たりたの日記
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2016年07月28日(木) ロベール・クートラス展へ

大阪から帰る日、三島に立ち寄る。目的は三島のクレマチスの丘にある、ベルナール・ビュフェ美術館で開催中の「ロベール・クートラス展」クートラスについては文学ゼミの仲間のKさんのエッセイで知った。この春、彼女の「夜に見えるもの」題された、ロベール・クートラスとその作品についてのエッセイを読んで、会期中に絵を観に行きたいと思っていたのだ。

クレマチスの丘は初めて訪れる場所だったが、ベルナール・ビュフェ美術館の入り口にある大きな昆虫のオブジェを観た瞬間、ここを訪れたことがある事を思い出した。今は石川県に住む弟が三島に住んでいた頃、この美術館に連れてきてくれたことがあった。アメリカに滞在して2年目、一時帰国の時だったように思う。6歳と8歳の我が家の男の子達が、この大きなクワガタ虫(?)と美術館の正面にある、こちらも大きな蝶の彫塑に反応する様子が記憶の底から蘇ってきた。

あの時のように、人気の少ないひっそりとした美術館の中に、ロベール・クートラスの作品が、これもまた密やかに並べられていた。静けさを絵にしたような、心が鎮静していくような絵の数々だった。心が鎮まる、ところが、その闇の中に浮かび上がってくるような色彩にいきなり心を掴まれ、何とも切ないような想いに囚われるのも不思議な感覚だった。絵を観ているというよりは、画家の内面の世界に導かれているような気分だった。

カルトンと呼ばれる長四角のカードに描かれた小さな世界はどれも魅力的で、そこからさざめきのようにこちらに向ってくるものがあった。その向ってくるものの正体が掴めずもどかしかったが、子どもの時、子どもの眼で世界を観ていた時の、もうすっかり忘れて、今は取り戻せないある感覚がぼんやりと表層に浮かんできた。これはいったい何だろう。
なにか時間が止まったようで思わず長い時間そこにいた。

最終バスまで1時間もないが、予定していた井上靖文学館に立ちより、ヴァンジ彫刻庭園美術館へ。ちょうど傾きかけた遅い午後の陽ざしが照らし出す芝生と木立の緑が美しかった。この時間にしか見ることのできない光と緑の具合。遅くなってしまったと思ったけれど、よい時間にこちらに来れたわけだ。ヴァンジの彫刻も庭の造形も印象深かった。

閉館前の誰もいない庭園のクレマチスが絡む屋根付きのベンチでリコーダーを一曲。小鳥たちとのコラボ。

最終のシャトルバスで三島駅へ、そこから新幹線。よい大阪への旅の終わりの一日だった。



2016年07月26日(火) 中崎町散策

この日午後から古民家を改築したレトロなカフェや個性的な雑貨屋さんが集まっているという、大阪市 中崎町を散策。

ここは次男のところから徒歩10分ほどで行けるので、いつものお散歩感覚で、リコーダーと楽譜を入れた袋を下げて。

なんだか懐かしい通りを歩いて、まずはネットで見つけていたSalon de AManTo 天人(アマント)へ。
ほっとする、好きなエネルギーが満ちている空間。書架から本を取り出し、自分の家にいるような心持ちで読んでいるうちに、オーナーのジュンさんや、イスラエルから戻ってきたばかりのダンサーのゆうこさんと親しくお話させていただき、リコーダーでファン・エイクの曲、いくつか、吹かせていただく。

その後に入ったカフェ零、動物雑貨店 オンリープラネット、手作り工房 リンドグレーンでも、お店の方々と親しくお話しし可愛い木のスプーンや手作りの天使のお人形を求め、こちらでも、ファン・エイクを一曲ずつ吹かせていただく。

この出会いに感謝し、祝福がありますようにという祈りをこめて。


2016年07月25日(月) 淀川でのリコーダー練習

淀川の河川敷、こんな素敵な散歩道があれば、歩かないわけにはいかない。赤ちゃんとママは、早朝の授乳の後は、10時過ぎまで睡眠の時間なので、次男が仕事に出かける時、わたしもいっしょに外へ。誰もいない広々とした河原でひとしきりリコーダーを吹く。

いっしょにお昼を食べた後は、ゆうちゃんとおしゃべりしたり、そうくんをあやしたりとゆったりした時間。

この日は午後からずっと雨。
そうちゃんは概ね静かに眠っているか、プレイマットのおもちゃを手や足で動かしながら一人で遊んでいる。
赤ちゃんのいる平和な空間。



2016年07月24日(日) 大阪2日目


次男の住むマンションからそれほど歩かずに淀川の川岸に出られるようなので、早朝、まだみなが眠っている時間、淀川目ざしてひとり朝の散歩へ。徒歩10分ほどで広々とした淀川を見渡す土手に出ることができた。朝のすがすがしい空気を吸い込みながら川に沿ってしばらく歩く。朝歩く場所として川辺ほど良い場所はない。長男の住む調布のマンションからは多摩川の早朝ウォークが可能だし、我が家の側の散歩道も川に沿ったジョギングロード。川には恵まれている。

ところがこの朝のウォーキング、行きはよいよい帰りは怖いで、わずか10分ほどのところにあるはずのマンションに、あたかも、神隠しにでも合ったように、歩いても歩いても、同じところをぐるぐる回るばかりで目的地に辿りつくことができず、マンションの周辺を1時間ばかり歩き回ったあげく、とうとうあきらめて携帯電話で助けを求めるというなさけないことに。
「お母さんがここから見えるよ」と電話から息子。なんと前方のマンションのベランダから彼が手を振っているではないか、しかもそのマンションの前を何度も通ったというのに・・・
こういう慣れない場所を一人で歩く時、頼りにするのはiPhoneの地図、ところが、この地図に入力したマンションの住所と実際のマンションの場所が違っているために、どうしても目的地が見つけられないのだった。こんなこともあるのだ。大いに反省。しかし、朝からよく歩いた。

この日は、義娘のゆうちゃんのご両親が私たちに会いに来て下さるというので、私が昼食係を担当することに。家から持ってきた自家製バジルペーストを使ってのパスタ料理。アボガドとチキンとトマトもバジルペーストでソテーし、パスタの上に載せるという新作。今ひとつ思ったようにはいかなかったが、みんなでいただくランチは楽しい。
何より喜ばしいのは、ここに集まった6人の大人がそれぞれに、宗次郎の誕生が嬉しく、また可愛く愛おしく、その子の成長を楽しみにしているということを共有していることだった。生後2カ月の赤ん坊が、6人の大人をそれまでにはない新しい関係を作り、取り持ってくれているのだ。ここに宗次郎を中心とする新しいファミリーのユニットが誕生したのだなと感慨深かった。


2016年07月23日(土) 宗次郎に会いに

5月22日に、大阪に住む次男夫婦に第一子、宗次郎が生まれたことは、その日の日記に書いているが、その宗次郎に会うべく、夫と共に大阪へ。

生後2か月になる宗次郎は、体重5・7キロとりっぱな育ちぶり。おっぱいをごくごく飲み、おもちゃを手や足で動かせるまでに育っていた。何か貫禄めいた面持ちさえある。最近は、寝る前にミルクをたっぷり飲むと朝まで起きることなく眠るようになり、夜中の授乳から解放されたということだった。
次男の父親ぶりもなかなかのもの。ママは育児に関するブログを始め、その文章はぐっときたり、時には声を出して笑うほど面白いときている。わずか2か月。しかし、その2か月は赤ん坊も、新米パパとママにもいかにドラマティックだったかは十分想像できる。そして彼らの成長はなかなか頼もしい。


2016年07月13日(水) 林のカフェとリコーダー

ここ3日間、午前中は林の中のカフェ、寧に出かけている。というのも、今日まで、バングラデシュのフェアトレードのプロジェクト、サクラモヒラの展示即売会が催されているからだ。お店が開店するまでの間だが、リコーダーを吹かせていただく。一昨日は中庭ので、今日は、母屋の庭に面した畳の部屋、サクラモヒラの展示会の側で。

バングラデシュの女性の働きや学校を支援するサクラモヒラの製品を、わたしはかなり気に入っていて、デパートやブティックで服を買うことはめったにないけれど、ここの、カディー綿のシャツや、シルクのチュニックやスカート、バッグや手芸品など、展示会の度に求め、一年を通じて、楽しく着ている。バングラデシュの女性達が、一針一針刺してこしらえた、刺し子の絹のチュニックは、着ていると、人の手の温かさが伝わってくるようで、豊かな気持ちになる。今年も、シックでそれでいて華やかな、上質な綿のチュニックドレスと、ジュードのバック、プレゼント用のものなど購入した。この夏の新しい服はこれ一枚で十分だなと思う。

昼食は、昨日テレビで見た、平野レミさんの茹でないチキンのパスタを作ってみた。まあまあ美味しかった。朝、シャトルシェフに仕込んでいた小豆でぜんざいを作り、白玉団子も作った。小豆を煮るなんて久しぶり。冷たいぜんざいを食べたいと思ったのだ。冷蔵庫にストックして、2、3日は食べられるかな。
料理のことを書いたついでに。
昨日、ストックしていたバジルのソースを鯖のオイル焼きに使ってみた。初めての試みだったが、抜群の美味しさだった。玄米とサラダに合わせたが、パンに挟んでサバサンド、パスタのトッピングにも合うだろうな。

午後からは英語クラスの準備、そして、4時20分から6時半までクラス。いつもはその後に夫とジムへ出かけ、ヨガをして温泉に入るが、今日は9時過ぎまでリコーダーの練習。明後日は吉澤先生のリコーダーのレッスンを受ける日なので。
明日は空いている時間は全て練習だな。

夢中で吹きまくる私を見て、夫は半分は呆れてだろうが、こんなに夢中になれるものがあって良かったねという。確かに。我を忘れ、時間を忘れ、そこだけに没頭できるのは、幸せなことに違いない。

6月28日の玉川温泉最終日の日記を書くつもりでここを開いたものの、シャトルーズのリキュールを炭酸で割ったカクテルがかなり効いてきて、書けそうもない。また次回に。

というわけで、今日一日のことを記した取り留めのない日記





2016年07月09日(土) 梅雨の土曜日

朝から雨。お陰で涼しい。しかも何も予定のない土曜日なので、かなりリラックスモード。
今日したいことを、考えてみる。
ひとつに読書。数冊並行して読んでいる本がなかなか進まないので、今日こそは、読み進めたいところ。高橋たか子の著書で、彼女の死後に出版された、日記「終わりの日々」、そして、その本の中に出てきた、彼女の書いた短編集「墓の話」、文学ゼミのテキスト「萩原朔太郎詩集」、フェイスブックの友人を通して知った「イエス・キリスト 失われた物語」
ふたつ目。リコーダーの練習。明日は、友人と銀座のヤマハホールでのリコーダーのコンサートへ行き、その後、近くのカラオケ屋さんで練習することになっている。そのための練習。
夕方のヨガのクラスまでに、、、。

と、本を読もうとして、ダイニングテーブルに座ったら、しばらくここを開いていないことを思い出した。書かない日々のことは消えていく。それでよい日もあるが、どうしても覚えていたい日もある。先月6月25日から28日までの秋田県の玉川温泉行きのことはしっかりと記憶に留めておいて、時々思い返したい体験だった。そのことを遡って書いておこうという思った次第。

それにしても、こうしてパソコンに向かって文字を打つことが以前のように気持ちよくは進まない。遠近両用の眼鏡の焦点が合わせづらく、眼鏡を取って画面を見ようとすれば、かなり顔を近かずけなくてはならず、姿勢が悪いことこの上ない。

そういえば、ここのところの日記はすべて、iPhoneで書いてきた。小さな画面に指をタップして。そしてその方がうんと快適で、スムーズにいっていたと改めて実感。何かを調べるのも、メールするのも、パソコンを開くことなく、iPhoneだけで。

かつては、パソコンのキーボードに指を置けば、自然に文章が浮かんでくるような心地よさがあった。その感覚を取り戻すことができるだろうか。

さて、6月25日へと遡ることにしよう。


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