たりたの日記
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2016年05月23日(月) 林の中でリコーダーを吹いた日

この季節になって、パークヨガならぬ、パークリコーダーは今日で3回目。

前回はまず公園の木立の下、芝生の上にヨガマットを敷き、1時間ヨガをやってから1時間ほどリコーダーを吹いた。すぐ近くの水路でザリガニ釣りをしていた小学校3年生の男の子たちから声をかけられたことがきっかけで、「いっしょにヨガやらない?」と誘ったところ、やるやるとのって来たので、いくつかのポーズを教えたりし、思わぬキッズヨガクラスになった。

その後、マットに座ってリコーダーを吹いて1時間ばかり立った頃、少し離れたところでシートを広げていた女性が公園のバラを見にやってきたが、バラを見たことより、木々の中でリコーダーの音を聴いて癒されたことの方が良かったと声をかけて下さった。私はもう帰り仕度をしていたところだったが、音楽のことやヨガのこと、健康のことなど、小一時間ほど彼女と話をしすることになった。私より1歳年上の方だった。遠くから電車を乗り継ぎバラ公園にやってきた甲斐があったと言って下さりうれしく思った。

今日は珍しく朝寝坊をしたため、家を出たのがお昼前。公園でヨガをするには気温が上がり過ぎていて、気持ちよくやれないかもと断念。去年さんざん使った、林の中の東屋のベンチに陣取り、譜面台を置き、じっくり吹く姿勢。

前回このベンチで吹いていた時には若いカップルが、東屋の中に入ってきて、すぐ隣のベンチでお弁当を食べ始めた。音楽も聞けるし、ちょうどいいねという感じで。音階やエチュードを吹くのも悪い気がして、できるだけロマンチックな曲を探して吹いたりしたことだった。

だから、今日、年老いたお母さんと娘さんの二人が、すぐ隣のベンチで焼きそばを食べ始めても驚きはしなかった。焼きそばを食べ終わってもそこに座っていらっしゃるので、何となく話をしながらファン・エイクの曲や、イギリス民謡などを吹いた。
「林の中で聞く音楽はいいですねぇ。わたしは初めての体験です。」
とお母さん。娘さんの方は、何かがタッチしたのか、吹いている間中涙ぐまれていた。母が生きていたら、母を公園に連れ出し、リコーダーを聴いてもらったかもしれないなと、母に聞いてもらうつもりで吹いていたのが、娘さんに伝わったのかもしれない。
「わたし達のために演奏してくれたようでうれしかったです。これおやつに持ってきたものですが」と、バッグの中から南部せんべいの包みを取りだしてわたしに下さった。

その母娘と入れ替わるように今度は中年のご夫婦が「バラを見ながら、どこからか音楽が聞こえてくるので、施設の人が流しているのだろうと思っていたら、あなたが演奏していたのですか。この場所にぴったりですね」と声をかけて下さった。傍らのベンチにしばらく座って聴いて下さった後、女の方が、これ、おやつに食べて下さいと、菓子パンを下さった。

なんだか、お布施みたいとおかしく思いながら、なんだか温かな気持ちになっていた。わたしが吹くリコーダーを喜んで聴いて下さり、そのお礼にとたまたま持っていた食べ物を下さるという行為がとても有り難く貴重なものに思えた。
まさにシェアしあう行為だなあと。それも初めて会った、もう二度と会うこともない方々とこうして、分かち合うことができた。一期一会とはこういうことなんだなと。

音階練習やエチュードの練習をまずはまじめにやらなくてはだけど、やっぱり今年も、森の大道芸人としての笛吹きも時にはやることにしよう。なにか大切なことに触れるきっかけがそこから生まれてくるような気がしている。



2016年05月22日(日) 宗次郎の誕生

2016年5月22日午後3時45分、大阪に住む次男夫婦に長男、宗次郎が誕生。
折しもこの日は満月。予定日よりも2週間ほど早かったが、月の満ちる力を捉え、地上での人生を始めることにしたのだろう。送られてきた生れたばかりの写真を見れば、新生児だというのに、男っぽく凛々しい顔立ちをしている。

母親は前日の朝から入院したので、丸一日半、ずいぶん長時間の陣痛を耐えたことになる。無痛分娩ではあったものの、苦しいお産だったということだった。例外もあるだろうが、だいたい第一子のお産は大変だ。私の時も、また長男のところの玲央の時も。ほんとに、お疲れさまでした。

この日私は家を8時に前に出て、三位一体主日のミサにあずかるべく、東久留米へ。また午後はグレゴリオ聖歌入門講座に出席していた。聖歌隊の方々の美しいクレゴリオ聖歌を聞きながら、また口ずさみながら、新しい命の誕生のことをずっと祈っていた。主日に生れるというのはいいなぁと思いつつ。

さて、名前だ。昨夜はまだ決まっていなかったようだが、今朝ラインで名前が知らされた。二人が好きな宮沢賢治の「雨二モマケズ」の詩のモデルと言われている人から取ったということだった。
宮沢賢治なら、わたしにとっても、好きという以上の、深い関わりを感じている人物。雨二モマケズは賢治の手帳に無数の念仏の言葉と共に書きつけられたメモで、わたしはそこに賢治の悲痛な祈りを読み取るのだが、そこにモデルがいることは知らなかった。

調べてみると、斎藤宗次郎という人物が出てきた。なんと反戦を貫いたキリスト者、内村鑑三を看取った第一の弟子、宮沢賢治と交流があり、その作品の中にも名前を変えて登場している。雨ノモマケズが賢治の究極の祈りであれば、そのモデルという見方は置いておきたいが、実際、デクノボーと呼ばれる、賢治の理想とする生き方をした人だったようだ。

さて、わが肥後ファミリーに新しく加わった宗次郎くんはどんな人生を歩くことになるのだろうか。名前の由来が由来なだけに、斎藤宗次郎という人物や内村鑑三や宮沢賢治
の人となりに触れることはあるだろうな。わたしは宮沢賢治の童話を読んであげるだろう。

こうして、新しい命は昨日始まったばかりだというのに、すでに希望と力がそこから届いてくる。

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斎藤宗次郎 について のメモ



デクノボーという生き方

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-132.htm


ウィキペディアより

内村鑑三との交流

日露戦争の際、内村に影響され本気で非戦論を唱え、「納税拒否、徴兵忌避も辞せず」との決意をする。心配した内村が花巻を訪れ説得し斎藤は翻意するが、すでに県当局からにらまれ、小学校教員の職を失った。その後は新聞取次店を営みながら生計を立て、清貧と信仰の生活を送る。画家の中村不折は彼を「花巻のトルストイ」と呼んだ。晩年多くの弟子に裏切られ、「弟子を持つの不幸」という文まで書いた内村に終生尽くし、1930年(昭和5年)の内村の死の際には隣室に泊り込んで日夜看病した。


宮沢賢治との交流
同郷の出身で日蓮宗(国柱会)の信者だった宮沢賢治とは宗派を超えた交流があり、1924年(大正13年)の日記には賢治の勤めていた花巻農学校に斎藤が新聞の集金に行くと賢治が招き入れ一緒に蓄音機で音楽を聞いたり、賢治の詩「永訣の朝」らしきゲラ刷りを見せられたという記述が見られる。また、賢治の散文詩「冬のスケッチ」には斎藤をもじったと思しき「加藤宗二郎」という人物が出てくる。
一部には「雨ニモマケズ」のモデルであるという説がある。これについては、岩波書店から刊行された日記「二荊自叙伝」の解説で賢治研究者の栗原敦が、「雨ニモマケズ」には賢治の嘆きや弱さがにじんでおり、安易に斎藤に重ねることは、迫害に耐えた斎藤の強固なキリスト者としての独自性を見逃すおそれがあると指摘している。
1927年(昭和2年)、上京。1968年(昭和43年)、90歳で死去





2016年05月05日(木) 子どもの日のお祝いに

この日、孫娘の芽美の3歳の誕生祝いと、小1になった玲央の子どもの日のお祝いに調布へ。孫たちのもう一組のお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、それに、ママの姉妹の家族4人と4家族で13人の賑やかな持ち寄りパーティー。
1月6日に生まれた愛美も声を立てて笑ったり寝返りをしたりするほど育っていてびっくり。
4人のいとこ同士が仲良く遊ぶのを見るのも、双子の美人姉妹の軽妙なおしゃべりやママ振りを見るのも、友達であり義理の兄弟のパパ振りを見るのも、また、そんな子どもたち、まごたちを眺めながら、2組のジジ、ババとで、一緒に飲んだり食べたりするのも、いつも、とても好きだ。
我々の息子が結婚したことで、こんなふうに人との繋がりが生まれていることに、有り難いものだなぁと思う。私も夫も、子どもの頃のこうした親戚どうしの集まりの経験はあまりない。子育て中も、親、兄弟たちとは遠く離れての暮らしだったので、やはり親戚との過ごすことはまずはなかった。それだからこそ、この変化を有難く、嬉しく思うのだろう。


2016年05月01日(日) 達人対談

昨日オーガニックライフのヨガイベントに参加した。まずは<成瀬雅春& 藤田一照/達人対談果てなき内的探究-瞑想の実践 >
昨年に続き、今回もとても面白く、心湧く対談でした。昨年は「ヨガとは良く死ぬこと」という成瀬さんの言葉にインパクトを受けたが、今年は「瞑想とは自分を知ること」という一言。瞑想についてしばらく考えを巡らしてみたいと思った。もちろん、実践も。

早速、amazonから 成瀬雅春著「悟りのプロセス」を取り寄せ、読み始めた。今日、5月3日のこと。

対談を聴きながら、私自身の瞑想について、あるいは、子供の時からの宗教的体験と言えるものを思い返していた。
成瀬氏は自分を観察することが面白くてしかたない。自分に死が訪れる時のことが、わくわくするほど楽しみだと語っておられた。達人の足元にも及ばないにしても、その言葉には充分納得がいき、私もそうだと思った。がんの宣告を受けた時、ショックやよく言われるような、頭が真っ白になるような状態にはならず、もしかして、いよいよその時を迎えるのか、といった妙な高揚感があった。同時に、そういう心持ちである自分が面白いと思い、これはよく観察し、書いておかなければと思ったのだ。その後のICUでのあれやこれや、入院中のあれやこれやも、非日常の場におかれた自分を観察し、記録しておこうという気持ちが働いた。
なので、退院し、日常に戻れば自分を観察する気持ちも薄れ、自然と日記の更新も少なくなってしまったのだろう。

ところが瞑想というのは日常の中にありながら、そこから自分を切り離し、自分の内側に生じていることに意識を向けるという行為なのだろう。座して瞑想する時間はあまり持てていないものの、朝歩く時、ヨガや呼吸法をする時、温泉に浸かる時の瞑想状態は心地よい。リコーダーを吹くことに集中すること、グレゴリアンチャンツを歌うことに集中することも、また瞑想ということなのだろうか。

成瀬氏によると、瞑想には段階がある、訓練することで、一歩一歩、そのスキルを上げていくものだとおっしゃっていた。そのプロセスについては、「悟りのプロセス」に書いてあるということだってので、瞑想についてのステップを学ぶべく、この本を読み始めた次第。
さて、夜更かしすると、明日の朝の瞑想に支障が生じる。今は、できるだけ早く、眠りにつくことだな。

おやすみなさい。



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