たりたの日記
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2014年12月31日(水) |
大晦日のリコーダートリオ |
30日、上海に住む次男夫婦が帰省。 昨日は牧人(まきと)が「牧人(まきびと)羊を」というクリスマスの讃美歌を覚えていてリコーダーでアンサンブルができたので、この日はおせち料理作りの後、義娘のゆうちゃんもいっしょに3人でのアンサンブル。 まき、ソプラノリコーダー、ゆうちゃん、テナーリコーダー、わたし、アルト・リコーダー。思いの他、ハーモニーが美しく、しばし、3人でうち興じる。
思えば、今年はずいぶんリコーダーを吹いた年だったが、思いがけなくも、息子夫婦との吹き納め。
痛めた膝の具合が良くなってきたので、ケーキを持って調布へ。 孫たちとの豊かなクリスマスの昼さがり。
遅いクリスマスのディナーはチキン、ローストベジタブル、玄米サラダ、パスタのバジルソース。
クリスマスイブの朝、まだ膝に不安があるので早朝ウォークングは断念し、いつものお弁当作りから。 塩しゃけを焼き、昨夜のきのことしゃけのしょうゆ味のパスタにミズ菜を加えさっと炒める。南瓜とひき肉の煮物をウレタンカップに入れて冷凍しておいたものを解凍し、瓶に漬け込んである、大根とにんじんときゅうりのピクルスをカップに盛り付け、それらを玄米ご飯といっしょにお弁当箱へ盛り付け、飾りのミニトマトをあしらい出来上がり。ここのところ、フェイスブックにお弁当の写真を数日分アップしてきているので、蓋をしめる前に写真撮影。
で、忙しく動き回る前にパソコンの前に座った。クリスマスイブという日を特別なものにしようという気持ちが働いている。 テーブルの上には昨日600円で求めたバラ色のシクラメンが清々しい。 昨日5時間ほど集中して書いた70枚の年賀状とまだ書かれていない年賀状が30枚。みやこ炭の上におかれた乳香のつぶが三つ。ずいぶん前、函館のハリストス正教会で求めたもの。しかし、残念なことに炭が湿っていて火を保てず、乳香の香りをたてることはできない。
ここに書く前に、これまでのクリスマスイブの日記を読んでみようと思い、2001年のものと2003年のものを読み、その時に家族の様子、自分の気持ち、やっていたことなど思い起こす。13年分全部読み返すわけにもいかないからここでストップ。しかし、ここにこうしてお弁当のこととかテーブルの上のこととかを書いておこうという気持ちにはなる。
テーブルの下、向かいの椅子の上には猫のしろが気持ちよさそうにうずくまっていて、ときどきぐるぐると喉をならす。
さて、今日のわたしの予定は午前中は片づけ(予定しているもののする気になるかどうか) つくしんぼ保育園へ。昨日用意した、職員の方たちへのささやかなクリスマスの贈り物とカードを届けるのは園児たちのお昼寝の時間を見計らって・・・
午後は今日のキャンドルサービスのためのリコーダーを練習し、4時頃に近くのカフェ寧へ。キャンドルサービスに出かける前に好きなカフェで特別な時間を過ごす目的もあるのだが、クリスマスの時期にリコーダーを吹きに来ますとオーナーに告げていたので、もしお店がOKならば、クリスマスにふさわしい曲を何曲か吹かせていただく心づもりも。 この1年は、寧のオーナーの言うところの「森の大道芸人」として森の中のカフェの中庭でも店の中でも、よくリコーダーを吹かせていただいた。
5時過ぎにはカフェを出て駅へ。6時過ぎには教会に到着し、リコーダーの準備や人が集まってくれば、クワイヤにリハーサルも。礼拝が始まる前の教会の入り口のクリスマスツリーの脇でみなさんをお迎えするためにリコーダー演奏をすることになっている。曲は16世紀の始めの頃の曲、ヤコブ・ファン・エイクの「おお聖なる祝されたベツレヘム」
さて、この予定はどのように動いていくのか。 ここを閉じて動き出すとしよう。
冬至の今日、しかも今年は19年に一度の「朔旦冬至」なのだそうだ。 朔旦冬至(さくたんとうじ)、新月(朔)と冬至が重なる日。これから月が満ちてゆくはじまりの新月と、これから日が長くなってく冬至とが重なる日。ものの解説には「月の復活と太陽の復活が重なる日」というフレーズもあった。
南瓜の煮物と南瓜の味噌汁を食卓に載せ、柚子とカボスを浮かべたお風呂に入ったところ。カボスと蜂蜜の暖かい飲み物も飲んで。
さて、そのめでたい一日はどんな日だったか記しておこう。
午前中、つくしんぼ保育園のクリスマス会へ。ギターとリコーダーを持って。子ども達へのプレゼントは3冊の絵本にした。 まずは「はなをくんくん」 春を待つ冬の時期になんども読んであげたい本。 次なる絵本は「12のつきのおくりもの」この物語はミュージカルになっていて、つくしんぼの子ども達はこの劇中の歌をそれはすばらしく歌う。この本は力のある画家、「ひろしまのピカ」の絵本の作者、丸木俊の描によるもの。 クリスマスの意味を伝える本として、こぐま社から出ている「クリスマスおめでとう」という本を。
サンタさんからのプレゼントが終わり、子ども達がピニャータを割る前に、園長のゆいちゃん(子どもたちも、職員もみんなそう呼ぶ)が時間をくれたので、リコーダーで「グリーン・スリーブス」とヤコブ・ファンエイクの「ナイチンゲール」を吹く。 あえて子ども向きのクリスマスソングではなく、静かで密やかな曲を選んだのは、つくしんぼの子ども達なら、この曲に耳に耳を澄ますことができると思ったから。 実際、リコーダーをひと吹きすると一瞬しいんとなり、真剣にこちらを見ている眼と息づかいが伝わってきた。
午後は贈り物へのお礼の電話やお返しの品物の発注など。 長い電話は沖縄に住むN牧師と。わたしが子どもの頃からその町を離れるまでお世話になった故郷の教会の牧師だった人。子どもの時は教会学校のお話やキャンプや遠足、そしてクリスマスイブのキャロリングはとても楽しかった。 その楽しさは、今わたしが子ども達に向かう気持ちにとても大きくかかわっている。子どもが楽しいと思える、その楽しさの質、それは、そこにほんものがあるかどうか。 そんな思い出の話もする。90歳という年齢なのに、声も話しぶりも昔と少しも変わらない・・・
昨日の日記では呼吸法をすると書いた。書いたからにはやらなくては。 ニケタンのヨガ療法のテキストを見ながら次回の中間試験になってもいる、いくつかの呼吸法のおさらい。 自分でやるのは難しくないが、指導者として動きの模範をしたり、言葉だけでその動きを相手に伝えることはなかなか大変だ。1時間ほどやったら、気持ちが心なしか軽やかに、上向きになっている。 この呼吸法とスークシュマ・ヴィヤヤーマ(微細な体操という意味)をしばらく続けていきたい。スピリチュアルトレーニング。
膝の不安があり、いつもの月曜日のホットヨガとカルチャーのヨガクラスはお休み。予定していた文学ゼミ( テキストは柳田國男の「明治大正史・世相篇」)とそれに続く忘年会も欠席。 残念ではあるけれどこういう日もまた大切。 朔旦冬至の一日としてはこうして心を内に向ける日でよかったように思える。
明日から月は満ち始め、日は伸び始める。冬の寒さはこれからだけど、ここからは春へと向かっていく日々。
先ほどのこと、この日記の長い間の読者でいて下さる、北海道にお住まいの晶子さんとお電話でお話した。
晶子さんからのお便りだと、ここのブログが開けなくなったということだった。こちらにその原因があるとは思わず、確かめることさえ怠っていたのだが、どうしたきっかけからか、HP「たりたガーデン」がおかしな具合になっていたのだった。今日気が付き、さっそく管理人である夫に修復してもらった。
で、ちょうど今日は晶子さんのお誕生日なのでお電話をしたのだった。お会いしたことはないのに、ここの日記を最初の頃からずっと読んでくださっているので、わたしのあれやこれや、家族のあれやこれやを心に留めてくださっている。こうして読んでいただけるということ、なんという幸福なことだろうと、改めて思った。
さて話題は変わるがここ数日間、我が身に起きていること。 少し前の日記に、日記がさぼりがちになったのは、早朝ウォーキングとヨガ熱、そしてリコーダー熱にその理由があると書いた。ところが今週の月曜日の夜中、ベッドに入ろうとした途端にいきなり膝、および左足全体に激痛。曲げることも伸ばすこともままならず朝を迎え、整形外科へ。もともと変形性膝関節症という病名をもらっていたのだが、なんらかの炎症が起きているらしい。 関節に軟骨の剥離したもの(関節ネズミという俗称があるらしいが)の挟まることがあり、そうなると関節が曲がらなかったり、痛みが起こったりするというので年明けにMRIの予約を取った。
思えば、この症状が出る1週間前から膝には違和感を感じていて、歩く時は久々に膝ベルトを付けて歩いたりしていたのだ。にもかかわらず、その日、ヨガを2本やった。かなりハードはポーズがあったが、自分の力を試したい、ここで出来ないのはみっともないという気持ちに煽られていた。膝の具合が悪いことを無視するという間違った行為に及んだ、その結果だ。
幸い、注射と痛み止めの薬のお陰で、激痛は治まったものの、膝全体に重い違和感があり、何か爆弾を抱えているような不気味な感じ。あの硬直と激痛には見舞われたくないので、早朝のウォーキングもジムでのヨガも、少なくとも検査の結果がでるまでは休もうと思っている。
しかし、早朝ウォークングもヨガも、単にスポーツというのではなく、わたし自身の心の状態を整えるのに大きく貢献していたので、パタリとそれを止めてしまうとなんだか調子がでないのである。一言で言えば、エネルギーがダウンしている。思考がネガティブになっている。感情面でバランスを欠いている。
今学んでいるニケタンのヨガ療法で言えば、感情のコントロールを司る理知鞘の乱れが意思鞘に影響を及ぼし、生気鞘が司る呼吸に乱れを生じさせ、肉体であるところの食物鞘に、倦怠感を生じさせているということなのだろうか。これをほおっておくと、肉体へのストレスが高まり、なにがしかの心身症を形成していくのかもしれない。
身体を思うように動かせなくても、呼吸法や瞑想、祈りやこうして文章を書くという行為を通して、心の内に平安を保つことはできるはず。そもそもヨガ療法とはそこに意味があったのではないかとこれを書きつつ思い至る。 膝を痛めたから、思うように身体を動かさないから鬱々とするのではなく、身体を動かせない状態でどのように自分自身にエネルギーを送り込むか、今はそれを学ぶ良い機会であるはず。
外へ外へと向いていた意識を自分の中心へと集めることも、身体が動かせないからこそできることなのだろう。 そう、今はアドベントの時だった。英語教室のクリスマスクラスが終わり、教会のクリスマス礼拝が今日終わったので、もうクリスマスは終わった気分でいたけれど、クリスマスを待つというアドベントの時。
朝日の中を歩くということはできなくても、朝日に顔を向けることはできる。ハードなアーサナを組むことはできなくても呼吸法や瞑想はできる。 心に湧くき起こるわだかまりや心配ごとをひとつひとつ外していく作業を積極的にやっていこう。
年末の大掃除もあるけれどね。 まずは心のね。
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