たりたの日記
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2015年12月31日(木) お節作り、 平野レミさんのレシピで

平野レミさんの簡単おせちの番組をたまたま見た。
今年のお正月は二人だけなので、おせちも煮物くらいして、後は生協のおせちセットで済ませるつもりだったのだが、彼女のお料理するとこ見てると、とっても簡単で、またユニークで、作ってみたくなった。
早くできるというのがいい。それに以外な食材の組み合わせで伝統的なおせちが一味違ってくる。

マーマレードの田作り、たたきゴボウのピーナツバター和え、砂肝の醤油漬け、伊達巻まで。
簡単で、しかも美味しい!
来年のために、メモ、メモ...
レミさん、ありがとう。

その他、今日作ってたもの。 黒豆、豆きんとん、紅白なます 筑前煮
全部で8品。

大晦日のこの日、笛の練習もでき、
夕方には無事、温泉に行けた。
温泉ではヨガやれたし、よい一年のしめくくりだった。



2015年12月25日(金) 2015年のクリスマス



こんな感じで。

ただいま2016年1月18日。日記モードになっているついでに、過去日記記入中。クリスマスはこの写真だけにしておこうと思ったけれど。少し文章も。

去年は、わたしのみで、調布へ行った。今年は夫が退職して、週日も家にいるので、いっしょにでかけることができる。

昨年、デパートでケーキを買うのにあれこれと迷った記憶がある。
奮発して値の張るデコレーションケーキを買った割りに、れおにはさして人気がなく、なんだかおおあまりし、わたしがたくさん食べるはめに。今年は節約モードということもあり、バナナケーキを焼いて持っていった。
わたしのバナナケーキはれおの大好物。しかも保存が効く。毎日のおやつや朝食にもなる。


予想はおおあたりで、夕食の後に2切れぺろり。
残りを保存用に一切れづつラップにくるんでいると、れおが見ていて、
「持って帰るの?」と心配そうな顔で聞く。
「持って帰ったりしないよ。これぜんぶれおたちのだよ」
」ほんと?」
というと嬉しそうにしていた。

デパートのデコレーションケーキよりもバナナケーキが嬉しいのか・・・
れおのパパやその弟はわたしのバナナケーキはそれほど有り難がってはくれなかったけれどな。

そうそう、我が家の子ども達には「緑色の変なパスタ」と人気のなかった、庭のフレッシュバジルで作ったペストのパスタは、とりわけめいみのお気に入り、フォークに差しては次々に口に運び、口いっぱいに頬張ってはむしゃむしゃ食べて食べやめない。「他のものも食べなさい」と言われている。
残念ながら今年はバジルがあまり育たず、冷凍していたバジルソースもこれが最後。
来年は何としてもバジルをたくさん育てて、1年分のバジルソースをストックするぞ!
と、孫の力は強い。

さて、今年の私達からのクリスマスプレゼントは、1週間前、トイジャラスで自分たちで選んだおもちゃ。めいみはバージニアファミリーのシリーズの歯医者さんのセットとリスのファミリーのセット。れおはなんだか分からないけれど、カードを使ってあそぶドラゴンボールのゲーム(?)
クリスマスの朝までツリーの下に置いておいて開くのを待っていたプレゼント。
大阪に住むれおたちの叔父さん夫婦から届いたサッカー図鑑を見せてくれたり、筆で水をつけると色の出てくる素敵なぬり絵で遊んだりと、この写真はその様子。




2015年12月24日(木) 太陽礼拝108回と深夜ミサ

今年のクリスマスイブは2つの新しいことをした。
ひとつはヨガのスーリヤナマスカーラ(太陽礼拝)を108回通して行ったこと、もうひとつは 東久留米の聖クレゴリオの家の降誕祭深夜のミサに参加したこと。

この1年間のテーマがヨガとグレゴリオ聖歌であってみれば、良い締めくくり、キリスト教の暦で言えば、新しく始まる1年の良いスタートだったと言える。

正直、108回の太陽礼拝は自信がなかった。これまで5回くらいしか続けてやったことはないし、その5回も結構きついなと感じていたからだ。ところが、昨年、町田インストラクターのこのイベントに参加したヨガ仲間たちは、何とかやれるものよと言う。その中には72歳の女性もいる。ならば、わたしもと挑戦してみたのだ。曲がりなりにもヨガインストラクターとしてのお仕事もしているわけだから、やらないわけにはいかないでしょう。

今回は60分という時間設定だったので、最初のウォーミングアップや説明と最後のストレッチなどを除いた50分ほどの時間、11のアーサナを1クールとする太陽礼拝を108回行った。
どういうわけか、一度も疲れた、きつい、という感覚はなかった。回数が進むほど、瞑想が深まり、静けさと心地よさの中で108回目を迎え、もっと続けていたいという気持ちだった。
ヨガは身体で行う祈り・・・その通りだと思った。わたしとしては、クリスマスイブにふさわしい祈りの時間だった。


このヨガのイベントは4時から5時までだったので、ジム風呂に入った後、6時すぎ、夫の車で東久留米へ向かう、途中夕食をし、時間調整のために日帰り温泉でゆっくり過ごし、深夜のミサへ。
どうしてもこのミサに参加したいと思ったのは、この時歌われるグレゴリオ聖歌が、わたしが最も好きで33歳の時から30年近く聞いてきたCDの曲だということを知ったからだ。
グレゴリオ聖歌入門のクラスで、この聖歌を歌った時には驚きと感激で胸がいっぱいになった。何の聖歌なのか、何がそのラテン語の歌詞にこめられているのか、知ることもなく、聴き続けていた歌の言葉が旋律の形がそこにあったからだ。
楽譜というのはおもしろい。それを読むことで、自分自身でそれを音に置き換える作業ができる。昔の修道士たちは、耳で聴き、それを覚えて歌っていたのだろうが、わたしにそれはできない。ところが、文字が譜がそこにあれば、その音楽が或る意味、我がものとなるのである。
そういう意味で、詩の意味を味わい、音の高低を表した四線譜の四角い音符を追いながら、たどだどしくはあっても自分で歌えることがとてもうれしかった。

深夜のミサの後、夜中の3時過ぎ帰宅。


2015年12月07日(月) この年の二つの課題

今年の1月14日を最後に、ぱったりと日記が途絶えていた。
11か月振りにここを開く気になったことに特別な理由はない。
寝る前に少し時間があって、他にすべきことはあったも、今はやりたくなく、本も音楽もこの時間にしっくりこなかったからだ。

毎度、ここを留守にして戻ってくる度に思うことなのだけれど、なぜ、かつては日課のように書いてきたのに、さっぱり書かなくなったのだろう、いえ、書かずにいられるのだろうということ。
で、またなぜ、その縛りが解かれたかのように、書いていた頃のモードが今やってきているのだろうということ。
書かないでいることと、書くということの間には心の変化があるのに違いないが、それが何かが分からない。

さて、この1年あまり、いろいろなことがあった。大きくエネルギーを投入したことは2つ。

ひとつは、二つのヨガ指導者養成コースを受講し、6月に試験やプレゼンなどの課題を終え、指導者の資格をいただくに至ったこと。
ここに至るまでは、近くの公園にヨガマットを持っていっては練習に励んだ。ブリッジやサーランバ・シールシャーサナ(三点倒立)の練習は、外の方が気合が入り、集中度が増す。パブリックに自分を晒しているという緊張感からか、あるいは周囲の高く、美しい木立に解放感や喜びを感じるからか。
せっかく資格を手にしたのだからとすぐに、近くの保育園のホールで月1〜月2、区民会館で月2回のヨガクラスを始めた。指導するためには勉強や練習、加えてヨギーニとしての自覚が要求される。何より自分自身にとってのよいトレーニングの場だ。

もうひとつは、11月14日のリコーダーと朗読のライブ。ファン・エイクの「笛の楽園」からソプラノリコーダーのソロ曲を3曲。2曲をリコーダーアンサンブルのパートナーのJunkoさんとのデユオで。後半はアルトリコーダーのデュオでイギリスの民謡を朗読と共にというもの。自由が丘にあるイギリス風カフェ、メイフィールドの恒例の秋のコンサートをお引き受けすることになり、組んだプログラム。

これまで、知り合いのカフェや老健施設で演奏してきたけれど、お金をいただくような演奏は初めてのこと。そのプレッシャーはかなりのものがあり、6月から5カ月ほどは、何をさておき、練習という日常だった。一人で、またJunkoさんといっしょに、度々、あちらこちらのカラオケ屋に篭り練習した。プロの演奏者の教えを請うべく、遠くまでレッスンに出かけた。
しかしいくら練習をしても、人前だと緊張し、まちがえる。ここは自分の中心を保ちぶれないようにする、ヨガ力を高める訓練を積むしかない。時間があれば公園でヨガの練習をした後、林の中でリコーダーを吹くという日々。ある意味、差し迫っていたから周囲の目は気にかけなかったけれど、傍から見れば、ずいぶん変わったことをしている人がいるものだとあきれられるようなことだったのかもしれない。

ともあれ、"ヨガ力"はリコーダーの練習でも鍛えられ、またヨガの練習がそのままリコーダー演奏に深く影響を及ぼすような気がしこの二つの課題はそれぞれによよい影響をもたらしたように思う。瞑想の時間を努めて持とうとしたことも"ヨガ力"を養い、リコーダーの演奏力を高めたいという願いがその向こう側にあった。
そして瞑想は、目の前の課題に翻弄されるのではなく、魂を命の源へと繋ぐ(このことがそもその、繋ぐという意味を語源に持つ、ヨガの目的なのだが)というところへわたしを戻してくれた。
ヨーガスートラの初めの教え 、
「心の作用を止滅することが、ヨーガである」

そうか、書けなかった大きな理由は、この二つの課題を抱えていたからだったかもしれない。
書くことは自分の中心と繋がることであってみれば、それに代わるものがあったからということなのかも知れない。
とすれば、今後、書くという行為はどうなっていくのだろう。

さて、時計は12時を回ってしまった。明日早朝の瞑想ウォーキングをするつもりなら、もう寝なくては。
朝6時半に焼ける予定のパン。パン焼き機が仕事を開始した。










たりたくみ |MAILHomePage

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