たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2011年06月13日(月) 介護休暇

 5月20日、5日間の予定で、大分市の病院に入院している母を見舞った。
メールの返信がなく、電話の声も弱弱しいので気になって急遽帰省したのだったが、様態は思ったより悪く、熊本に住む弟も週に一度しか母を見舞えない。独りで入院させておくという状況ではないことが医師や看護士の話振りで分かった。
 4月と今回の帰省で有給休暇はすでに使ってしまっているのだが、この際仕方がない。長期休暇のお願いをすると、有難いことに介護休暇の手続きを取って下さった。育児休暇と同じような無給休暇が適応されたのだ。

 病院から電車と徒歩で1時間半ほどのところにある実家から病院に通うつもりでいたのだが、突然の様態変化も十分考えられるということであれば、緊急な時の対応が難しい。何より、すっかり弱くなっている母はわたしが側にいないと不安がる。病院の側のビジネスホテルに寝泊りすることにした。朝7時半に母の病室に行き、夜の7時半に病室を出てホテルに戻るという日々が今日で25日目になる。

 12時間連続して病室にいるのは辛いので、午後2時半から2,3時間、病室を出て休憩を取るようにした。ところが何をしても神経はリラックスすることがなく、緊張は夜も解れない。誰もがしてきた、誰もが経験する親を看取るということはこういうことなのだと思う。傍らにいる精神的にも肉体的にも苦しんでいる母に対して、ほんとうに何もできない。何かわたしに話しかけることがあれば聞いて分かったと伝える。辻褄が合わないことでも本人が安心するような答え方をする、それだけ。母の不安や怒りがぶつけられるような時が続くと、自分自身の精神状態があやしくなってくる。

 この25日間、時間はあっても、ここに何も記すことができなかった。気持ちがくたびれ果てていた。ホテルに戻るとぼんやりとテレビを見て、お酒を飲んでも眠れないから、医者から処方してもらった睡眠薬を飲んで寝る。それでも夜中に何度か目が覚める。こういう時には創造的なことはおろか、読書もできないものだ。何とか、ストレスを取り除く工夫をしなければと日々思って、それなりに試みたのだが。

 ふと、突然に、ホテルからレンタル料1,000円のパソコンを借りることを思いついた。2時半から4時半の病室の外に出ている間に、ここを開くことを思いついたのだ。夜は消耗してしまってそんな気持ちにはなれないにしても、今ならキーボードが打てる。そう、キーボードを打つという行為そのものが、心に良い働きをするような気がする。

 さて、その効果はどうだろう。不思議な心の広がりのようなものが生まれている。孤独な閉ざされたホテルの一室が、スパンと外に向かって開かれたような感覚がある。
ここに書くということはいいのかも知れない・・・

 


たりたくみ |MAILHomePage

My追加