たりたの日記
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2年半ぶりに故郷の大分へひとり旅。 前回は友人の住む松山からフェリーでの帰郷だったから、大分空港から別府経由での帰省は4年半ぶり、父の初盆の時以来ということになる。 まずは別府に立ち寄り、ツアーのチケットに付いて来たグルメクーポンで、名物のとり天とだんご汁をいただく。大分で食べたい物が2つ同時に食べられた上にお土産までついていた! さて、今日の目的は温泉。路線バスで鉄輪(かんなわ)のひょうたん温泉へ。 別府の温泉はやっぱり格別だなぁ〜 暗くなるまで温泉で過ごし、路線バスと電車で大分駅へ。 駅前がすっかり変わっていて驚く。 今日、明日は大分市内のホテル泊。 明日の早朝、この周辺を歩いてみることにしよう。
と、facebookにアップしたが、父の初盆から4年半も大分空港に降り立ってなかったことに自分でも驚いていた。空港から大分市街地までのエアライナーの音楽も、前と少しも変わっていないので、気分は4年半前に戻される。大分への帰省は年老いた両親の家事手伝いや介護、そして葬儀や法事が目的だったので、そこに少しでも旅の気分を載せたいと、行きか帰りには必ず別府の温泉に立ち寄った。由布岳や鶴見岳、久住の山々に登ってから実家のある豊後大野市に入ることもあった。故郷の豊後大野市には百名山の一つに数えられている、祖母、傾山があるから、帰省の折、昔馴染みに案内してもらって、祖母山にも傾山にも登った。久住山に登った時はミクシーで知り合った大分の山愛好家の方々とのオフ会と銘打ち、高校時代からの友人を誘ったりした。
久々に大分の風景を見ながら、過ぎて行った日々のあれやこれやが懐かしく、親しく、思い出され、今回大分に帰ってきたのは、そうした過去をもう一度振り返り、そこでいただいた恵みを確認することが目的なのだなと思う。 楽しかったことばかりでなく、認知症の父のことや次第に弱ってくる母の事で、大分空港から故郷までの道程はむしろ、心がずっしりと重かった。両親から離れて生活をしていることの心苦しさはいつも胸から離れることはなかった。
母は2011年の6月に、父は2012年の2月に他界し、父の初盆で私の仕事は終了。その後、弟が一人実家に住むようになったこともあり、ここ4年半、実家に足を踏み入れていない。弟が一人住まいをするようになってからは初めての帰省ということになる。 いったいどんな感じなのだろか。きっとまた違った故郷との繋がりがそこにはあるのだろう。
明日は、学生時代からの友人と大分県立美術館で会い、夕方は、新卒の時受け持った、当時小学校3年生、今は45歳になっている教え子たちに会うことになっている。 確か彼らが20歳の時に一度集まりを開いてくれたから、その時からさらに25年が経過している。なんと感慨深いことだろう。
にぎやかだった暮れから元旦までとは打って変わって、2人だけの静かなお正月の2日目。 ゆっくりお節を味わいながら、のんびりと。
元旦の初日の出ウォークはできなかったけれど、この日、昨日、みんなで歩いた道を私一人で歩いたりもした。
夕方はジムでヨガと温泉。
今日は1月5日。故郷の大分へ来ている。一人、大分駅近くのホテルの一室でハーブティーを飲みながら。先ほど、5日の日記を書いて、今こちらに来たところ。昨夜写真だけアップしておいたので。
当たり前の事ではあるが、どんなに最近のことであっても、過ぎたことはもう過去の領域の中に閉じ込められてしまう。出来事としては、固定されているのだが、そこを訪ねる時の気持ちは生き生きと動くのだ。この正月の写真を1年後には深い感慨を抱いて見ることだろう。3年後、5年後とすれば尚更だろう。もう私は生きてはいないかもしれないが10年も立ち、れおが17歳、めいみが13歳、あいみかわ10歳ともなれば、彼らはこの写真をどのように眺めるのだろうかと想像してみる。
めいみが「もののけ姫」が大好きで、何度も繰り返し、身じろぎもせずに観ていると聞いて、リコーダーで 「もののけ姫」の曲を吹いた。吹き始めると、ハルメンの笛吹きのように、3人の子ども達が私の所に寄ってきたので、ママがすかさず、シャッターを切った内の一枚の写真。めいみの目力の強いこと。リコーダーでも、私でもなく、楽譜を睨んでいる。私が楽譜を見ながら吹いているので、ちょうど 絵本を読んでもらう時のように、書かれているページを凝視しているのだろう。そして、絵本の場合もそうであるように、そこにある絵を観ているのではなく、お話を頭に描くように、楽譜の向こう側にある音楽の作り出す世界を観ているのに違いない。他のジブリの曲もいくつか吹いていていたら、めいみは もう一度もののけ姫 吹いて とリクエストしてきた。めいみの観ている もののけ姫の世界を私もまた観たいと思った。彼女ほど、それを豊かには観ることがてきないにしても。
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