たりたの日記
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今日の予定は、聖歌の練習。 今度のイスラエル聖地巡礼の旅の聖歌集が、旅行社のオフィスカワタニから届いた。私はこれまでプロテスタントの教会で、讃美歌しか歌ってこなかったから、カトリック教会の聖歌には馴染みがない。聖歌集を見ても、知ってる曲は、讃美歌から取られた2曲のみ。せっかく、ミサに与りながらの旅なのだから、気持ちよく歌いたいもの。そこで、一緒に巡礼の旅に出る、たかこさんに声をかけ、歌ってみることにしたのだ。
ピアノを弾きながら歌うつもりだったが、送られてきた歌集は、どういうわけか、縮小したと思われる楽譜で、字も、楽譜もとても読めないので、アイパッドや、スマホに入れてある、キーボードで音を取りながら歌った。沢山、曲があるので、今回は半分で終了。
旅の支度のことも話ができてよかった。大型スーツケースは前日までに空港に送ることを考え、前泊用と機内用の荷物は何に入れるか思案していたところ、行きも帰りも、たかこさんのお連れ合いが成田まで車で送って下さるということになった。これで、荷物も、気になる人混みも、問題解決。感謝! 帰国する26日の翌日はまた治療が入ったので、この日の内に家に着かなければならないのだけど、我が家まで送っていただけるから翌日のこと心配ないな。
抗がん治療、病院に9時半頃付き、血液検査、診察を経て11時から点滴開始、終了4時半。 昨日、書いた通り、ロザリオの祈りをし、3冊の本をたっぷり読み、5時間はあっという間たった。離尿剤のせいで、頻繁にトイレに立つことになるから、座りっぱなしという訳でもなく、身体の不調もない。 本を読まない時には、深い複式呼吸を続ける。ヨガクラスでよくやくるように、吸う息時共に、足首を手前に折り、吐く息時共に、足の甲を伸ばし、足の裏が床に着くように。 また、ヨーガ療法で学んだ、呼吸と共に指を動かす。あるいは手首を動かす。アイソメトリックをかけながらの指、手首の動きなら、点滴をしながらでも充分できる。
ゲムシタビン ・シスプラチン療法という2種類の抗がん剤を用いて行われるのだが、最後のゲムシタビン投与の30分、血管痛がある。暖めていただきながら行うのだが、今回は前回よりも、痛みが酷い。 そうだ、今は受難を覚える時、このことを主の受難を共に味わう時としようと考えしばらく耐える。 で、また、新たなアイデア。かつて、ヒーリングのトレーニングを受け、セルフヒーリングを試みていた時期があった。今こそ、そのスキルを試すべきとばかり、深い呼吸を(よくヨガでやるように)、痛みのある部分に送りこみ、一方で、癒す方(聖霊なのだが)に意識を向け、その方の力をいただきたいと祈る。 痛みは治まった。 それなら、私の体内に巣食うガン細胞にも、このヒーリングは成り立つかもしれないと、お腹に向けて、セルフヒーリングを試みる。
私の受けているこの治療は完治治療ではなく、あくまでも延命治療だということだった。それならいつまでの延命かと医師に効くと、胆管がんはデーターが少なく、今のデーターだけでは何とも言えない部分があるがとした上で、余命のグラフを見せて下さる。 それは1ヶ月から24ヶ月くらいまで、ゆるやかな山形を描いている曲線で、一番高くなっているところが、11.7とある。つまり平均値の余命が11・7ヶ月ということらしい。 そうか、そんなに短いのか。それなら、4月に予定している旅は行った方がいいと、医師が真剣な面持ちで言ったことにも納得がいく。また、私が糖質制限を始めたというと、そうした特別な事をするより、美味しい物を食べた方がいいと勧めてくれたことも、そのデーターが背後にあるからだ。
しかし、私は不思議と落胆はしなかった。 なんとか平均値までは生き延びたいが、その前に終末が来る場合もあるとすれば、終活、ピッチを上げなくちゃだなと、妙にエネルギーが湧いてきたのだ。 「メメント モリ、あなたの死を覚えよ」 この言葉は私が30代のころからいつも身近にあった。死の事を考えることは、不安や苦痛ではなく、新しいところに向かって開く、入り口のように感じてきた。死についての本も、文学書も含めて数多く読んできた。 文学書に関すれば、私が心深く受け止めてきた作品には必ず死が、それも、開かれた死が扱われていた。 誰にでも必ず訪れる死。それを、きちんと見つめ、それなりに準備の時が与えられているというのは何と感謝なことだろう。
しかし、しかし、可能な限り、この生命を保つ努力はするつもり。 呼吸法、ヨガ、セルフヒーリング、日の出ウォーキング、食生活。 「がんに勝つジュース&スープ」という本を夫が買ってきたので、実行を始めた。 まずは低速回転式のジューサーと、人参ジュース用に無農薬の人参5キロ、りんご5個、レモン5個がセットになったものをアマゾンに注文。
病院の帰り、旅の為の両替をし、夫と待ち合わせ、ヘルシーな食事をいただける食事どころで夕食。6種類のおばんさいと、さわらの西京焼き、揚げ豆腐と季節の野菜の下ろし煮、筍ごはん。お代わり自由なので、2杯目は雑穀米のごはん。食欲は旺盛。吐き気なし。
2017年03月29日(水) |
リコーダーアンサンブルの日 |
今朝は5時半には起き、夜が明けたばかりの冷たく澄んだ朝の特別な空気の中、珍しく、夫と二人で歩いた。日の出の時刻を過ぎてはいたが、いつもの伊奈コンポステーラに差しかかると,地平から姿を現したばかりの真っ赤な太陽に出会った。一日、私たちを照らしてくれる太陽だが、今昇ろうとしている太陽には特別な感情が起こる。きっと、人が共通に持つ感覚なのだろう。
道の脇の小川が朝日に照らされ、川から立ち上る朝もやが紅色に染まり、幻想的だった。思わずカメラを向けたが、この美しさを写真におさめられるはずもない。
いつも折り返しをする、古い橋のところで立ち止り、お互いに iPone を取りだし、朝の祈りを交互に唱え、感謝を伝え、息子達の家族のことを祈る。こうした朝の歩行が可能になるとは・・・
今日はリコーダーの相棒のじゅんこさんと久々にリコーダーアンサンブルをする日。車で1時間ほどかけて、我が家に来てくれる。今年になってから練習を始めた、Robert Valentineの2本のリコーダーのためのソナタを楽しむ。バロックらしい、とても良い曲。老人ホームや子どものためにコンサートに向く曲じゃないけど、楽しいねと言いながら、何度も繰り返し吹く。 用意しておいたサラダとパスタのランチを食べ、ひとしきり話をし、3時半まで再び練習。 私の体力がもう少しあれば、もっと吹き続けたいところだったが、疲れる前に止めにしてお茶に。
4時すぎじゅんこさんが帰ってから、ソプラノリコーダーでファンエイクの曲を2曲だけさらい、今日のリコーダーはこれでおしまい。今日は夕方からのクラスもないので、夕食の支度までの時間、「ロザリオ・信仰の花束」という美しい本を開く。この本は前回、聖グレゴリオの家のミサに出た時、レミ神父が翻訳されたというので、求めた本だった。ちょうどロザリオの祈りに目覚めたところだったので、何ともタイムリーな本だと思ったのだ。
明日は2回目の抗がん治療。この本と、英神父著の「道しるべ」、そして、聖三木図書館から借りている、若松英輔著「イエス伝」を持っていくこととしよう。この前のように5時間はあっという間に過ぎることだろう。
前回の治療の後から、寝る前、覚醒することが多く、マイスリーのお世話になっていたが、昨夜は自然な眠りがやってきて、十分な睡眠時間が取れた。しかも、昨日と打って変わって、窓の外には暖かそうな春の日差しが溢れている。
11時からの振替クラスまでには時間があるので、いつもの伊奈コンポステーラを歩くことにした。ロザリオをポケットに歩き始めると、目の前に小学生の女の子達が3人。つくしんぼ保育園の卒園児で今は小学校3年生のななみと、るいと、ゆず。ななみは、やっぱり、同じ卒園児のりおんと一緒にここの英語教室に通ってきている。 春休みで、どこに行く当てもなく、ぶらぶらしてたからと、3人は私のウォーキングについてきた。ロザリオの祈りはやめて、今朝は彼女たちとのウォーキングを楽しむとしようか。 おしゃべりしたり、写真を撮ったりしながら、菜の花の咲き始めた小道をいっしょに歩く。
そういえば3年前のちょうど今頃、遊びに来ていた孫達と散歩をしていたら、彼女たちに会って、いっしょに公園へ行って遊んだことがあった。あの時はれおが4歳、めいみがよちよち歩きを始めたばかりだったろうか。いっしょにおにごっこをしたのは昨日のことのような気もするのに。 散歩から戻り、英語教室が始まるまで時間があったので、我が家でおやつの時間。11時前にりおんも来て、久々に4人がそろうことになった。
午後5時半から8時半は中1クラス6人の振替クラス。長くなるので、夕食付きということで。このクラスも、朗読会の朗読の練習。 Arnold Lobel のFrog and Toad (がまくんとかえるくんシリーズ)のストーリー、4分くらいの長さのものをひとつずつ朗読するのだが、今日は全体練習、個人練習、そしてリハーサル。中学生は部活や塾で忙しく、英語の朗読の練習にまで手が回らないとみえ、小6の朗読に比べると練習が足りていないと感じるが、後5日、課題が目の前にあれば、それに向けて練習するかもしれない。それに、学校では、こうして、一人が4分もの英語朗読をする機会はないだろう。中学生もオープンクラスに参加してもらい、朗読会を行うことにしてよかったと思う。部活や試合と重なり、参加できるのは9人のうち、4人だとしても。
朝から雨、しかも真冬のような寒さ。 今日、明日は英語教室木曜日クラスの振替。木曜日に抗がん治療が入ることになったため、23日、30日のクラスの振替を今日と明日で2コマづつ行うことにした。ちょうど、春休み中、クラスも今週は休みになっていてよかった。
今日のクラスは小6の6人。4月2日のオープンクラスのための朗読の練習の仕上げだ。Arnold Lobelの Mouse Talesの7つのお話を、ひとりが1話担当して朗読する。約3分ほどのお話なので、中学生のスピーチコンテストと同じ長さ。スピーチコンテストの暗唱の部を意識して、はじめの1ページを暗唱してみようと持ちかける。
彼らにとっては初めての暗唱だったが、15分ほど、それぞれ真剣な面持ちで取り組み、みんなの前で発表したのだが、たかとくんが3分ほどのストーリーをほぼ暗唱して語ったのには、みんな驚き、また刺激を受けたようだった。 4月2日の朗読会が楽しみだ。
午後は久々にリコーダーを練習する。リコーダーは思いの他体力をを使うので、自分の健康状態を知るには良いめやすとなる。抗がん治療の副作用はほとんどないと感じていたが、以前に比べるとリコーダーを吹くのエネルギーが不足している。2時間ほど練習したらかなり疲労してしまい、そのせいかどうか、夕食後、ジムの温泉に入ったものの、お腹の具合が悪いのと疲れとで、いつものようにお風呂を楽しむことができなかった。これが治療薬の副作用によるものかどうかは分からないが、無理をしないようにしなければと反省。
2017年03月26日(日) |
つくしんぼ保育園の卒園式 |
今日もまた旅立ちと別れの日だった。 つくしんぼ保育園の卒園式。 ほとんど名前だけなのだが、NPO法人のこの保育園の理事をその創立の時から20年近くしている。その間には、園の主催する、赤ちゃんと「幼児とお母さんのための英語あそび」の講師をしていた時期もあり、ここの2階を借りて英語教室をやった時期もある。その時は年長児は全員英語のクラスを受けるということになっていた。また、ボランティアで英語遊びや英語でのヨガを月一でやったりもした。保育士が足りない時に、週1や2で、朝からお昼寝の時間まで保育に入っていた時期もある。 この園の保育のあり方や、ここで育っている子ども達が好きで、さらに家のすぐ側にあることから、この保育園とのかかわりは深い。
実際、この前卒業祝いをした中3クラスのメンバーのうちの一人は、「幼児とお母さんのための英語あそび」の時からずっと英語教室の生徒だった子だ。たんぽぽ英語教室の生徒は、この園の卒園児が三分の一を占める。そういう訳だから、赤ちゃんの頃から知っている子ども達と今に至るまで週に1度は会っているということになるのだ。こうして、子ども達が育っていく様子を途切れることなく、見続けていられることをとても幸せに思う。
さて、今日の卒園児は4人の女の子。おしっこで濡れたパンツを何度も取り替えた。絵本を読んであげたり、いっしょに散歩に行き、土だんごを作り、お昼ご飯をいっしょに食べ、お昼寝の時「トントン」した。そんな子たちの卒園式だった。
あの甘えん坊だった子ども達が、見事に五段の跳び箱を超え、自分の二倍以上の高さの竹馬に乗り、コマも素敵に回せた。リズム、ピアノの音楽に合わせて身体を動かす、その動きは指の先まで心が行きわたっていて美しかった。しっかり自分を持っている5歳児たち。彼女たちから、今日は勇気と元気をたくさんもらったのだった。
今日は夫の60歳の誕生日。この日から私の誕生日の4月3日までが同じ還暦の時期。 初めて夫、晶の誕生日を祝ったのは私達が21歳の時、それから40年、一緒に誕生日を祝ってきたことになる。 こんなメッセージを子ども達のファミリーとのグループラインに写真と共に送った。
* * *
今日はお父さんの60歳の誕生日 なので、今、シャンペン開けました。 この前みんなで、2人の還暦お祝いしてもらったので、今日はバースデーランチに出かけ、その後、ゆっくりお茶をし、ジムで一緒にヨガをし、温泉に入り、うどん屋さんに行き、今飲みはじめたとこ。
このシャンペン、引越しの時、創のところから持ち帰ったものだよ。ありがとう。
私からのプレゼントはお父さんの着てる、ランズエンドのシャツと、カジュアルなジャケット、似合ってるでしょ^_^
たんぽぽ英語教室の中3クラスの4人は、今年度は、月一度のペースでリーディングクラブという名称で、昨日も書いたナルニア国物語や、マラーラのノーベル平和賞のスピーチや、オバマの広島スピーチ、また、漱石の夢十夜の英語朗読を取り入れてきた。私としては理想的な教材、直接、模擬試験や学校の成績や高校受験には繋がらないかもしれないけれど、これからの彼らと英語を深く結びつける、また、生き方や感性にも、良い影響をもたらすものであって欲しいと。 4人とも2年生の内に英検準2級は合格していたので、安心してこういう教材に取り組めたというわけでもある。そういう意味では、教えたいことを教えてさせてくれた4人に感謝だ。
5時から6時半まで学習で、その後8時までパーティーの予定が、最後のクラスともなれば、あれもこれもと盛り沢山だったから、夕食会は7時過ぎ、時間が足りないので、1時間延長のメールを親に出して、食事の後は、予定していたリコーダーアンサンブルまでやれた。季節にちなんで、「さくら」と「荒城の月」彼らのラインのグループに私も参加させてもらい、これからは、いろいろな連絡や情報の提供が直接できるようになったことも嬉しいこと。
彼らの喜ぶ顔を想像しながら用意したメニューは、チキンと彩り野菜のグリル、バジルソース味。お決まりの自家製バジルペーストのパスタ。トマト、わかめ、もやし、枝豆、きゅうりのジャーサラダと桜餅。4人とも喜んで食べてくれ、ほぼお皿は空っぽ。それぞれのお宅からもお手製マフィンや、たくさんのスウィーツが届き、楽しいお別れ会だった。 彼らとのこれまでのことを感謝し、これからのそれぞれの歩みが祝福されるよう、祈ることも、声に出し、一緒に祈ることもできた。 感謝な一日だった。
2017年03月23日(木) |
抗がん剤治療を開始した日 |
今日は初めての抗がん剤治療の日だった。 二回も癌の手術をしながら、今日まで抗がん剤のお世話にならなかったわけだが、これでは癌サバイバーと言っても迫力ないなあと思っていた。けれど、神さまは、必要な試練はきちんと与えてくださるものだ。これでわたしも晴れてサバイバー、今のところはだけど。
手術から1年目の検査の結果、腫瘍マーカーの数値が上がっていて、CTの画像もあやしいところが見つかった。翌日3月9日にPET−CTを取り、翌週の外来で、転移の疑いが強く、抗がん剤治療を受けることになった。それほど副作用が強くない薬なので、4月18日から9日間のイスラエル旅行は行っても良いということだった。むしろ言った方がよいと、主治医は積極的に勧めてくださった。 そうか、、そういうことなんだなと理解する。
治療は1週間に一度、二週続けて、1回5時間の点滴を受け、3週目は休みと、3週間に2回の割合で続くことになる。副作用は比較的軽いとは言っても、人によって様々だということだった。
5時間をどのように過ごすか考え、バッグに本や明日の中3クラスの最後の授業の準備のものなど詰め、点滴を受けながら昼食をとることを考え、とうふハンバーグをまんなかに入れたおにぎりとミニトマトとノニ茶を用意する。病院のおいしいパン屋さんで、桜あんパンも買った。
病院のリクライニングシートの上で点滴を受けながらの5時間は、私としては快適で充実した時間ではあった。看護士さんもとても親切でうれしかった。
まずはロザリオの祈りを始めから終わりまで5連唱え(個室ではないので、声には出せず、心の中でだったが)、数日前にアマゾンから届いたばかりの英神父の著書「道しるべ 〜スピリチュアル・ライフ入門〜」を読む。よくよく参考になった。この本を繰り返し読むことになるだろう。このことについてはまた日を改めて書くことにしよう。 とにかく、必要な本が届けられたということに感謝。
後半は、明日の教材になるC.S.ルイス著「ナルニア国物語」の原書「The Lion, The Witch and The Wardrobe」を読む。この本も私の人生で、大切な本だった。それをしかも原書で生徒達と読めることはどこかで夢見ていたことのような気がする。
NJ、リッジウッドの小学校の小学校2年生だった次男の教室を訪れた時、担任のミスター・ダンがこの本の読み聴かせをしていた。毎日少しづつ読んで下さり、一冊まるごと読んでくださったことに深く感銘を受けていた。アメリカの小学生が理解できる本だが、日本人の中学3年生にはかなりハードルが高い。知らない単語や言い回しがふんだんに出てくるからだ。受験に関係ないから今まではあまり読めなかったが、高校受験を終えた今なら良いだろう。 この本に登場するアスランは実はイエス・キリストなのだ。明日の授業ではアスランの死と復活を、これもまた英語の聖書の箇所を参照しながら読むつもり。準備にはたっぷり時間が必要。
話題がすっかりそれてしまった。
点滴の後、吐き気も熱も疲労感もなく、駅まで10分ほど歩き、帰りには駅ナカで美味しそうなお弁当や食材を買いこんで家へ。 この日、夫はイグナチオ教会へ英神父との面談。 夫が帰ってくるのを待って、いっしょにジムの温泉へ。
夫が明日から朝の祈りと夕の祈りを私といっしょに唱えるという。 このこともずっと夢見てきたこと。
2017年03月22日(水) |
長男一家 ベトナムでの暮らし始まる |
1月5日に故郷へ帰省したことを記して以来、すっかり、ここを開くことを忘れていた。そして今ここを開くのは、ようやく、私の中でひとつのことが終わったからなのだろう。
3月21日早朝の便で、長男一家(長男夫婦と7歳のれお、3歳のめいみ、1歳のあいみ)がベトナムへと旅立った。そして今日は新しいベトナムの住まいで、今までと少しも変わらない様子の孫たちの姿がLINEのTV電話で届いた。いよいよ彼らのベトナムでの生活が始まる。
ここ3カ月はれおの英語のレッスンや向こうでの日本語の保持のこと、彼らの引っ越しの手伝いに心も身体も忙しかった。週末はできるだけ調布の長男宅に泊まりがけででかけるようにしていたので、オフの日があまりなかったが、孫たちとはたくさん時間を過ごすことができた。これからあまり会えなくなるとすれば、かけがえのない時間だったという気がする。
そして毎週月曜日は、イグナチオ教会の英神父の聖書講座に出かけていた。面接も2度受け、4月30日のミサで行われる改宗式で、これまでのプロテスタント信者からカトリック信者へ移行することとなる。早朝ウォーキングをしながら日本語とラテン語でロザリオの祈りを唱えるひとときは忙しい日々の中で心を鎮め、また癒される時間になった。 伊奈コンポステーラと私が呼ぶ道、田畑の中の、綾瀬川に沿った一本道の正面から、昇ったばかりの太陽が、その光をそっくりわたしに向って投げてよこす。川のせせらぎ、鳥の声、ほぼ人のいないその道を歩く時、死んだ後に天国(行けるかどうかは分からないが)へ向かう道はこのようなものではないかと思ったりもする。今は確かにここに存在する私が、この場所でないところでも存在することが容易に信じられる。そのような時、この場所は地上でありながら、同時に神の国となるのだ。
長男一家が旅立つ前、れおともめいみとも、また長男と奥さんのともちゃんとも、それぞれと神さまのことを話すことができたのは、彼らと遠く離れてしまうから、魂のレベルで繋がっていたいという願いが強く沸き起こってきたからなのだろう。
「れおにはれおのことを何でも知っていて、どんな時にパワーをくれて、どんなこともできないことはない、最強の神さまがついているんだよ。困った時にはぼくに力を下さいってお願いするとパワーをくれるんだからね。ただし、悪いことに使うパワーはくれないからね」とそんな話。
「めいちゃんはいつかパパママが手術する時、神さま、パパママのそばにいてくださいってお祈りしてくれたでしょ。神さまはちゃんとパパママのそばにいて見守ってくれてたよ。パパママも、神さま、めいちゃんのそばにいてくださいってお祈りしてるよ。めいちゃんが悲しい時やさびしい時も神さまはそばにいてくれるんだから、困った時には神さまたすけてくださいってお祈りするんだよ」とそんな話。
さて、ベトナムでの暮らしは、いろいろな意味で大変なことも多いことだろう。れおはインターナショナルスクールに行くことになるから、その昔彼の父親がそうだったように、言葉の通じない世界にポンと放りこまれることになる。ママも、あの時の私のように、スパーへ行くにも学校へ行くにも、何もかもが日本と違うことに、途方に暮れるかもしれない。でもそんな事もひっくるめて、冒険は楽しいはず。そこには自分でも知らない力が湧いてくるはず。
子育ては生き直しということを人に言ったり、書いたりしてきたが、長男一家の海外赴任は、私自身の海外赴任までのあれやこれやの追体験をさせてくれた。33歳の時の自分をその時の希望や不安や、子ども達への責任や思いを思い起させてくれた。
8月にはベトナムへ行きたい。そこでは観光とは違った、海外での暮らしをまた体験できるのかも知れない。 おっと、その前に来月18日から9日間のイスラエル巡礼の旅だ。明日からはその準備にかからなければ。大型スーツケースはすでにゲット。 その前に、英語教室のオープンクラス。 その前にはいよいよ始まる抗がん治療。なんだか綱渡りのような気分もあるが、今のところ、エネルギーは満ちている。
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