話ながら、その事がわたしにとって語るべき事だという事がよく分かった。

司祭からの助言や勧めがあり、償いが指示された。顔を上げる事ができないまま、涙と共に、ただ何度も頷きながらそれらの言葉をいただいた。

「悔い改めの祈り」を唱え、司祭から「罪のゆるし」をいただく。

だから告解は秘跡なのか。
秘跡、この感覚的なしるしを体験することで、初めて ゆるしの秘跡が何であるのか理解することができた。
神との、そして人との関係の回復。わたし自身との関係もまた。
わたしにとっては、とても大きな出来事だった。

わたしに与えられた償いは マタイによる福音書5章3節からの部分を読み、5分間の黙想をするというものだった。

子どもの頃から何度も読み、聞いてきた、このイエスの言葉への出会い直しの機会をいただいた。
わたしはその言葉のほんとうのところ、それを語ったイエスの想いにまで到達していないが、それらがどれほど深いものであるかは朧げに感じてきた。
一日にひとつずつその言葉を心に留め、思い巡らす事にしよう。

* * ** * ** * ** * ** * *

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

<マタイによる福音書 5章3節ー12節>


2018年01月19日(金) 腫瘍マーカーが上がった日に ブラザー・サン シスター・ムーンを歌う

今日は2週間振りの診察だった。
2回のマイクロ波温熱療法の効果を期待していたが、甘かったかな。
肝臓の機能は2週間前より落ち、腫瘍マーカー CA19-9は111951!
今までの腫瘍マーカーの推移以下の通り
1月 235、2月656、3月2142
4月2688 5月2570、6月4124
7月9,681 8月5,820 9月 24,869
10月18,152 、11月42,905 、12月57,096

と上がり続けている。3月に2000を超えた時にはどきりとしたけれど、6月にはその倍になり、8月から9月にかけては4倍に上がっている。そして今月は先月の2倍となり、10万を超えている。こうした大きな数字が出ることは何を意味するのだろう。
ネットで調べてみても、この数字は確かに忌まわしい。
しかし、この数字に振り回されて、今という時を台無しにするのは余りにもったいない。
事実は事実として受け入れ、わたしはできることをやるのみではないかしら。
相変わらず8月完治を目指して。
そうする事で、一日一日が生き生きと過ごせるなら。幸いこの数値は気になりはしても、心の中までは入り込んでこない。

この後、温泉に行き、風の中での露天風呂やキャンドルのともる岩盤浴を楽しんだ。この今に感謝する気持ちはどうやら脅かされていない。

こんな風に過ごせるのもこの2日間で観た映画のおかげかもしれないし、
今朝開いた「奇跡のコース」レッスン270の
おかげかもしれない。

今日のレッスン270は
I will not use the body’s eyes today
「今日、私は肉体の目を使いません」
今日はイエス・キリストの視点を通して物事を見ようというレッスン。

天界のサポーター達が事前にわたしの前にそっと置いてくれたのだ。

ブラザー・サン シスター・ムーン の歌にも大いに励まされ、力をもらう。

気に入った日本語訳が見つからないので、私訳した。


Brother Sun, Sister Moon

Brother Sun and Sister Moon
I seldom see you seldom hear your tune
Preoccupied with selfish misery

Brother Wind and Sister Air
Open my eyes to visions pure and fair
That I may see the glory around me.


I am God's creature, of Him I am part
I feel His love awakening my heart.

Brother Sun and Sister Moon
I now do see you, I can hear your tune
So much in love with all that I survey.


ブラザー・サン シスター・ムーン

兄である太陽、姉である月よ
わたしは滅多にあなた方を見ないし
あなた方の声も聞かない
自分だけの悩みに心を支配されて

兄である風よ、姉である空よ
わたしの目を開いておくれ、混じりなく、正しく観ることができるよう
そうすれば、わたしを包む栄光が見えるだろう

わたしは神から創られた者、そして神の一部
彼の愛がわたしの心を目覚めさせるのを感じる

兄である太陽、姉である月
今、わたしはあなた方が見える
あなた方の声が聞こえる
わたしが眺めるすべての物を
わたしは何と愛していることか


2018年01月18日(木) 不調ではあったが感謝な2日間

17日
前回もそうだったので予想はしていたが、マイクロ波温熱療法の翌日、腹痛と激しい下痢が一日続き、体温も37・8度まで上がったので、一日ベッドで過ごす。下痢の感じから、食当たりのようにも思う。外食した時のサラダバーの野菜かしら。
健康な身体なら問題ない食べ物も免疫力が落ちていると、こういうことになるのかも知れない。外で火の通ってないものは食べないように気をつけよう。
この日も4時20分から7時までのクラス。なんとか乗り切れる。
夜は下痢もおさまり、出前の鍋焼きうどんが半分は食べられる。まずは心配ない。

18日
下痢は治ったが、朝から37度台の微熱が続き、とろとろと眠い。この日は6時半から8時までの中学1年クラス。枕元に教材を並べて、準備もベッドの中で。
それでも4時半には、着替えをし、冷蔵庫に残っているものを総動員してスープを仕込み、シャトルシェフで続きは煮込んでもらう。
材料は
ハム、ウィンナーソーセージ、缶詰めキドニービーンズ、玉ねぎ、キャベツ、白菜、きゅうり、トマト、オニオンスープの粉末、ハーブソルト。
我ながら滋養たっぷりで身体に優しく美味しいスープができた。
子ども達がやってくる30分前には教室を温めスタンバイ。今日は明後日の英検3級の筆記テストに備えての最終日。何とか無事クラスを終えることができて安堵。

不調の2日間とは言え、仕事に穴を開けずに済んだこと、そして良い映画に巡り会えたこては感謝だった。ベッドの中で、Amazonムービーからのレンタルで観ることができるのは有難い。

一つは、聖フランシスコの半生を描いた、
1972年公開のイタリア映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」
もう一つは、実話を元にした2016年公開のアメリカ映画「天国からの奇跡」

どちらも、深い感動を覚えた。この地に時空を越えてこのような深い人と人、そして人と神との関わりがあることを改めて気づかされる映画だった。
とりわけ、フランシスコが教皇に訴えるイエス キリストの言葉が、もう何度も読み、聞いてきた言葉なのに、大きく心を揺さぶられた。



2018年01月16日(火) 2回目のマイクロ波温熱療法

この日、2回目のマイクロ波による温熱療法の日。前回は駅からタクシーで行ったが、この日は暖かかったので、歩く事にした。20分ほどの道のりは良いウォーキング。途中で、公園に寄り道しながら。

治療は10時45分から始めて、12時15分まで、1時間半にした。
今日は先客が2人いて、いつも朝9時から12時まで3時間やっているという事だった。一人の方は週1、もう一人の方はほぼ毎日いらしているようだ。お二人とも乳癌の手術をした後、再発防止のために治療を続けていらっしゃるとのこと。人参ジュースも毎日飲んでいらっしゃるようだ。わたしは冬場になってから、飲まなくなってしまっている。

私も、7年前に乳癌の手術をしたが、ステージ1だったし、ホルモン剤は5年間飲み続けてたものの、その他は何もする事なく、再発の心配はスコンと抜け落ちていたなぁ。あの時に、食事などもっと気をつけるようにしたら、その後癌になることも無かったのだろうか。でも、ま、それは無理だっただろう。今でも、甘いものを締め出すのはなかなか難しい。最近は口の中が苦く、ついつい飴を舐めたり、黒砂糖を口に入れたりしてしまう。
8月完治と目標を立てたからには、食事の事も、もっとシビアに考えていかなくては。
人参ジュースもまた始めるかな。

帰りの電車では疲れが出たのか、珍しく爆睡。乗り換えをしながら、また続きを眠りながら帰ってくる。
3時半帰宅。
4時半から7時まで、英語教室。
流石に疲れた。






2018年01月15日(月) 幼馴染みが訪ねてくれた日


幼馴染み、良い響きの言葉。この言葉はふるさとの山や陽射しや光や風をいっしょに運んでくる。
私の故郷は九州の大分県なので、幼馴染みはふるさとの山のように遠くにあって想う存在なのだが、その幼馴染み達が、3人、遠くから訪ねてきてくれた。のぞみちゃんは大分市から、ちいちゃんは福岡市から、そしてさとみちゃんは松山市から。三人は小学生の時からの友達、何度も遊びに行ったり泊まったりしたから、それぞれの家族の事もよく知る間柄。
さとみちゃんとちいちゃんとは教会学校仲間だった。のぞみちゃんと出会ったのも、その教会でやっていたヤマハ音楽教室だった。ちいちゃんとのぞみちゃんとは中学校では同じ音楽部、高校も4人とも同じ高校。

今日は私の住まいの近くのギャラリーカフェでランチをする事になっていたから、私は一足先にそこへ行き、暖炉のそばの席で待っていた。

ほどなく、3人が登場
お久しぶり!
1年前の還暦同窓会ぶりだね!
元気そう
昨夜は楽しかったよ

三人の顔を見ると、何も言葉にして話をしなくても、一緒にいるだけで、ほかほかと懐かしく嬉しい気持ちが沸き起こってくる。

前もって人に会う約束などできない状況だから、前もって打診があれば、今は無理かもと返事したかもしれないが、
3人で女子会の旅で東京行くからね。もう航空券もホテルも取ってあるから。
ということだったので、何とかこの日、熱など出ないで無事に会えますようにと願っていた。

食事の後のケーキとコーヒーは、母屋の個室を用意していただいていたので、そこで。
ここなら、大分弁気にせんで話せるわ。
手回しオルゴール持ってきたから、やってみる?
オルゴールに合わせて歌ったり、オルゴール用意の楽譜にそれぞれの名前を書いて、それに沿って穴を空け、オリジナルのオルゴール曲を作ったり、いつのまにか子どもの頃の私たちに戻っていたような気がする。

ずっとピアノの先生をしていたちいちゃんが、リコーダーを始めたいと言うので、
帰り、私の家にも寄ってもらって、リコーダーを吹いてもらったり、聞いてもらったりもした。
素敵は花の寄せ植え鉢もいただいた。

別れる時はそれぞれとハグして。
現実的に考えれば、もう会えない見込みの方が大きいのに、いつも学校や教会で顔を合わせていたように、また、すぐにでも会えるような気持ちになるのも不思議だった。

他の友人達ともそうだけど、実際に会わなくても、心は自由にそこへと飛び、そこには何かしらの交流があるのに違いない。
彼女達と過ごした時間は短かったけれど、きっと繰り返し、思い出されるのだろう。


2018年01月14日(日) ヨガたっぷりの日曜日

熱が下がった。35・6度。これが、私の平熱。つまり一番癌が好む温度。でも、今日の所は平熱に戻ってくれたことは有難い。
さっそく寝室にヨガマットを敷き、朝ヨガ30分。いい気持ちだ。
夫が、「朝ご飯だよ〜」と呼んでくれたので、下へ。
りんごとバナナを甘糀を加えたヨーグルトで和えたいつものフルーツサラダ。
トーストとピーナツバター。今日はコーヒーを飲みたい気分。朝コーヒーを飲むのは2週間ぶり?もっとかも。胃の調子がいいんだ。

そういえば、今朝、パンツを履いた時、2日前はパンパンでスナップを止められなかったパンツのウエストがゆるゆるになっている。これは腹水がなくなった以外には考えられない。胃の圧迫感のなさも、そのせいかも。

夫と家庭礼拝。
今日の主日の聖書や詩篇の朗読。1月の祈りのカード。それぞれの祈り。

その後は各々好きなことをする時間。
私は、この主日に歌われる5曲のグレゴリオ聖歌をYouTubeにアップされている音源に助けられながらネウマ譜をたどりながら歌う。
その後、これも久々にリコーダーを吹く。

簡単なお昼を済ませて、夫と近くの日帰り温泉へ。そこでもヨガ。
体重は2日前から2キロマイナス。腹水がなくなったせいだ。
2時間の温泉の後は、リラックスルームで30分ほどお昼寝し、ジムへ。
60分のヨガクラス。私は、1ヶ月以上振りだったけど、疲れる事もなくできた。

夕食、何が食べたい?
なぜか中華。麻婆豆腐と、青菜炒めが食べたい。
そこの台湾料理屋さん。1人分が、2人分以上の分量ある。たっぷり食べたのにまだ残っているので、もち帰りに。

ここ1、2ヶ月で一番元気な1日だったかもしれない。
これは、一昨日のマイクロ波による温熱療法の効果だろうか。
よし、8月完治!


2018年01月13日(土) ベッドの中での土曜日

昨夜からの熱は今日も下がらず、37度から38度の間を行ったり来たりしていた。昨日の外出や、新しい療法、あるいは鍼治療のせいかもしれないし、そうでないかもしれない。

身体はだるいので、布団の中で横になって過ごすのが一番楽だし、今日は夫が休みで、家事をやってもらえるので、熱が平熱に戻ることを優先して、ベッドの中でグータラを決め込む。
熱がある時には、活動をストップし、省エネに徹するという生活も、板に付いてきた。

寝ながら、メールを打つ。こうして日記を書く。ネットで、調べ物をする。アマゾンプライムで、見放題の映画を観る。考えごとをする。計画を立てる。身体を動かさないままで出来ることは結構多い。
でも、元旦から毎朝続けていた朝ヨガが、今日はできなかった。
明日は熱も下がる事だろう。四ツ谷の教会に行くのは無理でも、せめてヨガやウォーキングは出来ますように。



2018年01月12日(金) 新しい代替治療

この日、マイクロ波による温熱療法を体験するため都内へ。
久々の電車の移動、しかも一昨日は熱発したので、果たしてそこまで行くことが可能だろうかと危ぶまれたが、朝は熱もなく、予定決行。

マイクロ波というと、健康のため電子レンジも使わない友人がいて、私も何となくネガティブな印象があったのだが、この治療を勧めてくれたRさんが自分の病気が治ったことや、その治療院に集まってくる、もう打つ手がないと言われた末期の癌患者達が次々と完治し、その方々は、完治した後もその治療院に通い、新しく治療を受ける患者のサポートをしている。ぜったいに治ると確信を持ってと力強く励まされ、訪ねる気になった。

場所はこの治療機を発明した発明家の自宅の一室で、到着した時には、すでに2人の方が治療中だった。また、この治療院を紹介して下さったRさんも、私のために来て下さっていた。

真冬だというのに、半袖のTシャツ姿の高齢のご婦人は汗びっしょりになっている。汗が出るとは効いていたので、下着の着替えは持ってきたが、まさかこれほどまでとは考えていなかった。

さっそく支度を済ませ、治療を開始。マイクロ波を発する箱型の機械を自分の患部の背面と正面に置き、自分でON OFのスイッチを操作するというもの。

不思議な事に、スイッチを入れるとすぐに、患部と思われる背面の一部だけが異様に暑くなる。火傷をしてしまうのではないかと思うほどなのだが、皮膚の表面は異常がなく、癌細胞にだけ、それが壊死するほどの高い熱が届くという仕組みのようだ。発明家の方が、図や化学式などを書いて詳しく説明してくれたが、その方面には全く暗い私は、マイクロ波が、癌細胞を取り巻く活性酸素にのみ反応し、その部分の熱を高めるということくらいしか分からなかった。

けれども、癌細胞は熱にダメージを受けるので、発熱すればその事を期待したり、できるだけ身体を温めるよう頻繁に温泉に入るようにしてきた私としては、患部が耐えられないほど熱くなる事がありがたく思われた。この高熱により、癌細胞が間違いなくダメージを受けていると感じたからだ。

この発明家の治療器を使っている病院や治療院も全国にあるようだが、ここは、言ってみれば、発明家のラボラトリィと言った場所で、この治療を信頼する人達の溜まり場とも、相互援助グループとも言えるような、暖かい人間関係が成り立っている事が分かった。

発明家自身も、鉄腕アトムのお茶の水博士のような人で、この治療器以外にも、たくさんのものを発明し、現在も新しい発明に取り組んでいるようで、そういった話も面白かった。

先のご高齢のご婦人は、手術も抗がん剤もなく、この治療だけで乳がんを完治され、それでも、定期的に来ては、3時間ほどこの治療を受けると話しておられた。
他の治療院の1回15分というのとは違い、ここは、午前9時から午後1時半までの間は、自由に治療を受けることができるということだった。患者が多い時には外にも列ができるらしいので、そういう場合は1人が長時間、そこに留まることはできないだろうが。

私は、途中に休みを入れながら、1時間半ほど、その機械にかかる。治療を受けたという充実感がある。全身汗びっしょりで、髪の毛も濡れている。外は寒いので、身体が冷えるのが心配。今度来る時はその対策が必要だ。
やはり、外に出ると寒さがこたえ、暖かいお風呂にどぼんと浸かりたい気分。冬山登りをして汗をかいた後、下山する時の寒さを思い出した。

上野駅で、カフェにはいり、暖かいジャスミン茶を飲み、ティーポットで手を温めると、ようやく身体がポカポカして来たので、この日予約を入れていた、尾久の鍼治療院にも行くことにした。

夕方、37・8度ほどの熱が出るが、それ以上高くなることはなく、37・4度くらい夜中も続いていた。
鍼師に私が暮れの発熱や入院の事など話すと、あなたの細胞は強くて、生命力があるから、ガンや抗がん剤の威力に抵抗しようとして頻繁に熱を出すんですよ。敗血症になるような身体の状態ではないですよと言ってくれたので、こうした熱は自己治癒の現れだと思って、受けいれようと思う。

私としては、次男のところに第二子が生まれる8月まではなんとか元気でいたいと、でも来年のお正月までは無理かもと漠然と線引きをしていたのだが、Rさんから別れ際に、8月を目標に完治させましょうよと力強く言われた。
そこに、いわゆる医学的な根拠がないにしても、8月完治という新しい目標を掲げる気になっている。


2018年01月10日(水) 新年の英語教室

8日の月曜日には、残っていたクリスマスの飾りやディスプレイしていたクリスマスの本やカードもすっかり片付け、雪の日や冬に関する絵本に取り替える。
成人式のこの日には、中学2年生まで英語教室に通ってきていた、2人の女の子が、成人式に出席する前に、振袖姿で立ち寄ってくれた。2人とも見違えるほど綺麗な20歳になっていて感無量。

9日はクラスの前に、今年高校1年生になって、夏休みにフィリピンの高校との交換留学を果たした男の子が、お母様と一緒にご挨拶に来て下さる。1年近く見ない間に、すっかり高校生らしくなっていて、こちらも感無量。

こうして、英語教室を巣立っていった子ども達と再会できる事はほんとに嬉しい。体力のあった頃は、6年生を5人も連れて、高尾山に登ったりもした。もう少し、身体や時間に自由が聞けば、卒業生たちとのランチや同窓会くらいしたいのだが、ここのところは、その日その日のクラスをこなすのが精一杯といったところ。

昨日は振替のため30分延長したクラスも難なく終え、その後、いなり寿司を作ったりもできるくらいだったのに、今日は昼の12時ごろ、これから1時間ほどウォーキングをと思ったいたのに、何か倦怠感がある。こんな時間だが、1時間ほど寝てから歩こうとベッドルームへ。そこには、すでに先客。しろがベッドの上で日差しを浴びながら気持ちよさそうにお昼寝している。しろといっしょに寝るとするか、、、しばらく寝ると、倦怠感はさらに強くなっているので体温を測ると37・8度。今日は、暮れにキャンセルした分の振替クラスもあるし、英検も控えているので、休むわけては行かない。クラスの前まで寝て、何とか熱を下げなくては。幸い熱はそれ以上は上がらず、午後3時には、37・4度に。ほっ。
急ぎ、シャトルシェフにミネステローネを仕込み、いざクラス。
4時半から7時まで何とかやれた。

それにしても、この熱はいったいなんだ!
27日に出てから2週間、退院してから1週間しか経っていない。血液検査の結果も問題なく、今は抗がん剤もストップしているというのに。
さて、明日もうひとクラス。
少し早いけど、明日に備えて早々にに寝ることにしよう。
今日はクラスの後、ジムの温泉に行くつもりだったのになぁ。


2018年01月07日(日) エピファニーの今日

今日は エピファニー、主の公現主日。
窓の外には明るい新春の光と青空。
東方からの3人の博士が幼子イエスに贈り物を捧げたことを記念するこの日はクリスマスの最後の日。クリスマスツリーやリースはお正月には夫に片付けてもらったけれど、その他のクリスマスのタペストリーやカードなどの飾りは今日まではとそのままにしてきた。
退院3日目なので、ミサに出かけることは控え、夫と家庭礼拝をした後、この日に歌われるグレゴリオ聖歌、5曲をCDに合わせて繰り返し歌った。
聖グレゴリオの家から出ている、「待降節/主の公現」のCDをアドベントの時期に買ったものの、楽譜を見ながら、ラテン語の意味を確かめながら歌う機会がなかなかなかったので、この午前中はとてもよい祈りと学びの時間になった。

歌い終わったころ、昨日ベトナムに戻った 長男のファミリーからテレビ電話があった。飛行機の旅は子ども達がぐずることもなく、まずは問題なかったようだ。
明日が祝日というのは嬉しい。明後日火曜日からの英語教室に備えて、環境整備や、クラスの準備も今日から明日にゆっくりしたペースでやることにしよう。

クラスで使うラジオ基礎英語の1月のテキストもまだ買っていなかった。本屋さんまで、散歩がてらにのんびり歩いてみようかな。
退院2日の昨日は、家から1歩も出ずに、アマゾンムービーで、イギリスのTVドラマ「ダウントン アビー」を何話も続けて観ていた。日本のTVドラマにも、韓流ドラマにもハマることはなかったのに、このイギリスの貴族社会を背景にした人間模様を描いたドラマには、中毒気味。
英語のリスニングのトレーニングや、イギリスの文化の学習などと、言い訳しながら観てるのではあるが、篭りっきりになるのはよくないな。


2018年01月04日(木) 正月三が日

元旦
日の出前に目覚めたので、病室の窓を少しだけ開け、新年の清々しい空気を胸一杯吸い込む。やがて山際がが少しずつ明るくなり、初日の出が射し込む。
朝日を浴びながら、ヨガと呼吸法。
外出許可が出たので、昼前に迎えに来てもらい、家へ。
智美ママがお節料理を重箱に詰めているところだったので、少し手伝い、みんなで新年のテーブルを囲む。お雑煮のよい匂い。
結婚して以来、お節料理を作らなかったお正月は初めてのことだったが、重箱五つ分の豊かなお正月料理が並んだ。生協に注文していたお料理も煮物も美味しく、好評だったのは良かった。私も病院のご飯はほぼ食べられないのに、お雑煮も、お節料理もかなりたくさんいただいた。
午後は子ども達とアイロンビーズやお絵描き、この日のために用意していた手回しオルゴールの曲も全部聴いてもらって、めいみのリクエストのリコーダーも吹いて、5時前に家を出て病院へ戻る。智美ママのお雑煮も持って。

2日
この日も外出許可をいただき、お昼前から5時ごろまで自宅で。昨日できなかった、れおとの「ことわざかるた」、れおのリクエストヴァイオリンも弾いて、これで、計画したことは全部やれたかな。
子ども達との時間は楽しいのだが、今日はちょと疲れも出て、炬燵で横になったりもした。

3日
長男一家は計画していたディズニーランド行きを取りやめ、この日、ママの実家に戻ることへ。この寒さの中、きっと込み込みのディズニーランドは疲れるだけ、その方が賢明。みんなで3時くらいに病院へ来てくれたので、また子ども達と過ごすことができる。曼荼羅塗り絵やお絵描きに今日も子ども達は夢中になっていた。愛ちゃんは、ユーチューブの動画に合わせて、それは楽しそうに踊る。アプリで作った自分たちの顔が出てくるアニメーションを、もいっかい、もいっかい、と見ては、自分の胸をたたいて、あい、あい!お兄ちゃんを指して れお れお!お姉ちゃんを指して めい、めい!とはしゃぐ。2歳ならではの可愛いらしさ。どうしても 愛ちゃんが中心になってしまう。めいちゃんは黙っているけるど、心がちくりちくりとするのが、私にも夫にも見える。子ども達にはそれなりの試練があるけれど、それがまた、心を成長させていくんだろうな。
この子達の育っていく姿をもう少し見届けたいと思った。

今日は4日、血液検査の結果は感染はマイナスと出て、明日退院できる事になった。

まずは、よいお正月だった事に感謝!






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