たりたの日記
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2017年04月30日(日) 改宗式

この日、夫と共にカトリック教会へ改宗。
プロテスタントの教会を離れてから2年、カトリック教会への転会の志しを固め、所属したい教会に目星をつけ、指導神父の元で、聖書や教義の学びのための講座に通い、面談を受けるなど実際に動き始めてからおよそ半年後の今日である。

できればクリスマスには転会をと思っていたので、初めての面談の際、4月30日の改宗式でと言われた時には、長いなぁ、間に合うだろうかと思った。そう思ったということは、すでに半年前に、どこかで自分の身体がまた問題を抱えるようになるかも知れないことを案じていたのだろう。何か先を急ぎたい気持ちがあった事は確かだ。

けれども、今、思えば、この半年という時間にとても意味があったように思う。この間に祈りや学びを深め、神父や代母を始め、カトリック教会の方々との交流を深め、夫や息子達の家族と今後の信仰生活や教会の事について話す機会も持つことができた。家族にとっては、今回の私の病気の再発は問題を先送りできないという気持ちを起こしたのかもしれないし、祈るという行為が身近になったのかもしれない。聖地巡礼もまたその準備のひとつだったのだろう。

改宗式はミサの中で行われ、会衆のみなさんと共に使徒信条を読む。19歳の時に洗礼を受けてから、礼拝の度に口にしてきた使徒信条ではあったが、慣れ親しんできた文語の言葉とも、その後プロテスタントの教会で唱えてきた口語体の文言とも微妙に違っているのでなかなか覚えられず、何度も繰り返すことで、そのひとつひとつの意味を改めて考えるきっかけになった。そして、ここのところ、様々に聖霊の働きを実感していたので、心から「聖霊を信じ」と言うことができた。

改宗式には、イスラエル巡礼の旅でご一緒だった方が6人参加して下さり、何か巡礼がここまで続いているような感覚が起こり、旅が夢ではなく、日常に繋がったようで有り難かった。神父からは美しい聖画の置き物をいただき、代母の方からは、ミサの時に用いる素敵なベールや、霊的書物、花束などのお祝いの品をいただく。また、入門講座の方々や、巡礼でご一緒だった方々からも、カードや贈り物をいただき、カトリック教会の仲間として暖かく受け入れていただけた事が、しみじみとうれしく、有り難かった。

改宗式に続いて、隣の小さなお御堂で、カトリック教会の秘跡のひとつである病者の塗油の秘跡を施していただいた。そこには私たちの改宗式に大阪から駆けつけてくれた次男もいた。また夫の代父と私の代母、また、もう1人の改宗者(この方は偶然にも3年ほど前、テゼの祈りの集いを通して、Facebookでも交流していた方だった!)と、そのお友達、そして、巡礼のお仲間の皆さんたちも同席下さった。

式の後、指導神父からお声をかけていただき、もう1人の改宗者の方とそのお友達と私たち家族で食事を共にする機会をいただいた。次男に神父を引き合わせたいと願っていたので、この機会は思いがけない恵みだった。次男も、私たち同様、神父の人柄を好きになったようだ。食事をしながらの話は今回もとても興味深く、広がりのあるものだった。話題になった 「都市の中の観想 」ピエール・マリ・デルフィユ著、高橋たか子訳
を早速取り寄せ、読み始めている。前回話題に上った、芥川賞受賞作の「コンビニ人間」も読んだが、その感想はまた後で記すことにしよう。


2017年04月27日(木) 4回目の抗がん治療

26日の夜遅く、成田から戻ってくる。有難いことに、たかこさんのご主人が成田まで迎えに来てくれ、車で自宅まで送ってくださったので、車の中で爆睡していた。おかげで、翌朝には疲れも取れた。

夫が午前中、休暇を取り、病院まで送ってくれたので、こちらも楽チン。血液検査などを済ませ、治療室での5時間。
今回ばかりは、読書や祈りではなく、旅の復習と、まとめ。一緒に行った友人にラインで写真をまとめて送ったり、日記をまとめたり、ガイドブックを見ながら確認したりと、忙しく、点滴を付けていることを忘れてしまって、時々、流れが悪くなり看護師さんに注意をうける。

今回も吐き気はなし。夕方6時過ぎに迎えに来てくれた夫と、和食レストランへ。久々の日本食が嬉しく、美味しかった。


2017年04月25日(火) イスラエル聖地巡礼旅日記 7 <オリーブ山、エンカレム、エマオ >

まずは、再びオリーブ山で、これまでの巡礼のルートを確認し、「主の昇天教会」へ。ここはイエスが天に昇った場所に立てられたとする教会。雲ひとつない青空に、教会の白い石の建物が映え、美しかった。

「主の祈りの教会」は世界各国の言葉で記された 主の祈りのプレートが外の壁や回廊の壁にタイルとしてはめ込まれている。日本語のプレートは、聖堂内の左の壁の目立つ場所にあった。

その後、エルサレムの喧騒を離れて、静かな山里 エンカレム(葡萄園の泉)へ。ここにはイエスの母マリアがバプテスマのヨハネの母である従姉妹のエリザベスを訪問した場所に立てられた「訪問教会」がある。
この時マリアが歌った「マリア賛歌」マニフィカートが46ヶ国語で教会の壁に貼られてあった。
教会から長い下り坂を歩きながら、神父にラテン語でのマニフィカトを教えていただき、ロザリオの祈りのグレゴリオ聖歌をご一緒に歌ったのは、とてもよい思い出。
お昼は緑と花々に囲まれたレストランで。
具ののっていないピザに、3種類のソースをつけていただくものや、ピザの皮で挟んで焼いたアップルパイは珍しいメニューだった。
ここでも、ミルクなしの、小さなカップのアラビックコーヒー。

その後、ヘブライ大学付属ハダサー医療センターへ。その敷地内に立つ、ユダヤ教の会堂シナゴーグに飾られてある、シャガールのステンドグラスを観る。イスラエルの12部族の元になるヤコブの12人の息子達をモチーフにした12枚のステンドグラスはそれは美しき素晴らしいものだった。
ここにはシャガールの平和への強い思いが込められているという。

最後は夕暮れ間近のエマオへ。ビザンチン時代の(AD15c)エマオ遺跡の中にある、戸外の礼拝場で、最後のミサ。
ここでも、聖餐式の時、リコーダーを吹かせていただく。曲は、グレゴリオ聖歌、復活祭の続唱ヴィクティマエ・パスカリ・ラウデス (Victimae Paschali Laudes)

お世話になったユダヤ人のご夫婦と、イスラム人の素晴らしいドライバー、サムエルさんをお招きしてのお別れの夕食会の後、美しい夕陽を浴びながら、テルアビブの空港へ。
よい、聖地巡礼の旅に感謝!


2017年04月24日(月) イスラエル聖地巡礼旅日記 6<イエスが繋がれた牢獄〜十字架の道行き>

まずは、鶏鳴教会・The Church of Saint Peter in Gallicantu へ。
この教会建物自体はペテロ伝承に基づき新しく建てられたものだか、教会の側にある磨り減った石段はイエスの時代に建造されたもので、イエスその人が実際に歩いた可能性もある場所、イエスが一晩繋がれていたとされる牢獄の中にしばし佇む。
8時45分からのミサは、イエスが一晩つながれた牢獄の上にあるチャペルで。ここでも、聖餐式の時にリコーダーを吹かせていただく。曲は、ファン・エイクのリコーダーソロ曲、Psalm9(詩篇第9編)。

次に「最後の晩餐の部屋」へ。イエスがユダヤ教の指導者たちによって捕えられる前夜、イスカリオテのユダを含む弟子たちとともに食事をしたとされる場所だが、現在の建物は十字軍が建てたゴシック様式の建物。また、ここは「ダビデ王の墓」の二階の部分にある。

その後は、イギリスの教会が管理する 墓地公園で、イエスの時代の墓の遺跡、しゃれこうべの丘の当時の様子を留めている場所を見、
午後からは今回の巡礼のクライマックス、十字架の道行き。
雑踏にもまれつつ、イエスが十字架を担いで歩いた道、ヴィア・ドロローサの14のステーションに留まり、神父から話しを聞き、祈りながら進む。


2017年04月23日(日) イスラエル聖地巡礼旅日記 5< オリーブ山、嘆きの壁、聖誕教会、ゲッセマネの園>

オリーブ山からエルサレム入城から始まる十字架の道行きを眺望した後、嘆きの壁へ。壁に頭や手を付け、熱心に祈っている方々に混じり、壁に近づいていく。祈りの言葉書いた紙を、ソロモンの時代の組み石の隙間に差入れ、壁に手を当て、祈る。
ユダヤ教の聖地でありながら、イスラム人に管理されているという緊張を伴う場所。ここにもたくさんのポリスの車や、イスラエルの兵士の姿があった。

イエスの聖誕を記念するベツレヘムの教会は、世界各国からの巡礼者が必ず訪れる場所。なかなか進まない長い列での待ち時間の末、ようやく、イエス降誕のスポットに手を触れる。

受難を受ける前の夜、イエスが血の汗を流し祈ったゲッセマネの園に建てられた教会(万国民教会)で沢山の異なる方々と一緒にミサに与る。
ミサは英語、ラテン語、イタリア語、フランス語、アラビア語、と様々な言語で一つのミサが行われ、胸に迫るものあった。キリエ、グロリア、クレド、主の祈りは四線のネウマ譜に書かれたグレゴリオ聖歌で、私にとっては馴染みのものだった。この2年間グレゴリオ聖歌を学んできたことが、ここに繋がった。
礼拝堂の天井も壁も、オリーブの木を背景にし、太陽や月や星とともに、イエスや弟子たちの物語が描かれいる。
英語でのメッセージを聞いている時、天井の白い服を着て、両手を広げているイエスが、
「わたしの愛する子」とわたしの魂に呼びかけてくださるのを感じ、慰めと感謝のを涙に溢れる。罪多く、貧しい、この私にも、そのように呼びかけてくださるのだと。

同行して下さった塩野谷神父が、この旅の始まりの時に、みなさん、おひとり、おひとりがイエス様と出会えますように、と祈ってくださり、これまでの説教の中で、この世の目標は、神様から「これは、わたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。マタイ3:17」と言っていただくことというお話しをいただいたが、この日のミサの中で、このような慰めの時をいただけたことは、これから先、繰り返し私に慰めと力を下さるに違いない。


2017年04月22日(土) イスラエル聖地巡礼旅日記 4< イエスの洗礼の場所、クムラン教団遺跡、死海、ベツレヘムの洞窟の教会>

4月22日
イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けたヨルダン川の水を汲み、死海文書が発見された クムラン教団の遺跡を歩き、死海に足を浸して岩塩を取り、イエスが40日間を過ごしたユダの荒野を目の当たりにし、感慨深いものがあった。イエスが悪魔と対峙した荒野の人を寄せ付けないような厳しさ、そして、その荒野の岩の壁をくりぬいて建てられような風情の修道院の様子は目に焼き付いた。今でもここでは修道生活が行われているという。それはどういうものだろう。訪ねることは可能なのだろうか。遥か遠くのその修道院を眺めていると、人が1人、崖の上の方から、その修道院の建物に向かって道もないような、ところを歩いて降りて行く姿を見た。そこには世の中の生活とは違った生活があり、異なる時間が流れているのだろう。
夕方、ベツレヘムの洞窟の教会(良き羊飼いの野)でミサ。
ミサの中で聖書朗読を担当する。聖書の箇所は ミカ書5章1〜3、ベツレヘムにキリストが誕生するという預言。

1 エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
2 まことに、主は彼らを捨ておかれる/産婦が子を産むときまで。そのとき、彼の兄弟の残りの者は/イスラエルの子らのもとに帰って来る。
3 彼は立って、群れを養う/主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり/その力が地の果てに及ぶからだ。

また、聖餐式の間、リコーダーで ファン・エイクの「聖なる祝されたベツレヘム」を吹かせていただいた。
この曲を吹く度、羊飼い達が羊の番をする野原を、石をくりぬいた洞窟のような家畜小屋にいる母マリアと父ヨセフと幼子イエスを
思い浮かべていた。まさか、そんなベツレヘムの生誕を記念する礼拝堂の中で、しかもミサの中で、この曲を吹く事ができると考えても見ないことだった。
今回の旅は参加するだけで精一杯。きっとラりコーダーなど吹く余裕も場所もないだろうと思っていた。けれど、荷物をいよいよ預ける日になって、楽譜とリコーダーをスーツケースの中に押し込しこんだのだった。
これまで学んできた、朗読もまた。


2017年04月20日(木) イスラエル聖地巡礼旅日記 3< ガリラヤ湖〜ヨルダン川>


イエスが日々眺めていたガリラヤ湖、ペトロ達に出会い、ペテロたちは網を捨ててイエスに従ったガリラヤ湖、子どもの頃から聞いてきた懐かしい言葉の湖が、目の前に広がっている。

ガリラヤ湖のほとりに立つ、「ペトロの首位権教会」へ。
その教会は復活のイエスが弟子達といっしょに魚を食べ、共に過ごした場所に立つ。

フィリポ カエサリアでは、ヨルダン川の上流で水を汲み、午後はガリラヤ湖で湖上ミサを。ガリラヤ湖の漁師さん達の歌を聴き、この地方の歌を収めたCDや彼らがガリラヤ湖の石を磨いて作ったアクセサリーなどを求める。
昼食は農村共同体、キブツが経営するレストランで。
キブツの売店で、この土地の名物のなつめやしやいちじくのドライフルーツを沢山求める。結構な重さになった。


2017年04月19日(水) イスラエル聖地巡礼の旅日記 2 < カエサリア〜ナザレ>

まずは、パウロ、ペテロが伝道の旅に出たカエサリアの港跡へ。
雲ひとつない青空と様々なブルーが混ざり合う美しい海。今までに見たことのない海の色!

次に訪ねたところはイエス時代のナザレを再現した、ナザレビレッジ。そのイメージを持って、マリアの育った家の後に建てられた「受胎告知教会」そしてイエスが過ごしたであろう場所に建てられた 聖家族の住居跡へ。

教会の一致の為に祈る、シュマン・ヌフ共同体の礼拝堂でミサ、そして、共同体ので建物の中にある、イエスの時代の住居跡を見る。日本人のシスターがこの共同体でお仕事をされているので、遺跡や、共同体について説明をして下さる。夕食も、こちらの修道院で。ホテルやレストランの食事とは一味違った、暖かな家庭的なお料理をいただく。売店にも素敵なものがたくさん!
ここの礼拝堂に描かれている、ロザリオの祈りの4つの神秘の20枚のイコンをカードにしたものや、小さなイコンの置物や、オリーブの十字架などを求める。


2017年04月18日(火) イスラエル聖地巡礼旅日記 1 < テルアビブに到着 >

4月18日から26日までのイスラエル聖地巡礼の旅が無事終わり、昨日は2クール目の治療を済ませ、今日は一日、荷物の整理をしていた。まだ終わってはいないけれど、ここに旅のメモを記しておくことにしよう。
まずは フェイス ブックに写真と共に記したものに少し書き足してここに。


4月18日

昨夜、遅く、テルアビブに到着、これから26日まで、イスラエル巡礼の旅、始まり。
朝、一緒にこのツアーに参加した、友人の たけこさんと、たかこさんと一緒に ホテルの近くの海岸へ散歩に出かける。
地中海料理の朝食はヘルシーで美味しい。


2017年04月16日(日) イースターのフィールド・トリップ

イースターの今日、英語教室の卒業生達3人と、イグナチオ教会の英語ミサと上智大キャンパスへのフィールド トリップ(社会見学)へ。


ミサの時、私達の隣に座っていた家族は、オーストラリアとフィリピンから日本に観光に来ている方たちだった。ミサの後、この家族、リリーさん、ご主人、2人の男の子、お母さんとしばらく、自己紹介をしたり、住んでいる場所のことや、高校生達の学んでいることなど、しばらく、英語で話しをする機会も持つことができた。
お御堂を出たところには、エスニカンフードの屋台が出ていて、長い列。美味しそう、並ぼうかと列の最後へ。ちょうど私達のところで売り切れ、なんとか美味しいカレーにありつけた。
教会の売店にも立ち寄り、彼らにミサ初参加の記念に、新約聖書をプレゼント。

英語のミサは難しくて聞き取れなかったけれど、歌をたくさん歌えてよかった。
こんなにたくさんの外国人を見たのは初めてで、ミサもよい体験だった。英語で話そうとしても、すぐに言葉が出てこないから、もっと勉強しなくちゃと思ったなど、それぞれがグループのLINEに感想を書いてくれていた。お母様達からも良い体験だったと言っていただけて、よかった。これからも、大使館のオープンハウスや、インターナショナルフェアなど、高校生たちと英語を繋げるフィールド・トリップができるといいな。


2017年04月15日(土) 聖金曜日、聖土曜日 のこと

昨日の夜、眠る前に聖金曜日と聖土曜日のことを書いていたら、書いている内に眠ってしまって、書いたこともなくなってしまった。
書いたことをもう一度、書く気持ちになれないけど。

聖金曜日は ミサに出られなかったので、十字架の道行きの祈りを、家でひとり読み、午後からスーツケースを詰め、ようやく準備が整いほっとする。

聖土曜日の一日は、午前中は、イスラエル巡礼のそれぞれの場所に関係のある聖書の箇所がリストアップされているレジュメを、旅行会社からもらっていたので、その聖書の箇所を順番に読んでいく。午後は久々にリコーダーを吹く。いつも、旅には必ずリコーダーを持っていくのだか、今回はツアーの旅だし、そのつもりはなかった。でも、どこかで吹くチャンスがないとも言えない。ファン エイクの 「聖なるベツレヘム」や、「マリアの讃歌」、詩篇のタイトルがついているものなど、数曲の楽譜と共にリコーダーを持っていくことにした。それで、一通り、吹いてみたところ。リコーダーが吹けるというのは、体力と気力がある証拠。

夫の車で、スーツケースを宅急便に出し、残りの買い物をし、ジムの温泉へ行き、9時前に帰宅。人参ジュースの後、遅い夕飯。サーモンと椎茸と小松菜のバター焼き。長ひじきの煮物、若芽と豆腐の味噌汁。


2017年04月14日(金) スマイルゼミ


スマホで日記やメールを打っていると、チリンと音がして、「玲央くんが勉強を開始しました。」というお知らせの文字が液晶に出てくる。
時には、算数で100点を取りました。とか、メールを送りましたとか、写真を送りましたとか。
スマイルゼミ というのは、タブレットによる通信学習。れおはインターナショナルスクールに通い、英語で教育を受けることになるので、日本の勉強を何とかしなくては、と老婆心に駆られて、申し込んだ。
私たちが海外駐在をした時、一番気にかかったのが、子ども達の日本語での学習のことだったから。当時は、海外子女財団の通信学習に頼るしかなく、問題用紙を仕上げ、日本に送り、1ヶ月くらいして、赤ペンで添削された
用紙が日本から送られてくるという具合だったから、このタブレットの通信学習の何と便利なことだろう。
みまもりトークというLINEのような機能があり、そこにお知らせや れおからのメールや写真などが届くので、私はそのつど返事をかける。ほぼ毎日、やりとりが、続いている。

そんなわけで、長男一家は3月末からベトナム暮らしとなったが、距離は離れていても交流は密になっているのは不思議なこと。また、毎日のようにLINEでTV電話がかかってくるので、家の中の様子や3人の孫たちの様子が良く分かる。
3歳のめいみが、
パパママ、よるねるとき、みんなで、パパママのこと、おいのりしてるよ〜
と言うと、
私達がわすれてると、めいちゃんが、お祈りは?と言うんです
とママ
灯を消した、眠りにつく前の部屋で、父親と、小さな子ども達3人が、頭を垂れて祈っているレンブラントの絵のような写真をママが撮って送ってくれた。

次男のところからは、朝の9時前ごろ、宗ちゃんの離乳食の時間にテレビ電話が入る。次男は出勤が朝はゆっくりでよいので、ママが離乳食を用意し、パパが食べさせるという感じ。据付られたカメラが映す、子育ての様子を見ながら、こんなに朝ゆっくりと2人一緒に子どもにかかわれるなんて、恵まれているなと思う。またその様子をこのように知ることができるのは、ほんとに嬉しい。

私達の子育ての時には、どうだったのだろう。たまに、子ども達の様子を手紙に書いて写真を同封して、宮崎と大分のそれぞれの親に送っていた。ビデオやカセットテープもたまには送ったが、長距離通話は高くついたからなかなか昼間に子ども達と電話で話すことはなかったような気がする。

アメリカ滞在の5年間はさらに交流は難しかったから親達は孫達のことを心配しながら、寂しい気持ちでいたんではないだろうか。
それだからか、日本のアニメや教育番組のビデオが頻繁に送られてきた。当時再放送されていた「ひょっこり ひょうたん島」も全て送られて来て、親子で楽しんだ。
毎日、録画しては、エアメールで送ってくれていたんだなぁ、スマイルゼミのお手軽さや、便利さに比べると、我が子達の祖母はなんと労力を惜しまず、孫達の教育の応援をしてくれた事だろう。
あの時の親達の思いが、今ようやく分かり、有り難く思う。


2017年04月13日(木) 3回目の治療の日

3回目の抗がん剤治療の日。3週間の1クールを終えて、2クール目ということになる。

8時5分のシャトルで大宮へ、いつものように、ちょっと奮発して、PAULのサンドイッチを買う。
まずは、ガン治療センターへ。ここは広くゆったりとしたロビーにふかふかのソファーや書架があり、人もあまりいなくて静かで心地よい空間だ。
血液検査と診察は、一般外来で。ここは、椅子が足りないほど、人が溢れている。
検査の結果、白血球は前回の2200から2700に上がっているので、今日も治療を受けることができる。治療を受けても月曜日からの旅行も問題ないでしょうと医師。次の治療は、旅から戻って翌日の12時。

この病院には、美味しい焼きたてのパンを売っているベーカリーのカフェがある。ここで、大きめのカップのカフェラテを買って、先ほど受付した、治療センターへ行くことにしている。何しろ、5時間、そこのリクライニングシートで過ごすのだから、せめて、美味しいコーヒーを飲みながら。

今日の課題は、先日から読んでいる ハリー ・エドワーズの「霊的治療の解明」を読了すること。この本を読んでいる途中、イギリスの ハリー ・エドワーズ治療院に遠隔治療の申し込みをした事は前に書いたが、丁寧な返信をいただき、リストに名前を加え、遠隔治療をして下さる旨、書かれていた。私からも、その後の様子を教えてくれると、治療の助けになるということなので、遠く離れたイギリスの治療者との文通が始まることになる。読んでいる本が、実際に人と人との関係をもたらす。治療者、ハリー ・エドワーズの事を知ることができてよかった。

今日も5時間はあっという間だった。また、今回もセルフヒーリングを試そうと思っていたのだが、血管痛はほとんどなく、拍子抜けだった。読書しながら、深い複式呼吸。

帰りにお惣菜か弁当を買うつもりにしていたが、素材を買って自分で作ったものを食べたくなり、野菜や魚類を沢山買う。この前の治療の時にはそんな気力も元気もなかったのに。

薬に身体が馴染んできたのか、食事療法や各種健康食品が効いているのか、みんなの祈りや、イギリスからの遠隔治療の効果なのか、きっとそのすべてが私の身体と魂とを支えてくれているのに違いない。すべては聖霊の働き。充足した感覚、守られていることの暖かさを体感できるほど。


2017年04月12日(水) 充ち満ちた 祈りと癒しの時間

ここのところ寒くてお天気の悪い日が続いていたが、久々によい天気なので、歩く。
最後の桜が風に舞い、菜の花が揺れる。暖かな日差しはあるものの、風は強くやや冷たい。帰りは向かい風になるので、息が苦しいほどの風。しばらく後ろ向きで歩く。
歩きながらロザリオの祈り、主の受難のミサ曲。充ち満ちた祈りと癒しの時間。庭のチューリップの蕾が赤く色づき、膨らんできた。ちょうどイースターに咲くだろう。

午後、旅の支度を少しだけして、クラスの準備。4時20分から8時まで、続けて 3クラス。教室は旅と、ゴールデンウィークで、3週間のお休みとなる。それぞれのクラスにお休み中の課題を渡す。小学校高学年クラスと中学生クラスは4月からラジオ基礎英語を毎日聴くということにしているので、こういう時は心強い。クラスでダイアログを読ませてみると、みんなスラスラ読める。ちゃんと聴いていることが分かる。親子で聴いているという声も複数あった。基礎英語を導入してよかった。
私も朝6時から人参ジュースや朝食の支度をしながらだが、聴いている。けっこう、楽しい番組になっている。聴きながら、子ども達の笑顔が浮かんでくる。

クラスを終えて、夕食を取り、ジムの温泉へ。再び、祈りと癒しの時間。



2017年04月11日(火) 昨日のこと、四ツ谷へ

昨日のこと、夕方から四ツ谷へ。日曜日に続いての遠出だが、この日はどうしても出かけたい理由があった。
英神父の聖書入門講座を受けて、この復活の主日で洗礼を受ける人と、4月30日のミサの中で改宗式を受ける人のための講座が予定されていた。改宗式は私と夫の2人の他にもう1人いらしたのだが、その方がなんと、Facebookでもやり取りのある、Nさんだった。Nさんとは、共通の友人を通して知り合い、私がリードしていた、テゼの祈りの集いに参加して下さったこともある。コンポステーラの巡礼路を歩いてきたばかりだというので、共通の話題もあった。Nさんが、夜の聖書入門講座に参加しているという話しは聞いていたものの、同じ日に改宗式を受けるとは。不思議な繫がりだ。

講座の後、会に参加されていた10名ほどの方々と一緒に夕食へ。こうした、集まりも初めてのこと。私たちにとっては、初めてお会いする方々ばかりだったが、打ち解けた感じがあり、文学の話しで盛り上がり、かなり楽しかった。20代からプロテスタント教会に行っていて、なぜカトリックへ改宗するのかという質問があったが、私にとって、故郷の教会を離れてからは、転居などに伴い、いろいろ教会を変わりながらも、納得できる教会に出会えないまま、ここまで来てしまった。一方で、カトリック作家の高橋たか子の著書を通して、カトリック的な信仰に憧憬を持ち、黙想やグレゴリオ聖歌などを通して、カトリック教会と関わるようになり、病気をした時、自分の納得する信仰生活をしたいと思い、改宗を決めたと話した。

高橋たか子は、実はぼくも大好きなんですよと神父。これまでに、高橋たか子が好きだという人にはあまり会ったことがない。文学ゼミで、高橋氏の「ロンリー ウーマン」を取り上げた時も、私はかなり気合を入れて、論文など書いたりしたが、彼女の作品は不評で、よい印象を持った人はあまりいなかった。それだから、この神父の発言は嬉しいかった。その話をきっかけに文学論に話しが開いていき、時間を忘れてしまうほどだった。
出会いがあり、繫がりがあり、点と点とが繋がっていくのを感じていた。

高橋たか子の本を再読する時間はあるだろうか。夢中で貪り読み、手紙まで書いた熱狂的な読者だったが、今ならまた、違った味わい方ができるかもしれない。買っていてまだ読まずにいた 「墓の話」から読んでみようか。








2017年04月10日(月) 真紅のバラ 50本

昨日の驚くべきプレゼントのことを今日は書こう。
遅くなって帰宅した玄関に置かれてあったりたのは、数え切れないほどの真紅の薔薇の花束!大きく背の高いガラスの花瓶も添えられてあった。友人のNさんが、息子さんの運転ではるばる届けてくださったのだった。

Nさんは長男が小5の時のママ友。アメリカから帰国後、日本の小学校の様子がまるで分からずトンチンカンな親子を励まし支えてくれた。その後もいろいろな繋がりがあって、退職後、Mさんが始めた素敵なパンケーキのお店でリコーダーを吹かせていただいたり、リコーダーのライブにも応援に来てくれたり。
今度、お店で吹かせていただくとすればこの曲だなと思いながら練習していたのに、なかなか行けないでいた。

この数え切れないほどの薔薇は50本あった。
私の身体の事を気にかけてくれ、イスラエルへの旅に行く前にパワーをと、届けてくれた薔薇。ずっしりと重い薔薇の花束を抱き抱えると、そこからもの凄いエネルギーが伝わってくる。こんなにたくさんの薔薇を手にするのは初めてのこと、薔薇は1本でも強いエネルギーを持っているからこの数ではそのパワーも半端ではない。
急ぎ水切りをしながら、いただいた花瓶と、後2つの花瓶に夢中で活ける。

昨夜は、ベットの両側に薔薇の花瓶を置き、その内の1本を胸に眠った。抗がん治療を始めてから眠りが浅く、夜中に起きては睡眠導入剤を飲む夜が多くなっていたのだか、昨夜はとても深く眠った。
明け方の夢にはめったに登場しない若い頃の父と母が、しきりに私の誕生日のための料理をしている。テーブルの上には、ベッドの脇のと同じ真紅の薔薇が沢山飾ってあって、夢の中でも、Mさんからの薔薇であると分かっている。親は若いが、私はなぜか、今の私。
この夢が意味していることは分からないけれど、私の深いところで、何らかのヒーリングが起こっていたのかもしれない。

また、起きがけのぼんやりした意識の中で、薔薇50本が 特別な意味を持つことに思い当たった。ロザリオの祈りの薔薇だ、と。
ここ数ヶ月、ほぼ毎日のように唱えている
ロザリオの祈り、ロザリオは薔薇の花のこと。ロザリオの祈りは、ひとつ、ひとつ、玉を50個繰りながら、50回、アヴェ マリアの祈りを唱えるのだが、それは聖母マリアに薔薇の花を編んで冠を捧げるとことだと以前、本で読んだことを思い出した。
50回の祈りは50本の薔薇ということになる。

実際に50本の薔薇を目の前にしてみて、その薔薇の冠がどれ程喜ばしい捧げものとなるか、実感を持つ。これからは、ロザリオの祈りを唱える度に、この50本の真紅の薔薇を心の眼で観ることになるのだろう。

また今はイエスの受難を覚える聖週間。真紅の薔薇は、また、イエスが私たちのために流された、贖いの血を象徴するものでもある。
身体にパワーをいただけるだけではなく、魂に深い、慰めと浄化をいただいて1週間を過ごすことができそう。感謝!


<アヴェ マリアの祈り>

    アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
    主はあなたとともにおられます。
    あなたは女のうちで祝福され、
    ご胎内の御子イエスも祝福されています。
    神の母聖マリア、
    わたしたち罪びとのために、
    今も、死を迎える時も、お祈りください。
    アーメン

    Ave Maria, gratia plena,
    Dominus tecum,
    benedicta tu in mulieribus,
    et benedictus fructus ventris tui Jesus.
    Sancta Maria mater Dei,
    ora pro nobis peccatoribus,
    nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen.


2017年04月09日(日) 枝の主日に

この日、主イエスのエルサレム入場を記念する、枝の主日。聖週間の始まりの日。

治療が始まってから2週間目くらいまでは白血球の数値が下がるというので、外出は避けていたが、この日は朝、7時過ぎに家を出て、東久留米の聖グレゴリオの家の「枝の主日のミサ」へ。9時半からの聖歌隊の練習に参加させていただき、ミサで歌われるグレゴリオ聖歌を予習。いつもなら、春の日差しの中、戸外で祝別された 棕櫚の葉を手に行列をするところ生憎の小雨、ロビーで棕櫚の葉をいただき、聖堂へ。

今日のミサは文学ゼミの友人のKさんと一緒に与る。Kさんと以前、ここを訪ねたことがある。Kさんはその建築物に心を寄せ、NYのクロイスターの印象と共に美しいエッセイにまとめていたが、ミサへの参加は初めてのこと。その美しい聖堂でどのような典礼がなされるのか、一度Kさんにも体験していただきたいと前から思っていたので、この機会はうれしかった。

ミサの後、ハラハラと風に舞う桜の花びらの下、雑木林の中の小径を通って駅へ。インドカレーのお店でゆっくりランチ。ゼミにもしばらく顔を出していないから、Kさんとお会いするのもずいぶん久しぶりの事。いろいろ報告。治療開始のことも。5月のゼミは大阪行きと重なりまた欠席だが、6月にはぜひ参加したいところ。

Kさんとお別れし、再び、聖グレゴリオの家へ。3時からの「グレゴリオ聖歌入門講座」に出席。この日の受講生は、来月イグナチオ教会での改宗式で、代母をしてくださることになっているMさんと私の二人。現在歌われることが許されている4つのSequentia(続唱)について学ぶ。復活の続唱、聖霊の続唱、聖体の続唱、続唱・悲しみの聖母の4曲。
復活の続唱、Victimae paschali ludes は 讃美歌第2編の91番に「われらのすぎこし」として載せられているもので、以前から好きだった讃美歌だ。この歌の原曲ををネウマ譜で歌うことに深い感慨と喜びを覚えた。

講座の後、Mさんとしばらくお茶をしながら、来週からのエルサレム巡礼の旅(彼女はすでにこの1月に参加している)のことや、改宗式のことなどについて話をする。
帰りはジムへ立ち寄り、温泉へ。待ち合わせしていた夫とリンガーハットで夕食にし、9時過ぎ帰宅。

玄関には驚くばかりの贈り物が届いていた。この事は翌日の日記に。


*******************

讃美歌第2編91番「われらのすぎこし」

われらのすぎこし、
主はほふられぬ。
世の罪を負い、
こひつじなる主は
み父にとりなしたもう。
はげしきいくさを
死とたたかいて、
いのちの主は勝ちたもう。
語れ、マリヤ、
汝(な)が見しままを。
「むなしきみ墓と
 生ける主をわれは見たり。
 布のみ残りて
 さかえはみちぬ。
 望みなる主イエス
 ガリラヤにゆきたもう」。
主はげに死に勝ちて
世をすべたもう。
主よ、あわれみたまえや。
アーメン


http://hosanna.romaaeterna.jp/hymn/sambika/sam2_091.html


2017年04月08日(土) 買い物、読書、ヨガの土曜日

久々に何にも予定のない土曜日。お花見に行こうと話していたが、生憎の小雨模様。
お花見は諦め、旅支度のために夫の運転でユニクロへ。ウルトラストレッチジーンズや、下着類や靴下など、リストアップしていたものを一通り買い、夕方のビンヤサヨガの時間まで、タリーズで読書。

若松 英輔著「イエス伝」を読む。若松氏の事は 「100分で名著」の内村鑑三著「代表的日本人」や、石牟礼道子著「苦海浄土」の指南役としても話しがとても興味深く、2月6日に、に映画「沈黙」についての山根道公氏との対談を聞き、この人のイエス伝を是非とも読みたいと思った。作者の眼を通して語られるイエスは、私がよく知っているイエスの姿で、ひとつひとつ、うなづきながら読む感じ。共感を覚えながら読む本はいい。

夫と共に5時半からのビンヤサヨガのクラスへ。太陽礼拝のシークエンスを、数回続けで行うヨガ。治療を始めてから、しばらくヨガのクラスに出るのも控えていたので久々のヨガ。
体重が減った分、ヨガはやり易くなったように思う。疲れもなく、インストラクターの
指示通りに動くのに支障はない。
しかし、一昨年の暮れには、この太陽礼拝を81回、ノンストップで繰り返したのだから、手術の1ヶ月前だったのに、何と体力があったことだろう。あの時、81回のビンヤサヨガにチャレンジしてよかったと思う。


2017年04月07日(金) 自己治癒力

昨夜からハリー エドワーズの「霊的治療の解明」という本を読んでいる。長い間、書架の良く見える場所に座を占めていた本だが、開かれることもなく、5年ほど過ぎたろうか。ようやく開く気になったのは今私の関心が、 ヒーリング、霊的治癒に向かっているという証拠だ。

必要に迫られているからなのか、難しくて挫折していた本がスラスラと入ってくる。10年ほど前、ヒーリングの勉強やトレーニングを受けていたことがあったが、その時の実践や知識も蘇ってきた。あの時には遠隔治療を受けつつも、また、自分でセルフヒーリングの実践を試みながらも、キリスト者がこういことを信じたり、行なったりしても良いのだろうかという疑いがどこかにあった。今、プロテスタント教会からカトリック教会への改宗を目前にしている立場にあれば、こうした霊的治癒にしてもこれまでとは違った見え方がする。カトリック教会の場合はルルドでの癒しや、癒しのミサなど、霊的治療やヒーリングそのものは教会の歴史の中にあり、今も大切にされているからだ。

さて、この ハリー・エドワーズの治療院がイギリスにあることは知っていた。これまで行きたい場所のリストには入っていなかったが、この夏のベトナム行きの次にはここに行き、霊的治療を実際に受けて見たいという気持ちが起こってきた。それで、サイトを調べたところ、まずトップページに ディスタンスヒーリング (遠隔治療)の申し込みフォームが出てきた。基本的に無料で自由献金。行くのはすぐにというわけにはいかないが、ヒーリングの申し込みなら今でもできる。申し込みのフォームに必要なことを記入し送信する。

そうこうしている時、宅急便で一冊の本が届く。「アート ヒーリング」ルチア.カパチオーネ著。金沢に住む弟の連れ合い、義妹からだった。この本を私に送りたいと絶版になっている本を探してくれていて、ようやく見つかったから送ったということだった。彼女は私の今の状況を知らないだろうし、私が昨日あたりから自己治癒力について関心を向け始めたなんて知るよしもなかっただろう。でも、彼女は、この本を私に届けたいと思ってくれた。有難い。そしてこれもまさに聖霊の働きによるもの。

実際、この本に引き込まれ、一息に読んでしまった。この本にある、絵を描くことは、今、自己治癒のひとつの方法として、私に差し出されたことのように思える。この本のなかで引用されていた、「イメージの治癒力」マーティン・ロスマン著 や「自己治癒力」ジーン・アクタバーグ著 は随分前に買って、今も目の前の書架に座している。その隣にはユングの「個性化とマンダラ」が並んでいる。すべてが、今日届いた、アート・ヒーリングに繋がるもの。この3冊を取り出し、続けて読み始める。

夫からは、描け、創れと言われ続けていたのに、私にはその素養はないし、その気にもなれないままこの年になってしまったけど、自己治癒のためなら描いたり、創ったりすることができるような気がする。きっとそこにはわたしが解放しなくてはならないものも出てくるのだろう。
それにしても、必要なものは、すでに与えられていたり、また、今も与えられ続けていることを有り難く思う。

今日は、つくしんぼ保育園でのヨガの最後のクラスだった。今後抗がん治療が木曜日に行われると、翌日は辛い。また、6月からは治療が金曜日に変更になる可能性もある。一旦、お休みをいただくことにし、自己治癒力を発揮して、見事、サバイブできたあかつきには、また、この場所で、ヨガのクラスをさせていただこう。

今日のヨガは免疫力を高めるアーサナを中心に行う。音楽は受難節のためのグレゴリオ聖歌、ファンエイクのリコーダーソロ、波多野睦美さんのソプラノによるイギリス民謡、坂本美雨のPie Jesu , Edo & Jo のYa Deviを70分にまとめて、今日のクラスのために作ったヒーリング音楽。私にとっても、ひとつひとつのヨガクラスを思い起こさせる記念の音楽となった。

今日の参加者の中には、大学生とそのお母さんがいらしたが、この大学生の御嬢さんは、かつて英語教室の幼児クラスに来ていたMちゃん。お母さんは昔のままなので分かったが、Mちゃんは見てもすぐには分からなかった。14年も経っているのだものねえ。
それでもこうして覚えてくださって参加してくださるのはほんとにうれしく感慨深い。
今年英語教室を卒業し高校生になるRくんのお母さんもヨガクラスに参加してくださり、素敵な香りのアロマキャンドルとケルティックハープのCDをプレゼントしてくださる。どちらもヒーリングを促してくれるもの。

そして、つくしんぼ保育園の先生方からは、和歌山県産のレモンを一箱いただく。 見るからに健康そうなレモンが45個も入っていた。人参ジュースを続ける上で必要なレモン、どうやって無農薬の国産レモンを手に入れるか思案している ところだった。実際、明日の分のレモンも切らしているところだった。こちらは身体のヒーリングに効果をもたらすもの。
またもや必要なものが届けられた。感謝!





2017年04月06日(木) エステとリフレクソロジー

今日は、2カ月振りにエステへ。

こちらのエステは、我が家から徒歩 2分くらいのところに住むママ友が、自宅の一階をエステルームにし、1年半前にオープンしたアットホームなエステサロン。エスティシャンのSさんは、長男の中学時代の大の仲良しのKくんのママでもあり、私の英語教室に小1の時から通ってきてくれていた妹のMちゃんのママでもある。
60歳になるまで、エステはまるで無縁な世界だったが、ここのオープンの時から、1カ月に一度とか、2カ月に1度の割合でお世話になっている。

いつも、丁寧なエステをして下さるので、私はすっかり寛ぎ、リフレッシュするのだが、今日はお誕生日月ということで、リフレクソロジーを特別価格で加えて下さったので、さらに深いリフレッシュの時間になった。足のマッサージはとても気持ちがよく、デトックスが起こっているなと感じた。次回からは、リフレクソロジーもやっていただくことにした。治療に繋がりそうなものは何でもやってみるつもりでいたので、これは良い出会い。






2017年04月05日(水) 人生はパフォーマンス

今朝も たりたの日記の振り返りをしている。
あまりに膨大な量なので、最初から読んでいては、いつ終わるか分からない。そこで、適当にどこか4月の分を開いてみる。2004年という年が、あまり印象に残っていないので、今朝は2004年の4月を振り返りることにした。一番最初に出てきた、4月29日の日記、今も目の前の書架にある、「内なるオルフェウスの歌」について書いてある。13年前の私が書いたものだが、そこから今朝、フツフツの身体を駆け巡るようなエネルギーをもらった。

ここに載せておこう。

「内なるオルフェウスの歌」を開いて
今朝は珍しく、朝の五時半という時間に起きて、PCの創作のノートに向かった。

といっても、ストーリーの筋を考えたり、物語の出だしを考えたりしたわけではない。どのように書こうとしているのか、また書きたいのか、そこのところについて考えを巡らせている。

手元にある本は、古楽音楽家、アントニー・ルーリーの「内なるオルフェウスの歌」(有村裕輔訳・音楽之友社)
この本の帯には
「この世はすべて舞台だ!人はみな自らの内にオルフェウスを宿している。
その歌声に耳を傾けるとき、人生はひとつのパフォーマンスになる。
―古楽界の奇才が繰り広げるパフォーマンスの錬金術」とある。

ずいぶん前に買った本だったが、「育つ日々」の最後の章を書いている時に、この本からもらったインスピレーションのことを思い出して、書架から取り出したのだった。読み返してみると、その言葉が長い時間の内にわたし自身のものになっているのに気がついた。
というよりも、この本を読んだ時、わたしの内にあって今だに表現されていないものを、そこに見出したのだった。


この本の序文の中にこういう文がある。

――ここでは私が定義している「パフォーマンス」という言葉を定義しようと思う。ここで示すのは、ひとつの哲学的見解であり、パフォーマンス以外の何物でもないということだ。私たち各人が、ひとつの役や複数の役をある程度、自らの意志でもって、意識的に、自らの能力によって演じているのである。すべての行動、すべての種類の追求行為は「「パフォーマンス」と見ることができる。ややもするとこういう見解は、それからすべての自然さを取り去るように見えるかもしれないが、結局はこのことだけが、さらに大いなる自由へと導いてくれるかもしれない発見なのだ。私たちが自らの役割を、気配りと愛を持って、気楽に、意識過剰にならずに演じれば、己の芝居の中で自らが開花し、私たちの周囲も同じように開花するかもしれないのだ。――
<中略>
正式な「パフォーマンス」というものは、平凡な日常から私たちを引きずり出すための促進剤とか、有益な刺激剤としての役割を果たしており、同時に人間に体験がいかに並外れて豊かなものであるかを気づかせてくれる。すべての行為には驚異の感覚がつきまとうということを私は確信している。………

(以上、抜粋)


「日常の中にあるファンタジー」

これは、わたしの中にいつも留まっている言葉だ。
テーブルの上にある一個のグレープフルーツが、
花瓶の中にかすかに揺れているビオラの薄い紫の花びらが
非日常の入り口と成り得る。
同様にどのような日々の行為もそこに、物語を含んでいる。

何を見るかではなく、どう見るのか。
何を書くのかではなく、どう書くのか。
書かれたものの中で、日常が異なる光を帯びる。
読む者自身の日常が、その時、ふっと異なる次元へと移行する。


書くこともまた、舞台の上の「パフォーマンス」のように捉えたい。
優れた「パフォーマンス」が、意識の高揚感、静止したかに思える時間、永遠へと繋がる感覚をもたらすことができるように、書くものもまた、そこに、インスピレーションをもたらし、別の次元へと誘うものとして意識したいと思った。


2017年04月04日(火) 新学期スタート

今日は英語教室の新学期がスタートする日。小学校低学年と高学年のクラスは、エイミーとのティームティーチングで行うことになっている。エイミーは、友人の娘で、一昨年前、英語教室のサマークラスを手伝ってもらった。イギリス人の父親を持ち、イギリスで生まれ育ち、小学校1年生の時、母親の故郷に戻り、日本の小学校に通うようになった。私がエイミーに始めて会ったのは、彼女が3年生の時、そして、彼女が6年生の時、家に泊めてもらう機会があり、その時、2人でヨガをしたことがある。今高校3年生、もう大学生に見えはするが。この春休みに、彼女の学校から何かしらのボランティアをし、その計画や結果を報告をするという課題が出たらしく、わたしの英語教室で子ども達に英語を教えるボランティアをしたいというメールが来たので、お引き受けした次第。

エイミーは約束通り、クラスの始まる1時間前に、父親の車でやってきた。彼女が自分で計画を立てなくてはいけないというメールをもらっていたので、そのプランに基づいて話し合いをするつもりでいたが、彼女はいろいろと忙しく、今日の事を考えるゆとりがなかったということでノープラン。どうやら、私に書いたメールの内容や、指導教師からのアドバイスのこともすっかり忘れていた様子。なんとものんきなこと、我が家の高3も、こんな感じだったかと気を取り直す。

では、プランを立てるところから始めようか。
まずオープンクラスで子ども達が行った音読の発表や自己紹介をエイミーの前でし、エイミーは絵本を何冊か読みながら、その内容について子ども達と英語でやりとりをするのはどう? その後は I can〜、Can you〜? といったcan を使った表現をターゲットにし、できるだけたくさんの英語を子ども達から引き出すことをねらいにやってみるとどうかしら。今日のクラスを参考にして、明日はどんな質問をするか、どんな活動をすれば子ども達が楽しく活動できるか考えてみようかと課題を出す。

子ども達は久しぶりにエイミーに再会し、エイミーとのやり取りを楽しんでいる様子だった。また彼女の素敵な朗読に、子ども達は引き込まれていた。英語の質問をたくさんうけ、たくさん答えた。子ども達にとっても良い体験だったことだろう。

エイミーとのクラスを2クラス持って、彼女が帰っていった後、急ぎ夕食を済ませ、7時から中2クラス。4月から1年間を目標に、小学校高学年のクラスには基礎英語1を中1と中2のクラスには基礎英語2を毎日聞くという課題を出したが、昨日からさっそく聞き始めたということだった。お父さんもいっしょに聴くことにしたよという報告はうれしかった。そうそう、そういうこともあればいいなと考えたことだったから。わたしも毎日聞かなくては、「らじるらじる」に番組の開始時間を知らせてくれるアラームをセットしたところ。


2017年04月03日(月) 誕生日

61歳の誕生日の今日は、ぽかぽかと暖かな桜日和。
昨日が、テンションを目いっぱい上げての一日だったから、一日、何もノルマのない、ひとりだけの時間を過ごせるのは何よりものプレゼント。

朝、大阪に住む次男夫婦からLINEで「誕生日おめでとう!」宗くんが離乳食の野菜スティックをもぐもぐ食べる様子を見せてくれる。続いてベトナムからのLINE、長男のファミリーがHappy birthday♪を歌ってくれる。遠くにいてもこうしてTV電話でやり取りができる。
有難いことだ。

ここのところ、少しずつ、この日記の読み返しをしているので、今日は2001年の誕生日からのその年、その年の誕生日の日記を読んでいった。2003年4月3日の日記は、次男が大学入学を控え、家を離れていこうとしていることへの想いや、その日の事など書いていたから、その文章を次男夫婦たちとのLINEに送ったりした。彼らにとっては、やがて巣立っていく我が子の事に思いが及んだようだった。
歩いてきた道のりを振り返り、この先のことに想いをむけるのは誕生日には相応しいことかも。

昼の分の人参ジュースを作って飲んだ後、昼食前に春の日差しの中を歩くことにした。ロザリオをポケットにいつもの道。河原の菜の花が美しく、風に揺れる様が可愛らしいので、歩きながら動画を撮ってFBにアップする。歩いている間にも、FBやメールで様々な方から誕生日のメッセージが届く。有難いことだ。


たっぷり歩き、本屋やスーパーに立ち寄ったから、家に戻ったのは午後2時過ぎ。遅い昼食をすませた後、イスラエル行きの準備。夏物衣料の衣装箱をあけ、旅によさそうな服を取り出し始めたが、どれが良いのだろ、、、。まだストーブをつけているような時期なのだから夏服の選択はピンとこない。疲れてしまい中座。
ソファーに横になると、猫のしろが胸の上にのっかって、私の鼻のあたりをなめ始める。空が急に曇り、春雷と雨とに変わる。

本を読んでいるうちに外が暗くなってきた。夜の分の人参ジュースを作って飲み、朝から浸していたムンク豆と鶏のひき肉と人参ジュースの絞りカスでカレーを作る。これが思いの他おいしかった。菜の花のサラダもまた。
昨夜、バースデーディナーということで鰻を食べたことだし、糖質制限をしているからバースデーケーキもパス。

10時過ぎ、仕事帰りに四谷での聖書講座へ出た夫が戻ってきた。
郵便受けにはMさんからのバースデーカードが届いていた。


2017年04月02日(日) たんぽぽ英語教室のオープンクラス

たんぽぽ英語教室のオープンクラス、無事終了。
低学年、高学年、中学生クラス、どれも、予定通り、また予想していた以上にうまくいったと思う。
子ども達ものびのびと楽しそうに活動したり、発表したりしていた。保護者にも日頃のクラスの様子を見ていただけたし、子ども達が英語の本を音読したり、会話したりする場面を喜んでくださった。
私が子どもだったらこんなことをしたいだろう、私が親だったらこんな英語学習をさせたいだろうと私の理想のクラスになっているなと思うことができた。また、それを共有できる保護者の方々ばかりだった。

新中学1年生と新中学2年生の生徒たちによる英語朗読会はとても良い朗読会になった。
新中学1年生の5人は、自分の読むところをかなりの部分暗唱していて、先輩の中学生を驚かせていたが、新中2の4人はそれぞれに成熟した個性が読みに現れ、胸打たれるものがあった。
子ども達からは、それぞれが、がんばってよくやれたという達成感に満ちた感想があり、みんな清々しい表情をしていた。親たちからはこんな感想が子ども達に伝えられた。


「日本語でも表現して読むというのは難しいのに、英語を自分の言葉として表現していて感動した。」

「自分の子ども時代の英語学習と違って、なんと楽しく自然に英語が身についているんだろう、羨ましい。」

「みんな堂々と人前で朗読できていて素晴らしかった。」

「英語を読んだり話したりしない親とは違い、英語で自分を表現するような新しい地点に向っているんだと感じた。」

「絵本は日本語に訳されたものを読み聞かせしてきたが、もともと作者が、書いた言葉はきっともっと違うものだろう。その言葉を自分で感じとれることは素晴らしい」

などなど。

どのクラスでも最後の話し合いの場で、治療を始めたこと、教室は今年度で最後になる可能性が高く、途中でお終いになることも考えられるので、その事を踏まえて、再度、新年度からもクラスを続けるかどうか、検討してほしい旨、お伝えした。

つくしんぼ保育園のホールで、このオープンクラスをしたことも感慨深かった。今は亡き、この園の園長が、幼児とお母さんのための英語あそびを私に依頼してくれ、その後、月謝は園が払うこととして、保育園の年長児に英語を教えてほしいと依頼があり、この保育園の2階を借り、つくしんぼ英語教室を始め、そこに一人、また一人と近くの子ども達が集まってきたのだった。
足立区の教育委員会に外国語活動アドバイザーとして勤務した3年間も、火曜日の夜と、月2回の日曜日にはこちらのホールで英語教室を続けた。その3年間は一日往復4時間の通勤時間と、市役所から毎日、異なる担当校に出張するという、人生で最もハードな時期ではあったが、足立区の仕事を降りた後、自宅で「たんぽぽ英語教室」としての再出発にうまく繋ぐことができ、気がつくと生徒は、多い時には40人近くになっていた。

5年近くのアメリカ滞在から帰国して25年、子ども達の英語教育にかかわってきた。山や旅やリコーダーや文学、様々な趣味と共にやってきたことだったが、人とかかわる、人を育てるという場をいただけた事の幸せを改めて感じ、感謝に思う。

明後日、4月4日、新学期スタート。


2017年04月01日(土) 人参ジュース事始め

これは、写真と共にフェイスブックに書き込んだ記事。

人参ジュース事始め

昨日、アマゾンから、低速回転ジューサー、ベジフル2と、人参ジュースセットの無農薬人参、りんご、国産レモンが届き、人参ジュース生活開始。
本によれば、1日に、1・5リットルの人参ジュース、一日15本分の人参とあるが、わたしはせいぜい、1日に人参6本かな。
りんごとレモンを1個づつ。
それを3回に分けて、毎食前に飲む。写真は今日のお昼の分。味はさっぱりしていて、とても美味しい。続けるぞ!
と、ここに宣言^_^

さて、この続きを書こう。
人参ジュースを絞った後の、絞りかすが大量に出る。昨日、たかこさんの勧めで、シーチキンといっしょにオリーブオイルで炒めて、薄口醤油で味をつけた、ふりかけ風のものを作った。私はまあまあと思ったが夫には不評。
クックパッドを見ると、家族のがん対策で人参ジュースをやっている人がたくさんいらして、それはたくさんの、人参絞りカスのレシピが上げられている。クラッカーや、お好み焼き、甘いお菓子でなくても、いろいろなバリエーション! 今日は、人参寒天を作り、人参入り全粒粉パンを焼いた。寒天は色もきれいで、糖質0黒蜜をかけて食べれば、腹持ちのよいおやつになる。山のように作ったけれど、たくさんは食べられないなぁ。
パンは丁度今、焼き上がった。人参絞りカスを150グラムくらい入れたが、ちょっと多かったかも。柔らかくなりすぎたようだ。でも、ちゃんとパンにはなっている。

それにしても、こういうこと、もっと早く始めておけばよかったのに、食生活については、気をつけていたのは初めの方だけで、食べたいものを食べたいだけ食べていた。お尻に火が点かないとその気になれない自分を反省。

今日は、午後から明日の英語教室のオープンクラスのシュミレーションを時間を図りながら。これまでやってきたことの全体を分かっていただくこと、子ども達の力をみていただくこと。ある部分は保護者も巻き込んで。来年度の教材や目標について保護者に説明、質疑応答。低学年、高学年、中学生 それぞれ75分ずつ。1時から5時15分までの長丁場だ。
治療後、10日から2週間目まで、白血球の低下が進む時期、今日からしばらくジムでのヨガと温泉はスキップ。その分、家でしっかりヨガをしよう。今朝は30分はやった。
寝る前に60分はやりたいところ。
薬のための覚醒は昨夜もあり、夜中2時に目が醒めたのでマイスリーを飲むがその後はぐっすり。今朝は雨なので、ウォーキングには行かなかった。
明日は晴れらしいから、今夜は早く寝るようにして、明日に備えたいところ。


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