たりたの日記
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2011年11月26日(土) 「日本語の学校2011」に参加する

さて、ようやくここを開くことができた。
実際今日は12月11日なのだが、11月の大きな出来事を書かない内には先へ進めない。かといってそれを記すだけの時間がないという、いつものジレンマ。
タイトルだけでもここに書いておこう。


11月26日は、あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)主催、鴨下信一『日本語の学校2011』の第6日目、最終日。
このワークショップのテキスト、夏目漱石の夢十夜を三十数名の参加者で朗読のリレーをして終了となった。

さて、この朗読ワークショップ、わたしの人生の中でも、最も長時間の集中講義ではなかったかと思う。
ワークショップは11月12日、13日、19日、20日、25日、26日の6日間。時間は午前11時から午後17時。間に40分ほどの昼食休憩があるが、鴨下氏は昼食をしながらも、講義の続きのように様々なお話をなさる。口は動かし租借はしつつも、耳はその話を聞き、頭は動き続けるからわたしとしては6時間ぶっとうしに講義を受けることになる。

聴く方も大変なのだから鴨下氏は相当にエネルギーを使っているはず。ところが少しもお疲れの様子が見えず、次から次に朗読についての話や作品についての解釈や、個々の受講者の読みの癖や欠陥ついての指摘や解決法と、記録しておきたいようなことがよどみなく語られるのである。
パワフルである。
世の中には凄い人がいる。

このワークショップの期間は、頭には漱石の「夢十夜」しかなく、通勤電車に乗っている間や訪問校へ向かうバスの中で、講義の復習をし、テキストを読み深め、夜は朗読の練習をするという日々であった。何にしろ集中できるというのはいい。他のことから来るストレスがあまり響かなくなる。
今ここには書かないが実際11月21日はズシリと重い課題を背負うことがはっきりした日なのだが、そのことよりも目先の課題の方で頭はいっぱいだった。

さてここで学んだことが頭から抜けない内に「夢十夜」を朗読し、ボイスブログにアップしたいのだが、まとまった時間が取れずに時間が過ぎていく。
冬休みの課題にするとここで宣言。




2011年11月03日(木) 映画「百合子ダスヴィダーニャ」を観る



 渋谷ユーロスペースにて10月22日から11月18日まで上映中の「百合子ダスヴィダーニャ」を観る。

 この映画のことを知ったのは2007年1月のこと。尾崎翠の世界をみごとに映像化した作品「こおろぎ嬢」 の上映会の後、監督の浜野佐知さん、脚本の山崎邦紀さん、音楽の吉岡しげ美さんとごいっしょする機会があった。その際に、浜野監督が次は宮本百合子と湯浅芳子との同性愛を扱った映画を作りたいと語っておられ、どんな映画になるのか、とても興味深くお話を伺ったことだった。それから4年後、 あの時の言葉の通り、映画 「百合子ダスヴィダーニャ」が世に送られた。世に送られたという表現をしたのは、この映画そのものがひとつのメッセージであり、問いかけだと思うからだ。

 人間と人間の間に生まれる愛とは何なのか、同性の恋愛とはどういうものか、友情と恋愛の違いは、女性が表現者として生きていくとはどういうことなのか、様々な問いかけがそこにある。
 現代に生きる者ですら多くは性の多様性について無知であり、同性愛に対して歪んだ見方をしている。その問題に百年も前に真摯に向かい合った女たちがいたことを映画は伝えてくれる。

 浜野監督は魂と魂のぶつかりあいを描きたかったとおっしゃっていたが、この映画に、恋愛を超えた人間どうしの魂と魂のぶつかりあいを観る。人が人に惹かれる時に起こるドラマはその人達に固有のドラマでありながら、わたしたち人間が等しく体験するドラマなので、その稀有な奇跡的な出会いやそこで起こる葛藤は自分の中に流れ込んでくる。そして魂の深い部分が刺激される。
 この映画のテーマが魂と魂のぶつかりあいであること、それを描こうとした情熱には共感を覚えるが、百合子と芳子、また百合子と夫の荒木のドラマはもっと生生しく、激しく、苦悩に満ちたものだったのだろうという気がした。恋愛の持つ狂気や死すら招く悪魔的なもの、愛するが故の激しい憎しみや怒りが映画の中では微妙に押さえられ、美しい物語にまとめられている。尾崎翠の世界はそのストレートではない、ファンタジックな世界が魅力だったのだが、この映画は実際に生きた女達の物語なのであるから、もっとそれぞれの内面の空洞が、また孤独が描かれていても良いのではないかと思った。その空洞の深さ、孤独の大きさが出会う愛の大きさや激しさと比例すると思うから。

 映画会の後、浜野監督と湯浅芳子を演じた菜葉菜さんを囲んでのお茶会に参加した。浜野監督の映画に対する想いを聞いていると映画の世界以上にドラマティックで真っ直ぐで、映画は比較的クールに見ていたのにもかかわらず、お茶会の席でハンカチが必要だったりした。
 菜葉菜さんは、素朴で真っ直ぐな、そよ風のような印象の女優さんだが、映画の中では湯浅芳子が乗り移ったように、男っぽく、凛とし、それでいて、内側に孤独と弱さを抱える屈折した芳子を演じていらした。

 宮本百合子を演じた一十三十一さんは、自由で生命力溢れる百合子が伝わってきた。以前、テレビで大貫妙子と共演する一十三十一さんの歌を聞いたことがあって、日本人離れしたダイナミックさと突き抜けたような明るさが印象的だったが、みごとなキャスティングだと思う。

 映像の美しさはこれまでの作品同様。建物、風景のひとコマひとコマに加え、着物の美しさに魅せられた。この着物はこの時代に着られていた着物を京都の着物を保存してある博物館から借りて使用したとのこと。この時代の日本の美を伝える映画にもなっていると思う。

 
 さて、こうなっては、実際の宮本百合子と湯浅芳子に出会わなくては。この映画と同名の原作、そして二人の往復書簡を読み始めることにしよう。また宮本百合子の小説も。
この日記を書くにあたり、前回の映画のことや浜野監督らとの出会いについて書いた日記を検索したらいくつか出てきた。自分で書いておきながら、Googleに見つけてもらわなくては取り出せない。ここに貼り付けておくことにしよう。


2007年01月06日(土) 映画「こほろぎ嬢」を観た日


2007年01月09日(火) 再びシネマアートン下北沢へ


2007年01月13日(土) 『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』上映&トークへ


2007年01月15日(月) 尾崎翠に繋がるもの












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