たりたの日記
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玉川温泉湯治の旅4日目、この日も朝は4時過ぎに起き、岩盤へ。最後のお風呂を楽しみ、朝食を済ませ、10時過ぎのバスで田沢湖へ。 田沢湖駅には、以前お会いしたことのあるSの友人、R子さんが、待ってくれていた。夕方の新幹線の時間まで、田沢湖周辺でいっしょに過ごすことになっていた。まずは、ネットで調べていた、田沢湖ハーブ園。ハーブ園は予想以上に、素敵な場所で、デザインのよいハーブガーデンを歩き、わたしはリコーダーを取り出し、ベンチに腰掛け、何曲か吹く。 田沢湖を眺めながら、戸外のテーブルで、おしゃべりしながら、ゆっくりとランチ。お料理は美味しく、沢山の種類のハーブティーのドリンクバーは嬉しかった。 田沢湖の深さと広さに改めて驚きながら、R子さんの運転で、田沢湖の周囲をドライブ。夕方5時過ぎ、二人と別れ、田沢湖駅から新幹線に乗り込む。
9年前だったか、わたしは一人この駅に降り立ち、秋田駒ケ岳行きのバスに乗り、8合目で降り、そこから山頂まで、1人登山をしたことを思い出していた。そして下山した後、人気乗り途絶えた駅で、帰りの新幹線を待った。もう、ああいう登山はできないだろうな。少しハラハラしながら、それでも雄大で美しい山に魅了された。あの時、山の上から田沢湖がくっきりと見えた。9年の後、心に残っていた、その田沢湖に行くことができた。 友との再会とリトリート、霊験新たかな岩盤浴と温泉の湯治は、心と身体に充分な癒しと、安らぎをもたらしてくれた。感謝に満ちた4日間だった。
2016年06月27日(月) |
玉川温泉3日はワイルドに |
玉川温泉3日目は、Sも私も早起きをし、5時には宿を出て、岩盤へ。しかし3つのテントはすでに人で埋まっていた。聞けば、みな4時にはここに来て良い岩盤を確保するのだそう。ちょうど一番乗りで来た人たちが出る時間と重なったため、すぐに、我々に場所を譲ってもらえた。熱々の特等席! 鳥の声を聞きながら、早朝の岩盤浴。その後はザブリと一風呂浴びて朝食。朝食後、再び岩盤へ。今回もテントはすでに、占領されていて、多くの人達が、テントの外の岩の上で岩盤浴をしている。今日はお天気もよいので、それが可能だ。私たちも真似をしてテントの上方の岩の上にゴザを引いて寝てみる。テントの中の岩盤ほど熱くないので、かえって心地よい。二人とも、戸外だというのに、1時間ほど、すっかり眠ってしまった。まわりに人もいるというのに、午前中だというのにぐっすり眠ってしまうのは、やはり、岩盤の熱やラジウムのせいなのかな。岩盤の後、研究路の少し小高くなっているところで、一休み。リコーダーを何曲が吹く。
昼食代わりに、お芋やせんべいなどを売店で買い、ホテルのロビーで軽いランチ。 朝食の時に声をかけてくれた台湾人の女性が、ラジウムが強く出ているところなど、教えてくれる。私たちは、もう午後からは岩盤には出かけない気分でいたところ、「ここにいるからには、岩盤へ出かけるのが仕事でしょ。行かなくちゃと」とハッパをかけられる。確かにそうだ。
今回は、真っ直ぐテントには向かわず、硫黄がもくもくと吹き出している、ワイルドな岩の上に陣取り、野宿のような恰好で岩盤浴を試みる。ここもあまり熱くないので、心地よい眠りに誘われ、1時間は寝ていた。岩盤の上でヨガをし、帰り道、特にラジウムが高い濃度で検出されるという、少し小高い、記念碑が立っている場所に座り、リコーダーを吹く。
ワイルドに火山の岩盤に身を横たえて過ごした一日。
昨夜は岩盤浴の後、野菜料理が沢山あるバイキングの夕食をお腹いっぱいいただき、霊験あらたかな玉川温泉に入浴。泉質は今までに入ったことのないほど強い酸性のお湯で、源泉100%のお湯は身体がぴりぴりとしみるほど。50%のぬる目のお湯に入る。
夜は旅の疲れもあって、早めに寝たため、わたしは4時過ぎには目が覚めてしまった。外はもう明るい。昨日歩いていなかった自然路を歩いてみようと外へ。ちょど外へ出ようとしている人がいて声をかけられた。岩盤浴ですか?と聞かれたので、少し歩こうと思ってと言うと、熊が出るから気をつけてという返事。昨日田沢湖まで来る時も、秋田新幹線が熊と衝突して到着時間が遅れてしまったし、熊が出るというのはほんとうなのだろう。それでも歩きたい気持ちは押さえられず、テントの方へ向かうその方とは分かれ、ひとり自然路へ。久々のひとり山歩きの感覚。道が見えなくなるほどの硫黄の煙の中に入った時には周りに人がいないこともあって、こわくなり、動画を撮るのを止め、人がいるテントへ向かった。
朝4時過ぎだというのに、テントには多くの人。テントの周囲にも岩盤浴をしている人や瞑想している人の姿があった。ならば私もと、持ってきたゴザを敷き、早朝の岩盤浴。帰り道 身体が冷えてしまったので、温泉に入り、7時に部屋へ戻り、Sといっしょに朝食。夕食同様、野菜中心の健康的な朝食。ただバイキングなので、どうしても食べすぎてしまう。秋田の言葉で「はらちえ」と言いつつ部屋に戻るのがおきまりとなる。
この旅は湯治だけでなく、リトリートの目的も。午前中は二人で聖書を読み、祈りと瞑想の時間を持つ。 午後、岩盤へ。雨だというのに、雨だからなのか、テントの中は隙間なく人で一杯。私たちはテントの前の傘をさし、テントが空くのを待った。冷たい空気の中に晒されていただけに、岩盤の熱は身体に心地よかった。しかし、帰り道は汗が冷えて身体が冷たくなるので、保温シートを身体に巻き付けて歩いた。ここでは夏でもヤッケや雨具といった山の装備が必要なことが分かる。次回のために覚えておこう。 冷えた身体を温泉で温め、夕食までの時間はヨガをして過ごす。夕食後は温泉場の中に設けられた室内の岩盤浴場へ。こちらも、人で一杯だったが、すぐに場所を空けてもらえ、1時間ほどの岩盤浴、その後温泉といった1日。
この2月に胆管がんの手術を受けた後、秋田県の玉川温泉のことを聞いた。湯治場として古くからよく知られている温泉で、リュウマチや癌に効くらしく、今でも大勢の病を持っている方々が治療目的で集まってくる温泉ということだ。
秋田にはこの「たりたの日記」を通じて知り合った、15年来の友人Sがいる。彼女は彼女でひどいリュウマチに悩まされている。退院したらSを誘ってその温泉へ湯治の旅をしたいものだと思っていた。そして、その願いが実現したという次第。切符も宿も、Sが手配してくれて。
この日の朝、10:46発の秋田新幹線こまちに乗り込み、田沢湖着13:10。そこでSと合流し、玉川温泉行きのバスに乗り込む。メールや電話でのやり取りは続いていたものの、Sと会うのは3年振り。間に大きな出来事もあったから、再会は感慨深いものがあった。生きて会えてよかったと。
予定ならば、バスは玉川温泉に14:42着、1時間20分ほどの乗車時間なのだが、バスに揺られて30分もすると、腸の具合がおかしくなった。思いの他寒く、スカーフを膝にかけたり、カーディガンを羽織ったりしたものの、身体が冷えたらしい。一旦この状況になると、止められない。このままバスに乗っていては大変なことになる。手術の後の内臓の不具合はこういうところに現れて時々、スリリングな事態になる。次のバスまで1時間は待たねばならないが、Sと共に途中のバス停で下りることにした。
バスを降りたところは玉川ダムというところで、美しい湖を眺める公園になっており、そばのカフェは閉まっているものの、側にはきれいな公衆トイレがあって助かった。出るものが出てしまえば、後は何でもない。Sからはリコーダーを持ってくるようにと言われていたから、バッグにはアルトとソプラノのリコーダーと楽譜が入っている。景色の美しい、誰もいない公園は笛を吹くにはもってこいの場所だ。ベンチに楽譜を立て懸け、リコーダーを吹いた。 ヤコブ・ファン・エイクの讃美歌をモチーフにした曲などを数曲。近くの鳥もコラボしてくれ、木々の緑と湖の青は音を豊かにしてくれ、Sも音楽を喜んでくれた。次のバスを待つまでの時間は思いがけない素敵な時間となった。
午後4時頃、ようやく玉川温泉に到着。さっきまで降っていた小雨も都合よく止んだようなので、さっそく岩盤浴ができる場所へと探検にでかける。もくもくと硫黄の煙が上がっている噴気孔の側を歩いていくと、何ともワイルドな火山の風景が現れた。秋田県が管理する一周約1キロの玉川温泉自然研究路が整備されていて、その一角に、岩盤浴ができるようテントが三つ張られている。テントの中に二人分の空間を何とか探し、持ってきたバスタオルを敷き横になる。他の人たちは、ゴザを敷き、身体をすっぽり覆うタオルやシートなどをかけている。かなり熱い岩盤で、冷えた身体が心地よく暖められた。ほっとした気分でSと積もる話をしていたら、ここは治療の場所で瞑想している人もいるのだから話はしないようにと注意された。 その通りです。ごめんなさい。 確かに、レジャー感覚の温泉場とは違う。深夜の登山を待つ山小屋のような、あるいは何かの修行場のようなそんな空気があった。そしてそれはわたしの好きな空気でもあった。
翌日からはゴザや保温シートを売店で買い、本格的に岩盤浴をするのだが、この時点では、見ること、聞くこと、びっくりのことばかりだった。
2016年06月24日(金) |
GRV というサイト |
夫がGRVというサイトを立ち上げた。 好きな音楽と写真と本がテーマのサイト。 こんなホームページを注文に応じて作りますよ というサンプルの意味もあるらしいが、50代の最後の年、今まで好きでやってきたものを、気の向くままに切りとり、デザインし、外に向けて発信するのはいいことだなと思う。 私たち、もう、人生のまとめの時期を迎えているからね。 自分て何だったの、どう生きてきたの、って自分を辿るきっかけにもなるし、まだまだ自分は謎だから、新しい自分に出会うことだってできるにちがいないもの。 これまで一緒に暮らしてきたとしても、お互い、圧倒的に知らないことの方が多いのが夫婦というものであってみれば、何がそこに現れてくるのか、楽しみではある。 ということで、サイトの宣伝です。どうぞ、お訪ねください。 ⤵ GRV
昨日の日記のつづき。 ここにカラヴァッジョ展のことを書いておこう。 全体的なことは、すでに発表されている新聞の記事や美術館のインフォメーションにお任せして、わたしはあくまで、わたし自身のカラヴァッジョ体験を。 観賞というよりは、ひとつの体験だった。 これまでのシャガール体験、ルオー体験、ゴッホ体験がそうであったように、絵からわたしの深部(ヨガの世界では真我というのだろうか)に流れ込んでくるものがあり、さらにそれは私自身の魂と結びついてしまう。一旦結びついてしまったものは、年月が経ってもその記憶は薄れることなく、記憶とは別の部分で生き、それ自体が動いたり、大きくなったりと進化していく。そうした体験。 以下はFacebookに書いたもの。それに対するみどりさんのコメント、そしてレス。
***
明後日までのカラヴァッジョ展、駆け込みで観てきました。
エマオの晩餐 法悦のマグダラのマリア エッケ ホモ (この人を見よ) など
忘れられない絵との出会いになりました。 観るものをその深い静けさに引き込んでしまう、この力はいったい何なのだろう… とにかく強く惹きつけられました。
今まで見てきたイエスの顔の中で一番身近に感じ、マグダラのマリアにしてもピタリと言い当てられた感覚があったのは わたしの心象風景の中にある彼らに近いからなのだろうか、それとも誰もがそのような近さをカラヴァッジョの世界に感じるのだろうか… と、そんなことを考えながら長いこと絵の前に立っていました。 疲れるから無理かなと思っていたけど行けてよかった。
< カラバッジョ展について>
http://www.sankei.com/smp/life/news/160306/lif1603060022-s.html
* * *
みどりさんからのコメント
先日行ってきました。彼の描くイエスに恋をしてしまいそうになりました。マリアは世界初公開でしたが、なんとも恍惚でいながら贖罪を感じさせる複雑な表情で印象的でした。彼自身が殺人を犯したりなど一線を越えた生き方をしていたのも、絵に深みを増す要素だったのかなと思います。
わたしのレス
みどりさん、わたしも、あのイエスに心を掴まれました。確かに恋に近い。イエスにしてもマリアにしてもカラヴァッジョという画家は、その人の魂を描き出す画家なのだなぁと思いました。だから観る者と絵に描かれた人物の魂が触れ合ってしまうのではないかと。
みどりさんからのレス
激しく同感です。
2016年06月10日(金) |
上野公園で の一日〜絵観て笛吹いて |
この日、カラヴァッジョ展を見に上野の国立西洋美術館へ。 3月1日から始まっていたものの、都内へ出かけることは、とりわけ美術館は行く前から疲れそうで、足が向かなかった。 退院してから、仕事のない金曜日は、そしてスポーツジムもお休みのこの日は、近くの日帰り温泉に行く日と決め、一人温泉で4、5時間過ごしてきた。 けれど、後2日でカラヴァッジョ展は終了。二度と目にするチャンスがないとすれば、温泉よりはこちらでしょうとばかり、出かけることにしたのだ。 朝、でかける支度をしている時、公園に行ったらリコーダーを吹きたくなるかもしれないからと、楽器と楽譜を用意しはじめた、そうすると、二人で吹ければなおいいかもしれないと、アンサンブルのパートナーの淳子さんにお誘いのメールを出してみた。彼女は陶芸のクラスが終わったらリコーダー持って上野へ来てくれることになった。 そこで、アンサンブル用の楽譜と譜面台もバックに入れて、大層な荷物で美術館へ。 美術館の脇の木の下で持ってきたおにぎりで腹ごしらえをしてから会場へ。まあまあの混み具合。
カラヴァッジョ、予想をはるかに超えてよかった。このことについては、また改めて書くことにしよう。
2時間ほど観て、身体が冷えてきたこともあって戸外へ。リコーダーが吹けそうな場所を探して、野口英世の像のそばの木の下に座り込み、ルネサンスモデルのソプラノリコーダーで、ヤコブ・ファン・エイクの曲をいくつか吹く。カラヴァッジョとファンエイク、20年ほどの差があるものの、同じ時期に生きていた人たち。同じルネサンスの息吹の中で、今に残り、愛される芸術を残した人たち。この時代の音楽を吹くことで、カラバッジョやファン・エイクと心を通わせているような気持ちになる。
ヤコブ・ファン・エイクのリコーダーの曲がユトレヒトの教会の中庭で吹かれたことを思えば、木々の緑の美しい公園の中で吹くファン・エイクはよりファン・エイクのスピリットに近づくような気がする。小学生の列や、中学生の塊が、側を通り過ぎていった。彼らは音楽の時間にリコーダーを吹いているはずだから、ある意味、リコーダー仲間。変なことをする大人もいるもんだと思われれば本望。
3時ころから1時間ばかり吹いたところで、淳子さんがやってきた。彼女は公今日は園では吹きたくないモードということなので、練習場を求めて駅の近くのカラオケ屋さんへ。 コレルリのソナタやバロック時代の小曲を次々と2時間立て続けに吹いて、上野駅で分かれる。
電車に乗る前に、前から美味しいと噂に聞いていた、古奈屋でカレーうどんを食べる。ほんとに美味しいカレーうどんだった。
カラヴァッジョとリコーダーの1日。 もうグリーン車を使わずに混み合う電車にも乗れる。長時間リコーダーを吹くこともできる。 ここまで元気になったということだ。
2016年06月04日(土) |
聖なる聲 のシンポジウムへ |
半年前に予約をし、とても楽しみにしていた < Sacred Voice 聖なる聲 、聲による祈りの響きを実際に味わうシンポジウム>に出かけました。 行けてよかった… キリスト教のグレゴリオ聖歌、イスラム教のクルアーン朗唱、ヒンズー教の様々な聖歌、真言宗の聲明、それぞれが内面に入ってくる、深い聲を持っていました。異なる宗教でありながら、その聖なる音は互いに響き合うことを、どの宗教も祈りはひとつところに繋がっていることを体感しました。 もっと知りたい…
と、Face bookにアップした。 この催し物のことを知ったのは、クリスマスの前。わくわくするものがあった。 半年以上も先のことだったが、直ぐに2席予約を入れ、忘れないように手帳のカレンダーに書き入れ、チラシを冷蔵庫に貼っておいた。 先の事はほんとに分からないもの。手術を前に、予約はしてあるものの、ふと、あのシンポジウムには行けないかもしれないな、それは残念だなと思った。そんなことを思ったことを思い出し、ともかくこうして遠く、三鷹のICUまで夫と出かけることができることがあり難く思われた。 果たして、そのシンポジウムは予想以上に素晴らしいものだった。 4時間は疲れて身体が持たないかもしれないと思っていたのに、そして今日は朝から胸の痛みが続いていたというのに、それぞれの聖なる祈りの聲を聞くうちに、心身共に癒されていった。ぐったりするはずの帰りの電車の中でも、ずっとグレゴリオ聖歌の楽譜を開いて心の中で歌っていたし、家に帰ったらすぐにリコーダーの練習をし、その後今まで、グレゴリオ聖歌を練習していた。スピリチャルな聲が身体と心に効いたのではないだろうか。
明日は7時半には家を出て東久留米に。ミサと聖歌隊の練習の見学と、グレゴリオ聖歌の入門講座。今日が明日に繋がっていくのはうれしい。 さて、寝よう。
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