たりたの日記
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2015年01月14日(水) |
お弁当のこと あれこれ |
しかし、人は変われば変わるものだなぁと、わたしは毎朝弁当を作る自分を、ある意味不思議な気持ちで眺めている。というのも、この11月まで、弁当作りだけはご免というのがわたしの自然な感覚だったからだ。料理が嫌いというわけではないけれど、弁当は面倒この上ないことのように感じていた。 はるか昔、子ども達の弁当は作った。3年間の幼稚園の弁当と5年間の高校の弁当。作るには作ったが、それを楽しんだという記憶はない。
幼稚園は1年中裸足で子ども達は泥んこまみれになって遊ぶという幼稚園だったが、食についても園長の考えがしっかりと親に伝えられ、加工品は使わず、煮物や葉物、海のものと山のものが入れることになっていた。下の子の世話や朝食の支度や幼稚園の準備をしながらの弁当作りはどんなにか忙しなかったことだろう。
高校生男子ための弁当はいったい、どんなものを作っていたのか、さっぱり覚えていないが、とにかく、肉類がメインのドカ弁だったような気がする。おしゃれな弁当など彼らにとっては有難迷惑というのも察しがついたから、まあ、いい加減な弁当を作っていたんだろうなと今頃後悔したりもする。
で白状すれば、世に言う愛妻弁当などは、夫も期待しなければ、わたしも作ろうともしないこれまでだったのである。
昨年2月に早期退職した夫が、11月から再就職するに当たって、社員食堂がどのような感じなのか分からないというので、取りあえず、初日の弁当を作ったのだ。で、止せばよいのに、それをフェイスブックにアップした。三日坊主になりませんように などという自分の首を絞めるようなコメントまでつけて・・・ で、初弁当は本人にも、また写真を見た人にも好評で、そうすると、単純なわたしは弁当つくりに目覚めてしまったらしい。それ以来、いやになることもなく、けっこう楽しみながらの弁当作りが続いているという訳。
何かとストレスの多い新しい職場環境の中で、ほっとする昼食時間、心にも身体にも滋養になる弁当とはどういうものだろうと考える。 限られた短い時間で弁当箱という限られた空間の中に食べ物を詰めていく時、栄養価や、色合いや、味や食感のバリエーションといったことに頭は生き生きと動き、閃きが総動員される。それが楽しさの理由なのだろう。ささやかな創造的活動・・・
料理の本のコーナーなど立ち止まることもないわたしが、今年初めて買った本は何と「常備菜」という本と「人気シェフの おにぎらず レシピ」という本だった。だいたい新年に買う本がその時のマイブームを象徴しているから、どうやら今のわたしの興味と関心は「弁当つくり」に傾いているということらしい。それでそこから、わたし自身の心の滋養もどうやらもらっているらしい。
いいのです。人にはすべて時がある。弁当を作り始めるに時があり、それを止めるに時がある。だいたい私の興味と関心は長続きしない。長くて3年、短ければ数カ月。それまでは興味と関心のおもむくまま、弁当作りを、また、そのための常備菜作りを楽しめばいい。
自転車に乗って という、高田渡の歌があった。 何故かこの歌が好きだった。 初めてこの歌を聴いたのは、高校生の時だった。 学校帰り、セーラー服と学生鞄のままで、市内へ行く汽車に乗り、おおよそ場違いな出で立ちにドギマギしながら、フォークソングのコンサートの会場へ足を踏み入れたのだった。
チケットは500円。で、今思えば凄い顔ぶれだったのだ。 高田渡、井上陽水、友部正人、加川良! その頃、下手くそなギターを弾きながら、弾き語りに夢中になっていた女子高校生にとって、それは、それは、魅力的なコンサートだった。窮屈な田舎の高校生生活にわずかに空いた風穴から、わたしは目一杯、自由の味のする空気を吸い込んだ。
今でも、自転車に乗って、そこまでお使いにいくという何でもない時、この歌のフレーズの、何とも言えない開放感が、ふっと降りてきたりする。 高田さん、56歳という若さで天国へ行ってしまったけれど、これだけ時間が経っても、あなたの歌はわたしの日常の中にありますよぉ〜。
今日は、年明けから、初めて自転車に乗っておつかいに行った。自転車を漕げるほど、膝が回復したということだ。風は冷たく気持ちがよかった。 スロークッカーの中ですでに煮えてる豚汁に加えるゴボウとこんにゃくを買って、クラスの時間に間に合うように急ぎ戻ってくる。
今日は、昨日これなかった子の振り替えクラスが一コマ加わり、3時 50分から9時まで。お正月のあれこれ、新年の抱負のあれこれをテーマに、過去形と未来形のフレーズをてんこ盛りという新年のクラス3日目。 子ども達の心に残るクラスになるといい。
昨年9月から日本ヨーガ・ニケタンのヨーガ教師養成講座の受講を始めたことを、まだここには書いていなかったかもしれない。本部はインドのヴィヴェーカナンダ・ヨーガ研究財団、インド政府公認の財団。というわけで、ここを通していただく資格はインド政府公認の指導者資格ということになるらしい。
どういうわけで、このヨーガを学ぶようになったかは、いくつもの偶然や出会いが様々な方向から繋がったので、一口に説明がつかない。その素晴らしい出会いのことはまた別の機会に書くとして、今日はその練習について書いておこう。
ある日、近所のKさんとの立ち話の中でヨーガの勉強をしていると話したところ、それならヨーガを教えて欲しいとの申し出があった。kさんとは朝のゴミ出しの時に、月に一度会うかどうかという頻度なのだが、ここに越してきた当初は子ども達どうしが行き来したり、Kさんのところの男の子二人が我が家の英語教室に来ていたりで、言ってみれば、Kさんはかつてのご近所の子育て仲間。
子育てが終わった後はそれぞれの趣味や活動に忙しく、いっしょに何かをするという時間を持つこともないままだったが、この秋から月2回ほどの割合でいっしょにヨーガをするようになったのは画期的なことだ。
彼女は遠くのジムやスタジオに出かけてヨガをやる気はないが、自分のところに来てくれるのであればやりたいとのこと。わたしはわたしで、月一度の実技講習だけでは、指導の練習としては心許ない。Kさんを通して指導の実習ができるのであれば、願ってもないこと。両者のニーズが一致し、ヨーガの練習が始まったという次第。
1時間半あまり、呼吸法やゆっくりとした関節の動きを中心にしたヨーガ実習の時間は、初日から豊かな静けさに満ちていた。一度話を始めると止まらなくなる我々がただただ自分の呼吸や身体の動きに意識を向け、淡々とヨーガをする。長年テニスをやってきた彼女からは時折、この運動はどこを意識すればいいの?といった鋭い質問も投げられる。それが自分にとっては良い学びとなり刺激となる。
ヨーガの後は御茶をいただきながら、それぞれの家族の近況報告をしたり、わたしの知らない、地域の情報を教えてもらったり。 実際、教えてもらった鍼灸師や整体師は膝を痛めた時に大いに助かったし、教えてもらった素敵なガーデニングのお店はすっかり好きな場所になった。 わたしはほんとにこの地域のことを知らないのだが、地域に根ざしている彼女は情報の量が半端ではない。
ヨーガがこのように地域の方との繋がりをもたらすものになるなら、健康になることに加えて素敵なことだなと思う。 子ども達が巣立っていった後、老齢期を迎える者どうし、これまでとは違った近所づきあいが豊かなものになるといい。
というわけで、今日の午前中はたっぷりとヨガの練習。夕方、クラス2クラス。 スロークッカーではこの間、里芋、大根、人参、厚揚げがゆっくりコトコトと煮えていた。
一昨日、アマゾンに注文したスロークッカーが届いたので、さっそく残り野菜でミネストローネを作る。 昼過ぎ、材料をポットに入れておいたら、クラスが終わる9時過ぎには暖かいスープが出来上がっていた。沸騰させることなく長時間煮るからか、野菜は柔らかくも煮崩れしていないのが良い。長時間かけて調理したものだからか、心なしか、クオリティーが高いスープになった気がする。
週の内火曜日と木曜日は4時過ぎから9時過ぎまで英語教室があるので、夕飯を作るタイミングがなかなか難しい。御鍋をかけたままにはできないので、煮込み料理なんかだと4時までに作っておかなければならなくなる。午前中出かける用があると、夕食の用意をする暇がない。
そこでこのスロークッカー。ポットの中に材料を入れておけば、コトコトと長時間、焦がすことも吹きこぼれる心配もなく煮込んでくれるのだ。アメリカに住んでいた時、よく使っていたが、最近は日本でも売られ始めたようだ。アマゾンで探すとタイマーはついていないシンプルなものが1980円で出ていたので、迷わず購入したのだった。
さて明日は何を煮ようか。里芋があるから、これをひき肉と味噌で煮込んでみようかしら。
今日やったこと
午前中、しろにじゃまされつつも、ニケタンヨガ指導者養成講座の練習。 昼はもちピザの試作品を作って食べる。簡単でおいしくて、腹もち良し。 横半分に切って薄くしたお餅をオリーブ油をひいたフライパンに並べて、少し柔らかくなってきたところでトマトソースを塗り、野菜、ベーコン、チーズを載せ、蓋をして5分ほど。 午後ミネストローネの仕込みと、しめしとベーコンの炊き込みピラフの仕込み。 クラスの準備。 4時10分から9時10分までクラス。今日は新年ということもあって、2階の教室は使わずに、ホットカーペットが敷いてある1Fのリビングで、新年のあれこれ英語カルタや英語版「がまくんとかえるくん」の音読練習などやったのは、お正月クラスっぽくて良かった。
2015年01月05日(月) |
中学生クラスの新年会&冬期講習 |
今日は、たんぽぽ英語教室、中学生クラスの新年会&冬期講習。
中学1年生の女子3人と男子1人が、12時丁度にやって来る。 ランチのメニューは餅入りお好み焼き、10品目玄米サラダ、伊達巻、根菜類のピクルス、大根と貝ひもの千枚漬け風。差し入れのホームメイドケーキやチョコレート。おせんべい。
初めて作ってみた餅入りお好み焼きは美味しくて、彼らにも人気だった。中学生にはあまりウケないだろうと予想した玄米サラダも売れ行きが良かった。 食べ物はまずは成功だったろうか。
食事の後は、ソプラノ、アルト、テナーのリコーダーで、アンサンブルに初トライ。ブラスバンドに入っている子が2人いるので、初見でのアンサンブルが可能。エーデルワイスを三部で演奏しながら、素敵!と思ったのはわたしだけだっただろうか。英語とは関係ないから日常的には難しいけれど、一度、リコーダーアンサンブルの集いを持ちたいと思った。ちなみに中1生は、これからアルトリコーダーを習う。学校で習うアルトリコーダーが日常の生活の中で生かされるためには、ちょっとした場と時間さえあれば可能だ。
スクラブルという、英単語を並べて点数を競うゲームをし、時間を忘れる。が、しかし、今日の本命は英検3級のための学習。その後2時から4時まで、一通りやってきた1回分の過去問をいっしょに確認していく。時間に余裕のある2人は40分延長して4時40分終了。
1月末の英検までは英検に焦点をあてるが、同時にクリスマスプレゼントにしたシャーロック・ホームズの小説を読み進めていくつもり。音楽も英語も、学校や教室の外に出て、自分で楽しむ方法を見つけなくては、その場限りのもので終わってしまう。音楽家にならなくても、英語の達人にならなくても、日々の生活の中で、楽しんだり、自分自身を表現するツールになれば、どんなに良いだろう。
この年末年始に、英語教室を卒業していった生徒達からの嬉しいニュースがあった。ひとつは大学が決まった男の子が、留学したいので、この大学に決めましたと報告があり、もうひとつは、この英語教室の最初の生徒のMちゃんの再就職。新たにスタートした海外の航空会社にキャビンアテンダントとして採用が決まり、海外で生活しながら働くという道が開けたことの報告に来てくれたのは1月2日。昨日目的の土地に旅立って行った。 2人とも、ここでの英語の勉強が進路のきっかけになったと言ってくれたこと、しみじみと嬉しかった。
さて、明日は4クラス、明日2クラス、明後日3クラス。ひとつひとつのクラスを、印象深く、楽しいものにしたい。彼らの未来の姿を心に描きながら・・・
2015年01月03日(土) |
A Family Reunion |
この家から巣立っていった子ども達がそれぞれ、ファミリーといっしょにこの家に集まって迎えた、特別な2015年のお正月。
今朝次男たち夫婦が上海へ、午後には長男の一家4人が調布へ戻っていった後の、静かになった家の中。再び、私たち二人だけの時間に戻り、不思議な感慨に浸っている。
ここに何か書きつけようとする前に、2002年1月1日の日記から遡り、昨年までの新年の日記を読み返してみた。 青年期を迎えた息子2人と4人での新春のテーブル。翌年には3人の元旦。まだ元気だった親たちと過ごしたお正月もあり。そしてわたし達2人だけで迎える新年がここ数年続いていた。
そして今年は大人6人幼児2人という賑やかなお正月。これまでは男3人に女1人の家族だったが、今や男4人と女4人というバランスの良さ。
ここには新たに家族となった母と姉妹たちの姿があり、確執や緊張を乗り越えた後の父親と息子達の語らいがあり、それぞれのメンバーを繋いでいる、5歳児と1歳児の存在があり、 Family Reunion とはこういったことなのかと再び集まった家族の姿にしみじみと想いを巡らす。
かつて、わたしの両親も、また義父母も、このような時期を迎えたのだったということも...
こうして時間が進み、人と人との新たな繋がりが広がり、また深まり、そうして、我々はその先っぽにあって、親たちが辿っていった時間を同じように辿っているということも...
1日の朝は前日までに用意していたおせち料理を、次男夫婦から手伝ってもらいながら、重箱に詰めたり、盛り付けしたりと、ゆっくり準備。 用意ができたので長男家族の到着を待って、3人で漢字カルタ。 みなが揃ったところで、新年のお祝のテーブルを囲む。
この時のアイドル5歳児のれおは「妖怪ウォッチ」のカードに夢中。もらったお年玉でさっそく、カードのバインダーを買い、入れては出し、出しては入れ。
さらなるアイドル、1歳半のめいみは「アナと雪の女王」に夢中。「アナ・・」「アナ・・」と口にしてはママのスマートフォーンでアナの画像を探す。昨年のお正月は赤ちゃんだっためいみの成長振りに、瞬間、瞬間に驚かされる。
叔父さん、叔母さんを相手にことわざカルタをする、れお。まだ字は読めないけれど、その遊びを楽しむ力、勘の良さや素早さは大したもの。 帰りぎわ、自分ひとりでもう一晩泊まりたいと言って親を困らせていたが、今年は、ひとりで、ここに泊まる日も迎えるのだろう。
今年は20数年振りに家族の写真入りの年賀状を出した。 ここ3年間、母、父、義母の喪中で、欠礼葉書を出してきたので、久し振りの年賀状だということ、またこの間に新たな孫の誕生があり、また次男の結婚というニュースがあったので、それを画像でお知らせしようと言う訳だ。
元旦に届いた友人達からの年賀状には、退職、孫の誕生、子どもの結婚というフレーズが特徴的だった。 お互い、新たな人生のステージにあるんだなと感慨深かった。
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